2025年5月31日土曜日

Vol.303「今一度、球根確かめ次へ2025」の巻

  しとしと雨降る5月末30日早朝、早起きにてこれを書く。一旦もう夏だなと思う日が続き、また冷んやりシーズン到来で涼暖も波の如し、フェイントかけられ半袖長袖着る服も迷うこの頃今日はひんやり、いかがおすごしか。

 今までも書いた事があるかと思いますが、自分の音楽遍歴、ルーツを考える事が最近よくあります。2025年5月インザスープデビュー25周年というのも相まっていると思いますが、よくここまで音楽を続けてこれたなと思うと同時に10代から20歳前後の頃、バンド結成前までに僕は潜って潜って球根を育てていたのだなとも思ったりして、今一度そのルーツを確かめながら今を感じたいなと思います。同級生が集まると毎回同じ思い出話で盛り上がるように、一人で2025年の自分ルーツの確かめ作業をしますのでお付き合い頂けたらと。

 中学に上がる頃に音楽へのアンテナが伸びはじめ、レコードで映画「ゴーストバスターズ」のサントラのレコードを母に買ってもらい聴くようになり、当時、電気会社のCMで流れて流行っていたボンジョビを聴くようになり、バービーボーイズや渡辺美里なども「テンションがあがるわぁ」的な感じで聴き、貸しレコード屋さんなどでペットショップボーイズなどを名前が面白いというだけで借りてきてハマり、自分で見つける楽しさも知りはじめていたんですが、テレビドラマ「親子ジグザグ」だったかで主演の長渕剛に出会い、オープニングテーマ曲の「ろくなもんじゃねぇ」が、それまで聴いていた音楽とは違う、テンションが上がるだけではない、よりもっと心に届いてきた。そして初めて自分で買ったレコードが、その曲を収録しているアルバム『LICENSE』でした。レコードの針のバチバチという静かな時間に一対一で語りかけてくるような曲達、そして最後の曲「LICENSE」で完全にやられました。歌って、こんな風に自分のことを歌っていいんだと思ったはじまりでした。そこからアルバムを遡り、なんせ田舎ですから、街の小さなレコード屋さんには昔のアルバムが揃っているわけもなく、予約をして一週間以上待ち、その日が来るのを今か今かと楽しみに過ごしてようやく手にして帰る時のワクワク感、自分だけのお宝を手に入れたような、ドキドキ感。そうして遡り聴いていくと、どうやら長渕剛のルーツは日本のフォークシンガー達にある事がわかってきて、今度は吉田拓郎、泉谷しげる、井上陽水、友部正人、加川良、遠藤賢司(敬称略)を聴くようになり、どうも学生運動などが行なわれていた激しい時代があって、その影響なども曲達から感じられて当時の空気感、歴史を勝手に想像しながら聴くのが楽しくて。今聴いても当時はまだ20代だったのだろう彼らが紡ぐ、20代とは思えない老成というのか洗練というのか、文学性、日本語の面白さ、短い言葉の中に広がる想像、そこに自由を感じハマっていきました。ギターが一本あれば、言葉とメロディーでどこまでも自由を感じられることを教えてくれたのが、日本のフォークシンガー達でした。
 中学ではBOØWY、高校ではユニコーン、大学時代ではミスチル、などが同級生の間では流行っていた頃に、そちらには興味が走らず、遡って聴いていて時代に逆行していると感じていても、その逆感がまたより球根が育っていく感じもして、一人静かに向き合えるものとなりました。とはいえ同時代にも、ボガンボスやSION、HEAT WAVEなど、同じルーツを感じる音楽家にも出会えてハマり、同じ球根からこんなに違う花が咲くのというのも今思えば面白いところであり、当時は同じ匂いを感じながら、時代を踏まえて自分たちならでは独特な個性、優しさを感じる人たちにも傾倒していきました。

 「遡り」は自然と海外のフォークソングへ向かうのですが、やはり関門のように「ボブ・ディラン」に行き着くわけです。しかし英語で、なんだか妙な歌い方だし、よくわからないと言うのが本音だったんですが、これだけ僕に影響を与えた日本のフォークシンガー達が口を揃えて「ラジオからボブ・ディランが流れてきたのを聴いてカミナリが落ちた」と、その時の衝撃を語るので、わからないのに、わかるまで聴きたい、好きになりたい、きっと好きになるはずだ、落ちてこいカミナリと、もはや自己暗示をかけながら聴いて、ギターにも自分だけが見れるところに彼の名前のステッカーを貼ったり、ボブ・ディランのデビューアルバムをCD棚の一番上に飾っていたりして。それから今も、そのジャケットは一番見えるところに飾ってあります。

 話は逸れるようで逸れないんですが、最近よく思い出すのが大学の卒論です。
 テーマは「なんでも興味があるものを選んで、それについての論文を書け」と、本当になんでもいいと言うので「日本のフォークソングにおける受容と変容」というタイトルでいろんな文献を探し、読み、ほとんど書き写したようなもんですが、それでもいまだにその時に調べた事が自分の根っこにある。ボブ・ディランからウディ・ガスリーへと遡り、いよいよ根本の「FOLK」といのは「民謡」であるという事、「民謡」というのは生活に根付いた音楽、その時代を反映したものである事、そしてそれは「普遍的なもの」である事にたどり着いた。ここに今の自分が音楽を続けてこれた理由があるんだなと思います。音楽業界やロック社会や縦社会、時代や音楽理論など様々な風が吹く中で、逆風を感じつつも抗いここを信じて、根を生やしてきたんだなと。ことデビューが決まり世に出るタイミングになった段においては尚更その根っこを感じ、たとえばタイトルだけ見ても「風の子」や「川」「夜の掛け布団」など、自分なりに「FOLK」の観点から世の中へ石を投じた結果だとも思います。

