2021年3月31日水曜日

Vol.253「Say-You 〜星のイタズラ〜」の巻

 はいーどうもこんにちは!

中尾諭介です 二人合わせて 「Say-You」でーす!

そうね、どうして漫才をはじめたのかよく聞かれるね うん

モテたい!そう女の子にモテたい!

あぁそうやねモテなかったねぇ 全然ね 

えっ そんなことないわ カッコよくないわ いや全然モテんかったって

ほうほうどうして僕がカッコよく見えるか?

がはは!!!

っいや隣にあんたがいるからね、なるほどね、

いやぁウケるね、高校時代からやってるネタだけど今だにうけるね

あぁ、そう?

ほしい?

彼女、いやでも彼女もいたらいたでめんどくさいよ

なんでって、喧嘩するやん、男と女って

まぁた偉そうに、仲裁人? 簡単に言うけどあんたできるとけ? 仲裁人が

ほお、じゃぁ今からそこに彼女がおるとして僕が喧嘩するからあんた止めてん

じゃあ彼女の名前が、ゆうこってしようか

そうそう、ゆうこと僕の喧嘩をとめてみてん

「おせぇじゃねぇか」

いやお前が言うな! お前は仲裁人じゃろ

って、もういっか、続きはYouTubeでみてもらおうか


うん、ウケたね、1,300人の前で、気持ちよかったね、やれてよかったね

最近どうよ忙しそうやね

ほういろんな人んとこ行ってね、へ~、一瞬で行けるとけ

いや、のぞいたらいかんやろっ

まぁでもやるか

でも嬉しいやろ、こんなにたくさんの人たちがね、あんたすごいね。

演劇界からは佐藤二朗さんやらラサールさんやらがSNSであげてYahoo!ニュースにもなって大勢の人たちがびっくりしてあんたを想って。「ペテカン」はいるし、宮崎では「あんてな」もあって、そんで家族がいて、あんたを慕う後輩たちがたくさんいることも知ったわ。なんとなくタメ張ってやれてる気がしてたけど全然やわ、やっぱりかなわんね。


高校時代からそう思ってて、自分は自分の道をみつけて、横目でみながらずっときて

ずっとあんたがいたのよ 漫才コンビではなくなったけどずっと、なんやろね、別々の畑なのに

そりゃそうか、高校時代にあんなに練習して、たくさんの舞台に立って、笑い声を一緒に浴びて、調子にも乗って、全部あんたが僕に仕込んで稽古つけてよ、不思議なんだけど、なんで誰に習ったわけでもないのにあんなにハッキリと演出できた? 高校時代に。親父さんの影響? 僕は言われるまんまやったもんね。

部活より厳しかったもんなぁ。「そのツッコミは違う」とかツッコミにツッコミ入れて、僕のやる気がなくなるとスーパーカップの1.5倍とポカリスエットくれて、アメとムチでうまく稽古してくれて、しかも同級生に、演劇部でもない、誰に習ったわけでもないのに、根っからの演出家なんだろうね。根っからの演劇人なんだわ。

あん時の感じ、あれがなかったら今の僕はないね、インザスープもなかったよ。大学行けたのも、一芸一能で漫才で優勝したからで、そこで出会ったメンバーだからね。もっと何か違うことをやらかせるんじゃないかって思ったのも、あの時があったからよね。

高一のはじめの「弁当の時間がつまらんね」からはじまった漫才が今につながってんだもんな。あれから勘違いの旅がはじまったんだわ。なんかできる気がするって。

でも、その最初の漫才の時に、いざ演るって言う時になって誠人、一回躊躇したんだわ、こっちは体に入れてきた練習してきたことを出したくてウズウズしてたから、「いや、やろうや」って僕が言ったんだわ、うん、そうよ。

