2008年12月1日月曜日

Vol.106「2008年冬の景色」の巻

2008年もあと、一か月。早いもんでと言いたいとこですが、今年はあっという間な感じがしない。
春夏秋冬に加えて色んな季節が自分の中で始まったからではないかと思う。

2007年後半からの「なんでもかんでもやってみようキャンペーン」により、なんにも考えず、誘ってもらったらなんでもやってみた。哀川翔さんの「仕事はきた順からやっていく」に感化されたとこが大きい。関係ないが、哀川翔さんとインディアンの考えは似ているとおもった。

なんでもかんでもやらしてもらうと、無理だと思ってたことが出来てしまったり、新しい出会いがあったり、幅が広がったようにも思うし、これはヤリすぎであったとか、やはり性に合わんこともあるなぁと再確認したりであった。
時には、信じてきたものや考えをぶっ壊してみるのもおもろいもんであるなぁーとおもった。頭の中の触覚より、実際に触ってみての感覚を確かめる作業であったようにおもう。

この連載の100回通過記念イベント「大バカ野郎集会」も、それにともない始めたブログも新しい季節になった。
夏に大久保海太と魂くんとまわったホルモンツアーも焼き付いているし、ニックバッカーズで鳴らした音の景色も見える。
レコーディング風景もあるし、グルーヴァーズとのライブ、ピアノの大ちゃんと廻ったライブもよぎる。ひとつひとつのライブを思い返すとき、どれもが同じ一年の中のことであるのが不思議なくらい、いろんな季節を旅した感じだ。
であるからして、2008年をずーっとやっていたような感覚があるんだろうと思う。

来年は今年より自分主体で、もっとふっかけていこうとおもう。なんつって、あと一か月、この12月は「なんでもやってみようキャンペーン」の集大成であるかのように、またいろーんなライブがまってるじゃないか、楽しみだ。
9日には、同じ大学で同じレコード会社であった堂島君との2マンライブ。17日と23日はニックバッカーズのドラム佐藤大輔が出れないため、急遽ブッチャーズの小松さんが参戦してくれることになり楽しみだ。
18日はラジオのDJマッピーのイベント、どうなるんだ。大晦日もある。

だが12月23日の二度目のワンマン(於:青山・月見ル君想フ)、すべてはこの日にぶちかますべく進行中だ。

今はマグマやカミナリやガソリンや風をみていたい。その中にいたいとおもっている次第だ。

ともあれ冬だ。この冬に、ないはずのキン肉マン消しゴムの匂いを2回ほど嗅いだ。なんなんだろうかとおもう。下校中に道端に落ちていた消しゴムを「あっ俺のや」と自分のものにしてしまった友達を思いだし、ビニールハウスの隅の土の中にカプセルに入れた消しゴムを埋めたワクワクを思い出した。土の中に埋めるという行為にワクワクしていたことが不思議に思えた。

泥だんごも砂場の隅に埋めた。一晩埋めておくと固くなった。別々の場所にて時間を旅した泥だんごは固くなっていてうれしかった。
何日も埋めたキン肉マンは固くはなってなかったけど、違う場所にてすごしてた時間を語りかけてくる。何なんだろうかとおもう。

東京の土の中は電車が走り、人が歩いて穴ぽこだらけで、何か埋めるのにもすぐに掘りおこされそうで、ハラハラしてしまう。
それでも自分しか知らない場所に、自分しか知らないカプセルを埋めていたはずだと、思い出しながら歩いている2008年11月。冬の光の中だ。

スタジオにあった小物。3押すと。

クサバタカユッキーウネルべースマン。
カンガエルピアノマン。タナカダイスッケー。

コックピット。

2008年10月27日月曜日

Vol.105「クジラ親方の呟き」の巻

俺は親方。
一人親方。
媚びることはしないのさ。

俺は親方。
誰かの目を気にしてなんて生きられない。

いつでも気持ちのいい風を吹かす。
空は広くふきぬけている。

寄りかかることはなく、自分で立っている。

いつでも心の中にいた、俺は親方。

甘くみてた時もあった。
今だってまだまだ、ハナタレだが、
昔より、昨日よりかは気付けたことが何個かある。


守られていたことや、誰かの助け、気付けなかったことがたくさんあった。
不義理をしてきたこと、気付く度、心はぎゅっと痛くなるが、後戻りのできないとこまできてしまったのだから、その痛さを噛みしめ、ガリガリと全部を飲み込んで、次に進むしかない。

俺は親方。
心キョロキョロ、足はグラグラ、よろめく時も何度かあった。
一人親方を気取っちゃいるが、絆でつながる仲間がいる。
勝手に力をもらってる。心を殴って笑い合える仲間がいる。
横に、遠くに、空の上に感じる絆がある。
昔は当たり前だとおもってたその絆も、時たつ中で、始まり終わりの中で、出会いと別れの中で、昔よりも強く愛しいものだと勝手に感じている。

俺は親方。
あぐらをかいて一服したときも、汗を流して走り抜けた時も、いつでも心の中には何かがあった。言葉では言い当てられず、目にも見えないものがいた。よりみ ちをしても、そいつはいた。泥道を歩けば、そいつは余計に輝いて居場所を知らせてくれた。

