2010年11月1日月曜日

Vol.129「2010年、秋のアンテナ」の巻

寒暖の差激しい今日この頃、いかがおすごしか。

乱拍子で、このまま冬になってしまうのかしら。今年の冬は猛烈に寒いらしい。そんな情報におびえながら、こちらも乱拍子。整理つかない頭でよぎったままに書いてみようとおもう。アンテナ発信。

9月はライブがなかった。かわりに人のライブを観に行った。泉谷しげるのライブがかっこよかった。やっぱライブってこれだよなとおもった。ギターの藤沼さんがかっこよかった。これ日本のロックバンドの頂点じゃないかとおもうほどの刺激をもらった。 
時代は変われど有無言わせず確かなもんがあった。うまく言えんが最高だった。

映画も観た。ジョニー・デップのギャングものを借りてみたのだが、いまいち話がわかりづらいなぁ~と前半のあたりできづいたのだが、字幕がでていなかった。今のDVDはじぶんで設定しなくちゃいかんのね。字幕をだしてみたらおもろかった。

新宿のツタヤにいった。新宿のツタヤは自分好みのDVDがたくさんあり、もう観れないと思っていたDVDがあり、大発見をした気分になった。新宿ツタヤはいい。

テレビも観た。戦争のことをやっていた。アメリカの無人飛行機が爆弾を落としていた。落としたパイロットはテレビゲーム感覚だと言っていた。実際に飛ばなくてもいいので楽だとも言っていた。落とされた方は誤爆を受けていた。無人機に対抗して、自爆テロをくりかえしていた。自爆テロに向けて小さい頃より教育を受けていた。

渋谷の交差点で日の丸の列をみた。鳥肌が立った。「我々は許さないぞ」と叫んでいた。この鳥肌はなんだろうとおもった。 

「ハートロッカー」という映画を思い出した。

きっといつの間にか、そうなってること。タバコが値上がりして慣れてくように、いつの間にか年齢をとったように。もしかしたらそんな、いつのまにかこうなってたってのでも、戦争ってのはおこりうるものかもしれんなとおもった。

もう後戻りできないとこで、やるしかないと思い込み、快楽にさえなりえることもあるんだろう。どうにもならない連鎖の中で今の暮らしを思い出す、寝起きのような答弁で決まった事の犠牲をまのあたりにすることがありうるかもしれないとおもった。

何年か前のピースウォーク。アメリカ大使館前に座りこみ平和を叫ぶヒステリック感を感じた時とにていた。

子供の頃、戦争が起きたらあの山にいって穴を掘ってみんなで隠れて暮らそうとおもっていたことをおもいだした。今はもう多分違う。

止められない大きな力で、タライごと移される金魚みたいに、泳いでた場所さえ簡単に変えられることがあるかもしれないとおもった。今できることってあるとおもった。心の中にその宿題はたくさんある。もっと大きくなれる。


そうなったらやるしかないっていう男のわかりやすさがある。たたかいはきっとその前にあるんだとおもう。今、この日常の中に。


歴史はくりかえされると言われると、へーなんておもうが、だれも宇宙の果ての果てなど知らない。繰り返してきた自覚と同じことをしうる自分の自覚、危うさの自覚。ひずむアンテナがやさしい共鳴音を奏でられたらとおもう。

いろんな電波がとびかって、知らない間にもそれをキャッチしてる。時々ひずむ。自分のひずみは自分で溶かせたらとおもう。

猛暑に鳴きちらした蝉も、焼け焦げたひまわりも、ゆるやかに土に還る秋。悲しさも寂しさも優しく撫でていく秋風。そんな秋を待っている、そんなアンテナ、今日この頃だ。



代官山 晴れたら空に豆まいてのブッキングマネージャー、角野さん。
訃報、お別れをした。



「中尾くん誰とやってみたい?」
「誰々さんとやってみたいっすねー」
「よし、聞いてみよか」とか。

「誰々さんとやってみたら、おもしろいとおもうんだよね」
「やります」とか。

「こういうイベントがあるんだけど、どう?」
「んーちょっと」とか。

「このCD聞いてみて」とか。

そういうことを話してる時、ガキんちょが悪だくみをしてるような顔になっておもしろかった。大御所の方や、とにかく濃ゆいメンツをブッキングしてもらい出会わせてくれた。ふっかけられたり、ふっかけかえしたり。                                    