意外とそういう場面では僕のほうがつっこんでいったね、ものを知らんからやろね。だからね、やっぱりうちらはデコとボコで奇跡的にぴったりだったんじゃないかね、今だから自分で言うけど。星のイタズラで出会ったような気もするわ、かっこよすぎるってや、でもそんな気がする。高校だって僕は違う学校に行くはずが飛ばされて家から遠い西校にいって、おんなじクラスになって、中学から知ってたけどあんまり話したことなかった誠人がいて、他に知ってる人がいないからちょっとずつ話すようになって、家に遊びに行って、家がまた宝箱みたいでいろんな音楽やら本があって、そこでも影響を受けて、漫才するようになってコンビ名を考えて誠と諭で「Say-You」って、卒業してから知ったけど西校の同窓会の名前も「星遊会」で、その星遊会がプレゼンツしてくれて2年前に文化センターで「ワロタモンガチ」もできたもんね。星のイタズラやわ、かっこよすぎるけどね、二人の関係性をうまく言えんもんね、元相方っていっても、高校の時に遊びの延長でやってただけやし、同じ劇団員でもバンドメンバーでもないし、それでもいつか一緒になんかやるだろうなって思ってて、実際に、お互いに出会った仲間、ペテカンとインザスープでやったり2人でやったり。僕はよ、そんな関係性がずっと自慢やったよ、自慢やったし自信にもなってた。誠人みて自分の位置も確かめたりもしてたし、足りないもんも気づかされたり、もっと2人で面白いことができるように自分がもっと進化せにゃとも思った。あんたがそういうやりかたなら僕はこうやるとも思ってきたし、単純に嫉妬したり自慢したかったり、星と星がぶつかってすごい光が放てるように、より自分でいようとも思えて、一緒に舞台に立つとそのまんまで無敵な気持ちになれたわ。

進化と言えば、1月19日。「落ち着いて話せる時に電話ちょうだい」とメールが来て、午後5時前に青山の246沿いから電話して、たわいもない話をして、そん時に僕は「最近は配信やらデジタルの世界に飛び込むべく機材を集めて勉強してるわ」と言ったら「進化やね、進化していかんとね」ってちょっと言い聞かせるように言いよったね。「うん、進化していかんとね」って言って話した後、「電話で話したかったのは、、医者に行ったんだけど、その、まぁ、余命ってやつ?」って言ってそこで電波が途切れて電話が切れて、掛け直して「余命ってやつをね、告げられてね、」と言って僕が何も言えず黙ってると「まぁ、ゆうすけはこの電話を切ったあと落ち込むだろうけど、」って言って間ができた瞬間、青山の街に5時のチャイムが鳴って、それが「カラスなぜ鳴くの」のオルゴールみたいなやつで、電話越しに響く「カラスなぜ鳴くの」を聞いて誠人、「うわー! ここで流れるか! やっぱもってるなぁー俺!」って喜んでて、そん時も言ったけど、なんでこんなことで、こんな時にそんなに喜べんだって、そんなことも劇的に感じる根っからの劇人なんだと思ったよ。それが高校時代から変わらん。

ここ数年で一緒にライヴすることが何度かあったけど、その度に「変わらんなぁ」って思ってた。この「変わらんなぁ」って、成長してないって意味じゃなくて、嬉しくなる感じのやつね、インザスープのワンマン、ジュテームの配信の時、家族で観てくれて娘の茜ちゃんが「ゆうすけかわらんねー」的なことを言ったってツイッターに書いてて、ほんだらあんた、「それって成長してないってことか?」と笑っていたけど、まぁそう言うとこもあるけど、そういうことでなくて、時間も流れて時代を超えても変わらんてのは時間が流れてるんだから転がり続けてないと思えないことやないやろか、あぁ、わかってるってか、そうやね、ロックやなくてロックンロールや。