俺はラクダのように走りながらも背中のこぶにワクワクを溜めながら、それを食って走ってく、アリンコのようにケツを蜜で膨らまし、そいつを食って走ってく。


俺はクジラだ。時代遅れだと言う人もいる。
ゆらゆらと深海を泳ぎ、時に海面めがけて垂直に口を開け、たくさんのエビを一気に腹の中に流し込む。海面から飛び出し雄叫びをあげる。
クジラはいつでも小エビを飲み込める場所で泳いでいる。
時代より、遅れているのか、先をいってるのか、時代と合っているのかは、クジラが食いこぼした、小エビをつつく雑魚の世間話だ。
クジラはいつでも時代を飲み込める場所で泳いでいる。

俺はクジラだ。数が少ない。
数少ない仲間と共に大海原をユラユラと泳いでいる。

2008年9月29日月曜日

Vol.104「2008年秋」の巻

秋がきた。
舗装の整ったアスファルトの上を、枯れ葉がカラカラとすべって転がっていきます。
夕暮れになると、ビルディングのひかり達は、澄んだ空気の中でいっそう輝いて見え、さらさらと夏に汗かいた街を乾かしていきます。いかがおすごしか。

春に芽吹いて、夏に燃えたものが静かに死んでいく季節。
秋風はそんなもの達を優しく弔うかのように吹いてる。そう感じる。

おいさんは、突然あらわれた印象だった。
僕を車にのっけて、海につれていってくれた。 
足の届かない沖まで一緒に泳いでいき、おいさんはいきなり潜り、貝を手にもって戻ってきた。
僕も真似して、潜った。まだ子供だった僕には海の底まで潜るのにきつい深さだった。
なんども潜ってはあがってを繰り返した。その間もおいさんは次々に貝をとっていて、悔しくて意地になってなんとか一個貝をとった。
浜にあがって僕は得意げだった。たった一個の貝で男らしくなれた気がしたんだとおもう。
「この貝、なんちゅう名前?」と聞くと「バカ貝、おまえとおんなじ」と言って笑ってた。

また違う日には、川に連れていってくれた。釣り針と糸だけもってこいと言われ、何すんだろうと思っていると、おいさんは竹藪の中に入って行き、二本の細い竹をとってきた。
一本を僕がもらい、先っちょに糸つけて針をつけた。餌は土ほじくってミミズをとって針につけた。
その竿をもって、川に入っていき、胸元のとこまで入ってくと、「足で川底をほじくって、水が濁ったら餌落とせ」と教えてくれた。
言われた通り、川底を足でほじくって濁らしてから餌をいれた。
そしたら黒鯛の小さいの(チヌ)が釣れた。濁りに何事かと近寄ってきたチヌを釣る釣り方だった。
こんな原始的な釣り方で、憧れていたチヌが釣れることに感動した。
「こんげな簡単な仕掛けでつれるっちゃねー」と言うと「お前みたいなのが、寄ってきて釣らるっとよ」と笑ってた。

近所のおいちゃん方で酒飲みをするときにも、おいさんを見かけるようになった。あんまりべらべら話す方じゃなかった。
いつもでっかいサングラスのメガネをしてた。怒らしたら恐そうだった。一体なんの仕事をしてる人なんだろうと子供心におもってた。

僕が上京する時、わざわざ家に来てくれて、餞別をくれた。「がんばれよ」とだけ言ってさっさと帰っていった。

長い間会ってなかった。先日実家に帰ったとき、「疲れた感じで歩いてたのを見かけた」と噂だけ聞いてた。


僕は東京にもどり、舗装された道の上で、知らされた。
枯葉が暴れる風の強い日。おいさんの季節が終わったこと。

魚や貝やらどこでどうしたら獲れるのかとか、誰にも言えないことをたくさんもってるような目をしてた。
もっとたくさんのことを教えてもらっとけばよかった。なんにもかえせていなかった。
バカ貝の獲り方とあのチヌの釣り方、「がんばれよ」って言葉、僕はもっていこうとおもう。
2008年、秋の空。
レコーディングはお菓子だらけ。

スター地元の新聞に載る。

一杯1000円弱。もするマンゴージュース。
俺クラスになるとこんくらい軽く飲んじゃうと
時間かけじっくり飲んでた田中ロケッツ。
宮崎空港にて。


2008年8月28日木曜日

Vol.103「2008年一人ツアー」の巻

 ツアーに来てくれたボーイズあんどガールズ、ありがと。仙台へ行く途中、雨の中たくさん田んぼをみた。緑、緑してた。こんな寒いのに緑なのが不思議やったが、考えてみれば、まだ八月。八月なのに寒いほうがおかしいわけや。いかがおすごしか。

 ライブが終わり、そんな田んぼをおもいだした。やがて黄色くなって稲刈りがはじまり、米ができる。稲刈り後の田んぼであそんでた。稲を刈った後の白く枯れた茎の部分にゴルフボールのっけてかっとばしたり、ボコボコの田んぼを走って凧あげたり、つんでるワラに火をつけてイモ焼いたり。そんな風に遊んでると、やがてその田んぼは耕されはじめる。寒い中、耕耘機で畑になってく。
 耕耘機のスクリューみたいなやつは白々とした田んぼの表面をほじくりかえし、黒々とした土に変えていく。ほんでタマネギの苗を植える畑になってく。うちの近所の畑や田んぼは季節を見せてくれた。
 毎年毎年季節と共にくりかえす。そん中で、来年はもっと旨い米やタマネギを作ったろうと、おいちゃんおばちゃん達は土から育ててて実験重ねて、年々たくましい米やタマネギを作ってく。僕は田舎にいた頃、そんな田園風景やおいちゃん達をみて、自分はそんな景色から抜け出すんだとおもってた。広すぎる空、同じ場所での繰り返し。僕にはできん、もっとおもろいことがたくさんあるんやないやろか。もっとおもれぇことをやらかせるじゃないか。
 んでぼくは抜け出した。東京にでて歌を歌った。ラジオで話した。テレビにでて話した。俳優まがいなこともした。いろんな街にもいった。いろんな人と出会った。別れた人もいた。僕がおもってたなんかおもろいことってのを、ほんの少しかもしれんが経験してきた。この何年かにほんといろんな経験をさせてもらった。

