2011年11月28日月曜日

Vol.142「静かな場所から育つ」の巻

立冬、冬が立ってきてジワジワと寒さ本番が近づいてきてる。凛とした空気がここちいい今日この頃、いかがおすごしか。

先日、イベントに出演するべく地元である宮崎県延岡市にかえった。「コト、モノ、くらし」と題して延岡の作家さん達(絵、家具、アクセサリー、アロマ、コーヒー、写真、置物やらやらの作家さん達)が集まり倉庫にて展示したり、その場で作ったり、体験できたりするイベントに歌うたいとして参加させてもらった。

実はこういうことを自分でいつかやってみたいなぁとおもっていたので、先にやられたのが少し悔しく、ほんで楽しみにしていた。作家さん達のお祭りやね。ここでの雰囲気はブログにも書いたんでそちらもみてもらいたし。

いつもは家具の倉庫である場所をライブ会場とし、なんもないとこからステージをつくってもらい、遠方・近方からたくさんの人に来てもらって素敵な空間の中約2時間歌わせてもらった。なんもないとこからものを作ってる人達の中にいるのは刺激的や。
ステージつくるのも、ああしてみようこうしてみようってみんなで少しずつ出来あがっていくのもおもろかった。ブログにも書いたが本番中には絵描きのmiyuさんにも、「祝子川」って歌をうたう間、ステージに上がってもらい僕の横で絵を描いてもらった。ビッグバンってのがおこって宇宙が誕生したって話と似て、その場で一つの絵ができあがっていくのは、本当に贅沢な遊びだ。

僕はなるべくそういう瞬間に立ち会っていたいとおもう。こうなったらこうなるってのが分からない世界。ノウハウもパターンもない世界。体はいくつかの手段が染みついてしまってるかもしれないが、精神はいつも空っぽでいたいとおもう。怖いなともおもうけど、それをこえたら、どこまでもいける自由があるし、そういう風をふかせられたらとおもう。発表会とライブの違いがそこにあるんだろうとおもう。そんな感覚を音楽だけでなく、空間作りを一緒にしてくれたみんなや、絵描きのmiyuさんと共有できたのがおもろかった。と同時に、僕は僕でアンテナの先っぽをもっと磨いていきたいなともおもった夜やった。

上にも書いたけど、いつか自分もこんな祭りがやってみたいとおもってた。
これはゆっくりやるときがきたらやるっぺぐらいのゆっくりとした歩みの夢で、まだあるけどずーっと先でいいからやってみたい。なんかぽこぽこと頭に浮かぶ理想郷みたいな感じ。いろんなとこいって、見て体験してきて、浮かんだお祭り。いろんな仕事や経験をやってきた大人達が、それを持ち寄って集まって遊ぶお祭り。

サグラダ・ファミリアみたいに頭の中でジワジワっと今も建設中って感じで、そういうのがあると、逃避ではないけど先が楽しみになったりして。ゆっくりと無理なくできるときがきたらやってるだろうなってくらいの夢や。

サグラダ・ファミリアがずっと昔からあるのに今も建設中って、テレビでみたことがあるぐらいで、行ったこともないし、よく知らないのに、救われる気分になる。なんなんだろか。
あんなに高いスカイツリーだってここ数年でできたのに、「サグラダ・ファミリアまだつくってます」ときいたときは、まだつくってんのーっ!と驚いたと同時に嬉しくなったし、なぜかほっとする。コンピューターやら機械やらこんなに便利で近未来、SFチックになっていってるというのに、人が石と向かいあって削り続けてるんでしょ? 実際にみてみたいけど、そんな情報だけでもなぜか心強く感じる。
もともとそうでしょう?というのを忘れがちになる。特に僕は、忘れやすいんだろうとおもう。サグラダ・ファミリアの話を思い出したり、何もないところから自分と向き合って何かを作っている人と接すると、もともとそうでしょう? それがあたり前でしょう?と響いてきて、しみてくる。

延岡にて、竹ぼうきで枯れ葉をはいた。シャッシャッーシャッシャッーとはいてくと音が響いてくる。田舎なので静かで、竹ぼうきの音だけが響いてきれいになってく。そういえば田舎にいた頃はしょっちゅう、誰かがはくほうきの音を聞いていたようにおもった。

静けさの中の竹ぼうきの音の中にいる時は、サグラダ・ファミリアを思い出す時に似てる(実際はどういうところかしらないけど自分の中のね)。
竹ぼうきではいているのはきっと枯れ葉だけじゃなく、音の響くそのあたりの空気や心もはいてるんだろな。サグラダ・ファミリアの作業員が削ったり叩いたりして作ってるのは、石だけじゃなく、音の響く空気とそれを聞く心もだろうな。

何もないところからものをつくる人の何もない場所ってのは、本当に静かな場所なんだろうなとおもう。
そんな場所へ行っては何かをつくり、まだ何か違うとおもったり、もっともっとと作りたくなる。
ものを作る人はそんなことを繰り返しながら転がってく。そして本当に何もない場所へいって何も作れなくなった時にようやく、自分てのが完成するんだろう。

それまでは自分もやっばりちゃんと静かな場所に行きながら、そこで暮らし、ものを作っていきたいなとおもう次第です。

自分の中の雑音、それを人にもらさず自分で消していけたらと。また、人の雑音を聞いた時も黙って許せたらとおもいながら、今月はこの辺で。


2011年10月27日木曜日

Vol.141「ジュテーム2011」の巻


雨降る宮崎は延岡の実家より携帯にてポチポチ失礼、秋真っ盛りいかがお過ごしか。

実家で一人、雨の音と時計の音だけが響く部屋。お久しぶり。

先日、下北沢にて10月6日はジュテーム、久々にインザスープ4人でドカン!

この日に向け特訓したり打ち合わせしたりいろいろと企てたり、4人だけでなくスタッフのみんなにもたくさん力をかりて実現できた。ほんでなにより全国よりインザスープを待っていてくれたみんなが足を運んでくれた再会の夜。

当日は非常にそわそわした気持ちを力にかえるべく、朝、近くの公園を何周かゆっくりと小走りし、深呼吸。

忘れもんはないかチェックしていざ下北沢はシェルターへ。

シェルターはインザスープが東京進出するために最初に選んだライブハウス。

昔、ライブハウスは苦手だったが今やもう、匂いやら雰囲気やら、その中にいると落ち着く。
落ち着いてワクワク、さていっちょやったりますかと、全部のみこんでフツフツと湧いてくる。

バンドで特訓は重ねてきたものの、ライブは始まってみなくちゃわからないもんがたくさんあるし、久々の4人だし、ワクワクもあるし、緊張もあるが、弦を張り替えながらその場の匂いや雰囲気やら、いろんな感情やらを全部のみこんでく、すると緊張が何かをやらかせそうな気持ちに変わってますますのワクワクとなる。

リハーサルで音や流れをチェックして、準備をして楽屋で待機。

久々の4人での本番前の楽屋。バカ話をしたり、ちゃかし合ったりしながらみんなで笑ったりしてリラックス。

んが、並行して本番までのカウントダウンをそれぞれでやっていて、チラチラ時計みて、着替えだしたり、髪の毛になんかつけだしたり。本番近くなってくるとみんなで口合わせで全部の最終確認。

それを終えてそれぞれに一息いれてスタッフからの本番の合図を待つ。

じゃあそろそろいきましょうかとスタッフが伝えてくれて4人で集まり、エンジン組んで手を合わせ、せーので合言葉を発して一つになる。

この合言葉、インザスープ結成して初めてのライブ、厚木ファジーからずっと決めてるのがあってみんなで口にする、行くぞ!おー!みたいなノリなんだけど、全然違う言葉、いろんな場所でずっと変わらずやってきた言葉。

3年だか4年だか、間が空いてたけど、当たり前のようにみんなでその合言葉を思い切り発した。というか、間が空いてのライブ、会場の熱気、いろんな感情がそうさせたんだろう、今までで一番ギュッ!として、一瞬でバシっとスイッチが入った合言葉やったとおもう、ビシっときた。

楽屋の照明が消えて、分厚い鉄の扉が開いて、いざステージへ。この分厚い扉の向こうとこっちは全然違う。

全国から集まってくれたみんなでシェルターが一杯になった。声がとんでくる。熱気が押し寄せてくる。血が熱くなる、たぎってくる、それを抑える。全部飲み込む。下の下のほうまで飲み込んでから爆発。

檸檬!
ドドン!

