2018年9月4日火曜日

Vol.222「延岡訛りのピアノマン」の巻

あちーあちー夏の熱をゆっくり冷ましてくように風が秋になってきた。今年は秋が長そうだ。夏が夏らしい夏だっただけに、秋はとても秋らしい秋だろうな。とは言えまだまだあちー日が続いてらあね。いかがおすごしですか。

この8月。思えば色んなとこでライブしたんだなぁ。延岡。DJパーティーにお呼ばれして、みんなで作る一夜に参加した。DJといえば若者のイメージだけど、DJたちも幅広く音楽で延岡を盛り上げたいということで自分も呼ばれ、お客さんも老若男女、どちらかというと年齢層が高めのおばちゃん達が踊っていたのが印象的で主催者の願いも叶い、素敵な光景だった。じいちゃんばあちゃん、おいちゃんおばちゃんが楽しそうに踊ってるのっていいなぁとおもった。たしかに街を盛り上げるってのは、じいちゃんばぁちゃん達が元気で楽しそうなことがそこに繋がるのかもしれないなぁとおもった。

東京に戻り、8月は千葉にて3回ライブし、一つは昼間、千葉は稲毛の野外音楽堂にて2曲。2曲だったけど青空と緑と潮風が気持ちよかった。そしてその日の夜にはうって変わって新宿歌舞伎町は新宿ロフトにて夜中の2時から歌った。夜な夜な新宿で遊ぶのも久しぶりで、朝方の歌舞伎町をみるのも久々でなぜかテンションがあがり、ダブルヘッダーで疲れているはずなのに、家に帰ってテンションのおさまりがつかず、朝方8キロ走って、やっと疲れてぐーすかぴーだった。

そして8月24日の渋谷ロフトヘブン。高校の同級生で漫才の相方だった本田誠人とのイベント「待ち合わせ」。
今年3月に地元延岡で行った「待ち合わせ」。誠人は演劇の世界、僕は音楽。別々の道の二人が何をするのかわからなかった人もいたとおもうけど、どちらもたくさんの人に来ていただきありがたかった。別々の世界の二人だけに、パターンがないから逆に言えばなんでもできる待ち合わせだ。

一回目の際、誠人曰く、去年僕が誠人の畑である演劇の世界に足を踏み入れたことで、逆に誠人は音楽の世界にと、延岡での「待ち合わせ」にウクレレを練習してきた。その後渋谷での「待ち合わせ」が決まり、そんでは自分もまた何かに挑戦せねばと普通におもい、かといって一人芝居をやるなんてのも想像しにくく、前々からやってみたかったピアノの弾き語りに挑んだ。

「私とピアノ」
私とピアノとの出会いで思い出すは、幼稚園の頃、母にピアノ教室に連れて行かれた時のこと。ドレミファソラシドとト音記号の書き方だけを習った。ト音記号がその時に上手く書けて先生にすごく褒められて、すごく嬉しかったのを覚えてるけど、ピアノがおもしろいとはまったくおもえず、2日くらい行ってやめた。

その後クラスで弾く人を見かけるも、自分とは無縁のものだろうなとおもっていた。
それから最近までピアノを弾きたいとはチロチロとはおもったけど、今ほどはおもわなかった。
3年ほど前からか、共演したツンタさんのライブを見てて、あんな風に弾けたら楽しいだろうなぁとぼんやり思い、アルバム「オレンジの太陽」のリリースパーティーが決まった時に、そこで弾けるようになって演奏したいなとおもったが、おもっただけであっという間に時が過ぎて練習しなかった。やっぱり自分とは無縁のものなのかなぁとおもっていたけど、今回は誠人との「待ち合わせ」なので、これはウクレレの仕返しをせねばと自然と練習することができた。

6月末に1万円くらいの練習用の鍵盤をネットで買い、ユーチューブで弾き方を教えてくれてるとこを探してそれを見ながら一人でシコシコ練習した。よく、本物のピアノと練習用じゃ弾いた時の感覚が全然違うと聞いていたので、スタジオに行って本物のでっかいピアノを弾いた。練習用でほんの少し弾けるようになっていたので、はじめて本物でそれを弾いた時は感動した。音が広がって楽しかった。「やったね!」だった。ほんの1フレーズしか弾けなかったけど、そこを繰り返し弾くだけでわくわくした。全然弾けてないのに、楽しいと感じれたことが嬉しかったし大きなことだった。はたまた、いつものギターと歌だけの個人練習スタジオに比べると、1時間あたりのスタジオ代も倍の値段がして、そのような視点からも世のピアニストに対してのリスペクトが増した。んが、楽しい。今後もその値段を払っても、本物のピアノが弾けるなら行きたくなる贅沢な娯楽だなぁとおもった。

延岡でのライブで帰郷した際も、ばあちゃん家にあるピアノを弾いた。クーラーもなく蝉の声を聞きながら汗だくで練習した。サウナで弾いてるようで気持ちよかった。なかなか弾けない箇所は煮詰まると嫌になるので、その前に切り替えて弾ける箇所をもっとスムーズに弾けるように繰り返し弾いて、一時してまた戻るを繰り返した。ごまかしごまかし、自分をごまかし、とにかく嫌にならないように、楽しいと思えるままで、ごまかしごまかし、楽しいと思える輪っかを少しずつ広げていった。

