2014年12月28日日曜日

Vol.178「2014年のラストを飾るのは、立ち食いのかき揚げそば」の巻

「今年の冬は寒いですね、三が日でももっとあったかいのに、今年はね、どうしちゃったんでしょうね」と、タクシーの運転手さんもなげくほどの寒さ。低気圧に爆弾がついて、なんだか怖いですが、片方では暖冬だと聞くのにどうなってるんでしょうか。な、冬、メリークリスマス、今日もさっぶいですな。

 さっぶい日にはあったかいもんがなんだかすごくありがたくおもいます。よく食べる立ち食いのかき揚げそば、口から入れて体に入れる、内側からあったまる。「温もりってのは人の体温、血液の温もりの事を言うんですよ」いつかお坊さんがテレビで言ってたのを思い出す。さらりと何でもないようにそんなことを言ってた、名も知らないお坊さんの言葉。心のこと、教訓、説教、とは違って、なんだかものすごく基本的なこと、元々の部分を教えてもらったようで嬉しくなった。全然難しくなくて分かり易い。生きてるものがみんな持ってる温もり。そういえばそうだなって、広くて優しい言葉やったです。まずはそこから、確かめて思い出す。その温もりが奇跡で悲しく、愛しくて、ちょっと力が湧いてくる。
 そんなことを思い出しながら週に三回はかき揚げそばをかっ込む。「あぁ、あったけ」と、また頑張る冬であります。いかがおすごしか。

 かき揚げそばって面白いですね。いや、カレーでもラーメンでもなんでもそうなんでしょうけど、その場所場所によって違うんですね。基本は同じだけど個性が出るというか違いを楽しんでおります。と書いて2014年最後のテーマがかき揚げそばでいいのかしら、しかもナウ、クリスマスイブの夜に、と一瞬不安がよぎりましたが、ゴー・ストレイト、ここまできたらレッツかき揚げ、振り向かず行けるとこまでズズズっとかっこんで行こうとおもいます。

 そう、自分には渋谷だったらここ、新宿だったら、有楽町だったらここって立ち食いそば屋さんがあり、その街に行き腹が減ると、勝手に自分で充電機のとこに行って充電するというお掃除ロボットのごとく、その店に足が向き、店に入って注文しております。決まってかき揚げそば。たまに色つけて卵をのせたこともありましたが、どうも汁がマイルドになりすぎていけません。逆に贅沢感が失われかき揚げそばを堪能するにはそのままが一番だという結論に達しました。

 九州は宮崎の延岡、地元にいた頃、そばよりもうどんを食べることのほうが多かった。それも透明に近い讃岐うどん的なダシで、魚市場の駐車場にバスのうどん屋があり、天カスをのせて食べてた。早朝、魚市場で働く人に混ざってバスの中、働く大人の活気が感じられる中で食べるうどんはおいしかった。

 高校を卒業し神奈川は平塚に住みはじめて衝撃的だったのは、立ち食いそば屋で注文し出てきたうどんだった。真っ黒の汁の中にぶよぶよの麺が沈んでおり、なんじゃこりゃあと心の中で優作し、あぁやっぱり自分は遠い場所へ来たのだなぁと実感、もうあのバスのうどん屋の天カスがのったうどんは食べれないのかと、新しい場所で生活する覚悟を決めるには十分な儀式として、美味しいとは到底おもえなかったそのぶよぶよのうどんをすすった。

 それから、うどんを食べる時は讃岐うどん的なお店を探して入るようにしたが、ずっとその時の色合いが関東のイメージとなり、何故あんなにどす黒い醤油そのままのような味がまかり通っているのかという疑問が残ったままだった。

 これ今年の話ですが、その謎が少し解けた。池波正太郎って人の本の中で「よく、よそから来た人が東京のうどんなんか食えないって言いますが、あれはね僕等でもまずいんですよ、濃くて辛いんですからね、関西やなんかの薄いダシのうどんの方が僕等だっておいしいんですよ」とあって、「じゃあなぜ、ああなのかというと、江戸は都会で労働者がたくさんいた。体を使って頭を使ってひっきりなしに働いた、それでその合間に味の薄いものなんて体に合わない、生理的に濃い味のものが欲しくなる、だからあぁなってるんです」というようなことが書かれていて、ほほ~なるほどなぁとなった。

 さらに、NHKにて日本の昔の人々の暮らしを映した白黒映像をカラーにして放送というのを見た。
いつの時代だかわからないが、そこには確かに慌ただしくそばをかっこみまた仕事にもどる、まだ江戸の雰囲気が残る東京の人達の姿が映っていた。

 この二つによりその謎が少し解け、また自分もそういうことであればと、(簡単ですが)心をそちらに寄せて食するようになった(これ、うどんとそばがごっちゃになってますが、立ち食いそば屋にて食券を買って渡すと、そばかうどんか聞かれますよね、きっと同じダシを使ってるんだと思っております)。

 さすがに立ち食いそば屋で、あの日からうどんを選んだことはまだないですが、この二つの情報によりさらにその味に深みを感じ、かき揚げそばを食しております。

 この日本を支え、そして築いてきた人達、またその人達を支えてきた、そば、うどん、そのダシ、そのロマン。
 あったけぇなと感じると共に、一生懸命に働き、街を、江戸を、日本を支えてきた人達のことなどを想ったりして、この味を食べてがんばって働いた人達が築いてくれたこの時代に、サラリーマンの方々と共にバトンをもらい受け、この時代に生きるものとして、また受け渡すべく、そばを勢いよくすすり、かっこみます。

 そのようなことに想いをはせますから、かき揚げなどはとても贅沢品に思え、またこのかき揚げがそのお店お店によって個性がわかりやすく出るもんでおもしろい。
 あぁ、ちゃんと玉ねぎが甘くて美味しいなとか、この噛み切れない繊維みたいなのが残らなければ完璧なのになぁとか、衣がうまいなとか。あまりかき揚げに力を入れてないんだなぁとか。大規模なチェーン展開をしている立ち食いそば屋などはあまり個性を感じないことが多いのもおもしろいです。やはりカウンターのあっち側には、この人がこだわってかき揚げを揚げてるんだなと感じられるお店、立ち食いのかき揚げとあなどる無かれ、そこにこだわりを少しでも感じると嬉しくなります。実際にはわかりませんが、そう勝手に想像したくなる立ち姿の人っていますよね。また、揚げられたかき揚げが黄金色に堂々と並んでるお店とそうでないところ、観葉植物が生き生きしているのと枯れかかってるのと、その部屋の気がまったく違うのに似て、最近はかき揚げの並び具合が気になったりします。なんだかそんなことが大事なんだなぁと自分に置き換えて勉強になったりもして。

