2016年3月29日火曜日

Vol.193「やるしかないことをやるだけさ」の巻


桜ぱらぱら咲き始めて、そろそろ春さんには本気を出してほしいところですが、これで最後か寒気が粘ってまだまださっびー日が続いとります東京、いかがおすごしか。

そんな寒い日、いつものように立ち食い蕎麦屋へ行けば、期間限定にて「せり蕎麦」なるものが、おすすめ品として売り出されており、たまにはかき揚げ蕎麦以外も食べてみるかと注文。出てきたその「せり蕎麦」はとてもおいしかった。せりは根っこまで入っていて噛めば口の中になんとも言えない春の味が広がり、一気に春を感じさせてくれました。子供の頃にはこれの何がおいしいのか、まるで草を食べてるようで、美味しそうに食べてる大人の人が信じられないといったような感想しかもてなかったけど、今は自分も大人になったのだなぁとしみじみ、口の中から鼻に抜けていく春の香りを楽しんだのでした。

そんなせり蕎麦を楽しみ、立ち食い蕎麦屋を出て、口に残るせりの香りに思い出したのは小学校の頃、家にいるとばぁちゃんから手伝うように言われて何をするのかとおもってついてくと草が生えてる野っ原へいき「せり」を取るとのこと。「せり」と言っても見覚えがなく、どれが「せり」なのかわからないでいるとばぁちゃんが採って見せてくれ、あまり他の草と見分けのつかない「せり」をこれかなぁと採りはじめ、採ったせりは市場へ持って行って売ると聞いたので、せりが食べたいとは全く思わなかった自分は、採れば採るほどお金になるのかとやる気になって採った。どれくらい採ったのか量も時間も覚えてないけど、自分の感覚としてはこんだけ疲れるくらい頑張ったんだから「こりゃ金持ちだ」って思えるくらい頑張って採った。採った「せり」をばぁちゃんと市場へ持って行った。どのくらいのお金になるんだろうとワクワクしてついていった。市場について市場の人に渡して値段が出るのを待った。ようやく値段が出たようで市場の人のところへばぁちゃんについて近づいていき、ばぁちゃんの手にお金が渡された。のぞきこんで見ると小銭だけだった。子供心にてっきりお札が何枚かとふんでいた自分は「えーっ」となった。が、ばぁちゃんは小銭をもらうと市場の人に感謝して、あたり前のように市場をあとにした。その中からお駄賃としてくれたのは多分「チロルしか買えんわ」くらいだったんじゃないかと思う。いくらだったかも覚えてないけど、その時の気持ちは覚えてる。「あんだけ働いて、まるで基地のように広い市場で結構待たされて小銭だけかよ」と、とても感謝する気持ちにはなれず、みじめな気分になって帰った記憶がある。社会と関わって働いてお金をもらうということのはじめての経験だったとおもう。その時は不貞腐れたけど、今はいい経験だったと根っこに残ってる。

普段から草むしりやご先祖さんに朝夕ご飯をお供えしたり、時間があれば何かしら動いていて、見返りも大事だろうけど「働く」「動く」というそのものの中に「祈り」みたいなものがあることを、言葉じゃなくて姿で見せてくれたばぁちゃんや、母や、近所のおいちゃんおばちゃん、そんな働く大人の姿は子供心に植えつけられるのか、根が不真面目な自分でも、何かしら動いて働いてきたことを考えると、そこは影響をもらって根付いてるんだろうなぁとおもい、働く大人の人たちが姿で教えてくれたことにありがたい気持ちになった。「お天道さまに恥ずかしくないように」って、自分のお天道さまの基準はそんなところにあるような気がする。何もしなくても腹は減る。腹が減るから飯を食う。飯を食うために働く。自分の体を使って働いて、実感のある飯を感謝していただく。社会や人の流れに繋がりを感じる。そんなあたり前のことを、どこか苦くて、なのに甘みと爽やかさが一緒に口の中で広がるせり蕎麦が思い出させてくれ、清々しい気持ちになった。

