2009年12月17日木曜日

Vol.118「2009年、歌の旅」の巻


 気がつけば12月、今年もあと一ヶ月きった。
寒い。もっと寒くなる、1月2月いつものように寒さに耐える月だ。 熊達はもう冬眠に入っただろうか。

 冬眠したいが、いざやってみると大変なんだろうな。すぐ目が覚めちゃって、腹が減って。

 2009年.今年は、どんな年だったろか。
 はじめから思えば、やはりアルバム「東京インディアン」をリリースしたことはでかい。

 ニックバッカーズのみんなと、あぁじゃないこうじゃないと練り上げて、完成させた。

 何度かレコーディングを体験して、普通にやってるけど、目に見えない曲というものを、男達が集まって、どんどんよくしていこうと、それぞれの持ち場からのディスカッション。その中にいるとき、後から思えば非常に幸せな時間だなぁとおもう。船に乗って航海をしているような気分だ。

 旅といえば、大久保海太と龍之介とのツアーも、あんな-こと-こんな-こ-と-あ-った-でしょ-と光っている。

 全く別々に過ごしてきた歌の道で合流し、互いのライブをみて、一緒に歌い、それぞれが通ってきた旅の話を交わした感じだ。釣りでもパソコンでもなんでもいいんだとおもうけど、自分には歌があってよかったとおもう。
 自分は、人と話すのが苦手だ。繋がりたいとおもっていても、自分の話ばかりしてしまったり、わざわざ悪態をついたり。非常に面倒くさい奴だとおもう。音をだしたり、曲を作ったり、音で叩きあったり。そういうことで繋がれる時、余計なもんがなくなって嬉しくなる。それだけでいけないもんかとおもう。

 劇団ペテカンとのコラボレ-トもおもろかった。
もう15年くらいの付き合いで、別々の畑でたまにこうして再会して互いの旅の話を交わし、その先をこじ開ける。
 今まで身につけたであろうノウハウなんてなかったことにする。ぶっこわす。 そういうことの繰り返しだけで、旅は続いてく。そんな瞬間が嬉しい。

 今までやってきたといえば、今年は対バンした何人かの男子に「聞いてました」とか「影響受けました」とか言われたことを思い出す。自分が生きて歌ってて、知らないとこで誰かの心にポチャンと石ころをなげ、少しでもわっかがひろがっていたことを知るのは嬉しくおもう。自分も勝手にいろんな人から影響を受けてきたから、バトンがわたっている感じか。
 そのために歌ってるわけじゃないから、あまり関係ないことではあるが、自分にしかわからない光みたいなもんをみて、やってきたことで共鳴できることが嬉しくおもう。んがしかし「ギターとかあんまりうまくないのに、バ-ンと歌っていて」とか、ほめられてんのか、けなされてんのかわからない感想が多いのも否めないが、それはそれで、おっけいだ。

 波紋が広がるといえば札幌、名古屋、大阪、福岡、宮崎、千葉、東京。今年もいろんな場所にて、歌わさせてもらった。長いこと参上できなかった場所にも待っていてくれる人がいることを実感した。行けてない場所にもたくさんの声をもらった。来年はもっとまわっていけたらとおもう。四国にもいよいよ上陸できそうな予感だ。まだまだ続く、ぶっこわして作ってく。そこで味わう光みたいなもんは、やっぱりやめられない。
 相変わらずその繰り返しを2010年もしこたまできたらとおもう次第だ。

 というわけで、来年もシコシコ書き物をし、歌い、旅をし、いろんな出会いを体験できたらとおもう次第だ。 冬眠してるばやいじゃねぇべと、寒さに身をなげ冬をあるくことにする。2009、いろんな出会いと共鳴にありがたくおもいながら残りの2009を味わうとするべ。そして少々早いが、メリークリスマス&ハバナイス2010! よい年を!だ。

またライブで会おう!

2009年11月4日水曜日

Vol.117「芸術の秋、チームワーク」の巻

 めっきり冷え込んで、長い冬になりそうな予感を感じ、はやく春がきてくれないかと願う今日この頃、いかがおすごしか。あっつい夏やさっむい冬に宿なしのおっちゃんらがベンチや道端で寝てるのを見かけるけど、あっちーのやさっみーのを耐えるだけでも、かなりきびしーもんがあるなーと。むしろ何もせずに、ただ耐えるだけってのは、かなり精神が強くなければできないことだろうとおもったりする。

 バイザウェイ、寒くなったとはいえ、また少しは秋らしくなるだろうってことで芸術の秋。改めていかがおすごしか。

 2009の秋は、自分にとって非常に秋らしい秋になりそうだ。劇団ぺテカン(http://www.petekan.com/)の主題歌を作ったというのはでかい。役者さんが初めて台本のページを開き、初見で声にして、それぞれの役者が読んでいく本読みに立ち会い、そこで感じたことを持ち帰り、ポロロンと曲にして、バンドのみんなで肉づけし録音した。

 それが舞台のどこかで、ほんの少しでも流れるってのはおもしろい。というか作ってる段階、というか、たのまれた時からおもしろい。

 自分は、独りでぼそぼそ歌うのも好きだし、叫ぶのも好きだけど、誰かとぶつかって何かを作るのも好きだ。自分の見えてる世界をそのまんま誰かの力を借りて、ここはこうでと一緒に作ってくおもしろさもあるけど、自分が作ったものを人がぶっ壊したり、自分がぶっ壊したりして、結果、この世になかったものが、新しくできるのがおもしろい。これはもう、互いの生きざま勝負みたいな感じだ。

 自分は、会話や約束よりも、そこにコミ二ケーションを感じる。言葉だと気を遣ったり、言葉たらずだったりすることが多いけど、共通につくりあげるものがあって自分のやってきた音楽というものに、没頭し、遠慮なくそれをぶつけ、相手もまた自分のやってきたものをぶつけ、誕生させる空間。非常に儚く愛しいものではないかとおもう。