 んで僕は今回のツアーで改めておもった。

 僕は歌つくって、どこそこ行ってライブして、繰り返し繰り返し、届けてくことが僕の畑仕事なんだなーってあたり前におもえた。もっとこれだって歌を、もっと人の心にって、やってることは畑仕事と変わらんなーって仙台のライブ後にふとおもった。ほじくり耕されてく土をイメージして、やりたくなかったはずの畑仕事だが、自分には自分の畑があることが嬉しく思え、あんときのおいちゃん方と同じやなーとおもうと、自分はなんとひ弱だろうかと知らされたが、やったるでーと、僕は僕の力強い米やタマネギを目指して歌っていくべと改めておもった。
 この夏のツアーはまた、プレゼントを渡すみたいなライブでもあった。アコギ一本で目の前の人にそっと渡すような感覚があった。シンプルで、あったり前のことなのに、何度やってもそんなことに気付いたりするから面白い。

 人前に出るっちゅうのは、いまだに緊張するし、ちょっとした非日常な感覚があるからして、よりシンプルでいるってのはなかなか難しいが、この夏のツアーはプレゼントをそっと渡すよな、苗に土をかぶせるよな気持ちがあった。踏み込む度に波紋が広がる。自分は自分の畑で、これだっちゅうのを探し続けてく。遠くに旅してみつけた、自分の畑や。
 巡る季節と共に、繰り返し耕していけたらとおもう次第だ。きてくれたみんなありがとう。またいくからよ、今回よりずっとたくましい米やらタマネギをもってくから、楽しみにしていてもらいたし。

 気温の変化激しいこの頃、健康第一きいつけて、また来月。

おわり

2008年7月28日月曜日

Vol.102「世界が変わる」の巻


うだる、暑い、夏い、やばい! とける、ベトつく、スウェッティングで溺れそう。

 今年の夏は長い、早めに開夏宣言を個人的にしてたおかげさまで、ながーく感じております。聞くとこによれば東京も7月25日現在37度まで上がったとかで、なるへそこりゃ、うなだれる暑さやわなと、納得する次第です。蝉が今年はなかなか鳴き始めんなーなんつって僕の周りで話題にあがったりもしてたけど、きっと蝉でさえ暑さにビビり引け腰になっていたのではないかとおもう暑さであります。去年の夏にフランスあたりが40度をこえる猛暑だと報じられてたけど、日本もこりゃ時間の問題かもしれんですね。体温より高いってあーた。ついのこないだの冬、寒くて寒くて「ありえない、ありえない、さぶい」なんつってたのに、この猛暑。季節はホントにすげぇーよ。
 年々僕の頭の中のアイポッドのギガ数が少なくなってる気がしますが、こう暑いとますますとろけていき、せっかくなのでありえない冬の寒さを思い出し、涼んでみようかとおもうも、あんなにありえん!なんて言ってたのに、まったく思いだせず、携帯カメラに撮っておいた雪の写真などを眺めてみるも、だからなんなんだ的な気分になり、時空をこえて過去の感覚に納涼を求めても、それはそれ、やっぱり今は今にしかないもんであるなぁーとうなだれながらも、あぢーなんつって夏を実感しまくってる次第です。
 いかがおすごしか?

 バイザウェイ。こないだタクシーに乗り運転手の人と話をした。ガソリンの値段が高くなっての影響やら、タバコ吸えなくなったから、お客が減ったやら。運転手さんは語りはじめ、僕は「へー、へぇー」なんつって窓の外の景色を眺めながらきいてた。
「いつも不景気の煽りをくらうのは、うちらみたいな一般大衆なんですわ」的な話から、いきなり「このままいけば、人類は滅亡しますよ」「えっなんでっすか」「そろそろ、第3次世界大戦なんかはじまったりするかもしれないし、環境のこととかありますからねー」。もともこもないこの極端な終末話。願望なのかアンチテーゼなのか。
「政治家が悪いんですよ、政治家が」よく聞く言葉や。確かに政治家の中には悪いことをしてる人はおるかもしれんし、政治の悪いとこもあるのかもしれんけども、残念ながら僕はあまり政治に詳しくないんだけども、なんかこう、人のせいにしてばっかりのボヤッキーに聞こえてきて、空しくなった。タクシーの運転手って過酷な仕事なんだろうけどね。不景気の煽りが人類滅亡、世界大戦までいくと、おっかなびっくりであった。

 勘定払う時になり、僕のもってたギターをみて「世界を変える曲作ってくださいね」なんつって告げられ、「おいっす」とお釣りをもらい、できれば一緒に変えたりましょうと言いたかったけど、言わずに別れた。世界を変えるなんて大きすぎて、大それたことかもしれないけど、また、そんなことばっかり考えて歌ってるわけじゃないけど、メロディーやリズム、歌の中にいると、ありえんことではないと思う時がある。それはうまいもん食って気分が変わるってのと変わらないぐらいのもんかもしれんけど、気分が変わるってのと世界が変わるってのは、そんなに遠くない気がしております。踊る気分で行けないとこはないと、音楽を聞いたり、やったりしてく度、そんなおもいは増えてく次第や。
 今までの歴史がそうだったからといって、危機管理は必要だとしても、同じネガティブなイメージを繰り返すなんてつまらなさすぎるし、かっちょ悪い。                          
 最近、自分で作ったぬかるみに足をとられそうになると、僕の頭の中には、羽と肉のない骨だけの鳥が飛んでいて、そこから光をみることがある。政治家だけじゃなく、金持ちだけでもないし、神様でもない、一般大衆であっても、タクシーの運転手であっても、僕みたいな一介のスターであっても、世界を変えれるのは自分やとおもいながら暮らしを踊るのは全然大袈裟なことやないと思うこの頃だ。

