2007年5月31日木曜日

Vol.88「のべチャリ、流れ生くものの中で」の巻

この時期にしては暑いですね。夕方になると風が乾いてて気持ちいい。このまま乾きっぱなしだったらいいのにねーってもうすぐ梅雨やん。梅雨は梅雨で、かたつむりになって楽しむとしましょうね。ちゃぷちゃぷらんらん、いかがおすごしか。

 ママチャリこいで、地元宮崎は延岡をながした。チリン。通学路だった道をこいでいく。「あんなーこーとーこんなーこーとー」って小学生、中学生、高校生の僕を眺めながらこいでいく。
 この辺でうんこ我慢してかえってたなぁーとか、小1の時、商店街に「くるくる」って名前のブティックができて、その前を通る度に友達と「くるくるぱー! くるくるぱー!」っておばさんが怒るまで叫んで、怒ったら走って逃げたりしてたけど、1人のときは何も言えなかったなーとか。これといった発見はないけど、所々でタイムスリップしては、バイバイしてこいでいく。                           
 ぼうーっと、ふらぁーっとこいでいくと、人が少ないことにきづいて、平日だったことをおもいだした。平日の昼間から働き盛りの三十代男が、少々小さめの不釣り合いなママチャリなんかをスリッパでぬぼぅーっとこいでいると、このご時世、不審者だと思われそうで。また、さっきまですれ違ってきた昔の自分達にもがっかりされそうで、少し不安になる。不安になったので自転車屋さんにいってタイヤの空気を入れ、新しい気持ちで再出発。
 不審者に見られないよう、また、昔の自分達に恥ずかしくないように胸を張り、規則正しく、サドルと背骨が垂直になる形でピンと自転車をこいだ。
 気持ちがいい、ぼうーっとしてない、すっきりしている。その上にタイヤの空気もパンパンで、さっきより楽にスピードがでる。楽にスピードがでるのでどんどんこいでく、どんどんこいでスピードが出ると何だか面白くなって、笑えてくる。足がおっつかなくなるくらいこいでくと、一瞬、どっかの店のガラスに自分が映った。
 背筋を伸ばしすぎて胴が長く、ゼンマイを巻きすぎたおもちゃみたいで、これもこれで不審だなぁと。何が世間体だと、やっぱりだるそうにして、文句あるかと少しワルい感じでこいでいく。我ながら非常にめんどくさい性格だ。 

 とはいえ、延岡の町は緩やかに時間が流れ、雲が流れ、川が流れ、風が流れてた。日差しは眩しかったけど、空は広くて大きかった。誰がゼンマイを巻いてるわけでもないのに、流れていきよる。そんな中で僕も流れて生きよるのかとおもうと、暇過ぎたのか少し、ぐっとくる。水鳥みたいのが魚を狙うわけでもなく、川辺でずっと立ってた。何考えて、どんな時間に生きてんだろう。流れていく川と一緒になってた。

 途中、友達宅に寄り、子供としゃぼん玉を飛ばし、服をもらい帰る。途中、夫婦で床屋を営む友達んちで、ぼぅっとして帰る。
 
 同級生が子供を育て、夢持って大きな時間の中で暮らしているのを見ると、僕もぼぅーっとばかりしてられんなと。
 流れていくものの中で、夢でっかくもってstay dream生かにゃあいかんなと、改めておもわされ、「二度目の上京」的な気分で東京に戻った次第だ。



 テビュ―する前頃、下北の路上で歌ってたら、ばったり会ったひょんきちくん。高校の頃は喋ったことなかったけど、顔は知ってたから声かけた。高校の時から付き合ってるひょんこちゃんと上京し美容師やってると聞いて、下北のしょんべん横丁のおでん屋で一緒に飲んだ。
 昔、親戚のおじさんが延岡で床屋やってて、そこにいくのがすきやったって。おじさん一人でやってた小さな床屋だけど、あんな床屋をやりたいとよね―って聞かせてくれた。たまたまその床屋さん、うちの近所で、僕が小学校低学年の時に行ってたとこで、切ってもらってたことがあった。
 記憶のなかで映画みたいに残ってるんだけど、白い泡のいい匂いやら、夕陽のさしこんでくる感じやら。で、あんまりしゃべらないおじさん。切ってもらってる最中に僕は寝てしまって、目が覚めたらオジサンは入口のあたりでイスに座って、なんも言わずに新聞読んでた。僕をずっと寝かせておいてくれた。ゆっくりで静かで、夕陽で、いい匂いやった。

 おじさんの床屋は今はもうないけど、おじさんが、僕が子共の頃に見せてくれた映画の続きを、ひょんきちくんとひょんこちゃんが一緒にみせてくれる、かわいいお店です。
 おでん屋で聞かせてくれた夢がほんとになってて、すごいなぁっておもう。
 延岡にいくことあれば、匂いをかいだり、髪切ったり、顔のマッサージに寄ってみてねん。