 結果、2025年の自分は素直に音楽ができてると思う。あまりクセをつけずに、活動範囲にしてもジャンルに囚われず、人間関係に縛られず、逆風を感じてきた分だけフラットに音楽だけで人と繋がれているような、はたまた逆に、やってきた音楽との共通点をテレビMCや演劇にも見出してこれたように思う。
 それでもまだまだ、これだけやってきてもいつも最初の気持ちでいられ、奥を感じ、これからもおもろい景色が待ってる予感を音楽はさせてくれる。そのようなものに出会えて本当によかったと思う2025年5月、そう思えるのも聴いてくれるみんながいるからです、ありがとう。これからもぜひ聴いてもらえたらと! フラットに発していきたいとおもうので、一緒に楽しんでもらえたらと思います。
 そんなみんなにオススメしたい映画が「名もなき者/ A COMPLETE UNKNOWN」です。ボブ・ディランの孤独、抗い、時代背景、そこからの歌のチカラ、ボブ・ディラン先輩が日本のフォークシンガー達に、あの時代に影響を与えたことなどが頷ける映画でした。役者たちも素晴らしく、映画の後に観た本人の映像の方が偽物に感じるほど、シャラメ演じるボブ・ディランもかっこよかったです。お時間ある時にぜひ。
 どんなことでも、今やってる自分の根本、ルーツ、起源など球根を確かめ探究、人生を旅できるのは幸せなことで、チカラが湧くもんですね。と思いながらこの辺で、よい梅雨を。

この映画ですね。

好きなジャケット。映画内ではこのジャケット撮影も描かれていました。

千葉稲毛。いつしかここもホームとなり。月と夜へ。

戦争は僕達人類の敗北だと思います。

近所に出店希望 ラオシャン。

ギターのおしりのメンテナンス。

弦張り替えー今日もやったるでと。Photo by Masumi

何をどうした時のアクションでしょう? Photo by Masumi

7月新島に向けての準備も。

金網おじさん。子供達の野球をみてしまう。微笑ましくみてしまう。こういうおじさんいたなー

多すぎにも程がある。

都会の隙間を狙って。

愛知県 吉良町 ROCK ON THE BEACH

静かな海と月。

本当にどうでもいいことで深夜まで話す人達。

都会の隙間でくつろぐ②

美味しいですよねー。日本の現場仕事の方々をどんだけ支えてきたんだろワンタン。

6/15EBBにおもてなしをされにいくためのリハを。感動しました、また改めてお伝えできたらと。

新宿ろふとのせんべろ。2曲だけですが毎回緊張しますね。ここもまた挑戦の場であり

アイドルとはいえ夢への本気を感じるゆらぴこさんよりうちわ配られ、異文化感コミュニケーション。

久々野球も気持ちいい季節。

6/10この日に向けて5月は新曲をつくっておりました。

そして6/20、我誕生日にて。先輩方の胸借りてぶっ飛ばしてまいりますのでぜひ52の歌音を感じてもらえたらと。  


 中尾諭介通販にて、新作CD「江ノ島の裏磯にて」販売中!

 

 諭介がお答え致します

■「k's共演者の歌のほとんどが「死にたい」というようなことで後ろ向きなMCなんてがっくりしちゃいますよね。
私は「死にたい」とか軽々しく言うのが好きではありません。
病と闘っている人、災害事故でこの世を去ってしまった人、戦地の人、その無念さを考えたらそんなこと言うものじゃないって思うんです。
私も楽しいばかりじゃなく生きてきたけどそんな風に感じたことはなくて歌や音が希望をくれる、本当にそうだと思います。
今回のエッセイの少し重めの内容に悲しい気持ちになってしまったけど「生きてて良かった」そう思えることが一瞬でもあれば前に進めるしそう思わせてくれる「アカリ」いい曲だし大好きです」
(夕陽 2025/05/28 23:50)
→ありがと、音楽でも他の芸術でも、ネガティブから発信しててもいいんだけど、その思いを昇華させようともせず、ただ垂れ流してるだけのものがきびしいなぁとおもっちゃうんだろなぁ、せめてMCで「なんつって、いやぁ最近は雨ばっかりで、、」とかギャップ感出してもらいたくなってしまうわぁね。日にちと時間と場所守ってちゃんと舞台にまであがっていうことかいってなるわね。

■「音歌にまっすぐ一直線な諭介さん
アカリにまつわる今日までの様々な景色や想いを、私たちにも共有して下さり嬉しかったですありがとう。
産み落とされた1つ1つの曲が人生レールに乗って時を重ねて、静かに走り続けていることを深く実感できました。
そして…それを生み出す諭介さんのど真ん中をただただ尊敬し愛しています🎶

