2014年3月29日土曜日

Vol.169「面倒臭男」の巻

キテマスキテマス花粉を受粉、ようやく春が来てもうじき桜も咲くんだろな。
あたたかくなってくれるのはやっぱり嬉しい。
あたたかい春の日、いつもはいている黒いGパンを洗った。このGパンを買った時に店員さんにGパンの正しい洗い方を聞いた。すると店員さんは丁寧に教えてくれた。ついでに専用の洗剤もすすめられたので買った。
前にはいていたGパンが気にいっていたのだがやぶれかぶれになってしまい、今度はもっと丁寧により長いことはきたいとおもったので洗い方にも気をつけてみようとおもった。今までGパンの洗い方はいろいろと聞いていたが、どれが正解なのかはっきりしなかったので、どうやらGパンマスターらしきそのお店のお兄さんに聞いてみれば、お風呂に浅くお湯をため、そこに専用の洗剤を入れ、Gパンを裏返しにしてそれをはいてお湯につかり手でごしごし軽く洗う程度でいいそうで、型崩れも色落ちも防ぎ、繊維も傷つけないとのことで実際やってみたらズボンはいてお風呂入るのっておもしろいなぁとおもった。そしてそれをしぼり逆さにして干し、自分はパソコン作業などやっては時々干したGパンを見に行き、おー乾いてきた乾いてきたと向きを変えたりして、なんせ一緒にお風呂入った仲なのでなんだか愛着もひとしおで、また、春の良い天気の日、Gパンが乾いていくのを眺める時間になんだか幸福感を感じたのでありました。いいですね春、いかがおすごしか。

そう、そんなダンディーな春の日をつらつらと書きましたが、書いていて一つ気になったのが「Gパン」と言う呼び方。間違いなくそれは「Gパン」なのだが何故か違和感を感じ、なんでかなぁと思えば最近では「Gパン」のことを「デニム」と呼んだりするからじゃないかと気付いた。「デニム」と言う呼び方の出現で「Gパン」と言う呼び方が少し幼く感じてしまう、のは自分だけだろうか。と書いてその間に「ジーンズ」もいたことに気付く。いやはや「ジーンズ」とも「デニム」とも呼べないなぁ「Gパン」は「Gパン」だなぁとどうでもいいこと書きつつ、どうでもいいついでにそういえば、いつの頃からか「ズボン」のことを「パンツ」って言ったりしてませんか最近、いつからですか。自分にとってパンツとは白いブリーフ。小学校の頃はいていたグンゼのブリーフ。友達と見せ合いながらなぜか笑えたあのグンゼの。パンツオブパンツ、グンゼ。そんな絶対王者グンゼの時代がずっと続くと思っていた自分は中学になってもグンゼだったがある日、まわりのみんながトランクスに変わっていることを知った時、王者がなんだか幼稚くさく感じ、それをはいてる自分が恥ずかしくなった。
トランクスをはいている友達にどこで売ってるのか聞き、コメヤという衣服店に一緒についてきてもらった。その友達にトランクス売り場まで連れていってもらい並ぶトランクスの前に立った時、自分にとってはあれが徳永英明言うところの「思春期に少年から大人に変わる」だったのかもしれない。今思えばなんてことないことだけど、そんなことが分岐点としてずっと記憶に残ってたりするからなんてことない思春期だ。

「パンツ」という呼び名にはそんな思い出があるので服屋さんなどへ行き、「黒いズボンをさがしてるんですが」と店員さんに聞き「パンツでしたらあちらに」なんて返答あれば一旦頭の中をグンゼのパンツが横切るので笑えてもくるがやはりめんどくさい。ズボンで統一しませんか!と書いていてめんどくさいのはパンツが横切る自分の頭だなぁとも思いつつ、めんどくさいついでにパンツで思い出したが、洋風のレストランなどにいき「このパンもう一つください」と店員さんに注文し「はい、バゲットのおかわりですね」などと言われると足元を見失わないように「うん、パンね」と念をおす自分もいたりしてこれまためんどくさい。パンはパンでしょう!って、ダンディーほど遠くなにやら愚痴っぽくなってきたが、こう書いていて、自分は新しいものを受け入れる容量が少なく時間がかかるんだなぁと気付く。

