2020年7月30日木曜日

Vol.245「始まりの風を探して、2020年夏」の巻

 7月ももう終わろうとしてるのに東京は梅雨が続いてる。曇ってぐずついてシトシト降ってを繰り返しての長い梅雨、もう待ちきれんと暗く曇った空の下で蝉の声が晴れ空を呼んでるみたいに響いて、晴れ乞いを響かせてる。今日に限っては気温も低く肌寒かったりして、いきなりギラギラの夏晴れがきたらこれ体がついていくかしらと少し不安になったりもしますが、それに加えて、いやはや、この新型ウィルスの収束はいつになるやら、ライブ中止や、その他いろんな仕事の中止やらで、この時点でかなりの影響があり、しかもこの梅雨の暗い空の下、気をぬくとふと落とし穴にはまるみたいに「どうなんだべか?」と希望を探したりもしますが、思えば今までも「どうなんだべか?」とはいつも隣り合わせだったようにも思い、またそれがあったから、晴れれば心が希望を感じてもきたんだろうと思う。

 何かが始まっていく時の匂いや景色、心に吹く風が好きだ。この世で最初に吹く風を額で受けるような。今までも大きな流れの中で、その始まりの風に吹かれてきた。希望を手繰り寄せるべく、パッと思い浮かぶ今までの始まりの風を思い出してみたい。

 はじめに浮かぶのは自転車を補助輪なしで乗れた幼稚園の時。それまで後ろで押してくれてた父が手を離していて、いつのまにか乗れていた時、風が吹いた。それから自転車が大好きになり、遠くまで、と言っても今思えば近所だろうけど、遠くまで行くごとにドキドキしていたし、自転車こいで途中で飛び降りてライディーンごっこしたりと、自転車は小さいながらも男子心に火が灯り、相棒、君さえいれば的な自由を感じた。たかだか自転車だけど、この時の始まりの感覚はその後の自分に、自由を思い出させてくれる大きな感覚だと思う。

 幼稚園も終わりかけの頃に九州は宮崎の延岡へ。千葉から引っ越してきた自分はアメリカ生まれということもあってか、おかっぱで、母のことを「マミー」と呼んでいた。これには我が地元延岡の風当たりを子供心にも感じた。「マミーげな」「パンばっかりたべちょるから元気がないとよ」「男ん子なら坊主にせにゃぁ」などなど、今も残る大人から子供から聞こえてきた言葉に、窮屈な始まりの風。「ゆーすーけくーん! あーそぼー」と珍しがってやってくる坊主で真っ黒に日焼けした近所のガキンチョ軍団が自転車でやってきて、カーテン越しに隠れてモジモジとしていたことも思い出す。んが、すぐに自分も坊主になり日焼けして言葉も馴染み、訛りがなおせないくらいにすっかり延岡っ子となった。今帰ると、延岡の風は僕の毛穴を開かせる優しい風だけど、始まりは窮屈な風だった。

 小学時代はクラスのみんなで水飲み場まで走った時に自分が一番はやくて先頭を走り、「自分は足がはやいんだ」と風を感じた。地区のソフトボールチームに入り、大会で優勝をしたり、運動会でリレー選手に選ばれたりして風を感じた。高学年から中学時代は、周りの成長に身も心もついていけずに曇りがかってくる。何をしても補欠、勉強もできずヤンキー文化や恋愛などにも、どうしてみんなそういうことに興味を持つのかもわからず、背伸びをして合わせてみても間に合わず、いじけた時代だった。それなりに楽しみをみつけてはいたが、今まっ先に浮かぶ楽しかったことと言えば机と机をくっつけて下敷きを挟んでネットがわりにした卓球、スリッパをラケットがわりにして狭いとこでパコパコやってたのが思い出される。
 そんな時期だったからか、その頃から色んな音楽を聴いて心を解放することも覚えた。また、中3の夏休みの3者面談で、絶対に希望校にはいけないと言われ、いじけた窮屈から逃れたかったかのか一念発起、勉強に目覚めて勉強が楽しくなった時も風を感じた。自分の人生でほんの少しあったガリ勉期だ。昭和から平成になり、高校も受かり、実家も改築された。部屋は小さいけれど、新しい建材の匂いがしてた。元々古い長屋だった家が、母とデザイナーさんのセンスで中は工夫のきいた洋風の家になって、新しい匂いがした。今思えば僕にとっての希望の匂いだ。その時部屋で聴いていた音楽を聴くと、あの部屋の新しい匂いと、何かが大きく変わっていく空気を今も思い出す。
 高校では教室でやった漫才の初舞台や、中庭で教えてもらったギターには今にまで続く始まりの風を感じた。
その後も大学に入り、それまで誰からも呼ばれたこともないあだ名を自分でつけて「ゆう坊って呼んで」と自己紹介し、友達になった人にそう呼んでもらって新たな始まりも感じた(ちなみにインザスープのメンバーも出会った当初は僕のことを「ゆう坊」と呼んでいて、Kにいたっては同い年なのに学年が一個下だったから「ゆう坊さん」と呼んでいた、今となっては信じられん)。
 友達と厚木のインターで親指を立てて初めてヒッチハイクをした時も、バンドを組んだ時も、ライブハウスに立った時も、それからの今までのライブのほとんどでも、レコード会社が決まった時も、野音もフェスも、番組がはじまった時も、演劇の世界を見た時も、何曲作っても毎回、ライブで歌いたいと思える曲ができた時も、と、全部あげたら長くなっちゃうなこりゃ、と思うくらいたくさんの始まりの風を感じてきた。

