2009年7月9日木曜日

Vol.113「赤羽ツアー2009」の巻

梅雨真っ盛りでベトベトで湿気ムンムンの時など、不快指数たけーなこりゃとおもうも、カタツムリやアジサイは喜んでんだろうなぁーとおもうと、いいとこもあるんだねぇとカタツムリの喜びに便乗したくなる今日この頃。いかがおすごしか。

6月は非常に思い出深い月になった。

赤羽ツアー、その前に帰郷した一週間、銀座でのライブ。

いろいろありすぎて何から書けばよいのか。先ほどまで、帰郷した一週間を書いていたらとてつもなくながくなってしまい、途中で全部消してしまった。今おもえばもったいないことをしてしまったと後悔しそうにもなるが、はじめからやり直しだ。おかげでこのアルファベットを打ち込むのがだいぶ早くなった気がする。

さておき、赤羽ツアーはなぜに赤羽だったかっちゅうと、顔合わせミーティングの時みんなレッドウィングのブーツを履いていたからでした。名前ってけっこうなんでもありだよね、なんて言ってたのに、気がつけばみんなこだわりはじめ、迷った挙句にこれでいいんじゃない?的に決まった。
決めてしまえば名前に愛着がわくかどうかはツアー次第だ。
結果、赤羽ツアーは愛着のわくものになった。

なんなんでしょうか。大久保海太氏と龍之介氏。(以下敬省略)

大久保海太とはデビュー当時から知り合いではあったが、あまりよく話したことがなかった。それが3年前に同じイベント出演した打ち上げで、気がつけば朝方、大久保海太と面と向かって話しており、その時大久保海太が目が覚めるくらいおもしろいことを絶妙のタイミングで僕に言い放ったのがきっかっけで、距離がちぢまった。僕はほんとに一度でも腹から笑わされてしまうと、急激に距離が近くなることを知った。ってあたりまえか。

龍之介も同じくイベントの打ち上げで飲んで、何やらミステリアスにぼそぼそとおもしろいことを言っていて、二人とも自分の名前を看板に歌ってきたものの、骨太さがあり、それでいて絶妙な間の取り方っちゅうか、なんちゅうか、単純におもしろい。今まで自分はバンドであっても、積極的に打ち上げなどで知らない人と話したり友達になろうとかしてこなかったので、気を使わずそうなれたことがおもろかった。

福岡では3人でやる初めてのセッションだった。何も決めずにコードをまわし、即興で歌い合った。これもまた笑いと同じように、互いがぶつかることで、わかりあえる手段でもあるようにおもう。
おわり、やまちゃんでのんだ時、梅酒サワーを注文すると、店の人が「うちのは梅酒をキリンレモンで割ったやつだけどいい?」と聞かれたので了解しそれを飲むと、おいしかった。早速東京にもどり自分でそれをやってみたところ、そうでもなかった。福岡には一種独特の雰囲気と活気があり、ラーメンもそうだけど、あの地だからこそおいしいもんがいっぱいある町だなぁとおもった。近いうちにまたこなくてはと誓い、一旦東京にもどった。

名古屋の夜も満杯のお客さんであった。懐かしい顔にもたくさん会えた。それぞれがそれぞれのステージをやる。ほんとうにそれが、それぞれで立っているので、非常に刺激になった。それがなかったらただの馬鹿話軍団ツアーだけど、それぞれのステージから得るものがあった。その夜24時を超えぼくは36になった。寝る前に二人が、小さな声でハッピバースデーを目の前でうたってくれた。


大阪、非常にいかしたつくりのライブハウスで、半野外みたいになっており、大阪の街に歌が響いて行く感じだった。楽屋もステージの裏にあり、電気がつけれず暗闇の中ですごすんだけど、そこできくステージからの、それぞれの歌が心地よく聞こえた。その日二番手だった龍之介がステージからもどり、暗い楽屋の中で、深刻そうに「申し訳ないんだけど、歌で納得いかない所があったから、ゆうすけくんのステージが終わった後、ちょっとしゃべらしてくれないかなぁ」と言った。すごくいいステージだとおもっていたが、発する側にはいろいろなこだわりがあるんだろうなとおもい、いいよと言った。