んが、日にちが迫ってくると、これ、ピアノばかりに集中していて、歌のことをすっかり忘れていたことに気づく。選んだ曲「ピアノマン」が英語だったことにも気づき、慌てて歌って合わせてみると、歌えないし、歌うと弾けないしで「こりゃだめだ、間に合わん」ガビーンっ、となり、曲を変更することにした。日本語で歌えるのにしようと曲も選んだ。そのことを誠人に話したら「いやいや、それはピアノマンでいったほうがいいやろー」とふっかけてくれて、やるしかないなと思い直して「ピアノマン」でいくことにした。

日にちが迫ってきてスタジオに通い、なんども「こんな状態でお客さんに聞かせていいのだろうか」とよぎった。公言していたので後には引けないし、自分もそういった諦め根性と決別したかったので、またごまかしごまかし、楽しいの輪っかを広げていった。どうしても弾けない箇所は自分流に弾ける範囲でやって、一番大事なことは、ピアノがいくらか弾けるようになったとかじゃなくて、曲の世界観を自分なりに届けることだと言い聞かせて挑んだ。ニューヨークと延岡がいりまじった、僕なりの「ピアノマン」。

本番、会場に行きリハでロフトヘブンのピアノを弾いた。これまたもちろん家にある練習用とも、スタジオにある本物とも、ばあちゃん家にあるのとも感触が違っているし、リハ時にそこにいる人たちに聞かれてるだけで緊張に支配されて手が動かなくなり、どこを弾いてるんだか頭がぼーっとなって、ここにきても「だめだこりゃ」となった。んが、そのあと開場準備に入ってから改めて弾かせてもらい、ピアノと分かり合うように心を少しずつ通わせるように弾いて、なんとか心を落ち着かせた。あとは本番、野となれ花となれ。

本番、何度かつまずいたり、手や声が震えたりもしたけど、なんとかやりきった自分なりの、今できる範囲での「ピアノマン」。何度も震えたけど、スタジオで練習したこと、ばあちゃん家で蝉の声の中汗だくになったこと、買ったばかりの練習用鍵盤にどこがなんのコードかわからないので油性ペンで鍵盤一個一個にABCDEFGと書いて、それが消えるくらい練習したことがよぎって、支えになって、なんぼか心が落ち着いた。

何度も曲を変えたり諦めそうになったけど、へったくそだったとはいえ、自分的にはやってよかった。なんせ、ピアノを弾いてない時もピアノが弾きたいと思ったり、ピアノが楽しく思えて、できなかったことが少しずつ楽しいまんまにできるようになってくのを実感できて楽しかった。思えばギターを弾き始めた時もそうだった。毎日弾いて楽しくて、弾きたくて、弾けなかった弾き方がいつの間にか弾けるようになってたりした感覚。おもろい。これまたなんかに挑むと楽しくもっともっとが伝染するのか、ギターもまた今までより弾きたくなってくる。なかなかやりたいと思っててもきっかけをつかめなかったピアノ。誠人がつくってくれたようでありがたい。できなかったことが少しずつできるようになる楽しさ。できないことを知り、情けない身の丈を知ってから、さあどうしたろって楽しさ。ほんの少しでもスムーズにいった時の気持ちよさ、楽しいが広がっていく感覚。去年のマラソンにも似て、ピアノ、これからもしばらく続きそうだ。2016年はアルバム制作にアイルランドでライブ、2017年はマラソンに演劇、2018年はピアノマン、震えて勇気がいるような新しいことに挑むとその年に焼きついて、年が思い出しやすいというのもあるし、それが全部、自分の音楽を刺激して新しくしてくれるからおもしろい。

「待ち合わせ」別々の畑だからできること、高校時代から刺激しあってきた2人だからできること、まだまだありそうで、別々の道でお互いに切磋琢磨して、待ち合わせてはぶつけあって自分の中のおもろいの輪っかを広げられたらとおもったりもして。来年はまたどこかで待ち合わせしそうな予感なので、僕たちの待ち合わせにつきあってもらえたらと。その時は何卒よろしくお願いします!とおもいながら今月はこの辺で。


延岡の農協の自販で売られてた 「SUPER ゲンキ快」
本番前に なんとも言えない気持ちになる

元気かい?と聞いてるのにかかってるのか

快という字をこうして使うのを見たことがなかったからか 気持ちがざわつく

思わす誘われて選んでしまったけど中身は予想通りデカビタC的な。

幼なじみ
バアベキュ-の準備中
うまかった
この男もまた 子供の時からいまだにたくさんの影響をくれる

ぼかあ 時々 何人かの友達によって自分ができあがってんじゃないかとおもったりもして。

その幼なじみと私
実家の写真より。

おとうと。
つげ義春の漫画に出てきそうだ

高校野球

定食屋のテレビ でみて

満員の店内で興奮 し

よっしゃ!ナイス!
うわっ! おっけい!
ナイスバッチン!