 店に入って注文し、すぐ出てきて立ったままずざざざっとかっこんで、ぱっと出れるってのもまた落ち着きのない自分にとっては性に合ってるんでしょうね。
 居酒屋放浪の吉田類さんのようにいろんな立ち食いそば屋を放浪してみたいもんですがやはり、池波正太郎さんの言う通り、体や頭働かせて、その合間にずざざざざっとやるからまた美味しいいんでしょうね。戦士の給油所、立ち食いそば屋、奥深しであります。という訳で、本当に今年最後のテーマが立ち食いそばとなりましたが、続きは写真のコーナーにて。


 2014年、気付けば今年ももう終わり、自分の手帳を見て振り返ってみれば、毎月平均5、6本のライブができ、色んな場所へ行けて人と出会えて、所々でおもろい科学反応を体感できて充実した一年でありました。ライブ会場に足を運び歌、音を生で体感してくれたみんな、来れなかったけど応援してくれたみんなに感謝です。
 応援ありがとう。


 2015年、またどこかで生で会えたらと、来年もより歌に生きれたらと思う次第です。
 いい年にしたりましょう、2015!ハバナイスニューイヤー!


今年も紅葉がキレイやったです。

で、バスのボタン、感触といい フォルムといい なんかすきやなぁと改めて思いパシャリ。
きっとマニアがいるに違いない。

秋の眩しい日。

甥っ子と 川眺めて遊んだりして

浮かんでる。

今年は体をよく動かしたです。 来年もやろ。

銀座にて 午前中から東映の映画館にて追悼上映、健さんの網走番外地を。

そう そして有楽町なら駅のここ。かき揚げの玉ねぎがあまいんすね。大将だろう人が元気でかき揚げも元気。

そしてまた野球の試合をし、打上をし、
また 盛り上がって 深夜新宿のバッテングセンタ-へ。
ペテカン誠人と鍵盤大ちゃんと。
元気ですよね。
TVKの番組しゃかりきにて
正月の番組収録をもうしまして 新年の挨拶をもうした不思議

に加え

正月だし何かこうおもろい格好がしてみたいです とプロデュ-サ-に相談したところ 
「じゃ、獅子舞でいきましょう」「いいですね」
となって わくわくして着替え 操りがなかなか難しく 獅子舞にてんてこ舞いになっていると

それに加え

びつくりなサプライズが仕掛けられており もう大変

嬉しいやら恥ずかしいやらのサプライズ
完全に気づかす頭ぼ~
1月3日夕方
テレビ神奈川
しゃかりき合同特番にて
見れる方はどうぞよろしくです。
見れない方はまたいつの日か報告しやす。

久々のTVK MUTOMA 10年振りの出演も おもろかったです。

タイジさんのライブを観に
ソ-ラ-パワ-だけで音出してるって
かっちょいいですね
さっぶい日に
遠くビルデングの明りなんかみながら これ聞くのが なんかあうんすね。

ハ-ゲンダッツさんへ
ラムレ-ズンとコ-ヒ-味が一緒になったアイスなんてどうでしょうか?

で 渋谷のドンキホーテの横 にある 立ち食いそば
ここもまた独特で
ずっと店内に落語が流れていて 雰囲気がいいんすね。
途中で入れ放題のワカメ入れて味を二度楽しんだりして。

んで2014年今年からよろしくのギブソンJ100。
2015、来年もどうぞよろしくです。


♦独占企画 諭介がお答え致します


■「諭介さんが感銘を受けた「あなたに褒められたくて」 私も買いましたよ!  
高飛車な感じではなく、自分より年下の人からも何かを学ぼうとする姿勢や誰にでも感謝を忘れない所、文章からも伝わってくる穏やかで温かい人柄、紳士的な感じ・・・まだ全部は読めてないけど高倉さんを前よりもっと好きになりました。
諭介さんの憧れの人な理由もちょっとだけ分かったような気がしましたよ。
素敵な本を教えていただき、諭介さんありがとう。
【質問】   
諭介さんは自宅でコーヒーを飲む時、缶コーヒー、インスタントコーヒー、コーヒー豆を使って淹れる、どれが好きですか?
私は忙しい朝でもそれぐらいのゆとりがある人でありたいので、淹れる派です」
(2014年12月13日 11:05 夕陽)
→いいですね淹れる派、ぼかぁ、インスタントのドリップコ-ヒですね、あのコップの上にはめてお湯入れるやつね。
■「高倉健さんの訃報は、仕事中に知りました。普段健さんのことを話題にしたりはしないのに、それを聞いたときのみんなの反応が大きくて、誰の心の中にもその存在はあった人なのかと、改めてそのスターっぷりを感じました。大声を出すイメージがなかった女の子までも「えー!」って叫んでたのが印象的です。それでも、私は健さんのことはほとんど知らず、亡くなってから少しずつ知り始めるという感じ。諭介さんからはもう結構前からコラムとかでその本のことを聞いていたのに、なんですぐ読まなかったのかなぁって、読み終わった今ちょっとだけ後悔してます。どのページの健さんも意外な一面を見せてくれて、最初は私も全然違うと思っていたけど、ちょっと諭介さんっぽいところもあるなぁと思ったりして。健さんを可愛らしいなんてこの本を読まなければ思うことなかったんだろうな。あと諭介さんが教科書になればいいっていうのもなんだかわかるような気がしました。ふと何かに迷ったとき、この本の中の健さんだったらどうするかな?っていうのを考えてみたりする。それが正解じゃないとしても、間違いでもないなって思ったんです。本、次貸してね、って言われてます」
(2014年12月15日 17:25 A.T)
→なんかね、優しさが染みこんでる感じよね、あまりみてなかったにしても、多くの人達の心の支えになってたんだとおもうわ健さん、亡くなっても作品のなかでそのあったかさに触れられるのがありがたいわ、健さん、ありがとう、や。
■「「人が人を想うこと、それが一番美しいこと」じーんと心にきて、じんわり涙が…。
みんな当たり前に誰かを思っているけど
さらっとこんな言葉にしちゃうなんて
健さんを師匠と呼びたいくらいです(笑)
この言葉を選んでブログに載せてくれた諭介さんにも感謝です(*^^*)」
(2014年12月15日 22:02 hitomi)
→お役にたてて嬉しいです。なんかあった時に戻れる場所があるのもありがたいね。