新しいものと言えばパソコン。今やこの連載書くのもパソコンを使ってるが、まさか自分がこうして打てるようになるとは思わなかった。
ゲーム以外でコンピューターと初めて面と向かったのは高校時代、コンピューターの授業があった。二人ひと組で一つのコンピューターの前に座り授業をうける。そこまでは記憶にあるが何を習ったのかが記憶にない。もう初めからあきらめていたし、こんな不確かなものは自分には必要ないものだと決めつけていたんだろう。記憶にあるのはいつも横の友達とじゃれて遊んでゲラゲラ笑っていたいたことぐらい。それから時が過ぎ、どうやらパソコン時代がくるだろう雰囲気の中、真逆をいかなきゃと体は向くが、自分がラジオ番組をもたせてもらい、ちょうどリスナーからのハガキがメールに変わる時代だったか番組中にメールアドレスを読み上げなきゃならなくなった時も何度教えてもらってもスラッシュやハイフンやドットが覚えられず、「斜め斜めナニナニ横棒点!」などと半分抗う気持ちをこめても呼んでいたが、それからまた時が過ぎ、今や必要だと感じ完全に白旗を振り、曲やデータをパソコンでやり取りするようになったりして、苦手だとおもっていたものと仲良くなったりすることもあるもんですね。出遅れた分もう少し出来るようになったろうとおもうこの頃です。

思い出す話、サルの群れの中の一匹がイモを海水で洗って食べたところ、それが他のサルに広まってそれが今は当たり前になってるって話。で言えばきっと自分はみんながそうすると一応最後のほうまで食べたがらない天邪鬼派のサルだろな。どうせ食べるならはじめから食べとくべきだったかもともおもうが、新しいものが見つけられるような気もして、人、物、呼び名も生き方も自分で見つけた以外の新しいものに一旦いちいち抗うめんどくさい自分が嫌いでない。
(おわり)

今年も霜柱を見つけては一応踏んで感触を味わいつつ、霜柱健とありそうな名前を呟く。

このベンチの曲線、座り心地よし。いつかペンションのマスターになったら自分で作ってみようメモ。

ライヴ311
主催者物販には東北の津波で被害にあった漁師さんの奥さんが漁する網で作ったというミサンガ。
釣り好きとしては親近感湧いて思わず購入。

ナカジマノブさんに誘ってもらい人間椅子のライヴへ渋谷オンエアイ-スト。
イ-ストのトイレのタイルが好き。いつかペンションのマスターになったらメモ2
そしてはじめて聞きました人間椅子かっちょよかったです。

立ち食いそばはかき揚げ。
呑むのも食べるのも立ってやるのが好きなんだろなと気付くこの頃。

パソコン。

何度も「容量が一杯です」と表示されるので、
わけわからないままこれいらないこれいらないと削除していたら
消しちゃいけない曲の集合を消してしまいあわててどうするのどうするの?となり
それでも容量が一杯ですとか表示されるもので人に聞けば初期化してみてはというので
電気屋に行き尋ねればこれを購入してデ-タを保存してうんぬんというので
いち万円ほどを出して購入し、
後は繋げてみればなんとかなるっぺとカチャカチャやっていたら
繋げる前にパソコン音楽デ-タなどが元に戻っていて活躍の場を失ったデ-タ保存器械。

しばらくしたらトライしてみるべデ-タ保存。
この勢いで今度こそスマートホンにかえてIT中尾へと生まれかわろうとおもいます。
はまればはまり液晶ばかり見ている人になる自信アリ。

そして遠い夕暮れをみに近所徘徊。
画面ばかり見ていた日に目も心も落ちつきまして乾杯夕暮れカンビ-ル。

♦独占企画 諭介がお答え致します

■「見たいと思ってたLIVEを見れたから満足。歌ってるわーと嬉しくなった。願いは叶う!笑 」(匿名 2014310 22:38
またライブで会える日を。願いをかなえたい。  

