2005年12月28日水曜日

Vol.71「2005年 大晦日より」の巻


こんばんは 大晦日だ 12月 今年も1年が終わります。今年の一年振り返るとなんだか、運動会の練習をさぼってみつからんように友達と校舎の中を歩いた気持ちをおもいだす。。外では運動会の声がして、静まりかえった誰もいない廊下をあるいた。なんかありそうで結局なにもおこらなかったけど、リレーの出番までには戻らないとなっておもいながらただそこを歩いてるのがおもしろくて歩いた。そんなこと思い出した12月、大晦日だ。                         
あと今年出会った地元の秘境、誰もいない白い砂浜の海だ。ひっそりといまも月を浮かべて静かに波の音を山にひびかせているんだろうな。東京にいてなんども思い出しては心落ち着かせてくれた海だ。来年もその先もずっときれいでいてほしい海。
 子供の頃、よくじいちゃんやばあちゃんやらから教えてもらった近所の海や川の昔。僕がものごころついた時には工場の汚水でヘドロ川だったその川も昔は泳げて魚がたくさんとれてきれいだったって教えてくれた。工場も人の生活潤わしたり、楽にしたりするんだろうけど川をヘドロにしてまでやることでもないんだろうとおもう。出会った頃からヘドロだったから、それはそれで石を投げてヘドロとばして遊んだりはしたけど、できたらきれいなほうがいい。 そんな地元だから手つかずのそのまんまのきれいな海があってくれたのが嬉しい。                   
 3000年、4000年と川やら海がきれいになっていけばいい。 
          
 来年用の新しい手帳を買った。この冬を歩くブーツも買った。手帳には『人生レール』って歌の歌詞を一番最後のペイジに歌うみたいに書いた。なんてことない歌だけど最近頭の中でよくながれてたし、スケジュールだけで埋まってくのはおもしろくないから2006年の手帳に書いた。
 もう5年くらい続いてるこの連載、はじめてくれたB-PASSの編集長の田中さん、卒業するっつうことで、田中さんとこれを読んでくれてるみんなに、2005年の大晦日よりこの歌をおくります。歌うみたいに読んで下さいな。2006年もよろしくね。 

 『人生レール』

   人生レールの上をシュッポポッポッポー 
     走っていこうかのらりくらりと
   人畜無害にいくだけじゃ寂しい
    たまには人をきずつけて 
       たまには人にきずつけられて
    
   瑠璃色の空にとけて走りたい
    のらりくらりの道草もいいね
   だけどもっと目を見開いて
    表通りにあきたなら
       お酒の匂いの裏通りもいいね      
 
    切符は切られた そろそろいこうか   
   悲しみを燃料に変えて 
   苦しみを燃料に変えて
       
   
   でっぷり太ったサラリーマン
    息くるしそうに眠ってる 
   いつかはどっかで待ち合わせよう
    一緒にうたを歌えたらいいね
   すしずめ電車を追いこして
   1973年生まれのこの列車は
     走る意味もわからないまま 
      終着駅がどこなのかもわからないまま  
    暗闇手探り走ればいい
     妙にリコウにならないように
    
   切符は切られた そろそろいこうか
    悲しみを燃料に変えて
   苦しみを燃料に変えて
    
    夢という終着駅へ
      永遠という終着駅へ

2005年11月28日月曜日

Vol.70「今年の冬は寒くなりそうだ。いかがおすごしですか。」の巻


 あっというまに11月だ。
 いかがおすごしですか。
 夕焼けに立ち止まることの多い季節だ。
 いい季節すごしてますか。
 秋をちょいとすぎて、思い出すのは都会のすきとおる遥かな夕焼け、落ちる枯れ葉、飛んでく鳥、光るビルディングです。朝焼けもいい。 なんだろか朝焼けや夕焼けのあのしずけさは。その中にいると落ち着いてくる。素敵だ。照る照る太陽の昼でもなく、ネオンや星をつれてくる夜でもない、どこかへつれていってくれそうな遠い遥か。いいようも無く答えもなく、ただただ見つめるだけの時間。許されてくような、人や街や出来事をもうちっと好きになれそうな感じです。そんな気持ちに触れられるおかげで出来る我慢があったり、無理だとおもってたことがほんの少し前のほうにいけたりするのかもしれんな~とおもう、たった今だ。 
 
 なんでもない日、街を歩いてるとふと呼ばれたのは建物と建物の間の隙間。ボロっちい家につるの葉が伸びて西陽が当たる。なんでもないそんな隙間。なんでか少しわくわくする。探検しにいく年齢でもないし、不審人物だともおもわれたくない。とりあえず携帯で写真を撮ってまた別の隙間を探して歩く。
 子供の時はそんな場所があると入っていって確かめたくなる。なんがあるわけでもないのにそこを歩いてみたくなる。友達同士だとなおさら燃えて自分らが探検隊のようにおもえたりして、蛇の抜け殻見つけて、おおっ!ってなったり、ここはどこどこにつながってるんじゃないかと推測したりして興奮したりしてた。 ジャッキー・チェンを真似して壁と壁に手と足をついて登ったり落書きしたり虫を探したり、わくわくがいっぱいあった。ここは入れないなって路地もあった。薄気味悪くて嫌な感じがする所。ちょっとやめとこうと後回しにして、でもやっぱり気になって覚悟を決めて1人で足を踏み入れてみる。黄色や黒色したでかいクモが巣を張って通せんぼをしていて、なんとも言えない気持ち悪さで怖くて降参したくなる。何度も降参をしてきてみじめな気分は知っている。そのたんびに宿題が溜まっていくような気分。なかったことにしようとしても、心の中で薄気味悪い場所はどんどん薄気味悪くなっていく。よっしゃと腹ばいになってクモの巣をくぐり抜ける。あの黄色黒色のクモが張った巣は境界線だった。薄気味悪い場所は薄気味悪い場所だけど、それまでみたいに脅かされなくなったし、黄色黒色のクモも仲良くはなれなくても悪い奴じゃないなくらいはおもえた。そんだけでちっとだけ勇者な気持ちにもなれた。誰に言うわけでもない自分の中の勇者な気分。クモの巣を越えられるか越えられないか。いつまでたってもそんなことの繰り返しや。   
 なんでもない日。壁と壁の隙間に入らなくなった、クモの巣も昔よりも怖くなくなった。だけど今の僕には僕のクモの巣があるんだってこと、ちっとしたことで気持ちは変わるってこと、勇者の気持ち、それの気持ちよさ、おもしろさ。だよねって僕を呼んだ都会の壁の隙間だ。

