2025年9月30日火曜日

Vol.307「感覚連鎖は歪な森や街のよう」の巻

  確かに空気の中に秋の感じが混ざっているものの、湿気がじわりと日差しも熱い。夏延長やん、これでどうして秋の感じを出せているのか不思議だなぁと、首筋にじわじわ滲む汗を手拭いで拭う今日この頃、いかがおすごしか。それでいて、秋分の日にはきちんと咲いてる彼岸花は、どこで秋を感知してるんでしょう。

 相変わらず次の山から次の山へ、分け入っても分け入っても青い山。ありがたいことに、その度に違う刺激をもらい歌の旅ができています。頭で計算し「ここでこういうライブをして」と構築しているわけではなく、自然現象のようにできていく山々、ピースがはまっていく感じ、流れ。昔の下北沢の街並みにも感じてた面白さ、混沌とした「なんかこうなりました」感。利便性優先で、大体の駅前はロータリーがあってこうなって、とその面構えが大体変わらない中、下北沢には自然発生的な個性があった。実際の山にしても、日本の山を見れば大体が植林されていて整理整頓、真っ直ぐな杉が並んでいる。今、樹木医を生業としている弟のUCOCAが作った「森の唄」という歌の、「誰一人近づけやしない そんな森がどこにもない」「森を育てましょう 決して作るんじゃなくて」というフレーズを思い出す。誰一人近づけやしないというのがいい(サブスクで聴けるので、聴ける方は聴いてみてください)。はたまた妹の旦那は怖いもの知らずで、夜の海でだって一人で素潜りをするような男であるが、怖くないのか聞くと「山の中の川に潜る方が怖い」と言っていて、想像して胸がときめく。自分は一人で山に囲まれた川に潜るなんてできないが、想像をするにそこには怖くなるほどの何かが宿っているんだろうと思う。自分の呼吸や心臓の音が響いてくるような深い静けさ、人が決めたことではないルール、勝手に感じる厳かな立ち入り禁止、精霊、恐怖、孤独。話を聞いただけなのに、そんなものの存在を勝手に感じ、心がときめき落ち着く。

 ライブの話から駅前、山や川などの話になり、繋がってないようで繋がっているんですが、最近、漫画家/鈴の木ユウ・通称スージーとのユニットでレコーディングした「氷点」という曲について書きたい。この曲は2017年に役者として参加した舞台「荒れ野」(桑原裕子作、演出)で演じたケン一の台詞が中心の曲で、千秋楽後一発目のKとのライブで演奏したものだ。
 演劇の世界で2ヶ月近くケン一という役と向き合ったあとに終演を迎え、その役の生き場がなくなり、どうしようもない気持ちになった。稽古から本番まで、毎日悲しくなくてはいけなかった。台詞とト書きの中から「ケン一の気分とは、どういうものなのか」を考え感じ、きっと少しずつ自分なりに入っていったんだと思う。だが終わりのない旅のように思えたその旅にも、終わりはあった。それはわかってはいたが実感がなかったので、千秋楽の本番後半の待機時に狭く真っ暗な廊下でじっとしたまま、相手役の勝也さんの後ろで、どこからきたのか今でもわからない涙がでてきた。背中合わせですぐ後ろが客席になっていたので、次から次へ涙と鼻水が出てきて困った。だから、でかい音が鳴るとこに合わせて鼻をすすった。終盤の出番で表に立っても、顔はぐしゃぐしゃのままだった。僕はプロではなかった。
 
 役がぬけるとかぬけないとか、なんか格好良さげで、音楽畑に戻った初のライブ会場の楽屋でKに会った時に「なかなか役がぬけないなぁ~」「おーかっこいい」的な冗談にして笑ったが、冗談にすれば消えると思ってた役は消えず、だから本番前、Kにこの曲の提案、お願いをした。Kとならこの役にケジメをつけられるような気がした。こう書いててもなんか格好よさげだなぁと思うけど、でも本当にどうしようもなかった。
 音楽畑とは完全に切り替え挑んだので、一ヶ月近い豊橋滞在にもギターは持っていかなかった。ホテルの部屋ではそれまで構築してきた役の気分が壊れそうで、一度もTVをつける余裕はなかった。そんな中やはりギターが弾きたくなりアマゾンで1万円くらいの小さなギターを買い、ホテルの部屋で気分のままポロポロ弾いてた。その時のコード進行4つをKに伝え、こんな感じで弾いてる上で台詞を言って、最後はこんなメロディーで締めたいというようなことだけを口頭で伝えた。Kはあわてることもなく全然普通にOKしてくれ、一度もリハーサルはせずにぶっつけ本番で挑んだ。4つのコードの循環とはいえ、その中で二人で自然と高まったり落ち着いたりして、Kとの呼吸もピッタリでベースフレーズはやさしかった、加えてKはいきなり「ウェーストランード」という舞台のキーワードにもなる言葉でコーラスを入れてきて、僕は込み上げて少し救われた気分になり、提案してよかったと思った。
 映像をいつも撮ってくれてる釼持さんは、撮るけどYouTubeなどにあげるには自分なりの基準があるらしくほとんどあがらないのだが、この「氷点」は終わってすぐにYouTubeにあげたいと言ってくれた。
中尾と草場 氷点で検索してみてください。

