2015年3月31日火曜日

Vol.181「桜の記憶」の巻

でたっ。毎年恒例のあったかーくなったり急に寒くなったりの三寒四温。三寒四温って言葉がなんとなく好きですが、実際あったか〜くなってからの急に寒くなる気温差には、結構体も心も鍛えられてる感じがします。「あったかーいからって調子にのるなよーそれが当たり前だとおもうなよーヒュー」的な、1日の中でも朝寒く、昼頃にあったかくなってくると「あー春はいいなぁ日差しが気持ちいいし寒くて縮こまってた心も筋肉ものびのびしてくるわい、ぼー」なんつって気を緩めてると夕方あたりには風も強く、「うんにゃまだまだそうはさせんぜ」と風冷たく、すんませんでしたと緩んだ筋肉もまた縮こまっての繰り返しで、本格的にあったかくなる前の準備運動をしてるかのような今日この頃、いかがおすごしか。

今年も受粉に成功し、あんまり気にしないようにしようとおもっていたって、どうせどうしたって花粉症なのだから、この際積極的に受粉してやろうじゃないかと、逆療法だと、気持ちをオープンにし「どんとこい!」とマスクも付けずに積極的に鼻で呼吸してみたりしていたらば、くしゃみ鼻水絶好調で頭や鼻の中も痛くなってくるほどだったもので、さすがに「こりゃたまらん」といよいよマスクを装着しだした今日この頃、いやー最近のマスクは柔らかくなって耳や口周りが痛くならないんだなぁと感心しながら、この原稿をポチポチと打っている所であります。

三寒四温、くしゃみ鼻水を繰り返しているとそろそろかなと桜が咲き始めるのも気になりはじめ、チラッとのぞけばポツポツと桜が咲き始めてるのが見えて、いよいよだなぁと思ったりもするけど、今年はなかなかに忙しくゆっくり桜を眺める時間もなさそうな気持ちのあり方なもので、「もうちょっと待ってはくれないだろうか」な気持ちにもなったりして。しかし子供の頃は「桜が綺麗だなぁ」なんてことは思わなかったのに、大人になったのだぁとも思ったりして。

桜を思い浮かべる時、思い出す景色は何か、ピッカピッカの一年生、入学式や花見なんかの「楽しい嬉しい」時の桜より、どちらかと言えばそうでない時の桜が印象に残る。

父方の爺さんが危篤だと知らされ会いに行った病院から見た桜。 どちらかと言えばいつも厳しい顔つきの九州男児って感じの人で、剣道が強くて、小さい頃に泊まりにいくと朝はふんどしで乾布摩擦をしたり、剣道の素振りをしたり、山に登り軍隊時代の体操を教えてくれたり、戦争中の武勇伝、足にある弾の傷を見せてくれたりした。勉強でもなんでも一番にならないといけない的な人で、そうではない僕は期待に応えられてないなぁと、どこかでいつもおもってた。釣りを教えてくれたりもしたし、車の中で「どんぶりぶっちゃういたういたすててこしゃんしゃん」なんてへんてこな歌をうたいだし、そのへんてこな歌がツボに入ってゲラゲラ僕が笑うと、何回も繰り返し歌って笑わせてくれたりもした。勉強ができない僕の宿題に付き合ってくれて、自分もわからず知り合いの学校の先生に電話して聞いてまで教えてくれた。片目の瞼がいつもぴくぴくしててちょっとこわかった。ふんどしを締めてた。ポマードの匂いがしてた。こわかったけどどこかひかれるものもあった。あったけど自分は何かこう勉強もできないし、剣道もやらないし、男としてどこか認められてないような気持ちもずっとあった。父親と離れることになって、会うことはなくなった。中学になり高校になって漫才をやるようになって宮崎のテレビに出るようになると、見てくれてただろかとおもうくらいで、全然会わなかった。きっともう会うことはないんだろうなとおもってた。上京してバンドをやりデビューしてまた地元のテレビに出た時も見てくれたかなとか、ちょっとは認めてくれたかなとよぎった。よぎったけどもう会わないんだろうなとおもってたし、色んな話を聞いて、うちも色々あったんだなと自分の中でももう会わなくてもいいやぐらいにおもってた。