 劇団、ぺテカンのことを書こう。ぺテカンとはもう15年くらいの付き合いだ。中学校からの同級生、本田誠人が結成当初から脚本、演出を務めていたので、観にいったり、ライブにきてくれたり、飲んだりしていた。また、バンドと演劇の即興対決をしたり、一緒にライブもやった。

 ずっとみていて、ぺテカンのすごいとおもう一つに、チームワークがある。結成したときからメンバーそれぞれが、役者のほかに、大道具や音響やらを担当してるのもそうだし、作品を観ていてもおもうが、もひとつおもったのは、野球だった。
 自分は、インザスープのメンバーと田中の大ちゃんと、あと野球経験者などで「ガッツジャパン」という野球チームを結成し、ぺテカンチームと対戦した。

 ぺテカンチームには野球経験者が誠人を含め2~3人と少なく、おまけに女優陣も参加しており、その時点で我がガッツジャパンは勝利を確信した。とはいえ負けるわけにはいかないので手をぬくこともせず、野次なども飛ばしあいながら白熱した。ぺテカンチームは案の定、女子もいるし、エラーはするし、あんまり打てないし、一人一人を見たら、すんごくへたくそであった。であったが、ミスが起こる度にだれかが必死にフォローにまわり、遠くからでも声を張り上げ、テンションを高めあい、次第にその熱がでっかい塊のようになってきた。互いに勝利を信じ、何よりにこやかに、全員で野球を楽しんでる。それから何度も奇跡が起こり、自分はピッチャーを担当したが、女子にも男勝りな打球でヒットを打たれたりと、あれよあれよと終わってみれば、我がガッツジャパンは敗北を喫していた。

 今でも覚えてるあの感覚。目の前で、ありえないことが立て続けに起こっていく。一人一人はそうでもないのに、塊になるとすんごい力を発揮する人たち。こんなことって、チームワークってホントにあるんだなぁと。キン肉マンが友情パワーって言ってたり、がんばれベアーズ系のへっぽこチームが、勝利し、のしあがっていく系の映画だったり、漫画や映画の世界だからだろうっておもってた奇跡をホントにおこす人達。信じる力、信じ合う力を、びっくりするくらいまざまざとみせつけられた。
 勝利に喜びあうぺテカンチームの非常に神々しい景色に対し、漫画や映画であれば悪者風に映るポジションに自分たちがいること、自分の中の怠惰な心などを恥じた。その上に、自分らのユニフォームには、胸のところにデカデカとカタカナで「ガッツ」などと書いてあり、隠したくなり、「何がガッツだ」とおもったことを覚えている。

 チームワーク。へっぽこでも、気持ちで、信じる力があれば、奇跡を起こせる。自分の場合はそれを音楽やバンドで感じてきた。今回の主題歌のレコーディングでも、それは起きた。ニックバッカーズにて互いを信じ全員でぶつけあった塊を、そんなぺテカンにぶつける。それぞれにバラバラになってくなんてことも、時いく毎に感じたりもするが、だからか、こうやってこっちはこっちの塊をぶつけたりして、チームとして関われたりすることは贅沢なことやともおもうし、嬉しく思う次第だ。

 しかしこれ、ほんとにあるんだね、がんばれベアーズ的なことって。
 向こう三軒両隣、町内会でチームワーク、広がって世界、なんてことを簡単に考えれば、世の中意外とよくなったりするんじゃないか、なんてことを隣人の顔も知らない部屋にておもってみたりして。

 ともあれ、全国のエブリバデ、そんなぺテカンにニックバッカーズが主題歌で参加した「拝啓、絶望殿」観劇されたし。ハバナイスオータム!
終わり

2009年10月13日火曜日

Vol.116「台風雨宿り」の巻

 台風いっきに日本を北上してった。東京は風がボーボーふいて、怖いくらい、眩しい青空。
いかがおすごしか。

 台風来るまでは、少し冷たい雨が降り続け、なんだかこのままずっと降り続けるんじゃないかともおもったし、今までもずっと雨が降り続いてたんじゃないかとおもわせた。
雨が降っているのが当たり前。ともなって気分も少し、アンニュイになったりして。

 ずっと昔に対バンした氣志團が「やまない雨はないんだぜ」なんつってMCでいっていたのをおもいだしたりして、頭の中で何度かまわって、そうかもなと、空をみた。

 今までのことをおもえば、小さな時から雨は降っていたようにおもうし、その雨がやんで、晴れたりしてきた。が、また雨はふるし、それを繰り返してきた。

 晴れてばかりいたいもんだとおもうけど、そうはいかなく、雨はくる。

 雨ふりばかりかとおもえば、晴れ間がある。

 いろんな顔をみせる空がいてくれてよかったとおもう。

 空と心はにているなぁとおもう。

 雨がふったり、晴れたり、朝焼けだったり、夕焼けだったり、色が鮮明だったり、鈍かったり。同じ空がなく、ゆっくり変わっていって救われる。

 いろんな顔をみせてくれる空がいなかったら、人は正気を保つことができなくなるだろうなとさえおもってしまう。

 自分のことだけ考えて、窮屈になったり、こうあらねばならないと、自分に強いて、閉じ込めたり、人を疑ったり、恨んだり。

 空からみてみたら、そんなことが、とてもちっぽけにおもえてくる。

 決めつけたりすることがある。自分の不安を楽にしようと、おもいどおりにしようとする心がある。計算もする。ゆとりもなく、自分の足らないことだけを、うめあわせようとするときがある。そんなとき、空さえ征服できるとおもいこんでるんじゃないだろうかとおもう。

 何かを作っている時、その空は無限に広がる感じがする。そんなことだけでつながれたらと思う次第だ。
 台風がくるまえの雨宿りにて、ふとそんなことおもったりしたりして。

