2015年10月1日木曜日

Vol.187 「限界を超えて」の巻


インザスープデビュー15周年記念全国15カ所漫遊記も14カ所を終えて、残すはファイナル10月6日下北沢シェルターのみとなりました。先日は久々の九州、福岡と延岡での漫遊記、福岡は本当に久々でますます都会になってた。夕方になると屋台が開きはじめて、これこれこの感じが福岡やなぁとなる。東京にいてもたまに思い出して屋台でラーメン食いたいなぁと思いを馳せさせる屋台。10年ほど前にツアーで訪福した際、ライブが終わり打ち上げを終え、ホテルに戻り、なんかたらんなぁと一人で屋台へ行きラーメンを注文、出されたラーメンをすすっていると、向こう側に座っていたおじさんが笑い出し「にぃちゃん、いい音たてるねぇ、やっぱラーメンは勢いよくいかんとねぇ」と言われ恥ずかしいやら嬉しいやら、そんな雰囲気と味がすこぶるうまかったのを思い出します。その他にもヒッチハイクの旅で友達と行った屋台の思い出もあり、また今回もとおもっていましたが、今回は屋台が一杯だったり、思わぬ再会があったりと次の日にも備え就寝。なくならないでほしいものです屋台、またいつの日か。

次の日は我が故郷延岡にて漫遊記14カ所目。1カ月半前に急遽決まったにも関わらず、地元ではこの日のために実行委員が発足し、当日は400人のお客さんが来てくれ、地元での熱を感じ、またケツを叩いてくれたような、こっから先も恥ずかしいことはできんなと、自分は自分の歌をもっと歌っていかんとなと改めて思わせてもらいました。コンサートスタッフ、イベンター、それが本職ではないけどスタッフのみなさんが手作りで準備してくれたこの日、その手の熱をもらってバンドの力膨らんだ夜となり14カ所を終えた。各地での景色、音、顔、たくさんの熱を感じて、いざファイナルへ向かいます。

