2019年12月31日火曜日

Vol.238「2019年、今年もお世話になりました」の巻

 2019もいよいよ終わっちまうべな。本当に濃い〜1年だったです。写真などみて1年を振り返ってみましたところ、当たり前ですが夏の写真もあったりして、「ほほ〜夏もあったんだよな〜」と不思議な気持ちになるほど連日さみ〜日が続いてますが、いかがおすごしか。いやはや終わっちまうですよ2019年。本当にあっという間な気もしますが、よくよく考えると色んなことに挑戦した年でありました。ライブはもちろん毎回が挑戦で、弾き語りでもバンドでも、場所の大きい小さい関係なく挑戦であります。加えて、それ以外の挑戦も多々あった年でした。今月は年末らしく、そんな2019年を振り返って実感してみようとおもいます。

 1月はクロダイを5匹釣り上げて、ライブ5本とtvkしゃかりき収録と並行して劇団ペテカンの舞台「ハンバーグができるまで」の主題歌作り。台本を読み、稽古を観て感じたことをノートに際限なく書き、ああでもないこうでもないと作ってくのが楽しかった。ほんでできたのが「樹」という曲でした。

 2月は3本のライブとtvkしゃかりきと、「ハンバーグができるまで」顔合わせと本読みに参加。役者さんが台本を初めて読み合わせていく場に立ちあうのはドキドキした。紙に書かれた文字、話が役者さんの声、体を通じて浮き上がってくる感じが面白くてドキドキした上に、初めての本読みのラストで作りかけの「樹」をその場で歌って緊張しました。

 3月は5本のライブとtvkしゃかりきと、ハンバーグができるまでのレコーディングに延岡帰郷。レコーディングもはじめて共同作業する面々、場所との出会いあり新鮮でありました。延岡には8月にある本田誠人との大舞台、「待ち合わせ」に向けての顔合わせ会議など。

 4月は4本のライブとしゃかりき。2020年2月22日にも一緒にライブする大久保さんと龍之介さん。令和に決まったので令和ネェさんに扮した大久保さんが面白かったです。その他友達の結婚式で名古屋に行ったり、毎年恒例の4月28日の早朝ライブも。

 5月は3本のライブとしゃかりきに早朝野球に釣り。ゴンダさんとのライブでは前年の面白掛け合いをDVDにしてプレゼント。インザスープは初渋谷マルコでのライブ。

 6月は5本のライブとしゃかりき、8月の「待ち合わせ」に向けてレコーディング。舞台「荒れ野」の写真撮影。大阪通り魔殺人の被害にあった南野さんの歌を引き継ぎ歌う。そしてこちらも毎年恒例になってます誕生日にONE NIGHT STAND、その日に向けてのリハを数日やり、また新曲を制作するためスタジオにこもり、当日へ。毎回ロックの洗礼を受けて歌い屋として音でケツを叩いてもらい、ここからまた1年の始まり。月末は延岡に帰郷して8月の「待ち合わせ」に向けての宣伝活動&挨拶まわり、の合間に東京からキャンプをしに来たペテカン豪ちゃんともキャンプ合流。帰京してお互いに貧乏バンドマンで一緒にあそんでたのに「漫画家になる」といきなり言い出して「コウノドリ」で大成功し、今や大金持ちの大先生になった鈴ノ木ユウとのライブを渋谷で。

 7月は5本のライブとしゃかりき。早朝野球に釣り。海の匂いのする街、神戸にも久々行く。あぁそうだ夏だったね。キュウさんのイベントにも参加。

 8月は6本のライブとしゃかりき。延岡での誠人とのイベント「待ち合わせ」1,300人の大ホールにて。この日に向けて半年前から顔合わせ、打ち合わせ、曲作りレコーディング、宣伝活動、動画撮影、漫才のネタ作り、稽古などなど、色んな人たちの力を借りて向かい、どうなることかと思った大舞台でのライブも、最終的にはとても清々しく終われた。誠人と笑ってしまいながらネタを作ったのが面白かった。この日ここにいたるまでの過程においても、人の力を借りてとても大きな経験をさせてもらった。
 帰京してから愛知県の社長の墓参りへ。