 だんごむしがいそうだ あの板をひっくりかえしたい
 遊ぼうって隙間妖怪が呼んでる
隙ー間から~見上げてーみたーんでーすー
冬が来るね

2005年10月31日月曜日

Vol.69「男達からのメッセージ」の巻

 ロッテがものすんげぇ~勢いで日本一を決めた2005年のプロ野球日本シリーズ。僕はどこのファンてのはないんだけど、野球は好きで、どこが今強いとか ぐらいは知っておきたいほうだ。で、僕の記憶の中でロッテというのは今までずっとず~っと弱いチームで話題性もあんまりなく、印象的にはあかぬけなくて多 分いっつまでもこんな感じなんだろうな、くらいのもんだ った。 
 このチームで唯一興味があったのは、ピッチャーのジョニー黒木。元?エースで気合い丸出しの投げ方だ。しかも同じ延岡出身、同じ年。会ったことはないけど、この人のサインボール もってるんだぜ。イェイッ。
 で、野球に興味のない人にはまったくもってどうでもいいことだろうけど、今年のロッテは映画になりそうなくらいの変身ぶりだ。僕はニュースのダイジェストでチラっと観たくらいだ けど、あの優勝の仕方は日本プロ野球の歴史に刻まれるような出来事じゃないやろか。何より選手達が楽しそうで、ハッピーオーラがでてる。選手達の“お客さんも含めてチームなんだ” っていう意識と、野球を楽しんでる感じ。あったり前なことなんだろうけど、気持ちが見えるその変身ぶり、快進撃、お客さんを含めたハッピーオーラ。見ていて気持ちがよかった。バレンタイン監督は陽気で明るくて、相手チームも含めて周囲を大切に想うインタビュー。なんだかとても素敵です。そんなチームの優勝は結果だけじゃなく、野球界にだけじゃなく、素敵な メッセージを僕に届けてくれました。いゃあ、いかったいかった。ロッテ、優勝おめでとう! ジョニー黒木、おめでとう!!

そんな2005年の秋、いかがおすごしですか。 
 このあいだ久々にバスに乗った。僕は一番前に立って吊り革を握った。バスはゆっくり発車した。ちょっとした田舎町をするりと走ってく。運転手さんは曲がり角にさしかかる手前で優しく“左に曲がりまぁす、ご注意くださぁい”とかいちいち忠告してくれるんだけど、その言葉の中にはすごくあったかいもんがあった。バックミラーで運転手さんの顔をみると、後方確認やら左右確認やらしっかりとした目つきでおこなっていて、バスを守る、僕ら乗客を守るヒ-ローにみえた。クリント・イーストウッドにも似ていて気品さえ感じられ、自然でカッコいかった。いるんだなぁこういう人。僕は何だか焦っていたのが、そんな運転手さんのバスに揺られてると、気持ちが落ち着いてくるのがわかった。
 人の多い街の駅に着くと、運転手さんにお礼を告げてバスを降りた。いつもは苦手で、気持ちを閉ざしてた街の音がやわらかく聞こえて、アスファルトもしっくりと足の裏にいろんな音を伝えてきた。
                
 順番があるんだね。あったかい。
 いつもここからって、胸のあたりが嬉しくなった。
 バレンタイン監督もバスのイーストウッド運転手さんも、自分の仕事を通して、勝手に何かに焦ってた僕にかっこいいメッセージを届けてくれた。いるんだなぁこういう人が。出会えて よかった。 いつも気持ちから一歩一歩。         
                 
 ありがとう こういう男になりたいもんです。
2005年 10月29日 秋。 中尾諭介

 働く男。ドラム吉田くん。

2005年9月29日木曜日

Vol.68「2005年、秋」の巻

  いかがおすごしですか。秋風吹いて、枯れ葉が舞う頃。うちの近所じゃ、ちょうちんぶらさがり、神社の祭りが始まろうとしています。毎年この時期に行なわれる町内のお祭り。小さな境内にびっしりと屋台が並び、お面や金魚すくい、りんご飴やら焼きそばやらやら。その間を人ヒトびっしり流れの中に混ざって歩きます。牛歩しながら左だ右だ。屋台をのぞいて金魚すくった、鉄砲撃った、あれうまそうや、なに買おか、なんてわくわくしながら歩きます。ほんと小さくて、な んてことない祭りなんだけど、黄色がかったライトに照らされた屋台のお面やら金魚やらの赤や緑、青がきれいでかわいくていいのよね。子どもたちは大人の間 を抜けてわ~なんて追い越していくけど、その声たちも遠くで聞こえるような、映画の中にいるような、静かなお祭り。夏に暴れた蝉時雨や夕立たちとも、このお祭りにきて心の中でやっとバイバイできる、そんなお祭りや。いいのよね。いかがおすごしか。                      
 秋に思い出す十年前、東京来て初めてライヴハウスで歌いだした時のこと。それまで僕はライヴハウスで歌うなんて考えもしなかったし、宮崎延岡の田舎には そんなものなくて、違う世界のもんだと思ってた。噂には聞いていて、いつか出れたらいいなくらいは思ってたけど、まだ先のことだろうと思ってた。そんな頃 にフォーク仲間な後輩が“今度ライヴハウスに出ることになったよ”なんて自慢気に言ってきて、僕はかなりびっくりこきまくった。プロになったっつうことか、と。置いてかれたような焦りと、ライヴハウスってもんが急に身近になったような嬉しさとが混ざった興奮。その後輩から、どうやったら出れるのか聞き出 して、さっそく“ぴあ”を見てオーディションを受けることにした。僕が選んだのは東京四谷のコタンというところ。田舎にいた頃から友達の親戚がそこに出て ると聞いてたので、僕の中では憧れの場所だった。電話で連絡を入れ申し込んだ。その時点で熱いものがあった。歌は歌いたくなったら歌う、畑でも、路上、家 でも、教室でもギター持って歌ってた。が、その時は何かこう、社会に対して歌う約束を自分で取り付けたっつうのが、大げさだけどグッときた。
 当日5~6人の候補者とオーディションを受けた。それぞれが2曲ずつ歌った。僕は“あの頃は”と“one way trip”っていうガシャガシャしたのを歌った。かなり緊張したが、歌いだすとマイクを通した声やギターの音が、スピーカーから店に拡がる感じが気持ちよ かった。今思えばひっちゃかめっちゃかだったろうけど、次から月に一回そこで歌わせてもらえることになった。30人も入ればいっぱいで、ステージの壁にゴキちゃん這うようなオンボロで小さいライヴハウスだったけど、僕にとってはその先の道が少しだけ確かになった、大きな初めの一歩の日になった。
 ギター握って、ブーツ踏みしめて歩いた四谷の帰り道。秋の夕暮れ。少し肌寒くなった風とアスファルトでころがる枯れ葉達。この時期になるといつも思い出す。僕にとって秋は自分の道を確かめて歩く季節だ。