2014年11月27日木曜日

Vol.177「憧れの人」の巻。

きっちりと季節はやっぱり巡ってくるもんで、あんなに燃えていた緑も黄色や赤に色づき、アスファルトに跳ね返る真っ白な光に目を細めて見れば、枯れ葉がカラカラと風に転がって秋が来たんだなぁと、冬もやっぱりくるんだなぁと実感、ひんやりと冷たい空気も気持ちいいこの頃、いかがおすごしか。

「やっぱりその時はくるんだなぁ」と言えばやはり、先日伝えられた高倉健さんの訃報です。渋谷の街の中、携帯でそのことを知り、まわりを見れば人は歩き、信号が点滅し、音のうるさい宣伝トラックなんかが行き交って、街は変わらず動いてました。

この場所でも何度か書かせてもらった高倉健さんのこと。自分にとっては高校三年の終わり頃出会った健さんの本「あなたに褒められたくて」に感銘を受け、こう生きられたらと思い、憧れの人であったので、マジかよとなって足が止まり、どうしていいかわからずとりあえずその時の街を写真に撮るなどして気を落ち着かせて、おつかれさまでした、ありがとうございましたと、感謝の気持ちになりました。

自分が小さい頃よりCMなどでその名前は知っていたし、まわりのおいさん方からも聞いていただろうし、高倉健さんという人はおいさん方にとってなにやらすごい人なんだろうなぁくらいの認識で、子供心としては、テレビにもあんまりでないし地味で頑固そうな人だなぁくらいの印象でした。

高校の頃公開された「ブラックレイン」という映画では松田優作に惹かれ、インタビューなどを読んでいると松田優作も健さんのことを慕っており、ますます健さんてどういう人なんだろうと知りたくなって出会ったのが、本屋さんにて置いてあった健さんの本「あなたに褒められたくて」でした。

任侠映画の人というイメ-ジもあったのでその優しい文調に驚いて、立ち読み進む度にこれは買わないといかんなとなって買って家で読むと、なんだかとても大切なことを教えてもらった気分になりました。

その時一番心に残った言葉が「お心入れ」って言葉でした。

その当時の自分としては、高校ももうすぐ卒業してこの先どうなるのか、何かやらかせそうな気はするものの、何をどうして生きていこうかと、ぼんやりと遠くばかりを眺めては不確かな未来に期待もしていたけど不安もあった時期だったとおもいます。

そんな時期に残った言葉「お心入れ」。例えばその本の中の話で、日本料理屋などに行って女将さんが「この魚はどこどこで捕れたなんとかでどうこうしたものです」等々と、聞いてもいないのに料理の説明をしてくれたりするけれど、ああいうのって説明しなくてもいいんじゃないですかねぇ、こちらが勝手に受けとるもので、説明はいらないんじゃないですかねぇ的なことが押しつけがましくなく呟くように書いてあって、人に何かをしようとするときに見返りも求めず、何かそのものに心を入れて渡す、それだけでいいんじゃないですかねぇ的なことが書いてあり、その後に健さんがそういうことに気づいた時に感動をしたというエピソードがいくつか書かれ、それがまたじ-んときて。

ただなんとなくコ-ヒ-でも飲みながらぼそぼそっと話してくれるような文、そしてその素敵なお話の内容に嬉しくなり、これは素敵な本に出会ったとおもいました。

遠くばかり眺めては気持ちがあっちにいったりこっちにいったりしてた自分の心が、あっちでもこっちでもなく、ここなんだって落ち着かせてくれたような、自分は自分の心で生きればいいんだと教えてくれたような本でした。

それから心持ちが変わったのだけど、具体的には一番は飯の食べ方向き合い方なんかがかわったようにおもいます。

ここにあるまでに色んな人の手や気持ちを経てきたんだろうなとか、これから自分の体に入れさせてもらうとか、魚や肉やなんかだったら命を入れさせてもらうとか、そんなことを想って食べるようになったりしました。

そして、その本の最初に書いてある一行「人が心に想うことは誰にもとめられない」。

心に尾ひれをつけたり、なかったことにしようとしたり、仮面をかぶせたりしなくていいんだと、なんだか自由な気分にもさせてもらいました。

そんな本を読んで健さんの映画を観ると、それまでわからなかった健さんの魅力がビシビシと伝わってきてまたシビレました。

余談ですが、20年ほど前、下北の風呂なしアパ-トで弟も一緒に住んでいたときがあり、二人で健さんの映画「網走番外地」シリーズを借りてきては「健さんかっちょいいな」と二人の中での健さんブ-ムがあったある日そのアパ-トで寝ていると、引っ越してきたばかりの隣人が深夜から複数で飲み会をはじめ、ぼろアパ-トなのでそれはお互い様な上にこちらギターを弾いたりもするもんで多少騒々しいくらいなら我慢するところが、こちら翌日ライブがあり気が張っているうえに、女子を交えてのただのバカ騒ぎの会話がまる聞こえであまりのバカバカしさに腹立たしくなり、気づけば隣の部屋に上がり込みガラにもなく怒鳴り込みとなってシ-ンとなった部屋にもう一人、遅れて入ってきた弟が後ろに立った気配を感じたので、頼もしいじゃないかと、じゃあそういうことでよろしくと振り向き帰ろうとすると、そこに立っていたのは弟は弟であったが、上半身裸で腹にサラシを巻いた弟が健さんよろしく睨みをきかせていたのでありました。これにはその部屋を出たあとに二人で大爆笑してしまい、今になって思えば逆に隣人に申し訳なかったなとおもいますが、健さんには男がなりきり、いきりたくなる部分もあるようで、その昔健さんの任侠モノが連続して公開されていた頃、映画を観終わった客がみんな健さんになりきって出てくるので、映画館のロビ-には目を冷まさせるために鏡が設置されるようになったなんて話も聞いたことがあります。

自分は任侠モノ時代よりも「あ、うん」などの人情モノの時代のほうが好きですが、この任侠モノ全盛期だった頃、今より全然娯楽の種類もなかった頃、一極集中して世の中の男達の憧れを受け、活躍した凄さってやっぱりあるとおもいます。

激しい時代の血気盛んな男達から憧れられた健さんだったからまた、その本を開く前には、きっと破天荒で豪快な武勇伝話が書いてあるかと思えば、ほとんどが自分のことより誰かのさりげない優しさだったり、思いやりだったり、大事なことは決して派手派手しいことでも大袈裟なことでもなく、さりげない日常の中にあることが書かれた本で心に沁みました。