誠人と一緒にライブして「変わらんなぁ」って思えることが嬉しかったのよね、なんでか。たたかってきたんだわ、あの頃の感覚を守りながら成長してきたんだわ、お互いに、漫才やりながら感じてたんだわきっと。成長せずに高校時代のまんまで漫才しても、絶対面白くなかったやろ? 2年前のワロタモンガチのオープニングの漫才を作った稽古の時間、面白かったね。腹抱えて笑って、作っていって、どんどん出来ていって、すごくいい空気が流れてて気持ちよかった、おもしろかったよね。あの部屋の空気、やさしい光が差し込んでて、神がかってて、自由で気持ちいい風が入って来て、幸せな時間やったよ。誠人、なんか出してたか、なんかそういうオーラっていうか、空気みたいなやつ。あぁ、やっぱりねって、屁かいっぷぅ~ってっ。

それにしても「電話切ったあと落ち込むだろうけど、」ってその後に何を言おうとした? そんな時にも心配してくれてからに、ガンになった時も、その途中も、伝えてくれてありがとう。逆に心配もしてくれて、ライブの時も、「こう言う時は」って舞台に上がる何かしらを教えてくれて、こちらもそれなりに経験をしてきて、自分として誠人とやりあえてるつもりだったから、まだ教えられるかともおもったけどね。ちょっと長くなったね、どうしようか? うちらはコンビだったからあんたがおらんと何もできんし、漫才を僕がすることももうないやろ。卒業してからも、音楽の道に行っても、ずっとまたいつか一緒に漫才演るだろうって思って来て、実際に演って。でもこんなもんじゃない、もっと面白くできるとも思い続けられて、まだ今もどっか、誠人といつかやるんだって体が演りたがってて、頭がもうできないんだって教えてきての繰り返しやわ。誠人、どうしようか。とか言って、ともあれ、これから先も頼むわね、みててよ。僕の中にあんたは根付いているから、僕が進化していけばあんたも進化したことになるやろ、そんな風に思うしかないわ。どうしたっているんだから、一緒に進化していこや。ほんで、もっと自慢できるようになるわね、2人でやったこと、誠人のこと、僕にとってあんたの存在がでかすぎるわ、いくしかないね、進化してくよ。

あぁ、ほんとにね、長くなったね

えっ、こんなの漫才じゃないって? こんなつまらんこと言わんってや

そりゃあんたがおらんと面白くならんわ

いや喜びすぎやろっ

全然話したらんけどね、これから先、またいつかでいっか。そうそう、さっき載せたYouTubeの漫才の最後、あんたアドリブで2人で誕生させたキャラ、「僕がですか?!」をかましてきて、僕がついていけてないのを察して、本当は「いいかげんにしなさい!」って僕が締めなくちゃいけないのに、あんたが言って締めたやろ。お察しの通りアドリブについていけてなかったわ、締めてくれて助かったー、今日は僕が締めるわ

「修学旅行!」って、今からネタやらんから

体が動いてしまったやん

締めるって言ってんだから

もういいわ!

いい加減にしなさい!!

Say-Youでした!!!


今月はこの辺で。


延岡市北川町にてLIVE。手作りでステージを作ってもらい

幼なじみがアイディアを出して、切って貼ってしてくれてオリジナルのステージを作ってくれた

その、北川の妖精

みみずが元気で嬉しい、カンタロウミミズ

自主隔離生活

誠人の家の屋上。ここでお互いの親とかに漫才観てもらったりしたことあったな

誠人の帽子囲んで、焼酎渡して、同級生と。誠人が望んでた、「あん人、こんげやったがね」をやったわ。誠人とこのメンバーと集まれてよかった。



はじめて組んだバンド、のけもの


神社の手伝いもして

思い出のジョイフルよ

夕刊デイリーには昔からお世話になってるね。ギャグ100個もっていうか一個もなかったけどね。

九州大会の宮崎予選にて。

別々の道選んだけど、隣にいた。



諭介がお答え致します

■「私も11年前、大切な友達と会えなくなりました。大切な友達がいないのに変わらずに過ぎていく日常が悲しかったり救われたりしてきました。
5年間の闘病中、変わらずに一緒に映画見たり沖縄に旅行に行ったり鎌倉に遊びに行ったり、このまま完治するんじゃないかなって思って喜んだり。
最後に交わした言葉は病室での「またね」でした。病院からの帰り、これが会える最後かもしれない気がして我慢しても涙がとまりませんでした。
会えなくなって何年間かは一緒に行った場所には寂しくて行けなかった。