 いつも、始まりの風に吹かれる時は、心のどこかに窮屈や真っ暗があったように思う。
 であるからして、今あるこのウィルスの影響や、長い梅雨に閉じ込められた「これからどうなんだべか?」な気分も、きっと始まりの風を吹かせてくれるために必要なんだろうと思う。きっとそうよね、そうに違いない、そうであってくれと、願うばかりでは間がもたないので、引き寄せるべく今できることを、慌てず焦らずにやり、心のざわつきをなるべく平らにして進んでいけたらと思う。2020年2月から続く「この先どうなんだべか」は「始まりの風」を感じるためのドン曇りだろうと、今回も自分のペースで風を掴んで感じられたらと、「曇り空から伸びる虹もあるはずだっぺ」と思いながら今月はこの辺で。
 それでは聴いてください中尾ゆう坊で「シャララ」。
 中々先が見えない状況だけど、がんばりましょイイチアザァー!、よい夏を!
 また8月末に!!!

最近はストローが紙だったりしますが、いいことだとおもいますが、アイスコーヒーを飲むにはちょと違和感というか慣れないですね。まだこちらの直接飲むタイプのがしっくり。

最近は本を読むのが楽しい。これはジャケに惹かれたのとしっといてもいいことかもなとおもって読みはじめました。ここもそうですが、SNSや携帯の画面て、なんかおちつかないです。大概にしとかんといかんような気がします。繋げて繋げて見るユウチュウブにしても、見すぎると、見終わったあと、なんか、しーん、て、心が、なるんすね。これが本だと、閉じたあとも充実が続くというか、電子文字とは違う気が、同じ文でもあるような気がするんですが、どうでしょ、昭和なんですかね。そうですね、ここも電子文字ですけど、なるべく、いい気での打ち込んでおります。

ドライ紫陽花。いい枯色だなあと、立ち止まる。ぼかぁ、どんな枯色だろか。いい色出していきたいですな。

ハンモック気持ちよかった。こんなかで本よんで、今年初の蝉の声をききました。




こう、結び方とかもユウチュウブで見て習って、実践してみると、こういうとことかもかっこよく見えてパシャリ


本当だったら、もっと、みんなワクワクして俺をみていただろに。なんだか疑いの目でみていくんだな。そりゃおれも半信半疑なとこはあるけんど、これが仕事よ。チッチッチ

辻堂にてライブ。そこにいるみんなに自分にお店に、たくさん拍手がしたくなりました。そんで辻堂、毎回思う、古さも共存していていい街やなぁとパシャリ。

ほんで、キャンプのユウチュウブみてたら料理がしたくなって、たどり着いたドライトマト。見た目もかわいいやないかと、ぱしゃり。 

釣った魚を干す網で一個一個並べて、ベランダに干して、なんだプチトマトってかわいらしいなと眺めていたら、今梅雨であることを思い出し湿気で腐っちゃうんじゃないかとよぎり調べてみれば、やはり梅雨が明けてからやるものみたいでまた取り出してレンジでチン。

こちら、中止になりました。またいつの日か開催できた時は、体感してもらえたらと思います。よろしくお願い致します!