先にも憧れと書きましたが、訃報を知った時にも憧れは憧れのままやったなぁと、あんなに感銘を受けたのに、とりこぼしてばかりでなんにも出来ていない自分は正反対やなぁと、でも十代の頃にそんな人の心に本を通して触れられてよかったと、変わらず騒がしく動く街の中でおもいました。

その後テレビでは健さんのことが流れ、その中でも健さんは生前のインタビューにて「人が人を想うこと、それが一番美しいことなんじゃないですかねぇ」って言ってました。 中国の方々からも政治家の方がお悔やみを述べるほど人気があったことも、はじめて知りました。

政治家が行ってもニコリともしあえなかった関係だというのに、健さんは人と人が繋がるということを、文化、映画、その人柄で当たり前のようにやられた人なんだなぁとおもいました。 「人が心に想うことは誰にも止められない」 その言葉を他の人の身になっても感じられるから、こうして色んな言葉よりも寡黙な役をとおして通じ合うことができるんだろうとおもいました。

また刑務所に慰問に行った時も皇室から賞をもらった時も、挨拶の最初に「自分は前科のある役ばかりやってきた俳優ですが…」ということを言っていて、ほんとにすごいなとおもいました。いつもどこか演じて来た役、接してきた人と寄り添い、その人達の幸せを祈っていたんだろうなと思わせられました。

健さんの本「あなたに褒められたくて」。これからの時代の教科書になればいいのにとすらおもったりして。
またその本を読んだ時の気持ちを思いだし、なんでもかんでも言いたがる時代、自分、街の中で、勝手に恥を知らされるこの頃です。

これからも映画、本の中で健さんの「想い」を感じさせてもらおうとおもいます。

高倉健さん
おつかれさまでした。
そして
ありがとうございました。

「あなたに褒められたくて」まだ読んでない人いたらばぜひ。


渋谷川
ここを通るたびにインザスープ四人が立ってるのが見えます。

中尾と草場 ワンマン無事終了 音歌の旅はつづくよどこまでも。

ふと入った蕎麦屋にて 落語が流れていて 意味なんか全然わからないんだけど
なんだか いいなぁとなって
そのまま CD買って聞いてるうちに話が少しずつわかってきて
気持ちがしゃんとするし おもろいなぁと。
これ行きたいですな。

藤沼さん生誕55 歌い叫び踊らせてもらいました。
おもろかったです。

藤沼さんピック。
親指にはめて弾くタイプのサムピック。
普通はフォークシンガ-などが指弾きするときにはめるのだけど、
これで藤沼さんはゴリゴリのロック掻き鳴らすもんで、
どうやって弾いてるのかなと、独特な奏法でこういうとこもかっちょいいんですよね。

かっちょいいっすね。

全国青年大会。
郷土芸能を受け継ぐ青年の大会。宮崎からいとこが出場。

かっちょいいですね。

アスファルトに転がる枯れ葉みると、
ギターケ-スもってはじめてライブハウスに出た四ッ谷の街をおもいだします。

健さんの訃報を知り
撮った渋谷の街 

きれいや

早朝キャッチボ-ルで多摩川へ。

枯れ葉 ふかふか ジュウタンのごとし



♦独占企画 諭介がお答え致します


■「ボーカルはバンドの自慢係、いいですね。他のメンバーもボーカルを自慢してくれるといいですね。でもやっぱりそういうのって言わないですよね。ライブ中、音の中でニヤッと笑ったりしてるのがそういう自慢なのかもしれないって今ちょっと思いました。私はそういうのを見たときに、なんかいいなって思うのでやっぱりそうなのかもしれないですね。そして、私も1人のファンとして諭介さんを自慢する係になりたいです。と言っても、すでによく褒め称えているんですけど、主に心の中とかでなので今だけ表に出して伝えてみました(笑)人生で自分が信じる誰かに勧めたいボーカリストは中尾諭介です!って、これからも思っていけるように歌っていて欲しいなって思います! 」 (2014年11月18日 17:25 A.T)
→ありがと!自慢係よろしくたのんだ!

■「今年のジュテームも楽しくて、あっという間でした。 インザスープ、ソロ、ニックバッカーズ、中尾と草場・・・いろんな諭介さんがいるけど、私にとってインザスープは特別な存在。そんなバンドに出逢えたことを私も、ボーカルじゃないけどみんなに自慢したいです。(もう結構自慢してるんですけどね。)」 (2014年11月23日 10:51 夕陽)
→ありがと~これからもよろしくどぇす。

■「自慢できる仲間がいるって素敵なことですね。音楽の才気あふれる方々なのですなあ。というか、バンドそういう成り立ちだったんですね。。これからも音楽を共有し共感し共鳴しあって益々光り輝きますこと期待致しております。 p.s. クリスマスソング,キャロル何が好きですか?好きなのいっぱいあるけど、、自分はきよしこのよるです」 (2014年11月24日 10:12 たかの)
→クリスマスソングはなんやろやっぽり長渕剛の僕だけのメリ-クリスマスかになるやろか。キャロルはファンキーモンキーべいべ-のしかおもいうかばんのよね。とほほ。

2014年11月1日土曜日

Vol.176「バンドのボーカルっちゅうのは自慢係でもあるんじゃないかしら」の巻。

あぁ、さぶい。10月にして12月並の寒さだと言うこの日、あたしゃ散髪に行って帰り、部屋の中でグローブをはめてボールをグローブにあてつけバッチバッチといい音鳴らして、さあて、どう書きだそうかと考え、それにしてもいい音鳴るなぁと調子が出て止まらなくなってきたところで、いかんこのままだとバッチバッチだけで疲れてしまうとグローブを置き、書くことが定まらぬままキーボードを叩きはじめたわけです。秋深まると言いたいとこですが、通り越して予告編、冬はやっぱり来るんだなぁとひしひしと感じるここ数日、いかがおすごしか。

今月はインザスープのワンマンライブ「ジュテーム」があった。毎年10月6日はジュテームの日としてみんな集まってのライブ。そこでの時間や景色にはやはり一つ特別な思いがある祭りです。今年もメンバーが集まり、遠方からも近くからも共にジュテームするべくたくさんのみんなが集まってくれた。毎年、ブログやなんやらで今年は残念ながら行けないとの声も届く度に「なんとかしなさいよっ」とも思うけど、気にかけてくれる声が届くのもやはり嬉しいもんです。ジュテームのセットリスト等はブログに書いたので、今回はライブに向けてのリハなどでメンバーと集まって会った時によく思い出した出会いやらインザスープの始まりなんかを書こうとおもいます。ずーっと前にも書いたかもですが改めて記憶の整理整頓も兼ねていざ。