話しは変わりますが、こちらのエッセイでチューリップや紫陽花など季節のお花いっぱいスナップ載せて下さるのなんだかご年配の方👵ブログみたいで、ほっこり懐かしく温かくなれ大好きです☺️
江の島裏磯釣りのお供、延岡産カラスミ!そんな名産物もあったのですね、なんとも美味しそう。食べた〜い😋」
(みなたん 2025/05/30 5:33)
→そうね、おじいさん、わかりますよ、けっこう若い段階からこのような傾向があります、飽きないですね、植物や虫や、空や。楽しませてもらって、自分と重ねて客観的にみれてありがたいです。これがまた石とかにいくと次の段階にいったということになるんでしょうね。高みを目指してお爺さんを磨いていきたいと思います。カラスミが延岡の名産なのかはきいた事ないけど、いつか自分でつくってみたいですなぁ。

■「今月の「アカリ」について、諭介さんの文章を読んで感じたこともそうだけど、一昨日の稲毛のライブのアンコールでこの曲を歌い始める前に「面白おかしく生きているつもりが、悲しい気持ちとか寂しい気持ちとかに蓋をして生きていたんだなと気づいたときに作った曲です」って紹介してくれたのが印象に残って、私も改めて気が付くことがありました。生きててよかったー!って思いたくて面白おかしく生きて、楽しかった!面白かった!よかった!と思うときもたくさんあるけど、悲しさ悔しさや寂しさ、そういう気持ちが心にあるから気づける“生きててよかったって事が時々ある”んだなぁ。でもそういう気持ちは特別なことじゃないし、誰もが心の中に持っているはずなので、その先の生きててよかった!に自分も日々気づいていきたいし、やっぱり「アカリ」たくさんの人に聴いて欲しいなと思いました」
(A.T 2025/05/30 17:17)
→ありがとう〜、ですわなぁ〜、そこを目指して頑張りたいね。お爺さんモードで言わせてもらうならば、どれだけ自分に負荷をかけていきてるか、本当に生きててよかったって思えるには、孤独や勇気ってのがやっぱりちょっと必要になってくるんでしょうなぁ。演劇「荒れ野」共演小林勝也さんに教えてもらった言葉「悲観的に受けとめて、楽観的に発せよ」ですね。

 




























2025年4月30日水曜日

Vol.302「生きててよかったって事が時々ある」の巻

  長い、4月はとても長く感じる。「弾き語りワンマン 始業2025」も半年くらい前のことのように感じるが、しかしまだ一ヶ月も経っていないのが信じられない。この日までの全てをかけて構築し、一人で向かって全部を出せたと、またゼロからのスタートだと気持ちよく思えた。それは、春が来て新しく花が芽吹き散り、そこから新緑が生まれてくるような新たな気分、まさに始業だなと思えたからではないだろうかとも思う、いきなり余談ですが、最近読んでいた水木しげるさんの自伝では戦争で空爆にあい、片腕を切断した水木さん、その切断された腕の断面の皮膚が再生していく過程で、ほのかに赤ん坊の匂いがしていたとのこと。LIVEとは、毎回死んで生きてを繰り返しているのかもしれないとも思った今回、新緑の季節、やり切ったこの清々しい始まりの空気は、赤ん坊の匂いをはらんだ希望の匂いなのかもしれないとおもったりもして、新緑の季節いかがおすごしか。

 今回は今年3月11日に配信リリースした曲、「アカリ」について書こうと思います。
 この曲は15年前に作った曲で、全部そうだけど、曲が生まれる時というのは何年経ってもその景色を覚えてるものだなぁと思う。あの頃はニックバッカーズで動いていた時期で、我々は名古屋へライブをしに行った。
 そのステージは愛知県西尾市で開催されていたフェス、「ロックオンザロック」のプレイベント的なものだった。主催者にはインザスープが在籍してた事務所ロフトのピンクムーン社長のシゲさんなどもおり、インザスープ以来、久々にライブをみてもらえるという時でもあった。その演奏中にギターのおばっちゃんの弦が切れて、彼が楽屋に戻って弦の交換をしてる間は残ったメンバーでセッションをはじめて、おばっちゃんが戻ってきても全員でのセッションが続き、即興音楽が会場を巻き込んでいき昇天していった。完全に会場と一体となり昇っていく感じがあり、スリルと奇跡、まさにマジックが起きて久々の感覚になった。
元々インザスープは即興性の高いバンドで、毎回即興コーナーを入れてた時期があり、それはその面白さをかってくれたシゲさんの提案だった。即興にはいい時もあればそうでない時もあることも含めて楽しんでくれていて、その危うさ、隙間に音楽と人の面白さがあることを、身をもって体感してきた。そのシゲさんのイベントで奇跡をまた起こせたこと、起こそうとおもってできることではない、計算ではない流れの中での奇跡をニックバッカーズのメンバーと共有できたこと、満月の引力に引っ張られるかのような奇跡をまた音楽で味わえたこと。ライブが終わり、楽屋や打ち上げでメンバーやシゲさんたちみんながいい顔をしていたこと。何かが伝わり共有できたこと。僕はその全てが嬉しくてずっと心にあったかい水がたぷんたぷんと溜まっていて、翌日東京に戻ってもずっとたぷんたぷんがあった。その水をメンバーの前で流せるわけもなく、やり場のない感情をもって家に帰りギターを弾いて、「生きててよかったってことが時々ある」とぽつりぽつりとすんなりでてきた。途中段階でニックのメンバーに聞かせてサビを練って曲ができ、レコーディングをした。すんなり出てきたわりに全体を完成させるまでには紆余曲折もあり、できた当初は歌いこなすのが難しい曲だった。
 その後弾き語りの頻度が増えていき、そこでこの曲はまた転がり、自分の曲になっていった。
 あの頃自分は楽しく生きていたし、胸には希望があった。レコード会社の契約が切れても、現場仕事をやり始めても、むしろ健やかに音楽ができるわいと揺るがなく、やりたいことがあり、それができていたつもりだった。でも、心のどこかにはやはり、悔しさや寂しさ、今に見てろよという埋められない何かがあったんだなと。「生きててよかったって事が時々ある」、そんな思いをして、逆に知ることもあるんだなと最近思う。

