2015年3月31日火曜日

Vol.181「桜の記憶」の巻

でたっ。毎年恒例のあったかーくなったり急に寒くなったりの三寒四温。三寒四温って言葉がなんとなく好きですが、実際あったか〜くなってからの急に寒くなる気温差には、結構体も心も鍛えられてる感じがします。「あったかーいからって調子にのるなよーそれが当たり前だとおもうなよーヒュー」的な、1日の中でも朝寒く、昼頃にあったかくなってくると「あー春はいいなぁ日差しが気持ちいいし寒くて縮こまってた心も筋肉ものびのびしてくるわい、ぼー」なんつって気を緩めてると夕方あたりには風も強く、「うんにゃまだまだそうはさせんぜ」と風冷たく、すんませんでしたと緩んだ筋肉もまた縮こまっての繰り返しで、本格的にあったかくなる前の準備運動をしてるかのような今日この頃、いかがおすごしか。

今年も受粉に成功し、あんまり気にしないようにしようとおもっていたって、どうせどうしたって花粉症なのだから、この際積極的に受粉してやろうじゃないかと、逆療法だと、気持ちをオープンにし「どんとこい!」とマスクも付けずに積極的に鼻で呼吸してみたりしていたらば、くしゃみ鼻水絶好調で頭や鼻の中も痛くなってくるほどだったもので、さすがに「こりゃたまらん」といよいよマスクを装着しだした今日この頃、いやー最近のマスクは柔らかくなって耳や口周りが痛くならないんだなぁと感心しながら、この原稿をポチポチと打っている所であります。

三寒四温、くしゃみ鼻水を繰り返しているとそろそろかなと桜が咲き始めるのも気になりはじめ、チラッとのぞけばポツポツと桜が咲き始めてるのが見えて、いよいよだなぁと思ったりもするけど、今年はなかなかに忙しくゆっくり桜を眺める時間もなさそうな気持ちのあり方なもので、「もうちょっと待ってはくれないだろうか」な気持ちにもなったりして。しかし子供の頃は「桜が綺麗だなぁ」なんてことは思わなかったのに、大人になったのだぁとも思ったりして。

桜を思い浮かべる時、思い出す景色は何か、ピッカピッカの一年生、入学式や花見なんかの「楽しい嬉しい」時の桜より、どちらかと言えばそうでない時の桜が印象に残る。

父方の爺さんが危篤だと知らされ会いに行った病院から見た桜。 どちらかと言えばいつも厳しい顔つきの九州男児って感じの人で、剣道が強くて、小さい頃に泊まりにいくと朝はふんどしで乾布摩擦をしたり、剣道の素振りをしたり、山に登り軍隊時代の体操を教えてくれたり、戦争中の武勇伝、足にある弾の傷を見せてくれたりした。勉強でもなんでも一番にならないといけない的な人で、そうではない僕は期待に応えられてないなぁと、どこかでいつもおもってた。釣りを教えてくれたりもしたし、車の中で「どんぶりぶっちゃういたういたすててこしゃんしゃん」なんてへんてこな歌をうたいだし、そのへんてこな歌がツボに入ってゲラゲラ僕が笑うと、何回も繰り返し歌って笑わせてくれたりもした。勉強ができない僕の宿題に付き合ってくれて、自分もわからず知り合いの学校の先生に電話して聞いてまで教えてくれた。片目の瞼がいつもぴくぴくしててちょっとこわかった。ふんどしを締めてた。ポマードの匂いがしてた。こわかったけどどこかひかれるものもあった。あったけど自分は何かこう勉強もできないし、剣道もやらないし、男としてどこか認められてないような気持ちもずっとあった。父親と離れることになって、会うことはなくなった。中学になり高校になって漫才をやるようになって宮崎のテレビに出るようになると、見てくれてただろかとおもうくらいで、全然会わなかった。きっともう会うことはないんだろうなとおもってた。上京してバンドをやりデビューしてまた地元のテレビに出た時も見てくれたかなとか、ちょっとは認めてくれたかなとよぎった。よぎったけどもう会わないんだろうなとおもってたし、色んな話を聞いて、うちも色々あったんだなと自分の中でももう会わなくてもいいやぐらいにおもってた。