 ■「私も会いたいなと思った人に会えるんですよね。それってすごくラッキーだって思っていたけど、諭介さんもそうなんですね。意外とみんなラッキーなんですね()でも、最近見たドラマの中で“自分が会わなきゃいけない人には会えるんだよ”って台詞もあって、もしかしたらそうなのかもしれないですね。今までしてきたこともこれからすることも全て、自分が望んだことなのかもって書いてあったけど、そんなふうに思える諭介さんならきっと理想の老夫婦がやっている餃子店に出会えると信じています。って、餃子だけじゃないですよね()これからも自分の願ったり思ったりする方へ体を向けて歌っていてください。ちなみに諭介さんに出会えた私はすごくラッキーです 」(A.T 2014314 17:03
なはっなはっ自分が会わなきゃいけない人かそうか、そうおもうとよりみんな一期一会大事に思えてくるね。いつもありがとう。

■「中尾さん、こんにちは。尾崎豊さんはリアルタイムで見てたけど当時の自分には重すぎて、どんな歌だったかなと「シェリー」を今回じっくり聞いてみました。苦しいくらいエネルギーに溢れてて、死にそうなくらいに純粋で驚きました。中尾さんのエッセイを通してすこぶる心に響く歌と出会えました、ありがとう。「愛される資格はあるか。決して間違っていないか」など、印象深いです。その女性はうまく笑っていましたかな? 色合いが綺麗でとても美味しそうなのに、ボンゴレ、、
(高野 2014319 13:39
笑っておられたよ、不思議な人でした。シェリーさん。写真には塩分写らないものね、残念でした。その後リベンジしたけど やっぱりまだ濃いんだなぁ、やっぱりちゃんと塩抜きしないとだめね、待てないのよね、あなどれませんなアサリちゃん。  

強く願えば叶う・・・私もそう信じてます。実際にいつも心に描いていたら無理っぽい願いが叶ったこともあります。
あと、普段の生活ではほぼ気にかけていなかった友人、知人を突然思い出して、「あの人どうしてるかな? 元気かな?」と思ったら偶然再会するなんてこともよくあります。
「強く願い信じていれば願いは必ず叶う。奇跡は起きる」 って私の好きな詩人も書いてました。

強く願っていたら食べ損ねた宇都宮の餃子がある日突然、諭介さんの前に現れるかも!(笑)

では、27日の更新楽しみにしてますね」(夕陽 2014321 10:34
そやね、一日単位でみることないね、まだまだこれから宇都宮餃子への道は途中やね。出会った暁にはこちらで報告させていただきやす。 






2014年3月4日火曜日

Vol.168「体が向いた方向に歩いていくのさ」の巻


 今年も三寒四温繰り返し、じわじわと春へ向かっていくまっただ中。今日は雨、絶好の連載書き日和、いかがおすごしか。すっかりいつもの月末を過ぎてしまい締切間に合わず申し訳ありません。27日のワンマンに向け切り切り舞いでとてもポチポチとキーを叩ける心持ちでありませんでした。ならばその前に書いとけよって話なので言い訳できませんが…ってしてるか。というわけで今月もあれやこれやおもったことを書かせていただきやす。

そう、今月よくおもっていたことがあって、あまり人に言うには不確かな実感のないものだし、効力も薄れそうな気もするし、後付けやん、とか言われそうなので、あまり人には言うとりませんが、自分…預言者かもしれません。 っつって。預言者は言いすぎですが、思ったことのいくつかが叶う確率が高いんじゃないかと、そんなことよくおもう一ヵ月でした。まずは先月のここの連載にて、「今年は雪がたくさん降るんじゃないかと中尾予報士がなんの根拠もなく言っています」的なことを書かせていただきましたが、ご存じのとおり後日記録的な大雪になりました。なったよね!なったよね!と念を押し自慢したいところですが、あれは根拠がなかったわけではなく、うっすらと、なぜなら、ビコーズというのがあった。あったけどそれも不確かなもんで説明できずに根拠なく書かせてもらった次第です。その不確かな根拠ってのが、何年か前、タクシーの運転手さんから聞いたことがあった「東京の雪って春になりかけの頃にふるんだよ」よく覚えていないのだけど、気圧だか雲だかの関係で暖かくなってからその反動で雪が降るんだよと教えてもらったことがあって、その肝心の間の説明はまったく覚えていないのだけど、それから自分には「そっかあったかくなってくると雪が降るのか」とインプットされ、先月連載を書いていた時が、おっ春かと、まだまだ一月だというのに暖かすぎるなぁと、そんな日和だったからということでした。
 であったので、こないだの大雪でタクシーの運転手さんの言っていたことは本当だなぁと納得したのでした。