 曲ができて4、5年経ったある時、渋谷七面鳥での弾き語りライブを終えた僕の前に女の子がきて、僕の遠い親戚で学生時代からインザスープを聴いていてくれていて、社会人になり、ようやくライブにこれるようになったこと。よくみたら確かに顔が似てるねとか言いあい、初めての遠い親戚との対面をお互いに喜んだ。それからよくライブに来てくれていた。その頃僕がよく着ていた水玉の青いシャツと同じようなシャツを着て、文章を書くのが好きな彼女はライブレポートなども書いてくれていた。彼女は学生時代に人間関係でつらいおもいをし、それから何度か自分で命を絶とうとしたことがあったということを母から聞いていた。その彼女がこの「アカリ」の歌詞を部屋に貼って頑張ってるんだということを、嬉しそうに僕に伝えてくれた。自分がつくった曲が誰かの希望になっていると思えて嬉しかった。そんなある日の夕方、母から電話があり彼女が病院に運ばれたことを伝えられた、なぜそうなったか母は言わなかったが、事の重大さに気がついていない僕に、母は声を荒げてすぐに病院に行くように伝えてきた。埼玉の病院とのことで、その日の翌日は埼玉でライブだったのでそのままライブへ行くことも考えギターを持って病院へ行った。病室へつくと彼女は意識不明だった。彼女のお母さんがギターを持ってる僕を見て、意識のない彼女に「ユウスケくんがきてくれたよ、歌ってくれるって」と言った。そのつもりでギターをもっていったわけではなかったけど、そのままギターを出して耳元で繰り返しこの「アカリ」を歌った。そんなわけはないよな、戻ってくるよなと信じて歌った。意識はもどらないまま朝になり、昼から僕はライブへ行き歌い、彼女は戻ってこなかったことを知らされた。後日、棺桶の中の彼女は青い水玉のシャツを着てた。

 それから10年近く経ち、去年、千葉稲毛のK’sドリームでKが2011年の震災後から毎月主催している「頑張ってるぜ日本」にて共演した若い二人組の男の子達の歌のほとんどが「死にたい」というようなことを歌っており、MCも「ライブもしたくない」的な元も子もない後ろ向きさで、歌では何を歌ってもいいというのが泉谷しげるさんからの助言で基本姿勢ではあるが、その子達の歌を聞いていてなんとも言えないがっくりとした気持ちになり、その後の出番だったので、急遽、Kに「アカリ」を歌いたいと提案した。それまでは「アカリ」を一人で歌っていたのでKと演奏するのは久々だった。急遽の提案にKも楽屋でコードを思い出してくれて、本番で「アカリ」を久々に二人で演奏した。歌は何を歌っても自由なので直接何かを言うことはないけど、せめてものアンサーだった。
 その時の流れと「アカリ」を聞いてK`s店長のコウ君が終わった後に、こういうことだよねと伝えてくれた。その後もなんどか演奏するたびにやっぱりいい曲だと言ってくれ、毎年一曲感動した曲を出していく企画を思いついたと、その第一弾としてレコーディングしたいと言ってくれ、今この世に伝えたいと伝えてくれ、去年録音して今年の3月11日にリリースとなった。

 歌に自由を感じ、希望を感じ、奇跡を感じ、勘違い、思い上がりもし、無力を何度も感じてきた。それでも歌や音は優しいものであると、懐も奥も深く、いまだに希望を感じさせてくれる。多作ではないし音楽的才能が備わっているわけでもないけど、自分なりに生きてきて感じたことを曲にして、聞いてくれる人がいて、広めたいと思ってくれる人がいて、そんな人達と灯りをともしていく。今回の弾き語りワンマンでも改めて感じた、LIVEというのは、その都度やり切って死に、また新たに生まれ生きる、白と黒の市松模様なんだと。全部とは言わずとも、どこか一部分からでも水木しげるさん言うとこの赤ん坊の匂いをさせながら、新たな芽吹き、曲を求めていきたいと思います。これからもぜひ体感してもらえたらと思いながら今月はこの辺で。良い初夏を。