 いつかまたコタンでライヴやりたいと思う。そん時はきてよね。

 P.S.宮崎延岡直撃の台風14号、メイルや手紙で心配してくれたみんなへ
 延岡もやはり川が氾濫し、被害に遭いました。実家の方は避難所に避難し、家は無事。が、妹夫婦の家が床上浸水、車も浸かって動かなくなったりと被害を受け、今も復興中です。電話でしか話せてないけど、妹元気にがんばってます。今回の被害で災害は当たり前だけどナメてかかれんもんだと実感しました。みんな も気をつけようやね。みんなありがとう。


B-PASS編集部より
今月は諭介センセイのPCが不調で、更新が遅れてしまったことをお詫びします。マンガ喫茶からメールしてみたり、挙げ句は原稿をプリント・アウトしてファクスまでしてくれた彼に、心から感謝!な編集部です。

“きれいやな、きれいやな”

2005年8月26日金曜日

Vol.67「夏真っ盛ったお盆に帰郷。暑い宮崎の夏。」の巻

 今回は13日に行なわれた我が母校、延岡西校主催の同窓会に漫才師としてよばれた。
 漫才をやるのは13年ぶり。高校1年の弁当の時間に相方の本田誠人(今テレビドラマの“電車男”に、赤いジャージ着てネットの住民の1人として出てるか らみてみてね)と、なんかつまらんねってことではじめた漫才。それからの3年間はみっちり漫才師だ。誠人は根っからのお笑い好きで、僕は漫才のことを教え てもらった。稽古の途中に僕の集中力が切れてくるとポカリスエットやカップラーメンをおごってくれたりもした。今思えばあんな芸に厳しい高校生はめずらし いんじゃないやろか。その成果あって高校三年の時にはダウンタウンの全九州お笑い選手権で優勝までさせてもらった。あれから13年。僕は歌、誠人は演劇と それぞれの道を進んで、今また一夜限りの漫才師。    
 東京で3回ほど練習をしたがやっぱり昔のようにスムーズにいかず、“錆び付いてるね~”なんて言ってげらげら笑った。回を重ねるごとにカンをとりもどし てきて、かけあいの中でキレイな瞬間があった。歌でもお笑いでも演劇でも種類が違っても、きっとどんな仕事にでもありえることだと思うけど、そんな瞬間を 共有できた時が本当に面白いことです。       
 
 で本番はと言えば、体育館中大爆笑とまではいかなかったものの盛り上がって、懐かしい顔やら場所の中で13年ぶりの漫才は新鮮な経験だった。いつかまたリベンジや。say-you 
  
 翌日は昼から川辺でキャンプ。仲間内だけで十何人が、それぞれに奥さんやら旦那やら子供やら連れて来て賑やかだ。高校時代のマドンナの幸せそうな家族を みながら男達でなぜかショックを受けてたり、子供らと川で遊んだり、肉食ったり。夕方になって、そこから山を何個か越えた場所で花火大会。どうせ帰ってき てるんなら花火の前にちょっと歌いにきね~と誘われてたので、友達から軽トラックを借り、ギターを積んで煙り吐くオンボロ軽トラで会場へ。山に囲まれて、 会場に来ていた人と山に向かって歌い終わるとシュルシュルと花火が打上がり、ドーン! 山がこだまする。帰りは誠人と二人、軽トラで山の中帰る。結婚して ないの、うちらだけやね~なんてしみじみ話してると、あれっと異変に気付いた。出ているはずの煙りが出てなくて、なかったはずの灰皿、クーラー、スムーズ な軽トラの走り。間違えた! 軽トラ盗難。知らない人の軽トラや!っとUタ-ン。さすが田舎でカギつけっぱなしで、とられてても誰も気付いてなかった。す んなり乗り換えてキャンプ場へ。流れ星飛ぶ夜空の下で残った男達だけで酒をのみ、夜を明かす。夜がすこ~しずつ明るくなってくると、1人がパンツも脱いで 泳ぎはじめ、つられてみんなで裸族。朝もやの冷たい川に裸族がいっぱい。すっかり明るくなってガキんちょ達がおかあさん達に連れられやってくると、慌てて パンツをはきにあがったが、タイミングを逃した誠人だけが、川の中最後まで裸族だった。       
 みんな結婚して子供もいて、そんでいてぜんぜん変わってなくて頼もしかった。
 泳ぎながら口にふくんだ水をビューととばして、ガキんちょ達をおっかける。“うわ~噴水マンがきたーっ!”ガキんちょ達の声がきこえてくるわ。 
 