そんな地元でのライブを終え、帰京し、今朝、この漫遊記でもお世話になり、仙台ペニーレーンでは対バンもさせてもらった「樹樹」のギターで作詞作曲をしていた小林英樹さんが亡くなったとの訃報を受けた。英樹さんは元々コロムビアレコードの東北支社の宣伝担当だった。 全国に支社があって、僕たちは各地方でキャンペーンやライブでお世話になった。他のレコード会社がどうなのかはわからないけど、コロムビアの宣伝の方々は勝手に想像していた業界の人的なイメージとは違って、泥くさくてロックな人たちが多かった。そんな中でも英樹さんは僕たちに強烈な印象をくれた。キャンペーンで仙台が入るとスポ根的な気持ちになった。ゆっくり昼飯を食べる暇もなく、移動の車の中でマクドナルドを買ってきて渡され「今のうちに食べて」と言って自分もハンバーガーをかじり、片手でハンドルを握り、ちょっと怖いくらいのスピードで次の現場へ向かった。着くとまた車から降りて走ってラジオ局やレコード屋さんへ入り宣伝をし、1日に何カ所もの場所でインストアライブや路上ライブが組まれていて、次にどこへ行くかわからない僕たちはついていくのが精一杯だった。その合間合間にも、冗談を言って笑わせてくれたり、移動のエレベーターの中で女の人が入ってきたりすると声をかけたりして、僕たちを笑かしてくれた。過酷な予定が組まれていたけど、疲れたと感じる間もなくワクワクもして、ジェットコースターのようにあっという間に1日が終わり、夜は夜で関係者の方々と飲みが組まれていて独特の皮肉や冗談や下ネタで盛り上げてくれた。そんな、東北担当だった英樹さんに東京での宣伝担当になってもらいお世話になった。「檸檬」の頃。代々木の野音でお客さんにも一人一人マラカスなどの楽器を持ってきてもらって全体で公開レコーディングをしたり、その後また別場所でインストアライブがあったりと英樹さんらしいやり方で宣伝をしてもらった。レコード会社を離れ、英樹さんとも会わなくなって5年くらいが経った頃、仙台に戻ったはずの英樹さんと、新橋の人が行き交う街の中で偶然再会し、飲みにいこうとなってそのまま焼き鳥屋へ行き、お互いの近況報告をしたり、宣伝してもらっていた頃の話をしたり。久しぶりだったけど久しぶりな感じもなく相変わらずの冗談で笑かしてくれた。それからまた何年かが経ち今年、15周年漫遊記の仙台編は英樹さんにお願いしようと連絡をしてペニーレーンでのライブを組んでもらった。しかも英樹さんが仙台でずっとやっていた「樹樹」というユニットとの対バン。何度か電話やメールで打ち合わせをしてライブ当日、気仙沼から仙台へ移動し早めに着いた僕たちは先にライブハウスに入り、英樹さんを待った。しばらくすると入口から男の人が入ってきたのでライブハウスの人かと思って挨拶をした。挨拶をした後でその人が英樹さんであることに気づいた。前に会った時とは違って痩せてた。被ってた帽子をとってなくなった髪の毛を見せて、「病気になっちゃてさー」と、声とそのニュアンスはそのままで「しかも痛風だし、病気の百貨店だよ」的ないつもの語り口調でいつもの冗談で笑わせてくれたけど、その変わりようがすぐに飲み込めなかった。何度も電話やメールで連絡を取り合っていたんだから知らせてくれてたらいいのにとおもった。英樹さんがリハーサルの準備をしてる間、付き添いで来てた奥さんが病気のことを教えてくれた。もう一年くらい前から闘病してること、難しい病気だということ。昔からギターを弾くことは知っていたけど、ステージに上がる英樹さんを見たのはこの日のリハーサルが初めてだった。いつも冗談ばっかりだったけどバンドの中で音を鳴らす、音に向かう時の英樹さんは真剣だったし、なによりその詩と曲の中に本音があって、英樹さんの優しさを感じた。今おもうとリハーサルも本番もバンドのメンバーも英樹さんのお客さんも、みんな笑ってた。そういえばいつも笑いの中に本音があるような人だった。ライブが終わり近くの英樹さんの経営する昭和歌謡バー「プレイバック」で打ち上げをした。小さな店に共演者がびっしり入り、本人がカウンターに入って奥さんと酒を出してくれた。その日のライブのことだったり昭和歌謡のことだったり、昔の話だったり、息子のことだったり、病気だってことを感じさせないで、すっかりいつもの英樹さんのペースにのって飲んで楽しんで笑った。それが今年の7月のことで2ヶ月前。今朝の携帯にメールが数件、英樹さんの訃報を知った。今朝の今でまだ全部を飲み込めてるわけじゃないけど、きっとそうなんだとおもう。会うまで病気のことを知らせなかったのも、帽子を脱いで抗がん剤で髪の抜けた頭をさらけ出すのも、だからって今までと変わらず冗談ばかり言って周りを笑かしてくれるのも、英樹さんらしいなとおもった。カッコイイです。ゆっくり休んでくださいと言いたいけど、泥くさく、前に向かって限界を超えて突っ走ってた、あのキャンペーンの英樹さんのことだから、どこにいっても周りの笑いをとりながら突っ走っるんだとおもう。 15周年、仙台でのライブ、英樹さんにお願いして、会えてよかったです。本当にありがとうございました。  


秋の祭の金魚すくい。

もう来年の手帳がっ
と毎年驚く

テキヤさん こちらもなくならないでほしいっすな

福岡にて

赤い花も咲きました。

テッドはみたいけどDVDでいっかとおもう。

広島商業の野球部だった けんちゃん
大学時代 自分が甲子園にいくことができなかったから監督として甲子園にいくんだと 、
負けないよ、僕はビックになるんだなんて言って夢を語りあったけんちゃん。
教員免許をとり 広島で監督をしていた。
デビュ-して広島でライブをしたときにけんちゃんの高校に吉田くんと寄り
生徒の前で歌を頼まれ東京野球を歌った。
10年以上ぶりの再会、町田のライブに来てくれて 、三四年前に甲子園に行ったこと、夢を叶えたこと、
甲子園で試合前にノックをしたこと、今はまたさらに上を目指していることを報告してくれて嬉しかった。