その日僕は三番目の出番で、トリだった。来てくれたみんなと大阪の街に響け!と歌をかました。
ステージが終わり楽屋に汗だくでもどった。アンコールが聞こえてた。
すると龍之介が「じゃ、ちょっとわりーけど」と楽屋を出てった。なにを話すつもりなんだろうかと楽屋で聞いているとギターの音が聞こえだした。普通、このような場合、何かよっぽど強い思いが溢れてしまうからとかならわかるが、自分のライブが納得いかないからといって、最後にもう一曲歌うなんてことは考えられない。僕はステージからギターの音が聞こえてきた時、横にいた大久保海太に暗がりの中で「歌うの? え? 歌うの?」とあせりながら聞いた。さすがにそれはないだろーと。すると大久保海太は龍之介のことを「ちょっと、変わってるから、、、」と少しあきらめたような声で言うので、うん、確かに変わってるけどもやねーとおもってた瞬間、ステージから聞こえてきたのは、「ハッピバースデーユースケー」だった。その歌がはじまったとたん大久保海太が僕の両腕をがっちり掴み強制連行にてステージに出されてしまった。完全なるサプライズで、さっきまで「え、まじかよ龍之介」とおもっていた小さい自分と、嬉しいのと恥ずかしいのやらで、非常にどんな顔していいかわからないままマイクの前までつれていかれ、お客さんに配られてたクラッカーが一斉にはじけ、きれいで、何だか完全にやられた感じだった。あの瞬間の気持ちのジェットコースター、ヤメテ止めてヤメテ止めてと、残念ながら嬉しく犯された気分であった。サプライズに自分がひっかけることはあっても、一生自分がひっかかることはないだろうとおもっていたので、びっくりであった。まいった。綺麗な景色がのこってて、忘れられない誕生日にしてもらってしまった。


東京、三か所とはいえ、三人で旅してきたファイナル。四か所目。

おもえば色々な場所でヘイヘイホーしてきたなぁーとその集大成をどかんだった。
東京にもどると、宮崎出身ではあるが、それはそれで、帰ってきた感があるもんだなぁとおもった。

僕はタイバン形式のライブっておもろいとおもう。それぞれに違う場所で、違う歴史を刻んできたもん同士が同じ日に、同じステージで、入れ替わるとは言え、同じ空間を作るわけだから、普通のタイバンであっても奇跡的なことなんだとおもう。それがツアーになって、同じメンツで移動も寝るのも飯食うのも同じ時をすごし、各場所にて、それぞれに闘いながらも同じ空間をつくるってのは、すんごい奇跡だ。その瞬間を感じにきてくれたみんな、それぞれのスタッフのみんな、各ライブハウスのスタッフのみんなには、会えて嬉しくもあり、んで非常に感謝してます。ありがとう。 

 
やっぱり、旅はいい。流れてく景色、山を超えてく感じ。緑が後ろに流れて、溶けてく感じ。ついでに脳みそもとろけて、余計なことを考え過ぎてたかもなとも思わせてくれ、さらにくだらない話で腹よじらせて笑える仲間がおるってのは、やっぱいいもんです。さらにさらに、各場所にてライブして、そこへ、集まってくれるみんながおるってのは、こんないいことないべってなもんです。

そんな旅も終わり、またそれぞれになって、旅してく。またどっかで会えるだろうとおもわしてくれる。
そうやって繰り返しながら、人生を旅できたらとおもう、そんであと自分は、2個3個、突き抜けなくてはと強く心におもうワルサーP36だ。


海と龍。

チンピラ#1。

チンピラ#2。

流れてく景色。

由比。
東名高速の途中。