2011年5月27日金曜日

Vol.136「ある日の釣り日記」の巻

蚊も少なく、湿気もなく、からっからの風ふいて、花粉もなく、気温も程よくて、もしかしたら一年で一番すごしやすい時期かもな、ありがたや、なんておもうこの頃いかがおすごしか。

今回は宮崎帰郷から被災地へ行った時のことを書けたらと思う。

3月に帰る予定だったが地震の影響で一カ月ずらして帰郷。
ライブがあるわけでもなかったが、正月帰ってなかったこともあり2、3日ゆっくりしようと。

地震後、自分はよく寝た。時間さえあれば寝た。赤ちゃん以来じゃないかってくらい寝た。誘ってもらったライブ以外なんにもやる気にならなかった。んが、最近になって釣りがしたいとおもった。

東京ではなかなかできないので、釣り番組を見ておもいをつのらせた。
その番組の中である言葉が紹介されてた。
「一生を幸せに暮らしたいとおもうなら釣りを覚えなさい」
どっかの学者さんの言葉らしい。なんとなくわかるなぁとおもった。

帰郷したらしたでなんだかんだやることがあって釣りどこではないなとおもっていたのだが、ぽつりと夕方の3時間ほど時間が空いたので釣り道具をもって近くの五ヶ瀬川へ。

釣れなくてもいいやと竿をだす。大きな川の流れと空と時間の中でウキを浮かべ眺める。釣れなくてもいいやとおもいながらもウキを眺めてると、もっとあぁしてみよう、こっちに投げてみようとかいろいろ考える。それが楽しい。

ウキが沈んで小さなフグを釣って遊んでた。浮いてたウキにアタリがあって、水の中に吸い込まれてく瞬間がいい、たとえフグでも来てよかったなと思っていると、後ろの堤防の上に夕陽のガンマンよろしく三人のチャリ族、つまりは中学生らしき少年達がこちらをみてこそこそ話してるのが丸聞こえ。

「あそこじゃ釣れんよね」「もっと沖の方に投げればいいのにね」とかこちらの釣りを批評している。めんどくさいなとおもいながら無視していると「釣れますかー?」と話しかけてきた。「釣れんけどいいとよ、フグ釣って遊んじょるだけよー」とかえす。
「もっと沖のほうに投げたほうが釣れるとおもいますよ」「へーじゃあやってみるけ」と呼びかけると嬉しそうに3人で降りきて「いいんですかー?」とか言いながら竿をうけとると、さっそく釣りはじめる。「部活はやってないの? 不良グループかい?」などと少々雑な質問をすると「俺たち不良じゃないですよ、バカなだけですよ、だって学年でこいつは後ろから何番目で俺は」とバカ自慢がはじまり、「俺たちバカとしか仲良くなれないっすもん」とかいいながら笑ってる。なんか似てるなとおもいながら3人が一本の竿であぁじゃないこうじゃないと釣りしてるのを、すっかり乗っ取られながらタバコ吸って眺めてた。

すると一人が「仕掛けを変えてみていいですかー?」ときたので「いいよ勝手にやっちゃって」と仕掛けを変えはじめる。

まぁでももう仕掛け変えても釣れんやろうとおもいながらも好き勝手やらせていると、ウキをはずして投げ釣りに変えて勢いよく沖の方へ投げた。テトラポットの隙間に竿をさして立て4人で竿先を眺めてた。すると10秒ほどで勢いよく竿先がガクン!とおじぎをしてアタリを知らせた。

その瞬間4人で奇声を発し「よっしゃー! まけまけー!」と一気に大興奮。
中学生が糸を巻くも途中でバラしてしまい釣れなかった。が、今のはすごかった、でかかったよ絶対!なんてすっかり「3人の中学生と一人のおっさん」ではなく、「4人の釣り師」として一致団結エイエイオー!「よし、今度はエサを短めにつけてみよう」「もう少し早めにまいてみようや」とかアイディアを出し合い2投目。みんな興奮を抑えて竿先を眺めるとまたしてもすぐにアタリがあり、みんなでヨッシャー!。今度は見事に釣り上げる。この時点でその中学生をプロと呼ばせてもらうことに。