 そのYouTubeを観てスージーが「ゆーすけ、すごい曲をつくったなー」と演劇の台詞とは知らず観ていてくれてたらしく、「東京12月」と「おきざりのブルース」も含めて「かなりの再生回数を僕があげてるとおもう」というくらい仕事中に観てくれてたそうで、それとは別にスージーは「荒れ野」再演を勝手に観にきてくれていて、そこでこの舞台の台詞だとわかったらしいが、今回のユニットを組もうとなった時にスージーから「氷点」をやろうと言ってくれてレコーディングすることに相成り、ライブでもまた歌うようになった。この台詞は何年も経った今発しても心がぎゅうっとなるし、未だ正解はないまま心の旅ができる台詞を紡いだ桑原さんはすごいなとおもうし、一緒に僕の役の弔い事に付き合ってくれたKには、ありがたくおもう。映像を撮ってくれた釼ちゃんが自分なりに選んでくれてきたことも繋がり、それを観たスージーの心に引っかかって、そうするしかどうしようもなかった事がまたここで歩き出したことが面白い。放っておく歪な感覚、手つかずの自然にも似て、利便性、損か得かで誰も生きてない世界、それぞれがそれぞれに生きて、歪なまま生きて、心に思ったままに感じ合い、そんな感覚の連鎖だけで音楽や演劇を通じて繋がれてるのは幸せなことで、厳かな何かが宿っているような気さえし、奇跡だなと思う。と長々と書いたような想いを、今回レコーディング中に「氷点」のことをスタッフに聞かれたので、千秋楽で涙が止まらなかったことなども含めて話したところ、それを聞いてたスージーが田原俊彦のような軽さで「へ~っ純粋なんだねー!」と言い放ってトイレに行き、熱くなってた自分に気づいてなんか恥ずかしくなり、「この話の後に、純粋なんだね~はないだろバッキャロ」と思いながら平常心に戻ってレコーディングができたことを付け加えて、今月はこの辺で。

今年はサンマがたくさんとれたみたいですね。美味しく頂いてます

スージーとのリハも重ねて

頼もしき20代リズム隊。ドラム ツチヤカレン/ベース キキョウ君

井垣さんとの2マン嬉しかったですね。また次も誘って頂きまして。しかも随分先!

銀座のレンガ。歴史感じてパシャリ

ドイツに習って作ったんですね、銀座のコリドー

YOU TWO..楽しかったですね。またいつか

Photo by Masumi

鍋に遭遇。スープーちゃんに見えてパシャリ

前に出演してた、スポーツ応援番組がむしゃらのスタッフ陣が、広めたいと応援してくれてTikTokを開設してくれました。ぜひともフォローの方よろしくお願いします。

やっと1日釣りいけてアイゴ1匹。こちら刺されると毒で3時間はのたうちまわります。

洞窟ですね

海はいいねっ

さぁそして25周年ジュテームへ

そして「弾き語りワンマン晩秋2025」決まりました。よろしくお願いします。  


諭介がお答え致します

■「ライブラッシュお疲れさまです。なかなか思うように足を運べず残念だけど思いはいつも近くにいます。

「情緒」不安定になりがちな私ですが、なるべく波風立てずに穏やかにいきたいですね。
そんな私の心の栄養剤、インザスープのジュテームもまもなくでワクワクが止まりません。
やっと涼しくなってきました。「四季」ではなく「二季」になりつつある近年、寒暖差に負けないで短い秋を満喫したいですね」
(夕陽 2025/09/25 23:24)
→ほんとだねぇ二季かぁ、てことはいきなり寒くなるのかね、ちょうどいいあの切ない秋はもう来ないのか、極端だ、情緒がないねぇ、なんでもいいか悪いかで判断して人を責め立てるような世の中にも似て、季節も情緒をなくしていくのかねぇ。大事にしたいですなぁ、ジュテームお楽しみに。

■「早いもので9月も終わりそう。朝晩は涼しくなり、秋の空気に情緒を感じます。「情緒」ってよく聞くし、意味も知っているつもりでしたが、諭介さんのコラムを読んで、改めて考えさせられました。私は情緒もなく、すぐネットで調べましたが(笑)、言葉の意味、それぞれの漢字の意味も調べるとイメージが広がり、一言では表せなくても「人生で一番大事なのは情緒です」に繋がるようでした。ちなみに「情緒」の対義語が「理性」だそうです。感情に左右されず、物事の筋道に従って判断や行動をする。なるほど「情緒」が感情の動きというのなら、ライブは情緒だなぁと思いました。諭介さんが歌うときにもそう感じるように、聴いている方もライブ中はすごく心が動いているものです。情緒を忘れないでいられるのはライブに行くからかもしれないですね。こちらこそありがとうございます」
(A.T     2025/09/26 12:16)
→朝晩はねたしかにちょっと涼しくはなったか。対義語が理性というのもまたわかりやすいね
「メトロに乗って」という小説にデザインは歴史を追うごとに退化していくという件があって、これ僕は写真のレンガとかをみると思い出すわ。昔のほうが歪だったり、無駄が多い分味わいがでてくる、そこにも情緒をかんじるわ。


■「「情緒」私も調べちゃいました。でも文字で読んでも理解するのが難しいというか…言葉で理解するものではない言葉だなと思いました。なので今まで自分が感じてきた「情緒」が正解なんだなと思います。
でも、「情緒不安定」という言葉があるように、そうなると生きてく上で情緒というのはとても大事なんだろうなと真面目に考えてしまいました。
いつか岡潔さんの本を読んだらまたここで教えてくださいね!」
(hitomi 2025/09/29 21:42)
→なるほど、わかりやすくひびきました。逆に情緒不安定だと生きににくくなるように、そんだけ情緒が大事ってことか。いいですなぁ考え方に情緒がありますなぁ。岡潔さんの本、まだ全然読んでないっ。


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