おわり

P.S.夏はやっぱり麦茶やね。
P.S.2 夏をなめるな、塩なめろ。

2008年6月27日金曜日

Vol.101「改めまして100回通過!! 大バカ野郎集会」の巻

祝!連載100回目!! ビバ100!!
 いやはや先月が100回目かと思いきや、実は一度締切に間に合わず、というか書くことすらできないことがあって、とばしており、その一回を除くと今回が100回目となるわけだと、集会の最後になって知らされた中尾です。
 というわけで改めて祝100! これからは106回目指して書き続けさしていただきやす。これからもよろしく、覗きにきて読んでいただけたらと思う次第です。

 んで、6月21日に開催した「大バカ野郎集会in阿佐ヶ谷ロフトA」。
 たっくさんの人が来てくれ、100回記念を謳歌し大成功!!大達成!!なイベントとなりました。生で会いに来てくれた人ありがとう!これんかった人にはまたその時の空気感をお伝えするべく、映像やリポートをあちこちで少しずつお披露目できるとおもうので、そちらで会えたらとおもいます。

 演奏を共にした鍵盤田中大介、ギター小幡浩司、ベース草場敬普にも、イベントを膨らましてくれた本田誠人にも、スタッフのみんな、阿佐ヶ谷ロフトAのみんなにも大感謝です。んで、もちろん、この連載の担当で、ふっかけ役の田中さんありがとう。

 今までこういったイベントをやったことがなく、自分でTシャツやポスターを作ったり、段取りしたり、お金のことに頭をつっこんだりしたことがなかったので、勉強になったし、おもしろかった。
 大まかな流れを把握はして、あとは人まかせにしてきた部分、自分は自分の持ち場で爆発するべ!といったやり方とはまた違い、よりいっそうたくさんの人がいてくれ、動いてくれて成り立つものであることを改めて感じた。2ヵ月という短い中で何度も打ち合わせをし、メンバーと練習をし、1人で歌い、できなかったこともあるとはいえ、やってやれんことはないなぁと改めておもった次第です。「ありがとう」っておもって、「ありがとう」って口にすることが増えた気がするけど、年のせいじゃなく、それがあったりまえに思えた。それでもまだ、気付けてないこともたくさんあるんだとおもうから、これからもガシガシ、勉強はきらいやけども、学んでいけたらとおもう次第です。

 今までやらなかったことの一つに「ブログ」がある。これも何度か田中さんよりすすめられては「いやぁ、ようせんです」とずっと手をださなかった分野だったが、イベントをきっかけに、また、「写真とって載せるだけでいいんだよ」って言葉に、写真だけならできそうやなぁと始めたわけです。ずっとアンチコンピーターだったけども、今もそこは変わらんけども、付き合い方の問題であると納得してやっとります。やりはじめると、いろんなとこに目がいったりして、これはこれでおもろいなと楽しんじゃってる次第です。

 イベントの後でやった「ぺ・中尾の公開打ち上げ」も、初のこころみだった。前はああいったことはロックシンガーとして、フォークシンガーとして、やるべきではないとおもっていたのだが、やってみると、音楽でつながってる者同士の熱を感じられ、北海道や岩手、宮城、茨城やら名古屋、大阪、宮崎やらやら、遠く離れてても待っていてくれる人がいること、改めて感じることができ、これからの道をいく自分に大きな力をもらった次第です。

 はじめ僕は一人の部屋でギターを弾いてうたってた。それでもっと大きな声が出したくて路上や畑の真ん中でうたいだし、その畑から見えた富士山に向かってばかり歌ってた。あるときポツリとおもった。人にきかせてぇーっておもった。このすんごい気持ちを広げたい、伝えたいとおもった。遠回りだったのかもしれないし、まちがいもたくさんあったやろうと思うけど、そんな僕の順番と気持ちは今も同じや。

 たくさんのおもろい人と出会って、いろんな事学んで、相も変わらず歌ばかり、点と点が線になってって、人生レールの上をシュポポポッポーと走ってきた。いろんな出来事があって、景色を見て、おもしろかったし、そうじゃない時もあったし、不安もあったけども、いろいろあって、いまだってあるけども、歌うことを迷いなくやってこれて、これからもそうおもえてるのは、聞いてくれる、一緒に感じあってくれる人がおってくれるからやと。もちろん僕はまったくの一人になっても、はじめの一人部屋のように歌うやろうが、この世界にそんな人がおってくれることが、この先のレールをはるかに大きく太く輝くものにしてくれる。こんなことを改めて言うことはこういうタイミングでしかないとおもうので、改めて言うけども、そこにおってくれてありがとう。これからも、いろんな感情を燃料にして、すっぽんぽんで歌ってくんで、そこにおってくれたらとおもいます。

 そんなことをおもい、バカに輪をかけ、磨きをかけ、やったるでぇと再確認した大バカ野郎の集会やった。もう一度。来てくれた人ありがとう、これんかった人も、ありがとう。また会える日を!