自分の録音アプリの中の曲ネタなどを整理してどこに何があるのかわかるようにしたメモ。何ページにもなったけど、これはこれで歴史を感じておもろい。

サクラサクラ

なんせ一人だと隙間があったらスタジオ入ってないと不安で2日に一回は入ってたんじゃないだろか弾き語りワンマンに向けて。


心強いマイギア。

新橋や水天宮にあるおにやんまってうどん屋さんおいしいですね鳥の天ぷらも

一人だと毎回写真も同じにになりがち。

昨今のチューリップってのはいろーんな種類があるんですなぁ。

緑が燃える

このシャツワンマンに向けて買いました。一見普通のアロハにみえてよーくみるとドクロがいるんですね、生きる死ぬが今回のテーマだったかも知れません。

日々曲順が構築されていく事サクラダファミリアの如し

ちなみに大馬鹿野郎集会はこちらでした。

江ノ島にて延岡産カラスミと。

色んなところに砲台の跡や洞窟があるだろう。そして外国からの観光客の多いこと

その話をしてくれた定食屋さんがなくなってました。建物なくなり出てきたこの石垣はどのくらい昔のものなんでしょ

イケスだと思ってた。

いつもいいですねいいちこポスター。このチラシを作ってる人と話してみたい。

今回もロフトやラプソディやCCOに貼ってもらいました。貼れるところ募集中です。

もう15年も前に一度録音してるので店長コウ君にじゃあ全部のプロデュースをお願いしますと、最後のコウ君の子供の声が入っていたりと遺憾無く腕を振るってくれたのですが、このサブスクに申請をする段において、中尾と草場という表記では登録できないなど、四苦八苦したらしく、表記等の確認をする前に後から訂正できるだろうととりあえず埋めた情報が本ちゃんになってしまい、僕が確認する時にはもう訂正できない状態だったのですが、曲が広まればとオッケーしましたが一応ここで訂正をば。タイトルは世界を視野に入れて英語表記になり、あと作詞作曲クレッジットは作詞中尾諭介、作曲中尾諭介、田中大介が正式になります。


諭介がお答え致します

■「前回のコメントと重複しますが、大馬鹿野郎集会楽しかったですね。そして私も龍也君の成長にビックリしました。
当時お母様やおばあ様と一緒に来ていた少年が自分の夢を叶えて憧れていた人と一緒にパフォーマンスする姿を親戚のおばちゃんみたいな眼差しで感慨深く見守ってました。
私は自分の憧れや幼い頃の夢を叶えられてないしなりたい自分になれてないなあ・・・諭介さんは「なりたい自分」になれてますか?」
(夕陽 2025/04/28 23:17)
→なるよね、親戚の目線に、なりたい自分にはなれてないというのもあるし、考えようによってはなりたい自分以上になれてるというのも年々思えるようになってきたわ。
 こんな人生なかなかないよって、面白い人生を送れてるなぁと思えるし、もっと頑張りたいと思てるよ。感謝する事が増えたね。


■「大バカ野郎集会300回記念ライブも終わり、諭介さんの弾き語りワンマン始業2025も終わり、あっという間に4月も終わろうとしています。今年の弾き語りワンマンもとても楽しかったです! リラックスの中に緊張感も感じられ、この日のために組まれた曲に心が動き、諭介さんらしいMCに元気をもらいました。個人的な話になりますが、この4月から異動になり仕事の内容も大きく変わって、いまさらこんなにまだ覚えることがあるのか!と日々頭から煙が出そうな感じでやっていますw 最初は大変なことばかり数えてしまっていたけど、変わってよかったことにも少しずつでも目を向けられたらと思います。それにこう大変だとライブに行くのが好きでよかったなと思ったりします。楽しみや推し活も力になります!w なので、私が頑張るために諭介さんにも頑張っていただけたらと思います!健康にも気をつけましょう」
(A.T 2025/04/29 7:37)
→がはっ頑張るわ、そう言ってもらえると頑張りがいがありますなぁ、頑張りたいです頑張ります。新しくまた覚える事があるのもいいね、新緑が芽吹く感じやね、僕も英語の単語覚えをまた再開してるわ、おそーいペースだけど一個一個覚えて馴染んでいく感じが頭の体操になるね。また忘れてもいくけど。

2025年4月1日火曜日

Vol.301「300回記念、大馬鹿野郎集会Ⅲを終えて」の巻

  無事、連載300回記念ライブを遂行することができまして、暖かい日が続き、こりゃもうポップコーンのようにぽぽぽん!と桜が一気に咲いちゃうんじゃないだろか、まだ満開にもなってないのが不思議なくらいに初夏気分でいたらば、まだまだあ!と寒の戻りで、全てはやはり波のように繰り返し繰り返しゆっくり進んでいるのだなぁと、調子には乗れないようにできているのだなぁと寒暖の差に翻弄されて乗ってけサーフィン、まだ今から春満開を迎える今日この頃、いかがおすごしか。

 改めまして、この月一連載「センチメンタルのバカ野郎」の300回記念LIVE
「大馬鹿野郎集会Ⅲ」at 下北沢440
無事遂行し終えることができました。参加してくれた皆んな、気にかけてくれた皆んな、この連載を読んでくれた皆んなに感謝です。ありがとうございます。
 普段のライブとは違う打ち出しに、説明足らずで戸惑った方もいたかもしれませんが、今回はこの連載の月一で25年の300回を記念、実感すべく催させてもらいました。音楽とはまた違う活動ですが、根っこは繋がっていて今となっては自分のライフワークになっている活動の一つであります。