諭介がお答え致します

■「暗く悲しく苦しいニュース、世界が今まで通りにはなかなか戻らず、行われているライブにも行けず、毎日びくびくしながら仕事に行き、一体これはいつまで続くのでしょうか。配信じゃだめな諭介さんに、今月は配信ライブがなくて淋しかった私はなんて書こうか考えていました(笑)。ライブハウスで“誰かがやりださなければ”それはすごく思います。不安の中で動き出すことも守るべきものを守る行動だと理解もしています。諭介さんにもライブはやっていてほしい!でも、行けない中での諭介さんの配信ライブもとてもありがたいものでしたよ。配信機材を勉強して届けてくれる音楽に緊張や不安、悔しさをほぐしてもらって、音楽はいいなと改めて感じられていました。画面の向こう側でも、どれだけ楽しみに待っていて、心を動かされ、力になっているかをもっと知っていてほしい。またいつかやりたいと思ったときには届けてくださいね」
(A.T 2020/07/20 17:11)
→どう感じてるかを伝えてくれてありがとう!早速やるよ、踏まえてがんばります!8月5日稲毛Ks Dreamね、タイミングあったらぜひ!

■「そうですよね。ライブは本当に最高ですよね……。
好きな音楽や歌を直接聴けて
自分だけじゃなく他の初めて会うお客さんたちとミュージシャンやスタッフさんとの一つの空間を、その時しかないライブを体感できる。まさに一期一会で。
今回のこのコロナの現状で人と人とのコミュニケーションや繋がりについて
改めて自分の心と向き合った人も多いのではないのかなと思います。
インザスープや諭介さんの歌は私の生活の一部になっていて
CDはCDでしか聴けない良さがあったり動画も同じくで
配信ライブも配信ライブでしか聴けない良さがたくさんありました。
視聴する側は楽しみに待っているだけですが
今までになかった配信ライブを一から手探りで作りあげるのって気持ちの上でも私たちが想像する以上にすごく大変なのでしょうね…。
とにかくこのコロナっ。ワクチンやお薬の開発されることを待つしかないのでしょうか。
でもきっと絶対に終息しますので
それまでなんとか自分が楽しい、やりたいと思うことをして諭介さんにはギターを弾き歌っていてほしいです」
(hitomi 2020/07/24 0:22)
→おうっおうおうおうっやりますよ、ギター弾いて歌って、自分が見つけた新しい風、これからもぜひ一緒に感じてもらえたらとっ。伝えてくれてありがとうっ。

■「配信ライブ、私も力をもらってました。
“生で体いっぱいに音を感じたい。” それはもちろんそうなんだけど家族がいてリモートではなく仕事をしていて自分の快楽を優先すべきなのか・・・たくさん考えてそれは違うかなぁって。
もちろん配信の難しさもよく分かります。伝えようとしてもちゃんと伝わっているのか、どれくらいの人が観ているのか、画面の向こうでどんな反応をしているのか・・・どんなことでも無反応で手応えがなく一方通行なのは寂しいしこの先どうしたらいいのか分からなくなるものですよね。
一日も早く生で反応しあえるようになるといいですね。それまではたまにでいいので気が向いたら配信もお願いします」
(夕陽  2020/07/26 15:16)
→うむっ、そうよね、やっぱり色んな環境や状況があるわね。そん中でも楽しみにしてくれていることを伝えてくれてありがとう。また5日にやるので観てね、よろしくです。

2 件のコメント:

  1. はじまりの風に吹かれる時。歌になりそうなフレーズですね!
    私も風に吹かれる時があったかな?と振り返ってみたら
    あまりそこに焦点を当てていなかったけれど窮屈や真っ暗が必ずありました。思い出すとめちゃくちゃ苦しいですね。
    私も今がその時だと信じたいです。
    今回の本の写真ですが
    以前に人がテレビ、タブレット、ゲームなどを使用しているときの脳の状態のMRIの画像を見たことがあるのですが
    一部しか反応していなく、日記などを書いている時の脳は全体的に反応していて
    こんなにも違うんだと驚いたことがありました。
    諭介さんみたくちゃんと心で気がつけるのはすごいな大事だなと思いました。
    これから未来を担う子供たちにもそうゆう人間的な感覚を身につけてほしいですね。

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  2. 始まりの風・・・初めて配信ライブを観た時に感じたドキドキワクワクと“ちゃんと観れるのかしら?”と不安な気持ちもこれなのでしょうか?

    曇り空の向こう側にキレイに輝く星があるように、曇り空から伸びる虹もあるんじゃないかと私も思います。そして虹の向こう側には希望の花が咲いているのかもしれないですね。
    その花を見ることができる日が1日も早く来ますように。

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