 9月は6本のライブとしゃかりき。宮崎帰郷。久々の札幌、その空気を吸い込み、待っていてくれたみんなの顔が嬉しく、また力をもらう。江ノ島を見ながらのライブも最高だった。ラグビーを観に行き異文化コミュニケーション。

 10月は7本のライブ、しゃかりき。ジュテームに完全生音歌ライブ。早朝野球もやりスポーツと芸術の秋。一本一本のライブも濃いかった。

 11月12月、6本のライブとしゃかりき。藤沼さんの還暦祝いライブでは新曲を。アナーキーのボーカルでこの日ザ・ロックバンドとして出演していた仲野茂さん、「おおーお前もしぶといなぁ、まだやってんのか」と激励を。先月も書きましたが20数年前に下北スズナリに初めて観劇しに行き、そこで舞台に立っていたのが茂さんで。その日以来のスズナリに向けて、この日から舞台の世界に突入することにも勝手に運命を感じた。「荒れ野」再演へ稽古開始。
 今こうしてスケジュール帳を見ていると、この日から千秋楽までの期間が短かかったのか長かったのか、こんだけの日数だったのかとも思う。濃かった。感情がどこそこいった。そんな中、これが何度も自分が体感したかった世界だったことを再確認した。役者や演劇といったことではなくて、「荒れ野」の世界観。狭くごった返した部屋と、人間の入り乱れたどうしようもなさ。何気ない会話や鍋、タバコ、箸、本、鍵。その下に流れる、枠をはみ出るような感情。悲劇と喜劇が同時に流れてること。戯曲を書いて演出をするバラちゃんこと桑原さんの、ものを作るまっすぐな姿勢も刺激的で、役者のみなさんの役に立ち向かう姿勢も、美術や照明音響、舞台の裏方さん達も、いいものを作るためだけに向かう姿勢も、戯曲にも役者さんにもスタッフさんたちにもパンクな精神を感じた。豊橋ではほぼ毎日、稽古終わりで小林勝也さんとご飯を食べ呑み、演劇のことやたわいもない話、昔の話や日本のことを聞けた。怒る時は猛烈に怒り、笑う時はイタズラっ子の子供のような笑顔で笑い、こんな77歳がいるんだなぁと嬉しくもなり。あのシーンのあそこをこうしてみようと出てくるアイディアが柔軟で、それに乗っかって悪巧みを2人でしているような時間もおもしろかった。自分はフォーク上がりだけど、どこかパンクな精神を感じるものが好きで、演劇という別ジャンルの中で戯曲や人に、深くて強烈な愛あるパンク精神を感じられる世界の中に身を置けて幸せな時間だった。気づけば少々窮屈さを感じる今の時代に、これからどうなってくのかと少々不安にもなる時代に、「人間って」と、自分の中にうずまいてるものも思い出すような、そんなに利口じゃなくて、もっとどうしようもないものだよなと気づかせてくれるような世界に関われたことは、その場面場面をこれから先も思い出すだろうし、これからの自分の歌にも影響するだろう経験だった。役をもらえるというのは幸せなことなんだなぁとも思いました。それがケン一でよかったです。「荒れ野」の世界へ誘ってくれたバラちゃんに、関わった皆さんに感謝です。

 今年は55本のライブと演劇にしゃかりき、連載に、別の仕事もして、釣りも野球もしました。よく働き、動いた印象の一年でありました。
 2019年、ライブ、歌、舞台を体感してくれたみんな、応援してくれ気にかけてくれたみなさん、本当にどうもありがとう。今年もお世話になりました。
 来年も動けるうちに動けるだけ動き、ドキドキする方へ顔を向けて向かい、歌を作って歌い、自分にもあるだろう役を全うしていきますので、体感して楽しんでもらえたらと、応援してもらえたらと思います。
 来年も何卒よろしくお願いします。
 2020年、いい年にしたりましょ! 
 よいお年を!                      2019年大晦日 中尾諭介

謝罪会見のようになってますが、レコーデングした「樹」。

今年はたくさん帰郷したので、食べれました天領うどん、マイソールフード。

元旦夕方18時05分より特番があります。
テレビ神奈川、観れる方はぜひに。

野球もして。今年ユーチューブで見て、バッティングホームの改良に挑みましていいとこまできてます。

やってきたことの世界の先輩達と交じりあえてありがたいのは、また先を見させてもらえることです。

地元の友達達と焼く肉旨し。 
あぁ燃えた甲子園、同じ野球部だった友達の息子の活躍に声をあげ。

横浜球場、気持ちよかった。

生音歌、贅沢。おもろかった。  
ウツボさん、その場でさばいて食べてみればこれがうまかった!