寂しさは変わらないけど、なんかの拍子に友達の顔が浮かび「〇〇さんなら大丈夫だよ」って前と変わらずに言ってくれてる気がしたり。

お見舞いに行った時に言ってくれた言葉は覚えてるよ、ありがとうね。またね。(コメントなのに最後友達へのメッセージになってしまいました、今月命日なので大目にみてください)」
(柿の種 2021/03/03 16:04)
→うん、大目にみますよ、がははっ。誠人が扉開く数日前にLINEで「もう一度諭介と演りたいわ」ときてそん時、ライブ行く電車の中で、もう一度ってどういうことだ、当たり前だろ、演ろうやと思って、一緒に演りたいことを書いたんだけど、もう一度ってのが何度も響いてしまって僕も止まらんかった。前向きに最後まで信じてたんだけどね。何かを感じたんだろね。柿の種さんのメッセージ届いてますよ、届いてるね。

■「諭介くん こんにちは。去年の紅白歌合戦のライヴ拝見しました!楽しい時間をありがとうございました!!
そのことは、あなたのツイッターを見て知りました。冒頭に見えた言葉に手が震えました。なぜだろう、自分はとてもショックで、今も信じられません。

悲しみの受け止め方、その重みは、人それぞれなので、どのような言葉を投げかけたらあなたを癒すきっかけとなるか分かりません。が、その事実と向き合って、葛藤して、味わって、寄り添って、思い出話を笑い合えるまでになれますよう、悲しみに光りが差し込み青空が見えますよう祈っています。

事実から逃避しても...悲しみの中に埋没しても...今は、立ち止まってみるのも一つの方法かもしれません。無理はしないで。今は、心が少しでも安らかになれる環境に身を置いて頂けたらと思います。
どうしたら悲しみは癒えるのかしら。自分自身と向かい合うことが、一番必要なのかなあと思います。

私事ですが、母が他界して7年が経ちました。時の流れにいつの間にか癒されるものです。当初、悲しみは恐怖となりました。一人で闘いました。人には言えない性分も手伝って...しかし我慢することは、苦しみを長引かせていた事のように思います。今、分かります。
笑い合える仲間と楽しい時間を過ごすこと、寄り添える誰かに甘えてしまうことをお薦めします」
(たかの 2021/03/05 11:01)
→たかのさん、ありがとう。ほんとだね、誰かと共有するって大事やね、なんどもありがたくおもったよ「あん奴こんげやったがね」誠人がそうやってみんなで話して欲しいって、それもあってSNSにも公表するんだと言ってた。こないだの帰郷で同級生で集まって、誠人のグラスと帽子囲んで、それができた。笑ったり、あん人あんげやったがねーと話したり、色々あったことを話したり、関係ない話したり、みんな胸に想いもちながらそれぞれの誠人を共有しあったわ。そうやって少しずつ癒されていくのかね、共有できてよかったわ。たかのさんも、ここでもこうして共有してくれてありがとう。

■「ドイツに来たらドイツ人ばっかりでねぇ

ヤバい、ツボに入ったわ!
涙出るほど笑ってしまった」
(Unknown 2021/03/06 6:34)
→当たり前やんとなってしまったね。これ本当はNGテイクもまたおもしろいんだけどね。
自分は面白いけど、他の人がみてどうなんだろかと、もういいよってくらいやり直してるからね、
何やってんだこの人たち、ってあきれられる可能性もあるけど、見てもらいたかったり、迷うとこであります。