 順番をまちがえるなよと台風が、おもいあがるなよと暴風雨が、街や人を通りすぎてみせてくれた青空が、まぶしく光る日だ。

2009年9月8日火曜日

Vol.115「夕焼けの秋」の巻


 夏が雲に隠れてた分か、秋が少々暑く感じる、あ~ついあ~き、あ~ついあ~き、あ~ついあ~き-み~つけた-ってな今日この頃、いかがおすごしか。

 秋はベトベトしてなくていい。透き通っていて、遠くまで見えるし、色もくっきり見える。晴れたり曇ったり、オレンジだったり、青かったり、白かったり、紫だったり、暗かったりで留まらず、動いていて、空は心みたいだなぁとおもうけど、どんな色、形にしてもそれがくっきり見えるから、やっぱり秋が好き。
 夕焼けがきれいにみえるのも、いい。

 夕焼けって、みちゃう。夕焼けってふるさとな感じがする。夕焼けって寂しい気持ちや悲しい気持ちが燃えてるみたいな感じになる。昔のドラマの主人公がバカヤロウ!と夕焼けに叫ぶ気持ちがわからなくもない(ってそんなドラマ見たことないけど)。

 ふるさとって僕には何箇所かある。細かく言えば、一度住んだらその街の雰囲気が故郷感覚になる。
 歌を聞いて、その歌を聞いていたころの景色や匂いが蘇るのも故郷感覚だとおもう。

 体がどっか、その瞬間に帰る感じになる。



 こないだ、ぽつりとあいた休日に、どこか遠くの方に電車に乗って行きたくなり、千葉県の我孫子市に行った。

 ここは自分が幼稚園時代を過ごした場所で、7~8年おきに、なんでか来たくなる場所だ。

 なんもなく、錆びれた小さい湖北という町。

 今の自分より若い父と母が、幼稚園の僕を育ててくれた町。

 この道をどんな気持ちで二人は歩いていたんだろかとか、まだオモチャ屋さんあんだとか、何を探してんだかぷらぷら歩く。

 蕎麦屋にはいり、店主にこの町の歴史を聞いては、なんだか感慨深くなる。

 ド-ナツ化現象で、都心から外れた緑ばっかりの湖北に団地が建ち並び、一時的に人口が増え、町が賑わったことを聞き、店主の話と、自分の記憶の景色を重ねて、その記憶が深くなるのを感じたりした。

 あの賑やかな団地の催し物や商店街の人達、その中にあった我が家族の小さな暮らし。
 子供達は大きくなるとこの町をでていくものだから人口は減り、今では町がかなり静まりかえっていることも聞いた。

 その静けさがまた、自分がいなくなってから町もずっと止まってたんじゃないかと思わせ、次から次へ、ここでカブトムシひろったなとか、蝶がサナギから大人になるのをずっとみていたなとか、記憶が蘇る。

 少々カッコ悪いが、心が泣けてくる。

 随分時間がたったんだなあとか、わかりきったことだけど、もうもどれないんだなあとか、実感してくる。

 いくしかないとおもう。
が、あの頃の誰かに会えそうな気がして離れられない。

 一人、一日ぷらぶらと歩いた。

 夕焼けに続く道があって、幼稚園の頃とおなじように、そこから夕焼けを見て、かえった。

 延岡でもアメリカでも我孫子でも、東京でも、どこにいても、僕に印象的な夕焼けをみせてくれ、ふるさとってのは夕焼けのことなんじゃないかとおもわせるくらいだ。

 振り返るってのはなんかかっこわりいが、「もどる場所があるから人は旅をする」って言葉があるように、また次にいくために夕焼けをこの町まで見に来てよかったとおもった。

 錆びれていて、ものがなしい町だけど、湖北って町も僕には大事な町だ。
 どこにいても夕焼けに帰る、そんでまた旅にでる。透き通る夕焼け、どこまでも見える。2009年、秋だ。

2009年8月12日水曜日

Vol.114「2009年夏、最近おもう」の巻

ムシムシ暑くなりはじめ、ようやく夏らしくなってきたかと、蝉の鳴き声をきく今日この頃、いかがおすごしか。

 最近頭をよぎるのは、夜、自動販売の光に群れる虫のこと

 自分はあの虫のようだなぁとおもうことがある。

 暗闇のなか、光をもとめてと言えばかっこよすぎるけど。

 自分の印象では、自動販売機の光に突進する虫ってのは、なんともまぬけな印象だ。

 あの虫達も、自分たちがなぜこんなことをしているのか、わかってはいないんだろうとおもう。

ただ、無性に体のどっかがくすぶりはじめ、あの光に突進せざるをえないんじゃないかとおもう。

少々壊れてるようにもおもえる、あの突進の仕方。クワガタだってカナブンだって夜の人工的な光に突進していく。

あのどうしようもない衝動ってのは、生物学的に理路整然とした理由があるのかどうかは知らないが、自分が考えるところでは、もともと月に帰りたがる本能というのが生き物の中にはあって、月の光だとおもいこみ突進しているような気がする。

月は遠く、戻れない場所。甘ったれた自分が月の光だと信じ込み、自動販売機の光や電灯の明かりに突進していく。そんな図が頭の中にある。

自分が突進してぶつかって、ずっこけたときなどに、思い浮かべる光景だ。

もう、月には戻れないのだから。馬鹿なことはやめようとおもっていても、またくりかえす。ぶつかるまではわからない。きっとそうやって、自分の小ささを感じながら生きていくんだろうともおもうが、一つずつでも大きくなっていけたらと、突進する虫達をみておもう。



 また、最近気になるのは、マンションやビルの屋上にあるアンテナと避雷針。

仲良く横に並んでるが、アンテナは溢れるような情報をキャッチしては各部屋にそれを流す作業をしていて、てんてこまい。ふと横をみると避雷針がすーっと立っている。

雷が落ちてくる時のためにただ立っている。一生の間で一度もないかもしれない、その時のために、ただ立っている。これも実際は他の仕事をこなしているのかもしれないけど、素人目からみた勝手な想像だ。