延岡にてハチ。

祝子川の堤防にて 草になっているとげとげの実。 投げて服にくっつけてた 「バカ」こどもの頃 あたり前に「バカ」って読んでたけど 正式名称はきっと違うよね。

力強い。

育ててくれた町 延岡。
またたくさん力もらいました。

さかのぼり仙台でのライブ。

仙台ライブ会場でライブ終わりに写真撮影。
左が英樹さん。

英樹さんの店。

歌謡曲の数々。

英樹さん ありがとう あっちで中原さんと酒呑んで笑ってんだろな。
また これからも見守ってくれたらとおもいます。

訃報を聞き そのまま収録へいき 帰りのホ-ムで みたス-パ-ム-ン。


♦独占企画 諭介がお答え致します
■「私も車が運転出来たらいいな、と思って、2年前に一念発起して教習所通いました。諭介さんと同世代の私は、見渡せば教習生の中で一番年上な感じ。若い学生さんが眩しかったです。教官には怒られてばかりでしたが、楽しいこともありました。免許取って良かったです。でも私には諭介さんのような素敵なドライブの思い出はなく、家の駐車場で車庫入れの練習をしていて、サイドミラーを壊したことがせいぜいの思い出。 「自分が昆虫だったら」。なつかしい名前のモドキ!でもモドキって言葉、切ない。 あと、私は川柳をやっているのに、基本的な俳句もよく知らないことを最近思い知らされます。山頭火の句もよくは覚えていませんでした。恥ずかしい。勉強することが増えました」
(by.みぃ 2015年9月5日 6:58)
→あぁ-サイドミラーやっちゃうね。この句は昔から知ってはいたけどよくわからなかったのが、きっとこういう心持ちだったんじゃないかって思えてきたこの頃です。

「免許のテストはどうでしたか?自分が免許を持っていないので、運転できる人はすごいなって無条件で尊敬の人になります。買い物かごカートの話はそうなんですね。面白かったです。今回の「相棒、ホンダ・シティ」を読んでいて、水を入れながら走るって漫画みたいだな!ってびっくりしたんですけど、あ、そういえば、高校時代の漫才の相棒も同じ名前の人でしたよね。そこもやっぱり、その車に運命を感じた1つだったんでしょうか(笑)9月に入り、晴れた日でもすっかり秋っぽくなりましたね。秋が深まっていくごとに漫遊記も濃くなってる気がします。ジュテームまで楽しみにしていますね♪」
(by.A.T 2015年9月14日 17:33)
→相棒とは関係ないよ、免許は一ヶ月前に仮免をとったけんど、予定がつまっていてジュテ-ム終わるまで本試験は受けらんねっす。ファイナルお楽しみに。

「免許を持った事はないし、取りたいと思った事も無いけど、男の人が自分の車に憧れを持つものなのかもなーって思います。学生の頃、男の子たちが目をキラキラさせて車の話をしていた事を懐かしく思い出しました。 ちなみに、私は女だけど買い物カートを押す時はいつも心の中で、「ブーン。」って思ってますよ(笑) 漫遊記も間もなくゴール!シェルター楽しみにしています」
(by.夕陽 2015年9月23日 11:00)
→え-まじで、女子もおもうのね。男っぽいんでしょうな-。シェルタ-で!