甥っ子夢中。

藤沼さん、還暦!
ずっと先を走る先輩といるとやり続けて行くためにしなくちゃいけないことがあることを知らされます。
ガシガシとっ

パンクアンドロックンロール!

たまたまつけたテレビでアンタッチャブルの復活漫才が見れて感動。

勝也さんの若い頃を発見。

豊橋にて、時間と設備、毎日そのことだけを考えて過ごせた贅沢な日々でした。

作演出の桑原さんのパンフレット文章。
これ読んでさらに意気に感じてむかえた。

スズナリの階段。

細かい小道具がたくさん
それを用意する人、セットする人。
演劇って、その労力、時間、人力。
色んな人の力が合わさってこの期間ずっと一緒に向かってるんですね。
表裏一体表も裏も一緒に呼吸してないとできないんでしょうね。
これすごいことだなぁと。好きでやってることだから勝手なことでしょうけど、音楽同様、演劇ももっと気楽にふらりと日常の娯楽としてあってもいいのになぁと何度も思いました。
会社帰りにふらりと立ち飲み屋に寄る感覚で、でもそこでは、もしかすると人生に影響を与えるような空間があったりして。音楽も演劇も敷居の高いものではなくてもっと日常になったらと。

多田ちゃんと金安さんとスズナリ。

スズナリ楽屋にて。
喉を鳴らす。
本番前、たまに世間話をしたり音楽を聴いたりしつつも本番前になるとそれぞれに喉を鳴らしたり、柔軟したり。静かに本番に向かって行くときがドキドキもして。喉を鳴らしてチューニングを合わせてるみたいでした。

荒れ野
ありがとうございました。

そして恒例のスケジュール帳引き渡しの儀。
2019は赤だったので2020は白でこりゃめでたいっっと。
さぁ、そして2020年はインザスープ デビュー20周年イヤー。
盛り上がっていきますよ!まずは1発目ペテカン と1月に!
何卒よろしくです!
改めまして
2020年も今まで以上にガシガシと作り歌っていきますので何卒よろしくおねがいします!

諭介がお答え致します

 

■「今月号を読んでいて気づきましたが、諭介さんの誕生日にはワンナイトスタンドで藤沼さんがいて、藤沼さんの誕生日には毎年中尾くんがいるんですね。素敵だなと思いました。 そのROCKで嬉しいご縁が続くといいですよね。そして、もうすぐ「荒れ野」の再演を見に行きます。下北沢スズナリは何度もその前を通っていて、あの中はどうなっているんだろうと気になっていたので、ミュージシャンの諭介さんが縁で中に入ることになるとは思っていませんでした。楽しみです。インタビューも読ませてもらいましたが、皆さん演技が深まっているみたいで、二年前にも見ていますが、また違うものを見るような気持ちでワクワクします。二年の間に自分が想うことも変わっているのかもどうかも含め楽しみたいと思います。諭介さんのお芝居もさらに上手くなっているのかな(笑)千秋楽まで頑張ってください」
(A.T 2019/12/16 17:23)
→がんばりましたよ
おかげさまで無事千秋楽まで終われました。応援ありがとう。


■「人と人との繋がり、人と物事との繋がり、今こうやってコメントを書いているのも縁があってインザスープを知って好きになったから。インザスープの音楽が縁で出会えた友達もたくさんいるし、縁って不思議だしありがたいなーって思います。

「荒れ野」観ました。再演だから大まかな内容は分かってるはずなのに初めて観るような気持ちで最後までドキドキしながら楽しみました。またいつか役者の諭介さんも見たいなー」
(夕陽     2019/12/26 23:42)
→観てくれてありがとう。やってもやってもまだ謎もあり、うまくできないことも、もっと何かできそうだともおもえて
歌もそうだけど、いい作品てどっか謎がずっとある、謎というか色んな角度からみりことができるものやとおもう。そういう作品に関われて幸せであります。