避雷針はカッコいい。憧れる。危機管理、自己犠牲、男らしい。

この大自然の恐怖から、人々を守っている。やつがいるだけで、安心できる。
高倉健に似たかっこよさを、どこかしらかんじてしまう。

んが、どちらかといえば、自分はアンテナチックだなぁーとおもう。
錆びて壊れたやつ。時々ぼーっと眺めてしまう。


しかしこれ、自分を何かに重ね合わせ、会話を聞くというのは、その時の自分の状態を客観的に知れ、ひとつバロメーターになったりもするんじゃないだろうか。

アンテナが、「てんてこまいで、あふれる情報を処理できんわ……に比べて避雷針よ、おまえはいいなぁ立ってるだけで」

とアンテナが愚痴ることがあれば、ちと自分疲れてんなと。自分ごとをちゃんとやらんとなと。
もっとおもろい会話になるようにしてみる。


アンテナと避雷針、見ているだけでいろんな会話が聞こえてくるし、その二つの立ち姿が漫才コンビのようでもあって、おもしろい。



また最近おもうのは、人の心って丸いわっかのようなものだなぁってこと。
大きさや色ややわらかさは人それぞれ。


人のわっかを見て感じて、かたく言えば尊重しないと、自分にかえってくる。
自分は思い込みや勘違いの多い方だとおもう、人のわっかにズケズケと、入れるはずのないとこに、突進することがある。自分も労力をつかい、人も疲れさす。
そんな帰り道、非常に残念賞な余韻が残る。これも一つずつ、もっと人のわっかが見えるようになれたらなぁとおもう。

わっかは「閉鎖的」ってのとは違って、わっかがあるからはじめて共鳴できたり、ぶつかったりできるものなんだなぁとおもう。イメージはプニョプニョ達が笑ってる感じ。
わっかをイメージするとき、自分はより自分になって、人は人になってく。そこで、人のわっかと笑いあえて、気持ちのいい風がふくんだとおもう。んで、そのわっかを硬くするのも、軟らかくするのも、暗くするのも、明るくするのも、自分次第だなぁと、あったり前のことだろうけど、そんなことおもう今日この頃だ。2009年、夏、曇り。

2009年7月9日木曜日

Vol.113「赤羽ツアー2009」の巻

梅雨真っ盛りでベトベトで湿気ムンムンの時など、不快指数たけーなこりゃとおもうも、カタツムリやアジサイは喜んでんだろうなぁーとおもうと、いいとこもあるんだねぇとカタツムリの喜びに便乗したくなる今日この頃。いかがおすごしか。

6月は非常に思い出深い月になった。

赤羽ツアー、その前に帰郷した一週間、銀座でのライブ。

いろいろありすぎて何から書けばよいのか。先ほどまで、帰郷した一週間を書いていたらとてつもなくながくなってしまい、途中で全部消してしまった。今おもえばもったいないことをしてしまったと後悔しそうにもなるが、はじめからやり直しだ。おかげでこのアルファベットを打ち込むのがだいぶ早くなった気がする。

さておき、赤羽ツアーはなぜに赤羽だったかっちゅうと、顔合わせミーティングの時みんなレッドウィングのブーツを履いていたからでした。名前ってけっこうなんでもありだよね、なんて言ってたのに、気がつけばみんなこだわりはじめ、迷った挙句にこれでいいんじゃない?的に決まった。
決めてしまえば名前に愛着がわくかどうかはツアー次第だ。
結果、赤羽ツアーは愛着のわくものになった。

なんなんでしょうか。大久保海太氏と龍之介氏。(以下敬省略)

大久保海太とはデビュー当時から知り合いではあったが、あまりよく話したことがなかった。それが3年前に同じイベント出演した打ち上げで、気がつけば朝方、大久保海太と面と向かって話しており、その時大久保海太が目が覚めるくらいおもしろいことを絶妙のタイミングで僕に言い放ったのがきっかっけで、距離がちぢまった。僕はほんとに一度でも腹から笑わされてしまうと、急激に距離が近くなることを知った。ってあたりまえか。

龍之介も同じくイベントの打ち上げで飲んで、何やらミステリアスにぼそぼそとおもしろいことを言っていて、二人とも自分の名前を看板に歌ってきたものの、骨太さがあり、それでいて絶妙な間の取り方っちゅうか、なんちゅうか、単純におもしろい。今まで自分はバンドであっても、積極的に打ち上げなどで知らない人と話したり友達になろうとかしてこなかったので、気を使わずそうなれたことがおもろかった。

福岡では3人でやる初めてのセッションだった。何も決めずにコードをまわし、即興で歌い合った。これもまた笑いと同じように、互いがぶつかることで、わかりあえる手段でもあるようにおもう。
おわり、やまちゃんでのんだ時、梅酒サワーを注文すると、店の人が「うちのは梅酒をキリンレモンで割ったやつだけどいい?」と聞かれたので了解しそれを飲むと、おいしかった。早速東京にもどり自分でそれをやってみたところ、そうでもなかった。福岡には一種独特の雰囲気と活気があり、ラーメンもそうだけど、あの地だからこそおいしいもんがいっぱいある町だなぁとおもった。近いうちにまたこなくてはと誓い、一旦東京にもどった。

名古屋の夜も満杯のお客さんであった。懐かしい顔にもたくさん会えた。それぞれがそれぞれのステージをやる。ほんとうにそれが、それぞれで立っているので、非常に刺激になった。それがなかったらただの馬鹿話軍団ツアーだけど、それぞれのステージから得るものがあった。その夜24時を超えぼくは36になった。寝る前に二人が、小さな声でハッピバースデーを目の前でうたってくれた。