 翌日は弟に教えてもらった海。延岡は旭化成の工場があるせいか、それ程きれいな海の印象がなかったが、その海はすんごくきれいやった。ディカプリオの出 てる映画“ビーチ”を思い出さすような秘境の海や。山を一つ越えて細道をいくと、ひっそり白い浜の海がそこにあった。あまり知られてないから誰もいない。 小1と小2の姪と、いとこと4人。姪達は裸んぼうで泳ぎ、波にまかれて遊び、僕ももぐって目をあけると薄いグリーンの透明な海の中にず~っといたくなる、 顔を上げ振り向けば山に抱かれてるようで嬉しくなる。 ばあちゃんがもたしてくれたスイカを割って、また手で割って、海につかって塩水付けて食べた。うま い! 海の中でも食べっこした。食べこぼした姪のスイカをめがけてスーっと黄色がかったきれいな魚が寄って来て、スイカを食べて逃げてく、それみた姪はワ -っとなって“もっともっと食べね~”って叫んでスイカを投げるとまた寄って来て食べていく。“大きくなんねよ~”って叫んで、それを繰り返してた。姪が 普通に魚と通じてたのが面白かった。
 この海をずーっと残していきたいとおもった。 

 久々長く帰れたお盆だ。 
 こうやって書いてくと、川、海、山、星、子供達、せみやら川に浮かんでみた木漏れ日やらが、またキラキラ、ぎらぎらしてくる。                           
 宮崎の太陽が焼いてくれた今年の夏、すんごく濃くて、いっぱいいい匂いのした夏だった。               
 あと少し東京の夏、蝉の声、夕立ち来そうな午後にて   
  
    
バイバイ

(2005.8.23)

 宮崎空港と延岡をつなぐ電車。こっからまた海沿い走って、緑抜けて1時間半ほど走って、赤と白の煙突の小さな街へ

2005年7月27日水曜日

Vol.66「なんでもいいけんど、スターがいい」の巻

 七月、湿気、モアン、アチー。うちの扇風機は風とマイナスイオンがでてる。マイナスイオンがでてるんだぜ、すごいやろ。説明書は捨てたのでどこからでてるのか知らんけど 、一応ボタンがついててマイナスイオンのランプがつく。
 なんも変わらんのに、あると押ときたくなるもんです。いかがおすごしですかマイナスイオン。
 ファジー、癒し、スローライフ、がんばりすぎたのか世の中。あんまり知らないけど、高度成長期やら24 時間働けますか?なんて時代に比べると、なんだかリラックス方面がめだちます。あんまりそうそううたわれると、背をむけてひねくれてみたくなるもんやけど ね。 僕も最近はなんだかそんな音楽を聞くことが多い。 キャラバンつう人とかね。声と音とリズムがスーっとはいってくる。 いい感じや。
 いつか感じた 月と静かな波の音浜辺に立って なんだか風やら魚やら全部が一緒に動いてて その中で普通に全部 許された僕がいた。おもろくて嬉しくて いっぱい何かがたまって溢れそうになった。
 代々木公園で行なわれていた『アースデイ』にいってきた。地球のイベント。いろんな店がでてたり、太鼓 たたいてる人がいたり。ゆったりとしたイベント。そこでインド人がお香を売っていて、いい匂いだったので買った。なんでもない日のプレゼント。ふと浮かん だ地元の友達の分も買って、いい気分のおすそわけ。そんな時に浮かんでくる顔がいてくれる、そんなことが嬉しくなったりするいい気分だ。
 んが、また別の店で小物見てると裸足で小汚い店員のおにいちゃん。やたらと馴れ馴れしく、なんだか自然に帰ろうみたいなのはいいけんど、おもろいとこ見 つけられなくて、汚いだけやんって思ってしまう人もいた。いろんな人がおりました。

 ふと思い出すのは、自由の国って言われてるアメリカで見たおっさん。昼間から歩道で、大の字でエロ本散らかして寝てたおっさん達の感じ。タバコくれくれ と、スリラー的に集まってきた、浮浪してる人達の目つき。「ダメだ」と言うとあっさりあきらめて、また浮浪。なんだか寒気だけを残していった人達。なんの キャッチボールもしてないのに、閉じたまま「くれ」って言われても寒さだけが残る。ほっとくと十分僕にもその気質があるけんどね。そんときはタバコちょう だいね。
 ってまた思い出すのは、10年前くらいにしたヒッチハイクでの旅先、河口湖で出会った宿無しのおいちゃん。湖のほとりで寝ようとしてたら声かけてきたお いちゃん。チップスターの空き缶をゴミ箱からひろってきて、酒をついでくれた。お返しにタバコをさしだすと、“いらない”って言って、自分のポケットから 銘柄ばらばらのシケモクを出して、選んで吸ってたおいちゃん。
 自分のプライドというか恥じらいと言うか、そういうものを持っている人って、やっぱかっこいい。スターだ。どこにいても、行っても何をしてても、自由も スローライフもスイ-ツも、旅立ちも、1対1の自分を見つめながら、そんなものを持っていけたらいいなと思うスターだ。

(2005.7.17)

 「うそ~ん なんもかわらんやろ~」

2005年6月27日月曜日

Vol.65「金色の粉みたいなの出してるおいちゃんに」の巻

 梅雨を通りこして、もう夏来てるねこりゃ。毎年活躍の扇風機登場だ。まだ夜風が涼しいからまわってないけど、いつでも来なさい夏将軍だ。今年もガツンとした夏を一発期待してまっせ。な6月、いかがおすごしか?
 僕はこの6月、あっ!て言ってたら32才になりました。たくさんたくさんの人からお祝いの言葉をもらいました。
 ありがとね。
 祝いの言葉もらうと、おぅ!と非常に実感する。「幸せに」なんて言われると、かなりストレートに“幸せになったるぞ”とおもえる。もうなるべく、そんな ことだけで心膨らませて割れないバルーン、どこまでもいけるバルーンになったろうとおもいます。そんなわけで、これからも僕の体のいたるとこから幸せの金色の粉みたいなのがパラパラと溢れでてしまうとおもうので、楽しみにしていてください。ライヴだと通常の5倍から10倍はでてるそうなので、土をもってかえる甲子園球児のように、空っぽの袋もってきたほうがいいかもです。粉だしていこー32!