中尾諭介35より

ひょんきちくん。
ライブの日、ロフトに入る前にブログポチポチやってたら、人ゴミの中にボ~っと立つ男あり。ブックマ~クにものせてるひょんきちくんや。宮崎の延岡、地元の友達で、東京にきているのは知ってたけどすんごい偶然や。
かれこれ10年くらい前下北沢の路上でギターをポロポロやってたら、知ってる顔あり、そんときは東京にきてるって知らんかった。高校の時は話したことがないけど、顔は知ってたから声かけて、そっから友達になったんだけど、そういう偶然も当たり前に感じる人やから、なんか楽。

打ち合わせ中のミュージシャン。 楽屋にて

んで朝までここで。

2008年5月26日月曜日

Vol.100「連載100回目!」の巻

 祝!連載100回目! 100回目! ワッショイワッショイ!

 すげぇーな、100って数字はやっぱかっこいいな。「おも~えばとお~くへきた~もんだ」な気持ちにさえなります。自分、非常に飽きっぽく。何かが長続きするほうではないのだけど、気がつけば8年も書き続けたのかとビックリしとります。今年の手帳を去年の11月に買って、今年は日記でもつけてみるかと始めてみたものの、こないだ気がついたのだけど、きっちり三日で終了していました。そんなミスター三日坊主の僕がここまでやってこれたのも読者のみんなが見ていてくれたのと、ビーパスの方々、そして担当してくれてる田中さんの根気のおかげです。   
 みんなみんな、ありがとう。
 ほんでこれからもよろしくね。

 2000年の新宿ロフトでの打ち上げの時やったとおもう。この連載の話をもらったのは。もちろんレコード会社の宣伝の方が話を進めてくれてたのだろうけど、田中さんと、この連載の話をしたのはそんときがはじめてや。

「エッセイを書いてもらおうとおもうんだけど」

 僕はワクワクした。エッセイの意味も知らず「エッセイて何ですか」的なことから始まったようにおもう。エッセイ。何しろその響きがおしゃレレな感じがしたし、連載て響きにもワクワクした。タイトルはなんでか「センチメンタルのバカ野郎」がひらめいて自信満々に伝えたところ、宣伝の人などは一瞬「?」マークが頭の上に点灯してた。今思えばどっからこんなタイトルがでてきたのか僕も「?」やけど、いいネイミングやなと今もおもってます。

「やるっす」と引き受けたものの何を書いていいのかわからず、しかも全国の本屋さんにおかれる雑誌のエッセイだからと緊張した。今までエッセイはもちろん、長い文章を書いたことがなかったから、原稿用紙を前になかなか書きだせなかったのをおもいだす。「学校の作文じゃあるまいし、自分を出すしかない」とおもうと、おもしろくなって書けた。きっとプロの物書きの人からみればひっちゃかめっちゃかな文体なんだろうけど、自分の中での線がはっきり見えてればいいだろうと1行書いては見直し、2行書いては見直し繰り返し書いた。そうやって一回目を書き終わった時、気持ちがよかった。歌にも似てるとおもった。
 その時編集長だった田中さんからも「よかったよ、句読点が全然だめだけど」とOKが出て「間違ってなかった」と安心した(句読点はおいといて )。そんなことの繰り返しで100回てのは、やっぱ嬉しい(いまだ句読点があやしいけど)。
 自分で気がつかなかった自分やら、書くことが何もないとおもっていても、隠れてた風景が出て来たり、僕にとってこの連載は冒険のようだし、鏡でもあるし、訓練のようなものでもあります。これからも書かさしてもらうので、読んでくれた人の中で少しでもなんか音がしたらおもろいなとおもいながら、これからも目に映してもらえたらとおもう次第です。

 そんな連載100回通過記念イベント「大バカ野郎集会」。
 先月の原稿を田中さんに送ると「来月で連載100回目だぜ、なんかやろうぜ」「おぉやりましょう」と相なって、二人で話し合い企画してるとこであります。「諭介、レッド・ツェッペリンみたいに4時間歌うってのはどう?」「え~4時間すか!」とか、「感謝を込めてお客さんと合同打ち上げもやってしまおう」「え~スターはスターでも、それじゃ韓流スターやないですか」とかとか、田中さんは無理難題をふっかけてくるのでおもしろい。4時間歌うだけでなく、高校時代の漫才の相方で、今は劇団ペテカンの作/演出/役者の本田誠人や、音楽仲間の面々にも遊びに来てもらう所存です。連載の記念パーティーだしね。B-PASSって、バックステージ・パスの略だしね。ぺ・中尾としてもビールついで周る覚悟であります……って言い訳ばかりですがビシッと歌いますんで、そこんとこよろしこ。
 6月21日に阿佐ヶ谷で会いましょう。レッツパーチー。

P.S.そんな話しあいの中から、ブログを始めることに相なりました。http://ameblo.jp/jinseirail/ 基本そのブログは写真だけで、文章はここで書けたらとおもっております。で、なによりその全部は歌に繋がればとおもってます。

2008年4月30日水曜日

Vol.99「と言えば言えばで猿渡り、春雨から柳原さん」の巻

 春がきて雨ばっか降って、濡れて歩いてみても気持ちよく、「これが春雨ってやつかー」と納得する。「はるさめ」って食べ物に「春雨」と名付けた人はポエマーやなぁー、素敵やなぁーと思う。かといってあの透明な味のない食べ物は、あれば食べるけど、なくてもいいんじゃないかと思ってしまいます。同じく、うどんに入ってるカマボコなどにも同じことを思ったりします。あれば食べるけど。どうでもいっか、いかがおすごしか。