それから何年かして連絡が入り、危篤だとのことで、小学校以来に病院に会いに行った。爺さんはベッドに横たわって、怖かったイメージとはギャップのある、僕の知らない孫から贈られたというミッキーマウスの毛布がかけられてた。顔を見ると険しい顔をしてた。声も出せなくなってた。呼びかけても反応がなかった。周りにいた人が「諭介がきてくれたよー」と呼びかけてくれても、反応がなく、もう反応ができないくらいなのか、それとも僕を忘れたのか、拒否されてるのか、わからなかったけどやっぱり自分はどこかで小学校の時から感じてた認められてない感覚を、その頃とは違って痩せて声も出せなくなっているその人に思い出したりした。心の中には色々あった。それでも最後にちゃんと会えてよかったと思った。そして、じゃあそろそろ行きますって病室を出ようとしたら爺ちゃんは、起こされたのか、自分で起き上がったのか、僕に向かって顔全部の笑顔をみせてくれた。今おもうと起き上がるなんてことはできないと思うんだけど、自分の記憶の中で誇張してるのかもしれないけど、体全部の力と会わなかった時の全部を振り絞ったような笑顔を僕に見せてくれたのは確かで、全部がおりた。おもってた色々も、なんもかんも。その笑顔が最後だった。最後の最後で僕に全部の笑顔をくれた。生きてたら色々ある。男は男で面倒くさいプライドやら引けないもんやら。その笑顔はそんなもんをなくした、もっと奥からくれたような笑顔だった。「なんだよ」って、できればもっと前からそうしてくれたらとも思うけど、今となったらなんだか最後の最後にってのが、男みたいなものを教えてくれたような気もする。そんな病室から、一本の細い桜の木にきれいな薄いピンクが咲いてるのが見えた。きっとずっと忘れない桜だとおもう。



桜。後にも東日本大震災があった一ヶ月後に石巻で見た桜。 弟の車で石巻へ向かう川沿いの道、ここまで水が上がってきたのかとわかる跡がある堤防に、桜が満開に咲いてた。ボランティアスタッフのキャンプをはる大学のグランドも満開だった。 石巻の海沿いが一望できる山の上の公園も満開のピンクだった。見渡せば全て壊れ流され、家や建物があっただろうところには建物の基礎がむき出しになっていたり、あたり一面がすべて破壊されたのが見える。きっと毎年花見の名所だったろうその山の上には、これでもかってくらい桜が満開で、その年までは賑わってただろう花見客のかわりに、自衛隊員やボランティアスタッフだけが行き交ってた。そんな中一組の家族、お母さんと子供が小さなブルーシートを敷いて花見をしてた、花見をしてたのかどうかはわからないけど、何か食べてた。何もかもが破壊された中で、何事もなかったかのように当たり前に咲いていた桜と、その家族が記憶に残り、桜を見るとその時のことを思い出す。時間が経つにつれ鮮明になるような景色。

このほかにも、友達のことやお世話になった人のことも思い出す、桜の景色。 綺麗だなともおもうし、残酷さもどこか感じる、色々あったなと思い出させてくれもする桜。 思い浮かべたり、ただ眺めたり、やっぱり桜を眺める時間くらいは作りたいもんですね。

と書いてそろそろ夜が明けて、今日は吉祥寺にて東日本大震災復興支援ライブであります。 めいっぱいの楽しむ力が集まって、形を変えて、それが誰かの力に直接繋がるイベントとのことで、ストリッパーがいたりとビビり気味ですが、負けじと一肌脱いで、めいっぱい楽しんできやす。の前にいったん寝ます。それでは今月はこの辺で、ハバナイススプリング!おやすみなさい。


相変わらずの立ち食いそば巡りにて 時々、「うむ、これだったらどん兵衛で十分だったかもしれない」と思うことたまにあり。 で、本当にどん兵衛を食べさせる専門店ありでびつくり。渋谷駅にて。