ハチのギターが鳴って、ケーのベースがうねって、吉田くんのドラムが響く。そん中で歌う

みんないい顔してた。メンバーもきてくれたみんなも。自分も嬉しくて、コノヤロー!な気持ちになった。

ライブはあっという間に走り抜けた、ステージで初めておこるハプニングもたくさんあったしマジックもあった。

時間が空いた分のもどかしさもあったし、時間が空いても変わらんもんもあった。やってみないとわからんことがたくさんあった。

ひっくるめて残るのはみんなのあつい熱やらいい顔やら、そんなかに自分がいれることが嬉しくおもった。

(んが、ファックミー、今までで一番あたふたしてしまった瞬間がアリ、どうしてもこりゃリベンジせねばなるまいとおもうこともアリ)

デビューして11年。たかだか10年、自分はなんも変わってないつもりでも、当時中学生で聞いてくれてたボーイ&ガールズが大人になってバリバリ音楽やってるなんて聞いたり、子供をみてもらってきました、なんて聞くと、時はやっぱ経ってるんだなとおもわされたりもしたりして。
昔の自分を思い出すのか、今の自分になぞらえるのか、初めて聞く人もいたりそれぞれ。不思議といえば不思議な、時間が空いた4人の初体験なライブだった。

時を経て、それぞれにインザスープの曲があってみんなで歌った。足を運んでくれたみんな、これなかったみんな、気にかけてくれたみんな。全部感じて、たくさんの力をもらった夜やった。

またいつの日か!やリベンジも含めて!や。
特訓後のオレタチ

リ-ダ-ハチヤケンタロウ ハンサム担当

クレ-ン。 やはりかっこよし。

川と海と山
魚に肉に畑に
食うに困らず
暑い太陽でぼうっ
だからか

ジュテ-ム終わりで小倉へ従姉妹の結婚式へ、いがった。
小倉は工場多くて超合金を思い出す街。

曲順を練るオレタチ。

実家に咲くピンク
ビンク

2011年9月27日火曜日

Vol.140「インザスープ、ドキュメンタリーアルバム」の巻

台風一過。キレイな空気、透き通る空。どこまでもみえる。
さらさらしてて気持ちいい、気持ちがいいのがなによりだ。
天気にかかわらずいつでも、何かを決める時、向かう時、こういう気分を忘れたくないもんです。
いかがおすごしか、元気ですかと聞きたくなる、そんな日。

さて、いよいよインザスープのジュテームがせまってきた。ちとやっぱりドキドキする。

ジュテームにあたり、2000年からのインザスープのライブ映像を収めたDVDを発売することになった。そしてこの頃はその編集された映像を一曲一曲チェックしたりしている。

「証拠は残すな」「過去は恥だらけ」「ライブはその一瞬の爆発」とかなんとか、なんとなくおもっているんだけど、たまには過去の自分らと向き合ってみるのもおもしろいもんでした。

過去のライブ映像をみて、本当にいろんな気持ちになった。

馬鹿だなぁとか恥ずかしいとか、でもどっか負けてんなぁとか、今だったらとか、なんかグッときたり、本当にいろいろだった。メンバーそれぞれに、一緒に歌ったみんなそれぞれにそれぞれのインザスープがあるんだなぁとおもった。

ふとインザスープがうまれた頃を思い出す。


大学2年の春、テニスサークルを主宰していた友達から新入生のためのサークル説明会があるからそこで歌ってくれと頼まれて、教室いっぱいの新入生の前で即興で歌った。
自分の出番が終わって喫煙所で座って一服していると目の前に男がきて、「さっきの歌よかったです」と言ってくれた。ほんと? ありがとなんつってすぐに仲良くなって一緒に飲んだりして音楽のことやら、最近おもっていること、自分だけがおもっていたことやらを話し合った。それがベースのKだった。


同じころ、ぼくは数か月だけ軽音楽部に在籍していて、部室でギターを弾いていた。扉が開いて「ギター上手いじゃん」と入ってきたのが学年いっこ下のドラムの吉田君だった。




吉田君とKと数人でよく一緒に飲んだ。大学1年の頃、僕がヒッチハイクで旅して見てきたことやおこったことを話したりして、翌年にはみんながしてきた旅の話を聞いたりした。飲みながらよく歌った。みんなで楽器を演奏して即興で延々やってた。




ロック酒場に飲みにいき、金がなくなったからと歌いに行って稼いで戻ってきてまたお金がなくなるまで飲んだり、カップルが集うデートスポットへいき、「あなた達のために歌をつくらせてください、どんなのがいいですか? ハワイアン? おっけーじぁやってみよう」なんつってただただ盛り上がったりもした。

とにかく世の中にあるおもろいこと……というよりも、おもろいことは自分たちで見つけた。
自分らがどうおもうか、もっとおもれーことはないか。できないことは何もないと。何にもなかった分、無限の自由の中で遊んでた。だからすっからかんだったけど、本当にゲラゲラ笑った。

でも一緒にバンドを組むとはおもってもなかった。
吉田君もKもギターのハチも軽音学部にて同じバンドをくんで活躍していたし、僕は僕で路上や畑の真ん中やらで歌えてればそれでよかったし、自分はバンド向きではないとおもってた。
時々、最近どうよ、なんつって飲んだり、歌ったりして、そんな感じだった。

僕は1年先に大学を卒業して、下北沢で暮らし始めた。そんな時みんなのやっていたバンドが解散するとなって、吉田君より、バンドを一緒にやらないかと誘いをもらった。

バンドというものに馴染みがなかったし、バンドは狭いとこででっかい音を出すという印象しかなかったので答えに躊躇した。んが、おもれーことを探しにいく感覚やら、宇宙感は共に何度も味わってきたので、何かやらかせそうな気分でわくわくした。

お互いに大学を卒業してから組むということで、ここは本気で一つやらかさなくてはと、何度も話し合いバンドをやることにした。その頃本を読み感銘をうけた坂本龍馬になぞらえて、脱藩したろうと、音楽のジャンルにとらわれず、日本から飛び出して世界のバンドになったろうと、目標はウッドストックだと。

そうやってみんなですんなりウッドストックを目標におけるのは、路上でうたったりした時の感覚、即興でどこまでもいけそうになる、無敵感をみんなで味わってたからだろうとおもう。

僕にいたっては、ニルバーナやらレッチリやら、みんな知ってる洋楽さえ知らなかったし、本格的にバンドを組んだこともなかったけど自信だけはあった。歌の中にいる時は誰だって同じ、路上でもライブハウスでも、ウッドストックでも。そんな感覚を共有できるメンバーとだから、どこまでも夢がみれるし、そこへ向かえる。根拠のない自信とよく聞くけど、そういう感覚を共有できるというのはバンドにとっては十分な根拠だった。

ここ数年、4人での活動はしてなくて、活動してないんだったら解散したほうがいいんじゃないかと忠告をもらったこともあったけど、あの感覚は動いてなくても死なないから、本当に勝手だけど、生きてる限り4人の宇宙はなくならないもんです。


過去の映像をみて、そんな感じでおもいだしたり、思ったりすることがあったりして。







今回の映像は2000年からのツアーから一曲ずつ選んでつないで、一つのライブのようになってる。これはスタッフのKENちゃんが撮ってくれていたもの。KENちゃんはデビューシングル「風の子」のPV撮影で製作の人として知り合った。

普通、PV撮影はレコーディングされた音をながして、それにあわせて口パクだったり、弾くふりだったりをするわけだけど、うちらはそこで何テイクも繰り返される度、毎回全力で弾いたり、実際に歌ったりしてた。要領がわからなかったっていうのもあるし、そこそこで何かやることができないからだったとおもう。

その時KENちゃんとはほとんど話さなかったが、そういうウチらをみて興味をもってくれ、仕事とは関係なくてもライブ映像を撮ってくれるようになって今にいたる。


今もそうだけど、自意識過剰なのか、ライブ中は気にならないがそれ以外でカメラを向けられると力が入ってしまったり、意識してしまうので、カメラは映像も写真のも苦手だ。だからバンドについて映像におさめたいと言われた時は、ぜひぜひ!というよりかは、カメラ向けられても何にもできないけど、それでもよかったらどうぞ、的なちょっとむにゃむにゃしたことをいちいち言ったような気がする。

それから10年、なんの約束も見返りもあるわけでもなく、勝手にやってるんで勝手にどうぞでここまで。バンドもそうだけど、僕は本当におもろいことってそういう関係性の中から生まれる気がしてる。とりつくろったり、カッコつけたりしてしまうからね。素でいられる関係性というか、釣り仲間的な感じがいい。
そんで、今回初めて映像をチェックした時、よく撮っててくれたなぁと。
KENちゃんじゃないと撮れなかっただろうリアルなインザスープの2000年からのドキュメンタリーアルバムのようなものです。
実録、インザスープ、ぜひ味わってくださいな。

