しとしと雨降る5月末30日早朝、早起きにてこれを書く。一旦もう夏だなと思う日が続き、また冷んやりシーズン到来で涼暖も波の如し、フェイントかけられ半袖長袖着る服も迷うこの頃今日はひんやり、いかがおすごしか。
今までも書いた事があるかと思いますが、自分の音楽遍歴、ルーツを考える事が最近よくあります。2025年5月インザスープデビュー25周年というのも相まっていると思いますが、よくここまで音楽を続けてこれたなと思うと同時に10代から20歳前後の頃、バンド結成前までに僕は潜って潜って球根を育てていたのだなとも思ったりして、今一度そのルーツを確かめながら今を感じたいなと思います。同級生が集まると毎回同じ思い出話で盛り上がるように、一人で2025年の自分ルーツの確かめ作業をしますのでお付き合い頂けたらと。
中学に上がる頃に音楽へのアンテナが伸びはじめ、レコードで映画「ゴーストバスターズ」のサントラのレコードを母に買ってもらい聴くようになり、当時、電気会社のCMで流れて流行っていたボンジョビを聴くようになり、バービーボーイズや渡辺美里なども「テンションがあがるわぁ」的な感じで聴き、貸しレコード屋さんなどでペットショップボーイズなどを名前が面白いというだけで借りてきてハマり、自分で見つける楽しさも知りはじめていたんですが、テレビドラマ「親子ジグザグ」だったかで主演の長渕剛に出会い、オープニングテーマ曲の「ろくなもんじゃねぇ」が、それまで聴いていた音楽とは違う、テンションが上がるだけではない、よりもっと心に届いてきた。そして初めて自分で買ったレコードが、その曲を収録しているアルバム『LICENSE』でした。レコードの針のバチバチという静かな時間に一対一で語りかけてくるような曲達、そして最後の曲「LICENSE」で完全にやられました。歌って、こんな風に自分のことを歌っていいんだと思ったはじまりでした。そこからアルバムを遡り、なんせ田舎ですから、街の小さなレコード屋さんには昔のアルバムが揃っているわけもなく、予約をして一週間以上待ち、その日が来るのを今か今かと楽しみに過ごしてようやく手にして帰る時のワクワク感、自分だけのお宝を手に入れたような、ドキドキ感。そうして遡り聴いていくと、どうやら長渕剛のルーツは日本のフォークシンガー達にある事がわかってきて、今度は吉田拓郎、泉谷しげる、井上陽水、友部正人、加川良、遠藤賢司(敬称略)を聴くようになり、どうも学生運動などが行なわれていた激しい時代があって、その影響なども曲達から感じられて当時の空気感、歴史を勝手に想像しながら聴くのが楽しくて。今聴いても当時はまだ20代だったのだろう彼らが紡ぐ、20代とは思えない老成というのか洗練というのか、文学性、日本語の面白さ、短い言葉の中に広がる想像、そこに自由を感じハマっていきました。ギターが一本あれば、言葉とメロディーでどこまでも自由を感じられることを教えてくれたのが、日本のフォークシンガー達でした。
中学ではBOØWY、高校ではユニコーン、大学時代ではミスチル、などが同級生の間では流行っていた頃に、そちらには興味が走らず、遡って聴いていて時代に逆行していると感じていても、その逆感がまたより球根が育っていく感じもして、一人静かに向き合えるものとなりました。とはいえ同時代にも、ボガンボスやSION、HEAT WAVEなど、同じルーツを感じる音楽家にも出会えてハマり、同じ球根からこんなに違う花が咲くのというのも今思えば面白いところであり、当時は同じ匂いを感じながら、時代を踏まえて自分たちならでは独特な個性、優しさを感じる人たちにも傾倒していきました。
「遡り」は自然と海外のフォークソングへ向かうのですが、やはり関門のように「ボブ・ディラン」に行き着くわけです。しかし英語で、なんだか妙な歌い方だし、よくわからないと言うのが本音だったんですが、これだけ僕に影響を与えた日本のフォークシンガー達が口を揃えて「ラジオからボブ・ディランが流れてきたのを聴いてカミナリが落ちた」と、その時の衝撃を語るので、わからないのに、わかるまで聴きたい、好きになりたい、きっと好きになるはずだ、落ちてこいカミナリと、もはや自己暗示をかけながら聴いて、ギターにも自分だけが見れるところに彼の名前のステッカーを貼ったり、ボブ・ディランのデビューアルバムをCD棚の一番上に飾っていたりして。それから今も、そのジャケットは一番見えるところに飾ってあります。
話は逸れるようで逸れないんですが、最近よく思い出すのが大学の卒論です。
