2011年11月28日月曜日

Vol.142「静かな場所から育つ」の巻

立冬、冬が立ってきてジワジワと寒さ本番が近づいてきてる。凛とした空気がここちいい今日この頃、いかがおすごしか。

先日、イベントに出演するべく地元である宮崎県延岡市にかえった。「コト、モノ、くらし」と題して延岡の作家さん達(絵、家具、アクセサリー、アロマ、コーヒー、写真、置物やらやらの作家さん達)が集まり倉庫にて展示したり、その場で作ったり、体験できたりするイベントに歌うたいとして参加させてもらった。

実はこういうことを自分でいつかやってみたいなぁとおもっていたので、先にやられたのが少し悔しく、ほんで楽しみにしていた。作家さん達のお祭りやね。ここでの雰囲気はブログにも書いたんでそちらもみてもらいたし。

いつもは家具の倉庫である場所をライブ会場とし、なんもないとこからステージをつくってもらい、遠方・近方からたくさんの人に来てもらって素敵な空間の中約2時間歌わせてもらった。なんもないとこからものを作ってる人達の中にいるのは刺激的や。
ステージつくるのも、ああしてみようこうしてみようってみんなで少しずつ出来あがっていくのもおもろかった。ブログにも書いたが本番中には絵描きのmiyuさんにも、「祝子川」って歌をうたう間、ステージに上がってもらい僕の横で絵を描いてもらった。ビッグバンってのがおこって宇宙が誕生したって話と似て、その場で一つの絵ができあがっていくのは、本当に贅沢な遊びだ。

僕はなるべくそういう瞬間に立ち会っていたいとおもう。こうなったらこうなるってのが分からない世界。ノウハウもパターンもない世界。体はいくつかの手段が染みついてしまってるかもしれないが、精神はいつも空っぽでいたいとおもう。怖いなともおもうけど、それをこえたら、どこまでもいける自由があるし、そういう風をふかせられたらとおもう。発表会とライブの違いがそこにあるんだろうとおもう。そんな感覚を音楽だけでなく、空間作りを一緒にしてくれたみんなや、絵描きのmiyuさんと共有できたのがおもろかった。と同時に、僕は僕でアンテナの先っぽをもっと磨いていきたいなともおもった夜やった。

上にも書いたけど、いつか自分もこんな祭りがやってみたいとおもってた。
これはゆっくりやるときがきたらやるっぺぐらいのゆっくりとした歩みの夢で、まだあるけどずーっと先でいいからやってみたい。なんかぽこぽこと頭に浮かぶ理想郷みたいな感じ。いろんなとこいって、見て体験してきて、浮かんだお祭り。いろんな仕事や経験をやってきた大人達が、それを持ち寄って集まって遊ぶお祭り。

サグラダ・ファミリアみたいに頭の中でジワジワっと今も建設中って感じで、そういうのがあると、逃避ではないけど先が楽しみになったりして。ゆっくりと無理なくできるときがきたらやってるだろうなってくらいの夢や。

サグラダ・ファミリアがずっと昔からあるのに今も建設中って、テレビでみたことがあるぐらいで、行ったこともないし、よく知らないのに、救われる気分になる。なんなんだろか。
あんなに高いスカイツリーだってここ数年でできたのに、「サグラダ・ファミリアまだつくってます」ときいたときは、まだつくってんのーっ!と驚いたと同時に嬉しくなったし、なぜかほっとする。コンピューターやら機械やらこんなに便利で近未来、SFチックになっていってるというのに、人が石と向かいあって削り続けてるんでしょ? 実際にみてみたいけど、そんな情報だけでもなぜか心強く感じる。
もともとそうでしょう?というのを忘れがちになる。特に僕は、忘れやすいんだろうとおもう。サグラダ・ファミリアの話を思い出したり、何もないところから自分と向き合って何かを作っている人と接すると、もともとそうでしょう? それがあたり前でしょう?と響いてきて、しみてくる。

延岡にて、竹ぼうきで枯れ葉をはいた。シャッシャッーシャッシャッーとはいてくと音が響いてくる。田舎なので静かで、竹ぼうきの音だけが響いてきれいになってく。そういえば田舎にいた頃はしょっちゅう、誰かがはくほうきの音を聞いていたようにおもった。

静けさの中の竹ぼうきの音の中にいる時は、サグラダ・ファミリアを思い出す時に似てる(実際はどういうところかしらないけど自分の中のね)。
竹ぼうきではいているのはきっと枯れ葉だけじゃなく、音の響くそのあたりの空気や心もはいてるんだろな。サグラダ・ファミリアの作業員が削ったり叩いたりして作ってるのは、石だけじゃなく、音の響く空気とそれを聞く心もだろうな。

何もないところからものをつくる人の何もない場所ってのは、本当に静かな場所なんだろうなとおもう。
そんな場所へ行っては何かをつくり、まだ何か違うとおもったり、もっともっとと作りたくなる。
ものを作る人はそんなことを繰り返しながら転がってく。そして本当に何もない場所へいって何も作れなくなった時にようやく、自分てのが完成するんだろう。

それまでは自分もやっばりちゃんと静かな場所に行きながら、そこで暮らし、ものを作っていきたいなとおもう次第です。

自分の中の雑音、それを人にもらさず自分で消していけたらと。また、人の雑音を聞いた時も黙って許せたらとおもいながら、今月はこの辺で。