2013年6月27日木曜日

Vol.160「自分で感じた風、自分で吹かす人」の巻


梅雨の合間にいい天気、湿気もなくてすごしやすい上に今夜はスーパームーンだとか。昨日の夜もまん丸で真っ白できれいやったが今夜はもっとスーパーなとのこと。楽しみだ。なんて書いていたらば部屋の中にカナブンがまいこんできて窓ガラスにぶつかって、「外に出られないっぺよ中尾ちゃん」と羽ひろげてブーンとガラスへの激突を繰り返してたもんで、手にとって外へ逃がしたろうとおもったが、手を近づけた瞬間に自分が「うわ、なんかこわい」なんておもってしまって、結局アミでもって外に逃がした。昔であったらカナブンなんてなんにも怖くなく、むしろかわいいくらいにおもってたものだが、数年前からセミにびびったりとどうしたものかワイルダー中尾。これも大人になってきてる証拠なのだろうか。あの生命力にやられてんだろうか。どうしてあのようなものが動いてるかが不思議におもうようになってしまったのか。きっと本気出したら大丈夫なんだろうけど、ちっと気がゆるんでただけだろうな。驚く自分に驚きです。そんな今、いかがおすごしか。

今月は誕生日、おかげ様でダブル成人となりました。おもえば一度目の成人20歳の時、成人式に参加するという選択肢がまったくなく、一人神奈川の部屋で裸になり胸のところにマジックで母と父の名前を書いて、その前に「MADE IN~」とつけ写真を撮ったのをおもいだす。
 成人式や卒業式、サークルの合宿やらクリスマス、なんだか自分で実感を得られないものに対して、いちいち遠ざけるあまのじゃくなクセがあるのだけど、そのくせその当日なんかになるとなんだか取り残されたような気分になるのも事実、何かしら自分なりにやっておかなくてはと一人の部屋で、カメラをセルフタイマーにして、前はギターで隠してすっぽんぽんで何度も撮り直したりしてた。
我ながら馬鹿だなとおもうけど、今だにその時の気分を覚えてる。なんだか心細くて情けなくて、ちっと寂しい気分だった。その写真は今も恥ずかしくてあまり見たくないが、でも自分はこうやって生きていくんだって覚悟にもなった。あの時あんなことをしておいてよかったなとはおもう。自分だけの成人式。

何かを思いついてなんとなくおもしろそうだなってことを実際にやってみる時って、やっぱりワクワクの前に不安だったり心細かったりってのがあるんだろね。それがあるぶん、達成できた時や、その過程においてワクワクに変えられた時の喜びは大きいんだろうし、少数派であったとしても忘れられない思い出になるんだろうなとおもう。自分で感じる風。

こないだ代官山は「晴れたら空に豆まいて(以下、晴れ豆)」というライブハウスにて久しぶりにライブをした。カケラバンクというユニットと晴れ豆の共同企画で、歌も楽器も生音、ライブハウスの四隅に出演者が陣取り、お客さんはその真ん中に、出演者に囲まれる形。演者の前にはそれぞれ4本のろうそくがたてられ、一曲終わるごとにろうそくを消していく。一曲ずつ歌っては次の演者にバトンタッチして、それを4周し終わると真っ暗の中で4組が一緒に歌う。まったく電気なし、照明もなし。自分の歌は4曲だけだったけど、濃い時間をすごさせてもらった。一曲終わるたびにお客さんが一斉に次の演者に体を向けるのもおもしろかった。

こんな企画おもいついてもなかなかやれないことだなぁとおもった。そこには、企画したカケラバンクの二人の音に対しての探究心、もっと既成概念をぶち破っておもろいことをという熱い想いが溢れていて、こちらにも伝染して楽しませてもらった。こういう人達との出会いは刺激になるし、ご褒美かしらとちょっとおもったりもする。カケラバンクと晴れ豆にお誘いをもらったこのイベントだが、実はもう一人、あの人の仕業じゃないかなって今になっておもったりもする。