龍之介氏
大久保海太氏
とのさんちゃかっぽれ
三者それぞれのギブソン。
よくみかけるJ45がいないのがおもろい。

新宿コマ劇場跡にたった建物 行かないうちにすごいことになってました。 また壊されるんじゃないかしら。

TVKしゃかりき 4月からセットチェンジ。

花粉のせいかクチビルヒリヒリにつき 何年ぶりかのリップクリーム。
持ち歩く習慣がないからか、二日で二本なくす。

休みの築地市場へ潜入。 休みの築地もいいもんすね。

築地でよくみかける乗り物、これ欲しい。

まぁ若いうちはなんでもやってみるのもいいじゃろが、
しかし電話だ ゲ-ムだ メールだと 色々くっつけて大変じゃの-
ですです 一本でいけたらとおもうんすけどね- 色々やんないとやってけないもんでして、はい
もともと電話だったんすけどね- え-じゃあ とりますよ はいチ-ズっ

咲いてきた。

きっと東京満開の月末から5日ほど宮崎へ。


♦独占企画 諭介がお答え致します


■「「学校出前ツアー」のビデオ当時は大好きで何度も見返していました(^^) 今はビデオデッキが必要なのでなかなか見れませんがっ。 そのビデオでコメントのときに、諭介さんが「今」について熱く語っていたのを思い出します。 少し前に心について学ぶ機会があって、その先生が、心が過去にも未来にもいかず「今」をしっかり感じていることが大事だと話していて インザスープを思い出しました。 以前は、なぜこんなにインザスープのライブに行きたくなるんだろう、大好きなんだろうと自分でも不思議なくらいでしたが 「今」を感じたくて、共有したくてライブに足を運んでいたんだなと今になって、すとんと納得できました。 学校出前ツアーではインザスープの「今」を感じてくれた生徒さんが一人でも居たのなら意味のあったツアーなんじゃないかな~なんて思いました(*^^*) 」 (by.hitomi 2015年3月19日 23:38)
→そうありたいとおもいながらなかなか実感もてない日々もあり、だからライブがやめらんないのかなとおもうわ。デッキよね~デッキないね。

■「私の中で諭介さんは穏やかなイメージだったので、イラッとすることもあるんだって少し意外でした。人間だから色んな気持ちがあって当たり前なんですけどね。 怒りの正体は哀しみだってどこかできいたことがあります。ムカついたりイラッとしたり悔しかったり、自分の思うようにいかないどうしようもない気持ちが哀しみになるんだって。 そしていつかそれが切なさに変わるんだそうです。 でもその哀しい気持ちを他の誰かに味わわせないように、哀しみを優しさや思いやりに変えていけたらきっと温かい気持ちが伝染してイラッとする事が減っていくのかもしれないですね」
(by.夕陽 2015年3月21日 11:16)
→んだね、時間がかかるのよね。あたくしゃ穏やかに見えるかもしれないけど、けっこう「くっそ~」とか「このやろ~」とかおもってるのよ、出さないようにしたいとおもってるけんどね。

■「私がそこにいても何も言えなかったと思います。子供のやってしまったこととはいえ、やっぱりお父さん、お母さんがいけないですよね。そして、注意できない大人がダメですよね。そうやって、みんなが使う場所で人に迷惑をかけることはだめなんだよって、ちゃんと大人が教えてあげないと、子供はわからないまま大人になってしまって、ゴミを片づけないまま帰っちゃうとか、やっちゃいけない当たり前のこと。いいことと悪いことの境目がなくなってしまう。そういうのが積み重なって嫌な事件に繋がらないともいえないなって思いました。だからといって、むやみに他人の子供を叱ることは例えそれが正しくても、今はその先のことを考えるとできないかもしれません。自分の中におさめるっていうのは大人の対応だと思うけど、大人の嫌なところな気もします。ああ大人はダメですね。数年前、月一くらいで顔を合わす子供の方から「こんにちは」って挨拶されて、今までできてなかった自分にハッとしました。子供よりできてない大事なこともっとありそうです。そういえば、新しい歌、子供みたいな大人の歌で諭介さんにも教えてもらってますね。私は教えるどころか、しりとりで「ず」のつく言葉「ずる休み」って言ってしまいました(笑)失敗したなっていまだに後悔中。今度「ず」のつくいい言葉あったら教えてください(笑)追伸:1ブロック一周ささやかなデビュー記念面白いですね。15周年のお祝いも楽しみます♪ 」
(by.夕陽 2015年3月21日 15:26)
→いけないね~ずる休み、教えちゃったですね-、ぼくはなんやろ、ズルセコビッチとかいうかな-。え-なにそれ-って言われたらロシアのスケートの選手だよって教えるかも。