大阪、非常にいかしたつくりのライブハウスで、半野外みたいになっており、大阪の街に歌が響いて行く感じだった。楽屋もステージの裏にあり、電気がつけれず暗闇の中ですごすんだけど、そこできくステージからの、それぞれの歌が心地よく聞こえた。その日二番手だった龍之介がステージからもどり、暗い楽屋の中で、深刻そうに「申し訳ないんだけど、歌で納得いかない所があったから、ゆうすけくんのステージが終わった後、ちょっとしゃべらしてくれないかなぁ」と言った。すごくいいステージだとおもっていたが、発する側にはいろいろなこだわりがあるんだろうなとおもい、いいよと言った。

その日僕は三番目の出番で、トリだった。来てくれたみんなと大阪の街に響け!と歌をかました。
ステージが終わり楽屋に汗だくでもどった。アンコールが聞こえてた。
すると龍之介が「じゃ、ちょっとわりーけど」と楽屋を出てった。なにを話すつもりなんだろうかと楽屋で聞いているとギターの音が聞こえだした。普通、このような場合、何かよっぽど強い思いが溢れてしまうからとかならわかるが、自分のライブが納得いかないからといって、最後にもう一曲歌うなんてことは考えられない。僕はステージからギターの音が聞こえてきた時、横にいた大久保海太に暗がりの中で「歌うの? え? 歌うの?」とあせりながら聞いた。さすがにそれはないだろーと。すると大久保海太は龍之介のことを「ちょっと、変わってるから、、、」と少しあきらめたような声で言うので、うん、確かに変わってるけどもやねーとおもってた瞬間、ステージから聞こえてきたのは、「ハッピバースデーユースケー」だった。その歌がはじまったとたん大久保海太が僕の両腕をがっちり掴み強制連行にてステージに出されてしまった。完全なるサプライズで、さっきまで「え、まじかよ龍之介」とおもっていた小さい自分と、嬉しいのと恥ずかしいのやらで、非常にどんな顔していいかわからないままマイクの前までつれていかれ、お客さんに配られてたクラッカーが一斉にはじけ、きれいで、何だか完全にやられた感じだった。あの瞬間の気持ちのジェットコースター、ヤメテ止めてヤメテ止めてと、残念ながら嬉しく犯された気分であった。サプライズに自分がひっかけることはあっても、一生自分がひっかかることはないだろうとおもっていたので、びっくりであった。まいった。綺麗な景色がのこってて、忘れられない誕生日にしてもらってしまった。


東京、三か所とはいえ、三人で旅してきたファイナル。四か所目。

おもえば色々な場所でヘイヘイホーしてきたなぁーとその集大成をどかんだった。
東京にもどると、宮崎出身ではあるが、それはそれで、帰ってきた感があるもんだなぁとおもった。

僕はタイバン形式のライブっておもろいとおもう。それぞれに違う場所で、違う歴史を刻んできたもん同士が同じ日に、同じステージで、入れ替わるとは言え、同じ空間を作るわけだから、普通のタイバンであっても奇跡的なことなんだとおもう。それがツアーになって、同じメンツで移動も寝るのも飯食うのも同じ時をすごし、各場所にて、それぞれに闘いながらも同じ空間をつくるってのは、すんごい奇跡だ。その瞬間を感じにきてくれたみんな、それぞれのスタッフのみんな、各ライブハウスのスタッフのみんなには、会えて嬉しくもあり、んで非常に感謝してます。ありがとう。 

 
やっぱり、旅はいい。流れてく景色、山を超えてく感じ。緑が後ろに流れて、溶けてく感じ。ついでに脳みそもとろけて、余計なことを考え過ぎてたかもなとも思わせてくれ、さらにくだらない話で腹よじらせて笑える仲間がおるってのは、やっぱいいもんです。さらにさらに、各場所にてライブして、そこへ、集まってくれるみんながおるってのは、こんないいことないべってなもんです。

そんな旅も終わり、またそれぞれになって、旅してく。またどっかで会えるだろうとおもわしてくれる。
そうやって繰り返しながら、人生を旅できたらとおもう、そんであと自分は、2個3個、突き抜けなくてはと強く心におもうワルサーP36だ。


海と龍。

チンピラ#1。

チンピラ#2。

流れてく景色。

由比。
東名高速の途中。

2009年6月9日火曜日

Vol.112「星から星へ」の巻


しな~っといつの間にか梅雨っぽくなり、そしていつのまにか夏がやってくるんだろうなってな今日この頃、
いかがおすごしか。

 5月29日、ゴーゴーニックバッカーズの日、来てくれた人も、来れなかったが気にかけてくれたみんなも

 どうもありがとう。

ワンマンライブを無事、遂行することができて、んでまた会場にてアルバム『東京インディアン』をはばたかせることができて
嬉しくおもっています。

手にした人も今から手にする人も、できれば一度は大音量で聞いてもらいたい。なんてのは毎回おもうが、勝手なこちらの願望なので気にしないで自由に聞いてください、大音量で。聞こえてなかった声や音、せんぱーい的なのではなく、それぞれの魂がより聞こえてきて、発見があるかもしれません。いやはや、おしつけがましく申し訳ないが、そんなこと、毎回おもってしまいます。

『東京インディアン』。このアルバムをひっさげ全国を廻ろうとおもう。
いま決まっているステージ以外にも、ブログのほうでアンケートをとらせてもらった場所にもいってみたい。

 石川県や神奈川、札幌、室蘭、岩手、豊橋などなどたくさんの「うちの街にはこんな場所あるぜー歌いにこんかい!」をもらった。
まだ返答できていなく申し訳ないのだが、じっくり作戦を練って、出向きたいとおもっている。その時はぜひ生で会えたらとおもう次第だ。


