2018年6月30日土曜日

Vol.220「HAPPY BIRTHDAY TO ME〜45ロール〜」の巻

紫陽花ぼんぼん咲いて、ホームランを打ったわけでもないのにハイタッチして小走りしたくなった梅雨。子供の頃は梅雨になれば、カタツムリとセットでそこにあるのが当たり前で、きれいだともなんとも思わなかった紫陽花、今年はみずみずしく咲く紫陽花にぶーんと虫の如く吸い寄せられて顔をつっこんで、さほど香りのしないその花に鼻をあてて嗅いでみたりして、またみずみずしいその頃を過ぎて少しずつ黄ばんで枯れ始める紫陽花を見ては、きれいだなぁなんつって足を止めて見入って写真をカシャカシャ。なんだろな、なんかいいなぁきれいだなぁ、これもまた昔はなんとも思わなかったどころか、枯れていく様などはどこかうら寂しく汚らしいなぁぐらい思っていたはずなのになぜか心が惹かれて、ハッピバースデートゥーミー、今月誕生日を迎えて45歳になった自分と共鳴しているのか、自分は紫陽花で言ったらこのくらいの時期なのかもなぁと、枯れてくさまを見てはおもったりして。それがまったく寂しい感じではなく、枯れてく強さ、力強さを感じて、自分の携帯には枯れ始めの紫陽花の写真がたくさん納められてる梅雨であります。グズグズの梅雨もそろそろ明けて、いよいよ本気出しまっせ夏、なこの頃、いかがおすごしか。


そう自分は今年で45歳の誕生日を迎えて、44まではなかった45という響きの中の、四捨五入したら50やん、えーうそー、50か、ほー、へー、50と言えば大人やな、大人っちゅうか昔で言ったらもう初老と呼ばれていたんじゃないかと、勝手に爺さんな気分にもなり、手を後ろに組んで紫陽花を眺めれば、こうやって花々を眺めたり、盆栽に興味を持ったりしてフムフムなんつって毎日それだけで楽しく過ごせたりすんのかなぁと思ったり、はたまた逆に、よくここまでこうして歌ってこれたなぁともおもったり。



子供の時に周りのおいさん達が余裕があるように見えた。いいなぁと。自分も30歳を超えたりしたらゴルフでもやって余裕で暮らしていたりするのかなぁと思ったりした。最近よく思うのが、しかしずっと心の中には不安があって、おびえて暮らしてきたなぁということ。何かしらいつも震えているような、不安が好きなのかなぁと思ったりもして。できれば不安もなく生きていきたいと思うも、対人関係、自分のこと、こんなままじゃなどなど、いつもある。なければ根無し草の糸の切れた凧、ふらふらとどこまでも飛んでいっちゃうような。それこそが不安になるのか、不安心配事は大海原で遭難しないためのイカリになっているのかとも思う。

今思えば余裕で暮らしてたおいさんなんていなかったんだろうなぁとおもう。



高校の時に中庭で友達に教えてもらったギターのコード、弾けてないのにジャランとやるとそれだけで心が吹き抜けて無敵な気持ちになった。けどそれからもずっと、好きなことをやってるはずなのにわけ入っていけども不安はなくならず、いまだしょっ中怯えている。例えば音楽のことで言えば、メンバーに新曲を渡す時、ライブに向かう時、かなわんなぁと思わせられるライブをみた時、うまく前に進めない時、曲ができない時などなど、ずっと。いやだなぁとおもうも、思えばこの怯えってのは次に自分が進むべき、超えるべき壁、指針になってるんじゃないかともおもう。越えれるか越えれないか、勝ったか負けたかの手前に向かったかどうか、挑戦したかどうか、ぶつかって震えて、情けない自分を知って、その自分を超えるために向かってく。勇気がいる。勇気は面倒くさい、面倒くさいけどそれをもって越えないと本当に喜べない、面倒くさい方へ行かないと燃えきらない。してきた経験だけで生きていけば難なく生きられたりするんじゃないかともおもうけど、どこかおもしろくなくなってしまうんじゃないだろうかとおもう。



