2009年8月12日水曜日

Vol.114「2009年夏、最近おもう」の巻

ムシムシ暑くなりはじめ、ようやく夏らしくなってきたかと、蝉の鳴き声をきく今日この頃、いかがおすごしか。

 最近頭をよぎるのは、夜、自動販売の光に群れる虫のこと

 自分はあの虫のようだなぁとおもうことがある。

 暗闇のなか、光をもとめてと言えばかっこよすぎるけど。

 自分の印象では、自動販売機の光に突進する虫ってのは、なんともまぬけな印象だ。

 あの虫達も、自分たちがなぜこんなことをしているのか、わかってはいないんだろうとおもう。

ただ、無性に体のどっかがくすぶりはじめ、あの光に突進せざるをえないんじゃないかとおもう。

少々壊れてるようにもおもえる、あの突進の仕方。クワガタだってカナブンだって夜の人工的な光に突進していく。

あのどうしようもない衝動ってのは、生物学的に理路整然とした理由があるのかどうかは知らないが、自分が考えるところでは、もともと月に帰りたがる本能というのが生き物の中にはあって、月の光だとおもいこみ突進しているような気がする。

月は遠く、戻れない場所。甘ったれた自分が月の光だと信じ込み、自動販売機の光や電灯の明かりに突進していく。そんな図が頭の中にある。

自分が突進してぶつかって、ずっこけたときなどに、思い浮かべる光景だ。

もう、月には戻れないのだから。馬鹿なことはやめようとおもっていても、またくりかえす。ぶつかるまではわからない。きっとそうやって、自分の小ささを感じながら生きていくんだろうともおもうが、一つずつでも大きくなっていけたらと、突進する虫達をみておもう。



 また、最近気になるのは、マンションやビルの屋上にあるアンテナと避雷針。

仲良く横に並んでるが、アンテナは溢れるような情報をキャッチしては各部屋にそれを流す作業をしていて、てんてこまい。ふと横をみると避雷針がすーっと立っている。

雷が落ちてくる時のためにただ立っている。一生の間で一度もないかもしれない、その時のために、ただ立っている。これも実際は他の仕事をこなしているのかもしれないけど、素人目からみた勝手な想像だ。

避雷針はカッコいい。憧れる。危機管理、自己犠牲、男らしい。

この大自然の恐怖から、人々を守っている。やつがいるだけで、安心できる。
高倉健に似たかっこよさを、どこかしらかんじてしまう。

んが、どちらかといえば、自分はアンテナチックだなぁーとおもう。
錆びて壊れたやつ。時々ぼーっと眺めてしまう。


しかしこれ、自分を何かに重ね合わせ、会話を聞くというのは、その時の自分の状態を客観的に知れ、ひとつバロメーターになったりもするんじゃないだろうか。

アンテナが、「てんてこまいで、あふれる情報を処理できんわ……に比べて避雷針よ、おまえはいいなぁ立ってるだけで」

とアンテナが愚痴ることがあれば、ちと自分疲れてんなと。自分ごとをちゃんとやらんとなと。
もっとおもろい会話になるようにしてみる。


アンテナと避雷針、見ているだけでいろんな会話が聞こえてくるし、その二つの立ち姿が漫才コンビのようでもあって、おもしろい。



また最近おもうのは、人の心って丸いわっかのようなものだなぁってこと。
大きさや色ややわらかさは人それぞれ。


人のわっかを見て感じて、かたく言えば尊重しないと、自分にかえってくる。
自分は思い込みや勘違いの多い方だとおもう、人のわっかにズケズケと、入れるはずのないとこに、突進することがある。自分も労力をつかい、人も疲れさす。
そんな帰り道、非常に残念賞な余韻が残る。これも一つずつ、もっと人のわっかが見えるようになれたらなぁとおもう。

わっかは「閉鎖的」ってのとは違って、わっかがあるからはじめて共鳴できたり、ぶつかったりできるものなんだなぁとおもう。イメージはプニョプニョ達が笑ってる感じ。
わっかをイメージするとき、自分はより自分になって、人は人になってく。そこで、人のわっかと笑いあえて、気持ちのいい風がふくんだとおもう。んで、そのわっかを硬くするのも、軟らかくするのも、暗くするのも、明るくするのも、自分次第だなぁと、あったり前のことだろうけど、そんなことおもう今日この頃だ。2009年、夏、曇り。