2020年4月30日木曜日

Vol.242「志村けんさん」の巻

 桜散って新緑、新鮮な緑が気持ちいい季節ですが、地球上の人間社会では新型のウィルスが蔓延して感染拡大をおさえるべく自粛の日々が続いておりますが、いかがおすごしか、ほんとに、いかがおすごしか?
 こんなことはじめてのことで、でも学生時代を思い出したりもして。学生時代、時間はいくらでもあるような気がして、何かしら遊んだり熱中したりしてはいたけど、まだ何か面白いことあるんじゃないか、自分にはもっと何かできることがあるんじゃないかと思ってたような気がする。ぼーーーっとしながらも本当に自分が何をしたいのか本当にやりたくなるまでぼーーーっとするぞなんつって、自粛期間は自分と向き合う時間でもあるんだなぁと。あたくし、自粛期間となってライブが中止になり、なぜか家でギターを弾く気にもなれなかったんですが、配信のお誘いや、ツイッターっで流行っている歌つなぎがきて、ギターを弾き歌ってみれば、やはり気持ちよく、気が晴れてやっぱりこれだなとなり、延々歌っておりました。
 うたつなぎやSNS、配信、自分は今まで距離をとっていたのですが、こういう時には、歌を届ける手段としていいなぁと思いました。こういう時にも反応がもらえるのが嬉しいですね。んが、ツイッターは140秒だったり、聴く手段によって音の制限があったり、その場、その瞬間に反応し合うことが出来なかったりもどかしい部分も感じ、やはりライブが恋しく思ったりもしました。ライブはこうなるとすごく価値のあるものだと感じます。同じ空気の中で、掛け合いとかでなくても、そこにいるだけでもやはり反応しあっていたんですね、当たり前だけど。お互いに反応しあって出る歌や音ってやっぱり貴重ですね。元々1人の部屋で歌い出して、今も1人で歌うことがあるのに別物なんですね。カメラの前で1人で歌う時にはライブってすげぇなっていつもおもいます。一番早くライブハウスに自粛の波がきて、非常事態宣言が解けてもみんなで安心してライブ空間を楽しめるのは社会が動き出して一番最後でしょうねきっと。その間できることとして配信やSNSでも歌を聞いて楽しんでもらえたらとおもいます。よろしくお願いします。

 先月末、志村けんさんがお亡くなりになった。自分がとても影響を受けて、心にずっといた人。小学校の低学年の頃に初めて自由を味わせてもらったテレビの人なんじゃないかと思います。単純に語感やリズム、変な声や変な顔や変な歌に笑わせられたし、いかりや長介に対していたずらをふっかけて面白がるところ。小学校に行き出し、学校や町内会、少しずつ社会に閉塞感を感じ始めた頃に、上の立場にある人やシステムの隙をついて笑いを生む志村けん。僕は植田まさしの「コボちゃん」や「かりあげくん」なども好きで今思えば同じくそういった窮屈なシステムに風穴をあけてくれる笑い、違う角度から場面を変えて見せてくれる人に「やったね!」と自由や希望を感じていたんだとおもいます。
(余談ですが、その頃母に「大人をおちょくってるところがある」と注意を受けたことを思い出しました)

 ヒゲダンスは、あのリズムと踊りのマネをして水の入ったバケツをぐるぐるさせたり、早口言葉をまねしたり。「かーらーすーなぜなくのー」を歌ったり。格好良さも感じるし、人のどうしようもなさも感じて、ヒーローでありました。自分の中にあるくだらなさや、面白いと思う感覚がガッチリあったんでしょうね。
 それが、小学校も高学年にもなってくると志村けんをちょっと卒業していきました。変な顔をして牛乳を噴き出させてた全盛期、繰り返しやっていると「まだやってるの?」と飽きられていき、周りはひょうきん族などの大人の笑いになり、自分はそこにはついていけず、取り残された感がありました。そこで自分は志村けんの精神だけを引き継ぎ、というか志村けんに覚醒してもらった感覚でオシャレな笑いに対抗して、グンゼのパンツを見せたり、変な言い方をあみだしたり、友達とオリジナルのギャグを生んで披露しだしていきました。そのギャグは今も体に残っています。