2019年12月5日木曜日

Vol.237「2019年、ROCKな縁に包まれて」の巻

 年末近づいて寒さがいたひ。「暖冬って聞いてたんですけど~」とコートの襟を立てながらお勝手口から失礼します。今回も締め切りを過ぎてしまい慌てて書いとりますよってに多少見返しながらも思いついたことをダダダダダっと書いていけたらと。近年12月と言ってもそんなに寒くないなぁとおもってたので、この寒さに慌てて何でもかんでも重ね着をしてあたくし、ゴワゴワ重ね着ダルマなこの頃、いかがお過ごしか?

 そう、SNSでも予告しましたが、11月8日に行なわれましたアナーキーのギターリスト藤沼伸一さんの誕生祭「藤祭」でのこと。そして稽古真っ最中の舞台「荒れ野」のことを合わせて書けたらと思います。

「アナーキー」漢字で書くと「亜無亜危異」。80年代に活躍した日本を代表するパンクバンドで、もう1人のギターリストのマリさんが活動できなかった時は「THE ROCK BAND」という名前に変えて活動してたバンドであります。今回はその「THE ROCK BAND」と「泉谷しげるさん」、藤沼さんがボーカルを務める「舞士」、そして自分は「中尾くんと外丸くんと藤沼くん」として参加。毎年のように参加させてもらってますが、今回は還暦ということで、藤沼さんは出演するバンド全てに参加して弾き倒すこと「60」曲!の還暦祭でありました。

 自分は宮崎県延岡市出身で、自分がいた頃の延岡にはライブハウスというものがなく、バンド好きな友達が会話しているのを通りすがりに聞き、なんとなく知っていた「ライブハウス」「新宿LOFT」という言葉。それはきらびやかな響きに聞こえ、でも地元の楽器屋、レコード屋に入るだけで緊張し、自分みたいなものがこんな場所に入っていいのかしらと1人顔を熱くしていたあの頃、自分には縁のない場所だなと、興味はあったものの「フォークで結構、路上魂じゃ」と、自分はどこか反対側に行かなくてはいけない気がしておりました。上京して、20歳くらいの時にアナーキーを知りましたが、自分はここでも売れている音楽、ライブハウス、音楽業界などとは一線を引き、路上でのフォーク、童謡に傾倒して、道端から上目遣いで見ておりました。

 そうこうしているうちにドラム吉田くんに誘われてバンド、インザスープを結成。3年活動ののち、新宿LOFTの社長のシゲさんより声をかけてもらいロフトの事務所に所属することになりました。これ、自分が一線を引いていた世界のど真ん中の人との縁が面白く感じ、この人の目線は、勝手に抱いていたライブハウスの人という印象とは全く違い、同じ目線で物事を見てくれるひとでした。デビューが決まり、シゲさんはLOFT出身の大先輩たちに引き合わせてくれ、「こんどうちでやることになったインザスープってバンドで、デビューすることになったから話してやって」と紹介してくれ、数々の大先輩たちからもらったアドバイスが今も心に残ってる。

 そんな中の1人がアナーキーのボーカル、仲野茂さんだった。茂さんからもらったアドバイスは書けないが、その後も茂さんはインザスープの野音に来てくれたりと気にかけてくれた。それから今まで、ほんの数回しか会っていないがいつもニコニコといじってくれる。気にかけてもらっていて失礼な話だけど、映像以外の生で、茂さんがバンドで歌う姿を目撃したのは今回が初めてだった。
 僕は今回、ステージ袖から目撃したが、すんごいものを観たと思った。バンドの音の塊、ステージング、オーディエンスとのエネルギーのぶつかり合い、メンバー全員のオーラがすごかった。きっと荒削りの魂のまんま突っ走って行くと、洗練されてとんがった部分はよりとんがり、厚さは重ねられて前へと進み、それが神々しいものになっていくんだろうなとおもった。茂さんがお客に向かって口から水を吐く、上半身裸でモヒカンで、その様も神々しく見えた。藤沼さんのギターがその重厚さで引っ張って前に進んでく。普通に身近でライブを観たけれど、ここまでの年月をはみ出すエネルギーで転がり続けてきたBANDを体感できることは奇跡的なことなんだと、贅沢なことなんだと、上手く言えないが、自分のこれからの道に標べをもらった気持ちになった。