ステージの上に立っていたい

うたっていたい

まだ知らない街にもいってみたい

より多くの人に聞いてもらいたい

ステージからステージへ旅していたい

より実感していきていたい

そうやって旅を続けられたら

おもろい人生だったとまたどっかへ行けそうな気がしている。




 清志郎さんは生きてるうちにスターだったので、しんでしまったら、風かなにかになったんだとおもう。

けど、今輝いてみえる星は、実はもう存在してないかもしれないってのと同じように、清志郎さんが生んだ曲達はこれからも輝くんだとおもう。 

清志郎さんが壁をぶっこわしておいてくれたおかげで、今のバンドマン達が当たり前に歩けてる道ってあるとおもう。

自分でいろんな壁をぶっこわしたつもりでも、がれきの一つをひろい、よくみてみると、「キヨシロー」と書かれていてくやしくなったりする。


 これから、清志郎さんの歌はうたい継がれていき、キラキラし続けるだろうし、清志郎さんが壊しておいてくれた壁のことを僕たちは知るんだろうとおもう。僕は僕で、清志郎さんが壊し忘れてった壁をぶっ壊していけたらとおもう。

2009年5月1日金曜日

Vol.111「うれしいのは」の巻


新しく芽吹いた緑がきれいにみえます。もう初夏だねこりゃ。
にしてもあったかかったり、寒かったり、気温差あるけども、いかがおすごしか。


僕にとって幸せというか、喜びというか、大袈裟になるけど生きてていかったとおもえること。
まだ先に行けるとおもえることの一つとして、「曲ができた時」がある。
静かに喜ぶ、心ん中が充実で一杯になる。
曲はいくらでもできる。そのかわり、自分がきらいになるときもある。
非常に疲れる、オエっとなる。
どうやら、なんでもいいわけではなさそうで、よくわからんもんです。
本当はなんでもいいんだろうけどね。そうなれたらともおもいます。

できたとおもえる時は、先がみえる。だからといって言いふらしたいわけではなく、自分で喜んでる程度だ。
そのあとで、誰かに聞いてもらいたいなと少しずつおもう。

僕は前々から「アーティスト」って言葉や「クリエイター」って言葉に何かしら微妙な違和感を感じる。
単純にオシャレな印象があるってのがひっかかるとこだとはおもうが、なんなんだろうか、どうでもいいが「これが僕っす、こんなんでました」くらいがいい。その言葉を肩書きとしてる人達と何人もすれ違ってきたけど、切って貼り付けただけの人もいて、すこし寂しくなる。東京の時間の中でその肩書きで飯を食べなくてはいけないとき、それも仕方のないことはわかるけど、自分の暮らしの上で自分の言葉で話してる人の方が、よっぽど生きてるパワーを感じる。誰もがアーティストなので、わざわざそういう呼び方はいらないんじゃないかともおもいます。

どこを歩いてきたのか、どんな風景をみてきたのか、何に触れてきたのか、その人のフィルターや温度がほんの少しでも通っていないと、わからない。その人の手あかがついてないものがよしとされてる。それはそれでいいんだけど、ぼくはおもしろくない。
生きてれば、キレイなもんばっかりみていたいとおもうし、おもったとおりに生きたいともおもうけど、そればっかりじゃないから、何かうまれてきたりするんじゃないやろうか。

バイザウェイ。時々バランスばっかりとっていると、「あ~」と唸りたくなる。
グランド整備のとんぼで滑らかになった地面の下のマグマを開放するべく、何かがうまれることもある。
うまれた後で、自分の浅はかさを知ったり、よっしゃとなれたり、そんなことを繰り返しながらいくんだろうとおもいます。

色んな人がいるのはおもろいし、色んな自分がいてもおもろいとおもいます。
まだ知らない自分や人を知りながら、誰かがいてくれて自分がとべること感じながらいけたらとおもいます。


「東京インディアン」というアルバムを出します。2007年くらいから最近までのアルバムです。タイトルは10代の頃に憧れ出てきてずっと暮らしてる東京と、20代の頃より秘かに憧れていたインディアン。自分の中で相反する憧れですが、今の自分にピッタリであるなーとおもいます。聞いてもらい、耳じゃないとこにも何かが届けられたら、嬉しいし、おもろくおもいます。(おわり)

夕焼けをダンクシュ-ト。

6月のツアーの打ち合わせ。
三人のボ-カル親方によるミイティング。
びっしりとそれらしく書いてますが、中身は
「お酒はのんでもいいしのまなくてもよい」とか
「くんづけで呼び合おう」とか。
頭悪い感じですが楽しみです。

2009年4月3日金曜日

Vol.110「船太郎の冒険」の巻

船太郎は港につながれてた
波に揺れながら壁にコツコツあたりながら
 それはそういうものなので、船太郎はなんの疑いもなくそうやって過ごした。
 プカプカ、ユラユラ

 あるとき、つながってたロープがスルスルとほどけた

 ゆっくりと港からはなれてく。船太郎はあせった
マジかよとおもったが、ただはなれていく。不安で泣きたかったが泣けず、もどることもできない

心だけがガヤガヤ騒いだ

船太郎は諦めた

 なるようになるしかならなかったし、泣いたってどうにもならないとわかっていた

かってにすすんでく

 不安だった。仲間の船ともはなれてく

 沖の方へ一人流されてく
 海の流れに身を任せ、ゆっくりと一人になった

もう港は見えない。周りを見ても、なにも見えない。水平線が囲むだけだった
そのうち太陽は沈みはじめ、燃えてるような夕焼けになった

 海と空がはじまってるあたりがボ-ボ-燃えていた

 船太郎はなんども夕焼けを見ていたが、こんなに激しく燃えている夕焼けを見るのは初めてだったので、少し怖くなったが目を離せなかった

 ずっと見ていると少しずつ火が小さくなっていき、空はどんどん暗くなっていった
 暗くなりはじめた夜は、港での夜より暗かった
船太郎は怖くて目を閉じた。静かな海の上で自分を揺らす波の音だけがきこえた

