2010年3月30日火曜日

Vol.122「2010年海賊船の春」の巻

春風、ビュンビュン、これでもかって吹き荒れて怖いくらいにサッシの隙間がぴゅーぴゅーと高い音で口笛鳴らした朝方。今年の春は寒暖の差といい、風といい、激しいです。桜はまだかね、いかがおすごしか。

自分でギターを弾いて歌うようになってから今まで、高校時代から今まで、いろんな人と出会って、共に旅したり、作ったりしてきた。現在も、やはり共に船に乗って一緒にこいだり、サポートしてくれるスタッフがいてくれたり、発するものを味わってくれるエブリバデがいてくれたりする。好きでやってるだけってのと、勘違いと不安と、もっといきたいってのと、待っててくれる人がいるってのと、共に夢に向かいたいってのと、いろいろを燃やしながら船が進んでいくってのは、やっぱ喜びを感じるもんです。これから先も、どういう形かこうやって船こいでいけたらと思う次第です。

心や時間、街や人を泳ぎながら旅する海賊船です。だだっぴろい大海原で掟(オキテ)胸にかかげながら、今まで見たことも味わったこともないものを求めて船はゆらゆらといくんです。ある程度じゃすまされない爆発の末の大発見をもとめて。旗にココペリのマーク揺らして。


それぞれが持ち場のセンターを張りながら、パターンはなく、全部新しい、さっぱりとしていて気持ちがいい。やることは同じ、帆を広げ風を溜めて前進していくだけ。
帆に穴あけられても、補修してがんがん前進だ。この世で最初に吹く風を顔面にうけながら、気持ちよく、時々でくわす大発見に心膨らませて、これまでと同じように、ここから先をいくだけだ。

ニックバッカーズ、こっから先を海裂いて前進すべく、ただいま猛烈に製作期間、レコーディングに突入です。勘違い、ただの馬鹿野郎だったとしても、この船でしかみつけられない大発見をともに味わってもらえたらと思う次第です。

2010年3月2日火曜日

Vol.121「そういうことって、ある」の巻


春がもうきてる。風はまだ少しとがってるけど、日差しがやわらかくなってきた。
きてる、そこまで。たのむで春、花粉は少なめに。

南極の氷がとけてるなんて聞くと、温暖化大丈夫かよ、なんてビビったりするくせに、冬の冷たい風に吹かれたりすると、“ファック”なんつって身を縮めて「はよ、あったかくなってくれ」なんて願ってたりする。昔に比べると冬の厳しさってなんぼか柔らいできてる気がするんだけど、どうでしょ? ついでに短くもなったような気もしてるんだけど、どうでしょ? 温暖化は怖いけど、寒いのイヤ。タバコは好きだがライトがいい的な。何かこう矛盾というかなんというか。中途半端というかなんというか。

そんなもんだわね。生きてて大半がそうだわね。僕は大半そうして暮らしてる次第です。日々それでも、なんかおもろいことはないかと探してたり、気分を上向かせようと考えたり、なるべくネガティブなものに足をすくわれないように踏んばったりしながら暮らしてるわけです。非常にこれ、綱渡りのような感覚だなぁとおもう時もあるし、そんなの関係ないとぶっ通せるときもある。そんなことの繰り返しです 。

そんな繰り返しの中で時々、生きててよかったとおもえることが、ほんとにまれに本当にある。手放しで心喜んでも、うすら寒くない時、普段でだって、楽しいことはたくさんあるし、おもろいことを繋げて暮らしてるつもりやけど、なにかこう、包まれるっていうか、溢れてとまらん時ってある。

「うまくいかん」「どうしたろう」「つまらん」、不安や恐怖やら、どうしてもでてきてしまうエゴみたいなものが、頭を撫でられ水平線になる。
すべてがそうなる瞬間。許される瞬間というか、許せる瞬間というか。

今までのことも、そこにいる人たちとも、これからのことも、水平線から見る水平線が見えるとき。

うまくいえないことだけど、そんな時、心にはあっても、こぼれてしまいそうで、ありがとうなんて言えない。「アイラブー!」なんつって叫ぶか、ただだまって心膨らませるか、むしろ間逆で、悪態ついて馬鹿話で笑っていたくなるパレードだ。優しいパレード。世の中で言うとこの愛かもな、なんつっておもったりして。

そんなことってある。

ずっとこのまま、この気持ち忘れたくないなぁとおもうのに、時間が経つと忘れてたりして、でも一度上がったギアは下がらない。(勘違いかもしれんけど、そう考えることにした、下がらないギア)。きっと上がったギアの水平線の上でのデコボコだ。ってわけわからんかもしれないけど、そういうことってあるわね。

あの感じをもう一度なんつって、同じことやろうとすると、ベッコベッコにへっこんだりするけど、それもまた繰り返しなんだろね。やってきたことのノウハウやタンスの引き出しのような、手段だけでは味わえないものがそにはあるんです。

イメージはやっぱり、前にも書いたけど、販売機の光にむらがる虫の気持ち。
月の光を体が知ってて、求めた先が販売機。あたってぶつかって落ちて。繰り返してる。だけど月に一回、年に一回、10年に一回、一生に一度かもしれないけど、でも月の光で飛べる時がある。そういう時ってあるね。

でっこぼこの暮らしの中で、何処までもみえる水平線、忘れがちな水平線、感じて生きていたいもんです。幸せと不幸せ、選べと言われたらもちろん幸せのほうがいいけど、幸せっていう響きより、僕は、たった一瞬でも永遠とおもえるような喜びが好きで、知らず知らず、そういう生き方を選んできたのだなぁっておもったりして、やめられない。もっともっとだ。

その場所、時間、人、空間、の中で全部と共鳴できそうな時、ライブにはある。それだけのためにやってきたわけではないけど、ライブってそういうところ、ある。

そうやってギアを上げながら、ステージを上げながら、奇跡的な瞬間を繋いで、繋いで生きれたらとおもう、今日までそして明日からだ。ライブ、生きてる実感。生きてるうちに共鳴しあえたらとおもう次第です。また、ライブで会える日を。

ハバナイススプリング。もう春です。いかがおすごしか。