出会ったのは神奈川大学時代、自分が二年の時に入学してきたメンバー。はじめて会ったのはベース草場K、自分の友達がテニスサークルを立ち上げており、新入生に向けたサークルの説明会で何か歌ってくれないかと誘われて、ギターを弾いて歌った。教室いっぱいの新入生の前で即興でその時心にあったことやなんかを叫んで歌って説明会が終わり廊下に出て椅子に座って休んでいると、目の前に立ってまっすぐに「よかったっす!」って言ってくれたのがKだった。自分も一年の頃、先輩でもなんでも、いいと思ったら気持ちをわざわざ伝えてたので、自分がそう言われて恥ずかしくもあったが嬉しかった。で、今度一緒に飲もうとなり、すぐにKの家に行き飲んだ。聞けば一浪で年齢は同じということだったので、「敬語はやめにしようや」と提案し、「じぁあ今度敬語使ったら100円ね」と言ったそばから「はい」と答えたので100円をもらった。これは今でも時々Kが他の人を交えてこの時のことを「ほんとにとったんだぜ、いい先輩だなぁとおもったのに、ほんとに100円とりやがったんだぜ!」と話してて申し訳ないがおもろい。その他にも人にあまり話さないことや、それまで自分だけがおもってたようなことやなんかをお互いに話し合ったりした。

同じ頃、軽音楽部の部室を借りてギターを弾いて歌っていると、ポケットに手を突っ込んで入って来て「ギターうまいじゃん」と言ってきたのがドラムの吉田くんだった。吉田くんのことは一芸一能という入試制度でドラムの一芸で入ってきた新入生がいると噂で知っていた。ドラムで大学に入るなんてすごいなぁとおもっていたので、その態度とすぐに一致し、これが吉田くんかぁとすぐにわかった。吉田くんとも今度飲もうとなり、すぐに自分の家で飲んだ。吉田くんは飲んでるとうちの冷蔵庫を開け、あるものだけでささっと野菜炒めを作ってくれ、むしゃむしゃ食べた。それが美味しくてたくましさを感じた。そのあと吉田くんがギターを弾き、僕が即興で歌った。お互いに次はどうなるかもわからないのに延々と続いて展開していくその感覚がすごく面白かった。それからKも一緒にそんな宴をやってるうちに、外でやってみようとなってみんなで路上で歌った。あるときはカップルが集まる夜景のキレイなスポットに行き、カップルに近づいていき「あなた達のために歌を作って歌います。お題をください」なんてやったり、飲みに行った先でみんなお金がつきて一旦歌いにいって稼いでもどってきたりと、若かったから許されただろうことやおもろいことを共有しあった。

自分は軽音楽部には在籍していなかったし、一緒にBANDを組んだりはしなかったけど、よく飲んだ。自分は大学一年からフォークライブというライブを主催してたので、Kと吉田くんにそのイベントを引き継いでもらった。そのライブに誰かのギターとして参加してくれたのがギターのハチだった。ハチもギターの上手い人がいると噂で知ってた。やはりギターが上手くて、これがハチかーとおもった。聞けばギターは上手いのにコードがあまりわからないとのこと。弾いているんだけど名前を知らないといった、何かこう今までに会ったことのない天才肌だなぁとおもった。それからハチとKと吉田くんは軽音にて6人編成のファンクバンドを組み活躍した。

自分は自分で畑の真ん中や路上に出て歌ったりして大学を卒業した。卒業して四谷のコタンというフォーク喫茶で歌っている頃、吉田くん達のBANDの半数が就職活動のため解散することが決まり、吉田くんに、バンドのボーカルにと誘われた。誘われたが自分にBANDのボーカルはむかないだろうというのと、大学を卒業してからのことだったので中途半端には返事できないなぁということもありなかなかすぐにOKとは言えなかった。吉田くんは何度も自分の家まで来て誘ってくれた。これはもうやるでしょうと心が決まってきた頃に吉田くんが「今日でダメならあきらめるわ」と言ったので「ちょっとまった、わかったやる、やらして」となって決まった。

BANDというものに精通していなかったが、このメンバーとならすごいことができそうな気がして夢が膨らんだ。んが、初めてリハーサルをした時にあまりに音がでかく自分の声が聞こえず落ち込み、一晩考え、早いほうがいいだろうと次の日「やっぱり無理だこれ、やめとくわ」と言った。理由を聞かれ答えると、吉田くんが「フェーダーを上げればいいんだよ」と教えてくれ、なんだそういうことかとなった。

そんなとこからはじまったメンバーとの旅だったが、感覚の共有というか、根拠のない自信というか、野心というか、何かがやらかせそうな想いが膨らんでいった。うちでミーティングをしているときに、昔アメリカで行われていたロックフェスティバル、ウッドストックのビデオを流していた。誰のどんな音楽が流れていたのかは忘れたが、その場で音楽を楽しんでるお客さんがそれぞれに楽しんでいる、どろんこになって水たまりに飛び込んだりしている人もいれば、寝ている人もいる、抱き合ったり一緒に歌ったりしている人もいる様を観て、メンバーみんなでこれだねとなった。目指すはウッドストック。もうやっていないフェスだけどそんなことは問題じゃなく、そこを目指していけばきっとまた開催されるかもしれないし、何よりそこに流れる空気感と路上での感覚の近さがあった。

こう書いていて再確認してくるのは、今もそうだけど、抜けたがってたこと。その当時読んでいた坂本竜馬にも感化され最初バンド名を脱藩浪士の浪人、「LO-NIN」としていたこともそうだけど、何か今あるものから抜け出せないか、音楽シーンからもジャンルからも好きなミュージシャンからも、路上での宇宙から見える全ての枠から抜け出していきたい願望があったんだとおもう。