そんで、今のインザスープ 爆発まであと少し、来れる人も来れない人も10月6日はレッツ、ジュテーム!や。よろしくどうぞ。おわり

2011年8月27日土曜日

Vol.139「旅をしよう、どこにいてもっ」の巻

お盆が過ぎて、秋雨前線がきたら急に涼しくなった。秋雨前線がまたどっかに行って暑さが復活したものの、やっぱりもう、通り過ぎてった彼のことを知ってしまったのよ、なんつって夏はどこか秋まじりだ。ここから少しずつ秋へと向かっていくんだろうな。
蝉がわしゃわしゃと振り絞るこの頃。いかがおすごしか。

2011年、この夏、夏を感じたことと言えば、ニックバッカーズで名古屋、大阪、東京とツアーしたことくらいか。旅はいい。夏の太陽に焼かれ、流れる景色に溶けて、どんどんシンプルになっていける。ピストル君よろしく毎日のようにライブをやりながら旅できたらとおもった。町から町へ歌いながら、歌を作りながらいけたらいい。旅はいろんな不安事にかかとが浮いてたのが、今あることへの感謝に変わって、ペタンと地に足がつく感覚もあったりするから好きだ。

旅といえば、これ今年の残りは東京にいながらにして旅してる感じになりそうだ。

少し整理もしなくちゃいかんとおもうが、「インザスープ」が決まっていて、「ニックバッカーズ」、「ハナクソ」、そして弾き語りがあったりと、まわりから見たら何がやりたいの?となるかもだが、もちの論介、たくさんバンド組むのが趣味だというわけではなく。必然的にこうなった。この短期間にいろんな形態での出場となるが、いろんな景色をも楽しんでもらえたらとおもう。

「ハナクソ」はGBよりお誘いを受けて組んだ。タイバンのギターが藤沼さんということで、ぜひやらしてもらうことにした。泉谷しげるさんのライブを見にいった時、藤沼さんのギターにやられたからだ。メンバーの予定が合わず急きょ組ませていただいた。であるからしてこの日一夜限りのバンドということになりそうだが、だからこそできることをやりたいとおもっている。曲はインザスープからもニックバッカーズからもやってきた曲をやれたらとおもっている。「ハナクソ」バンド名は友達の名前からとった。

「ニックバッカーズ」は5人であつまるライブが今のとこまだ決まってないが、またいずれ。
「弾き語り」では10月に名古屋、11月に九州でやることが決まりそう。
あと都内もちらほら。いろんなイベント出演については今のところお誘いをもらって、共演者がおもしろそうだったり、刺激をもらえそうだったり、お誘いいただく主催者のイベントへの意気込みや熱量などでライブブッキングをさせてもらってる。本当は歌わさせてもらえればどこでも、なんでもいいんだが、一応イベントにはタイトルがついていて、そのもとで集まってるという感覚があるし、自分が何にも感じないとこへ、誰かをお誘いしづらいというのもあるので。自分で企画するイベントも思いついたらいつかやってみたい。


そして10月6日。「インザスープ」。いよいよだ。
3年?4年?ぶりの4人はどんなだろう。
昨日インザスープのほぼ全曲を聞いた。
夜中から聞いて、気付くと朝の8時だった。
おもしろかった。
聞こえ方が変わってるものがいたり、時間がたってもパワーがあるなっておもうものがいたり、なんじゃこりゃすげーとリピートしたり、猛烈に恥ずかしいもんがあったりで、あっちゅう間に時間が過ぎてった。音楽をやっているのだが、当たり前のようにそこにとどまらない。ぶつかりあって、はみでてた。

メンバー、一人一人の中に、待っていてくれてた一人一人の中に、初めて体感する人の中に、それぞれのインザスープがあって、ここにきて一つの場所で集まれるのがドッキンドッキンする。
いよいよ初音出しだっふんだっ。







きっと遠くへいかなくても、定住していても、仕事の中ややらなきゃいけないことの中にいたって、旅はできるんだろうな。
近所を歩いてるだけでも、音の中ででも、どこにいても。

慎重さも計算も、不安も疑いも確認も少しくらいは必要かもしれないが、そればっかりになって窮屈になるのはやめよう。
なるべく心を空けっぱなしにして、ふきぬけていよう。
なるべくいろんなことをして、その中で旅しよう。
自分でいこう。
どこにいたってきっといける。
自分でこじあけよう。

立ち止まって考えることも必要かもしれないが、自分には、いろんなものの中で、景色の中で転がりながら進んでいくほうが向いてるみたいだ。どこそこに、いちいちぶつかるだろうけど、それでいい。

遠くをながめて、まだありもしないことに不安になるより、今あることに感謝できたとき、地に足がつくあの感覚を忘れないでいこう。
ダムを持たない、ふきぬけた心をもつ人と出会ったら、一緒に笑っていよう。
蛇口は出しっぱでいい。

どこにいたって、きっと旅はできる。
「証拠は残すな」
そんな言葉を思い出しながら。
どこにいたって旅していよう。

てかっ
そんなことふとおもいながら、進んでいこうとおもうこの頃だ。

2011年7月27日水曜日

Vol.138「2011年、日本の夏を焼きつけて」の巻

涼しい日が続いた。秋のような。乾いた風がここちよかった。サブミリナルオータム。
裏路地にある民家の玄関先に植木がしげっていて、道路には水がまかれてた。
日陰で涼しくて、なんだかいい空気が流れてた。

ここに竹でできたベンチでももってきて、近所の将棋仲間と将棋したりして、蚊取り線香の匂いと、子供がスイカ食べながら遊んでて、風鈴の音が優しく鳴って……。いいなぁと一人妄想働かせて、まぁでも60歳くらいの目標にしておくべかと夏の小道を歩く。


夏が水まき、今から本番いきまっせってな今日この頃、いかがおすごしか。

やっぱりぼかぁ夏が好きだ。サンダルでずりずり歩く夏。

あっついな、だりーなとかおもいながらも太陽に焼かれると気持ちがいい。
今年は節電の影響で電車の中や店の中も、あの極端な冷房がないのがいい。
キンキンの冷房は一瞬ひやっとして気持ちがいいが、やっぱどっかでなんか違うなとおもってしまう。
過剰な電気使用がないせいか、今年は風鈴とかうちわ、花火や果物屋のスイカやアイス、昔からこの国にあっただろう日本の夏の風物詩なんかが鮮明に見えておもしろい。路地を歩くだけで汗かいて、いろんな景色が見れておもろい。日本の夏だ、キンチョールだ。

地元にいた頃、昼間はジャワジャワ蝉しぐれ、夕方は田んぼでカエルの大合唱。帰り道、用水路をのぞくとカニがニコニコしていっせいに隠れたり。家の裏では黄色と黒のでっかいクモが巣をはって、そんなもん達の中で一緒に暮らしてたことを思い出したりする夏。

小学生の頃、友達の家族に山にキャンプに連れて行ってもらって、朝もやの中、釣りを教えてもらった。川の石をひっくりかえすとそこに川虫がいて、それをとってエサにして糸を垂らすとすぐに魚が釣れた。エサをその場で捕まえて魚を釣る方法や、それを焼いて食べたこと、そんな景色なんかもずっと残っていて、夏になると思い出す。そういうことを思い出せるのが嬉しくおもう。今よりも宇宙というか、自然というか、その中で暮らしてたこと。

電車の中、自分も、知らない乗車客もみんな携帯をみてたり、ガンガンの冷気に怖さを感じたり、空調のきいた部屋で窓ガラスに向かって同じところを走ってわざわざ汗かいてる人たちがいたりする中で暮らしてると、ん?と、なんか違うんじゃないかと、全体的にこれどこに向かってるんだっけかなと、自分も含めておもわせられる風景に出くわしたりする。

それでもここで暮らすことを選んだ自分の正気を保ったり、どこかへ向かわせてくれたりするものの一部は、人間以外のものとも一緒に暮らしてた、そういう経験や風景だったりするかもなとおもったりして。いいことばっかりじゃない、悔しいも悲しいもさみしいも不安も全部、ひっくるめて太陽に焼かれてた。夏に焼きついてる風景、匂い。友達んちであちーあちーって飲んだカルピスとかでもね。
汗かいて自分の肌に焼きついてるものたちが、より確かな力をくれたりする。

昔はよかったってのとは別に、そういう経験の中から、少々大袈裟かもだが、この時代に生きて、次の時代へこれはもっていっても恥ずかしくないとか。もっとこうだったらいいのにとか、くんだらないことだって、いいことだって、笑いだって、未来にもっていきたいもんを、知らないうちに選んでるんだろうなとおもう。自分が時々力をもらう記憶。今すぐにじゃなくても、子供の子供の子供の子供のってずっと先へ。もちの論介そんなことばかり考えて暮らしてはいないけど、時々おもう。いつか見たガンジーの言葉、「いいことはカタツムリのスピードで進んでく」。スピードは遅いけど、自分の信じる強いカタツムリを自分の中に持てたらいいなとおもう。どこ風でもない独自のバトンを、自分の今に、明日に、次の時代に渡していけたらいいなとおもう。2011年夏、汗かいて、日本の夏をたくさん焼きつけたいとおもうし、きっと焼きつく夏になるだろうなとおもうこの頃だ。