 船太郎は一生懸命、目を閉じた

 海の音をききながら、真っ暗のなかで港に帰りたくて、港のことを考えていた
 そのうちそれは夢になって、船太郎は眠っていた

 漁師達と水しぶきをあげて漁にでたこと

 大漁だったときの漁師達の歌

 港で待っていた奥さん達の嬉しそうな顔や、漁師達の誇らしい顔

 休みの日には陸にあがって、漁師達がカラス貝やのりのヒゲを剃ってくれたこと

 仲間の船達と歌ったこと

船は楽しくて眠りながら笑っていた。楽しい夢だった

 体があったかくなって船太郎は目を覚ました。朝になっていた

 一人ぼっちになったことをおもいだし、船太郎はまた心ぼそくなったが、とりあえず夜を乗り越えたことにホッとした。

 そんな夜と朝を繰り返しながら、船太郎はただ流されていくしかなかった

あるとき遠くから同じような船が流れてきた。「お-い お-い」と船太郎はよろこんで、こっちにくるのをまっていた

 その船は歌いながら近づいてきた
ヒゲボ-ボ-でカラカラのおじいさん船は、楽しそうにうたっていた
 船太郎は「おじいさん、 あのぉ僕はどおすればいいんでしょう。この先にはなにがあるんですか?」と尋ねたが、おじいさんは楽しそうに歌ってばかりだった
 うたい終わると、くじらやカメと出会って歌を作ったことや嵐の夜の武勇伝をおもしろおかしく聞かせてくれた。あんまり楽しそうに話すので自分まで楽しくなった
 ひとしきり話すとおじいさんは「じゃあまたな」と離れていった

 いろんなことがあるんだなあと船太郎はドキドキした
 その日の夕焼けは綺麗に見えて、なぜかもう怖くなくなかった
 夜にはじめて目を開けてみると星が一杯で鳥肌がたったけど、なんだかおもしろかった。綺麗で嬉しかった

そんな夜に船太郎は初めて歌をうたった

 翌日も船太郎は、目を覚ましてうたった。うたっていると鳥が遠くから飛んできて、船にとまった
鳥達も一緒になってうたった。うたい終わると一緒に笑った。誰からともなくまたうたいだし、その日の夜は一緒に眠った

 朝がきて鳥達は「じゃそろそろいくね」という

「えっどこにいくの?」
「わからんけど、あっちのほうだよ」

「わからんならいかんでいいやないか、もう一曲うたおうよ」
「じゃ一曲だけね」

船太郎と鳥達はうたった

 楽しかったけど少し寂しかった。船太郎はいつもより大きな声でうたった

 船太郎の歌が終わらなくてうるさくきこえてきた鳥達は、じゃあそろそろいくよと歌をやめた

「なんでや、どこにいくんだよ」と船太郎は少し怒って言った
「わからないよ。でもいかなくちゃいけないんだよ、あっちのほうに、あっちのほうにいくんだよ、じゃあね」と鳥達は飛んでいった

船太郎はだまったまま、とりあえず鳥達が見えなくなるまでみてるだけだった
いかなくちゃいけない場所もいきたい場所も船太郎にはなかったし、怒ってしまった自分が嫌になった。船太郎は、なんども叫んだ。「 ボ-!ボ-!ボ-!」

叫び疲れた船太郎はポッカリした気分で、眠った

翌日、うたうのをやめた船太郎に寄り添ってクジラがやって来た

あのじいさんが死んでしまったことを知らされた。静かに笑いながら沈んでしまったこと

船は死ぬということを知っていたけど、どうしていいかわからなかった

 歌う気にもなれず、ただ浮かんで、ポッカリしたまま流されていた

昼も夜も朝もただ流されていた
悲しくて虚しくなって涙が出てきた。体が全部涙になった、ずっと泣いた。いつか自分もいなくなることもずっと考えていた

そのうちヒゲがはえだして、流れていけない流木やあわぶく達とふきだまった。船は、もう流れていくことさえできなくなって、ポッカリしていた
全てがつまらなくなった
そんな夜、目を閉じた静かな夜に「ちゃぽ-ん、ちゃぽ-ん」と音が自分の中から聞こえた

燃料タンクの中に貯まった涙の音だった

その音は自分のなかから海に広がった

空に広がった

星たちが震えはじめ

風が優しく船太郎を撫でた

船太郎は力が湧いた

なんでかわからんかったけど、その音はひろがり力が湧いた

いくんだ、いくんだ、僕はいくんだ。船太郎の心に歌がひびいた。初めて自分で進んでいこうとおもった

自分で進むことをしたことがなかったけど、ぶるんぶるんとエンジンがうなりをあげるまでふんばった

白々と朝がやってくるころ、力強くエンジンが動き、いかなくちゃいけない場所も、いきたいとこもなかったけど、とにかくいくんだよと歌いながら、空と海がはじまる場所を目指して進んでいった

 自分で進み始めた船の歌に合わせて、クロダイがカラス貝のヒゲをそってくれたり、鳥やクジラが一緒にうたってくれた。
同じような船とすれ違った時には旅の話をしあってうたい、楽しい時間をすごし、別れる時には「バイバイ」と言って別れた。
船は楽しい時間とほんの少しの寂しい気持ちを繰り返しながら進んでいった。もうふきだまりはしなかった

 船はどこへいくのかわからなかったけど、ただ、自分で進んでいることがうれしかった

 船はたくさんの歌を作ってうたいながら進んでいった。

この日の夕焼けはピンクになった
ピンクの夕焼けの日に偶然なことが重なった。

宮崎のハニワ公園と日比谷公園は姉妹公園らしい。
井の頭公園にて漫画をキャラクターに
成りきり読んで聞かせる人
前にどこかの公園で
一人で練習しているのをみてグッときた