燃えきらなくても時間は過ぎるし、なんとなく楽しくも過ごせるし、やがて勝手に燃え尽きるんだろうからわざわざそんなことしなくてもいいんだろうけど、そうなれた時の喜びというか生きてる実感ってのはかえがたく、一度知ってしまうとまた追い求めたくなるものなんじゃないかとおもう。ライブ前に緊張しすぎて、なんでこんなことしてるんだろうか、やめればよかったとおもう時がたまにある、ジェットコースターがゆっくり頂上めざして昇ってく時、遠くなる地上を見て怖くなり「やめればよかったー!」と大きく叫んだことが何度かあったが、そんな感じだ。でも終わると友達とがははは!なんつって笑いあってる。やっぱりその時は乗り越えて喜びを感じてる。怯えだけでなくて感動しても心が震える、悔しさや怯えでも、感動しての震えでも、震えて自分を知ってからが本番なんだなぁとおもう。



今月誕生日、一年一度のONE NIGHT STANDもしかり。この日そこまでいくのに楽しみも不安も入り混じって心震わせて昇っていき、その日に燃えきって、楽屋で一瞬空っぽになってすぐに、この気持ちをもってガシガシとやっていきたいという気持ちが空っぽの中に芽吹いていた。昔、屋久島で森の博士に聞いたことが頭をよぎる。木々がひしめきあってるとこに落雷やどしゃ崩れなどで木が倒れて、そこにポッカリとスペースができて、太陽の光が射し込んで新しい命、草木が生えて、そうやって森は生まれ変わっていく。そのスペースのことを「ギャップ」と言う。

自分も面倒くさくても勇気が必要なほうを選んで、震えては自分を知って、燃えて燃え尽きて空っぽになって、そこに射し込む光で芽吹いては、また生まれ変わって生けたらとおもう。経験と算段でふきだまることなく、森博士言うところのギャップを自分で作っては循環して生きていきたい。

誕生日のために作った新曲「HAPPY BIRTH DAY TO ME」の中でも歌ったけんども、年を重ねる毎に、枯れていくごとに音を研ぎ澄まして生けたらと、もらった命を燃やしては自分で時を刻んで生けたらと、循環しながら、人と刺激しあいながら生けたらと思いながら今月はこのへんで。よい夏をっ。45ロール 中尾諭介。



PS:今年も前半戦にいくつかの山を越えまして、後半戦の山々を超えるべく、ここらで一度、早めの夏休みを自分に設けまして、打ち合わせはあるものの、主体は釣り&野宿の23日を過ごすべく延岡へ行ってまいりますので、間に合う範囲でこの場所でやブログ等で写真を載せられたらとおもいます。




たくましや星に咲く花
お世話になっていた事務所ピンクム-ンの先輩 4-STiCKS
南野さんの場所にて歌わせてもらった命日の6/10



いつも音で熱で交わってもらってありがたいであります。
今回も、というか 回を重ねるごとにグルーブ増して、気持ちよくて爆発いたしました。
ライブ後、ケーキまでもらって、45才、音で叩いてもらっていい誕生日になりました。
ありがとうございました!

僕のギターを弾いて、ポーズをとる藤沼さんっ。

デビュー当時から何度も過ごした愛知県はは西尾の海。
インザスープにとって大きな影響をもらった場所。
インザスープに大きな影響をくれた事務所社長のシゲさんに会いに。

ぐにゃりと這ってのびてポップ

今年も何も植えなかったので
よく歩く小道の知らない人の植えた茄子の観察日記。

ぼん

ぼんぼんぼん

最近はこんなのや

こんな ちょっとかわった紫陽花もよくみますね。

枯れてく紫陽花

というわけで延岡にて ペテカンの添野豪さんと釣りキャンプ生活へ。



◆諭介がお答えいたします

■「大人になってからは私も特に何かを思うことがなかった気がしますが、諭介さんのボランティアでの体験話を聞いてからは、なんだか鯉のぼりが誇らしく見えるようになりました。前よりちょっと好きになったような気もします。聞けてよかった話です。今朝また関西で大きな地震がありました。地震は今やどこでも起こり得ることなのに、いつになっても慣れないし何とも言えない気持ちになります。お互いしっかり備えて気を付けなければいけないですね。諭介さんが映画で無敵なり!と思うのと同じように、私も諭介さんの歌やライブで強くなれるときがあります。それがなくても生きてはいられるけど、あったら頑張れるもの、元気になれるもの、水や食料とは違う栄養を与えてくれるものもきっと人には大事なんだろうなと思っています。怖い思いや不安な気持ちと戦う歌を諭介さんの声で聴きたくなりました
A.T 2018618 17:05
年いくごとに研ぎ澄ましいけたらとおもうわ。
がんばりますよ。