本番はこれからの夏、意外といつのまにかかかってしまうらしい熱中症に気をつけられよ。ハバナイス日本の夏2011よ。それでは。
宮崎の焼酎、知らなかった。これうまし。

これ吹っ飛ぶくらいやりたくなるけど、今はやらないね。
ある日、これ壊れてたから誰か吹っ飛ぶくらいやったんだろね。
写真は復活しててよかったねの図。

朝顔、いいですな。
種の形もおもろい。

かきわけて 入っていきたくなるね、いかないけど。
草と草を結んでワッかにして罠つくったりね。

ジャンボタニシのたまご
ってこんな感じよね

狭い空選手権。

2011年6月27日月曜日

Vol.137「ひっくるめて今を鳴らす」の巻

梅雨、曇ってても雨降りのような湿気がムンムン、時々の太陽がありがたし。

カラスがビワを食い散らかして、道路に散乱してる。中学時代の野球部、補欠、声だし飽きて、ファールボールがグランド横の民家へ飛んでくたびにわーっと2、3人でとりにいく
そこにはビワがなっていて、はじめの1個が、いくたびに本格的にビワに夢中になって監督にみつかりビンタ、ケツバットされたのをおもいだす。スリルも手伝ってあの時のドキドキのビワに比べたら、都会のカラスは堂々としたもんだ。なんてことを毎年おもいだす今日この頃、いかがおすごしか。

最近、ギターをリペアしてもらった。3週間ほど手放したわけだけども、帰ってきた時、やっぱり嬉しかった。

いつも使ってる黒いアコギ。10年以上使ってるギター。
メンテナンスされて音の響きがひろがって、気持ちがいい。

きっとこれ、僕のギターはじゃじゃ馬で気分やで誰でも乗りこなせるわけではなさそうだ。
弾いた分だけ、一緒にどこそこいった分だけのものが染み込んでるんだろなとおもう。


長いこと一緒にいるとできてくる共通言語というかクセというか。
特に音楽には正解とか間違い、答えがない分、そこが重要になってくるんだろうとおもう。
自分にしか分からない、しっくりくるかこないか。

もしもこのギターがなくなっても、一緒に鳴らした瞬間の数々が自分の中に残ってる。何にもないようで、心はたくさん感じてる。後になってわかること、残ってることってのがたくさんある。忘れてるようで時々ちゃんとおもいだす。
あたり前のことだけど、今までの経験の上に今があるってことを、より感じるこの頃だ。

いいことも嫌なことも、うまくいったことも、いかなかったことも、どうにもならんとおもったことも、もうここまでかと思ったことも、なんにも見えないとおもったことも全部、全部ひっくるめて今を鳴らす。ひっくるめて今を鳴らすと、その先にひろがってく。
どんな状況でも必ずどこかにいけることを、ギターに教えてもらってる気がする。

人だって、ギターだって、知らなかった自分をきづかせてくれる時がある。
そういうもん達と一緒にこれからも旅していこうとおもう次第だ。 

2011年5月27日金曜日

Vol.136「ある日の釣り日記」の巻

蚊も少なく、湿気もなく、からっからの風ふいて、花粉もなく、気温も程よくて、もしかしたら一年で一番すごしやすい時期かもな、ありがたや、なんておもうこの頃いかがおすごしか。

今回は宮崎帰郷から被災地へ行った時のことを書けたらと思う。

3月に帰る予定だったが地震の影響で一カ月ずらして帰郷。
ライブがあるわけでもなかったが、正月帰ってなかったこともあり2、3日ゆっくりしようと。

地震後、自分はよく寝た。時間さえあれば寝た。赤ちゃん以来じゃないかってくらい寝た。誘ってもらったライブ以外なんにもやる気にならなかった。んが、最近になって釣りがしたいとおもった。

東京ではなかなかできないので、釣り番組を見ておもいをつのらせた。
その番組の中である言葉が紹介されてた。
「一生を幸せに暮らしたいとおもうなら釣りを覚えなさい」
どっかの学者さんの言葉らしい。なんとなくわかるなぁとおもった。

帰郷したらしたでなんだかんだやることがあって釣りどこではないなとおもっていたのだが、ぽつりと夕方の3時間ほど時間が空いたので釣り道具をもって近くの五ヶ瀬川へ。

釣れなくてもいいやと竿をだす。大きな川の流れと空と時間の中でウキを浮かべ眺める。釣れなくてもいいやとおもいながらもウキを眺めてると、もっとあぁしてみよう、こっちに投げてみようとかいろいろ考える。それが楽しい。

ウキが沈んで小さなフグを釣って遊んでた。浮いてたウキにアタリがあって、水の中に吸い込まれてく瞬間がいい、たとえフグでも来てよかったなと思っていると、後ろの堤防の上に夕陽のガンマンよろしく三人のチャリ族、つまりは中学生らしき少年達がこちらをみてこそこそ話してるのが丸聞こえ。

「あそこじゃ釣れんよね」「もっと沖の方に投げればいいのにね」とかこちらの釣りを批評している。めんどくさいなとおもいながら無視していると「釣れますかー?」と話しかけてきた。「釣れんけどいいとよ、フグ釣って遊んじょるだけよー」とかえす。
「もっと沖のほうに投げたほうが釣れるとおもいますよ」「へーじゃあやってみるけ」と呼びかけると嬉しそうに3人で降りきて「いいんですかー?」とか言いながら竿をうけとると、さっそく釣りはじめる。「部活はやってないの? 不良グループかい?」などと少々雑な質問をすると「俺たち不良じゃないですよ、バカなだけですよ、だって学年でこいつは後ろから何番目で俺は」とバカ自慢がはじまり、「俺たちバカとしか仲良くなれないっすもん」とかいいながら笑ってる。なんか似てるなとおもいながら3人が一本の竿であぁじゃないこうじゃないと釣りしてるのを、すっかり乗っ取られながらタバコ吸って眺めてた。

すると一人が「仕掛けを変えてみていいですかー?」ときたので「いいよ勝手にやっちゃって」と仕掛けを変えはじめる。

まぁでももう仕掛け変えても釣れんやろうとおもいながらも好き勝手やらせていると、ウキをはずして投げ釣りに変えて勢いよく沖の方へ投げた。テトラポットの隙間に竿をさして立て4人で竿先を眺めてた。すると10秒ほどで勢いよく竿先がガクン!とおじぎをしてアタリを知らせた。

その瞬間4人で奇声を発し「よっしゃー! まけまけー!」と一気に大興奮。
中学生が糸を巻くも途中でバラしてしまい釣れなかった。が、今のはすごかった、でかかったよ絶対!なんてすっかり「3人の中学生と一人のおっさん」ではなく、「4人の釣り師」として一致団結エイエイオー!「よし、今度はエサを短めにつけてみよう」「もう少し早めにまいてみようや」とかアイディアを出し合い2投目。みんな興奮を抑えて竿先を眺めるとまたしてもすぐにアタリがあり、みんなでヨッシャー!。今度は見事に釣り上げる。この時点でその中学生をプロと呼ばせてもらうことに。

うおーすげーと魚を囲んで大興奮「声すごかったですね」とかいって真似されたりしながらもう2尾、中学生が釣り上げる。

すっかり暗くなり、いやぁすごかったねと帰宅。
帰宅際、明日、東日本大震災への物々交換ライブがあるから来てよと誘い帰った。

翌日その中で家の近かった中学生が一人、他の2人より10円ずつ托されて募金しにきてくれて嬉しかった。連絡先も交換し、今度帰ってきたらまた釣りにいこうと約束。念願の釣り仲間ができた。

いやー釣りってホントにいいですね。
って、すっかり釣り日記になってしまった。釣りをしない人にはなんのこっちゃかもわからんが、どうしても記しておきたいできことでありましたのであしからずであります。
というわけでこちら釣りのことだけで長くなってしまったので、続きは写真のほうでご報告を。

 
◎五ヶ瀬川にて。

◎乗っ取られるの図。


◎匠プロ。

◎夕暮れにて。
門限大丈夫か
「魚もってかえれば大丈夫です」

◎クロダイ。
チヌとも言う
憧れの魚

◎キビレ。
ヒレが黄色いからキビレチヌ
食べるとうまいやつ。

◎物々交換コンサート。
急遽 開催。
東北へ、自分の歌と交換にお金やヘルメット軍手等を集めさせてもらった。
二日前に決定したにもかかわらず満員御礼
ありがとうございました。
九州の宮崎は延岡、こんなに離れているのに東北への想いを強く感じた。
自分は体ごとその地にいかせてもらうので
しかと届けたいとおもった。