うおーすげーと魚を囲んで大興奮「声すごかったですね」とかいって真似されたりしながらもう2尾、中学生が釣り上げる。

すっかり暗くなり、いやぁすごかったねと帰宅。
帰宅際、明日、東日本大震災への物々交換ライブがあるから来てよと誘い帰った。

翌日その中で家の近かった中学生が一人、他の2人より10円ずつ托されて募金しにきてくれて嬉しかった。連絡先も交換し、今度帰ってきたらまた釣りにいこうと約束。念願の釣り仲間ができた。

いやー釣りってホントにいいですね。
って、すっかり釣り日記になってしまった。釣りをしない人にはなんのこっちゃかもわからんが、どうしても記しておきたいできことでありましたのであしからずであります。
というわけでこちら釣りのことだけで長くなってしまったので、続きは写真のほうでご報告を。

 
◎五ヶ瀬川にて。

◎乗っ取られるの図。


◎匠プロ。

◎夕暮れにて。
門限大丈夫か
「魚もってかえれば大丈夫です」

◎クロダイ。
チヌとも言う
憧れの魚

◎キビレ。
ヒレが黄色いからキビレチヌ
食べるとうまいやつ。

◎物々交換コンサート。
急遽 開催。
東北へ、自分の歌と交換にお金やヘルメット軍手等を集めさせてもらった。
二日前に決定したにもかかわらず満員御礼
ありがとうございました。
九州の宮崎は延岡、こんなに離れているのに東北への想いを強く感じた。
自分は体ごとその地にいかせてもらうので
しかと届けたいとおもった。

◎東北へ。
いったん東京へもどり、弟と、いざ東北へ。
待ち合わせの時間に2時間遅れて登場の弟に「コノヤロバカヤロー」とおもったが
乗せてもらう身分なのでぐっと我慢の大人力。
いざ親戚のいる気仙沼へ。

◎気仙沼。
弟と二人夕暮れ時に気仙沼着。
道が所々凸凹になっていたが思っていたほどでないという印象を受けた。 気仙沼といってもひろいんだなと思った。
が、やはり海に近くなると一気に景色がかわった。
海沿いの街は街ごと何もなく、あたり延々と瓦礫しかなかった。
自分は瓦礫の撤去にきたのだからと、心んなかは「やるしかないべ」を繰り返してた。
その日は親戚の家に泊めてもらった。
玄関先で伯父がむかえてくれ「生きてた生きてた」と無事を実感し握手をかわした。
伯父叔母と自分と弟とご飯をたべながら、いろんな話を聞いた。 今、こうして一緒にいられることが奇跡的な話だった。

写真は壁に貼ってあった、じいちゃんばあちゃん従姉妹と自分。

◎物々交換コンサートのお金。
延岡での物々交換コンサートにて集まった義援金の全額、70,086円は気仙沼の市役所に直接お渡しさせてもらいました。

◎石巻へ。
そして弟と二人、いざ石巻へ。 桜が満開だった。

◎ボランティアスタッフの集合場所へ送ってもらい、ここからそれぞれの行動へ。

◎先に現地にいたボランティアスタッフの案内をうけ、海沿いの一面瓦礫の街や街だった場所を見渡せる場所へ案内してもらう。
テレビで見た瓦礫の山
そこに立つと、落ちているものから様々な暮らしがあったことを知らされる 。
が自分は今回瓦礫の撤去作業員としてきたのだから、外からきてくらってる場合ではないと頭のなかで「やるしかないべ」を繰り返した。
本部にもどり、テントで過ごす。
まわりのテントからも話し声や笑い声などが聞こえてたが、10時ぴったりに一斉に静かになったのが印象的だった。

その夜、ボランティア本部に呼ばれ、明日避難所で歌うことの要請があった。
ぜひやらしてもらうことにした。
しかし、ピースボートの方々は非常にボランティア慣れしているというか、説明や段取りがスムーズでわかりやすい。 自衛隊の方々もそうだがかっこよくみえた。

それから自分は車の中で歌ううたの練習をし、寝た。

◎翌日。
翌朝、7時30分より全体朝礼があり、ラジオ体燥をしリ-ダ-の話を聞く。
全体で100人くらいだったろうか。
笑いを交えながら非常にリラックスした朝礼だが、張り詰めたものがそこにあった。
みんな割り当てられた現場へ車で運ばれてく。
こちらは避難所で歌うため遅れて出発。