 去年末より、「そろそろ300回ですね、また記念イベントやりましょうか」と、この連載を仕切ってくれている田中さんと打ち合わせをして進んできまして、自分だけでは思いつかない25周年だから25曲のアイディア、物販や音源、イベントシステムなどに毎回のことですがびっくりもし、ディスカッションし、進めてきまして、刺激的でありました。音源の音もギリギリまで「あぁしてこうして」とやり取りをして無事間に合い、これは一つの山場だなぁとプレッシャーも感じましたが、「お祝いだお祝いだ25年で300回のお祝いだ、褒められるに値するに違いない、祝ってもらおう、自分が楽しませてもらおう」を呪文にこの日に向かい、当日はその通りになり、なにか集まってくれた皆んなの会場の雰囲気、メンバーの音にめでたい空気が漂っていているように勝手に感じて、包まれて泳がせてもらいました。ありがたいなと。遠方から近場から、音楽でないのに、文を書いての300回記念にも集まってくれてありがたいなと、みんな楽しそうで、メンバーも楽しそうで、はたまた今回はゲストミュージシャンに30年来のKと、これまた長い付き合いの大ちゃんに加え、小坂龍也をギターに迎えました。   
 
 ここも説明不足でしたが、龍也は2000年頃に5歳で、お母さんに連れられてインザスープの関東のライブにほぼ毎回足を運んでくれていて、アンコールの時の呼び声「バッタービビってる!」を率先して声出したり、僕の格好の真似をしてたりしてた男の子でした。それから月日が経ち、大人になり27歳、今はギターリストとして色んなところでギターを弾いて活躍してるとのことで6年ほど前にも一度一緒に2、3曲演ったことがあったんですが、それから時を経てまた今回お誘いをしました。まぁまぁな曲数がありましたが、提示した曲は体に入れてきてくれて、リハスタジオでは譜面も見ずに一発でオッケー、加えてアンケートの結果の一曲は統計がとれてなくて事前に伝えていなかったんですが、リハ当日に伝えたところ、フレーズなどほぼほぼ完璧にその場で「砂時計」を弾いてくれて、おおすごいな、さすがっとなり、欲が出て「ほんじゃコーラスもやって」と急なお願いにも答えてくれて本番当日も、「緊張する~」とかいいながらしっかり役目を果たしてくれて頼もしかったです。
 ちょっと前にアメリカのパンクバンド、グリーン・デイが来日コンサートした際、アンコールで客席のファンの男の子をステージにあげてギターを弾かせ、そのギターに合わせてボーカルが歌っているのをSNSで見かけて、そのキラキラした二人の空気感に非常に感動したんですが、仕組みは違いますが、このグリーン・デイ現象的なことができたことも嬉しかったです。当時5歳で我々のライブを体感してた男の子が大人になって一緒に音を鳴らす、我が息子が20歳になったら一緒に酒を飲むのを楽しみにしてる世のお父さんみたいな気持ちでしょうか、Kなんかは遠い親戚のおいちゃん顔になって顔がほころんでおりました。そんな音楽のバトンを感じることもできて、それを来てくれた皆んなで共有もできて誇らしく、嬉しい夜となりました。
 
 はたまた今回のシステムでは公開打ち上げもあり、バタバタでしたが2ショット写真撮影もあり、元々写真を撮られる時にどういう顔をしていいかわからなくなり息を止めてしまう症候群なので、100回記念の時の大馬鹿野郎集会での田中さんの提案にも    「えぇ!」となりびっくりしたんですがやってみて、200回目の時もやり、なので今回もやってみたのですが、チェキの機械が壊れて結局お客さんそれぞれの携帯電話で撮ることになり、しかしチェキ壊れによって時間がかかってしまい、撤収時間に間に合わせるべく、猛スピードでの撮影会となり、撮り終わったみんなが、進んでく撮影の後ろで「ぎゃー!」「ひどくなーい!」「えー!」「こっちみてないー」などなど悲鳴にも似たクレームが出ていて、それでもお構いなしに続いてくカメラマン田中さんの突進ぶりに最後は笑えてきて、あまり撮影会とかは縁遠い方なのでわかりませんが、撮影会というのはきっと和やかな雰囲気だったり、ときめいたり喜びに満ちた空間なんではないかと思うんですが、クレームで終わる撮影会というのが、申し訳ない気持ちもありつつも、後日ほのかに思い出し笑いしてくるほど、自分らしくてなんかいいなと思いました。どたばた撮影会にもお付き合いいただいた皆様ありがとうございました。色々ありましたが、最後はKが挨拶で締めてくれて無事終了。そんな日の帰り道一人、田中さんやメンバー、そして来てくれたみんなの気持ちが胸に触れていてあったかく、嬉しかったんだと思います、道路に書かれた交通表示の「止まれ」って文字にも笑えてきて、「こんな気持ちのまま止まれる訳ないでしょが」ってな気持ちになって、改めてまたここから先へ音歌を広めていけるように頑張りたいと思える日になりました。読んでくれて、気にかけてくれて、歌を聞いてくれて、ライブに足を運んでくれて本当にありがとうございます。駄文、カタツムリの歩みでも続けていきますので、この場もライブも、ここからもぜひ応援のほど、何卒よろしくお願いします。中尾諭介

と今月はこの辺で、よい桜満開を! いざ4/11弾き語りワンマン吉祥寺ROCK JOINT GBへ!    