◎東北へ。
いったん東京へもどり、弟と、いざ東北へ。
待ち合わせの時間に2時間遅れて登場の弟に「コノヤロバカヤロー」とおもったが
乗せてもらう身分なのでぐっと我慢の大人力。
いざ親戚のいる気仙沼へ。

◎気仙沼。
弟と二人夕暮れ時に気仙沼着。
道が所々凸凹になっていたが思っていたほどでないという印象を受けた。 気仙沼といってもひろいんだなと思った。
が、やはり海に近くなると一気に景色がかわった。
海沿いの街は街ごと何もなく、あたり延々と瓦礫しかなかった。
自分は瓦礫の撤去にきたのだからと、心んなかは「やるしかないべ」を繰り返してた。
その日は親戚の家に泊めてもらった。
玄関先で伯父がむかえてくれ「生きてた生きてた」と無事を実感し握手をかわした。
伯父叔母と自分と弟とご飯をたべながら、いろんな話を聞いた。 今、こうして一緒にいられることが奇跡的な話だった。

写真は壁に貼ってあった、じいちゃんばあちゃん従姉妹と自分。

◎物々交換コンサートのお金。
延岡での物々交換コンサートにて集まった義援金の全額、70,086円は気仙沼の市役所に直接お渡しさせてもらいました。

◎石巻へ。
そして弟と二人、いざ石巻へ。 桜が満開だった。

◎ボランティアスタッフの集合場所へ送ってもらい、ここからそれぞれの行動へ。

◎先に現地にいたボランティアスタッフの案内をうけ、海沿いの一面瓦礫の街や街だった場所を見渡せる場所へ案内してもらう。
テレビで見た瓦礫の山
そこに立つと、落ちているものから様々な暮らしがあったことを知らされる 。
が自分は今回瓦礫の撤去作業員としてきたのだから、外からきてくらってる場合ではないと頭のなかで「やるしかないべ」を繰り返した。
本部にもどり、テントで過ごす。
まわりのテントからも話し声や笑い声などが聞こえてたが、10時ぴったりに一斉に静かになったのが印象的だった。

その夜、ボランティア本部に呼ばれ、明日避難所で歌うことの要請があった。
ぜひやらしてもらうことにした。
しかし、ピースボートの方々は非常にボランティア慣れしているというか、説明や段取りがスムーズでわかりやすい。 自衛隊の方々もそうだがかっこよくみえた。

それから自分は車の中で歌ううたの練習をし、寝た。

◎翌日。
翌朝、7時30分より全体朝礼があり、ラジオ体燥をしリ-ダ-の話を聞く。
全体で100人くらいだったろうか。
笑いを交えながら非常にリラックスした朝礼だが、張り詰めたものがそこにあった。
みんな割り当てられた現場へ車で運ばれてく。
こちらは避難所で歌うため遅れて出発。

◎湊小学校。
小学校全部が避難所になっていた。

◎コンサート。
体育館、お昼の炊き出しの時間に、並んでる人やご飯を食べてる人にむけて生歌にてコンサート。
いきなりやる。避難所の空気をボランティアスタッフの方々もわからない状況、そこではこういうことが初めて行われる。
いろんな不安がよぎったが、自分のレパートリーの中からみんなが知っていそうな曲を歌わせてもらった。 聞く人がいなくても、そこに歌がただ響いてるだけでもと歌った。
歌の合間においさんやおばさんが話し掛けてきて、コブクロの何々やってとかリクエストをもらったりした。
残念ながらコブクロは知らなかったが、じゃあ長渕のとんぼとリクエストがあったので歌った。
地震後なんどとんぼを歌っただろか。
またおばさんが提案してきた
「歩きながら歌えない? 並んでる人達の前を歩きながら歌ったらいいとおもうんだけど」
おっけいですと列の横を歩きながら歌った。笑ってる人がいたり、一緒に歌ってる人がいたり、みんな手を叩いてくれた

歌いおわるとさっきのおばさんとこにいき、話を聞いた。
「ちょっと前だったらまだ歌を聞く余裕はみんななかったけど、避難所に鯉のぼりが立って、みんなの気持ちが少しずつ前向きになってきたから。今はもうどんどん歌う人なんかに来てもらいたい」 とのことだった。
やってよかったとおもえた。 また鯉のぼりってすげえなあともおもった。

◎作業。
コンサートが終わり撤去作業をさせてもらった。
スタッフの方々のわかりやすい段取りにより作業衣の着方や注意すべきことを聞き現場へ。
商店街の店と店の間の裏路地にスク-タ-や台車が挟まっており、下には30センチほどヘドロがたまっている。
三人一組でバイクを引きずりだし、ヘドロを土のう袋に詰めて表の道沿いに並べていく。
自分はこれをやりに来たんだと実感する。
スコップでヘドロをジャッとすくった時、自分のナニカがすっとおりた。
これが先だったとおもった。

本当に全体でみたら何もならんかもしれないひとすくいだが、自分にとってはでかいひとすくいだった。
いろんな人の想いも後おししてくれ、たった2時間だが人が通れるくらいに作業できた。
何かできることはないかとかこんなことしてていいのかとか
ひずんでた自分の心や必要以上に自粛してる雰囲気までなくなればいいとおもった。
しなくちゃいけないことはもうやってるんだと、いつのまにかやってるんだとおもってもいいんじゃないかともおもった。
うまくいえんがそんな感じがした。

◎現場にいくとき猫ぐるまやスコップをもちながらボランティアスタッフの人達とすれ違う
違う団体だろうとみんなすれ違いにコンチワ-と挨拶をする
行きがけに挨拶されるとなんか恥ずかしくモゴモゴとチワ-スくらいでかえしてたのだが、作業を終え、すれ違うときはなんだか非常に気分がよくハツラツとした気分でコンチワ-ッと言えた。

また、みんなカッパをきて作業をするのだが帰りに一斉に同じ場所に集まり洗ってもらう。
水も貴重なのでジェット放水で一気にとびちったヘドロを落としてもらう。
夕焼けにビショビショになってみんないい顔してたのがすごく印象的だった。
男子はかっこよく女子はかわいく見えた。
今の君はピカピカにひかって-だった。

ほんとにみんないい顔をしてた。
だれかの家の路地の瓦礫撤去だったけど、何より自分のためであるなとおもった。


写真は行きがけ。

◎現地に行って。
ほんとに短い時間の作業だったがボランティアに参加させてもらってよかった。
作業員として体感したことで、自分が落ち着いた部分があった。
現地に行かなくても、自分のやるべきことをやるだけでも、直接の支援にならずとも、それは復興に繋がることも感じた。

行ってみて残っているのは、あの瓦礫の街や挟まった車やぐちゃぐちゃの光景じゃなく、そこで復興にむけて前に進んでく人達の強さ、ボランティアスタッフのいい顔、そして自分のやるべきこと、できることを「やるしかねぇべ」っておもった気持ちだった。
復興への道のりはかなり遠くに感じた。何もかも一気になんてできない、できることをできる範囲でやるしかねぇべと、やり続けてくしかないんだとおもった。

被災地よりコメントをくれたり、物々交換に参加してくれたり、ライブにきてくれたり、遠くより応援してくれたり、これ読んでくれたり、色んな人達の中に自分がいて、参加させてもらったことを実感し、心強くおもった次第です。ありがとう

東京にいて自分は自分のやるべきことをやりながらまたいつかいけたらとおもう次第だ。

2011年4月27日水曜日

Vol.135「切り株」の巻

いかがおすごしだろうか。

先日、実家に帰った。

実家に帰る前に、震災ボランティア活動をしている友達から、ボランティアが足らんので時間があったらこないかと連絡があり、体が空いていたので「いく」と連絡し、短い日数ではあるがいくことになった。

実家にいると、東北震災チャリティーライブをしたらどうかと提案があった。

ボランティアスタッフからはヘルメットや軍手も足りないとのことだったので、それを含めての、自分の歌と交換の「物々交換ライブ」とさせてもらった。

ヘルメットや軍手なども送ってもらうことになった、現時点ではまだ手元にないが、現地にて使わせていただきます。

お金も集まった。延岡の保育園にて集まってくれたみんなからの募金は、70,082円。

このお金は明日より東北に直接行き、全額を義援金として気仙沼市、もしくは石巻市のほうにお渡ししたいとおもいます。(お渡ししましたらば、ブログと来月のコノ場でお伝えしようとおもいます)







震災からいろんなことを考える。自分のやってることや、やれること。
それがまちがってんのか合ってんのかとか。人とも話す。みんな感じて考えてる。
それは九州でもライブをやっておもったけどみんなそうやった。