 幸せといえば、今月の頭に地元宮崎で幼なじみの結婚式があった。ハッピー・ウェディング! ジューン・ブライドだ。
 地元にいる仲間では最後の砦だった。しかも僕達は小学校6年間毎朝6時にマラソンをしたり、「あんたが巨人の4番なら、僕は西武のエースや」と野球少年 時代のライバルだったり、初めてのチューの相手だったり(ホモじゃなくてよ、遊びでよ、駄菓子の味がした)、悪さして一緒に先輩にぶん殴られたり、語り尽 くせぬ青春の日々のたまてばこだ。腹がよじれるくらい笑える時は、たいていこん人がいた。だから1ヵ月前に報告があった時はなんだか、“こん時がきたか” 的な気分になってなぜか寂しくもあった。しかしそんな気分も束の間、友人代表の挨拶を頼まれたのをおもいだし、緊張し、意気込み、めでたい気分になったも のの、“おう! まかしちょけ!”とひきうけたものの、友人代表ってどんな感じか? 結構かっちりしなくちゃいけないのか? 結構誰も聞いて無いやつか?  とか考えてしまいびびってしまった。友人代表のなりたちを人に聞くがピンとこず、やっぱりあれこれ考えず想いだけでいくことにした。
 結婚式前日宮崎につき、一緒に帰った、東京で演劇をやってるペテカンの誠人と弟と宮崎市内を歩く。「結婚かぁ」なんて言いながら友人代表の話になって、 誠人がよく挨拶で使われているネタを教えてくれた。『結婚生活には三つの大切な袋があります。1つは堪忍袋 2つ目は給料袋 そして一番大事な金玉袋』……2つめまで前フリできちんと説明をして、3つ目で落とす。いやーそんなこと僕が言ってもなーというと、「じゃあ金玉袋を最初に言っちゃえば?」 と、かなり無責任な提案。しかしこれがみょうに笑えて、“金玉袋”を連呼してゲラゲラ笑い合いながら閑散とした商店街を歩いた。
 結婚式当日。式にも出席した。出席者の間を歩いて神父さんのとこへ新郎新婦。新郎、もともと器量のでかい男だがより大きくみえた。“本当に結婚すんのか”と、今さらながらに実感する。こんな時目が合ってしまうと笑ってしまいそうになるので、目を合わさないようにと気をつけてたら、合ってしまい笑いそうになる。目をそらして横をみると、友人の“ハナクソ”が立ったまま寝ていたので、ふきだしそうになる。こんな感じがもう延岡や。
 
 披露宴がはじまり、乾杯の音頭も終わりみんな賑やかに酒をつぎまわり、祝福する。僕はといえば、やはりそろそろやってくるだろう友人挨拶にドキドキして いた。会場もにぎやかしくなった頃に、それはきた。司会の人に紹介されマイクの前に立つと、意外にみんな注目してくれて、新郎との思いでなんかを話し出し た。会場の雰囲気もよく、調子にのって話してたらふと前日の金玉がよぎり、つぎには口からでていた。「えー人生には大きな金玉袋があります」……今思え ば、これの何がおもしろいのか、いや、おもしろいんだけど、前フリもなく唐突すぎだ。もちろん会場はシーンとなった。誠人も苦笑いだった。話をもどし、会 場の雰囲気も戻り、最後は贈りたかった歌を歌った。
 披露宴はその後も盛り上がり、新婦は凛として綺麗で、涙もあり、いい結婚式だった。新郎のおじちゃんやおばちゃん、近所のおいちゃんおばちゃん達が僕達 に教えてくれたこと、見せてくれた世界を、いつかやってくるだろう二人の子供にちゃんとみせられたらいいなと、恥ずかしくないようにしとかなきゃ、とおもった。金色の粉だしてかっちょいいおいちゃんになったります。

 「結婚式二次会 、三次会、四次会後寝ずに朝四時より船にのり沖磯にて釣り。ハードスケジュールもなんの、さすが名人自己最高のメジナをあげる」

2005年5月27日金曜日

Vol.64「イエスッ! 無敵ソング」の巻

 夏到~来 夏到~来。ソウル・フラワー・ユニオンの「夏到来」という曲が、ちと早いけど似合う季節だ。イントロ、奥野さんの“デレデッテレテー” というような、なんだか鍵盤の音で気持ちが盛り上がる。くりかえし聴く、“おおおぅいぇいっ!”。中川さんのロマン歌声に熱くなる。かっこいいぜっ。そん でなんせ気温が上昇してきよるじゃないですか。もう夏足音梅雨、水まきしながらきよります。いかがおすごしですか?

 しかし、かっこいいもんは僕に力をくれる。なんなんだろうか。僕は音楽を通じて感じることが多いけど、“へー、はー、ほー、いーねー”なんていうのは昔 より増えた気がするけど、やっぱこう“イエスッ!イエスッ!イエスッ!”というか、無敵ソングになれるものは非常にありがたい。散らかしっぱなしの小さな 迷いや不安なんて、簡単にやっつけ片づけてしまうような感じだ。バカでよかったと思う。僕も『こりん星』の近くに住んでたのかもしれない。違う。もっとズ バーン!としている。広がる、未知との遭遇だ。渡り鳥が砂浜に降り立ち水平線を眺め、遥かを感じてる。前の方から風をうけてる。足下では餌になるカニが横 切っていく。問題は空腹じゃなく、鳥はかっこいい風の歌を聴いている。それでどんどん満たされていく。“おっっっっっぉイエスっ!”と海に吠えてステップ しながら、3歩でカニをくちばしでついばみ、腰をくねくねさせながらカニを食い、ピーーー!っと叫び羽を広げ、しっかりと足裏で砂をにぎり、そして思い切 り蹴りあげて、また飛んでいく。鳥はときどき聞いた事のない歌を思いつく、それを口ずさみながら飛ぶ。風がその歌を運んでいく。また違う砂浜で、カニ達が いつものように微生物を大きなはさみで口に運んでいると、風が運んだ鳥の歌を一匹のカニが“おおっ、この歌なんかかっこいいぜ”と感じまくり、はさみを空 に向け走りだす。それをみていた他のカ二達も、“おおっ、なんかっこいい走り方だ”と走り出す、イエスッ! それがカニ祭りのはじまりだ。夜遅くまで祭り を楽しんだカニ達は、それぞれの砂浜の穴の中に帰って“なんかわからんけどかっこよかったぜ”と眠りにつく。砂の穴に響く遠い波の音。カニは夢の中で、波 のリズムでハミングする。ハミングは海の魚達の子守唄になる。