新譜「江ノ島の裏磯にて」やTシャツ、ステッカー、そして再販アルバム『灯籠』ご購入はこちらから。
https://nakaoyusuke.thebase.in

柴田恭兵さん、会った事もないのにさん付けしたくなるほど、このシーンカッコいいです。脚本は金子正次、どの世界にも通じそうなセリフは詩のようで、それを体現してる柴田恭兵さんにグッと来ました。

主にペンションでお世話になっている下北沢ラプソディーにて、店主秋山さんにポスターを貼ってもらいました。9周年おめでとうございます。

光と影がいい感じや。Masumiさん撮影

この所共演が多い秋葉くん、クレバーなハンサム、可愛らしい笑顔。

春は野菜が美味いですなぁ、有機野菜とか打ち出してる野菜の力強さに感動温野菜。

REC平田崇さん、「江ノ島の裏磯にて」できたら音源を借りた車の中で繰り返し何度も聴きたくなってこれはラブソングなんだなと思えました。他2曲も感謝です。

Rec終わりに侍2人と作戦会議。

終わっちゃいましたね。BS松竹東急がむしゃら。ほんとにいい番組に参加させてもらってるなと、しかも情熱も笑い玉も持って帰れて収録終わりにいつもありがたかったです。観てくれた皆さん、どうもありがとう!また会えそうな気がしてます、せーのっがむしゃら!フェニックス!

スターパインズカフェにも。

大馬鹿野郎集会直前に大分へ、宮崎経由でっ

宮崎空港のチキン南蛮が時々無性に。

小学校6年間お世話になったソフトボールの監督と。あの試合のあの時とかあそこのチームのピッチャーがとか、ほんとに細かい事をよく覚えてるなーとその事で話せるのはみんな真剣だったからで、そんなふうに向き合ってくれてた、当時の監督や父兄の方々にありがたいと改めて思った日、子供の時のそんな大人達の愛情は大人になってもチカラになってるんですね。ありがたいです。

大分では先輩井垣さんに誘ってもらって。インザスープ好きのバンドマンの方々もいらして、遠方からも集まってくれて嬉しい日となり。井垣さんとはまた9月に。

今回のメンバー。大リハーサル。

えいえいおうー

当日にジャケ間に合わず友達が急遽送ってくれて仮ジャケを。

K

大ちゃん

龍也

母も来てくれました。

盛り上がった写真会をKがちゃんと締めてくれました。

止まらないよ

翌日は、田中さんを繋いでくれ、連載のきっかけをくれた宣伝担当の中原さんに、報告とお礼とこれからのお願いに。

南野さんのとこにも行き、報告を。

ロフトにも貼ってもらいました。


見事勝利。

自分は自分の勝負へ。いざ4/11吉祥寺ROCK JOINT GBへ


■「ゆうすけさんのイラスト可愛らしくてほっとします。水平器というアイテムを選ぶセンスもさすがです。あまり絵を描かないというのはちょっと意外でした。他にも何か描いたイラストがあれば見たいです。
私の春の恒例行事であるワンマンライブ。楽しみにしています」
(あこ 2025/03/27 17:07)
→ありがとうございます、まさか自分が水平器をかわいいなぁと思うとは思いもしなかったです、想いを絵にするって、楽しかったけどすごいエネルギーだなぁと思いました、そんな気持ちだけで描いた絵にほっとしてくれて嬉しいです、描いてよかったです、ありがとう!あ、他の絵はキン肉マンとかだったらすぐ描けます。
弾き語りワンマンへゴーファイ!今の自分中尾ををぜひ体感してくださいませっ。


■「“フラットな気持ち” 簡単なようで難しい事だと思います。
私はいつも「優しい人になりたい」そう思っているけど心がフラットじゃないと優しい気持ちも持てないから「いつも心に水平線を」少しでもそうできたらなと思います。
大馬鹿野郎集会行きました。休憩挟んで三時間強、楽しい時間だったし諭介さんの歌に心をフラットにしてもらいました。ありがとう。次回は8年後?楽しみにしてます」
(夕陽 2025/03/27 23:00)
→難しいですね、できてるようでできないし、世のお坊さんだって常にそういられる人っていないんでないだろかね、でも優しくありたいとかフラットでありたいと思いながら、人に関わって、できなくて、もがいて、人生って修行だなと思うけど、そういう人をみると自分もそうありたいなとお思っての憧れであります。

■「300回を記念しての、8年に1度の大バカ野郎集会もとても楽しかったです。歴史を振り返るような曲順のライブに、ソロから始まり、Kさん、ニックバッカーズキーボード大ちゃん、諭介さんに憧れ?ギターリストをしているタツヤくんが順番に加わっていく流れもよかったです。アンコールでのみんなの好きな曲ランキング演奏もありましたが、新しめの曲も前の曲もどっちもあって嬉しいランキングだなあと思いました! ツーショット撮影会は撮った写真を見て不満や悲鳴が上がるなど面白かったですwww諭介さんの想いのこもったデザインの水平器Tシャツ、思っていたよりも可愛くて気に入りました!色合いも可愛い。あっちにいったりこっちにいったりぐらぐら、フラットでいられないことの方が多いですが「I have a horizon in my mind」私も忘れないようにいたいです。祝300回!これからも楽しみにしています」
(A.T 2025/03/28 17:47)
→ありがとうございます、思っていたよりもって!と思いましたが可愛いいとのこと、よかったです。撮影会での悲鳴、反省もしてるので8年後はちゃんと写れるように、気にかけて過ごしてみます。本当の水平線はみんなで一つだけど、自分のホライズン、きっとみんなそれぞれのを持ってて、それがみんな違ってて、それがおもろいとこなんだろうなと、それを、言葉は古めかしいかもですがユーモアってので確かめあったりしてるのではないでしょうかと今思ったりもしました。