正直な話、考えてるとわからなくなることも多い。

上にも記したように、そんな時、誘ってもらってライブができたり、誰かと話したり、誘われてボランティアに参加したりする。そこでもいろいろと考えるが、向かうとこをもらえること、これには自分が救われてると感じる。

本当は自分で考えて、もっと自分で何かをおこしたり、日常を暮らすことのほうが強く、大事だともおもうが、今はとにかく自分の場合、そこへ向かえる何かの誘いがあれば考えるよりもやってみたいとおもっている。



公園を歩いていて、切り株があった。その切り株のわきっちょから緑が芽吹いてた。
多分もう、切られる前の大木にはもどれないやろうけど、それとは違う新しい緑が芽吹いてた。


その緑が、イビツで力強く見えつつも、頑張ってる感じじゃなくて、「知らずにこうなった」的な感覚に見えて何かがほどけた。

陽があたり、風吹いて、雨ふって、根っこから断ち切られても、そこからそうなるのが当たり前なように。当たり前の生命力。



そこに規則正しく木を植えたのも人間、切ったのも人間だけど、切り株から勝手に芽吹く、イビツだけど勝手に芽吹いちゃうもの。

何かやりつつも、何にもしてなくても、イビツでも、「こんなんでちゃいました」ってのが力強く感じるこの頃だ。


ちんちんみえてますよ

今年は鯉のぼり 力強くみえる

この日のことを いつか書きたい

落ち着きますな
水のお香

2011年3月30日水曜日

Vol.134「誰かを想い声を掛け合えるのも人間の力」の巻

春がもうきてる。
空気が変わって季節が変わって、あったかいのは嬉しい。

あったかいもんっていつもあるとわからなくなるけど、心でも体でも、寒いとこにばっかりいると、あったかいもんに触れた時、包まれるような、ありがたい気持ちになる。

「千と千尋の神隠し」って映画で、主人公の女の子が、もらったオニギリをほおばって涙をこぼすシーンがあるんだけど、あんな感じやろうか。

空腹も忘れて、かけずり回って、たった一個のオニギリで、いろんな感情がほどけて
涙がこぼれてく。涙を全部こぼして、また次に向かってく主人公の女の子、いかったなぁ。なんつって、春の訪れ感じるこの頃いかがおすごしか。


2月、ドン曇りの寒い日が続いた。その日の天気で自分の気分も変わる。
これ自分のよくないとこでもあるとおもうんだが、そんな日はどうにもマイナスなことばかりが連鎖していく。不安要素が次々に頭の中よぎって、抜け出せなくなる時がある。
不安やら、寂しいとか、後悔とかに縛られる。そういう感情って何かしらもの心ついた時からあるものなんだろうね、危機管理というか。もうこれは、誰もがそうなんだろうけどね。だからやりたいことが浮き彫りになったり、つくりたいものがでてきたりするんだろうね。ずっと春だったらポワーンポワーンや。

考えてもしょうがないことを考えて、勝手に落ち込んで、ずっとそのまま何にもしないでいられるほど図太くもないようで、何かしらやる。考えるのは苦手なので体を動かしてなにかしらやる。

何かしらやってても、どっかのダムに溜まっていく。本当に打破できるのはこれじゃないってなる。

砂で山つくって、てっぺんに棒を立てる。砂を少しずつけずっていって棒が倒れるまでやる。砂をけずってけずって、それでも倒れない棒がみつかるまでやる。結局倒れない棒なんてないんだけど、それの繰り返しのような。そうやって本当にやりたいことやつくりたいもんがみえてくる。


歌ができるのっておもろい。頭で考えてる外からやってくる気がする。
その距離が遠いほどおもしろい。

出てきたあとで自分がみえたりもする。
訳がわからないけどそれでしかありえないものがでてきた時がいい。

寒いドン曇りの最中だって、考えられなくてもどっかで知ってる。覆われた雲の上に自分にしかわからない太陽があること。予感。たぐりよせる。

マイナスのゴムを引っ張って、飛ばす。雲に穴あけて光がさす。
小さな光でもみえたら、やっぱりなってあとは広がってく。
こじ開けた太陽の光の下、自分の太陽の光で笑い合いたいもんです。


春の予感、つかまえてこじ開ける。そんな2月の夜より。

3月11日に地震がおこった。

自分は東京の西麻布におり、すれ違う女性2人組の「揺れてない?」って会話が聞こえ、立ち止まり、揺れを確認して「こりゃ地震ですね」と発した。揺れはどんどん大きくなり地面を揺らした。

そこはでかい建物が立ち並ぶ足元だったので、「上に気をつけましょう」とそこにいたおじさんと共に声をかけあった。

大通りをいく車を止めてる人もいた。

歩道にいては危ないので大通りの真ん中にでた。

広いアスファルトに立つと地面が左右に揺れてるのがよくわかった。

建物は揺れ、電線は波うってた。

建物も倒れるかもしれないとおもった。

地面からグニャグニャと揺れられると、人間、本当に何にもできない、ただ「おさまってくれ」と願うばかり。

揺れは長く続いてようやくおさまった。

とりあえず建物のないとこまでいき、一服しようと火をつけたが、これ情けないことに少々、手が震えており、自分がビビっていたことにきづいた。

初めての経験、揺れだった。

近くに小さな電気屋さんがあり、テレビを見せてもらい、震源地を確認した。

電気屋のおいさんが言うには3メートルの津波警報が出てるとのことで、基準がわからない自分は「3メートルってでかいんですか?」と聞くと「そりゃでかいよ」とのことだったので、東北の親戚に電話をしたがつながらず、メールを打った。

六本木通りに立ってると、また揺れはじめた。横にでかいトラックがとまっていたので、トラックのせいかとわけのわからない予想をしたが、標識も揺れていたので地震だと気付き建物のないとこまで走った。

住宅街にある駐車場までいき立ち止まる。人が集まってた。
揺れは長く続き、「酔ってきた」と言う人もいた。

六本木ヒルズの横の建物では窓ガラス清掃のゴンドラが上にも下にもいけず、止まってた。
相変わらず電話はつながらず、ただ事ではない感が漂ってた。

ようやくおさまり、地下鉄に乗るべく改札にいったが、電車はとまっており、それを待つ人らの中で自分も待った。その間も余震が続き、揺れるたびに安全点検が初めから行われ、復興のメドが立たないとのこと。用事をあきらめ外にでた。

外にでると、電車に乗れず歩いて帰るしかなくなったサラリーマン達の行列ができてた。中にはちらほらとヘルメットをかぶった人もおり、防空頭巾をかぶった女子中学生もおり、東京の防災対策は進んでるなぁなんておもったりもした。

自分はとめてあった自転車に乗り帰宅した。どこまでも続く人の列に、異常事態だときづく。

途中ばったりオセロケッツの森山さんやカメラマンのマドカさんと偶然出会い、「おー生きてた!」となり握手を交わした。今おもえば少々大袈裟ではあるが、その時は落ち着いてたつもりでも、やはり気がはってたのだろう、会った瞬間、いつもよりも「おぉ!」っとなった。

家に帰ると、グラスが割れて、本棚は倒れ、テレビが落ちて壊れ、冷蔵庫が50センチほど前につきでてた。

当然かたづける気にはなれず、ラジオから情報をえた。
ああいうときに情報をえて、速やかにまとめる処理能力が自分には必要だと感じた。電話つながらない、メールも遅れるなか、ブログに情報をくれたみんなを心強くおもった。

届かなかったメールがいっぺんにきた。
その中にさっきおくった東北の親戚からもきていた。
が、時間をみると津波の前で、津波後の連絡がとれないまま数日すぎ、ようやく音信が通じたと連絡がまわってきた。

映像で津波を、のみ込まれる家々を見続けるしかなかったり、連絡がとりたくてもとれなかったり、地震に揺れ続けられるしかなかったり、放射能の情報に怯えたり、買いだめだなんだと集団でパニックになったり。

今まで当たり前だとおもってたものが、目の前で奪われていくのに何もできない。
これ、きっと日本全国であじわった無力感じゃないやろか。

そんな中、9日ぶりにおばあさんと若者が、わずかな食料で助け合って救助されたり、被爆覚悟で原子力発電所の復旧にあたる人がいたり、また地震後、大阪の有名なグリコの看板が節電のために消えてたり、スターバックスが歩いて帰る人達にあるだけのものを配ったり、津波にのまれるまで警報のアナウンスを流し続けた人がいたり。


人間、地面から揺れられると揺れるしかなく、地面が裂けたら落ちるしかない。携帯がつながらないだけで待つしかなく、のみ込まれる映像を見続けるしかないが、それでも人間。そんな中でも希望を見せてくれる人達がいる。

