2020年10月、暑くもなく寒くもなく風もなく陽に当たる。公園のベンチ、建物の直角あたりから白い太陽が、夏のギラギラとも違って、でも強烈に、肉眼では捉えきれないはみ出す白い光が静かに燃えてこちらを照らしている、記憶に音はなく、まるですっぽり時間がとまったスポットにハマってしまったようで、自分もそこにあるブランコや鉄棒のような遊具、物体の一つになったような感覚になる。でも確かに時間は流れ、ゆっくりと流れ、どこへ行くこともなくただ乾いてく。ふと、心の奥にずっとあったであろう宿題か、いなくなった友達やお世話になった人が浮かぶ。どんな感じだ。おもしろい景色を見せられてるか、面白いだろう、そんなことどうでもいいか? 僕はどうすればよかった、どうすればいい。ギターに書いた落書きはいやだったか、カバンの奥にしのばせたCDは喜んでくれたか、本当にもういないんだな。どんな感じだ。白い太陽は音を消して、でも確かに僕をあたためて涙を出させようとしてるのか。僕は遊具になって動かず想う、乾いてく洗濯物だ。整理整頓、カラカラの空っぽになってまた、夢や希望や行きたい場所が明確にそこに置かれるか。秋に心干して本当だけがある。
白い穴を断ち切って立ち上がり自転車を押してまた歩く。今いる人を想い、人の中で生きてく、縁を感じる。やったるでと、きっとまた面白くなるはずやと下腹に空気を吸い込んで歩く。カラカラの秋、今年もインザスープワンマン、ジュテームが終わり、来年のスケジュール帳を買わなきゃな、な季節になり年末を実感してく。今年はまた新たに、後年語り継がれる年になりそうですね、なにかと不自由もありつつ、新しい生活形式になっていくんだべか、な今日この頃、いかがおすごしか。
10月は6日、毎年の約束、インザスープワンマン、ジュテーム。今年はこの新型ウィルスの影響により、配信のみでの決行となり、この日に向けて、あぁでないこうでない喧々諤々、メンバー、そして共に作ってくれる同志たちとむかった。SNSを使って見てくれてるみんなと反応しあうのも面白かった。
中学高校と歌が好きで、歌に救われたり許されたり共鳴したり生きる目標をもらったり、燃えたり。毎日狭い部屋でギターをかき鳴らし歌った。歌っていると外に出て歌いたくなり、また今度は、人に聞いてもらいたくなったりしてはじまった歌の旅。初めは実家の狭い部屋から、本当にいろんな人たちと出会い繋がれてきたのだなぁと思う。やっていくと縁を色んなとこで感じるし、誰かの人生の景色を共有できたりするものなのだなぁと、改めておもう。
先日、家の整理整頓をした。いろんな写真やら、懐かしく感じるものを見つけるたびに作業が進まなくなるのだけど、そんな中にA4の用紙4、5枚の小説みたいなものが出てきて、少し読んですぐに思い出した。それは25年ほど前に、路上で歌う僕のことについて書かれたものだった。懐かしく読んだ。今も自分の中で、ことあるごとに思い出して自信に繋げたりルーツを確かめたりしている路上時代。その時にもらったその短編小説は、今までも読んだことはあったと思うけど、自分がなんだか偉そうだったりする部分があったりしたからか、「きゃあーはずかしー」と素直に読めてなかったとおもう。今回は時間が発酵させてくれたのか、この時代があって今の自分があるのだなぁと実感でき、書いた人に素直に感謝できた。書いた人はナカヤさんといい、男性でメガネをかけてたような気がするというくらいに覚えていなく、25年前、それ以来の繋がりもない。時間を超えて届いた25年越しの手紙。