■「中尾さん、こんにちは。もしや世界各国で問題視されてる国の観光客と遭遇直面されたのでしょうか、、。ばばーんと言っちゃっても良かったのかもしれませんね、日本人を代表して!喧嘩になっちゃうかな(自分は多分言えないけど、、、)モラルやマナーはお国柄で異なるものかなあと思ってましたが、世界共通の水準みたいのは認識して厳守すべきことかもしれんと、自分に置き換えても改めて考えさせられた記事でありました。ありがとう インスー すてきな響き。15周年良い年になりますよう! 珈琲好きなのですね。こういうので出すお店ありますね、美味しかったかも。。コーヒー&シガレッツって何とも言えんユーモアな映画ありますが、中尾さんは煙草吸いますか、好きな銘柄は何かありますか? 」
(by.たかの 2015年3月26日 9:17)
→吸うね、最近アメリカンスピリッツのオレンジ色にしやした。 なにかね、そういう場面に直面した時に相手にもわかってもらういいやり方がありそうやけどね。今回はそんなやり方になりやした。こういうこともまた自分との戦いやね。

2015年3月1日日曜日

Vol.180「ベクトルの向き」の巻

2月、おそらく一番寒い季節をぬけ、三寒四温繰り返し、あったかい日が増えてきたこの頃、やはり今年もきちんと来てますよね、あの、目に見えないいたずらっ子達。やたらめったら飛び散って、数打てば当たる的な拡散の仕方で存続をはかる花粉ちゃん。そういうことはコソコソっとやってもらいたいとこですが、かまわずどりゃーですから毎年こちらまで受粉しちゃって被害被り地味なストレスをもらっておりますが、なんだか悔しいのであんまり気にしない作戦で今年も立ち向かおうとおもいます。

考えてみれば、一年中何かしら文句が言える。冬はさっぶいなぁー、春は花粉で、梅雨はじとじとまた雨かー、夏はあっちーな、秋は、と書いて「ないな」とおもうも、無理やり言えば物悲しい、冬がやってくる予感にあーあー等々。うむ、言える。 これ、その季節ごとに文句が言えるというのも、「あついですねー」などご近所さんとのコミュニケーションのきっかけになったりもするので悪いことばかりじゃなさそうです、同じストレスをみんなで感じてつながることもあるんでしょうね。「花粉、大変ですねー」そんな今日この頃、いかがおすごしか。

今年はインザスープのデビュー15周年。もうそんなに経ったのかというのが実感ですが、思い出すあんなことやこんなこと。15年前の5月20日がデビュー日だったのだけど、19日にライブかキャンペーンで僕たちは名古屋にいた。その打ち上げで夜中の12時を回りデビューをむかえた。が、何かわかりやすく、くす玉が用意されていてヒモを引っ張って「祝!デビューおめでとう」などがあったわけではなく、「デビューしたね」ぐらいのものだった。デビューが決まったのは嬉しかった。大学を卒業して結成し、自分にいたってはバンド経験も乏しくライブハウスという文化にもほとんど接していない、わかりやすくレールが敷かれてるわけでもなかった。日本の音楽シーン、ロックシーンで流行っていたものや、それまでの歴史をなんとなく眺めれば、好きな音楽もやりたいこともおそらく大勢の人に受け入れてもらえるものではないだろうなとおもってた。それでも結成して前に進めたのは、音楽ってすげーなとか、メンバーで音を出した時の宇宙感、何もないとこから生まれてくるもの、バンドなんてその数だけそれぞれがそう思うものだろうけど、こんな感覚は他では存在しないだろう感、それがあればきっとわかってくれる人はいるかもしれないとおもったし、それをやり続けるしかなかった。自分たちの音楽を広めるために共に進んでくれる人達と出会えたこと、全国に向けて発信できるデビューができたことは嬉しかった。
前にも書いたとおり、その日僕たちは名古屋にいて、「デビューしたね」なんて言いながら名古屋の繁華街を歩き、今ひとつ実感がもてなかったので、タクシーに乗り「次の角を右に曲がってください」と同じことをそのあと2度言い、元いた場所で降ろしてもらって名古屋繁華街の1ブロックを一周するささやかなデビュー記念パレードをした。