 はるさめと言えば麺的な食べ物やけど、子供の頃、母親に「僕がおなかの中におった頃、そば食ったやろー、覚えちょるとよねー、雨が降ってきたっておもったもん」なんていうウソをついたことがあった。記憶の中のはじめてのウソ。おもろいと思ったのだろう、自信満々のウソやった。今でもそんなイメージがある。

 おなかの中と言えば、こないだ夜の山手通りに浮かぶ丸い月をみた。
 生まれた所や、育った場所を忘れたら、もしも行く先を何も失ってしまったら、この月と太陽の子供になればいいとおもった。太陽と月がいてくれればおっけいなのに、神様ってのはなぜいるのかとおもう。
 
 神様と言えば宗教。

 宗教と言えば、上京した頃、モルモン教の勧誘のピスタチオのヘルメットかぶった外国の人が家に来た。部屋にあげて話を聞いた。僕はこういう人等の話を聞くのが好きやった。自分の信じてるもんと共鳴したり、異議をかわしたりして、自分を確かめてたのかもしれない。僕には出てきたばっかりの故郷があったし、友達がいた。畑の真ん中や路上でフォークギターを鳴らせば、そこにすべてがあるように思えたし、もっとなんかあるはずやと思ってたから、その人達が手にしていた分厚い本がカンニングペーパーのようにみえた。神様は人の数だけいるもんやと思ってるから、なぞなぞは自分で解いたほうがおもろいとおもってる。

 信じるもんと言えば、そのころよく本屋さんに行ってた。みつけたのが、「リトルトリー」。インディアンの小説で、この連載でも何度も書いてるけど、感動した。もうひとつ、高倉健の「あなたに褒められたくて」って本。高倉健が大好きってわけではなかったが、その本に感動した。そのふたつの本は、読み終わってもずっとずっと僕の中に流れ続けてるように思う。宗教でもヤクザでもなく、強いものを探してた時やった。心深く、優しくて広かった。何がどうなっていくのかわからない旅のはじまりに、こう生きれたらと思わせてくれた本や。

 感動したと言えば、先日、下北沢にてフォークソング部の集まりがあり、遅れて出席し、終電がすぎても飲んだ。ではそろそろ帰りますかとなって、店を出て中山加奈子さんと手を振り別れ、元たまの柳原さんと二人になった。「どうやって帰るんすか」と聞くと、「歩いて」と言う。「家どこなんすか」と聞くと、「吉祥寺の向こう」と言う。「へー、って吉祥寺って遠すぎやないですかバイクでも遠いのに! しかもその向こうって!」「いや、俺いっつもそうだよ」だって。信じられない僕は「またまたー、途中でタクシーに乗るんでしょ?」なんて疑ってかかり「歩いてみれば歩けるもんだよ」と言って僕らは井の頭通りで別れたが、僕はホントにホントなのか、姿が見えなくなるまで柳原さんを見送った。終電のなくなった深夜、柳原さんは見えなくなり、僕は帰って寝た。
 起きると、柳原さんからメールで「○○時○○分自宅に到着しました。また飲みましょう」と報告があった。下北から吉祥寺の距離は、飲んだ帰りに歩く距離じゃない。「さぁ! 今日はウォーキングデイだ!」と覚悟して一日のイベントとしても歩きたくない距離を、飲んだ帰りにふらっとあたり前のように、歩いて帰る柳原さん。

 時々、柳原さんの歌が頭に流れることがある。柳原さんは携帯をもってない。柳原さんはミュージシャンのためのミュージシャンだとおもう時がある。自分の歩く道と足をもってる人。流されてなくて、近道できない人。遠回りしながらも、自分の時間の流れを作ってる人に東京インディアンを感じ、感動し、おやじの背中ではないが、井の頭通りのあの背中が僕に何かを教えてくれてるように勝手におもっているこの頃だ。

2008年3月28日金曜日

Vol.98「しゃかりきコロンブス」の巻

 さくら、咲いたね。細道抜けて大通りにでたら咲いてたわ。夜だったから幻想的やった。ゲンソウテキ。今年はじめて見る、さくら。きれいやったな。春やね。

 いかがおすごしか。月に一度の更新の、この連載を読んでくれてありがとう。
 前にも書いたが、最近、友達のブログをよくみる、電車の中や定食屋に入り料理がくるまでの間、時間があくと見る。自分は月に一度で精一杯なのに、友達のブログが更新されていないと、「更新しなさいよ」なんて思ってるから勝手なもんです。

 友達なんかはさすがに子供がいて、日常のささいな子供とのやりとりや、成長っぷりなどが書かれていて、笑ったり、そう、スターにあるまじき行為ではあるが、携帯見て一人で笑ったり、ほっこりしたり、グッときたり。

 高校3年の夏のように、ちらほらといつの間にかみんな進路のことを考えていて、面接の練習なんかしだして、「ええ、そんなのせんでいいやん」と三者面談では「ビッグになるっす」とハッタリにもならんハッタリを訳もわからず答えてたのに、先生が首をかしげても自信満々だったのに、まわりが意外にもみんな真剣で、結果自分もちゃっかり、面接の練習なんかしだしちゃったことをおもいだします。