このイベントの話をもらった時、おもしろそうだとおもったのともう一つ、やりたいことがあった。

数年前に亡くなった角野さんに対して歌いたかった。角野さんは音楽ライター業の傍ら、晴れ豆でブッキングマネージャーもやっていて、よく僕を誘ってくれた人。僕にとっては音楽ライターというよりもライブハウスのブッキングマネージャーの人だった。角野さんは、ただ誘ってくれるんじゃなくて、僕に対してふっかけてくれた、どうだこの野郎的な誘い方というか。僕にとっては嬉しい誘われ方だった。はじめて対面したのは晴れ豆のライブが終わり、打ち上げをしていたら、目の前の椅子にあぐらをかいて片手にビールジョッキをもって座ってた。「椅子にあぐらでビールジョッキって、なんなんだこのおばちゃんは」ってのが第一印象だった。
 「中尾くん誰とライブやりたいよ」なんてふっかけてくるもんで、こちらもその気で「エンケンさんとやりたいっすね」なんてふっかけて、それから何年後だかにほんとにライブを組んでくれた。その他にも今も付き合いの続くいろんなおもろいミュージシャンとライブを組んでもらった。理想のブッキングができた時は本当に喜んでた。角野さんが昔から応援してる人の音源をくれたりもした。「もっとやれんじゃないの」ってふっかけられもした。自分の番組で曲をかけてくれた。いつもなんか、はみ出してる感じがしてた。ずっと日本のロック界をみてきた人なんだろうな、ほんとに音楽が好きな人なんだろうなって感じの人だった。そんな人に、一つ一つのイベントに熱をもって誘ってもらえるのが嬉しくもあり、またやらかし返さないとなって背筋がのびた。

ある日、角野さんよりイベントへのお誘いをもらった。
そのイベントに出演することができなかった。自分にはふさわしくないとおもった。電話口でちょっと言いあいになった。もっとふさわしい人がいるはずですとの旨を伝えた。角野さんが音楽にまっすぐなだけに、こちらもその時は、今自分が出演するべきイベントじゃないとおもい断った。それは自分なりのまっすぐだった。「一年後二回目にそのイベントがあった時に出させてもらいます、すいません」と謝って、なんとなく了解してもらい電話を切った。それが角野さんとの最後だった。今思えば一回目も二回目もないだろうと、誘ってもらってんだから出ろよともおもうが、でもそう判断するしかなかった。今も間違っていなかったとはおもうが断りの電話が最後になってしまったのが悔しくおもう。

それから何カ月後かに亡くなったことをスタッフから電話で知らされた。晴れ豆にておこなわれたお別れ会にいった。晴れ豆の壁には、今までの角野さんの文をプリントアウトした短冊が、晴れ豆スタッフにより、全面にしきつめられてた。そこでスタッフにいろんな話を聞いた。
角野さんが音楽ライターとして日本の音楽シーンで活躍してきたこと。時代が変わっても好きなものを貫き通し、一切提灯記事を書かなかったこと。家に行くと足の踏み場もないほどCDが山積みだったこと。そして、晴れ豆が終わった後、夜遅くから牛丼屋へバイトに行ってたこと等。知らなかったことをたくさん聞いた。いろんなことを僕は悔いた。あの後バイトに行ってたことも、体が悪かったことも僕は知らなかった。
食うために提灯記事を書かなかった人だって聞いたり、そこに来た人達、スタッフの気持ちのこもったお別れ会に角野さんのすごさを知った。提灯記事を書いてれば、もっとうまく世を渡っていれば、バイトなんてともおもうが、その不器用さが角野さんで、だから他ではあまりない組み合わせの、おもしろくて熱のあるイベントを企画できたんだとおもう。

自分のような歌うたいは基本、そこがどこでも、路上だろうが河原だろうが、ライブハウスでもどこでも歌えば自分のステージだと、お誘いもらえばどこへでも、といった腹づもりではあるものの、そんな旅の途中に、はみ出す音楽熱をもった角野さんのような人に会えること、刺激あるミュージシャンと出会わせてもらえること、魂のこもった熱いイベントに参加させてもらえることは、嬉しいご褒美、宝物で、ずっと残るものだったりします。
「いなくなってからそんなこと書かれても」って角野さんから言われそうだけど、あれから数年、自分の中でちゃんとできてなかった角野さんへの気持ちを晴れ豆で伝えたかったし、こんなにはみ出して一つのことを貫いた人がいたってことを、みんなに知ってもらいたかった。今回のイベントでは晴れ豆で「変なおばちゃん」と称して伝えさせてもらえてよかった。きっと笑ってくれてると勝手におもってます。
ちゃんと言うまでに時間かかったけど、角野さん、ありがとうございました。 これからもみてもらえたらとおもいます。
 