 “ああ、かっこいい”の旅は限りなく続いて、僕の頭の中ではシャンソン歌手が歌っているとこまでいったが、あまりに長くなったので省略させていただきま す。で、“かっこいいぜ”や、もう夢中になれるもんてのは、唯一無比、宇宙でただ一つの存在を感じられる。なにかやらかせる、やらかしたろうと思わせてく れる。バランスとってるだけ、間に合わしてるだけ、バカにされない程度にやりすごしてるだけ、な、自分に気付かしてくれたりもする。そんなものをとっぱら い、もう難しいことことは放棄してイエス!な気分だけをまき散らしてやるぜと、この夜の大宇宙に中指立ててるイメージの今だ。ライヴでっ!

(2005.5.20)

 「見えるでしょうか 新しい葉っぱがめぶいてます。夏到来」
(2005.5.23)

2005年4月27日水曜日

Vol.63「夢をみて、夢の上夢の中」の巻

 今回、直接コンピューターに打ちこんでみる。かなり時間が要される作業だ。プロ野球もかなりブロウドバンドで、モデムな時代になってきたからね。 しかし、清原登場のテ-マ曲「とんぼ」場内合唱はやっぱり燃える。ウォーウォーウォーってことで今、「とんぼ」を聴いている。雨の日31才。コンピーター といえば高校の頃、いっちょまえにコンピーターの授業があった。その教室はとても陽当たりがよくてポカポカしてた。頭の中もポヤンポヤンしてきて、下半身 がもぞもぞしてたのを思い出す。ついでに隣りのヤンキーな友達と体触り合いが始まり、ホモセクシャルぎりぎりで“ウワー俺やベー!”とかいってゲラゲラ 笑ってすごしてたのも思い出す。あの頃コンピータ-なんて僕の人生にいらんやろと思って切り捨てていたが、もちっと真面目にやっときゃよかった。花粉もお かげさまで楽になってよかったよかった。桜散ります今日この頃、いかがおすごしですか。

 最近ロバート・ハリスって人の『人生の100のリスト』って本を読んだ。このおじさんが若い頃、やりたいことの100項目をあげたものだ。それについて クリアしたことや、そのときのドラマが書き添えられている。かなりこと細かな欲望やら、ミーハーなこと、野心やらが書かれてて人の人生ののぞき見。すらす ら読めた。10代の頃の感覚だ。なりたいな、やりたいなと思うことは、そうなるだろうなと予言に近かったし。すぐにできることはすぐに動いてた。10代の 頃の感じだ。その頃の感じと今がなんか変わったのかと言えば、何にも変わっちゃいないのに、この本を読んで忘れてた風みたいなもんが吹いた。人生が変わる とか大したものではないけど、もっと欲張りに夢見てもいいんだし、やれないことはないんだと思い出させてくれた。僕はそんな瞬間が好きだ。野球チームを 作った時も、メジャーリ-グ進出しようぜってとりあえず言ってみる。みんな“?”マークになる。でも、やれんことはないやろって言うと0%が 0,0001%くらい広がる、それを感じ合う。感じる。ただの妄想に終わるかハッタリに終わるか、その後次第だけど、思いついたらそのゲートを開いとくだ けで風通しがよくなる。バカだバカだと言われがちなことだけど、今あるものだけで無理だと決めつけたり、誰かの夢の上でぶらさがってるだけよりバカじゃな いと思う。
 そんなことからはじまる奇跡が何度もあったし、今ある全部も、もしかすると誰かの思いつきが生んだ奇跡かもしれんと思うと少しおもろくなる。このコン ピーターもかなりな奇跡だ。んで僕も実際にノートに100のリストを書いてみることにした。そしたら7個しか書けなくてびっくりしたが、思いついたら書い ていこうと思う。例えば一つ紹介すると、これは予言だけども、僕はハワイでサーファーにもなるね、いつか。サ-フィン映画を観たばっかりってのもあるけ ど、これはかなり現実的だ。でノートに書いた時に、思ってるだけのときよりグンと近くなった。たよりない自分の字で“ハワイでサーファー”……なんだか 笑ってしまったけど、気分的にもうゴムのウェット・スーツに片足入れた気分だ。んでまた、うまくいかないことも、いつか夢見たことだと思う時がある。そん な風に納得しながら、それだけじゃつまらないから次の夢を探したりする。いつか僕もじいさんになった時、100のリストを照らし合わせて“おもしれーな俺 の人生”って言いながら“あれっ、まだメジャー・リ-ガーやってないわ”なんつって、庭で素振り始めるじいさんになりたいもんだ。

P.S. 映画は『ステップ・イントゥ・リキッド』っていうのを観ました。いろんなサーファーの紹介的なものですが、いろんな海が見れて気持ちよかったです。
(2005.03.20)

