2015年10月29日木曜日

Vol.188「そして(それでも)また(まだ)ペダルをこいでいく」の巻

木枯らし吹いて、いよいよ本格的に秋、冬がやってきますよとカラカラ乾いた風が皮膚を通り越して骨身に知らせにやってきた日、街はカボチャのオレンジが賑やかに彩ってる。すでに渋谷の街は仮装した人達が溢れて、街宣車が浮かれた街をさらに騒がしくしてた。なんだかちょっとざわついた日でありました。

しかしハロウィーン、すんごいですな。いつからこんなに賑やかになったのかしら。渋谷のスクランブル交差点あたりの浮かれっぷりにはどこか心細くなるというか、「いいのかねぇ」と疑問に感じるも、「いやいや楽しそうなんだからいいじゃないですか」と自分の中で中尾じいさんが二人、お茶をのみながら縁側で会話をしているのが聞こえてくる。「しかしあれだねぇ、あんなのを見ながら悪態をついてばかりもつまらない、もしかすると自分もやってみたいとおもってるんじゃないかとおもいましてね、やってみたい自分てのもいやしませんかねぇ」「いやいやないないありゃないですなぁ」「いやワシなんかはやるんだったらこんな感じってのがないわけじゃなくてね」「ほう、なんですかな、お聞かせ願いたいもんですなぁ」「みのむしじゃね」「ん」「みのむし」「ほほう」「もう、お店なんかで買わないで寝袋に落ちてる枝をくっつけてね、電柱かどっかヒモでぶら下げてずーっとぶらさがっとくのとかやってみたいですなぁ」「ほほう、いいですなぁ、ずっとですな」「えぇずっと」「そう言われるとやってみたくなるもんですなぁ、思い切ってやってみますか」「いや、やりませんけどね、やるんだったらの話ですな」「ですな」なんてことをおもいながら心で茶を飲み、街を自転車で通りぬけてく木枯らし日、ハッピーハロウィーン、いかがおすごしか。

今月はインザスープ15周年記念全国15箇所漫遊記ファイナルinシェルター、無事全行程をその日に終えました。15箇所を自分らで決め、連絡をさせてもらい、全国でたくさんの方々のお世話になって歌わさせていただきました。全国それぞれでの風景、会場、僕たちのために会場を設営してくれたり、取り仕切ってくれたり、その会場に足を運んでくれたみんなの顔やら、そんな 今年の夏の思い出がガラリと変わった季節の中にいて浮き彫りになってきている今日この頃です。音を鳴らすことだけじゃなく、その他の業務的なことや、人との関わりが全部、僕たちの力になったようにおもいます。そんな旅の実感が音や歌になったファイナル「インザスープは今までで今が一番いい」とふと思えて口にしたけれど、きっとそれは音楽をやり続けていたら当たり前のことなんだとおもう、そんな当たり前のことをふと実感できたことが嬉しかった。

自転車をこぐ、目的地と時間がある。やりたいことも不安もある。気がつくと不安や焦りばかりに支配されて自転車を漕いでる時がある。そんな時、周りが見えてなかったり、近くのものが見えなくなってペダルを踏み外したりする。いかんなぁとおもう。右と左の足でペダルを漕ぐ。自分で決めて自分で向かう。目的地と時間がある。途中にいる。ペダルを漕ぐ、前に進む。景色が流れる。匂いを受け入れる。体に吸い込む。実感をする。行きたい場所がある。そこへ向かっている。初めて補助輪なしで乗れたことをおもいだす。何様だったんだと気づかされるときがある。実感をする。心が弱ると人のことをああだこうだと言いたがる。自分と戦わない恥を知る。向かえる場所があること、そこへ向かえること、今あることをありがたく感じる。全部飲み込んで、風通しよく自分は自分の道を行く、きっとまた風通しのいい人に会える。感謝が力になる。ペダルを漕ぐ。会いたい人になる。ペダルを漕ぐ。そんな実感が溢れて歌や音になる。そんなことを繰り返していく。