それから何年かして連絡が入り、危篤だとのことで、小学校以来に病院に会いに行った。爺さんはベッドに横たわって、怖かったイメージとはギャップのある、僕の知らない孫から贈られたというミッキーマウスの毛布がかけられてた。顔を見ると険しい顔をしてた。声も出せなくなってた。呼びかけても反応がなかった。周りにいた人が「諭介がきてくれたよー」と呼びかけてくれても、反応がなく、もう反応ができないくらいなのか、それとも僕を忘れたのか、拒否されてるのか、わからなかったけどやっぱり自分はどこかで小学校の時から感じてた認められてない感覚を、その頃とは違って痩せて声も出せなくなっているその人に思い出したりした。心の中には色々あった。それでも最後にちゃんと会えてよかったと思った。そして、じゃあそろそろ行きますって病室を出ようとしたら爺ちゃんは、起こされたのか、自分で起き上がったのか、僕に向かって顔全部の笑顔をみせてくれた。今おもうと起き上がるなんてことはできないと思うんだけど、自分の記憶の中で誇張してるのかもしれないけど、体全部の力と会わなかった時の全部を振り絞ったような笑顔を僕に見せてくれたのは確かで、全部がおりた。おもってた色々も、なんもかんも。その笑顔が最後だった。最後の最後で僕に全部の笑顔をくれた。生きてたら色々ある。男は男で面倒くさいプライドやら引けないもんやら。その笑顔はそんなもんをなくした、もっと奥からくれたような笑顔だった。「なんだよ」って、できればもっと前からそうしてくれたらとも思うけど、今となったらなんだか最後の最後にってのが、男みたいなものを教えてくれたような気もする。そんな病室から、一本の細い桜の木にきれいな薄いピンクが咲いてるのが見えた。きっとずっと忘れない桜だとおもう。



桜。後にも東日本大震災があった一ヶ月後に石巻で見た桜。 弟の車で石巻へ向かう川沿いの道、ここまで水が上がってきたのかとわかる跡がある堤防に、桜が満開に咲いてた。ボランティアスタッフのキャンプをはる大学のグランドも満開だった。 石巻の海沿いが一望できる山の上の公園も満開のピンクだった。見渡せば全て壊れ流され、家や建物があっただろうところには建物の基礎がむき出しになっていたり、あたり一面がすべて破壊されたのが見える。きっと毎年花見の名所だったろうその山の上には、これでもかってくらい桜が満開で、その年までは賑わってただろう花見客のかわりに、自衛隊員やボランティアスタッフだけが行き交ってた。そんな中一組の家族、お母さんと子供が小さなブルーシートを敷いて花見をしてた、花見をしてたのかどうかはわからないけど、何か食べてた。何もかもが破壊された中で、何事もなかったかのように当たり前に咲いていた桜と、その家族が記憶に残り、桜を見るとその時のことを思い出す。時間が経つにつれ鮮明になるような景色。

このほかにも、友達のことやお世話になった人のことも思い出す、桜の景色。 綺麗だなともおもうし、残酷さもどこか感じる、色々あったなと思い出させてくれもする桜。 思い浮かべたり、ただ眺めたり、やっぱり桜を眺める時間くらいは作りたいもんですね。

と書いてそろそろ夜が明けて、今日は吉祥寺にて東日本大震災復興支援ライブであります。 めいっぱいの楽しむ力が集まって、形を変えて、それが誰かの力に直接繋がるイベントとのことで、ストリッパーがいたりとビビり気味ですが、負けじと一肌脱いで、めいっぱい楽しんできやす。の前にいったん寝ます。それでは今月はこの辺で、ハバナイススプリング!おやすみなさい。


相変わらずの立ち食いそば巡りにて 時々、「うむ、これだったらどん兵衛で十分だったかもしれない」と思うことたまにあり。 で、本当にどん兵衛を食べさせる専門店ありでびつくり。渋谷駅にて。

龍之介氏
大久保海太氏
とのさんちゃかっぽれ
三者それぞれのギブソン。
よくみかけるJ45がいないのがおもろい。

新宿コマ劇場跡にたった建物 行かないうちにすごいことになってました。 また壊されるんじゃないかしら。

TVKしゃかりき 4月からセットチェンジ。

花粉のせいかクチビルヒリヒリにつき 何年ぶりかのリップクリーム。
持ち歩く習慣がないからか、二日で二本なくす。

休みの築地市場へ潜入。 休みの築地もいいもんすね。

築地でよくみかける乗り物、これ欲しい。

まぁ若いうちはなんでもやってみるのもいいじゃろが、
しかし電話だ ゲ-ムだ メールだと 色々くっつけて大変じゃの-
ですです 一本でいけたらとおもうんすけどね- 色々やんないとやってけないもんでして、はい
もともと電話だったんすけどね- え-じゃあ とりますよ はいチ-ズっ