数あるライブハウスが毎日のブッキングを埋めていく。
その中には、いろんなブッキングがある。

これは個人的な感想だけど、熱のあるブッキングとそうじゃないもの。

やるほうはやるのだから、どんな状況だろうが大事件なのは間違いないが、その差はやっぱりある。歌える場所があればどこでも歌うのが基本だが、一緒に何かを作る、熱のある人と出会えるのはやっぱり喜びだ。 

角野さんはもともと音楽ライターをやられていて、思ってないことを書かないことで有名だったと聞いた。それは当り前のことやないかと書いてておもったが、仕事として割り切ってる人と、割り切れない人ってことだとおもう。角野さんは割り切れないというか、割り切らなかったんだろうとおもう。それをするくらいなら、ブッキングにしても音楽ライターにしても、バイトでもして稼ぐわいって人だったんだろう。

仕事としてプロとして、それはどうかという考えもあるやろうけど、僕はそういう人が好きやし、それが本当やとおもう。時代に逆行しても貫いた。そんな人からふっかけてもらい、記憶の中で黒点のように残り続ける夜達をもらったことに感謝です。

角野さん、こっから先もです。また何かふっかけてもらえたらとおもいます。
僕はまだまだです。 やります。 よろしくです。

歌詞手書き。

天女。

路地裏。

タイトルは幼稚園みたいだが
根っこの深い思いあり。

◆独占企画 諭介がお答え致します


■「こんにちは。朝焼け夕焼けが空と交わる微妙なグラデーションにキュンキュンしちゃってる秋です。秋の風は諭介さんがいうように、清潔な感じがして気持ちがシャンとするし、夜は星がよりくっきり見えるし、金木犀は優しく香るし。。。夏の暑さに鈍っていた五感が冴えてくるようで嫌いじゃないです。
宮崎滞在記の続編、楽しみにしてました♪私には『故郷』的なものがないので、諭介さんの宮崎でのあんなことこんなことを羨ましくもワクワクしながら拝見しました♪兄弟でライブができるなんて素敵! 歌喧嘩の続きは是非東京で!!
ニックバッカーズワンマンも楽しみです♪」(2010年10月14日15:23 by. 夕空)
→秋あったね。秋はいいわ。もう少し秋を長く感じてたいわ。 あの清潔感てなんだか大事なことなような気がするわ。秋がもっと必要です。ギブミ-オタム。グラデ-ション、わかるわ。吉祥寺で会いましょ。

■「「思う」を「想う」と書く諭介さんの言葉にいつもココロのスイッチ押されてます。ブログとは違うエッセイいつも楽しませてもらっています。
しかも今回は、とっても可愛い姪っ子さんやご兄弟の写真も見れてとても得した気分でした☆」(2010年10月20日0:41 by.smile)
→読んでくれてありがと-かわいいっぺ、姪っこ、なんつって。

■ 「可愛いですね。同じ血が入ってるからきっといたずらな中身も似てるんでしょうね。私の姪っ子はまだ1歳だけどもう祝子川が好きで、そういうのは同じ血かな、と(笑)。兄弟っていうのもそうなんでしょうね。そして「灯籠」来ました。自由に聴いてます♪ 初めはなんでいきなり灯籠なんだろう? あの石の?って感じで、なんとなく困ったときのWikipediaで調べたら、元は文字通り、灯(あかり)籠(かご)であり、ってあって、あぁって思いました。日本のあかり。音楽って私にとってもそういうもんです。それを閉じ込めたかごだなんてステキ、なんて思っている2010秋です」(2010年10月20日17:12 by. A.T)
→あ-やっぱり、姪っ子ってかわいいよね。燈籠、自分も辞書で調べてこれやなとおもいました。

■「すっかり秋です。ホライズンとか秋っぽいな。どこか遠くへ~って。めっちゃ聴きたいなぁ。待ってるから。ってそれはせんこう花火だ。長らく聴いてないから忘れそうでも忘れてない。なので関西にも来てね。気長に待ってるから~」(2010年10月25日23:44 by. J)
→いつもありがとう。
気長によろしく、たのんだ。 うんホライズンは秋や。 お前を乗せて~や。しかし、関西、全然行けてないわ。

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