「中尾さん、こんにちは。甲斐甲斐しくお世話してもらって、車もうれしかっただろうなあと思いました。ちょっと傷ものだけど最期までいい御主人さまに乗ってもらって。。九州までの車の旅、その頃にしか出来ないであろう、多分ほとんどの人が回避するであろう、、ある意味貴重で中尾さんらしい思い出話ですなあ、すてき!運転上手そう。マニュアル乗れますか? 分け入っても分け入っても歌。その奥へ分け入るべく歌道深く追求して頂きたいと期待しています。 蝉のお話、なんてことはあまりないと思うよ~(^.^) 」
(by.たかの 2015年9月25日 20:42)
→なんてこたぁないか。マニュアルだよ何かあったときのために、とマニュアルのほうが車ってかんじがするものね。










5 件のコメント:

  1. 2ヶ月前のことをいろいろ思い出しました。
    ホント、笑い声と笑顔で溢れてましたね。
    野次もいっぱい飛んでましたね(笑)

    In the Soupのライブを、小林さんは表情変えずに
    じっと見つめていました。
    見つめるその目がとっても優しい目だったのが
    とても印象的でした。
    ただ、青空を歌い始める直前に外に出て行かれ、ヘブンを歌い終わる頃に戻って来られた姿が今もまぶたに焼き付いています。

    漫遊記があったからこそ
    一緒にライブが出来て、
    きっと、小林さんが誰よりも諭介さんたちとの再会を喜ばれていたと思います。

    小林さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

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  2. 今晩は。先日の延岡漫遊記。急遽休みを代わってもらえて、参加することができました。
    地元で中尾さんの唄声を聴けたのは、2年前の「最高な夜」以来でしたが、本当に行ってよかったです。ありがとうございました。
    お客さんたちの盛り上がりも熱かったですが、その盛り上がりを受けてアッツイ演奏を聴かせてくれたメンバーの、嬉しそうな楽しそうな様子に胸がいっぱいになりました。
    仕事のことや日常で、へこむことが多い日々だったのですが、わたしも頑張らないと!、と背中を押してもらえた気がします。
    今を生きるIn The Soupの演奏を、中尾さんの歌を、また地元で聴かせてくださいね!。
    楽しみに待ってます。

    (ひっつき虫ですね。「や~、バカがひっついちょる~」、と子供の頃よく言ってました笑。犬とか猫がくっつけてくると、なかなか厄介です。)

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  3. 仙台で小林さんと一緒にライブできて、本当に良かったですね!
    抗がん剤でまん丸の頭さらけ出す気持ち、わかる。でも小林さんと気持ちは一緒ではないかもしれない。その場の雰囲気は和やかだったかな。私は自分でやってみてわかったのは、どんなに仲の良い友達でも、家族以外にはその行為が、ショックを与えてしまうということ。でも自分は見せたかったな。
    きっと小林さんはみんなを見守っていますよ、今までのように。今まで以上に。
    諭介さんもお体お大事にしてください。ロックミュージシャンでも、検診は受けてくださいね!

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  4. 15周年記念全国15ヶ所漫遊記全ヶ所無事終了しましたね!お疲れさまでした!参加できて、祝えて、とっても楽しかったです。ライブついでに(笑)各地の美味しいもの食べたり、行った場所で会いたかった人に会えたり、15周年記念は個人的にも記念になったような気がしています。仙台のライブにも行けてよかったです。諭介さんの文章を読んで、あのときの景色とライブの思い出がより深くなります。みんな笑ってて、楽しかったですよね。後半戦は、旅を重ねるごとに強くなる音と歌で、続くライブが楽しみだなって思っていました。今が一番いいインザスープ(笑)を今体験できることが嬉しいです。

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  5. 漫遊記、お疲れさまでした。

    私は仙台へは行けてなくて、小林さんのことも存じ上げなかったんだけど、お世話になった人の痛々しい姿を見るのはお元気だった頃を知っているだけに、本当はご本人やご家族の方がツライんだって分かっていても、最初はどんな言葉をかけたらいいのか戸惑ったことだと思います。

    きっと、だからこそ小林さんも明るく冗談を言ったりしてたのでしょうね。強くてかっこいい人ですね。

    小林さんのご冥福をお祈り申し上げます。

    諭介さん、がむしゃらに走り続ける姿もかっこいいけど、いつまでもお元気でいてくださいね。

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