5年前の3月11日に震災があり、その一ヶ月後にライブハウスのスタッフに誘ってもらい、被災地へ泥かきに行ったことをよくおもいだす。それまで人の生活があっただろう海沿いの一面が遠く見えなくなるまで壊されてた。

レコードや楽器、こじあけられた自動販売機、ジャビットくんのぬいぐるみやバイクや墓石の上の車やむき出しになった家の基礎、などなど生活があったことをおもわせるものたちが、家の柱や泥の中にあった。その中に立って、何も感じたくなかった。やるしかないとおもった。ようやく家と家の間の路地の泥かきの範囲をあてがわれてスコップを握り泥をすくって土嚢袋に詰めて表に出す作業にとりかかった。何も考えずただやるしかないと泥にスコップを入れていくと力が入った。何も感じないようにしよう、やるしかないことをやるだけだとおもっていても、悔しさだったり、大きすぎる出来事に対しての自分の中の歪みや人の歪みみたいなものが出てきてしまい畜生な気持ちになって力が入る。いかんいかんと息を抜いてまた取りかかる。そんなことを繰り返して与えられた範囲の泥をとり終えた。たかだか狭い範囲の泥で広い範囲で見れば見えないくらいのことだけど、基礎の上には家があって、暮らしがあって生活があってその後で歌があることを知り、自分にとっては順番がはっきりとした大きなことだった。

「自分のやりたいことはなんだろうか」とか「自分が自分であるために」「自分探し」なんて言葉を聞くと遠くに聞こえ贅沢な悩みだなとおもうこの頃、やるしかないことやできることをやって、その中で「やりたいこと」はきっととっくにやらせてもらってるもので、「自分」なんてなくしてもなくしても、そこにポツンと残ってるものが自分なんじゃないかとおもうこの頃。時々遠くをみては欲しがってばかりの時もあるけど、そこへ行くのもこの足元から。自分の暮らしの中でやるべきことをやる。それは直接ではなくてもどこか遠くの街に繋がってくものだとおもったりもして。ひたすらに自分事、年いくごとに、どんどん当たり前のシンプルおじさんになっていけたらとおもう次第です。あぁこないだ食べたせり蕎麦の「せり」はどこかの鼻垂れ小僧がばぁちゃんに連れられ採られたものかもしれないなとふとおもいながら、今月はこの辺で、ハバナイススプリング&花見!


これがその「せり蕎麦」 ブタ肉と相性よろし

立ち食いそば に 立ち食い寿司 最近では ステーキも立ち食いがはやってますが、
ちょいとおもいんだよな-ステーキだと 軽く ちゃちゃっと焼いてぱっとたべれる
立ち食い焼肉なんてのはないのもんかな-とおもうことがありましたが
ありました。

子供の頃じいちゃんと切った切り株
そこから 新しい木が生えて。

11日より延岡へかえり 昼は祭の手伝い 夜は曲作り
深夜のファミレスにいき 気分を変えて ノ-トにテ-マにそったおもうことを おもったまんまに書き
ながめては書き 今日はこのへんにしといたろと まわりをみてみれば
上下ジャ-ジ率高し どこも 深夜のファミレスは ちょいとガラがおわるい方が多めですね
翌日は夕方より家でそのノ-トを見ながら曲つくり よっしゃ出来てきたと なんども歌うも
家の中では本域で歌えないので 本当にいい感じか確かめるべく
スタジオにいくかとおもうも 夜遅くはやっていないので 街中のカラオケボックスへいき
満杯で入れず 遠く離れたカラオケボックスまで行き
三時間が二時間延長、途中30分ほど寝てしまい結果五時間
ようやく出来て 送るも 送り方がわからず 結局遅れず
翌日に取り直し送信 便利な時代です
それを聞いておいてもらい 東京にもどって
すぐに レコ-ディングに向けてアレンジを練って 録音へ
かっちょよいのが録れました。

3年前より年に一度早朝5時スタートのライブに出演してますが、
今年はその出演者のお二人とバンドを組んで出演する運びとなりまして
早朝限定バンド Jバンドが誕生しました。
またこのイベントの出演者によるCDが渋谷のタワレコにて4月1日より発売。