■「悲しみの中、配信ライブで歌を聴かせてくれてありがとうございました。
諭介さんの歌にいつもパワーをいただいてばかりいる私は、どんな時も歌っていてくれる諭介さんとそれを聴けることに胸がいっぱいになりました。
キースリチャーズですがCDをアマゾンで見つけたので買ってみようと思ったのですが、レビューを見たら熱い思いを語っている方がたくさんいらっしゃって。ちょっと聴いてみたいなと思っただけの私が買っていいのか?とふと思い買えずじまいです。インスタに諭介さんが投稿してくれる前に検索してyoutubeで聴いてみたのですが全然心に響かず、でも諭介さんのインスタでのレコードのを聴いてみるとなんだか良くて。って訳分からなくなってきましたが(笑)やっぱりCDを購入することにします。
では、youtubeで諭介さんの長渕さんが観れる日を楽しみにしてますね!笑い玉ください」
(hitomi 2021/03/12 0:53)
→がはは、キースリチャーズに対しての迷い、正直な意見、おもしろいっ。自分でもいままで何度も聞いて来たけど、ここまで響くとは思わなかったもんね。これそれぞれにタイミングがあるんだろうね。
あと、ぼくの長渕さんではなく、あれは、中渕さんという人ですからね、ナカフチさんという人ですからね。
出入り禁止になって干されてるみたいなので活躍の場所をできたらあげてくださいね。今後とも中尾と中渕さんをよろしくお願いします。

■「まだ名前も書きたくないっていうところに想いを強く感じました。でもそこに、彼のことをずっと話していたいという気持ちもあるような気がしてしまいます。そういえば、諭介さんのコラムを読んだあとに、悲劇と喜劇は紙一重という言葉を聞いて、本田さんの書くお芝居の中にも笑ったり泣いたり、そんな感じだったなぁなんて思いました。おかしくて笑ってしまうような場面でこそ泣きそうになったりしたことがありました。毎日起こる出来事の中にも、そんなことだらけなのかもしれないですね。そして、今は特に、悲しみをめくった先の笑いを探しているような気がするので、3人で紅白歌合戦のダイジェストはとっても楽しみです。去年のことなのに昨日のように思い出せたり、ずいぶん前のことのように感じたり不思議な感じです。あとあの生中継の場面は実際にあったシーンの再現だったとは知りませんでした!諭介さんのオリジナルかと思っていました(笑)」
(A.T 2021/03/17 16:02)
→がはっ、まぁ再現というか、中渕さんの挑戦ですね。本当にコロナでこんな風になるギリギリ前だったね、会場用の消毒液を買いに行ったらもう売り切れが始まってたね。コロナ前とコロナ後、なんて言い方をこれからするんだろね、たしかに不思議な感じよね、一年前のことが随分前に感じたりするわ、時代が変わった感じやわ。

■「面白いって気持ちはずーっとあってもいいけど悲しい気持ちは溜めたくないのになかなか消えてくれないものですよね。
本当の悲しみや寂しさは本人にしか分からないものだと思います。私の中にあるそういうものも何年、何十年経っても完全に消え去るものではないけど、思い出すと心がじんわりと温かくなる思い出もたくさんあるからその想いと一緒に歩いていけてます。
諭介さんの悲しい気持ちもいつか温かい想いに変わっていくといいですね。そんな日が早くきますように」
(夕陽 2021/03/20 16:09)
→客観的に、人の心ってこうなるんだなぁと思ったりもしてて、温かい想いになるイメージっていいね。うん、そうなったらいいわ。夕陽さんありがとう。