唯一無二、奥の奥。この世になかった音楽、ビックバン、音楽の出どころが違うんだという自信。この4人ならと、これバンド組んでる人ならみんなそうなのかもしれないけど、目に見えないもの触れないもの、音楽、それを合わせるんじゃなくぶつけ合って生まれていくものを共に感じて作っていく感覚のすごさ。こういったことを説明しようとする時、いつもうまくいかず、今回もジュテームのMCにてメンバーをサッカーボールの網の目の一つ一つに例えたのだけど大失敗であった、音楽やバンドを説明するのが野暮で、言葉にできないから懲りずにやれてるんだろなとおもう。今回サポートで入ってくれたキーボードの大ちゃんが友達に「インザスープのリハどうだった?」と聞かれて「全然話してないのに、いきなりはじまってばっと合っちゃうからびっくりした。やっぱりバンドなんだなぁとおもったよ」って言っていて、言われてみれば、久々に鳴らし合った瞬間のコレコレって感覚はやっぱりある。鳴らしてない時間もずっと鳴ってるもんはやっぱり共有してるんだなぁと、鳴らしてる時にそんなことを考えながら鳴らして歌ってはいないけど、言われてみて気付いたり、あとで余韻のなかで思ったりもする。そこに入って支えてくれる大ちゃんもすごいし、やっぱり同じ感覚を共有してるバンドマンなんだなぁ。みんな自分じゃわからないとこがあるのがまた音楽のおもしろいとこやなぁとおもいます。

今回のジュテームではまた、音を鳴らし合える奇跡みたいなもん、かけがえのないもんやなってのを改めて感じ、大ちゃんも含めメンバーってすげぇなと、ニックバッカーズのメンバーも同じく、自分なんかと鳴りあってくれてありがたいなと感じるこの頃、友達と遊んだ帰りに「遊んでくれてありがとう」なんて言わないのと同じように、メンバーにそんなこと言わないけど、かわりに自慢してまわりたいなと。自慢係。バンドのボーカルってそんな役割でもあるんじゃないかって思ったりもした今回。直接言葉にはしないだろうけど「すげぇ音鳴らす人達がいるんだぜ」って自慢してまわり広げていけたらと。この先、来年はちっと頭も使いつつ、自分の歌を磨きつつ、やっていることの全部を繋げて広げいけたらとおもう次第です。 何だかまたしてもBAND、音楽のこと、上手く言えてませんが、続きはこれからのライブの歌の中ってことで今月はこへんで。よい秋を。いざ下北沢へ。



デング対策 いまだ公園は封鎖されたままでんな。

ディジリドゥって楽器。これ元々アボリジニ族の雨乞いに使われてた楽器とのことで、
ジュテーム台風よけとして 逆さまに吹いて台風撃退。

大ちゃんとハチ。ジュテームリハにて。二人でアレンジのディスカッション。

ハンサムやね。はい、服ちょうだい。

んで ジュテーム日、晴れたんだわ。台風にびびったけどね。

ジュテーム2014終了。紙飛行機。
飛んできたの投げ返したら急降下して前のお客さんの顔に刺さったんだけど、
先っちょとんがってっとあぶないから先っちょ折り曲げタイプで飛ばそうとおもた。

花をもらいまして、ありがとうございます。 少しずつ馴れてきた番組出演。
こちらもスタッフのチ-ム感が熱く、 バンド感覚の現場だなぁとおもうこの頃。

遊びにきてくれた本田誠人。照明暗すぎですが、ポ-ズを決めてくれてます。
しかしいよいよ パカパカ携帯に限界を感じるこの頃です。

そして朝まで うち上がり。誠人とK、熱く語り合う二人。

ほんで8日は皆既月食 この日に中尾と草場にて撮影。
次のライブにはチラシで登場なるかしら。

弟がかしてくれた本、やっぱりこの人かっこいいですね。

久々の横浜へ 歴史博物館だって かっちょいいね

9時に入りリハをやり五時間楽屋で監禁状態。

立川晴の輔師匠 真打ちまでのドキュメンタリーDVD発売記念イベントにて、
ばれたらだめよの監禁ね。
DVDでは弾き語りバック音楽で参加させてもらってます。
観る機会ありましたらチェックイットアウトでどうぞよろしく。

で、 DVDのBGMが流れてるとおもいきや、
幕が降りて生歌だったどっきり大成功。 おもしれかったです。
DVD発売おめでとうございます。





♦独占企画 諭介がお答え致します 


■「音楽が生まれてカタチになっていく、小さな種みたいなのが水やお日様や色んなもので色付けされて、グングン伸びて膨らんで蕾になって花咲かす・・・音楽って絵にも似てるけど花にも似てますね! 我が家でもTVKは観れないので番組で流れているのを聞くことはできないけど、いつか番組を観れない人やライブへ行けない人にも違う形で届くといいですね。 追伸  ジュテームにて、ホシタチノウタ聞きました。うん、かっこいい!! 」 (2014年10月13日 11:03 夕陽)
→あ~なるほど花とも似てるかもね。うちもTVKみれないんだなこれが。

■「最初内容読む前にタイトルだけ見て、ん?レコーデング?間違ってるな!って思ったけど、読んでみたら、デングだったので、やられたーと思いました(笑)ジュテーム楽しかったですね。ホシタチノウタは中尾と草場のライブでも聴いてたけど、バンドバージョンで聴くとそれぞれの色を感じられてまた違うもんだなぁ~と思いました。今回ジュテームで聴いたMojoもそんな感じというか、みんなの音がだんだん重なってって、初めてこんな楽しい曲だったんだな!と思いました。初めてというのは言い過ぎかもしれないけど、諭介さんのみんなの音の中で踊るような歌い方もすごく良くって、この曲の今までのイメージがガラッと変わった瞬間でした。今回のレコーデング日記では、大ちゃんが面白くってちょっとイメージ変わっちゃいそうでしたが(笑)楽しさが伝わってきて、音源早く聴きたくなりました。CDにもなるといいな」 (2014年10月15日 16:27 A.T)
→大ちゃんのイメージ、ダウンじゃないよね大丈夫よね。僕のまわりにゃおもろい人しかいないからね。これからもどうぞよろしくね。モジョもヘブンも今の方がしっくりです。 






2014年9月27日土曜日

Vol.175『「ホシタチノウタ」レコーデング日記』の巻。

すっかり秋真っ盛り、んが、日が射すとまだ蝉が鳴くのを聞いた表参道、みんなで一緒に大合唱とはいかず、一匹だけで精一杯鳴いてました。遅れて土からでてきたんですかね、それぞれにいろんなペースがあるのは人だけじゃないんだなぁ、なんつうことをおもいながら秋は空気さらさらで歩くだけで楽し。なんとかの秋とはよく言ったものだなぁと、食べ物もスポーツも音楽も、より実感できる秋がやっぱり好きだなぁと再確認している今日この頃ですが、いかがおすごしか。好きです秋。

