2022年4月4日月曜日

Vol.265「潜って越えて景色繋げて」の巻

  桜咲く東京、ふんわりピンクの花びらがそれまで生きてきた幹や枝や根のチカラ強さを讃えるように浮き彫りにして魅せてくれますね。トルネード、ぐねんぐねん、ねじれてよじれて上に上に炎が燃えているようにもみえる桜の幹もあったり、遠くから見れば「ああー桜だー」と同じように見える桜の群れも、近づいてみればそんなことなく一本一本、同じ形のものなど一つもない。それぞれの人生をみせてくれてるようでグッとくる桜の季節、冬を耐えて越え春のファンファーレ、やがてその花びらが散れば新しい緑の葉が生えて新緑の風に始まりの予感を感じることができるその時が好きです。始まりの予感が始まる予感な桜咲くこの頃、いかがお過ごしか。

 ちょうど10年くらい前の鈍曇った寒い日、僕は築地にいて現場仕事の道具をガラガラに乗せてそれを引いて歩いてた。その時にふと思い出したのが、2000年にデビューをしたその前後5年ほどのこと。
 いろんな人が僕たちの音楽を広めるために尽力してくれたこと、その中で僕は、はじめこそ前のめりな姿勢だったものの、時が経つにつれ休みのない毎日に不満を抱くようになり、こんな毎日で何が作れるだろうかと、インタビューやテレビ、ラジオ、ライブ、レコーディング、ツアーの繰り返しの毎日に疲れていくようになった。自分が何でメシを食えているのかという実感が湧かなくなり、こんなことなら重いものでも運んで日当をもらい、それでメシを食った方が生きてる実感が湧くんじゃないのかと思うようになった。契約の終了を告げられた時も、これで実感してメシが食えるぞと前向きに捉えていた。音楽のための生活より、生活あっての音楽の方が生きてる音楽が作れるんじゃないかと、契約終了も肯定しバイトを始めることにした。

 そんなバイト生活の中でも面白いことがたくさんあったのだけど、それはまたの機会に書くとして現在働いている仕事先に行き着いて10年越えになる。この仕事は飲食店の油残飯などをすくってそこをキレイにする仕事で、月に任された店舗に自分でアポをとりノルマをこなす、ねずみやゴキブリにも出くわす汚い仕事で、始めた一週間は仕事の後にご飯が食べれないほどだった。けどそれに慣れると自分の本業である音楽を中心にスケジュールを決めて働けるし、人がやりたがらない仕事なので時間に換算すると時給もよく、音楽生活を支える仕事としてはうってつけだった。

 しかし自分は1人作業をいいことに支給されたユニフォームも着ないで私服で作業をしたり遅刻をしたり、本業は音楽なのでこちらはやることだけやってればいいんだろうという自分勝手な思い込みで、注意されても従わず働いていたところに上司より「あんたクビだな」と電話で告げられた。西麻布の交差点で僕は「勘弁してくださいよ」と言ったことを覚えてる。「来月から給料半分、そのまた翌月にその半分にして3ヶ月後に辞めてもらう、その間にどれだけがんばっても復活はない」と言われた。自分にとっては音楽をやる上で大事な仕事だったので困った。しかしやるしかなく心を入れ替えてユニフォームを着て、思いつく限り完璧にやろうと仕事をした。3ヶ月後の忘年会でその上司にビールを注ぎにいき、自分がどれだけ仕事をナメていたのか、今後心を入れ替えるので働かせてもらいたいと頭を下げてお願いをしその旨を受け入れてもらい、なんとかそこで働かせてもらうことができて今がある。

 30代半ば、今思えば当たり前のこともやらずどうして成り立つと思っていたのかと思う。それから心を入れ替えて働くようになったある日、話はもどって築地の寒い日。僕は音楽だけで生活していた時のことを思って立ち止まった。あの時はあの時で精一杯であったにしても、ラジオやテレビ、インタビュー、音楽とは直接関係ないことにも、もっとがんばれなかったか。あれは人が尽力して繋いでくれたものだったこと、そこから自分がもっと繋げていけなかったこと、自分次第でもっと楽しんで頑張れたはずだと。今の仕事に向き合う姿勢でがんばれなかったのか、もっと感謝してがんばれなかったのかと自戒の念にかられた。もしもう一度そんな話がもらえたなら、感謝して、考えつく限り頑張ろう、そこから音楽に繋げていくために頑張ろう、と立ち止まり後悔と反省をして心に刻んだ。

 その築地の振り返りから間もなく、たまたまライブで初めて僕を見てくれたテレビ神奈川のプロデューサーから「キメパピチ」という番組のMC役の話をいただき出演することになった。その半年後には「しゃかりき」に番組名と内容が変わり始まった。部活を応援する番組で、音楽には直接関係なくても、あの日刻まれた気持ちで挑んだ。自分として思ったことを正直に、わからないことがあれば調べて、放送された内容をメモにとり、部活にがんばる中高生を応援した。すると主題歌制作の話をいただき「ホシタチノウタ」を制作、音楽に繋がり僕は嬉しかった。その後毎回初めての気持ちで7年半続き、このコロナの影響で番組が終わった。スポーツに頑張る中高生の姿に刺激をもらえ、挑戦する気持ちをもらい、自分の音楽生活にも刺激になるいい番組だった。
 それだけに残念だったし、7年半も続いたので毎回最初で最後の気持ちで挑んでいたものの、やはり心にポッカリ穴があいた。