■「大バカ野郎集会楽しかったです~ありがとうございました!
リクエストベスト3曲は納得!他にどんな曲が集まったのか、集計結果を是非ブログか4月ワンマンで紹介してほしいです(^^)

レコーディングWORK「AKARI」「江ノ島の裏磯にて」&各種グッズまでっ中尾さんとしては珍しいリリースラッシュっ。ふっかけWタナコーさんに感謝です。「merry go round」がバンドサウンドに盛り上がっていくアレンジ展開がまさに縁にふっかけられて弾んで行く中尾歌旅模様と重なってグッときました。
私は雑誌「サンレコ」も好きで、レコーディング沼民です「灰色の水曜日」の女声はどういう想いでどなたが重ねたんだろうな~と思いました。

Tシャツの絵は、最初「ピアニカのケース?」と思いました。「水平器」というと、私にとっては撮影現場でカメラを台車移動しながら撮るためのレールを敷くアイテムです。ロケ現場で即席で設営するけど、水平とらないと画がガタガタになるので、カメラマンさんが水平器で「ちょいアゲ~、サゲ~」と号令かけながら、スタッフ総出でくさびを突っ込んで調整します。その時は照明部とか衣装部とか垣根を越えて一丸総出でやるので、なんか楽しいのです。(300回の記念にコメントが長文になりましたっ)」
(しゃるろっか 2025/03/28 23:13)
→がは、確かに長い!そして色々あるっ、ありがとうございます。水平器はそういう所でも活躍してくれてたんですね、水平器の活躍を知れて嬉しいです。みんなであげーさげ〜、これはもう祭りですね、祭り事も本当に自分のフラットを確かめる修行のようです。Wタナコウさん、ありがたいです、ここに来てWリリースっ。灰色の水曜日の女性声は石橋凌さんの提案だろうと想像し、ビクっとする度、凌さん勘弁です!でした。凌さん提案はあくまで推測ですが、キースさんではない事は間違いないと思います。リクエスト結果はワンマンで発表しないけど、一票が多くて、あの三曲もほんの数表の差でほんとにそれぞれで、代表曲がないと言えばそうですが、みんな違ってみんな金子みすずさんな感じがこれまたなんかいいなぁと思いました。

■「まずはエッセイ300回の偉業達成、おめでとうございます❣️
ソロにバンドに2ピース・物書き・曲作り・ギター・練習、はたまた現場お仕事と、本当にいつも目まぐるしく頑張られていますよね🚂すごいなー👏
立ち止まったり、振り返ったりしたくなることもありますか?

大バカ野郎集会も、5時間あっという間でした♪遡りLIVEも良かったし、当時肩車されていたたっちゃんが立派にサポートギター🎸務められていて、
その姿を優しい眼差しで見守っていたkくんや諭介さんを拝見して大人に成長されたなぁと僭越ながら…感慨深く素敵でした。
お揃いT着てのシュールな写真撮影も、なんだか色々可笑しく良い思い出ですね。

次回400回記念は、なんとちゃんちゃんこ直前ですね😳まだまだそんな先のこと想像できかねますが…
諭介さんや演者の方はじめ聴きにいらした方も、み〜んな日々幸せに過ごせ健康でまたその善き日に笑顔で再会出来ますように✨🌸」
(みなたん 2025/03/28 23:55)
→人生初の偉業達成頂きまして、大袈裟な感じもありますが嬉しいです。ありがとうございます。立ち止まったり振り返ったりってもちろんあります。自分のやってきた事がなーんにもその先に通用しないでくらって絶望無気力、、今回も書きかけましたが、波のようだなと思います全部、病気でも、お腹が痛くなる時も痛い中でちょっと治ったり痛くなったり、季節の三寒四温も海も月も、人生も心も自分事もずっとそれの繰り返しなんだろうなぁと思います。そんな事を繰り返しながら、心も体も健康で少しでも幸せを感じながら生きれますようにですね

■「祝☆300回おめでとうございます!愛読者ですが集会には参加できずにとっても残念でしたが、でも300回続いたエッセイとても嬉しい気持ちです。改めてありがとうございます。日々色々なことが変わりゆく中で一日として同じ日はなく、あっという間にあったものもなくなっていく時代で…。そんな中で300回毎月必ず続けていてくれることがありがたいし、すごいし、なんだかとても尊く感じました。ぜひまだまだ続けていってほしいです。毎回楽しみにしていますので☆よろしくお願いします」
(hitomi 2025/03/31 0:47)
→来れなかったとの事だけど、いつも読んでくれて、コメントもありがとうございますっ、ほんとね、いつの時代も変わってきたんだろうけど、変わり方がはやく感じます
 下北沢なんて小さい街がわかりやすく、全然変わってく中で、とんすいや一龍、シェルターや440、クレープ屋さんがあってくれるとありがたく感じるもんね、K主催の頑張ってるぜ日本然り、この場がそういう場所になれた気にもなれて嬉しいです、ずーっとそこにあるものになれたらと思うのでこれからもよろしくお願いしますっ。ありがとう。