2019年4月6日土曜日

Vol.229「はみ出し者達があけてくれた風穴に立って」の巻

 3月、咲いた咲いた桜が咲いたよ。今年はなぜかその前に咲いてた梅の樹に目がいった。桜ほどふんわりと派手さはないけど、まだ寒さ残る中、ぎゅっと黒っぽい枝をグニャリとさせて身を縮めながら凛として白や赤っぽい花を咲かせて、黒々しい枝との対比と全体のフォルムがいじらしく見えた。かわいらしなんておもいながら。桜ふんわり咲くこの頃、いかがおすごしか。

 現在、宮崎県は延岡市のジョイフルにてこれを書いている。
 「ジョイフル」は東京ではみたことがない。九州でよく見かける、いわゆるファミリーレストランだ。どことなくデニーズからヒントを得たのではないかと思わせるとこはあるけれど、自分からすればデニーズより馴染みのあるファミレスだ。高校時代にはコーヒーとカレーだったり、ほうれん草のソテーだったりを友達と頼み、それだけで朝まで暇をつぶしたりもした。
 何もないなら帰って寝ればいいものを、なんとなくぼんやりとすごしたりして、お互いの小銭をテーブルに並べて、まだ頼めるとか言って。ある時は二人合わせて数円足らなくて、ジャンケンで負けたほうが家に取りに帰ったりして、暇だったんだろうな。
 もれなく今も、時間を持て余したような若い輩が客のあまりいない店内でだるそうに喋ってる。けだるそうな若者をみて、さらには眠そうに働くパートのおばちゃんを見て、深夜のファミレスはこうでないと、とどこか妙に落ち着いたりもして。
 もう30年近く経つのか、あの頃と同じようにあり続けてくれる「ジョイフル」ありがとう。

 そう、あたくしゃ何故に今延岡にいるかというと。この夏にイベントをするための打ち合わせにて帰京した。


 ワーーーープ!

 「帰京した」と書いてからその先をどう書こうか迷ったが、ひらめかず眠くなり思考が止まったのでパソコンを閉じて帰った。正直な話、ジョイフルでノートパソコンを開くってことがしたかっただけかもしれない。

 バイザウェイ

 4日ほど経った現在、ワープ!までの一行の間にショーケンの訃報を聞き、また新しい元号が発表された。
 自分的には友達と会い別の仕事をしたり。とっくに期限が過ぎてしまった。あぁ。その後自分的には、、

 実家近所に住んでいた幼馴染がたまたま実家に帰って来てるというので、25年ぶりくらいに会った。
 小学校に上がる前から幼馴染のガキ大将で、同じソフトボールのチームメイト。中学まで一緒だった。互いの覚えてる記憶が別々だったり、彼がピッチャーで僕がキャッチャーで、「あのチームの誰々はサインを盗んでてホームランを打たれた」なんて細かくも我々にとっては大きなことで盛り上がったり、時々「いやいや絶対そうやったって!」なんて記憶のすり合わせをしながら盛り上がり楽しかった。一時飲むと、みんなの家を回ってみようかとなり、昼間から自転車で近所を二人徘徊した。

 音のない路地を白白とした光の中、ゆっくり自転車をこいだ。たまに「ここに長屋があったがね」「あそこもなくなったか」「ここはかわらんね」「あん人ん家行ってみようか」くらいの会話であとは話さなくてもいい時間が、25年も会っていなかったのに子供時代と同じで、なんかよかった。

 変わっていく路地に昔から変わらないコケのついた壁、の横を昔とは変わった僕たちが眩しい光の中黙ったままゆっくりと自転車をこぐ。懐かしくてノスタルジックなのか、優しさに包まれてるってことなのか、流れていく時間に残酷さを感じてるのか、人の暮らしの音があまりしない路地に、でも洗濯物は静かに風に揺れていて、大きな流れの中での暮らしを感じたり。その大きさを受け止めてるのか、諦めてるってことなのか、心にたまるものが何なのか言い表せない気持ちになった。体を悪くしてずっと実家で寝ていると聞いた、3バカトリオだったもう一人の友達に会いに行った。僕はもう子供の頃のあだ名ではなぜか呼べなかった、が、何かと話しかけた。そのガキ大将の友達はそろそろ帰ろうかという頃に、昔のまんまのあだ名を2回大きな声で呼んだ。また僕たちは黙ったまま自転車をこいで元いた場所にもどり、あの頃思っていたこと、会っていなかった時のこと、これからのことを話し、夕方になると甥っ子姪っ子の子守の時間だと言うので一緒に遊んだ。