2021年3月2日火曜日

Vol.252「笑い玉と悲しい気持ちと」の巻

  節分も過ぎ、さぁこっから寒さ本番ですよと3月です。いかがおすごしか。

 去年の2月22日は大久保海太氏、龍之介氏と紅白歌合戦ライブを開催した。

 3人で赤組白組に分かれて歌いお客さんに赤と白のどちらがよかったかを判断してもらい勝敗を決めるといった、この3人だからできるようなイベントだった。自分は紅白歌合戦といえば中学の頃にみた長渕剛のベルリンからの生中継に衝撃を受けて、それが残っていたのでそれをやりたいと、生放送は無理だからあらかじめベルリンにいる体で撮影をしてそれを本番で流したいと提案し、司会の野村太郎くんを含めて4人で中継部分の撮影をした。カラオケボックスの広い部屋をとり、龍之介氏カメラマン、大久保氏カラオケ流す係、太郎くん司会で自分が長渕剛ならぬ中淵剛(なかふちつよし)ということで撮影をした。


 ご存知ない方のために説明しますと紅白歌合戦第41回、時代はベルリンの壁崩壊の頃、長渕剛はドイツはベルリンの教会からの中継だった。長渕剛熱盛んだった頃の自分はテレビの前でその時を待った。すると中継が繋がり、NHKホールの大画面に長渕剛が映し出されて会場にいるアナウンサーと話し出す。話し出したと思ったら、なにやら怒っている。ベルリンから日本にむけて「日本からこちらに来ましたら、現場仕切ってるのみんなドイツ人でしてね、共に戦ってくれる日本人なんて1人もいませんよ、恥ずかしい話ですが今の日本人タコばっかですわ」と言い放った。中学生の自分にもこりゃただごとでないぞと印象に残ったわけです。ちなみにその後長渕剛は紅白といえば一人一曲のところ、3曲を立て続けに歌いトリのサブちゃんの時間がなくなり、長渕剛はNHKを出入り禁止になったとその後本人が語っている。興味のある方はYouTubeで「長渕 ベルリン」とかで検索してみてください。


 と、まぁそのようなことがやりたく、みんなにつきあってもらったのだけど、1テイク目から笑ってしまい、それが龍之介くんにうつって、彼がカメラをとりながら笑いをこらえてるのでこちらもまた吹き出して、どうにもならなくなり、なんどやっても笑いがおさえきれず、今自分のアイパッドに記録されてるNGテイクだけでも27回はやっている。これ、本家のセリフがうろ覚えのまんま雰囲気だけでもということでやっているので、自分なりのセリフが「ドイツに来たらドイツ人ばっかりでねぇ、一緒に戦ってくれる日本人なんて一人もいませんよ」となっていて、ドイツにきたらドイツ人ばっかりって当たり前の話ではないかというところでハマってしまい笑えて仕方なかった。龍之介カメラマンも笑って進まないので大久保監督と交代して仕切ってくれた。やはりこういう時の大久保海太は頼りになり、要点を押さえて仕切ってくれる。だがしかし、キチンと進めようとすればするほど押し込められた笑い玉が爆発してきて吹き出してしまいどうにもならなかった。


 それでもなんとか撮り終えて編集をしてもらい本番では録画したその映像に合わせて司会の太郎くんが合いの手を入れて会話してるように成り立たせてもらった。この日のライブがダイジェストとして近々ユーチュブにアップされる予定なのでぜひ観てみてくださいね。

 それでここ数日もその映像を観て、ついでにNGテイクも電車の中でみてしまい、ヘッドフォンをしながら笑いをこらえていたが、ついには吹き出してしまい、こんなご時世なのでジロジロ見られ大変周りに申し訳なかったと電車を降りた。胸に溜まる笑い玉を抱いて、笑えることに他3人に感謝した。