その頃、ニュースでは十代の若者がナイフで人を傷つける事件が何度も報道されていて、うすら寒く、嫌になり、おこがましくも全国に音楽が発信できるならと、この音楽の力でなんとかできないだろうかと、事務所のスタッフと話し合い「学校出前ツアー」と題して中学校や高校、老人ホームや病院、幼稚園をまわり学校の体育館などでライブをやらせてもらった。毎回ヒリヒリした。パワーが何倍も返ってきたところ、声を枯らして叫んでも返ってこなかったところ、やっぱり音楽ってすごいなと思えたところ、自分の無力を感じたところ、様々、音楽で世を変えれるかもしれないという思い上がりもたしかにあった。変えられるものがあるとしたら、世でも人でもなくて自分、ベクトルは自分に向けるべきなんだと改めて感じ、また、自分が不安だったから接してみたかったんだなぁと、やってみないと気づけなかったこともたくさん気づかされたツアーだった。

最近も嫌になる出来事、ニュースをよく目にする。どうにかならないのか、どうにかできなかったのかとふと思う。結果、自分にできることと言えば、隣両三軒、もっとご近所さんと挨拶をしようとか、自分の中に芽生える、笑いにも変えられない許せない心やなんかを自分の分として処理をして、人に向けずに日常を明るく過ごしていけないものか、戦うべきはやはり自分の心なのだろう、そうして生きていきたいもんだと考えた。