咲いてきた。

きっと東京満開の月末から5日ほど宮崎へ。


♦独占企画 諭介がお答え致します


■「「学校出前ツアー」のビデオ当時は大好きで何度も見返していました(^^) 今はビデオデッキが必要なのでなかなか見れませんがっ。 そのビデオでコメントのときに、諭介さんが「今」について熱く語っていたのを思い出します。 少し前に心について学ぶ機会があって、その先生が、心が過去にも未来にもいかず「今」をしっかり感じていることが大事だと話していて インザスープを思い出しました。 以前は、なぜこんなにインザスープのライブに行きたくなるんだろう、大好きなんだろうと自分でも不思議なくらいでしたが 「今」を感じたくて、共有したくてライブに足を運んでいたんだなと今になって、すとんと納得できました。 学校出前ツアーではインザスープの「今」を感じてくれた生徒さんが一人でも居たのなら意味のあったツアーなんじゃないかな~なんて思いました(*^^*) 」 (by.hitomi 2015年3月19日 23:38)
→そうありたいとおもいながらなかなか実感もてない日々もあり、だからライブがやめらんないのかなとおもうわ。デッキよね~デッキないね。

■「私の中で諭介さんは穏やかなイメージだったので、イラッとすることもあるんだって少し意外でした。人間だから色んな気持ちがあって当たり前なんですけどね。 怒りの正体は哀しみだってどこかできいたことがあります。ムカついたりイラッとしたり悔しかったり、自分の思うようにいかないどうしようもない気持ちが哀しみになるんだって。 そしていつかそれが切なさに変わるんだそうです。 でもその哀しい気持ちを他の誰かに味わわせないように、哀しみを優しさや思いやりに変えていけたらきっと温かい気持ちが伝染してイラッとする事が減っていくのかもしれないですね」
(by.夕陽 2015年3月21日 11:16)
→んだね、時間がかかるのよね。あたくしゃ穏やかに見えるかもしれないけど、けっこう「くっそ~」とか「このやろ~」とかおもってるのよ、出さないようにしたいとおもってるけんどね。

■「私がそこにいても何も言えなかったと思います。子供のやってしまったこととはいえ、やっぱりお父さん、お母さんがいけないですよね。そして、注意できない大人がダメですよね。そうやって、みんなが使う場所で人に迷惑をかけることはだめなんだよって、ちゃんと大人が教えてあげないと、子供はわからないまま大人になってしまって、ゴミを片づけないまま帰っちゃうとか、やっちゃいけない当たり前のこと。いいことと悪いことの境目がなくなってしまう。そういうのが積み重なって嫌な事件に繋がらないともいえないなって思いました。だからといって、むやみに他人の子供を叱ることは例えそれが正しくても、今はその先のことを考えるとできないかもしれません。自分の中におさめるっていうのは大人の対応だと思うけど、大人の嫌なところな気もします。ああ大人はダメですね。数年前、月一くらいで顔を合わす子供の方から「こんにちは」って挨拶されて、今までできてなかった自分にハッとしました。子供よりできてない大事なこともっとありそうです。そういえば、新しい歌、子供みたいな大人の歌で諭介さんにも教えてもらってますね。私は教えるどころか、しりとりで「ず」のつく言葉「ずる休み」って言ってしまいました(笑)失敗したなっていまだに後悔中。今度「ず」のつくいい言葉あったら教えてください(笑)追伸:1ブロック一周ささやかなデビュー記念面白いですね。15周年のお祝いも楽しみます♪ 」
(by.夕陽 2015年3月21日 15:26)
→いけないね~ずる休み、教えちゃったですね-、ぼくはなんやろ、ズルセコビッチとかいうかな-。え-なにそれ-って言われたらロシアのスケートの選手だよって教えるかも。