先日、海を見に行った。久しぶりに遥かな夕焼けを見た。太陽はゆっくり沈んでく。これでもかって燃えていてでかかった。海面に太陽から真っ直ぐに光の道がのびてた。一番濃く燃える太陽のオレンジから空や海にひろがって遥かなグラデーションをみせてくれた。
防波堤にその景色を見にたくさんの人が来てた。知らない人達同士が「キレイですね」って言い合えるような景色。自分でも気づかなかった垣根やもつれがほどけていくような景色。
釣り人達はイワシが大漁だった。老夫婦が並んで歩きニコニコしていてかわいかった。
こんな景色があってくれるんだなぁとおもった。ただただ自分が燃える太陽。何か元々を思い出させてくれるようなあの景色の中で、誰だっていがみ合ったり囲いを作ったりすることはバカバカしくなるんじゃないかと思った。その日その後、人と話すのもライブで音を鳴らすのも歌うのも、ずっとその景色が胸に焼き付いてた。あの景色のままを写真に写せたらTシャツにプリントしていつも着ていたい遥かな景色だった。気持ちがよくてなにかご褒美をもらったような景色。ありがたかったです。と書いて今、あの気持ちを思い出して書いていた今、その後の出来事を思い出してテンションが下がってしまったのですが、いいことがあると嫌なこともあるもので、、うまくできているなぁとおもいます、、、きっとその遥かな開放感からだとおもうのですが、、、、ここだけの話にしてもらいたいし書かなくてもいいことだとは思いますが、、、、、戒めのためにも、、、、、一か八かでオチになるかもしれませんし、引かれるかもしれませんが、、、、、、アタクシ、、、、その日就寝後、夢の中まで開放感に満たされたのか、、、、満たされていたものがダム決壊、40超えての寝小便小僧と相成りまして!翌日布団を洗濯をしました!クリーニング屋さんに行きました!シーツを買いました!どうもすいませんでした!もう寝ます!おやすみなさい!引き締めて寝ます!みんなも気をつけて!おやすみなさい。ハバナイスオータム&ドリーム。

クレ-ン 秋の空に立つ

過去のジュテーム曲順

15ヵ所漫遊記ジュテーム 無事終わりました。
力をかしてくれた皆様、そして足を運んでくれた皆様、ありがとうございました。

打ち上げにて 地元友達達からもらったオリジナル焼酎。

んで、大ちゃんと久々に朝まで のみ介。

高倉健さんが読んでいたという山本周五郎先生。
先生と言いたくなります 。男と女。理不尽。世の中。男と男。おもろかったです。



そして18日は同時期デビュ-のアフターミ- オ-タムスト-ン 大久保海太とのライブ。
セッションに選んだ曲はコレ。オ-タムストーンの菅原くんが書いてくれました。きれいっすね。


大久保さんと草場さん。

いつもニコニコ アフターミ-、長田先輩とツッチ-先輩。
デビュ-前からシェルターでタイバンしたり、その後同じ事務所の先輩後輩の関係になったりと
ほんとに長い付き合いになりました。
アフターミ-先輩。

歌を歌っていて 人と繋がる 囲いも 憎しみもなく 遥かな気持ちで 人と繋がれたらとおもう。
太陽ってやっぱりすごいです。

そしてシ-ツ。

ハロイン オレンジだらけ

秋に咲く朝顔。

♦独占企画 諭介がお答え致します
■「2ヶ月前のことをいろいろ思い出しました。
ホント、笑い声と笑顔で溢れてましたね。
野次もいっぱい飛んでましたね(笑)

In the Soupのライブを、小林さんは表情変えずに
じっと見つめていました。
見つめるその目がとっても優しい目だったのが
とても印象的でした。
ただ、青空を歌い始める直前に外に出て行かれ、ヘブンを歌い終わる頃に戻って来られた姿が今もまぶたに焼き付いています。

漫遊記があったからこそ
一緒にライブが出来て、
きっと、小林さんが誰よりも諭介さんたちとの再会を喜ばれていたと思います。

小林さんのご冥福を心よりお祈りいたします」
(by.ゆな 2015年10月3日 0:03)
 

→何年かずっと会ってなくて、漫遊記で会えて、しかも同じステージに立てて本当によかった。あんな生き様見せられたら、弱音なんて吐いてられんわね。
最後にメンバーさんやらペニ-レ-ン、仙台を繋げてくれたからまた行かんとや。


