2008年10月27日月曜日

Vol.105「クジラ親方の呟き」の巻

俺は親方。
一人親方。
媚びることはしないのさ。

俺は親方。
誰かの目を気にしてなんて生きられない。

いつでも気持ちのいい風を吹かす。
空は広くふきぬけている。

寄りかかることはなく、自分で立っている。

いつでも心の中にいた、俺は親方。

甘くみてた時もあった。
今だってまだまだ、ハナタレだが、
昔より、昨日よりかは気付けたことが何個かある。


守られていたことや、誰かの助け、気付けなかったことがたくさんあった。
不義理をしてきたこと、気付く度、心はぎゅっと痛くなるが、後戻りのできないとこまできてしまったのだから、その痛さを噛みしめ、ガリガリと全部を飲み込んで、次に進むしかない。

俺は親方。
心キョロキョロ、足はグラグラ、よろめく時も何度かあった。
一人親方を気取っちゃいるが、絆でつながる仲間がいる。
勝手に力をもらってる。心を殴って笑い合える仲間がいる。
横に、遠くに、空の上に感じる絆がある。
昔は当たり前だとおもってたその絆も、時たつ中で、始まり終わりの中で、出会いと別れの中で、昔よりも強く愛しいものだと勝手に感じている。

俺は親方。
あぐらをかいて一服したときも、汗を流して走り抜けた時も、いつでも心の中には何かがあった。言葉では言い当てられず、目にも見えないものがいた。よりみ ちをしても、そいつはいた。泥道を歩けば、そいつは余計に輝いて居場所を知らせてくれた。

俺はラクダのように走りながらも背中のこぶにワクワクを溜めながら、それを食って走ってく、アリンコのようにケツを蜜で膨らまし、そいつを食って走ってく。


俺はクジラだ。時代遅れだと言う人もいる。
ゆらゆらと深海を泳ぎ、時に海面めがけて垂直に口を開け、たくさんのエビを一気に腹の中に流し込む。海面から飛び出し雄叫びをあげる。
クジラはいつでも小エビを飲み込める場所で泳いでいる。
時代より、遅れているのか、先をいってるのか、時代と合っているのかは、クジラが食いこぼした、小エビをつつく雑魚の世間話だ。
クジラはいつでも時代を飲み込める場所で泳いでいる。

俺はクジラだ。数が少ない。
数少ない仲間と共に大海原をユラユラと泳いでいる。