 中学生くらいになって「だいじょうぶだぁ」をよく観ていたかと言えばあまり観ていなかったです。中学生の頃に「だーいじょーぶだぁー」と志村けんの真似をして笑いをとっていた友達のその時の風景までも浮かびますが、ただの真似ではなく、精神を引き継ぎ、オリジナルこそ最強、腹がイタイほど笑えることに生きてる実感を感じていたので「そういうことじゃないんだよなぁ」という冷めた見方をしていたことも思い出します。

 インザスープを組み、初めてライブをする時に4人でステージに上がる前にエンジンを組み掛け声を合わせようとなり、その掛け声を何にするかとなったときに、志村けんさんのギャグの一つを使わさせてもらいました。
 面白がったわけではなく、時代に流されない精神、土着型、かっこいいってことがどこにあるのか、足元を見失わない、身の丈にあったことをやる、オシャレでなくても自分たちを信じてこだわり突き通す、はたまた、海外にもその笑いが届いていたことを知っていたので、世界に通用するバンドになるなどの意味合いを込めてのことでした。たかだかバンドマンが「アーティスト」などともてはやされてることに踊らされたくない意味もこめていました。それから今までずっと、ライブハウスでもフェスでも野音でも学校でも老人ホームでも、初めてのライブから24年近く、どこでも本番前はそのギャグを真剣に使わさせてもらっています。

 そんな自分の自慢になりますが、一度だけ志村けんさんに会ったことがあります。志村けんさんとダチョウ倶楽部の上島竜兵さんがやっていたラジオのゲストに出させてもらったことがありました。宣伝活動としてレコード会社の人がブッキングしてくれていて、行く直前まで知らなくて行ってびっくりしました。緊張してブースに入ったのですが、お二人はもう焼酎を呑んでいて、自分もすすめられていただきます!とコップについでもらいおかわりをしたりして、緊張と酔いが一気にきてコップをたおして机に焼酎をぶちまけてしまい慌てて謝ると志村けんさんは笑って許してくれて収録続行。盛り上がったとおもうんですが、話が音楽のことになった時に志村けんさんの雰囲気が一瞬で変わり真剣な目つきになり、ビートルズのことを熱く、だけど自分なんかにも敬語で話してくれた熱量を覚えていて、音楽に対するリスペクトを強く感じました。あとなぜか電話番号の交換もしてたのですがなんでそういう流れになったかが思い出せず、もちろんかけることもなくそのままでした。音楽の話をする時に感じたオーラは凄かったけど、その他はあんな大御所だなんて感じさせないで普通に丁寧に接してくれた志村けんさん、一度会ってしまうと「さん」付けになってしまうけど、それよりも自分の中の「志村けん」はずっと生き続ける、高木ブーさんが言ったという「志村は死なない」という言葉は大げさなじゃなくて当たり前に感じる。きっとみんなそれぞれの中に「志村けん」がいるんだろうな。先に書いた「志村けんの精神」をうまく説明できませんが確かにある。心に志村けんがいる人はすぐわかる。いなくなった実感も人の大きさも、自分の中の「志村けんの精神」もこれから時間をかけて知っていくことになりそうな気もして、その時にまた書けたらと。
 この新型ウィルスが収束へ向かいまた日常が戻ってきた時に、改めておもうことがたくさんあるんでしょうね。まだまだ続きそうですがいつかまた当たり前にライブで会える日を思いながら、今月はこの辺で。



空にちゅうする唇リップ  チュウリップ2020  
最近はいろんなチュウリップがあるのね。

かっこいいやん

最近 お茶がうめぇなあ ってなってきた
近所のスーパーでみつけた宮崎の文字に見てみれば
無名の強みとあって
いいタイトルやなぁとたちどまる

この機にやったことない動画の編集なんかもやってみたりして、
ほほうおもしろいなと思うもすぐにむいてないなぁとなり。
どんどんこういう機械を使った時代になっていくんでしょうね。