■「今晩は。先日の延岡漫遊記。急遽休みを代わってもらえて、参加することができました。 地元で中尾さんの唄声を聴けたのは、2年前の「最高な夜」以来でしたが、本当に行ってよかったです。ありがとうございました。 お客さんたちの盛り上がりも熱かったですが、その盛り上がりを受けてアッツイ演奏を聴かせてくれたメンバーの、嬉しそうな楽しそうな様子に胸がいっぱいになりました。 仕事のことや日常で、へこむことが多い日々だったのですが、わたしも頑張らないと!、と背中を押してもらえた気がします。 今を生きるIn The Soupの演奏を、中尾さんの歌を、また地元で聴かせてくださいね!。 楽しみに待ってます(ひっつき虫ですね。「や~、バカがひっついちょる~」、と子供の頃よく言ってました笑。犬とか猫がくっつけてくると、なかなか厄介です) 」
(by.maaa 2015年10月3日 0:16)
→不具合により、返信おくれてごめんなすって!延岡のライブ、一曲目からすんごい景色でした。おかげで緊張もほぐれたような。いまもあの日のライブのことや、準備、あと片付け、終わったあと会場をモップがけしてくれてるみんなの姿が目に浮かんできます。延岡でメンバー全員でライブできてよかったです。聞きにきてくれてありがとう。仕事をかわってくれた人にも感謝!。そうそう、バカがついてると、最初に「や~」って言う言う! あの言い方なつかし!いやらしあの言い方、たまらんね。バカにされないための修業だったんだろね。成果ないけど。子供社会も大変だったんだなぁ。思い出させてくれて、こちらもありがと。


■「仙台で小林さんと一緒にライブできて、本当に良かったですね! 抗がん剤でまん丸の頭さらけ出す気持ち、わかる。でも小林さんと気持ちは一緒ではないかもしれない。その場の雰囲気は和やかだったかな。私は自分でやってみてわかったのは、どんなに仲の良い友達でも、家族以外にはその行為が、ショックを与えてしまうということ。でも自分は見せたかったな。 きっと小林さんはみんなを見守っていますよ、今までのように。今まで以上に。 諭介さんもお体お大事にしてください。ロックミュージシャンでも、検診は受けてくださいね!」 (by.みぃ 2015年10月3日 7:36)
コメントおくれましてごめん!英樹さん、こちらがショック受けるのわかってたとおもうわ。ショックの向こう側まで貫いてたっていうか。こちらが受け入れるまでそのまんまで、気付いたらそれが当たり前になってて。昔と変わらず、くっだらないことで笑いあってたわ。んだね、健康診断いかんとね。ありがとね。


■「15周年記念全国15ヶ所漫遊記全ヶ所無事終了しましたね!お疲れさまでした!参加できて、祝えて、とっても楽しかったです。ライブついでに(笑)各地の美味しいもの食べたり、行った場所で会いたかった人に会えたり、15周年記念は個人的にも記念になったような気がしています。仙台のライブにも行けてよかったです。諭介さんの文章を読んで、あのときの景色とライブの思い出がより深くなります。みんな笑ってて、楽しかったですよね。後半戦は、旅を重ねるごとに強くなる音と歌で、続くライブが楽しみだなって思っていました。今が一番いいインザスープ(笑)を今体験できることが嬉しいです」
(by.A.T 2015年10月20日 14:47)

→うん、みんな笑ってた。お通夜のあとも、音楽仲間やらメンバーさんやら友達やら、その後みんな店に集まってて、そこでもみんな笑ってたわ。
漫遊記、記念になってよかった!