テーマは「なんでも興味があるものを選んで、それについての論文を書け」と、本当になんでもいいと言うので「日本のフォークソングにおける受容と変容」というタイトルでいろんな文献を探し、読み、ほとんど書き写したようなもんですが、それでもいまだにその時に調べた事が自分の根っこにある。ボブ・ディランからウディ・ガスリーへと遡り、いよいよ根本の「FOLK」といのは「民謡」であるという事、「民謡」というのは生活に根付いた音楽、その時代を反映したものである事、そしてそれは「普遍的なもの」である事にたどり着いた。ここに今の自分が音楽を続けてこれた理由があるんだなと思います。音楽業界やロック社会や縦社会、時代や音楽理論など様々な風が吹く中で、逆風を感じつつも抗いここを信じて、根を生やしてきたんだなと。ことデビューが決まり世に出るタイミングになった段においては尚更その根っこを感じ、たとえばタイトルだけ見ても「風の子」や「川」「夜の掛け布団」など、自分なりに「FOLK」の観点から世の中へ石を投じた結果だとも思います。
結果、2025年の自分は素直に音楽ができてると思う。あまりクセをつけずに、活動範囲にしてもジャンルに囚われず、人間関係に縛られず、逆風を感じてきた分だけフラットに音楽だけで人と繋がれているような、はたまた逆に、やってきた音楽との共通点をテレビMCや演劇にも見出してこれたように思う。
それでもまだまだ、これだけやってきてもいつも最初の気持ちでいられ、奥を感じ、これからもおもろい景色が待ってる予感を音楽はさせてくれる。そのようなものに出会えて本当によかったと思う2025年5月、そう思えるのも聴いてくれるみんながいるからです、ありがとう。これからもぜひ聴いてもらえたらと! フラットに発していきたいとおもうので、一緒に楽しんでもらえたらと思います。
そんなみんなにオススメしたい映画が「名もなき者/ A COMPLETE UNKNOWN」です。ボブ・ディランの孤独、抗い、時代背景、そこからの歌のチカラ、ボブ・ディラン先輩が日本のフォークシンガー達に、あの時代に影響を与えたことなどが頷ける映画でした。役者たちも素晴らしく、映画の後に観た本人の映像の方が偽物に感じるほど、シャラメ演じるボブ・ディランもかっこよかったです。お時間ある時にぜひ。
どんなことでも、今やってる自分の根本、ルーツ、起源など球根を確かめ探究、人生を旅できるのは幸せなことで、チカラが湧くもんですね。と思いながらこの辺で、よい梅雨を。
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この映画ですね。 |
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好きなジャケット。映画内ではこのジャケット撮影も描かれていました。 |
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千葉稲毛。いつしかここもホームとなり。月と夜へ。 |
戦争は僕達人類の敗北だと思います。 |
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近所に出店希望 ラオシャン。 |
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ギターのおしりのメンテナンス。 |
弦張り替えー今日もやったるでと。Photo by Masumi |
何をどうした時のアクションでしょう? Photo by Masumi |
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7月新島に向けての準備も。 |
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金網おじさん。子供達の野球をみてしまう。微笑ましくみてしまう。こういうおじさんいたなー |
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多すぎにも程がある。 |
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都会の隙間を狙って。 |
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愛知県 吉良町 ROCK ON THE BEACH |
静かな海と月。 |
本当にどうでもいいことで深夜まで話す人達。 |
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都会の隙間でくつろぐ② |
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美味しいですよねー。日本の現場仕事の方々をどんだけ支えてきたんだろワンタン。 |