 ライブでも藤沼さんとKと一緒にできてよかった、そこに集まってくれた人たちにも会えてよかった。

 段階にもよるけど、面白いって気持ちと悲しいって気持ちが共存してるんだなぁと思った。どちらも心にずーっとあって乾くまで出し切ってしまわないとずーっと溜まってく。笑っても笑っても悲しく濡れてる。濡れても濡れてもいつの間にか笑っている。そんなことがここ一ヶ月なんどもあった。その度に人の縁、温もりも改めて感じる。心と体と頭、頭ではやるべき事をやるために前向きにとか考えて行こうとするのだが、心は頭が考えてることとは別にずーっとジグジグしていていつのまにか溜まっていく、笑い玉と同じで悲しい気持ちも押し込めて前に行こうとすると余計に溜まる。体は腹がよじれるほど、逃げ場ががなくなるほど笑うとヘトヘトになる。同じく悲しいってのもまた体が疲れる。悲しいってのともずっと付き合っていくのだろうけど、まだ溜めては出してをくり返すんだと思う。

 書いてしまえば、自分の中でなにか落ちるものがあるのかもしれないけど、心は受け入れつつ、まだ受け入れきれず、自分ではまだ名前も書きたくない片割れのこと、いつか書いて前に進めたらと思いながら今月はこの辺で。


キースリチャーズのこのアルバム。この1ヶ月とてもいい。ラスト曲のDEMONがまた。言ってることわからんが、音にわびさび感じ優しくて。キースリチャーズのソロはべースがグンときてかっちょいい。

最近はすぐに検査できるとこ街中にあるね。陰性でした。

銀座は隙間が魅力的

コロナ対策としてマイマイク購入。ザスタンダードな58

これ持ち歩き気になったらシュッシュカサカサカサ。一体これでどれだけの菌を撃退、予防してきたのだろうか。菌が見えたらいいのに。

写真、なんでも狙って撮れるワケでないけど、たまたま撮れたものが心情と重なっていたりして。謎、マジックがあるのが音楽とも似て面白い。

旅は続くよどこまでも、だ。


諭介がお答えいたします

■「今日は暖かいですね。東京は初夏の陽気とニュースにあって、少し早めに諭介さんの“初夏でしょーか”を思い出しました。そして、久しぶりに耳にした「わら半紙」。諭介さんってやっぱり……面白いんですね。「Fuckin’貧乏」も指で広げながら目をチカチカさせながら読みました。デジタルわら半紙ですね。デジタルとわら半紙を組み合わせてみました。どうですか?どんなときも笑えることを見つけたい。コメントの返信に、本田さんのこと、諭介さんはもう知っていたのかなと思い返しました。あいつには勝てないなぁと言っていた諭介さんの言葉を思い出します。残念ながら勝てないままですね。本田さんずるいですね。でもそれもにやりと笑ってそうな気がしちゃって私も全く勝てる気がしません。昨夜のライブ、配信で見ていましたが、とってもよかったです。今は辛いことが多いけれど、いつでも歌ってくれている諭介さんに私もスマイルソルジャーでいようと思わせてもらっています」
(A.T 2021/02/22 11:51)
→スマイルソルジャー1号と名付けさせてもらいますね、戦おうスマイルソルジャ−! 配信観てくれてありがとう! 配信はこうやって時間差でも何かしら反応してもらえると実感できて励みになりますっありがとう。誠人には敵わんね。一緒に進化していくよ。

■「わら半紙も諭介さんの手書きもすごくいいですね。なんかすごく新鮮で。そのくらいそうゆう物に触れる機会が少ないんだなって改めて思います。デジタルもアナログもそこを越えた思いを感じたり受けとったり繋がれたらいいな~って思います」
(hitomi 2021/02/23 20:34)
→デジタルハマるとアナログが輝きだすわ、レコードの音が全然やっぱり違ってて、優しいし生感あるし、特にドラムなんかがスパーンって迫力あって、デジタルで同じ曲聴くとパシャーンと割れた感じになってるくらい違ってて、こりゃ贅沢やなぁとおもてインスタに載せてみてるんだけど、インスタの10回聴いてみてデジタルで同じ曲聴いてみて。違いがわかるだけで面白かったよ。楽器演奏者やキースの想いみたいなもんがビシビシくるわ。でも、わらばん紙もレコードもデジタル通して届けてるのにアナログ感がなんぼか伝わるのが面白いね。