 人の旅日記みるのは楽しいです。結構ぶっちゃけて書いてくれてる。

2005年3月25日金曜日

Vol.62「2005年 花粉対策」の巻

 オスの杉が花粉まき散らかし、メスの雌しべにとどけりゃいいものを、もうそこらじゅうにまき散らすもんだから、僕の粘膜も受粉しちゃって、こんなとこに くっつけても何にも産まれりゃせんのに。雨上がりの車のフロントガラスやなんか見るに、黄色くなってて行儀が悪い。そういう事はこっそりとおしとやかに、 かわいく、ひっそり相手と2本でやってもらいたいもんだと目をこすり、こすりすぎて目が腫れぼったく鼻は垂れるが、認めちゃならんと音楽聴いて気分を高 め、気持ちで乗り切ろうと戦っている今日この頃。いかがお過ごしでしょうか? 花粉症なんかになったりしてませんか?
 つうか、全体的によくある例えで、宇宙船地球号みたいなグローバリズムでグローバルに感じるに、こう全体的に、どこいってんの~的な不安は、地震やら何 やら、人間が犯す事の何やら。おい、不安材料あげればきりがないけど、どこ向かってンのか。何もかも肝心なのは自分なんだって事に気付く。まず、変わって 行きたいのは自分からになる。
 自分の世界、宇宙、そこから徐々に広がってくもの。
 棚に上げて、目を伏せて、ぶらさがって、理想論で、しらじらしく笑う人もいる。ダメなとこ1つくらい笑わせてくれなきゃ、聞こえて来ない声がある。
 音楽はいい。流すだけで気分が変わる。音が鳴って、その人を感じると、どこかへ行ける。花粉症すら忘れてしまうから不思議なもんです。
 音楽、とても気分屋だから、ずっとそうやって自分でコントロールして生きていこうと思います。

 最近はアコースティック・ギター1本、1人でのライヴに誘われる事も多く、この前も当連載で前に紹介した元ウエンディーヒル、今アマドリと名を変え今度 デビューすることになった、そのアマドリさんに誘われ下北沢で歌った。ステレオから流した彼女の声に、いつか一緒にこん人と歌いて~なと思っていた。何だ かそのウエンディーヒルのCDからもらったもんがあったから、一緒に歌えたらなあと思っていた。チャンスと思いリハの時に、ウエンディーヒルの頃の歌を一 緒に歌おうと誘い、実現できた。僕は気持ちがよかった。もらったものを返すように、2人で空を飛ぶように一瞬なるから、歌っててよかったと思う。“私はハ エの子だわ”と歌っていた頃に比べると、アカ抜けていて、鳥になったんだなって感じた。
 脈略ないけど鳥といえばこの私、道を歩いていたら後ろからいきなり鳩に襲われた。バタバタと頭の上で威嚇されて、そのままくるっと後ろの電柱にちょこん と立って僕を見ていた。おぞましいものがある。鳥肌が立った。グローバル的に何かやっぱ狂っている。平和の象徴とか何とか言われているんじゃないのか。
 いろんな感情がある。いつでも心、水平に暮らしたいと思うけど、なかなかだ。感謝やなあという想いに溢れたり、人をやっかんだり。世の中で起こり得る事 ほとんどの事と、自分のどっかが繋がっていたりする。なるべくなら、ちょこっとでも素敵な気分、解放する素晴らしい気分もらって返して、キャッチボールで どんどん宇宙に増やしていけたらいいなあ。花粉はくしゃみぐらいしか返せんか。面倒な奴だ。
 ってなわけで最近はレオナって女の人の声や、ホールって外人のバンド人にイエイな気分もらってます。花粉症に効きます。ぜひおすそわけ。

(2005.03.22) 

 「だれだこんなとこにチラシをはったのは」
「また今月も締め切りぎりぎりにかいてるにゃ
もっとはやくからかいとけばいいのににゃ~」(中尾ウマ)

2005年2月25日金曜日

Vol.61「種を植え 春がきて 花が咲き カタツムリが進む」の巻

 春がきよる。
 満月か 建物と建物の間 道まっすぐ 僕をまちぶせ 都会の明るい夜にも負けず お月さん 光ってる  満月か あったかくなってきた 明日雨か。
 一雨ごとにあったかくなるって石原良純がいいよったな。あの人の言うことで、気がつくと顔がにやけてたり笑ってしまったりすると、なんだか自分の油断具合というか、気がぬけてる具合がわかる。なぜかしっかりしなきゃと思う。ほのぼのした感じがするんだろな。要注意人物だ石原良純。
 この前、新宿ロフトで毎年やってる『メッセージシャトル』っていうイベントにでた。今年のそのイベントの主なテーマ/メッセージがエコ。ゴミの問題やら、地球温暖化、森林伐採問題、リサイクル、などなどのエコ。具体的に、東京にあるたくさんのライヴハウスで飲み物を飲む紙コップを、何とかっていうリサイクルで作ったプラスチックのコップにかえようじゃあないかという運動、というか呼びかけをしてる人の話もあった。そうなれば何?パーセントの木が切られずにすむらしい(何%か忘れた、結構なパーセントだ……っていうかこういうとき数字言われると、なんか体にはいってこない)。んで、なんかいいなぁと思った。こういうことがあったりまえにひろまっていったらいいなと思った。しかしこのイベントで印象深いのが、アフリカンなダンスを踊る女の人達。リハーサルをみさせてもらったんだけど素敵でした。もう、太鼓にあわせて体中で踊る。その人達の、たまらず溢れだしてくる解放の、楽しさの、情熱の、そして祈りの様にも見える、命の……なんかこう、ほとばしるもんが素敵でした。伝わる。彼女たちは言葉じゃなくて踊りで発する。その人、人がいろんなこと感じて育ててきた種が花咲く瞬間、それをみせてくれる。私はこんなことしまして、こんなことやってますやらなんやら説明がいらん。踊りやら音楽、絵やら折り紙、何でもいいから作ったり、解放しちゃったりして、そんだけで気持ち交換しあって行けたら、時間はかかるだろうけどおもしろいなとおもった。
 『良いことは、カタツムリのスピードで進む』どっかで読んだガンジーの言葉を思いだした夜だった。
P.S.1 今年も送られてきた宮崎の親戚の作ったきんかん、ポケットに入れて甲州街道歩きながら食べて、木の生えた下の土のとこにペぺぺぺと植えときました。何年後かにみかけたらたべてみてくださいな。宮崎のきんかんお薦めです。
P.S.2. カナダでマフィアのボスになるのが夢だという青年と話しました。ボスになったあかつきには、孤児達がちゃんとした仕事につけるよう面倒みてやるんだとか、一般市民を脅かす悪い奴は俺がやっつけるんだとか熱く語ってくれ、たのもしく思いました。
 どんな形であれおもろしろい花咲かしてくれそうです。いろんな種類の種があるもんですね。