 そして自分は「中尾くんと外丸くんと藤沼くん」として、藤沼さんへのお祝いコスプレをし、この日に向けて作った曲を演奏した。
 出演後、客席後ろのカウンターに行きビールを注文していたら、「ヒューヒュ!」と人を呼ぶよな口笛が聞こえて、その方を見てみたらば、右斜め上にあるPA席の階段の暗がりからニューロティカのあっちゃんが僕に満面の笑顔で、よかったよと親指を立ててグーサインをくれた。大先輩方の中での演奏で張り詰めていた緊張が一気に報われて、すこぶる嬉しくなった。あっちゃんさんは会うと天使みたいだといつも思う、そんな人からのグーサインが嬉しかった。
 自分には関係ない場所だと思っていた新宿ロフト、その縁を感じる夜、かっちょいいと思える先輩がいることがありがたく思え、自分もやらねばと力をもらった夜でもあった。

 気がつけばそこにいた縁、そこですごいものを見させてもらってる、体感させてもらっていると言えば、今回の舞台「荒れ野」でも同じく、その戯曲にも、目の前で行なわれる役者の方々の演技にも思わせられる。一番年上の小林勝也さんは76歳とは思えない深い目の黒さで、厳しさと楽しさを教えてくれる。他の方々も、これがプロフェッショナルな演技の構築かと驚かされ、演出の桑原さんも歳の差関係なく、彫刻家のような目つきで演出をつけ、みんなで一つの答えのない高みを目指して掘り下げ深みを重ねていく、スタッフの方々も表裏一体ピンと張り詰めて一緒に作る。自分は「お寺の修行って、こんな感じだろか」とも思う。歩く、食べる、人に反応する、想像する、といった当たり前のことが輝いてくるような、自分が体感したかった世界にいられていることを実感する。自分はバンドでもみんなでアレンジを考えたり、セッションをしてる時のスタジオの空気が好きだ。答えのない、終わりのない高みへみんなでイメージを深めて実行実現していく。それにも似て「荒れ野」の稽古は、激しく、清潔な空気に洗ってもらっている感じだ。であるからして今回やっていることは「役者」というカテゴリーなんだろうけど、「役者」という実感はあまりなく、今までやってきたことの延長でやらさせてもらえてるのはROCKを感じるこの座組みだからだろうなぁとも思い、またここでもその世界で生きてきた人たちの神々しさに触れて刺激をもらい、へなちょこな自分を叩いてももらい、奇跡的な体験をさせてもらっていることがありがたく感じる。とても贅沢な体験だとも思う。音楽にも影響するだろうお土産をたくさんもらってると感じる。これだけの時間と人の労力、想像力がかかり、終わるときはあっけなく終わる儚ない舞台。まだまだ稽古半ば、掘り進めていきますので是非とも観てもらえたらと。

 そうそして今回、東京の会場は下北沢のスズナリという劇場で、自分は20代前半に一度ここで観劇をしたことがあった。その日以来のスズナリになるが、その時の舞台が宇梶剛士さんの作品で、主役として立っていたのがアナーキーの仲野茂さんだった。アナーキーを知る前に茂さんを役者として観た劇場でもあった。そもそもの話、2年前に「荒れ野」へのお誘いをもらい、参加させてもらうことにしたのも、前記した社長のシゲさんが亡くなりシゲさんの地元での葬式に参列したのが、自分たちも何度も行かせてもらった愛知県は西尾市。僕たちは葬式のあとに思い出の三河湾、その海へ行き、ここで沢山遊ばせてもらったこと、お世話になったことを想いながら、シゲさんの海をそれぞれにぼうっと眺めた。その海の空気を吸い込み、体に入れて東京へ戻った。その一週間後に桑原さんより着電があり「荒れ野」へのお誘いをもらい、聞けば西尾市の隣の豊橋の劇場が主催とのことで、自分の中で吸い込んだ三河湾がバッと広がった。もちろんそれだけが参加を決めた理由ではないけど、自分的には勝手に縁を感じる大きな要因だった。
 三河湾の風に抱かれて豊橋での稽古に突入、1日1日ひたすらに舞台「荒れ野」に向かい無事に千秋楽まで走り抜けられたらと。
 重ねて、是非、体感しに足を運んでもらえたらと思います。穂の国とよはし芸術劇場PLAT、下北沢スズナリにて体感してもらえたらと!是非に!というわけで今月はこの辺で。よい年末12月を!!!