 そんな時間を過ごしたり、打ち合わせしたり挨拶回りに行ったり、友達と会合したり妹夫婦と呑んだり過ごしてる間にショーケンの訃報を聞いて、なぜかぽっかりとなった。僕は「ショーケンの映画のここが」とか語れないし、リアルタイムで「太陽にほえろ」や「傷だらけの天使」を観てたわけじゃないが、後追いでその映像を観て、自分がリアルタイムで観て感化された人たちのルーツになってたんだなと知った。映画やドラマなら画面からはみ出す感じ、音楽なら歌からもはみ出す感じ、ライブパフォーマンスも規格外、それでいて理屈抜きに「かっちょいい!」「なんじゃこりゃ」と感じた人だった。唯一無二、時代に風穴を開けたというような印象がある人だ。とても真面目な人だったんじゃないかと思う。自分の心にまっすぐで、それが時代との摩擦で爆発したような人だったんじゃないかと。いつの時代にもいる、ファミレスで何か面白いことはないかと、時間を潰してるような輩には、はたまた、時間の残酷さに肩を撫でられ何かを諦めそうになる中年男子にもたまらない存在だったんじゃないかと思う。「あの人は大変だから」と業界の人の噂も聞いたことはあったが、規格外の影響をあんなに与えた人をもっと引っ張りだすべきじゃないだろうかと何から目線だか、もどかしく思うこともあった。

 「風の子」や「夕空、焼けて」や「樹」でも、夕焼けが出てくるとなぜか「はみ出す」って言葉や「生きる」って言葉がついてきた。その頭の中の遠くを辿れば「ショーケンのように」って憧れや願望に繋がる気がする。
 ショーケンに感じるのは、規格より先に自分の心で「生きてる」ってことだったような気がする。

 なかなかどうして、焚き火ができる場所もないような規制規制の世の中にどんどんなっていってるようにも思え、はたまた規則から外れたものに対して、補正された道の上を歩いてばかりいると、足の裏になにもゴツゴツを感じず馬鹿になっていくのと同じで、ツルツルペッタンスイスイの指先に何の感触も感じない文字で、みんなで便乗、弱った魚に群がるピラニアのようにヒステリックな集中砲火、良いと悪いの間の遊びもなく、一斉に叩く世の中だとも聞き、生きづらい世の中ってのは気づかぬうちに作り上げらていくんだなぁと、気づかぬうちに自分が骨抜きにされてるんだなぁと感じたりもして。今こそあの時代に風穴を開けたショーケンのように自由を感じさせてくれる人が必要なんじゃないかとも思い、んがしかし、音楽や芸能の世界自体が「大変だから」と保身の規制で飼いならされていたら、はみ出すものには蓋をされてしまうのかとも思ったりもして。

 遠藤賢司さん、加川良さん、内田裕也さん、ショーケン、が亡くなり、新しい元号が発表され昭和がまた遠くなった。それでも変わらぬコケのついた壁のように、先人達はその唯一無二の輝きでいつの時代でも何かを思い出させてくれるんだと思う。言ってる自分も大きな時間の流れに怯え撫でられ、そういうもんだと自分で自分を規制して縮こまってる場合ではない。自分なりの真っ直ぐをもって大きな流れに抗い、遊びながらも真面目に貫けたらと。ほんで、今ある丸からはみ出し、も一つ大きくなったろうじゃないかと思いながらいざ次のライブへ。と、今月はこの辺で。

ぷっくりそろそろ咲きまっせ
チラチラつぼみの割れ目からのぞいて見えるわ花見客用に設置されたごみ箱。

でっかいな

樹。いいね。

焚き火ができる場所があるって羨ましい。

2曲目のハンバーグハンバーグにこれ入れたらハマるかなーと買ってやってみたらハマって楽し。
この笛、楽しくなりたい時におススメです。

んでできたCD,
誠人の写真とペテカンハマのデザインで気に入ってます。

裏面がまたいいなと。
加川良さんやなんかの時代みたいなとこも好き。

稽古も見せてもらったんだけど、みんなで作り上げてく空間てやっぱり好きだなぁと思った。
自分に降りかからないダメ出しを聞くのも、おっ、さすが誠人、いいこと言うっ、とか、へーそうなんだとか面白いし、ダメ出しを受ける人も反応がそれぞれで面白かった。

上京してから毎年春を知らせてくれる贈り物。叔母の作るキンカン。

同じく毎年春を知らせてくれる贈り物。延岡の空飛ぶ玉ねぎ。葉っぱも刻んで牛肉と炒めて、半分は生でいただきまして春が来て。


加川良さんの歌にはこんな角度で歌を作ってもいいんだと幅を広げてもらった。20の頃、CDを聞きまくった。「教訓」でお国のために戦争に行けと言われたら震えましょうよね 青くなって尻込みなさい逃げなさい隠れなさいと歌ったかと思えば、戦争しましょうなんて曲がある。もちろんその歌を聴いて戦争したくなる人がいるわけないような曲で。学生運動、その時代も感じられてこの人もまた唯一無二。数年前、吉田拓郎がライバルはと聞かれて名前を挙げた人。

遠藤賢司さん

この人のギターをかき鳴らし、ボディーを叩いたりはみ出しまくってるとこにはやはり影響を受けて一曲を20歳の頃に作った。はみ出し方が岡本太郎的で憧れた。日本のフォークの伝説的な存在なのに自分とも何度か対バンをしてもらい、そして自分なんかにも負けないぞというようなガッツリを楽屋でも見せてくれた。その時にもらったピック。ちょうど加川良さんと同じ2017年、自分は訃報を舞台荒れ野の稽古中に知り、不滅の男の死が信じられなかった。
  

