2004年10月27日水曜日

Vol.57「ゆっくりです、宮崎」の巻

 宮崎に帰った。長い間その空気で育ったから、思い出したように体の中の何かが騒ぎ出す。“おおい帰ったよ、ただいま!!”と空港を出れば広がる空。今ま でだって何度も帰郷してるけど、帰る度に十代の頃、上京した時の自分がいて、おみやげ渡したり、失くしたもの報告したり。空港前の空はそんな場所だ。タク シーに乗り目的地で降り、走り去るタクシーを振り返ってみてみると、ドアを開けっ放しで一本道を走ってる。そのまま滑走路から飛びそうな飛行機みたいで “おお、かっこいい”なんて見てると、運転手さんも気付いたらしく、ドアをぱたんと閉めて走り去ってった。そんなことで“宮崎だなー”ってまた実感。ラグ ビーボールくらいの亀が車道の真ん中で、車通る度に首をひっこめながら横断しようとしている。宮崎はゆっくりゆっくり動いていて嬉しくなる。
 今回は長渕剛トリビュートでプロデュースをしてくれた、同じ宮崎出身のギターリスト、タメゴロウさんから誘われ、ビーチクリーンのイベントに参加させて もらった(10月22日)。や、しかしこれ、宮崎の人が二人集まるとゆっくりゆっくりになる。東京でリハーサルやっても必ず30分は集合遅れてた。あんま いいことじゃないけど、“まあいいがー”的なところがある。が、やはりプロのギタリストで、準備にも音へのこだわりで時間かけてたのが印象的だ。で、実家 にいた頃は知らなかったんだけど、宮崎には日向時間=ひゅうがじかん=という都合のいい暗黙の了解があって、結婚式やらコンサートなどの集まりごとの時、 30分くらいの遅れは“まあいいがー”的な感じだ。そんな日向時間の本場、日向でもライヴをした。開演時間になっても「お客さんが来てくれないんじゃない か?」と冗談半分心配していると、肝心のタメゴローさんの準備が30分遅れ、さすがに僕もあせってしまったが、“よし、じゃいこか!”とどっしりマイペー ス、安心感で仕事きっちり、日向のみんなにもあたたかく迎えられた。
 ライヴはタメゴローさんの友達で、宮崎で活躍しているウッドベーシストのたけさんと、パーカッションのけんさんも参加してくれた。けんさんのクールな ウッドベースも、50才近いけんさんのニコニコ・パーカッションにも力をもらって、気持ちのいい一時やった。親戚のおじちゃんおばちゃん、友達やお世話に なった人達の顔も見えて背筋が伸びる。やっぱりこの人達の前で、恥ずかしいこと、恥ずかしい生き方はできないなと、思い出させてくれる。“もっとしっかり せんとなぁ……あいたたたた”。みんな台風の後始末の忙しい中、来てくれた。

 翌日、海辺でのライヴ後に打ち上がり、ビーチクリーンを23年間やっている、ブレットアンドバターの岩沢さんと話した。23年前に子供が生まれた時、湘 南の海で自分が子供の頃裸足で走れたのに、自分の子供はゴミで足を怪我してしまうから裸足になれないのが嫌だな、ってところから始めたらしい。浜辺に落ち たプラスチックは小さくなって海に流れ、それを魚が食べて、魚を人間が食べての悪循環。僕は僕で、“もっと音楽で売れたいんすけどねー”なんて自己中心的 な話にもなりつつ、最近は温暖化のことや台風が変な時に来たり、地震があったり、宮崎の街では、夜中じゅう大量発生の鳥達が鳴いていたり、人間同士のひず んだものも一体どこまでいくんだと、地球もいよいよ本気で怒りはじめてるんじゃないかと、怖くなる。昔絵本で読んだ、一生かけて荒野に木を植え続け、やが て森になったって話。“自分もやってみたいな、こんなこと”って感じたのを思い出した。忘れがちになる普段の暮らしの中で、ガンジーの言う所のカタツムリ のスピードでゆっくりゆっくり、宮崎みたいにゆっくりゆっくり、まずは自分の中にしっかり木を植えられたらなーなんて事を、ほんの少し思った夜でした。
 実家にいた頃は、このゆっくりが嫌だった時もあったけど、たまに帰るとやっぱりいいもんや。

 「宮崎空港の夜神楽人形が10時をお知らせしてます」(本人談)。「今月、あまり面白いの無いんですよね~」なんておっしゃってた中尾さんの、携帯電話の カメラで撮影した写真でした。さて、10月6日の新宿ロフトでのライヴ『ジュテーム』も大成功に終えたイン・ザ・スープですが、ナントその時のライヴ・レ ポートと、後日行なった中尾さんのソロ・インタビューが、同じくB-PASSのWEB上で近日公開されます。そちらの方も楽しみにしてて下さい。なんで、 マメなアクセスどーぞよろしく、です!!