◎湊小学校。
小学校全部が避難所になっていた。

◎コンサート。
体育館、お昼の炊き出しの時間に、並んでる人やご飯を食べてる人にむけて生歌にてコンサート。
いきなりやる。避難所の空気をボランティアスタッフの方々もわからない状況、そこではこういうことが初めて行われる。
いろんな不安がよぎったが、自分のレパートリーの中からみんなが知っていそうな曲を歌わせてもらった。 聞く人がいなくても、そこに歌がただ響いてるだけでもと歌った。
歌の合間においさんやおばさんが話し掛けてきて、コブクロの何々やってとかリクエストをもらったりした。
残念ながらコブクロは知らなかったが、じゃあ長渕のとんぼとリクエストがあったので歌った。
地震後なんどとんぼを歌っただろか。
またおばさんが提案してきた
「歩きながら歌えない? 並んでる人達の前を歩きながら歌ったらいいとおもうんだけど」
おっけいですと列の横を歩きながら歌った。笑ってる人がいたり、一緒に歌ってる人がいたり、みんな手を叩いてくれた

歌いおわるとさっきのおばさんとこにいき、話を聞いた。
「ちょっと前だったらまだ歌を聞く余裕はみんななかったけど、避難所に鯉のぼりが立って、みんなの気持ちが少しずつ前向きになってきたから。今はもうどんどん歌う人なんかに来てもらいたい」 とのことだった。
やってよかったとおもえた。 また鯉のぼりってすげえなあともおもった。

◎作業。
コンサートが終わり撤去作業をさせてもらった。
スタッフの方々のわかりやすい段取りにより作業衣の着方や注意すべきことを聞き現場へ。
商店街の店と店の間の裏路地にスク-タ-や台車が挟まっており、下には30センチほどヘドロがたまっている。
三人一組でバイクを引きずりだし、ヘドロを土のう袋に詰めて表の道沿いに並べていく。
自分はこれをやりに来たんだと実感する。
スコップでヘドロをジャッとすくった時、自分のナニカがすっとおりた。
これが先だったとおもった。

本当に全体でみたら何もならんかもしれないひとすくいだが、自分にとってはでかいひとすくいだった。
いろんな人の想いも後おししてくれ、たった2時間だが人が通れるくらいに作業できた。
何かできることはないかとかこんなことしてていいのかとか
ひずんでた自分の心や必要以上に自粛してる雰囲気までなくなればいいとおもった。
しなくちゃいけないことはもうやってるんだと、いつのまにかやってるんだとおもってもいいんじゃないかともおもった。
うまくいえんがそんな感じがした。

◎現場にいくとき猫ぐるまやスコップをもちながらボランティアスタッフの人達とすれ違う
違う団体だろうとみんなすれ違いにコンチワ-と挨拶をする
行きがけに挨拶されるとなんか恥ずかしくモゴモゴとチワ-スくらいでかえしてたのだが、作業を終え、すれ違うときはなんだか非常に気分がよくハツラツとした気分でコンチワ-ッと言えた。

また、みんなカッパをきて作業をするのだが帰りに一斉に同じ場所に集まり洗ってもらう。
水も貴重なのでジェット放水で一気にとびちったヘドロを落としてもらう。
夕焼けにビショビショになってみんないい顔してたのがすごく印象的だった。
男子はかっこよく女子はかわいく見えた。
今の君はピカピカにひかって-だった。

ほんとにみんないい顔をしてた。
だれかの家の路地の瓦礫撤去だったけど、何より自分のためであるなとおもった。


写真は行きがけ。

◎現地に行って。
ほんとに短い時間の作業だったがボランティアに参加させてもらってよかった。
作業員として体感したことで、自分が落ち着いた部分があった。
現地に行かなくても、自分のやるべきことをやるだけでも、直接の支援にならずとも、それは復興に繋がることも感じた。

行ってみて残っているのは、あの瓦礫の街や挟まった車やぐちゃぐちゃの光景じゃなく、そこで復興にむけて前に進んでく人達の強さ、ボランティアスタッフのいい顔、そして自分のやるべきこと、できることを「やるしかねぇべ」っておもった気持ちだった。
復興への道のりはかなり遠くに感じた。何もかも一気になんてできない、できることをできる範囲でやるしかねぇべと、やり続けてくしかないんだとおもった。

被災地よりコメントをくれたり、物々交換に参加してくれたり、ライブにきてくれたり、遠くより応援してくれたり、これ読んでくれたり、色んな人達の中に自分がいて、参加させてもらったことを実感し、心強くおもった次第です。ありがとう

東京にいて自分は自分のやるべきことをやりながらまたいつかいけたらとおもう次第だ。