そんなことを考えてた先日、コンビニでの出来事。 そこは広いコンビニで、テーブルと椅子が並べてあり、買ったコーヒーなどを飲んで休憩できるスペースがあった。自分はコーヒーを買い、はしっこのテーブルでそれを飲み、携帯電話でポチポチと作業をしていた。すると子供二人がキャッキャとはしゃいで自分の横のテーブルに陣取った。そのあと父親が来て座り、その後母親が来て座ったのだけど、他にも席は空いているのに、何も言わず自分の前に座り、結果その家族4人に囲まれた形となった。会話言葉が日本語ではなかったので外国の方々であるのはわかったがしかしそれにしてもそのズカズカ感にちょいと驚いた。オセロのはしっこを囲む形、他の席は全て空いているのになぜここなのかしら? もしかして僕が見えてないのかと透明人間な気分にもなり、これこちらの普通であれば「ここいいですか」くらいの一言、もしくはゼスチャーくらいはあってもいいんじゃないかと思うも、「いや、きっと住むとこ違えばの異文化コミュニケーションで、これが当たり前なのかもしれないから、こちらの普通だけでイラっとしていては最近考えてることとは反するな」と携帯作業に没頭したが、横の子供二人がやたらと楽しいらしくキャッキャのエスカレートで足がこちらの足に何度もあたり、これも普通ならば父親が「こら!静かにしなさい」と注意してもいい所を父親は関せず何やらむしゃむしゃと食べるのに一生懸命で、自分の透明人間感はグングンあがり、いやいっそここは貝になってしまおうと透明人間を決め込んでいたらば、その子供怪獣がさらに奇声をあげて、はしゃぎがMAXになり、横からなだれこんできて、いよいよ自分の目の前のコーヒーが倒れた。どぼどぼとコーヒーがこぼれ、テーブルに流れてテーブルからも床にこぼれ、床にコーヒー溜まりができた。
コーヒーが倒れた瞬間に立て直すこともできたが、この人達は一体どこで自分が透明人間でなく、ここにいることに気づいてくれるのか試したくなり、気づくまでそのままにした。結果、床にコーヒー溜まりができてからようやく母親のほうがコーヒーを立て直してこちらに慌てた様子を示してきて「もう一杯買ってこようか?」というようなゼスチャーをしてきたので「どうも」とだけ言ってまたじっとテーブルに溜まったコーヒーをみて父親のほうを眺めた。母親はコーヒーを買いにいき、父親がテーブルにこぼれたコーヒーを拭きはじめ、母親はコーヒーのコップとコーヒーのカプセル(カプセルをセットして自分で作るタイプのコーヒー)を面倒くさそうにカタンと目の前に置いた。あったまきちゃうなーともおもったが、そのまま携帯作業にもどった。さすがに怪獣達もシーンとなった様子ですぐに家族全員席を立ってどこかへ行った。行った気配を感じ、もうちょっと楽しげに対処するべきだったかなぁなどと反省し、家族がいなくなったテーブルを見れば食べ残したゴミ散乱の上に床にはコーヒーが溜まったままだったのをみて、だっふんだ!またイラっときて、うんにゃ、やっぱり言うことは言わないといかんなと立つ鳥後を濁しまくりの様を見ておもったのでありました。
しかし、ここで自分が怒ったとしても何にも伝わらないだろうし、かといって「いえいえ、気にしない気にしない、どうぞお構いなく」と自分で拭いておさめるほどいい人にもなれなかった。「あぁやっちゃたなこのボンクラ!あーたたちもちゃんと注意しなくちゃだめでしょー!」と言葉が通じないとしてもファ二ーな言い方で明るくほがらかに笑いにかえられたらよかったのか。最近すごいなこの人と思っている柳沢慎吾だったらどうしてただろう。どうするのが自分が考えてたような「自分で処理する」ことに繋がったんだろうとその後おもいだしたりもするが、どちらにしても、たかだかこんなことくらいでイラっとしてしまう自分が嫌だなぁと、道ほど遠しやなぁとおもわされた出来事でありました。日常の中にはいろんなドラマと修行が隠されてるんですね。
世の中で起こること、ニュースで知ること、遠い国のことだったり、自分とは直接関係のないことも、嫌だなとおもう感情はやり場がないが、自分の日常に重ねてみると心のあり様は通じることも多いんじゃないかと思う。直接的ではないけど、そのためにできることがあるとしたら日常の中でなるべく自分が明るく前向きに生きること、新しく何かを生み出すこと、こんなのあるぜ!っておもろいことを見つけること、おいしいコーヒーを知ること、おいしいパン屋さんを見つけること、そんなことでさえもまた繋がっていくんじゃないだろかとおもう。争いも残虐な行為も同じ人間が繰り返してきたことだからなくなりはしないとよく聞く、もしも自分がその環境にいれば同じことをすることもあるかもしれない。自分が本当にその立場に立ってみないと何も言えないことかもしれないけど、人間はすぐに忘れ、学ばずに同じことを繰り返していくだけなんだろか。上記のような出来事でさえもいっぱいいっぱいになってしまう自分は自分の日常の中で試されているような気がする。少し大袈裟かもしれないけど、そんなことばかりを考えて生きてはいないけどそんなことをおもった。おもい描いてはブレまくって、作っては壊して、思い上がっては無力さを感じて、ただ暮らすために働いて、そんな日常の中から歌をつくって歌っていけたらとおもう15周年YEAR2月最後の日であります。

2月1日アフターミ-先輩と中尾と草場。

アスファルト工事のにほい 大学の頃、警備員のバイトをおもいだす。

岡本太郎美術館へ いいこと言うな-とパシャリ。

黄梅 早いね 咲くの。

健さん ギラギラ 立ち飲み屋の壁にて

コロナセッションズをふらりとみにいったりして、やっぱり楽しい人達だ。

久しぶりの新幹線にて浜松へ、これやはりそとからとらないと新幹線感がでませんね。
携帯のカメラも性能がよくなって 全然ぶれなくてスピード感もないし。
でも新幹線ははやかったです。