 その一年後、そのプロデューサーから今度はBSのテレビ局でのアマチュアスポーツ応援新番組「がむしゃら」の話をいただき、この4月から番組が始まることになった。同時に主題歌制作の話もいただき、今年の初めより制作にとりかかった。約2ヶ月、その一曲に集中した。作っている時に音楽番組への出演が決まったと連絡をもらった。僕は嬉しかった。あの「勘弁してくださいよ」から変わり、「しゃかりき」や、藤沼伸一さんとの音楽体験も、演劇「荒れ野」での体験も、あたってぶつかり、くらいついて頑張ることの大事さを教えてもらって今に繋がってると思う。

 一度だけ弟に連れていってもらったことがあるサーフィン。ボードに腹ばいになり沖を目指す途中で大きな波と対峙した時に、ボードごと潜って波の向こう側へいくんだと教えてもらったイメージ。表層で波に対峙しようとすれば波にのまれてぐっしゃぐっしゃのボッコボコになり浜に引き戻されて打ち上げられる。
 潜る。自分に潜る。うまくいかない時、現状を打破したいのに出来ない時、その思いを外にこぼしてたやすく逃さない。内側に入れて燃料にして潜る。自分がやる。思いつく限りの頑張りを実行して波を越えてまた違う景色に繋げる。仕事も音楽も番組も全部繋がってる。そのどれにおいても、波に出会うごとに潜ってその先に繋げていこうと思うこの春です。と、あとは写真のコーナーへ。長文読んでくれてありがとう、今月はこの辺で。

 

よおうし作るぞと勇ましく/ノートを買ってどんな曲が出来るだろ/しゃかりきの時にメモしていた言葉も読んで/思ったことをなんでも書くことからはじめて/これだというとっかかりを見つけてからが長かった/行ったり来たりしながらも/スタジオにこもってようやく言葉一つを見つける事を繰り返し/骨組みが大体見えてきたとこで/今回のアレンジは吉田くんにお願いしようと決めまして。

吉田くんとのやり取りを重ねてアレンジの方向性が見えてきたとこで鍵盤を大ちゃんにおねがいして音源を送ったところ、数分で曲を譜面におこして返信してくれて仕事の速さに感動。

ここからたのんでいたKも含めて4人でスタジオに入り、4人でアレンジを詰めていき、ようやく全貌がみえて出来る!となれてホッとした記念日。

いざ番組の顔合わせへ。

運命的だったのはあの日心に刻み立ち止まった築地にテレビ局の本社があったこと。心に刻んで10年。

この春新たに開局したBS松竹東急。

そしていよいよレコーディング作業へ。

レコーディングエンジニアはオサムさんへお願いした。ファーストアルバム「東京野球」を一緒に作ったオサムさんとまた一緒にできたのも嬉しかった。

Kもベースでブイブイと曲を持ち上げてくれた。

数日のレコーディングを終えてようやく完成!

完成して2日後に音楽番組の収録へ。

夜遅くからの収録へ。武道館を眺めて厳かな階段をあがり

収録へ。

レコーディングのエレキギターは吉田くんが弾いて、収録は二人一役ができないので弟の豊にお願いした。

楽屋入りした時にはピストルくんが収録中で、収録終わってすぐに楽屋に会いに来てくれて、また会えて嬉しかった。

みんなが本当に心強く感じた帰り道。武道館の明かりでパシャリ。

おまけで、兄革靴、弟サンダルの図。

そして札幌へ。地元のお客さんがSNSで「インザスープのCDを聴きながら帰宅」と呟き、それをみたフライアーパークのオサムさんが「諭介さんまた来てくれないかなぁ」とリツイート。それをみた松本耕平君が僕に「諭介さん、俺と札幌で2マンライブしてくれませんか」とメール。それを受けて「いいねやろうやろう!」とSNS上のリレーで実現した札幌の夜、楽しかった。

そしてこの松本耕平という男。高校時代に埼玉のライブハウスにインザスープを観に来て、ライブ終了後に関係者をくぐり抜けて楽屋にいる汗だくの僕のとこまでやってきて、進路に悩んでた耕平くんは僕に「歌っていきたいんだけどどうすればいいか」的な事を聞いたところ、自分が「すぐできるよ」と言った一言で歌の世界へ飛び込むきっかけになったと。/その間も10年ほど前か自分の弾き語りライブに来て、対バンだった森翼君から「俺の友達で観に来た男がいるんですけど、諭介さんに会うのはまだ今じゃない、来るべき時に会うんだと帰っていった松本耕平ってのがいるんです」と聞いていた。/自分もそういうタイプだったので嬉しく思い。そういう男がいるのか、いつ会えるんだろうかと楽しみにしていた。去年末にようやく対バンできて、今回ようやく2マンができて嬉しかった。/がっかりされたらやだなとも思った。それはお互いに思ってた事だったみたいだけど、あの時から歌を繋げてきた事を歌の中で感じてくれてよかった。自分も間違ってなかったと思えた夜だった。/約束しなくてもまたどっかで会えるだろうなと思えるのが嬉しい。また頑張って進化していかないとなとも思わせてくれたありがたい夜でありました。

そして始まります「がむしゃら」。一回目のゲストは伊集院光さんです。観れる方はぜひっ。

ギターをリペア、メンテナンスに出して、

特訓して潜って潜って 

   

全てはこの日のために!来れる方は何卒よろしくお願いします!  