 それではキミキミ、自分が思ったことが叶うってのとは違うじゃないかと野次がとびそうなのでもう一つ。
 ここ半年ぐらいか、よくおもいだす歌があった。尾崎豊の「シェリー」 尾崎豊のこの歌をマジマジと聞いたことがなかったのだけど、大学時代、友達がよく歌っており「シェリー俺は今もバカと呼ばれているか」なんて一節が記憶にのこっていた。本人ではなくその友達が歌うからその時はなんだかおもしろく聞こえていたけれど、ここ最近、少々自分の調子が悪い時、気分が落ち込んでる時などによくおもいだし、「そうやな僕もシェリーって人がいたら聞いてみたいわ!」と思いだしていた。たずねて「そうよ、あなたはバカと呼ばれているわよ」と聞き、「ん?じゃあどこをどう直せばいいかね」とか相談してみたいなと、半ばヤケクソ気味にそんなことを度々思っていた。思っていたらば今年に入って、ライブの打ち上げにて共演者のみんなとワイワイやっていたらば、自分の横に女の人が座った。知らない人なので知らんぷりをしていたらば話しかけられ、その女の人は髪をかきあげながらこう言った「アタシ、シェリーって言うの」。それはまるでトレンディーなドラマ、浅野どちらか、どちらでもいい、そんな感じだった。「あぁそうですか、変わった名前ですね」と初対面なのでちょっと距離をとりながらそう答えると「アタシ、あの尾崎くんの歌になったシェリーよ」と言う。
 僕は一瞬ひいた。なんなんだこの人は、初対面でいきなり話しかけてきて、聞いてもいないのにそんなことを言いだしてなんなんだと。少々心かき乱され「え? あぁそうですか、え?」すっかり自分は、よおしそれが本当か確かめてやろうじゃないかという気持ちになり、いくつか質問し、そのシェリーは浅野どちらかばりに余裕で答えてきた「うん、そう尾崎くんとはね…」等など。尾崎豊のことを「くん」と呼び、どうやら本物らしい話をいくつか聞いて、半信半疑ではあるが、本物だろうということで納得した。納得したがそれ以上聞くこともないのでまたワイワイにもどった。そしてその翌日などにやはり思いだし、なんだったんだろうあの人、本物なんだろうけどと思い、そこでやっと自分がこの頃、「シェリーって人がいたら聞いてみたいわ!」とおもっていたことを思い出した。「しまったっ聞けばよかった」と思ったが、聞いたところで初対面なのでわかんないかと、シェリーって人に会っても自分がバカと呼ばれているか聞けないもんだなぁ、自分でがんばろうとスッキリした。

 このことが大分不思議で、自分が会ってみたいと思っていたから出てきてくれたのかもしれないなぁと都合よくそう思った。 会いたいなと思った人に会えると言えば、中学の頃、長渕剛にも思った。そのことを今も覚えてる。きっと長渕剛がお爺さんになった頃には小さなフォーク喫茶などで歌っていて、自分はきっとそこで出会えるだろうなと。 お爺さんになる前に会え、一緒に歌った。 陣内孝則さんにも思っていた。きっと一緒に何かする時がくるだろうなと、勝手に。宮崎は延岡の実家のテレビで観て、そう思った。東京に出てきてデパートで一度、陣内さんをお見かけしたことがあり、テンションがあがった。あがったが、ここでこういう形で出会うべきではないと、話しかけることはしなかった。それから5年後NHKの番組に出させてもらった時、出演する直前に司会が陣内さんであることがわかり、やはり時は今だったかと興奮した。
 もちろんいろんな人達が会わせてくれたのだけど、何度かそんなことに出くわす度に、願いは叶う、そんなことを信じてみたくなったりもする。