自然は驚異だというが、人間も自然の一部、無力も感じるがその中から驚異の光だってもってるんだとおもう。

でかくなくても、ささいなことでも、なんにもできなくても、あの無力を忘れずに、そこから芽吹いてくる一人一人の力、それを互いに持ちながら声をかけあって行けたらとおもう。情報のことも書いたが、それを知ってても声を掛け合わなかったらそこで終わってしまう。人と声を掛け合う、わかり合う、誰かを想い声を掛け合えるのも人間の力だ。

きっとこれから先ずっとだ。自分は自分のやり方で、芽吹いてくるものを育てていけたらとおもう次第だ。

2011年2月25日金曜日

Vol.133「2月、寒風、ドン曇り」の巻

春がもうきてる。
空気が変わって季節が変わって、あったかいのは嬉しい。

あったかいもんっていつもあるとわからなくなるけど、心でも体でも、寒いとこにばっかりいると、あったかいもんに触れた時、包まれるような、ありがたい気持ちになる。

「千と千尋の神隠し」って映画で、主人公の女の子が、もらったオニギリをほおばって涙をこぼすシーンがあるんだけど、あんな感じやろうか。

空腹も忘れて、かけずり回って、たった一個のオニギリで、いろんな感情がほどけて
涙がこぼれてく。涙を全部こぼして、また次に向かってく主人公の女の子、いかったなぁ。なんつって、春の訪れ感じるこの頃いかがおすごしか。


2月、ドン曇りの寒い日が続いた。その日の天気で自分の気分も変わる。
これ自分のよくないとこでもあるとおもうんだが、そんな日はどうにもマイナスなことばかりが連鎖していく。不安要素が次々に頭の中よぎって、抜け出せなくなる時がある。
不安やら、寂しいとか、後悔とかに縛られる。そういう感情って何かしらもの心ついた時からあるものなんだろうね、危機管理というか。もうこれは、誰もがそうなんだろうけどね。だからやりたいことが浮き彫りになったり、つくりたいものがでてきたりするんだろうね。ずっと春だったらポワーンポワーンや。

考えてもしょうがないことを考えて、勝手に落ち込んで、ずっとそのまま何にもしないでいられるほど図太くもないようで、何かしらやる。考えるのは苦手なので体を動かしてなにかしらやる。

何かしらやってても、どっかのダムに溜まっていく。本当に打破できるのはこれじゃないってなる。

砂で山つくって、てっぺんに棒を立てる。砂を少しずつけずっていって棒が倒れるまでやる。砂をけずってけずって、それでも倒れない棒がみつかるまでやる。結局倒れない棒なんてないんだけど、それの繰り返しのような。そうやって本当にやりたいことやつくりたいもんがみえてくる。


歌ができるのっておもろい。頭で考えてる外からやってくる気がする。
その距離が遠いほどおもしろい。

出てきたあとで自分がみえたりもする。
訳がわからないけどそれでしかありえないものがでてきた時がいい。

寒いドン曇りの最中だって、考えられなくてもどっかで知ってる。覆われた雲の上に自分にしかわからない太陽があること。予感。たぐりよせる。

マイナスのゴムを引っ張って、飛ばす。雲に穴あけて光がさす。
小さな光でもみえたら、やっぱりなってあとは広がってく。
こじ開けた太陽の光の下、自分の太陽の光で笑い合いたいもんです。


春の予感、つかまえてこじ開ける。そんな2月の夜より。

2011年1月31日月曜日

Vol.132「灯篭〜一曲々」の巻


2011年始まった。さみーさみー冬です。そろそろ雪が降るかもしれないとのこと、東京は雪が降ると、さみーのと暖かいのを繰り返して春になるイメージがある。

雪がくると春がくる。もうすぐかもね、はる。いかがおすごしか。

今回は2010年にニックバッカーズで出したミニアルバム「灯籠」に沿って書いてみようとおもう次第です。つくった歌についての詳しい解説やなんかは、なかなか難しいもんがあるので、漠然と書けたらとおもっています。

1曲目「くじら」
パオーン! それはゾウですが、漠然とそんなでっかいイメージ。
くじらってなんかいいなとおもった。海の深いとこでゆらゆらでっかく泳いでいて、いっきに垂直に口をあけて大量のエビやなんかを飲みこむべく、海面へ上昇してくる映像が頭にのこってて、なんかかっこいいとおもった。

東京の街というか、大勢、人が集まってる街ってどこも同じような街になってる印象がある。ビルは上に上に高く高く、これでもかってくらいひしめきあってて、角はかくばって壁も道路も建物もみんなツルツルしてる感じや。

好きで出てきた、そんな街の中で、自分の心までそんな風になってきてる感じがした。
やってきたことで身に付けたノウハウみたいなもんで、事が進んでいく時にツルツルな感じがする時がある。大勢、人がいるんだから、やっぱり共通言語みたいなもんが必要になってくるんだとおもう。常識について、流れについて、芸術について、幸せについて、恋愛について、音楽についての暗黙の共通言語。それが誰かにとって便利だったり、前例があるから分かりやすかったり、こういうもんだろうってなぞってく感じ。
本当は一人一人全然違うのがあたり前だし、日常生活、ツルツルの上で、暮らさせてもらってるけど、何かが誕生する時って、へその緒はそんなとこを飛びぬけたとこにあるとおもう。「音楽をやるのに音楽をやっていてもしょうがないっぺ」っておもうことがある。音楽をやってるんだから音楽をやってるでおっけーなはずなんだけど、なぜかそうおもう自分がめんどくさくなる。

なんというか、自分の思っていることが間違いであっても、勘違いであっても、そんなことを含めて、時間やら場所をこえて、きっと同じようにめんどくさく生きてる輩がどっかにおるかもしれないとおもったりした。そんで単純にこの日常のアスファルトをひっくりかえして、そんなくじらがおったらおもろいなとおもったわけです。


2曲目「情熱のパレード」
これは、語り口調になってるが、はじめはメロディーもあった。なんか今一つびしっとこないもんで、みんなでぶっ壊した。なんとなくのテーマがあったので、それをもとに、レコーディングの最中にできた。考えると頭が閉じこもってしまいがちなので、基本はありつつも歌いだしなんかは、勢いでべロンとでてきた。それを何テイクか繰り返し、出てきたものをみんなでまとめてできた。バンド全員でしぼりだしてできた感じやった。
ずっと前から、はじめてギターを弾いた時のことを歌にしてみたいなとおもってた。

高校の中庭で、音楽室のガットギター、友達に教えてもらった。
あんときの感動。風景を今も思い出す。
ギターにはコードってのがあって、それを3つくらい覚えれば弾けるようになるってのもすごくびっくりしたが、おしえてもらったGのコードを鳴らした時の感動。あん時の感動の勢いのまんま今まできてるってのは、よかったのかわるかったのか、なんかおもろいなぁーとおもう。

それさえあれば無敵ング的な、どこまでもいける的な、感覚。それは目に見えないもんだし、手で触れなくて、不確かなのに、もう絶対的というか。
若気のいたりとか、勘違いってやつなんだろうけど、どこまでもいけるってのがあったから、んじゃあ、いっちゃえとなって、友達と二人でヒッチハイク。「お金いくらもってる?」となって、まずは遊園地にいったり、のんだりして、二人の有り金を全部使い果たしてからの旅。ギターと自分たちの歌だけの旅。

あれからいろんなことを通り過ぎてきたし、知りもしたけど、基本、いまだに自分を動かしてるのは、あの不確かだけど、絶対的なものってのがおもろい。


3曲目「水に浮かぶ月」
月って、なんか見てしまう。きれいだなぁもあるやろうし、あやしぃもある、時々によって僕にはいろいろある。 海の満ち引きは月の仕業なわけでしょう、これなんかも摩訶不思議よね。人に引き寄せられたり、触れなかったり。そんなどうしようもない気持ちってあるね。実家に帰った時の月がすごくて、もらった歌です。


4曲目「祝子川」
「ほうりがわ」。インザスープでも録音したけど、ニックバッカーズでも録音した。
何曲かその時間と時代と掛け合わせて録音してみたいとおもう曲があって、その中の一つでありました。これはまず僕が弾き語りで録って、それを聞きながらみんなが絵を描いていった感じです。揺れたり、早くなったりする川に沿って演奏が進んでいくのも聞いてもらいたいとこです。


5曲目「アカリ」
「生きててよかったってことが 時々ある」ってギターを弾いてたらでてきた。
こんな感情になったことがあったから、そんな感情からもらった曲や。

手放しで「生きててよかった」そうおもえることなんてほとんどないし、感謝だけでいつもいられるわけでもない。
やっぱりそれは時々や。けど必ずある。そんな風に思えてる時のことを幸せっていうんだろね。
でもどっか、そんな気分も忘れてしまう日々が来るんだろうと思ったりして、なんか残しときたかった。完全に満たされた気分が永遠に続くなんてありえない、乾きが永遠にまったく潤わされないこともない。時々、必ず出会える感情が愛しくおもえた次第です。