諭介がお答え致します

■「また締め切り過ぎてると思っていました(笑)。暖かくなってきたなと思ったら、今日はすごく寒くてさっき雪が降っていました。でもそういえば、私もこの3年風邪ひいてないんじゃないかな。ただ今年は目がすごく痒いです。目はマスクしてないからかな。風邪も引かず元気ですが、コロナ・戦争・地震と、3月に入ってから気持ちは苦しくなかなか元気でいられないことばかりです。でもそんな中でも、諭介さんからの告知で知ったこの春から開局BS松竹東急のニュースには、わぁ楽しみ!となりました。開局がこれからなので、本当にうちのテレビで見られるのかドキドキしながら日々チェックしてます(笑)。「人が想像できることは全部実現する」お父さんからの教えを「戦争のない世界」みんなで想像できる世界に繋げないとですね。諭介さんの江の島の歌も歌っていかないとですね。宇宙の果てまで届きますように。戦争反対。早く終わりますように」
(A.T 2022/03/22 17:16)
→終わらんね、こういう時にちょっと楽しくなるいいニュースを届けられてよかった。楽しみにしてくれてありがとう。観れたでしょうか。今回は心入れ替えて頑張る話だったのにまた締め切り遅れとりますが、、またいいニュースを届けられるように頑張りますっ。

■「『宇宙の果て』はないんですね。小さな頃は空のずっと向こうには大きな大きな神様みたいな人がいて私たちを人形のように動かしているのだと思っていました(^^)でも、想像したことは実現するという話量子力学的なことなど、私は大人になってから知ったので諭介さんみたく小さい頃から知っていたら今何か違ったのかなぁ。でも、みんなの心の想像の根っこが愛で満たされていたら私は戦争はなくなると思っています。だから微力でもまずは目の前にいる人、周りにいる人たちの心を愛で満たすこと。それを目標にしていきたい。そう思っています。
BS松竹楽しみにしています!4月7日のワンマンも諭介さんの想うライブが成功しますように」
(hitomi 2022/03/26 7:18)
→ワンマンのこと考えてスタジオ入ってってやってくうちに曲順が決まって来てそこに向かえるって幸せなことなだなと思いながら音も歌も磨いてますよ。それこそほんとに来てくれる目の前の人にいい音でいい歌を聞いてもらえるように、ほんで愛で満たしたいわ。成功祈願ありがとう。

■「少しずつ春めいてきましたね。春めいてきたけど心があまり躍らないのはコロナだけじゃなくて、戦争、地震・・・色んな不安が邪魔してるからだろうなぁと感じてます。
私も戦争反対!です。子供や何の罪もない人達の命を無差別に奪うなんてあってはならないことだと強く思います。
妬みや恨みや人間の汚い感情がこの世から無くなって優しさや笑顔や思いやりが溢れた世界になって欲しいです。
「想像できることは全部実現できる。」そう信じて平和な世界を想像する春です。

BSの番組、うちは観れないけど楽しみですね」
(夕陽     2022/03/26 11:16)
→BS、意外と見れない人多いね。うちもそうで電気屋さんに聞きにいったけど、説明受けてる内についていけなくなってしもて理解できなかったから、また負けじと聞きにいってみようと思います。ほんとだ、妬み恨みいらないね。
優しさや笑顔思いやりでいっぱいにしてやろっ。


■「音楽の轍 見ました!ずっと楽しみにしていた新曲が聴けて嬉しかったです。何回も録画を繰り返し見たので、もう曲を覚えて口ずさめるようになりました。来月のワンマンで聴けますかね? 新番組も必ずチェックします」
(匿名 2022/03/28 20:49)
→音楽の轍観てくれて、新曲を楽しみにしてくれてありがとう。新曲「宇宙エール」は2パターンあって音楽の轍ではテレビバージョンだったけど、4/7のワンマンでは弾き語りだけどフルバージョンでお送りしますよ。お楽しみにっ。

■「「余白」は「永遠」でもあり、「希望」でもあると感じます。
戦車につぶされていく多くの声を想像することができる力をもっていることも、希望なのだと思います。
そして、歌は希望の風を吹かせることができる。と、諭介さんの歌を聴いていると思います。
ずっとずっと、遠くまで、この風が吹いていきますように」
(まり 2022/04/01 6:45)
→吹かすよ、希望ってのを感じたくなるこの頃やね。自分が受け取った絶望を希望に変えて余白を希望で塗ったくっていきたいわ。吹かすからね。広げていこっ。