そう、そんな秋にレコーディングに入り、一曲を完成させ、そのことをブログに書いていたらば、長くなりすぎてしまったので、今回こちらにて書き足しをして登場させていただきます。以下転送+




ちぇっくワンツ-

最近はレコーディングに突入していまして

やりおえて数日だったところなう

音源、いい感じです。

出演させてもらっている TVKの部活応援番組「しゃかりき」のイベントが5月に横浜であり、このイベントに向けての曲をとのことで、番組内で見せてもらった中高生の部活を頑張る姿をうかべてウタを作り歌ったところ、レコーディングをして、番組のテ-マソングにとの話をいただき、いたった今回のレコーディング。
メンバーはベース草場のK、ドラム吉田くん、鍵盤田中の大ちゃん、と自分の四人。レコーディングに向け曲をメンバーに送る、そう、時代は変わりました。パソコンなんか使っちゃったりして、気がつけば遅れながらもなんとか時代に乗っかって、自分も録音したものをパソコンで送ったりなんかして。こう書いていて昔は考えられなかったシステムとそれを使ってる自分にびつくり。吉田くんがアレンジの方向性をつくってくれ、ニ三度やりとりをし、次はメンバーみんなスタジオに集まって、あぁじゃねこうじゃね、あぁしよこうしよ、とみんなで練っていく、おもろい時間です。 こういった作業をしている時、やっていることは音楽なんだけど絵を描いたり、色を重ねていったりしてるみたいだなぁといつもおもう。それぞれ絵描きが集まって一つの絵を完成させてく。空白がまだある段階で終了し、レコーディングまでにそれぞれ空白にどんな色を塗るか頭の中で膨らませて、レコーディング突入。


そしてRec初日、集合の二時間ほど前に 鍵盤の田中の大ちゃんから電話がはいっており 何事かとかけ直してみたらば、車を車庫に入れるのが怖いからやってくれないか、とのことで 、今どこにいるの?と聞けば、もうスタジオの前とのことで、いくらなんでも早すぎじゃないかと問えば、えっ9時半じゃないの? いやいや11時だよと。 ちゃんと言ったよね!スタジオ開いてないし、言ったよね! じゃあ車で待ってるからとなって結局Kが11時前に来て車庫入れしてくれたとのこと。いやはや鍵盤田中大介、いつも何かほのぼのとするニュースを提供してくれます。そんな朝からてんやわんやではじまったレコ-ディング。


四人で作ったアレンジに加えて、その瞬間に出るアイデアで色を塗っていき、Kのベースがうねって、グイグイ引っ張り、吉田くんのセンスが光って、大ちゃんがインクを落としてく。自分はアコギ、直接マイク録りのため別室にてヘッドホンから聞こえるみんなの音と同時に弾く。勢いやらテンションやらノリをみんなで合わせて何テイクか録った後、どのテイクにするか選んで、鍵盤などの上モノを重ねていく。馴れない場所への車庫入れができなかったり、二時間前に来ちゃったりする大ちゃんだが、鍵盤弾けば大活躍、素敵な色付け、何かが出来ない分、才能突出の天才型なのかもしれません。

あとは歌入れだってとこまで録り終わり、よっしゃ全体的にいい感じ!となったところで夕方6時にご飯休憩。みんなが食べてる横で自分は歌入れ終わってから食べようと歌のことや歌詞の直せるとこはないかなどを考えながらぼうっとしていると、隣にいたKが、食べていたカレ-丼の米粒を飛ばす勢いでうわっ!と叫んで立ち上がり肩を叩いてきて、つけていたテレビを指差し、うちの近くだろ!うちの近くじゃないか?!と興奮気味に言うので見てみれば、Kの住む千葉県は稲毛区にてデング熱発覚とのこと。テレビ画面の地図では代々木公園、新宿の公園、そしてなぜかずっと間があいて千葉県は稲毛がデング熱発覚。その3地区だけ地図上の色が変わってる。確かにこれはこの興奮状態になってもおかしくないニュ-スであるが、今から歌入れであるし、ちょいとその興奮に乗りおくれていた。んが、いや待てよと、その前日、自分は代々木公園の横を通り、テ-プなどで立ち入り禁止とされていて、あの広い公園に誰もいない異様さにうわ-となって、これは写真を撮らねばとテ-プや張り紙をパシャバシャ写真におさめ、その後、電車に乗り稲毛へ行きKとライブをおこなっていたので、これはちょっと責任を感じなくもないなとひと盛り上がり。

のち、歌入れ。みんなの音の波に乗っかって2度ほど歌ってOKとなり吉田くんコーラスやらハンドクラップ、みんなでコーラスを入れてこの日は終了し帰宅。まだ完成途中であるが、なんだか楽しいレコーディングだったなぁとその日できた音源を聞いているとKより、「やっぱりだ!やっぱりうちの近くやった!」とメールあり。


二日目には朝から番組共演のフォンちゃんとマイキングの歌入れ。自分はとっちらかってしまうので 歌ディレクションを草場Dにお願いし、い-ね!んじゃもう一回いってみよ!なんつって草場デレクターを中心に笑いの絶えない歌録りとなり面白く、これまた絵を描くみたいに声を重ねて世界が広がった。


三日目にはミックスダウン。今回はインザスープのファーストアルバム『東京野球』やいろんな曲を一緒に録音したレコーディングエンジニア、サンボマスターなどのレコーデングエンジニアでもある杉山オサムさんにお願いし、昔と変わらずそのアシスタントのえんどぅもまた一緒のレコーディングだった。馴染みのあるスタジオで馴染みのある人達との音録り歌録り、10年ぶりの共同作業。オサムさんはこちらの気持ちをくみ取ってくれるどころか時には盛り上げていざなってもくれる。もともとレコーディングが苦手だと感じていた自分にその楽しさを教えてくれた人でもあるし、感覚でおもしろいものをと同じ目線で一緒に作ってくれる人だ。 そんなオサムさんが、録った音のバランスを整えてくれ、その音を聞き、何かあれば微調整する日。
さすがのオサムさん、かっちょいいバランスで完成。

その後また最後の作業にオサムさんが入ってる間、我々待ち時間となり、田中の大ちゃんはおもむろに自身が好きな中日ドラゴンズの検定本を出して読みはじめる。 大ちゃんは大の中日ファンである。父親が中日の応援団長だったと言うから筋金入りだ。「ファンというか中日は生活の一部だよ」とサラっと言うだけあり、中日検定3級の取得者でもある。級を上げるべく勉強といったところか、Kにじゃあ問題出してみてよと本を渡しKが三択問題を出す。すると「あーあの試合ね、あれは〇年の試合で最後の打球はサードライナーだったから、二番だね」とサラっと答える。 いつも大ちゃんが中日のことについて熱く語ってくる時、自分はあまり興味がないため聞き流していたのだが、さすがに、こんなに細かく記憶しているなんてすごいなぁと感心し「すげぇな大ちゃん」と言った後、答え合わせをしたKが勢いよく「ぶー!」。