それはやっぱり、ライブの最中にガーっときたりする。メンバーと音を鳴らして、一つに向かってガーってなる時なんて、奇跡的な何かに包まれたりする。人と人だから面倒くさいこともあるし、個人的な不安やらなんやら、そんなもの全部吹っ飛ぶ一瞬てのが、僕の場合、やっぱりバンドをやってると、そういう感情にさせてもらったりする。溢れる何か、できればいつも、いつでもそんな気持ちでおりたいもんです。人に対して、疑いも恨みも、見返りもなく、「ありがとう」とかそんな、あったかくて、溢れてしまうものだけで生きたいもんです。きっと生きられないことはないんだろうね。んが、まだまだヨワッちぃもんで、せめてそんな気分が自分にも、(きっと誰にでも)そう思えることが一瞬でもあるっちゅうことを確かめたり、思いだしたりできたらとおもう曲です。

そんなアカリの入った籠(アルバム)っちゅうわけで灯籠とさせていただいた次第です。うむ、分かりやすい。
以上「灯籠」一曲ずつの一人インタビューでありました。

明日は雪になりそうな夜、ぎゅっとなって春に咲くのを想い描いたりしてる蕾の気分。
は~るよこいっ は~やくっこいっ

また来月~。    おわり。


賀正ブ-ツ。
みがいたブ-ツが俺の門松さ。
そんなことをおもいながら パシャリ。
新たな気分であるいてきましょう2011や。

 龍と海と。

一つのイベント事に向け、バンドのメンバー以外で
こんなに共に時間とアイデアを費やしたことないね。
一曲を作りあげてるからね。
バンドのメンバ-以外との競作もおもしろし。

株。株の上に乗って、木になりすます。

ひしゃく。

つるつるした街
冷たい空気の中
ひしゃくが落ちてた

神社もお寺もないし
業者さんもみあたらない
誰のためでも
何のためでもなくなった
ひしゃく が落ちてた

朝をまきおわっただれかが 忘れていったんだべ
明日の朝はどうするべか

あ- ひしゃくが落ちてる
一人ぼっちが街中に溢れだしちゃってる
あ-ひしゃくが落ちてる
おもろいわ

誰のためでも なんのためでもなくなった
ひしゃくがおちてるわ

朝をまかれた街がキラキラしてるわ
目的や約束や情報や競争や残り時間なんかで
擦れて磨かれて
こうあるべきだと
整理された
つるつるの街によ

なんのためでもなくなった
ひしゃくが おちてるわ


2011年1月7日金曜日

Vol.131「2010年12月、2011年へ」の巻

2010年もあと僅かというか、あっという間にもほどがあるように感じるがなぜだろうか。毎年この「あっという間」というのには少しの抵抗を感じながらも使わざるえない。

あっという間というと何事もなくスムーズに事が過ぎていったようにおもうが、1年を思い返してみれば、そんなことはなく、頭悩ませたこと、はじめてぶちあたったこと、どうしようもないこと、感動したこと、大笑いしたこと、色々とあったのだが、過ぎてしまえば「あっという間」という感覚になる。

何年か前のこの連載でも書いたが、『年とるたんびに「あっという間」感が加速するのは、物事に対して慣れていくからだ』的なことをどこかで読んで、なるほどとおもったことがある。


慣れていく、繰り返しの中で人間の成長なんかもあるのだろうけど、それもありつつ「あっという間」の中に後悔のようなものが混ざっているのに気付いたりもする。

もう少しいろんなことに挑戦できたかも、とか、勇気足らずだったかもしれないとか、やれたことがあったとか、きっと12月というのはそんな月なのかも知れないともおもうが、「慣れていく」それを壊せるくらいの事件、「あっという間」の中に混ざる後悔めいたものを壊せる事件を自分の中で来年はもっと起こせたらとおもう毎年だが、もっともっと自分の中でしかおこしえない事件をと、ファック、今年はなお強くそう思う12月だ、いかがおすごしか。

ブログの通り、またしても宮崎滞在記

今回は宮崎のプラネタリウムにて演劇の合間に2曲ばかし歌わせてもらった。
オムニバス形式になっており、その中の2話「東京12月」「おきざりのブルース」
自分の書いた曲は、書いた瞬間に聞いてくれる人のとこへ旅立つものだなんてよく聞くが、旅した曲が演劇になって帰ってきたような感覚だった。

これを脚本演出したのが、高校の同級生で、その当時やっていた漫才の相方であった本田誠人(劇団ぺテカンの脚本演出家で俳優)。

高校を卒業してお互い東京に出てきて、誠人は演劇、自分はバンドとそれぞれの道を選んだ。これまでも何度か、それぞれのやってることをもって東京にて一つの空間を共作したことはあったが、地元宮崎で、しかも一つの作品として同じ舞台に立つのは高校以来だった。

今回のイベントのキッカケは誠人の奥方であり、役者のいずみちゃんが、宮崎市にあるでっかいプラネタリウムを観て、ここで何かやらかしたいってとこから始まった企画だとか。

これ、発想を形に変えてしまうパワーはすごいもんがある。便利に拍車をかけて、指一つでなんでも情報が得られ、やった気観た気になれる時代に、思いつきを形にする人のパワーは気持ちがいい。やるかやらないかは雲泥の差があることをみせてもらった。
そんな企画に誘ってもらい、船に乗っかった形で、短い期間宮崎市内に滞在した。

上記したように、自分の手を離れた曲達がいろんなドラマを連れてきて、役者のみんながそれを演じている。その合間に自分が歌うのだが、誠人の曲のイメージの主人公が実際そこにいる。その目の前で歌うのだから不思議な感じがしておもしろかった。こういうことが面白いのは、ギターと歌で、演じるほうの心と会話ができてる気になれること。普通に話をするより会話できてる気になれるから不思議だ。


まだ音源になってない「おきざりのブルース」は舞台には誠人と自分だけ、同じくもう一人高校の同胞が撮った地元延岡の写真がプラネタリウムの大天井に浮かびあがる。
その中でうたった。シンプルに3人でそれができたのがよかった。

本番2日前から宮崎市入りし、稽古に参加させてもらったが、やはり畑違いのとこに来るのは新鮮だし、いつもと違った刺激をもらえたりもするからおもしろい。
役者のみなさんの真剣さやら、みんなで一つのものを作り上げいくチームワーク、ポジティブさ。みんなで拾って、みんなで広げてく。少々そのノリに気後れしてしまうこともあったが、自分は自分なりに一員として参加させてもらった。

その雰囲気の真ん中にいるのがその脚本演出の誠人であるが、段取りよく稽古を進めていく様子も気持ちがいい。「はい、じゃ何ページのあそこからやってみましょ、よーいはいっ」とか「じゃ、ここで音が流れましたっはいっ」とか「何々くんあそこはもうちょいあぁやってやってみようか、うんうん」とかとか、自分ならとっくにテンパってイライラさえしてしまいそうな段取りの多さ、時間の無さの中、しかも楽しげに進めていく。

これ脚本、演出なのだからあったり前のことやろうが、おもろいのは、同じようなことを誠人は高校時代からやっているってこと。
授業中にノートに漫才のネタを書いていたり、演劇部でもないのに文化祭などで演劇をかましたり、そん時から脚本演出俳優で、しかも照明や音響さん相手にも的確に指示をだしたりしていた。誰に習うわけでもなくそれが仕事になってるんだから、おもろい。

20年経って、お互いに違う道通って、いろんな経験を経て、変わったこと、成長したこと、なくしたこと、いろいろあるやろうが、相変わらずあんときみたいに、自分らのやってきたことをもって「なんかおもれぇことやったろう」で遊べるのが、なかなかないことやろうなともおもうし、嬉しくもおもう。また、その時の担任の先生が観に来てくれていたのも嬉しかった。

しかしこれ、これから先にもこの日の内容、出会い、空気感はずっと光り続けるだろうなと思える日になったし、誰かの思いつきが色んな人の想いと爆発しあって形になって輝くって素敵やなともおもった。違う畑のみんなと一つの空気つくってますます、自分の道精進せねばとも思わせられた、そんな「星の庭」だった。
うむ、そして前々からおもっていたが、稽古終わりや本番終わりでの酒の席でもよく飲み、人にもよるだろうが、全体的に演劇人はやはり元気でありました、恐るべし。
                              おわり。


P.S.2010年もこの「センチメンタルの馬鹿野郎」に目を通していただきありがとう。
   2011年もどうぞよろしくです。
   
  2011年ライブ!生で会いましょう!!
  静かな心で正月を迎え、覚悟決めて2011年を突っ走りたいとおもいます。                  
    よいお年を!ハバナイ2011                      
                            2010年12月 中尾諭介