音楽ライター角野恵津子、その文にどこかで出会ったらば、ぜひ、ご一読を。



夏の新宿きたら食べたくなるメロン。

譜面整理して いろんな歌歌ってきたんだなぁと実感。

憧れのクロダイ
ス-パ-でサランラップにとじられ
千いくらという値段をつけられる切なさよ

誕生日
新宿ロフトにて一日店長 スナックなかおへ出勤。
ここでもやはりメロン。

平日の深夜だというのにたっくさんご来店いただいて、
あたしゃ幸せもんであるなぁと実感。
がんばります。

いただいたフル-ツ盛りにびつくり
ここでもメロンを中心にいただきました。

スナックなかお
足を運んでもらい、ありがとうございました。
これからもぐわしぐわし歌っていきますんで
どうぞよろしくお願いします。

まちぼ-け-ってつぶやきながら
木の上に立って伸びてた頃の
木の気持ちを足からすいこんで深呼吸。

文。

後になって知った角野さんのブログに書いてた
角野さんからごはんもらってた晴れ豆の金魚たち。


♦独占企画 諭介がお答え致します



■「諭介さん40歳のお誕生日おめでとうございます。少し前から40って言っていたみたいなので、すでに41くらいの気分ですかね(笑)。テレビの仕事に関しては漠然としか想像できないけど、自分のやるべきことをわきまえている、一生懸命頑張っているというところはどんな仕事をしていても大事なんだろうなって思うし、やれるだけやってみよう!とメガネをかけてまで新しいことに挑戦している諭介さんも一生懸命頑張っているなと思います。そして、そんな諭介さんがこれから大人になろうとしている中高生達の力になっているのが、面白くも嬉しくも、そしてやっぱり面白くもあります(笑)。頑張ってください!中高生を応援する諭介さんを私が応援しています! 」(A.T  2013年6月20日 17:24)
→心強し!昨日も収録、なかなかどうしてふわふわしてしまうのがなかなかなおらんけどもっともっと楽しんでやったろうとおもいます。

■「40歳、お誕生日おめでとうございます!キメ☆パピチの文章から察するに、中尾さん随分成長されているご様子。奮闘ぶりが頼もしくもあります。 「童謡歌手になりたい」とデビュー当時に答えていた中尾さん、さすがだと思います。 なりたいものが先にあるってなかなかないことなのではないでしょうか? 40歳からの中尾さんのご活躍を楽しみにしております!」(みぃ 2013年6月23日 17:19)
→ありがとう。これからもよろしくね。言葉ひとつひとつにこめらる、時代変わっても歌える歌をつくれたらとおもうわ。

■ 「諭介さん、40回目のお誕生日おめでとうございます。 20代から30代になるのと、30代から40代になるのとは何か気持ちに違いはあるのでしょうか?あともし今40年前の自分に会えたらなんて声をかけてあげたいですか? 応援する時によく使う“頑張れ”って言葉は上から目線みたいで今まであまり好きじゃなかったけど、“頑張れ”って言葉には無事にうまくいきますようにっていう祈りの意味も含んでるってどこかで聞いて少し好きになりました。 諭介さんも慣れないテレビ出演、これから先も続く音楽の旅、頑張ってください。 陰ながら、ささやかだけどいつもパワーを送ってます。私のパワー届きましたか? 」(夕陽 2013年6月24日 10:11)
→ビシビシもらってるわ、ありがとうね。違いというかね、例えば20年っていうタイム感がリアルに感じること。生まれてからの20年はもの心ついてない時期があったり、初めてのことだらけだったりして記憶がふわふわしてるけど、二十歳からの20年 てより時間の流れがはっきり記憶されてるからこれから先の20年のタイム感も想像できるってこと。うかうかしてるとほんとにあっという間にすぎるだけかもなってところで、なるべく残したいことだったり新しいことへの挑戦だったり、人ともっと奇跡感じながら…ってのを強くおもうようになってるみたいね。

■「中尾さん、40歳おめでとうございます☆彡 童謡が中尾さんの歌心の真実なんですね。。どんな歌を歌っても中尾さんの歌になるというのは、多分練習や試行錯誤をいっぱいしていると思いますが、デビューの頃からぶれない基準を変わらず持ち続けている確かさからきているのかなあと思いました。 落語同様、歌はライヴは、人間のどうにもならん有り様を肯定する娯楽とも言えるかな。中尾さんの追い求める歌を探しに40代の冒険がんばってください。 p.s.好きな童謡はありますか?童謡はとても美しくて好きです。とくに自分は"雨降りお月さん"と"ハメハメハ大王"と、母も好きな"待ちぼうけ"が子供の頃より好きです」(たかの 2013年6月25日 10:02)
→まちぼ-け-って切り株見るたびつぶやいてるわ 写真追加しよ でっかい切り株あったのよ あとは古時計やらドナドナ 路上で歌ってたのはカラスなぜなくの-って全部知らないからおんなじとこ繰り返し歌ってたら変わっていっていつのまにか寒い夜の真ん中でって歌ができたりした感覚が好きね。