コ-ヒ-はこれでいれると美味しいなんていうテレビ情報をさっそく実践。そんな気がします。


♦独占企画 諭介がお答え致します

■「マラソンはいいですよね~、私も小学生の頃、陸上部だったので毎日朝練で走ってました。 子供の頃は早起きもキツかったけど、季節ごとに違う風のにおいやほっぺに感じる優しい風や太陽の光に、なぜだか嬉しい気持ちや幸せな気持ちが込み上げてきて、前の日のイヤなことや悲しい気持ちも、どっかへ吹き飛ばされて流れていっちゃって、まっさらな自分に戻れる感覚が、キツくなっても足を前に進ませてくれていた気がします。今でも時々、ムショーに走りたくなります。 鍛え過ぎてムキムキマンになった中尾くんもステキでしょ~ね! 腰が完治して良かったです♪」
(by.まぁ 2015年2月4日 16:27)
やっぱり走りたくなるんだね。体が覚えてんだね。

■「スゴイ!諭介さん、密かにマラソンやってたんですね! 私は走るのは苦手。もともと運動神経ゼロなんだけどマラソンは特にダメで、学生時代にマラソン大会の練習で体育の時間に校外のマラソンコースを走る授業があった時も、時間内にゴールできなくて、友達が「次の授業が始まったよー!」って自転車で迎えにきてくれた事がありました(笑) マラソン大会当日は当然、、”風邪”で見学しました。 もしも本当に東京マラソンに出ちゃったら、諭介さんのことだからきっと順位はともかく完走しちゃうんだろうなあ。出来る男。(笑)
質問 関西風の甘くない玉子焼きと関東風の砂糖が入った甘い玉子焼き、どっちが好きですか?」
(by.夕陽 2015年2月7日 10:38)
甘くないのだあね。いやはやすごい遅いね、友達が自転車で迎えにくるって。どんだけ遅く走れるか大会があればいいのにね。

■「走るの得意だったなんて知りませんでした。もしかして前に代々木公園から稲毛まで走ったときも実はちょっと自信あったんじゃないかと今思いました。結構心配したりもしましたが、そのときの心配を返してほしいくらいです(笑)得意っていうほどじゃなくても、小学生の頃に続けてきたことがあって、大人になった今でも影響が残っていて、走るのはいい!なんて言えるのは、素敵なことだと思うし、私の知らないそういう感覚を羨ましいと思います。マラソンで前に進むことで、現実をちょっと進めることもあるのかもしれないですね。諭介さんの言う、きっと心のほうで自分の何かが基準を下回ると許せなくて走ってるっていうのもわかるような気がします。心の鍛え方って決まってないですもんね。毎日の生活で立ち止まってしまったときには、私も走ってみます!(って言いきりたいけど、走ることも選択肢に軽く入れつつ自分に合った方法で前に進められたらいいかな(笑))追伸:いつか完走してもいいですよ!いつでも応援します! 」
(by.A.T 2015年2月22日 18:42)
自信はあったよだいぶ歩いたけどね。その前に渋谷から横浜までギターしょって歩いたしね。そんときに足が痛くなって、だいぶ鍛えられたみたいやわ。

■「腰完治して良かったです(^-^*) ストレスからくることもあるみたいなので大丈夫かなぁなんて勝手に心配してましたが、マラソンでスッキリできるのはいいですね! 諭介さんのマラソン話を読んでると、あまりマラソン経験のない私でも走りたくなりました(^^) 自分の芯を確かめて、それ以上でも以下でもないそのままの自分を受け入れることができるなんてすごいな~なんて(*´▽`*) できない自分も自分なんですよね。 それが悪いわけでも良いわけでもなく、それが自分。受け入れなくちゃ。 今回の話で絵本の「ぼくを探しに」を思い出しました☆」
(by.hitomi 2015年2月25日 21:17)
ストレスかぁ、それもあるだろなぁ楽しまないとね。関係ないかもやけど、今日散髪にいって、肩をもんでもらって「全然こってないですね~」だって。そう言えばこってるって言われたことないのよね。なんかなんにも頑張ってないみたいじゃないのよ。こってますね~って言われたいわ。