■「漫遊記、お疲れさまでした。

私は仙台へは行けてなくて、小林さんのことも存じ上げなかったんだけど、お世話になった人の痛々しい姿を見るのはお元気だった頃を知っているだけに、本当はご本人やご家族の方がツライんだって分かっていても、最初はどんな言葉をかけたらいいのか戸惑ったことだと思います。

きっと、だからこそ小林さんも明るく冗談を言ったりしてたのでしょうね。強くてかっこいい人ですね。

小林さんのご冥福をお祈り申し上げます。

諭介さん、がむしゃらに走り続ける姿もかっこいいけど、いつまでもお元気でいてくださいね」
(by.夕陽 2015年10月24日 10:15)

→→んだ、元気でいきまっせ。こういう先輩がいると、負けてらんないなとおもうわ。弱ってられないね。こぼさないでどこまでもや。ありがとね。

2015年10月1日木曜日

Vol.187 「限界を超えて」の巻


インザスープデビュー15周年記念全国15カ所漫遊記も14カ所を終えて、残すはファイナル10月6日下北沢シェルターのみとなりました。先日は久々の九州、福岡と延岡での漫遊記、福岡は本当に久々でますます都会になってた。夕方になると屋台が開きはじめて、これこれこの感じが福岡やなぁとなる。東京にいてもたまに思い出して屋台でラーメン食いたいなぁと思いを馳せさせる屋台。10年ほど前にツアーで訪福した際、ライブが終わり打ち上げを終え、ホテルに戻り、なんかたらんなぁと一人で屋台へ行きラーメンを注文、出されたラーメンをすすっていると、向こう側に座っていたおじさんが笑い出し「にぃちゃん、いい音たてるねぇ、やっぱラーメンは勢いよくいかんとねぇ」と言われ恥ずかしいやら嬉しいやら、そんな雰囲気と味がすこぶるうまかったのを思い出します。その他にもヒッチハイクの旅で友達と行った屋台の思い出もあり、また今回もとおもっていましたが、今回は屋台が一杯だったり、思わぬ再会があったりと次の日にも備え就寝。なくならないでほしいものです屋台、またいつの日か。

次の日は我が故郷延岡にて漫遊記14カ所目。1カ月半前に急遽決まったにも関わらず、地元ではこの日のために実行委員が発足し、当日は400人のお客さんが来てくれ、地元での熱を感じ、またケツを叩いてくれたような、こっから先も恥ずかしいことはできんなと、自分は自分の歌をもっと歌っていかんとなと改めて思わせてもらいました。コンサートスタッフ、イベンター、それが本職ではないけどスタッフのみなさんが手作りで準備してくれたこの日、その手の熱をもらってバンドの力膨らんだ夜となり14カ所を終えた。各地での景色、音、顔、たくさんの熱を感じて、いざファイナルへ向かいます。