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6/15EBBにおもてなしをされにいくためのリハを。感動しました、また改めてお伝えできたらと。 |
新宿ろふとのせんべろ。2曲だけですが毎回緊張しますね。ここもまた挑戦の場であり |
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アイドルとはいえ夢への本気を感じるゆらぴこさんよりうちわ配られ、異文化感コミュニケーション。 |
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久々野球も気持ちいい季節。 |
6/10この日に向けて5月は新曲をつくっておりました。 |
そして6/20、我誕生日にて。先輩方の胸借りてぶっ飛ばしてまいりますのでぜひ52の歌音を感じてもらえたらと。 |
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中尾諭介通販にて、新作CD「江ノ島の裏磯にて」販売中! |
諭介がお答え致します
■「k's共演者の歌のほとんどが「死にたい」というようなことで後ろ向きなMCなんてがっくりしちゃいますよね。
私は「死にたい」とか軽々しく言うのが好きではありません。
病と闘っている人、災害事故でこの世を去ってしまった人、戦地の人、その無念さを考えたらそんなこと言うものじゃないって思うんです。
私も楽しいばかりじゃなく生きてきたけどそんな風に感じたことはなくて歌や音が希望をくれる、本当にそうだと思います。
今回のエッセイの少し重めの内容に悲しい気持ちになってしまったけど「生きてて良かった」そう思えることが一瞬でもあれば前に進めるしそう思わせてくれる「アカリ」いい曲だし大好きです」
(夕陽 2025/05/28 23:50)
→ありがと、音楽でも他の芸術でも、ネガティブから発信しててもいいんだけど、その思いを昇華させようともせず、ただ垂れ流してるだけのものがきびしいなぁとおもっちゃうんだろなぁ、せめてMCで「なんつって、いやぁ最近は雨ばっかりで、、」とかギャップ感出してもらいたくなってしまうわぁね。日にちと時間と場所守ってちゃんと舞台にまであがっていうことかいってなるわね。
■「音歌にまっすぐ一直線な諭介さん
アカリにまつわる今日までの様々な景色や想いを、私たちにも共有して下さり嬉しかったですありがとう。
産み落とされた1つ1つの曲が人生レールに乗って時を重ねて、静かに走り続けていることを深く実感できました。
そして…それを生み出す諭介さんのど真ん中をただただ尊敬し愛しています🎶
話しは変わりますが、こちらのエッセイでチューリップや紫陽花など季節のお花いっぱいスナップ載せて下さるのなんだかご年配の方👵ブログみたいで、ほっこり懐かしく温かくなれ大好きです☺️
江の島裏磯釣りのお供、延岡産カラスミ!そんな名産物もあったのですね、なんとも美味しそう。食べた〜い😋」
(みなたん 2025/05/30 5:33)
→そうね、おじいさん、わかりますよ、けっこう若い段階からこのような傾向があります、飽きないですね、植物や虫や、空や。楽しませてもらって、自分と重ねて客観的にみれてありがたいです。これがまた石とかにいくと次の段階にいったということになるんでしょうね。高みを目指してお爺さんを磨いていきたいと思います。カラスミが延岡の名産なのかはきいた事ないけど、いつか自分でつくってみたいですなぁ。
■「今月の「アカリ」について、諭介さんの文章を読んで感じたこともそうだけど、一昨日の稲毛のライブのアンコールでこの曲を歌い始める前に「面白おかしく生きているつもりが、悲しい気持ちとか寂しい気持ちとかに蓋をして生きていたんだなと気づいたときに作った曲です」って紹介してくれたのが印象に残って、私も改めて気が付くことがありました。生きててよかったー!って思いたくて面白おかしく生きて、楽しかった!面白かった!よかった!と思うときもたくさんあるけど、悲しさ悔しさや寂しさ、そういう気持ちが心にあるから気づける“生きててよかったって事が時々ある”んだなぁ。でもそういう気持ちは特別なことじゃないし、誰もが心の中に持っているはずなので、その先の生きててよかった!に自分も日々気づいていきたいし、やっぱり「アカリ」たくさんの人に聴いて欲しいなと思いました」
(A.T 2025/05/30 17:17)
→ありがとう〜、ですわなぁ〜、そこを目指して頑張りたいね。お爺さんモードで言わせてもらうならば、どれだけ自分に負荷をかけていきてるか、本当に生きててよかったって思えるには、孤独や勇気ってのがやっぱりちょっと必要になってくるんでしょうなぁ。演劇「荒れ野」共演小林勝也さんに教えてもらった言葉「悲観的に受けとめて、楽観的に発せよ」ですね。