2026年1月30日金曜日

Vol.311「原島さん、ありがとう」の巻

  札幌の雪が積もりまくってる写真をSNSでみて、冬本番を実感。東京も底冷えする寒さで、冷え性気味の自分も足先あっためてこれ書いてますがしかし寒くなりましたね、ちゃんと季節はめぐるものですね。いかがおすごしか。
 えっ僕ですか、僕はですねリクエストライブの練習な毎日であります。コロナ禍よりはじまりました、リクエストライブ。下北沢ラプソディー店主であります秋山さん発案により、タイトルは決めさせてもらい「ペンション中尾」としまして今回で9回目、明日がいよいよ本番の夜であります。
 本当に面白い経験をさせてもらっているなとおもえる段階であります。毎回ありがたいことに沢山のリクエストを貰い、どんな曲がくるのか、それが自分の人生の景色になるのが面白く、僕の歌でこの曲をと思ってくれるみんなと何かを共有できるのも嬉しく、リクエストしなくても楽しみにしてくれてる人がいるのも嬉しい。先に段階と書きましたが、リクエストをもらった段階では嬉しいだけなんですが、実際にコード譜を作成し、それを自分が歌う段になりますと、「むむむ!これはどうなっているんだ!」「きゃーわからん」と、のたうちまわります。手強い曲などは少々憎たらしくも思ったりもして「できんのかいな」とか独り言を言ったりしながら、しかし、きっと乗り越えられるはずだと一個一個体に教えていきます。音楽理論とかが頭に入っていないので体に教えていきます。我ながら遠回りですが、今までしてこなかった勉強を今しているようにも思え、なによりリクエストなので頑張れます、ありがとうございます。そう、そして今回も「できるんだろうか」期から「自分なりに愛しく歌える」期に入りまして乗り越えた感あり、明日を迎えます。配信でも見れますので、振り幅広い全20曲、自分なりに愛でますので、ぜひ聴いてもらえたらと。

 今回は今月頭に訃報が発表された「スマイリー原島さん」について書こうと思う。
 原島さんは「スマイリーズ」というイベント制作会社を立ち上げ、下北沢を中心に音楽イベントを開催した人。またフジロックを筆頭にさまざまなフェスの司会、ラジオのDJとして活躍した人です。しかし僕の中では「新宿ロフト」の人でもあった。社員とかではなく、ロフトの歴史と共にあった人というイメージです。ロフトが作った事務所「PINK MOON」所属だった我々In the Soupにとって原島さんは恩人です。ロフト社長だった故・小林茂明さんと仲良しで、ホットスタッフのダイゴさんを加えて、In the Soupを世に出すべくデビュー前からご尽力いただいた3人です。その中の一人、原島さんの訃報。

 ロフトの事務所でお世話になることになった頃、ちょうど小滝橋のロフトから歌舞伎町ロフトへ移転の時で、小滝橋ロフトのさよならパーティーがあり、その司会を務めていたのが原島さんだった(そんな頃の原島さんと茂さんが対談、そして我々も出てる映像はこちら→https://youtu.be/E0JAL_96Jdo)。僕は用事があり遅れていったのだけど、先に参加していたドラム吉田君より連絡があり「スマイリーという人に頭をこづかれた」という旨を聞いた。僕は鼻息が荒くなった。新宿ロフトに暴力はつきもの的なそれまでのイメージ、これはやられたなと、スマイリーという人はどんな人だと、メンバーがやられたらボーカルは引くわけにはいかない、敵討ちだ的な気持ちになり肩意地張って乗り込んだ。そして原島さんとの初対面、目の前に現れたのはイメージと違って小柄で人懐っこい満面の笑み。そしてあのダミ声の博多弁でニコニコと僕を迎えてくれた。鼻息が荒かった僕は拍子抜けしたのを覚えてる。きっとじゃれあいのスキンシップを吉田君が大袈裟に伝えてきたんだろう。そこからデビューに向けて、至るところで原島さんは力になってくれた。
 