かっこいいです やっぱり
ありがたくおもいます 還暦らいぶにたちあえて。

神宮並木道

稽古初日、初演のとき同様 どんな顔してるんだろとおもての自撮り。ふけたなぁ。

たまらんね。

紅葉 前田。

たまたまつけたテレビ、猛烈に感動してパシャリ!

最高でしたっ。

1つのものを作るのにこれだけの、労力、人力、それぞれの想像力、これをまじかに、この値段で、かなりの贅沢だとおもいます。きっと自分の歴史でもとんでもない場所にいるとおもいます。自分、恥ずかしくないよう最期の最期まで楽しみ尽くしてやろうと思います。是非!体感してもらえたらと思います。    


諭介がお答え致します

 

■「諭介さんが「遊べ」と言われたように、私も入社して仕事を教わったときに「仕事だけじゃなく、遊ぶことも大事」と言われたのがずっと心にあります。当時はいまいちピンと来ませんでしたが、今も仕事仕事に負けないで楽しく続けていられるのは、遊ぶ場所があるからだなぁと、ありがたいことだなぁと思ったりします。プライベートで起こったことが、仕事のアイデアに繋がったりすることもあったりします。食う寝る遊ぶ。仕事は遊ぶの中に入っているんですね(笑)一日仕事をして疲れきった後にもライブハウスに行く元気がないことはあまりなくて、仕事で失敗しても、ライブハウスで笑顔にしてもらったりして、むしろ元気になるために行くっていう感じです。「健全な心」を取り戻します。それはきっと歌うのがますます楽しくて音楽に出会えてよかったと思ってる諭介さんのライブだからなんでしょう♪」
(A.T 2019/11/13 17:25)
→ありがと、ぼかぁそういうポジション、役、をもらってるんだとおもう、そうありたいとおもう。でもその役をやるにもやはり遊んでいないとできないことってあるね、好きではじめたことだからなおさらだあね。

■「仕事とかやることちゃんとこなしつつ遊ぶ時は遊ぶ・・・そんな器用な人ってかっこいいなぁと憧れます。諭介さんは遊んでいるばかりじゃないのは知ってるけどちゃんと楽しく遊んでいるイメージがあります。
暇だとあれこれ考えて卑屈になってしまうのもそうかもしれないけど、楽しいだけじゃなくて色々考える時間も大切なんじゃないかとも思います。
とはいえ、なるべく楽しいことだけ考えていつも笑顔でいられたらいいなぁって思いますけどね。
諭介さんの歌を聴いたり諭介さんのことを考えると楽しくなれるのでそんな時間を大切にしたいです」
(夕陽 2019/11/23 23:37)
→あたしゃがんばるよ、楽しむのをがんばる。年を重ねるごとに、瞬間瞬間をたのしめてないと負けな気もして、ネガティブな自分をなるべく排除したいねっ。

■「真っ暗闇とケミホタル。すでに歌のタイトルみたいですね。
海釣りは星や音、空の色、魚の釣るタイミングや味、五感がたくさん研ぎ澄まされそうですね。
ブログで見ていてマルクハニー、マヌカハニーでもなく笑えましたが(^^)今は温タピ、あったかいタピオカドリンクもなかなか美味しかったです。
遊びの話では、そうですよねずっと楽しいことをしていたい。弱ってるとき自分の心と向き合うのが一番しんどくて辛いです。
でも、諭介さんが言うように自分次第!遊びに行けないときもなんでも楽しんでやるのは大事だなと思いました⭐

(hitomi 2019/11/25 17:50)
→楽しんでないとってのもおもいすぎると強迫観念になりかねないからむずかしね、ほんとにもう、ぼや~っとしてる時間も大切なんだろね。