タイトルは「平塚の天才」とあり、今回はこの小説を写真のコーナーで掲載しようとおもうのだけど、タイトルからして「自分が褒められてるから見せたいだけなのではないか」と思われるかもしれないが、いやはやナカヤさんの文章が無頼派を匂わせる文で、小説としておもしろくまとまっているので読んでもらえたらと思う。とか言ってやはり自分が登場するし、当時の自分の踏み込んだ世界のことを知ってもらいたい部分がなきにしもあらずでありますが、どちらにしても家の引き出しの奥にしまったままにしておくのはもったいなく、また、もしかしたらこの無頼派なナカヤさんにまた会えることがあるかもしれないという想いもこめて、掲載しようと思います。
嬉しいのは、この文章を書いてどうしようという関係性ではなく、なんのしがらみも見返りもなく、踏み込んで起こした行動で誰かがその人の時間を割いて、一つのものをつくってくれたこと。行動の連鎖ができたこと。それが時間を超えて、素直にまた僕に届いたということです。よかったら読んでもらえたらと。
小説にある、この時期を越え僕はマイクを通して歌うことの方が増えて、歌のベクトルも根本から変わった。何度も無力さを知り、越えてきたし、きっとこれからも何度も脱皮していくんだと思う。
今、この時の自分にもどりたいとも思わないし、同じことをやろうとも思わない、今の方が数倍いい歌を歌えてると思う。んが、今も自分の糧になる、ここにくるまでの大切な路上時代。
今月は写真コーナーのナカヤさんにバトンタッチしてこの辺で。
読書の秋、芸術の秋、スポーツの秋etc. 過ごしやすく、カラカラと乾かされる秋を感じると、なんとかの秋っていうのが年行くごとにわかりますな、ウィルスに気をつけながらも、できるだけ「~の秋」を楽しんだりましょ。ナイスオータム!
いいドキュメンタリーでした。 |
練習のために買ったけど、音を重ねて遊んでおもろい。 |
10月30日に開催のGDフリッカーズ35周年ライブに向けて、4-STiCKSのボーカルとして。今月4度のリハーサルをして新曲も用意していざ。 |
人人人、色んな人の力が集結して繋がりを感じられた。見てくれたみなさんありがとうございました。 |
個人特訓、人知れずコソコソと個人特訓。1人はつまらないけど、やったらやった分だけ先に進めて楽しか。 |
こちらもまた縁を感じる藤沼さんの誕生祭。並行してこちらも個人特訓。 |
そして、インザスープ、ジュテーム2020が終わり、すぐにリモート会議を重ねて来年に向けて動き出しております。みんな眠そうですが、白熱しておりますのでお楽しみに。 |
諭介がお答えいたします
ナカヤさんからの25年越しのお手紙、拝見しました。すっかり活字離れしてしまっている私だけど引き込まれていったし、続きを読んでみたいとすら思いました。
返信削除今はLINEやメールをもらうことはあっても手紙をもらう機会ってあまり無い時代だけど、手紙ってその人の温もりが伝わってくるし大切にとっておけばその頃の思い出と共にいつまでも残っているので何かいいですよね。
私も大切な人からもらった手紙は大事に保管してあってたまに読み返したりします。
ナカヤさん、今どこでどうされているのか気になるところだけど、どこかでお元気にされていてたまに諭介さんの事を思い返していてくれてたらいいですね。
この小説の続きはありますか?あるなら読んでみたいです。情景がありありと浮かんできてナカヤさんはこの後、何を感じ何を綴ったんだろうか気になります。
返信削除この小説を書く程、ナカヤさんにとって中尾さんの存在はインパクト大だったんでしょうね。
人の出会いって不思議ですよね、その時期の出会いの瞬間が時間を超えて届くことってあるんですね。
小説面白かったです。諭介さんの歌、パワー以外にも心を打つ何かがありますよね。
返信削除きっとそれは今も変わらないんでしょうね。
即興と聞いて、20年前くらいの諭介さんのラジオの即興で『空』というお題をもらって歌っていた歌が絵本になりそうな可愛い歌詞でワンフレーズだけ覚えています。また聴きたいな~とたまに思い出しますが、それがまた良いのでしょうかね。