寒暖の差激しい今日この頃、いかがおすごしか。
乱拍子で、このまま冬になってしまうのかしら。今年の冬は猛烈に寒いらしい。そんな情報におびえながら、こちらも乱拍子。整理つかない頭でよぎったままに書いてみようとおもう。アンテナ発信。
9月はライブがなかった。かわりに人のライブを観に行った。泉谷しげるのライブがかっこよかった。やっぱライブってこれだよなとおもった。ギターの藤沼さんがかっこよかった。これ日本のロックバンドの頂点じゃないかとおもうほどの刺激をもらった。
時代は変われど有無言わせず確かなもんがあった。うまく言えんが最高だった。
映画も観た。ジョニー・デップのギャングものを借りてみたのだが、いまいち話がわかりづらいなぁ~と前半のあたりできづいたのだが、字幕がでていなかった。今のDVDはじぶんで設定しなくちゃいかんのね。字幕をだしてみたらおもろかった。
新宿のツタヤにいった。新宿のツタヤは自分好みのDVDがたくさんあり、もう観れないと思っていたDVDがあり、大発見をした気分になった。新宿ツタヤはいい。
テレビも観た。戦争のことをやっていた。アメリカの無人飛行機が爆弾を落としていた。落としたパイロットはテレビゲーム感覚だと言っていた。実際に飛ばなくてもいいので楽だとも言っていた。落とされた方は誤爆を受けていた。無人機に対抗して、自爆テロをくりかえしていた。自爆テロに向けて小さい頃より教育を受けていた。
渋谷の交差点で日の丸の列をみた。鳥肌が立った。「我々は許さないぞ」と叫んでいた。この鳥肌はなんだろうとおもった。
「ハートロッカー」という映画を思い出した。
きっといつの間にか、そうなってること。タバコが値上がりして慣れてくように、いつの間にか年齢をとったように。もしかしたらそんな、いつのまにかこうなってたってのでも、戦争ってのはおこりうるものかもしれんなとおもった。
もう後戻りできないとこで、やるしかないと思い込み、快楽にさえなりえることもあるんだろう。どうにもならない連鎖の中で今の暮らしを思い出す、寝起きのような答弁で決まった事の犠牲をまのあたりにすることがありうるかもしれないとおもった。
何年か前のピースウォーク。アメリカ大使館前に座りこみ平和を叫ぶヒステリック感を感じた時とにていた。
子供の頃、戦争が起きたらあの山にいって穴を掘ってみんなで隠れて暮らそうとおもっていたことをおもいだした。今はもう多分違う。
止められない大きな力で、タライごと移される金魚みたいに、泳いでた場所さえ簡単に変えられることがあるかもしれないとおもった。今できることってあるとおもった。心の中にその宿題はたくさんある。もっと大きくなれる。
そうなったらやるしかないっていう男のわかりやすさがある。たたかいはきっとその前にあるんだとおもう。今、この日常の中に。
歴史はくりかえされると言われると、へーなんておもうが、だれも宇宙の果ての果てなど知らない。繰り返してきた自覚と同じことをしうる自分の自覚、危うさの自覚。ひずむアンテナがやさしい共鳴音を奏でられたらとおもう。
いろんな電波がとびかって、知らない間にもそれをキャッチしてる。時々ひずむ。自分のひずみは自分で溶かせたらとおもう。
猛暑に鳴きちらした蝉も、焼け焦げたひまわりも、ゆるやかに土に還る秋。悲しさも寂しさも優しく撫でていく秋風。そんな秋を待っている、そんなアンテナ、今日この頃だ。
代官山 晴れたら空に豆まいてのブッキングマネージャー、角野さん。
訃報、お別れをした。
「中尾くん誰とやってみたい?」
「誰々さんとやってみたいっすねー」
「よし、聞いてみよか」とか。
「誰々さんとやってみたら、おもしろいとおもうんだよね」
「やります」とか。
「こういうイベントがあるんだけど、どう?」
「んーちょっと」とか。
「このCD聞いてみて」とか。
そういうことを話してる時、ガキんちょが悪だくみをしてるような顔になっておもしろかった。大御所の方や、とにかく濃ゆいメンツをブッキングしてもらい出会わせてくれた。ふっかけられたり、ふっかけかえしたり。
数あるライブハウスが毎日のブッキングを埋めていく。
その中には、いろんなブッキングがある。
これは個人的な感想だけど、熱のあるブッキングとそうじゃないもの。
やるほうはやるのだから、どんな状況だろうが大事件なのは間違いないが、その差はやっぱりある。歌える場所があればどこでも歌うのが基本だが、一緒に何かを作る、熱のある人と出会えるのはやっぱり喜びだ。
角野さんはもともと音楽ライターをやられていて、思ってないことを書かないことで有名だったと聞いた。それは当り前のことやないかと書いてておもったが、仕事として割り切ってる人と、割り切れない人ってことだとおもう。角野さんは割り切れないというか、割り切らなかったんだろうとおもう。それをするくらいなら、ブッキングにしても音楽ライターにしても、バイトでもして稼ぐわいって人だったんだろう。
仕事としてプロとして、それはどうかという考えもあるやろうけど、僕はそういう人が好きやし、それが本当やとおもう。時代に逆行しても貫いた。そんな人からふっかけてもらい、記憶の中で黒点のように残り続ける夜達をもらったことに感謝です。
角野さん、こっから先もです。また何かふっかけてもらえたらとおもいます。
僕はまだまだです。 やります。 よろしくです。