一人とっさに声が出てしまう

tvkしゃかりき 番組をやっている影響か。

ペテカンのみんなと 待ち合わせ。

おとうと現在と甥っ子。

昔のおとうとアゲインと右端いもうと。

長生きのう-
美人さん
なでなで

虫かごが落ちてた

夏も終わりだ 秋がきますよ






諭介がお答え致します

■「中尾さんこんばんは。今夜のライヴに参戦、お話しさせていただいた者です。素敵なライヴありがとうございました。アルバムも早速今聴き終えたところです。最高でした。今度延岡チヌポイントマップ作って、H氏に渡しておきますね(笑)」
(Unknown 2018年8月4日 22:04)
→ありがとう、チヌポイントなにとぞよろしく!

■「ちょっと外に出ただけで焼かれてガングロになる気分です。すごい夏です。九州男児でも無理せずに(笑)熱中症には気を付けましょう。そこには行ったことないけれど、思い立って出かけた夕方の海から夜の海になるまでの音や風景が文章から伝わってきました。はしっこは落ち着きますね。諭介さんは、世の中からはみ出す寸前のはしっこ、って言ってましたが、すみっコぐらしって知ってますか?(笑)それが世の中で人気ですよ。きっとみんないろいろあって、はしっこに共感できる人が多いんじゃないですかね。今回の諭介さんの話ですみっコの人気もちょっぴりわかったような繋がったような(笑)でも、はしっこ好きの諭介さんですが、私の中でははしっこにはいません。バンドでもステージでもど真ん中にいて歌ってるからでしょうかね☆彡追伸:「音をあげる」勉強になりましたよ。暑っ!と声を出すのも、夏の音なんですね」
(A.T 2018年8月13日 16:58)
→すみっこなんとか知らないなあ、流行りものにどんどんうとくなるわ、夏の音、いいね、前向きに感じられるわ、いいね。

■「中尾さん、こんにちは。夜釣りしてお酒チビチビって、中尾さんの文化、すこぶる渋いですなあ!夜の海は一度だけ、波の音がほんと恐ろしく思えた記憶があります。延岡で海の近くに住んでいたんですよね。自分は海なし県だから夜の海に慣れてません、、重たさに落ち着く、すごいなあ、羨ましいです。 

心理的、地理的、自由的なはしっこ感、夜釣りの同属意識や想像、すこぶる理解できました。なるほど!目から鱗でした。自分は違うシチュエーションですが同じような心象を覚えるからです。心象の深層を客観視して的確に表現されてるなあと、中尾さんに感心しました。幼少期より状況を俯瞰しちゃう性分だったりしますかな。はしっこに身を置くと、視野の広がる感あります。精神的にも視覚的にも冷静に状況を把握しやすくなるかもです。
海の浄化作用にて、本来の綺麗な中尾さんに戻れるんじゃないかなあと思いました。

何も疑うことなく燃えてるど真ん中の中尾さんの光りと熱に焦がされるべく、またライヴへお伺いしたいと思います。

灯台って防波堤の突き当たりにある灯台ですか? 灯りつかないのー?」
(たかの 2018年8月24日 10:11)
→うん、ついてなかったね。いざというときにつくんだろかね。海はやっぱ浄化作用あるかもね、落ち着くし。波って激しいのもあるけど、静かな波はなんだかグッとくるわ。

■「はしっこ感、私もあります! 決して控え目な訳ではなく、そこが落ち着くんですね。職場の朝礼でもわざわざはしっこに並び直したりしてるし。それでも私の中にはちょっとは注目されたい的な部分もあってたまに周りとは外れた事をするから悪目立ちしたりして・・・(笑) 今まではそんな自分に対してどっちやねん!と思っていたけど、今回、諭介さんの話を読んで、そうやってバランスを取っていけばいいんだって分かりました。ありがとう。

追伸 江ノ島夕焼け写真、素敵ですね。うん、大きくて優しい。 その時の諭介さんのはしっこ感が伝わってきました。はしっこ感は自分の中の自分と向き合う時間かもしれないですね」
(夕陽 2018年8月25日 23:34)
→うん、向き合う時かもね、と、いったり来たりして、どんどんぶれて、ぶれるほどに芯がはっきりしてくるんじゃないかなあとおもったら、ぶれてんのもわるくないなあとおもたこと思い出したわ。

■「夏が終わるね。
自分はもっと自分でいいんだ、って私もそう思います。他の誰でもない。
待ち合わせ、行って良かった。
本田さんの歌、ウクレレの音、グッときました。
そして。熱い涙は自分にとっては特別な曲。それも聴けた。歌ってるとこを見るのもこれが最後かなって毎回思ってる。
健康に留意してずっと歌っててね。
遠くから応援しています。
かっこよかったよ!笑
またね!」
(Unknown 2018年8月29日 18:46)
→うん、ずっと歌ってる予定。いまんとこ、曲を作って歌う旅を続けられたらと。どっかでまた思い出して、あんな人いたなあ、聞いてみよかとおもっとくれたら嬉しいわ。ライブきてくれてありがとう。