 (2005.02.23) 

 [東京の雪と宮崎のきんかん]ニガツ

2005年1月20日木曜日

Vol.60「2005年 正月日記」の巻

 明けましておめでとう2005! めでたいっ! 明けたぜイエイ! だれもかれもがめでたく、中には寂しく過ごす人もおるやろうけど、ともあれ振り向いたり願ったり、いつもと違うイベントだ。正月。今年からもよろしくねっ!
 大晦日ライヴを終えて、軽く打ち上がり、十二時までには家に帰ろうとタクシーに乗ったが間に合わず、運転手さんと“おめでとうございます”。雪がつもっ てたからまるめて自分家の窓に2、3個ぶつけて家に入って寝た。これは正月日記だ。
 元旦には弟と実家に帰った。久々にみんな集まって過ごす正月。延岡駅についたのは夜中だったので、弟と一杯ひっかけていくかっつうことで、駅前の小さな 飲み屋に入る。ヨレヨレのじいさんが、四、五人の客と飲んでいて、入ると「どっから帰ってきたんだ、おお東京か、おかえり~っ!」と狭い厨房に入り、天井 からかなり間に合わせで吊るしたとみえる和太鼓をたたき鳴らし、おめでとうの儀をはじめた。弟と苦笑いで一杯だけ飲んで帰った。
 翌日はばあちゃん家に親戚が大勢集まり、飲み方に始まり、それぞれの仕事の話やら、最近の状況やら、バカ話やら、説教やら、腕相撲大会。この腕相撲大会 がくせもので、そこに集まった親戚連中みんな体格がいい。マイク・タイソン似の高校野球児兄弟やら、日々力仕事をしているものやら。明らかに負ける。そん な剛腕者たちの試合は見ごたえがあり、白熱する。しかもこの親戚従兄弟男子の中で一番の年上である僕は負けるわけにはいかない。なるべく参加しなくていい ようなポジションに身をおいていると、女衆の中から「ゆう兄ちゃんもやってみねよぉ」と余計な一言があがり、“よっしゃ、やってやるぜ”と戦闘体制に入 り、その中で一番の剛腕で一番の年下現役高校野球児と対戦となった。僕はその従兄弟の人さし指と中指をがっしと五本の指で握りしめ、レディー・ゴウ! 接戦の末なんとか勝つことができた。「よっしゃー!」と喜ぶと、あまり盛り上がっていないご様子の周りの状況、“ずりぃー”的な微妙な空気。僕は“今年は こんくらいにしといてやるわ。また来年な”と、元いたポジションに戻り、ちびちび飲みながら心の中で来年までには力持ちになってやると今年の豊富をのべ て、いつのまにか眠った。
 翌日3日の日は早朝4時より釣り。左官屋さんの末広さんに、弟と連れて行ってもらった。真っ暗な山道を車ぶっ飛ばし港まで行き、そこから船に乗る。静か な港に船のエンジン音が響き、海面は湯気を出し、10人そこらでいっぱいの小さな船はその中をすべってく。磯場で降ろしてもらい夜明けとともに釣りはじめ る。僕にとっての“初日の出”に“初釣り”だ。「ここは素人でもデカイの釣れるぞ」と末広さんも言っていたし、“さぁ~て釣ったるか!”と竿をだすと、横 で弟がさっそく「釣れたー! タモ(綱)たのむわ!」と好調なすべりだし。慌てて自分の竿を置き網を出してやる。その日の本命、メジナの良型だ。やるじゃねぇか、と再び自分の竿を出 す。と弟にまたヒット。タモ網を出してやる。そんなことが何度か続き、“なんであいつにばっかり魚がくるんだ”と、プライドも無く弟の方へウキを近づけて いくと、ようやくウキに当たりがあった。「きたっー!」と声をあげ、弟がタモ網の準備をしようとする間もなく、釣れた魚は海面を飛び出し僕の手の中に。本 当に小さな小さな親指くらいのフグだった。しかも釣れたのではなく、尾ヒレに針がひっかかっていた。こんなに広い大海原でこんなに小さな針にこんなに小さ なフグの尾ヒレをひっかけるなんて名人芸だなこりゃと水平線を眺め、気をつけて泳いでくださいよと海へかえした。結局、その日クーラー(ボックス)は弟の 釣った魚でいっぱいになった。かなり自慢気にばあちゃんやらにみせていた。よかったよかった、来年の正月にリべンジだ。
 その日の夜は友達と街へくりだし集まった。なんやかんやとみんな子供ができたり、仕事が大変だったり、それぞれにいろいろある。自分がそうだからか、 “30ってみんな分岐点かもな~”なんて思いつつ、でも相変わらずなバカ話や昔話に花咲かして、なんか再確認した気分になる。別れ際、昔よく言ってたハッ タリのセリフ“ビッグになってくるわ”をはくと、自分でもなんだか違和感があったが、友達は「あんたがあんたらしく生きてりゃいいわ」。なんだか妙に、 “だね”っと思い、「うん、そやね」と言って別れた。
 忘れがちなもんて、やっぱある、年々そんなものが増えてんのかもしれん。親戚で集まったり、線香をあげたり、友達に会ったり、そんなことでちょっとクリ アーになることってある。年々変わっても変わらんもんがある。毎回帰る度に思うけど、そんな場所があるのが、やっぱり嬉しい。

1.男達の荒磯
2.弟の釣った魚(俺のが邪魔しちょるけど)
3.朝焼けマイ「初日の出」。フグかけ名人と
4.今年いい年になりますよ!