いつも何かおかしみをくれる大ちゃんです。

そんなこんなでオサムさんの作業も終わりレコーディング終了。 いい音源ができました。「ホシタチノウタ」

この音源、ぜひとも一音一音、最初から最後まで、聞いてもらいたいとおもうのだけど、今のところ番組内でしか聞いてもらう術がなく、うちもそうなのだけど、TVKがうつらないと聞けないので、もどかしいところではありますが、10月6日、下北沢シェルター、インザスープワンマンジュテーム。ゲストにそんな田中大介氏も参戦してくれます。レコーディングには来れなかった八チも加わって演奏する予定の「ホシタチノウタ」楽しみであります。ぜひジュテームにて聞いてもらえたらとおもう次第です。10月6日下北沢シェルターで会いましょ!


母と甥っ子

こんなの出されたら我々世代買ってまうがな

今年二度目の武道館

長渕剛の武道館

代々木公園 デング熱対策。稲毛に連れていってないよね、蚊。

で レック初日、10年ぶり 通い慣れた道を いざ スタジオへ。

レコ-ディングへ向かう草場選手。

上物を被せていく田中選手と吉田選手 吉田選手は今回エレキギターも弾いてます。

中尾スペース
一人だけ個室でみんなにあわせてアコギを弾くさみしさよ。つって。

うむ これは車でこないと運べないね。

スタジオのコ-ヒメーカー
この横にすわり 窓の外は雨 Kがギターを弾いて
僕が それて合わして歌ってなんかいい感じやね
ってつくってったのが コ-ヒ-って曲でありました。

エレキを弾く若大将と田中さん。

アレンジをまとめるだいちゃんとオサムさん。
こちら時々 い-ね!つって。

延々とハンドクラップを入れる三人。自分は足をひっぱる可能性大なので辞退。

今回はレコーデング風景をTVKの番組のスタッフさん逹が撮ってくれてましたので
いつの日かそんな風景を見てもらえるかもしれません。

そして 毎年恒例のおまつりにて 本格的に秋になりました。

♦独占企画 諭介がお答え致します


■「愛用メーカーのグローブ、まるで恋人との再会みたいですね。開店前から待っていて、一度は引き返し、ようやく手にしたグローブの写真。感動しました。漢字の刻印が、和製の高級感と気品を醸し出していて、とても素敵。私はよく甥とキャッチボールをしますが、中尾さんと横浜スタジアムとかで遠投してみたいなぁ、と勝手に妄想しながら読みました。ナイスボール!とか言われたいです。 甲子園は毎年楽しみにしています。仕事が休みの日しか見れないけど、今年は運良く決勝戦をTV観戦できました。いやー、レベルの高い好ゲームでした。大阪桐蔭は前日16点あげて、超強力打線の敦賀気比を降しました。決勝も、大阪桐蔭の圧勝になるのでは、という素人目線の予想を見事に打ち返す粘りのゲームをしてくれた三重高校。そして優勝インタビューで勝利投手の子が「お父さん、お母さんに感謝します」という素直な言葉にぐっときてしまいました。親御さんたちはどんなに誇らしいことかと…。今年も甲子園の球児たちに涙する夏でした。 私は高校時代からプロ野球観戦が好きで、自分でもやりたくなって、暇さえあればバッティングセンターで練習し、今では100球あたり2球くらいはホームランボードに当たるようになってきました。職場の野球同好会にも入り、おじさんたちに教えてもらっています。生まれ変わったらプロ野球選手になりたいと思います!中尾さんは生まれ変わったら何になりたいですか?やはりミュージシャンですか?野球への思い入れもお強いようですが、プロ野球に憧れますか?」(アリンコ 2014年8月28日 6:40)
→プロ野球はもちろん憧れたよ、幼なじみと、あんたは巨人の4番で僕は西武のエ-スでいつか対戦しようなんつって、夢を語ったりして中学入って二人とも補欠で、こりゃだめだとなって高校から二人で軟式テニス部に入った軟弱者です。けどやっぱ野球って、キャッチボールっていいよね。バッティングセンターホ-ムラン打ったことないわ、二本もすごいっ

■「自分にしか分からないその物の価値、すごくよく分かります。「物に執着する」 っていったら聞こえが悪いけど、それは物を大事にするって事で良い事じゃないかと思います。 今は何でも使い捨ての時代で、新しいもの程お洒落でかっこいいと思われがちだけど、私はどんなものにも命があって大切に可愛がって最後まで大切に使えば、もう限界ってなってお別れする時にも、そのモノも喜んでいるように感じます。 だから我が家には新しいデジタルな物より古いアナログな物が わんさかありますよ! (とはいえ、新しい物を否定してる訳ではないですけどね。) 諭介さんの家にある一番古いモノって何ですか?」(夕陽 2014年9月13日 10:33)
→一番古いものは物心つく前に見てたんだろう絵本やないかな、ミッキーマウスの英語の絵本、意味わからんけどずっともってるわ。

■「陽射しはあるものの秋の風、もう夏ではないですね。今年はいつにも増して夏があっという間だった気がします。私も来年から先取りしなくては。諭介さんの夏の記念品、すごくいいです。グローブのこと何も知らなかったので全てが新鮮な情報で読んでて面白かったです。それに、かっこいい先輩に憧れて同じメーカーのものを選び、友達とパンフレットを眺めている姿や練習後お店に走った光景が目に浮かぶように伝わったので、大切にしていたものには思い出も同じように大切にされるんだなって教えられた気がします。そして、そんな話を知ってしまったから、なくなってしまったときの諭介さんの気持ちを思うと私も猛烈にショックでたまらなかったです。実際の心の中はどうであれ、それでも「いいよいいよ」で済ませるなんて……涙が出そう。だけど、そこは男らしい。思いっきりポジティブに考えれば、大事にしてきたタマザワのグローブ成長させてくれたと思いたいです。第二の玉澤活躍させなきゃですね!」(A.T 2014年9月18日 16:53)
→ああ、思い出すとあったまきちゃうけど第二の玉澤人生、大活躍したいとおもいます。