そんな地元でのライブを終え、帰京し、今朝、この漫遊記でもお世話になり、仙台ペニーレーンでは対バンもさせてもらった「樹樹」のギターで作詞作曲をしていた小林英樹さんが亡くなったとの訃報を受けた。英樹さんは元々コロムビアレコードの東北支社の宣伝担当だった。 全国に支社があって、僕たちは各地方でキャンペーンやライブでお世話になった。他のレコード会社がどうなのかはわからないけど、コロムビアの宣伝の方々は勝手に想像していた業界の人的なイメージとは違って、泥くさくてロックな人たちが多かった。そんな中でも英樹さんは僕たちに強烈な印象をくれた。キャンペーンで仙台が入るとスポ根的な気持ちになった。ゆっくり昼飯を食べる暇もなく、移動の車の中でマクドナルドを買ってきて渡され「今のうちに食べて」と言って自分もハンバーガーをかじり、片手でハンドルを握り、ちょっと怖いくらいのスピードで次の現場へ向かった。着くとまた車から降りて走ってラジオ局やレコード屋さんへ入り宣伝をし、1日に何カ所もの場所でインストアライブや路上ライブが組まれていて、次にどこへ行くかわからない僕たちはついていくのが精一杯だった。その合間合間にも、冗談を言って笑わせてくれたり、移動のエレベーターの中で女の人が入ってきたりすると声をかけたりして、僕たちを笑かしてくれた。過酷な予定が組まれていたけど、疲れたと感じる間もなくワクワクもして、ジェットコースターのようにあっという間に1日が終わり、夜は夜で関係者の方々と飲みが組まれていて独特の皮肉や冗談や下ネタで盛り上げてくれた。そんな、東北担当だった英樹さんに東京での宣伝担当になってもらいお世話になった。「檸檬」の頃。代々木の野音でお客さんにも一人一人マラカスなどの楽器を持ってきてもらって全体で公開レコーディングをしたり、その後また別場所でインストアライブがあったりと英樹さんらしいやり方で宣伝をしてもらった。レコード会社を離れ、英樹さんとも会わなくなって5年くらいが経った頃、仙台に戻ったはずの英樹さんと、新橋の人が行き交う街の中で偶然再会し、飲みにいこうとなってそのまま焼き鳥屋へ行き、お互いの近況報告をしたり、宣伝してもらっていた頃の話をしたり。久しぶりだったけど久しぶりな感じもなく相変わらずの冗談で笑かしてくれた。それからまた何年かが経ち今年、15周年漫遊記の仙台編は英樹さんにお願いしようと連絡をしてペニーレーンでのライブを組んでもらった。しかも英樹さんが仙台でずっとやっていた「樹樹」というユニットとの対バン。何度か電話やメールで打ち合わせをしてライブ当日、気仙沼から仙台へ移動し早めに着いた僕たちは先にライブハウスに入り、英樹さんを待った。しばらくすると入口から男の人が入ってきたのでライブハウスの人かと思って挨拶をした。挨拶をした後でその人が英樹さんであることに気づいた。前に会った時とは違って痩せてた。被ってた帽子をとってなくなった髪の毛を見せて、「病気になっちゃてさー」と、声とそのニュアンスはそのままで「しかも痛風だし、病気の百貨店だよ」的ないつもの語り口調でいつもの冗談で笑わせてくれたけど、その変わりようがすぐに飲み込めなかった。何度も電話やメールで連絡を取り合っていたんだから知らせてくれてたらいいのにとおもった。英樹さんがリハーサルの準備をしてる間、付き添いで来てた奥さんが病気のことを教えてくれた。もう一年くらい前から闘病してること、難しい病気だということ。昔からギターを弾くことは知っていたけど、ステージに上がる英樹さんを見たのはこの日のリハーサルが初めてだった。いつも冗談ばっかりだったけどバンドの中で音を鳴らす、音に向かう時の英樹さんは真剣だったし、なによりその詩と曲の中に本音があって、英樹さんの優しさを感じた。今おもうとリハーサルも本番もバンドのメンバーも英樹さんのお客さんも、みんな笑ってた。そういえばいつも笑いの中に本音があるような人だった。ライブが終わり近くの英樹さんの経営する昭和歌謡バー「プレイバック」で打ち上げをした。小さな店に共演者がびっしり入り、本人がカウンターに入って奥さんと酒を出してくれた。その日のライブのことだったり昭和歌謡のことだったり、昔の話だったり、息子のことだったり、病気だってことを感じさせないで、すっかりいつもの英樹さんのペースにのって飲んで楽しんで笑った。それが今年の7月のことで2ヶ月前。今朝の携帯にメールが数件、英樹さんの訃報を知った。今朝の今でまだ全部を飲み込めてるわけじゃないけど、きっとそうなんだとおもう。会うまで病気のことを知らせなかったのも、帽子を脱いで抗がん剤で髪の抜けた頭をさらけ出すのも、だからって今までと変わらず冗談ばかり言って周りを笑かしてくれるのも、英樹さんらしいなとおもった。カッコイイです。ゆっくり休んでくださいと言いたいけど、泥くさく、前に向かって限界を超えて突っ走ってた、あのキャンペーンの英樹さんのことだから、どこにいっても周りの笑いをとりながら突っ走っるんだとおもう。 15周年、仙台でのライブ、英樹さんにお願いして、会えてよかったです。本当にありがとうございました。  


秋の祭の金魚すくい。

もう来年の手帳がっ
と毎年驚く

テキヤさん こちらもなくならないでほしいっすな

福岡にて

赤い花も咲きました。

テッドはみたいけどDVDでいっかとおもう。

広島商業の野球部だった けんちゃん
大学時代 自分が甲子園にいくことができなかったから監督として甲子園にいくんだと 、
負けないよ、僕はビックになるんだなんて言って夢を語りあったけんちゃん。
教員免許をとり 広島で監督をしていた。
デビュ-して広島でライブをしたときにけんちゃんの高校に吉田くんと寄り
生徒の前で歌を頼まれ東京野球を歌った。
10年以上ぶりの再会、町田のライブに来てくれて 、三四年前に甲子園に行ったこと、夢を叶えたこと、
甲子園で試合前にノックをしたこと、今はまたさらに上を目指していることを報告してくれて嬉しかった。

