2019年5月2日木曜日

Vol.230「荒野で遊ぶ」の巻

 雨、しとしと、雨、この雨抜けたらいよいよ本格的な初夏でしょか。「初夏でしょか」毎年この時期になると浮かんでしまい、でも自分的にどこにも発することを控えようとするダジャレシリーズ、他には紅葉を見ては前田という苗字が浮かび、頭で繰り返してしまうも発してはダメだとウズウズしてしまう、これを理性と呼ぶんでしょうか。何故発してはいけないのか、オヤジギャグだから。何故オヤジギャグは発しちゃいけないのか、感性が錆び付いてきてる現象、なんの新しみもないことを発するのは誰の得にもならないからではないでしょうか。しかし自分の場合、これ若い頃より頭の中で繰り返してきたもので、錆がいい具合に光っていてたまらない気持ちになります。今年は一度、ツイッターのほうでも理性のダムが決壊し発してしまいましたが、この場をお借りしまして再び発させていただく運びとなりました。そう、初夏、一年で一番好きな季節であります。この雨抜けたら太陽の光に水滴光って新緑が新しい空気を発してくれ、街の空気が一新するようで息しやすく、体の中にとりこんで、細胞が喜んで、ただただ目に新緑を映すだけで視力も上がるんでないかと思わせてくれダジャレも吹き飛び、希望が充満する時期、今年もなるべく多くこの時期に、新しい空気を吸えたらと思う「雨はよ上がらんか」なこの頃、いかがお過ごしか。

 そう、新しいといえば昨日元号が変わり、「平成」から「令和」になった。それどころではないと、自分的にはどこか関係のないことのように思っていたけれど、平成最後の日も雨で、何故か少しグッときた。30年。

「昭和」から「平成」になる時、自分は中3だったか、元号が変わるってことがよく分からないまま、「平成」という文字を初めて見て、高校って場所がどういう場所なのかも分からずに、「なんとなく行っといたほうがいいんだろうなぁ」と勉強し高校受験した時期だったように思う。

 自分にとっての中学時代は暗く重い時代だった。それなりに楽しくも過ごしていたんだろうけど、何をしても天井が曇りがかっていて重く垂れこめたイメージがある。勉強はできないし、女子にもモテない、モテないとか以前の問題で存在が半透明だったんじゃないだろうか、部活も補欠で喧嘩なんかも弱い以前の問題で、周りが身体的にも成長していく中、自分は成長が遅くて小さくて、卑屈な気分がいつもあった。今思えば幼虫だったんだなと、心の中に「自分はこんなもんじゃない」って気持ちがたくさん溜まった時期だったんだと思う。

 中学時代、部活帰りに自転車に乗って友達と帰ってると、向こうから自転車に乗った高校生達が来てすれ違う、すれ違ってちょっと離れたところで振り向いて高校生達に向かって「やんのかコラー!」と大声で叫び挑発する、遠くで振り返る高校生、自分らに向けての言葉だと認識してもらうためにもう一度「やんのかコラー!」やっと気づいた高校生が追っかけてきたとわかると一目散に逃げる、一生懸命逃げる、必死に逃げる。ケンカになればボッコボコになるので必死に逃げた、ただただ必死に逃げた。時々捕まった。カンカンに怒ってる高校生に首根っこを掴まれて「すいませんでした!」となんども必死に謝る、ひどい時は許してもらった後にも遠いとこから再度挑戦してまた捕まったりした。あれはなんだったんだろうかと思う。十分に情けなく恥ずかしい話だがもっと情けないことも、ここに書けないようなことも、思い出すとチクリと胸が痛むことも幾つかよぎる。卑屈の塊だった。

 そんな暗い時代から、新しい元号とともに高校に入学し、希望してた学校とは違う学校に回され、そこが自由な校風だったこと、本田誠人と漫才を始めたこと、また友達にフォークギターを教えてもらったことで曇りがかってた天井が少しずつ吹き抜けていった。吹き抜けたら吹き抜けたで空が広く、この先自分はどうなるのか、何をして生きていくのかと、自分を確かめたくもなり、ヒッチハイクをしたり、畑の真ん中や路上で歌うようになり、歌っているとバンドのメンバーにも出会え、そこからまた新たな旅が始まって今に至る。

 ざっくりだけど自分の「昭和」から「平成」の変わり目、そして「平成」はそんな感じだった。

 元号が変わるということがどういうことなのかよくわからないまま「平成」という文字を初めてみたけど、ちょうど高校入学時だったことも相まって、何か新しく生まれ変われそうな空気も吸っていたんだと思う。
 背が伸びるたびに柱に線を引いて、成長を確かめるみたいに、元号も日本のみんなで自分の道程をただ刻み込む柱のようなものにも思え、自分がその柱に刻んだ線を見ては日本人なんだなぁと感じたりもして。また、新緑を吸い込みたくなるように、元号が変わっても変わらず続いていく日常の中で、なるべく新しい空気を吸えたらと思う。まだ「平成」を語り尽くせはしないけど、「平成」最後のライブで最後に歌った歌が新曲でよかったと、なんとなく思う。と今月はその曲の歌詞を書いて、この辺で。