2009年3月5日木曜日

Vol.109「早朝讃歌」の巻

ガッツモーニング!
総長散歩よりただいま帰り、ポチポチ打っている次第です。早朝。いかがおすごしか。

でっこぼこのビル平線より、真赤ででっかいタマゴが産み落とされる瞬間。
群青色がだんだんうすくなり、そこはオレンジ色に滲みだしてやってくる。
そんな瞬間が嬉しい。

ずっと曇り日が続いていたが、今日は晴れた。たまたま早朝に目がぱちくり開いた。
きっと呼ばれたんだろうなとおもう。朝の妖精はいるでしかし。

僕はスターであるけども、時々はスター炎が痩せ細ることもある。
早朝にはそんな炎を大きくしてくれる力があるでしかし。

ヘッドホンより自作の歌を聴く、何人かの男達としぼりだした音を聴く。
歩調はそれに合わせグングンしてくる。
嬉しくなりステップを踏み、くるっと一回転ターンを決めたとこで、ジョギング中のおじさんと目があって、ブーツに小石が入ったかのように「あいたた」なんつってわけわからんごまかしをかます。

気をとりなおして、音を聴く。一人一人の音が心強くおもい、また嬉しくなる。心にいろんな顔が浮かぶ。
かかわってきたみんなの顔が勝手にありがたくおもえる。随分会っていない顔や、これから会うであろう人の予感さえしてくる。何かが生まれる瞬間に未来はひかりだしてくる。

昨日まで何かが足りないとおもっていた気持ちは溶かされていき、今あるもんの感謝になるから朝は不思議だ。
事がおきるとき、こんな気持ちから生まれ、つながっていくんだろうなとおもう。

太陽より先に起きて、早朝を歩くだけでこんな気分になるんだから、自分はなんて簡単な奴なんだろうかとも思うが、めでたいことにきっと誰でもこんな気分を知ってるんじゃないだろうかとさえおもってしまう。

こんな気分を知っていて、誰かの早朝をぶっ壊すことなんて考えられないことだ。
何かが生まれる時、暗闇から光がさす瞬間、気分はとてもやさしい。
ありがとさん、と思えるのはやっぱり嬉しいことです。
2009年3月5日、早朝讃歌。3月はライブなしだが、炎をためこんで4月よりまた生で会えることを楽しみに、日々、初日の出だ。

グングンくる。

2009年2月6日金曜日

Vol.108「本格的に冬到来」の巻

さて、冬も本番を迎え、いっそう寒さ厳しくなりうる今日この頃、いかがおすごしか。
毎年このくらいの時期になると、寒さで体に力が入るたび、丸裸の木にポツンとくっついているツボミをおもい浮かべます。
ぎゅっとなって春をまってるツボミがなんだかいじらしく、また心強かったりします。
やつらは、なんやわからんまんま、そうあるべくしてそこにくっついてるんだろうと思うけど。僕からすれば小さくギュっとなった中には、希望らしきもんが、ぎゅうぎゅうにつまってるように見え、嬉しくなります。

「うまくいかんなー」とか「なんかこうもっと」とか、隣の芝生が青々とみえたりして、自分がちっちゃく見える。そんな気分だって自分が咲かせたい花を咲かすための、しかもその花がどんな花かわからなくても、自分の心にしかわからないつぼみ的な気分なんだろうなとおもいます。フワフワのまんまでは花は咲かせれんっちゅうことだろうと思います。

そんなつぼみ的な気持ちは、誰かに言葉で伝えるのは非常に難しいことだとおもいます。
自分のつぼみだから、わかってもらわなくてもいいのかもしれないけど。誰かと、なんかわからんけどわかりあえた時ってのは、もっと大きな力がみなぎって、大きな花が咲かせられるような気分になります。

それはやっぱり言葉じゃなくて、自分がどんだけギュッとして、なんかわからんまんまやることやってるかだろうなっておもいます。ギュッがあれば、それぞれに会うべくして会う人に出会える気さえします。何かが動く時、その前にはやはりつぼみがあって、幼虫がいて、花が咲いて、成虫になってってるんだとおもいます。

春夏秋冬なんべんもくりかえして、くりかえしてきたけれど。これからもくりかえして、くりかえしていくんだろうけど。くりかえしながら、前に進めてきたのか、進んでいけたらとおもいながら、本格的な冬御到来の挨拶とかえさせていただきます。

P.S.自分がひいてみておもいましたが、風邪は結構やっかいなもんです。気をつけて。

腕枕う~

2009年1月8日木曜日

Vol.107「新春の喜びは青い空」の巻

明けましておめでとう。
新春の喜びを申し上げます。
正月になると「新春の喜びを」ってのが飛び交うが、あまり意味のわからない言葉であった。
意味はわかるけど、いま一つピンとこない言葉だなぁーとおもってた。
春でもないし、そんなに喜ばしいことだろうかとおもっていたのだが、今年はなんだか喜ばしいってのがわからんでもないなぁとおもう。
何があったわけでもないけど、めでたいわ。新しい年ってのはやっぱめでたい。

快晴続きの正月に青い空を眺める。どこまでも透きとおる青い空をみてると気持ちが、グングン、グングンし てくる。全部溶けてしまえたらともおもう。「おーい!」って言いたくなるが、一人「おーい!」では寂しくなりそうで、「ありがとさん、ありがとさん」とな る。なんかしらんが感謝になる。するとまたグングンしてくる。青い空にありがとさんでぐんぐん、ぐんぐんや。
いつでもそんな気持ちでいられたらとおもうが、それはほんと時々や。欲しがってばっかりだったり、他と比 べたり、悔やんだり、よじれたり。僕はそれも必要なことだとおもうけど、なるべくなら青い空、忘れんように生きたいもんやなぁとおもいます。2009、こ れからも。ほんとはいつも心のどこかに広がってるものなんだろうな。だから、「ピース!」なんつう合言葉があるんだろうね。
かる~くいったろ2009!
いつもにまして、短く、期限間に合わず、ではありましたが、新春の喜びの、ご挨拶とさせていただきます。
今年もこの「センチメンタルのバカ野郎」を、ブログ「人生レールの車窓から」を、チェックイットアウトみてもらえたらとおもいます。
そんで何より! ライブで会えたら!とおもうわ。ライブで会おう!
ハバナイス2009!! 今年もよろしく!