 我々が野音でのワンマンを目指していて、でもまだそこまではいけていない時期にFMラジオのDJをしている原島さんの番組に生出演した際、原島さんはいきなり「In the Soupが日比谷野外音楽堂でワンマンライブをやります!」と断言した。決まってもいないのに、そのフライング発言にレコード会社のスタッフ達も慌てていたが、原島さんは「こういうのは先に言った方がいいんだよ」と笑ってた。それで本当に野音でのワンマンへ動き出し、実現した。またある時は我々が野音のイベントに出た時に、僕がどうしても気持ちをもっていけないままライブをしてしまったことがあった。出番を終えて袖へはけると出口で原島さんが待ち構えていて、僕の胸ぐらを掴み「わかっとうとや! 人が待ってくれてることをわかっとうとや!」と僕の頬を殴った。「やってるやないですか!」返す刀で言い返してしまったけど、自分の中にも思い当たるとこがあった。このことは会うたびに笑い話になったけど、本気で怒ってくれたこと、今でも刻まれていて感謝している。メジャーになり、環境が変われば変わるほどついていけず、自分の中でジレンマを抱えるようになった。そんな時に原島さんは、相談をしたわけでもないのに、僕の心境をいつも笑顔で言い当ててくれた。それが誰にも言えなかったことだったり、自分でもわからなかった気持ちだったりして、どうしてわかるんだろうとびっくりし、ホッとさせてもらったことが何度もあった。学校出前ツアーにも賛同してくれて、西尾市での集大成イベントでは司会もしてくれた。ロフトの打ち上げで、僕が誰に聞かせるわけでもなく会場の真ん中でずーっと一人でギターを弾いて歌っていたら「ゆうすけは歌がほんとに好きなんやな~」と何か感慨深く言ってくれたこと。カラオケで僕が歌った後、「なんでもっと売れんかなぁ~」と不思議そうに言ってくれたこと。はたまた、陣内孝則さんとの縁を繋いでくれたのも原島さんだった。福岡時代の陣内さんのバンドのマネージャーもやっていた原島さんが繋いでくれ、陣内さんにお世話になり映画やドラマに出演させてもらった時期があったのも原島さんのおかげだった。また近くでは3年前くらいか、ラプソディーで高木フトシさんとのライブを終え、打ち上げでフトシさんと沖縄の話をしていたら原島さんがふらりと現れ、沖縄ライブの話を盛り上げてくれて、その場で沖縄の店長に電話して具体的に話が進み、実現し、自分の音楽人生で大きな経験になった。

 2000年あの時期、僕たちと同じ夢を見てくれ、たくさんのサポートをしてくれた。あの時のみんなの熱量を、少々無鉄砲でも広げるために尽力いただいたこと。たくさんのチャンスを繋げてくれたこと。その全部を僕は受けとめきれなかったこと。今ならわかる、甘えていたこと。それでもしょうがなかったこと。今、僕たちの音楽を知ってくれてる人がいること。今こうして歌が歌えていること、それらがあるのはこうした人たちが熱い気持ちで同じ夢を見てくれたからです。そんな中の大きな一人、原島さん。原島さん自身もバンドのボーカルとして上京しデビューしたけど、イベンターになり司会をやり、そちらでの活躍が主になった頃に知り合ったというのもあるけど、原島さんからバンドのボーカル時代の話はほとんど聞いたことがなかった。聞いたのは「昔、バンド時代にタイヤのCMのタイアップが決まりそうやったんよ、ほとんど決まってたんやけど、土壇場で降ろされたんよ、バンド名がアクシデンツやったから、タイヤのCMでアクシデントはいかんやろって言われて、バンド名がいかんかった!」という面白話くらいで、無論、自慢話は一度も聞いたことがないし、ボーカルという立場から何かを言われたこともない。今思うと、思い上がりですが、あの頃にボーカルとしての夢を僕に見てくれたんじゃないかと勝手に思っています。
 ずっと僕には、無茶してくれたあの大人達の熱に応えられなかったことへの、なんて言えばいいのか、反省、後悔、意地、恩、感謝、それが刻まれています。それが燃料の一つになり、恥ずかしくないよう生きる鏡でもありました。そしてあの頃はできなかったこと、気づけかったことを、自分なりのペースやり方で理解し受け止めて、超えていきたいとずっと思ってきました。きっとこれからもそうです。

 音楽人生一生の熱をくれた原島さん、日本のロックを盛り上げ、バンドマン達の気分を上昇させ、場面を変えてみせてくれ、引き上げてくれてた原島さん、「ありがとうございます」と感謝の言葉を受けとるより先に、その人の、その先の場面を明るくする。感謝されることより、そうすることが自分の楽しみかのように花を咲かせて回ってきた原島さん。きっと一度は夢を見てくれた僕の歌をまだ繋げていきますので、これからも見守ってもらいたいと思っています。

 そう、明日本番の下北沢ラプソディーの店主、秋山さんは原島さんのイベント会社「スマイリーズ」の立ち上げからのメンバーで、その昔、原島さんの部下でもありました。2015年にインザスープ15周年ツアーの福岡で原島さんに会った時に、「秋山が今度、今まで働いてた店のCCOから独立して店を出すことになったんよ。それが、自分がお世話になったCCOの真ん前に出すらしいんよ。変わってるやろ、あいつおかしいんよ、出てやってな」と言われたのでした。その頃はもうとっくにスマイリーズの社員ではなかった秋山さんを思っての言葉を受けて、僕も出るようになりました。秋山さんと繋げてくれたのも原島さんの仕業だったなと改めて思い出しまして明日に備えて寝なければと。今月はこの辺で、心燃やせば寒さ感じず、そんな気がするこの頃、寒さに負けず燃えていきましょ、ハバナイス寒波!