■「鯉のぼり、あまり気にした事がなかったけど、子供の成長と健康と出世を願う親心が込められているんだそうです。
力強く空を泳ぐ鯉のぼりの姿は何か見えない強い力を感じて、音楽や映画や本や・・・そういうものから貰える力に似てるような気がします。私にとってのそれは諭介さんの歌なんですけどね。

少し過ぎましたけど、お誕生日おめでとうございます!」
(夕陽 2018623 20:46

ありがとう、45ロール、これからもよろしくです。





5 件のコメント:

  1. お誕生日おめでとうございました!

    いろんな方のブログなんかで、中尾さんの楽しそうな時間を拝見してました。体感できず残念!

    ここ1年くらいで私は「インザスープ」の荒波にのまれて、いや飛び込んで、最近やっと自分の泳ぎ方を見つけたようです。中尾さんの発する気に負けまいと、私も面白そうなことに突っ込んで「なんでこんなことやってんのー!?自分...」みたいなこともあります。というかやってます。でも、楽しいです。

    芸術家の岡本太郎さんや幻冬舎社長の見城徹さんも「なにか決断するとき、困難な方を選ぶ」と言われてました。

    燃え尽きて生きたいですね。
    またライブ行きます。

    返信削除
  2. 暑中お見舞い申し上げます。 
    ワンナイトスタンドも熱くて楽しい時間でした。 新曲メロディーが優しいですね〜、家で何回も聞いてます。

    梅雨があっという間に明けたと思ったら連日猛暑ですね。中尾さんは暑さ対策でやってる事というか気をつけてる事ありますか?

    返信削除
  3. ハッピバースデー梅ー雨ーがあっという間に明け、夏が本気を出してきています。45ロール。数字だけ見ると69ロールまではまだまだですが、年に一度のONE NIGHT STANDで歌う諭介さんは一年ごとに階段を上っているような感じがします。諭介さんが近所のおいさんに余裕を見ていたのと同じように、私もインザスープで歌う諭介さんを余裕で歌っているように見ていました。かっこいいな、スターだ、でも、なんか喋ると変な人だな、面白い、ギャップだな(森の博士の言うそれとは違うギャップ)。だから、震えていることや、やめればよかったと思うことがあるなんて最初は少しびっくりしました。だけど、不安と好きはセットなのかもしれないですね。不安だけならきっとこんなに長く続いてないはずです。これからも、不安を喜びに変えていく体験を重ねて、素敵な初老になって欲しいな~と思っています☆

    返信削除
  4. こんにちは。

    子供の頃もそれなりに不安とかあっただろうけど、大人になると物事を知り過ぎたり経験が増えるからなのか、より不安が深く臆病になっていく気がします。

    よく神様は乗り越えられる人にだけ試練を与えるっていうけれど、越えても越えても無くならないし、神様は意地悪だなあ!って時々思います。

    今年の夏は始まったと思ったらいきなり本気ですね!
    猛烈な暑さも越えるべき壁も越えた後に吹く爽やかな風を楽しみに頑張りましょう!

    返信削除
  5. 中尾さん、こんばんは。45歳おめでとう!心に残ったフレーズがありました。<震えて自分を知ってからが本番なんだなぁとおもう><ギャップを自分で作っては循環して生きていきたい><もらった命を燃やしては自分で時を刻んで生けたら>これが中尾氏の生き方なんだなあと、読ませていただきました。ステージ上の中尾氏が眼前に浮かび上がりました。

    写真の紫陽花、萼片がやたらゴージャス!こんなんあるんだね。。
    小学生の頃はよくカタツムリを見つけてたけど、大人になってからほとんど見かけなくなりました。中尾さんは最近カタツムリ見ましたか?

    返信削除