 するが、そうそううまくいかないことも多々ある。最近で言えばライブで宇都宮へ行くことがあった。宇都宮と言えば餃子を食べない手はないということで、リハーサル終わりで一人出かけた。ライブハウスを出ると右手には大きな東武デパートがあり、その中にはきっとレストラン階があって餃子屋さんもあるのだろうけど、ここまできてそれでは寂しすぎる、もっと古ぼけた老夫婦が二人でやってるようなお店を探そうと、何も調べず左手に歩いていった。帰り道に迷うといけないのでこの道を真っすぐ、老夫婦の餃子屋があるまで歩いてみようと決めた。何も調べないで探すのは修行だとおもっている。自分の鼻、思う力の修行。そして思い描いた場所に出会えた時、やっぱりねと嬉しさも倍増するし鍛えられた気分にもなる。な訳で旅気分で歩いていったわけだが、どうにも閑散としていくばかりでまったくありそうな匂いがしない。試されてるなと意地になって歩いていくが、老夫婦どころか餃子屋がない、餃子屋どころか店がない。昼間なのに大きな通りは静かで、匂いどころか音も聞こえない、いつか行ったグランドキャニオンの静かすぎて耳の奥で風の音だけがうずまいてたその現象が起こり心細くなり、風の音が聞けたからいいかと、意地になるのをやめひきかえした。ひきかえしライブハウス横の東武デパートに入り、レストラン階へ行き、やはり餃子屋はあったが悔しいのでその横のとんかつ屋へ入った。注文し待っていたらば、向こうのテーブルで夫婦喧嘩がはじまり、周りの人が席移動をするほどであった。喧嘩というより、女性がヒステリックに旦那の食べ方、ドレッシングのかけ方などについて一方的に怒っている。ちょっと壊れかけているような店中に響きわたるそのヒステリックは僕の味覚を完全に失わせた。女性のヒステリックはこの世の地獄だと、僕はラブ&ピースってことについて考えながら口に運んだ。

 ライブが終わり終電乗るべく駅へと急ぎ駅で冷凍の餃子を買い自宅で宇都宮を堪能しようと思うも、とっくにお土産屋さんも閉まっており、くっそーとなってコンビニの餃子せんべいなるものを買いおさまりつけようと新幹線に乗り帰った。帰ったがやはりせんべいではおさまりつかず、自宅最寄りの24時間弁当屋で餃子を買い家で食べたが、冷えた餃子のその味は、この世今まで食べた餃子の中で一番おいしくなく感じられ、餃子って遠いなぁとこの日の自分と餃子の距離を感じ、やはりまだまだ思う力の修行が足らんかと思わされたのでありました。


 そして冒頭で、この連載の遅れた言い訳にした27日のライブ。一夜限りのバンドを組んでのワンマンライブ。
 組ましてもらったギターの藤沼伸一さんとドラム大島治彦さんは20年くらい前にライブを観に行きかっこいいなと思わされ、3,4年前に泉谷しげるさんのライブを観に行った時に泉谷さんのバンドとして出演していて、それがまたものすごく、そのライブを観て血が煮え、戦場ってこんな感じかと思わされる音の嵐で感動というかすげーなと、かっちょええなと、なんだろうと、自分があの真ん中にいたらどうなるんだろうと、この音の凄まじさはと、その立ち振る舞いなども含めて完全にやられたのでした。その何週間か後に藤沼さんとの対バン共演の依頼があり、むむむっとすごいタイミングやなと二つ返事。その後、藤沼くんと中尾くんというユニット企画もやらせてもらい、その後今回のバンド形態、一夜限りのワンマンにいたったわけです。またベースの曽我っちとは15年ほど前にブレイクアウトというテレビ朝日の番組の企画にて全国代表のバンドが一つのバスに乗り全国ツアーを周るというのがあり、それぞれ違う代表としてバスに乗っていて、その後何度か会ったことはあったけれど、また藤沼さんのバンドのベースとして再会し、今回初めて同じバンドとして音を鳴らしあったわけです。 その重厚な音に自分は喰らいつくのがやっとでしたが、嬉しくなり心はねました。この体に叩きこまれた音はずっと残るやろうなと、前進できる力になりそうです。刺激的でいい経験をさせてもらった。