 

 

近藤智洋さんは、会うと心があったかくなる人なんですなぁ

15周年記念ツアー福岡にて、原島さんと。

左がシゲさん、右が原島さん

3年前共に歌う

梅が咲いてた

ギターケースを修理

元マネと呑んだけえりみち

去年末から調子が悪かったマイマイク。完全に壊れてるとのスターパインズカフェPAさんのご指摘により新調する。

いいですか皆さんよく見てください、こんなラーメン待ってました。一年に一度は無性に食べたくなる永福町大勝軒の、レトルトのラーメン

はいそれではこちらもよく見てみてください。これは本当にうまいワンタンスープ、その昔親方にこれさえあれば弁当は冷えててもいいと教えてもらったスープ。なぜよくみて欲しかったかというとどちらもマルちゃんという会社なんですね、あたしゃ感動いたしました、マルちゃんってすげーとなりました。

歌詞カード入れ、これは画期的。前に藤沼さんが言ってたな〜と思い出し、今回のペンションに向けて新調。照明が当たっても反射しない。はめたまま書き込めるファイル

弾き語りワンマン4月17日。良いな椎名桔平で覚えてください。会場であるスターパインズカフェにポスターを貼ってもらいました。

本人登場


諭介がお答え致します

■「クリスマスを過ぎたら大晦日まであっという間」だけど、「元旦を過ぎたら節分までもあっという間」ですね。
新しい年になりもう一ヶ月…今年も諭介さんの音歌を体感、共有していきたいと思っています。
今年はどんな景色を見せてもらえるのかワクワクしています。今年もどうぞよろしくです☆
(夕陽 2026/01/27 23:29)
→あぁ、そうだね、節分が季節の分かれ道で春を知らせてくれるから、実は厳しい寒さもあともうちょいだと頑張れるね、梅といい、桜ほどふわっとしてないけど厳しい中、もうすぐだよと知らせてくれる梅の黒々とした枝に何か趣きを感じるこの頃やわ。今年もよろしくです。

■12月はこちらのコメント間に合わずでしたが…昨年も本当にありがとうございました。
カウントダウンライブのおかげで、年越し前も年越し後も諭介さんの曲に包まれて過ごせ幸せでした。笑ってしまいましたが、めでたいご来光お姿も拝めましたし🌅
私ごと午女🐴も相まり、幸先のよい1年になりそうでワクワクしています✨

今年もまた、久方ぶりのニックやインスー結成30周年など見逃せないライブも目白押しですね。お忙しいとは思いますが…健やかにそして少年らしさを忘れない瞳の諭介さんであり続けてくださいね。
(minatan 2026/01/28 10:59)
→カウントダウンね、やりたかった事全部できて満足です。ご来光拝んでくれてありがとう。年女いいね、パッカパッカとそのワクワクする方へいっちゃいましょ、

■諭介さん今年もよろしくお願いします。ってもう二月ですね。
ライブ活動が星座になるなんて素敵ですね☆手帳を見て自分の予定もほんとに星座になりそうで、私座☆も書いてみたくなりました☆
AI…私もたまに使ったりしていますが、身近でパソコンなど苦手な方がSNSに間に合わないからと紙にお知らせしたい内容をペンで手書きしてしかも、修正テープの上から一文字直しているものを写真に写し投稿をしたらいつもより反響が良かったと聞き、なんだか嬉しくなったことを思い出しました。
文字も音楽も他にも人が作り出す心を感じられるものになるべく触れて生活していたいですね。
今年も諭介さんの歌をギターをライブで聴けることを楽しみにしています!
(hitomi 2026/01/29 23:09)
→ぎり一月っ今年もよろしくです。えぇえぇやはりどんなに時代が変わってもアナログなものってなくならない気がするねライブもしかり、手作りなものって逆により良さが浮き彫りになりそうだね、そう思うと希望が持てるわ、今年もライブ、またどこかでっ。