こちらライブハウスチェルシーホテル店長
の川崎さんがベース

ニコチン のドラム ビークさんがドラム エレキでの初の3ピースか
ギターの比重も多く勉強させてもらっております。

桜ぱらぱらと。

♦独占企画 諭介がお答え致します

■「戦争の歴史を直接聞くと、残りますね。藤沢市の図書館の郷土や地域の資料を探すと、インターネットより江ノ島のことが載っているかもしれませんよ」
(みぃ 2016年3月2日 9:55)
なるへそ図書館ね、いきたいけど藤沢までいったらきっとつりいっちゃうな~釣りいって途中で豪雨になったら行ってみるわね。

■「2月嫌いなんや…ちぇっ 春からの再始動楽しみに待ってるね。 関西も来て〜〜待ってるし〜〜〜 気合い入れて来てよ!」
(匿名 2016年3月2日 20:31)
ありがとね、また必ずいくから待ってなさいよ!

■「なかなか暖かくならない3月ですね。こんな寒い中、諭介さんは釣りに行くのかな?と思ったりしていましたが、はまりすぎでしたね。磯の魅力は伝わりました(笑)誰もいないうちから着いて心細くなっちゃったのも、指を切っちゃったのもよかったなんて言えないですけど、そんなこともなければ、おじいさんの話を聞けなかったので、よかったことだったのかな。そして、諭介さんが話してくれなかったら、私もずっと知らないままだったと思います。兵器や特攻そのこと自体は想像するだけで恐ろしいけれど、今は知らなかったらわからないってことや知っている人がいなくなることが怖いことなのかもしれないと思いました。人から人に。これからのために、私も覚えておきたいことです」
(A.T 2016年3月16日 12:56)
自分らはまだ直接体験談を聞ける世代だから実感することが多いだろうけど、語り継ぐにしても薄れていきそうで怖いね、ぼやぼやしていたらいつのまにかそうなっていたりして取り返しがつかなくなってたなんて嫌やね。そっちの方向にいかないようにできるだけ語り継いだり、気持ちを持っていたいもんやね。

■「平和ボケしている私達が普段気付けずにいることも、ずっとそこにある自然のものは色んな景色を見てきたんでしょうね。 それを知る事ができたのは、もしかしたら黒鯛よりも大きな収穫だったのかもしれないですね。私も貴重なお話をお裾分けしてもらえて良かったです。ありがとう」
(夕陽 2016年3月20日 10:48)
うん、やっぱり忘れるね、日々の暮らしの中で。忘れたくないね。直接きいたり、刻まれてるだろう歴史に耳傾けたりしてね。今の日常の中でもいろんな苦労はあるだろけど、それすらなくなってしまうもんね。いやだね。そんなことを思い出させてもらたのはたしかにでかい収穫やね、でも、やっぱり黒鯛も釣りたいね。

■「中尾さん、こんにちは。極寒の2月に潮風に吹かれてるなんて!釣りに相当はまってるご様子ですな。というか、充電いっぱいしましたかな。 戦争中に観光しているとは、、信じ難い話であります。人間っていろんな意味で強いですね。 直接口伝えで歴史を垣間見ることは、すこぶる得難いどでかい衝撃であると感じました。 お写真の洞窟や磯の景色は、たまに江の島へ行ったとき見ていたけれど、今度訪れたら諭介さんのエッセイを思い出し、おぉぉく深い光景として感慨深く胸に刻まれるのかなあと思いました。暖かくなったら行きたいですなあ。 p.s. フカセ釣りの仕掛けで、水面に浮いている部分はどれですか?」
(たかの 2016年3月27日 9:50)
→うん、見てみて、ボラ場と言われる磯とバカ島と呼ばれる磯付近に穴がある、あと違うとこには砲台の跡もあるわ。フカセ釣り、水面から上はウキからね。ウキも沈めて釣る人もいるけど、あたくしゃそこまではまだできなひね。