非常事態宣言が出た日。
印象深かったので似顔絵を。

こちらも普段持ってたけどちゃんと読んでなかった本。
江戸の文化、江戸の雰囲気を教えてもろて、
羨ましかったり、今のこの時に、心を少し楽にさせてもらったり。
杉浦さん、素敵な人ですね。


いつからライブが開始できるでしょかね。
収束に向けて頑張りましょ。
   
















諭介がお答え致します
■「こんにちは。今年1月の頃はまさかこんな状況になっているなんて思ってもみませんでした。ライブ盛り沢山で楽しみって思ってたくらいだったのに。
この状況なので楽しみにしてたライブも延期、中止も残念ですが仕方ない。(╥﹏╥)
コロナウィルスが1日も早く終息に向かって歌を聞きに行きたい。
気兼ねなくライブを楽しめることを家に籠もりながら心待ちにしてます」
(柿の種 2020/04/04 16:54)
→ほんとにね、こんな状況になるなんてね。
配信やSNSで歌うたびにライブが恋しくなってなんだか泣けてくるわ。
ライブできるようになったら思いきり楽しもうやね。

■「日に日に大変なことになってきていますが、いかがお過ごしでしょうか。ずっと悪い夢を見ているようです。4月から毎日ではないですが、在宅勤務になりました。仕事を始めて23年ほどですが、私も初めてのことです。でも、通勤中の感染リスクが減り安心しました。ライブ延期・中止が悔しくなるのもわかりますが、ほとんどのライブが中止になって正直ホッとしています。ライブを続けている諭介さんや出演者の方々、見に来ているお客さんのこともとても心配でした。ライブハウスが悪いわけじゃないことはわかっています。私も大好きな場所です。だから、ライブハウスを嫌わられるものの例えで、それを諭介さんが言っちゃうのは違うなって思うし、どんな時代でも生き延びてきた生命力としての例えでもあるなら、こんな状況でも音楽の力で乗り越えていきたい。言葉で言うのは簡単だけど、言葉だけではない音楽で乗り越えてきたこともあったはず。今の状況で、できること、面白いことを探しながら、頑張りましょう!先日のライブ配信、諭介さんの歌を聴けたことも、いろんな人からの力をもらったという反応も嬉しかったです!今月分も長めになってしまいました(笑) 」
(A.T 2020/04/20 17:31)
→そやねちょっと心がひねくれてしまっていたかもね。昨日もライブハウス七面鳥で配信やらせてもらったけど、スタッフさんたちのこういう状況でも注意を払いながら楽しんで発信し続ける姿勢にパワーをもらったよ、聞いてくれてる人たちからももらって改めてライブがやりたくもなるけど、音楽からたくさん力もらったわ、音楽はやっぱりなくならないし、必要やね。

■「先月よりも更に緊迫した状況で、これから先どうなっちゃうんだろう?と不安しかない毎日だけど先月も書いたように今は本当に耐える時なんだなあと思います。
無事にこの状況を乗り越えられたらきっと前のように音楽や好きなことを楽しむことができる・・・その日が早く来るように願うばかりですね。

今年はお花見もいつものようにはできず、せっかく咲いた桜も少し寂しそうに見えたけど、こんな時だから散歩で見つけた小さな花や土筆が愛しく思えたり私なりにささやかに春を感じてました。諭介さんが最近感じたささやかな幸せは何ですか?」
(夕陽 2020/04/22 23:21)
→お茶やね。お茶がうまいなぁって感じるようになったことかな。
あとやっぱり感動したり、しっくりくるなぁって本や映画や音楽に出会えた時だぁね。
今は散歩するだけで気持ちいい季節よね。新緑の新しい空気吸って歩くのいいね。