 何が言いたいかというと、そんな友達たちのように、自分も子供を授かったりしちゃうのだろうか?というところです。昔から自分の子供など想像もしていなかったし、自分みたいのが生まれてこられたらどうしようかと、自分も生きておきながら恥ずかしい心配をしていたのだが、友達のブログを見て、少しうらやましくおもったりしているこの頃で、我が子を妄想したりします。女の子が産まれたら「はるか」って名前にしようとか、男だったら、「猿」。最近の妄想では、もっぱらこの「猿」が出てくる。猿と書いて「エン」と呼ぶのもいいかもしれんとか、「猿男」、「さるお」もいい。とにかく「猿」が出てくる。その「猿男」と一緒に山に登り、大きな松ぼっくりを見つけたり、ミミズを見つけたり、触らして反応みたり、キャッチボウルをしたり、ギターを弾いてきかしたり。

 前にも書いたが、「大人になる度、時がたつのが早く感じるのは、いろんなことに慣れていくからだろう」と何かで読んだことがあったけど、確かに子供の時の方が一日も長く感じた。慣れていくことがいいこともあるだろうけど、初めてのミミズやら驚きやら、子供はどんな風に感じているんだろう。同じ時間の中で、一日の中で、コロンブスなんだろうな。
 その父も母も、公園をただただ走りまわる我が子を見て、うどんの上に何をのせたいかと聞けば「ラーメン!」と答える食いしん坊な娘を見て、笑いながらもコロンブスだ。

 友達たちの子供話を見たり聞いたりして、僕にも「猿男」が産まれた。夜泣きも知らないし、うんこの匂いもしないけど、「猿男」は生まれ、一緒に山に登り、夕焼けがきれいだった。僕も「猿男」になった。

 実際のところ、上の例えで書くならば、小学生が大学生のブログを読んで妄想してるくらいだけれども、「猿男」が生まれた。

 慣れていくことばかりが多くなったなら、それをまた眺めて、泥団子のように黒光りするまで磨いてみるのもいいかもしれないし、毎日の中で慣れてしまっている何かをぶっ壊してみるのもアリやなぁと、「猿男」は二ヤリとした。「猿男」は悪魔だが、天使でもあるので、そっから何か生み出せることもあるかもしれんと、またニヤリとした。

 猿男な気分でハバナイス、スプリング!  また来月この場所で。

2008年2月27日水曜日

Vol.97「春夏秋冬、我が人生」の巻

 あったかい? さぶー! あったかい? さぶい風強い! ありえない!な毎日。きっとこうやって春に近づいているんでしょうね、早いとこよろしくたのんだよ春。
 どっかの山々では花粉たちが「さー今年もわっしゃわっしゃ飛んだるでー」とみんなで意気込んでるのが目に浮かびます。今年も、たとえ目がかゆくなろうとも、鼻水が出ようとも、断固、知らんぷり作戦、認めない作戦を遂行しようとおもいます。花粉症なんてヤワな症に捕われてる場合じゃないワイルド作戦でいきたいとおもいます。

 鼻水といえば最近、歌っててよく出る。出てるのはわかっているのだが、歌っているしギター弾いているし、鼻水を拭くために曲をとめるなんてヤワなこと出来るわけもないし、ほったらかしている。ビジュアル系でなくてよかったともおもうし、鼻水に負けるような曲であってはならないとも思う。バンドの時は鼻水に加えヨダレまで時々出ていたりするって何を書いているんだろうか、少し近づいてきた春のせいにしよう。いかがおすごしか。

 今年の冬は、去年よりも雪が降ったりで、寒く、冬らしい冬で、これは春が楽しみだと思わせてくれる冬だ。あんまり寒いので、これからは冬をあったかい沖縄などの南国で過ごすことを、ありがちな僕の逃避願望は考えた。んだが、もしもこの寒さを知らなければ春の喜びは味わえんだろうと思い、これはこれで贅沢な経験をさせてもらってるようにも思え、冬もわるくないなと少しだけおもえた。
 
 夏になればなおのこと、この冬の“さびーっありえんっ!”を体のどっかで覚えていて、きっと今度は“あちーありえん!”とうなだれたりもするだろうけど、TUBEほどじゃないにしても、冬の反動により、僕なりにヤッホーになることだろうな。

 秋になれば、夏が例年よりヤッホーなだけに、センチメンタルにも輪がかかり、ブーツがよく似合う季節になってそれもいいだろう。本なんかもいっぱい読めて、一番僕の好きな季節、秋の空気感、乾いた風、ディスイズオータムを見せてくれるだろう。

 そしてそんな秋が終わると、終わってしまうと、終わるんだろうか、終わるんだろうね、また来るんかい! そう、また冬が来るんだろうな。悪くない、冬も悪くない。そう今年の冬で思えたのは、雪が降って“わぁーっ”てなったことと、春や夏を夢見れたことだ。季節でのことでもあるけど、大袈裟に言うと人生っつうか、未来っつうかだ。
 
 木が上に伸びるために根っこが地中で伸びるように、花が咲くために、つぼみがぎゅってなるように、僕は僕の春や夏をむかえるべく、この冬をぎゅっとやる。逃げようのない寒さにしばられて見えた、春や夏にいくために。今年の冬。寒ければ寒いほど自分にも重なって、そんなことを思わせてくれた冬だ。
 

「やまない雨はないんだぜ」ってのと似て、「季節は巡る」ってのが、嬉しくおもえるこの頃だ。ハバ・グッド・スプリング!! は~るよくぉ~い!!  おわり。


P.S. こないだ「ディアハンター」と「7月4日に生まれて」という映画をたて続けに観てしまい、特に「ディアハンター」は観終わったあと重かったのでお薦めはせんけども、どちらもベトナム戦争でのことが扱われいて、こういった映画を大々的に作ってる国が、同じようなことを現実で今も繰り返してる。映画大国と呼ばれているのに、アカデミー賞なども獲っていて、より多くの人が観ているであろうに、どうして同じことを繰り返せるのかとおもった。