延岡にてハチ。

祝子川の堤防にて 草になっているとげとげの実。 投げて服にくっつけてた 「バカ」こどもの頃 あたり前に「バカ」って読んでたけど 正式名称はきっと違うよね。

力強い。

育ててくれた町 延岡。
またたくさん力もらいました。

さかのぼり仙台でのライブ。

仙台ライブ会場でライブ終わりに写真撮影。
左が英樹さん。

英樹さんの店。

歌謡曲の数々。

英樹さん ありがとう あっちで中原さんと酒呑んで笑ってんだろな。
また これからも見守ってくれたらとおもいます。

訃報を聞き そのまま収録へいき 帰りのホ-ムで みたス-パ-ム-ン。


♦独占企画 諭介がお答え致します
■「私も車が運転出来たらいいな、と思って、2年前に一念発起して教習所通いました。諭介さんと同世代の私は、見渡せば教習生の中で一番年上な感じ。若い学生さんが眩しかったです。教官には怒られてばかりでしたが、楽しいこともありました。免許取って良かったです。でも私には諭介さんのような素敵なドライブの思い出はなく、家の駐車場で車庫入れの練習をしていて、サイドミラーを壊したことがせいぜいの思い出。 「自分が昆虫だったら」。なつかしい名前のモドキ!でもモドキって言葉、切ない。 あと、私は川柳をやっているのに、基本的な俳句もよく知らないことを最近思い知らされます。山頭火の句もよくは覚えていませんでした。恥ずかしい。勉強することが増えました」
(by.みぃ 2015年9月5日 6:58)
→あぁ-サイドミラーやっちゃうね。この句は昔から知ってはいたけどよくわからなかったのが、きっとこういう心持ちだったんじゃないかって思えてきたこの頃です。

「免許のテストはどうでしたか?自分が免許を持っていないので、運転できる人はすごいなって無条件で尊敬の人になります。買い物かごカートの話はそうなんですね。面白かったです。今回の「相棒、ホンダ・シティ」を読んでいて、水を入れながら走るって漫画みたいだな!ってびっくりしたんですけど、あ、そういえば、高校時代の漫才の相棒も同じ名前の人でしたよね。そこもやっぱり、その車に運命を感じた1つだったんでしょうか(笑)9月に入り、晴れた日でもすっかり秋っぽくなりましたね。秋が深まっていくごとに漫遊記も濃くなってる気がします。ジュテームまで楽しみにしていますね♪」
(by.A.T 2015年9月14日 17:33)
→相棒とは関係ないよ、免許は一ヶ月前に仮免をとったけんど、予定がつまっていてジュテ-ム終わるまで本試験は受けらんねっす。ファイナルお楽しみに。

「免許を持った事はないし、取りたいと思った事も無いけど、男の人が自分の車に憧れを持つものなのかもなーって思います。学生の頃、男の子たちが目をキラキラさせて車の話をしていた事を懐かしく思い出しました。 ちなみに、私は女だけど買い物カートを押す時はいつも心の中で、「ブーン。」って思ってますよ(笑) 漫遊記も間もなくゴール!シェルター楽しみにしています」
(by.夕陽 2015年9月23日 11:00)
→え-まじで、女子もおもうのね。男っぽいんでしょうな-。シェルタ-で!

「中尾さん、こんにちは。甲斐甲斐しくお世話してもらって、車もうれしかっただろうなあと思いました。ちょっと傷ものだけど最期までいい御主人さまに乗ってもらって。。九州までの車の旅、その頃にしか出来ないであろう、多分ほとんどの人が回避するであろう、、ある意味貴重で中尾さんらしい思い出話ですなあ、すてき!運転上手そう。マニュアル乗れますか? 分け入っても分け入っても歌。その奥へ分け入るべく歌道深く追求して頂きたいと期待しています。 蝉のお話、なんてことはあまりないと思うよ~(^.^) 」
(by.たかの 2015年9月25日 20:42)
→なんてこたぁないか。マニュアルだよ何かあったときのために、とマニュアルのほうが車ってかんじがするものね。