■「中尾さん、こんにちは。もしや世界各国で問題視されてる国の観光客と遭遇直面されたのでしょうか、、。ばばーんと言っちゃっても良かったのかもしれませんね、日本人を代表して!喧嘩になっちゃうかな(自分は多分言えないけど、、、)モラルやマナーはお国柄で異なるものかなあと思ってましたが、世界共通の水準みたいのは認識して厳守すべきことかもしれんと、自分に置き換えても改めて考えさせられた記事でありました。ありがとう インスー すてきな響き。15周年良い年になりますよう! 珈琲好きなのですね。こういうので出すお店ありますね、美味しかったかも。。コーヒー&シガレッツって何とも言えんユーモアな映画ありますが、中尾さんは煙草吸いますか、好きな銘柄は何かありますか? 」
(by.たかの 2015年3月26日 9:17)
→吸うね、最近アメリカンスピリッツのオレンジ色にしやした。 なにかね、そういう場面に直面した時に相手にもわかってもらういいやり方がありそうやけどね。今回はそんなやり方になりやした。こういうこともまた自分との戦いやね。

4 件のコメント:

  1. 桜の花はきれいですし、別れや出会いの季節に咲く特別な花という気がします。
    爺さんといえば、私は先日、平和資料館に祖父の従軍日記を寄贈してきました。資料館の展望台からは、埼玉なのにスカイツリーまで見えて、祖父の遺品が眠る場所としては最適だと思いました。行く途中菜の花がとても綺麗でした。
    子どもの頃、祖父のところに遊びに行くと必ず頭を叩かれましたが、痛かったです。
    祖父の記憶・戦争の記憶は、私たち孫世代が伝えていかなければ、風化してしまうような気がして怖いです。
    ちなみに3月、久しぶりに諭介さんのライブに行こうかと、予約もし、プレゼントしようと駅そばの本まで用意していたの(笑)に、まだ夜、都内に遊びに行くほど、体調は良くなってはいませんでした。でも、シェルターのチケットは買いました。行けたらいいなあ、と思っています。

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  2. こんばんは。桜の季節はあっという間ですね、これから緑の濃さを感じる季節がきますね。
    以前職場の同僚が、人は死ぬ間際まで耳は聞こえていて意識がないようにみえても最後の最後まで耳だけは聞こえているんだよって話をしていて、やっぱりそうなんだと納得したことがあります。随分前になりますが祖母が危篤になり帰省したときに「帰ってきたよ。」って耳元で話したけど全然反応がなく1週間ほど意識がない状態が続き、仕事のこともあり東京に戻ってきて、その日の夜に家に電話したら、祖母が奇跡的に意識を取り戻していて電話口で「戻ってきたんじゃないの?」って言われたとき、ちゃんとあの時、聞こえてたんだという気持ちとあと1日家にいればちゃんと顔をみて会話ができたのにという後悔。

    中尾さんのおじいちゃんもきっと中尾さんの声が聞こえて会いにきてくれたことが嬉しかったんでしょうね。会話が出来る状態じゃなかったとしても笑顔が答えなんでしょうね。

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  3. 私も桜には諭介さんみたいにこれといった具体的な思い出があるわけじゃないけど、“春だぜ!イェーイ!”とは思えないどこかもの哀しいイメージがあります。

    人間じゃないんだけど昔、母が飼っていた猫が、もう衰弱して動けなくなった時に学校から帰ってきた母の顔をジッと見て、「ニャー」とひと鳴きして息を引き取ったそうです。それはまるで母の帰りを待っていたようだったと。

    きっと諭介さんのお祖父さんも嬉しかったんでしょうね。ずっと会えなくてもこころのどっかにいつもいて、なんとなく一番の心残りだったのかもしれませんね。

    生命が消えようとしているその瞬間、最後の力を振り絞って何かを伝えようとする。桜吹雪が美しいのもそれぞれの思い描く記憶を伝えようとしているのかもしれませんね。

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  4. 諭介さんの桜の記憶。初めて聞くお爺さんの話、楽しい話ではないのに胸の奥に桜が咲くような感じもしました。会えてよかったです。4月に入ってすぐ「桜っていうのは、一瞬に咲いて散っていく、本当に潔い花ですよね」タクシーの運転手さんが話しかけてきて「私なんかはあと何回見られるかなって、自然と人生を重ねてしまう花ですね」って言ってました。諭介さんのコラムを読んだばかりだったので、何かこの運転手さんにもずっと忘れない桜の記憶があるのかななんて、普段よりちょっと優しく聞いちゃいました。出会いや別れの多いこの季節に咲く花というのも人生を重ねてしまう理由なのかもしれないですね。そして、歳を重ねるごとに、もうちょと待ってって思いも強くなりそうな気もしてます。そういえば、私が思い出した桜の記憶も楽しいとか嬉しいってものではないんですけど、やっぱりそこには一緒に思い出す誰かがいるんですよね。来年もまた記憶と一緒に会える、そういう花でもあるのかな。

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