P.S.2 代官山で行われた、大御所・陣内大蔵さんと田中一郎さんとのライブ。陣内さんの声に上京時代へ引き戻され、一郎さんはギターの教則本なども出してる人なので、勝手なイメージで「きっと先生っぽく弾くようになったのでは」と思いきや、ギターを殴る様に弾き、叫んでいて、非常に我流を貫いていてかっちょよかった。そんな一郎さんのギターと陣内さんのピアノとの即興セッション、刺激的でありました。

P.S.3 尾崎豊は嫌いでも好きでもないけど、「シェリー」ってのが頭に流れた。「シェリー俺は今もバカと呼ばれているかー」と流れ、っていうか自分は昔、バカと呼ばれていたのだろうかと少し気になった。シェリーにはそれを聞いてみたい。

ワーゲン
代々木公園
なはっ

代々木公園
雪国みたい

雪とヒマワリ

雪とチェーン

おいてけぼりの

おいてけぼりの
羽と火

2008年1月29日火曜日

Vol.96「ア・ハッピーグッド!ファンキーイヤ!2008年」の巻

  ア・ハッピィーグッド! ファンキーイヤー! 2008年。あけましたね、おめでとう!
 今年もね、よろしくね。ファンキーボーイズアンドガールズ! おんもしれー年にしようじゃないか! ふくらまそう2008バルーン! 天才だ!!
 
 とは言え、近頃はめっきり寒く「ありえない、ありえない」なんて呟きながら歩いてるこの頃ですが、いかがおすごしか。あったかければ、「温暖化大丈夫か」とおもい、寒ければ「好かん、寒いのはやっぱり好かん」と思い、今年も忙しい幕開けです。

 雪が降った。ボーボー降った。カーテンを開け、窓の外を見るといつもの景色が楽しく見えた。放置自転車も高い建物も雪をかぶって、サラリーマンはこけないようにペンギンの様に歩いてて、かわいらし。

 僕もこうしちゃおれんと、写真を撮ろうグッドアイデアと、せっかくなので前にもらって飾ったままだったホルガのカメラを箱からだし、説明書をめくりスタンバイする。男子たるものこのくらいのメカはこなせて当然、慎重に電池などを組み立ててフィルムをセットする。手動式のキャメーラなので少々てこずったもののフィルムセットし、フタを閉め、後は「1」って数字が出るまでフィルムを巻いてくださいとのことなので、巻いた。窓の外を見た。巻いた。窓の外を見た。巻いた。きっと窓の外を見てる間も巻いていたので「1」は通りすぎてた。嫌な予感がして手に少し汗をかいたが、もう巻き続けるしかなかった。数字がどんどん上がってく、「8」・「9」・「10」・「11」・「12」きっとこの先に「1」は出てくるはずだと信じたものの、巻けば巻くほどあきらめた。あきらめかけたその時にフィルムが真っ黒になり、ほんとにあきらめた。フタを開けてみるとカメラの左側にセットしてたフィルムがそのまま右側に移動していて、撮ってもないのにフィルムを巻きあげて、僕のホルガデビューは、フィルム瞬間移動マジックショーで先送りとなり、箱にもどしてまた飾った。
 ツメが甘い。新年早々に教訓をくれたホルガであった。

 新年も早々に話が細かすぎたのでバイザウェイ。
 最近改めて「夢」っていいなっておもう。大人になるたんびに「夢」ってのはどんどん少なくなってくんじゃなかろうかというイメージが勝手にあったのだけど、予想を反して僕の周りでは夢が咲き続けてるのが嬉しい。ちょっと恥ずかしそうに、やりたいとおもってることを語ってくれたり、知らない間に実現しちゃってたり。習い事をはじめたり、昔見てた夢の続きをやってたり、そんな人達の夢を覗かせてもらうたび刺激になって嬉しくなる。自分もやったるでぇーと思わしてもらえる。そんな中にいられてるってのは、幸せモンであるなぁと改めて実感したこの頃です。
 乾いてる場所があるんだろね。どっか心の裏庭あたり。大きいも小さいもなく、なんとなくそこに咲かせたい花を想像して、種を探して。すぐに見つかったり、なかなか見つからなかったり。それぞれの速度で、乾いた場所に咲かせてる。
 
 種を見つけられたら夢中になれる(ムチュウッテユメノナカッテカクンダネ)。
自分しか知らない乾いた場所、誰とも違う乾いた場所、カッコいいとかワルいでもなく、遅いでも早いでもない、そこに咲く花はキレイやなぁっておもいます。
 僕にもある乾いた場所を、よく眺めることからはじめたい2008年だ。
どんな花を咲かそうか、どんなはーなが咲くんだろ。
     
 アー!! ハッピー・グッド!ファンキーイヤー! 2008!!
 今年もよろしく!  
                                中尾諭介 

 どーもー明けましておめでとう! マイクです。
今年の抱負なんぞを思い切り
オレに叫んでみようぜ、バッチコイ!
まずは中尾ちゃんからカモン!
「OKわかった
『今年はもうちょっと太ってみるずぇー! 
 元気でいくずぇー! オーイェー!』
ランドセルからった(背負った)女の子が
一人で あっちの雪だまり、こっちの雪だまり、
シャカシャカ踏んで遊んで帰ってた。
僕も思い出して、少しだけシャカシャカ踏んだら
やっぱりおもろかった。
壁雪
ストラップまでつけたのにねー
おやすみなさい