諭介がお答え致します


■「まだラジオのエンディングでちらっと流れるのを聞いただけなのですが、主題歌がどんな曲になっているのかも楽しみだし、諭介さんの歌がお芝居の中に入って、どう聞こえるのかも本当に楽しみです!本田さんとの歴史や思い出はいろんなところで聞いたり、歌でも聴いたりしてるんですが、漫才で優勝しても、2人ともがお笑いじゃなくて演劇と音楽を選んだことにもへぇ~って思うし、大人になった今も2人がたくさんの人を巻き込む何かを一緒に作っているのがなんだかすごいと思います。2人が持ち続けている対抗意識が面白いものを作ってくれるんだなと思いました。それにしても、中学生時代の諭介さんの対抗意識は可愛いかったですね。毎回どんな変顔を目指していたのか、もしも同じクラスにいたらこっそり見てみたかったです(笑)でも同じクラスだったら、本田さんの人だかり見に行ってたかな~なんて(笑) 」
(A.T 2019/03/18 17:07)
→ですよねぇ〜でもね少数派でも自分たちだけ笑える感じは最強だったのよね。またこの夏に対抗すると思うのでぜひ観てもらえたらと。
■「セット図がなんだか可愛らしくて、いてもたってもいられずコメントします。
すごく難しく機材がどうのこうの書いたりするものだと思ってましたので、二度見しました。笑
中尾さんの秘密を見てしまった感じですね。
答えていた最近聞いてる曲が意外でした。春にはどんな曲聞きますか?」
(匿名 2019/03/21 20:01)
→あれをちゃんと書ける人は尊敬しちゃうね。春に聞く曲って、これだってのがでてこないわ。今聴いてるのはU2の「Stuck in a moment」最近レコードで聴いてて針を何度もこの曲に落として聴いてるわ、でもこれ冬のイメージなのよね。春に歌いたくなるのはインザスープの「コーヒー」ニックバッカーズの「からっぽ空き地」やね。
■「本田さんとの話は何度となく読んだり聞いたりしてるので知っていたけど、よきライバルであって友達でもあって諭介さんには少し本田さんへの憧れみたいなものも感じて・・・そういう人に出会えることってなかなか無いと思うし、何十年もその関係を築いていけるのもスゴいと思うので羨ましいです。女の友情って案外簡単に壊れちゃうし(苦笑)。「樹」素敵な歌ですね。ペテカンの舞台を通して諭介さんを知らなかった人達にもたくさん聴いてもらいたいですね」
(夕陽 2019/03/23 23:20)
→うん、憧れ癖があるのかもね。友達はなんかみんなかっこいいわ。
■「舞台「ハンバーグができるまで」観てきました。舞台のエンディングに流れる「樹」が舞台の余韻にピッタリで、曲を聴くと舞台のシーンが浮かんできます。背中を押してくれる曲だなって。
ライブでまた聞けるのを楽しみにしてます」
(柿の種 2019/03/26 11:28)
→ありがとう。作ってよかった。僕も舞台本番を2回観せてもらってなんだか贅沢だなっておもったわ。自分の歌は嬉しいんだけどどっかしら恥ずかしいような部分が少なからずあるんだけど、ピアノやギターのインストだったり、馬渕さんの鼻歌だったり、八つぁんのがなりだったりで聞く「樹」のメロディーが他の人に表現してもらって喜んでて、劇の中に溶け込んでる感じもして嬉しくおもったわ。舞台面白かったね。

2 件のコメント:

  1. まだ寒いうちから咲く梅は強さや誇らしさも感じられて大好きな花です。諭介さんがショーケンに感じた、規格より先に自分の心で「生きてる」って感じが梅にもあるような気もします。『令和』も梅の歌からですよね。『梅の花のように日本人が明日への希望を咲かせる国でありますように』どんどん変わる未来に不安や怖さもあるけれど、この令和の意味を崩さないように強くいたいです。バイザウェイ!(笑)私も年に数回、同級生と集まるといつも記憶のすり合わせになるのですが、男子も同じなんですね。諭介さん達が自転車こいで周るところは映画を見ているような感覚になりました。大人になっても自然と変わらないものもあるなら、昭和が少し遠くなっても消えていくものばかりではないと思えます。そして、諭介さんも私の中では唯一無二。いろんな大きさ形の面白い風穴を開けてくれましたよ。令和時代もその次もよろしくお願いします。

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  2. 諭介さんと幼馴染みの話を読んでいて、“幼馴染み”ってたとえ何十年会ってなくても会った瞬間に当時にタイムスリップしたみたいに話が弾むから楽だって母が話していたのを思いだしました。私には父が転勤族で色んな土地を転々としていたから“幼馴染み”と呼べる存在がいないので羨ましいです。

    バイザウェイ!(笑) これが更新される頃はきっと時代が令和に変わってますね。思えば平成の大半、諭介さんやインザスープの音楽と一緒にいました。令和もずっと変わらず私の側には当たり前のようにある存在でありますように。

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