        
        今 目覚めよう 生きながらえてきた
        ぼやけた目玉を 光で洗い
        いつもいつでも この世で最初に
        吹く風を額に 受けとめながら
        
        最後まで諦めなかった アイツの魂を
        その先へと続く 終わりのない旅へ連れて行こう
        解き放つ心は どこまでも吹き抜けて
        果てしなく続いていく 荒野で遊ぶ

        今 目覚めよう 生きながらえてきた
        ほこりだらけの この身を叩き
        嗚呼 いつでも この世で最後に
        吹く風を背中に 感じながら
  
        最後まで諦めず生き抜いた アイツの生き様を
        その先へと続く 終わりのない旅へ連れて行こう
        解き放つ心は どこまでも吹き抜けて
        果てしなく続いていく 荒野で遊ぶ
      
        解き放つ心は どこまでも吹き抜けて
        果てしなく続いていく 荒野で遊ぶ


桜桜

この一年ありがとうございます。

今年も宣伝よろしくお願いしますと。

この時代自分でもっとできるだろうと。

6/10
南野さんの場所にて歌わせてもらいますと。

そして、そんな、平成はじまりたての頃の写真も散りばめられて、高校時代の相方、本田誠人と、8/25に地元宮崎は延岡市にて開催決定。

8月の延岡、暑いでしょうなぁ。改めて思うけど、高校時代漫才やっていて別々の道に行って、また一緒になんかできるって、おもろいです、楽しみであります。  

諭介がお答え致します

 

■「素敵なソウルメイトですね☆インスタで本田さんの記事をいつも読ませていただいてますが、本田さんが中尾くんを信頼しきっているのが、よくわかります♪
中尾くんのライブへ行った友人から、『樹』聞かせてもらいました♪舞台は見られませんでしたが、曲から想像できそうなくらいの世界観がありました。
また、ペテカン×In the soupの舞台が観たいです♪
また、花粉症の季節がやってくるので、
お気をつけ下さい☆」
(署名なし 2019/03/30 13:31)
→いいね、インザスープ とペテカンでもまたやってみたいわ、時々よくあのタイミングであんなことができたなぁと思うわ。攻めてたね、攻めんとやね、これからも。

■「まだ寒いうちから咲く梅は強さや誇らしさも感じられて大好きな花です。諭介さんがショーケンに感じた、規格より先に自分の心で「生きてる」って感じが梅にもあるような気もします。『令和』も梅の歌からですよね。『梅の花のように日本人が明日への希望を咲かせる国でありますように』どんどん変わる未来に不安や怖さもあるけれど、この令和の意味を崩さないように強くいたいです。バイザウェイ!(笑)私も年に数回、同級生と集まるといつも記憶のすり合わせになるのですが、男子も同じなんですね。諭介さん達が自転車こいで周るところは映画を見ているような感覚になりました。大人になっても自然と変わらないものもあるなら、昭和が少し遠くなっても消えていくものばかりではないと思えます。そして、諭介さんも私の中では唯一無二。いろんな大きさ形の面白い風穴を開けてくれましたよ。令和時代もその次もよろしくお願いします」
(A.T 2019/04/17 18:26)
→吹きぬけて行きたいわこっから先も。ずっと心の中には吹き抜ける気持ち、めんどくさいことやら、修行だなって思うことや、悲しいこと、年をいくごとに知らされる悲しいこと、包まれるたびに、なでられてるばかりでは窮屈だなと吹き抜ける気持ちが次へ連れて行ってくれてきた感じがするわ。荒野で遊びますよ、これからも。

■「諭介さんと幼馴染みの話を読んでいて、“幼馴染み”ってたとえ何十年会ってなくても会った瞬間に当時にタイムスリップしたみたいに話が弾むから楽だって母が話していたのを思いだしました。私には父が転勤族で色んな土地を転々としていたから“幼馴染み”と呼べる存在がいないので羨ましいです。

バイザウェイ!(笑) これが更新される頃はきっと時代が令和に変わってますね。思えば平成の大半、諭介さんやインザスープの音楽と一緒にいました。令和もずっと変わらず私の側には当たり前のようにある存在でありますように」
(夕陽 2019/04/27 23:31)
→んだ、吹きぬけてくよ、思えばどんな時代も音楽があって、吹きぬけてさせてもらってきて、その曲を聴くといつでもそこに戻って吹き抜けられるってすごいね。自分には元号もそうだけど時を刻むもんでもあるんだなぁと思うは音楽、自分の音楽もまた誰かの時をお刻んでたらおもしろいな。吹きぬけていきますからね、これからもよろしくです。