 ブログにも書いたけど、人に会えるのも、餃子が遠いのも、いろんなことを体感できるのも全ては、ギターを弾いて歌うことをはじめた、あの高校の中庭から始まったこと、はじめて弾いたGのコードの気持ちがここまで連れてきてくれた、もちろんいいことばかりじゃないけど、それでもおもろい旅やなぁと思えるのが嬉しい。

 願えば叶うとも、思えば叶うとも言い切れないけど、願ったり思ったりするとその分だけ体がそちらを向くってことはあるかもしれないなぁとおもったりもして。 会いたい人に会えることを書いたけど、そう思うと、今まで会った人、今から会う人、体感してきたこと、すること、全て、みんな自分が会いたいとおもったり望んだことだったりしたのかもしれないなと思えてくる。ここから先もどんと来い!な気分になって、やったるで!と楽しみになったりする今です。どんな状況にいてもやったるで!な気持ちでいたいもんです。な訳で今月はこれにて。

 重ねまして更新が遅れたことをお詫び申しあげます。 来月からはまた月末に会いましょ。

かなり降った   

三角コ-ンスマイリ-

つららもできてた

雪降った後日開催できるか危ぶまれたけどニックバッカ-ズの日ニクニクしく開催大成功!

そして今年二度目の雪
二度目になると、え-また-となって勝手なもんです。

そんな雪ん中、なくしたiPodを探しに思い当たる店にいき なく、
次の思い当たるところへ いき なく 、
三軒ほどコンビニや薬局など雪ん中ペンギン歩行でまわり
あぁなかったと諦め帰ったら机の下に落ちていたiPodさん

役者をしている友達が「オレボンゴレビアンコきわめたんすよ-」と自慢気にいってくるので
作り方を聞いていたらさすが役者かなり美味しそうに思え、家に帰りつくるも
あさりの砂抜きに塩 パスタ茹でに塩 具材に塩 全体的に塩と かなりの料の塩分を投入してしまったらしく
とても食えないくらい辛く 仕方ないのでお湯をかけながら食べたマイボンゴレ

人って塩とりすぎると夜中喉カラカラで目が覚めるね ミイラの気持ちが少しだけわかりました。

その宇都宮の…

そんな 27
ONE NIGHT STAND
いつもこういうときみんなで写真をとらないよね
とっとけばよがった。

撮ったのはバスツア-仲間の曽我っちと山ちゃんと。またツア-したみんなで集まってみたいもんやねとパシャリ。

友達に誘ってもらい武道館へ、やっぱりかっちょいいねせっちゃん。

♦独占企画 諭介がお答え致します



■「元旦羽田のゆうすけ率、すごかったですね!そんな面白いことを知っていたゆうすけが諭介さんだけだったのもなんかいいし、お正月も、テニスに負け、将棋に負け、面白いことだらけでしたね()2月になって東京にも本当に雪がたくさん降ってきて驚きました。大人になると、わぁ!と喜ぶより先に、交通への影響や予定の変更などを気にしてしまうのもそうですが、各地の被害を見て雪が怖いイメージになっていくのも、少し淋しく思ったりしてます。でも、慣れない雪道はペンギンペンギン♪と歩くようにしたおかげで一度も転びませんでした。というわけで、今月の中尾天気予報士さんには“春はもうすぐそこですよ”って言ってほしいところです。早くあったかくならないかな~」(A.T  2014218 15:13
→もうすぐ春ですよ


■「二月に入ってから冬が本気を出してきたみたいで中尾気象予報士が言ってたみたいに雪がいっぱい降ってビックリですね。

諭介さんが昨年末からの一ヶ月をノンストップで書いてくれたから私もノンストップで読もうと思ったけど、蛇口出しっぱなしはやっぱり勿体無いから時々蛇口を閉めながらちょっとずつ読ませてもらいました。
たった一ヶ月の出来事なのにこんなに色んなことがあって、私は振り返っても毎日同じ風景しか浮かんでこないのでちょっと羨ましくなりました。あと残りの10ヶ月は面白おかしい毎日にしてやる!! 」(夕陽 2014222 11:02
→毎日おもしろいいぇっえってえなりかずきをおもいだしたわ、時々おもろいこと、ぶちあたれたらいいね、おもったらそうなるかもね、いぇっえ。