2020年9月1日火曜日

Vol.246「2020年、夏、マスクと私」の巻

  梅雨が長くて夏がちょびっと。梅雨が明けたと思ったら、あっという間に陽が短かくなって秋の雰囲気。

それだのに暑い暑い暑い残暑で、晩夏の寂しさと酷暑が重なってWパンチ。いやはやそういえばいつの間にか当たり前になっていたマスク、息苦しいなと思っていたらばマスクをしていたんだった、そりゃあ息もしづらいわな、トリプルパンチか、なこの頃いかがおすごしか。

 バンドを結成し、ライブをするようになってから、喉をケアするのに龍角散や喉飴を普段からこれでもかってくらい口にしていた時期があった。声が出なかったらどうしようと単純に不安で神経質になり、安定剤のように口にして安心してた。

 んがしかし、龍角散は使いすぎるとなんだかベロが白くなるし、ベロの表面の組織がやられてツルツルになっているような気がして、飴玉は歯に悪いんじゃないかとか、糖尿病になっちゃうんじゃないかとか不安になり、それからやたらめったら口にするのをやめた。今はここぞと言う時だけで上手にお付き合いできてるけれど、他にも色々試してみて一番しっくりくるなってのが結局、マスクだった。マスクは身体的な害が考えにくく、冬場の乾燥時、直接喉に冷気があたらないし、寝るときにも自分の息が加湿器代わりになって、シンプルイズベスト、マスクとあったかい飲み物が喉のケアには一番しっくりと行き着きもう20年近くか。

 しかしのしかし、マスクに難点があるとすれば、自分の場合「世間体が気になること」であります。

「おやおやマスクに世間体なんてもんがあるのかい」との声が勝手に落語調で聞こえてきますが、ここで言うとこの世間体の「世間」とは、バンドマン界隈でのことなのですが、この世間では暗黙の合言葉「ロックじゃねぇな」があります。一つの何て言いますか、ラインといいますか、小競り合いといいますか、簡単に言えば「かっこいいかかっこ悪いか」なのですが、僕界隈ではマスクはその中で言えば「かっこ悪い」に入ってたわけです。

 近しいメンバーの中からも(ここでは名前を伏せてアルファベットで書きますが)Kなんかは「俺マスク苦手だわぁ~マスク息苦しくない? 苦手だわぁ~」と長い付き合いの中でマスクをしている僕の前で何度言ったことか。「ロックじゃねぇな」とは言わないものの、嬉しそうに目の前で話すその言葉の中に、そして「だわぁ~」の中に凝縮されてそれを感じることができ、目の前で自由に羽ばたいてる鳥のようで、また、ロック的な言い方をしますと、マスクをしているコチラは鎖につながれて飼いならされた不自由な犬のような構図ができ、こりゃいかんと調子のいい時などは「ばっか! マスクは加湿器にもなるんだからいいんだぞぉ!etc……」と自信満々アピールをし、あまり挑発に乗れないときなどはマスク越しに「へー」と、長い付き合いの中でこんなやり取りを何度してきたか。長いなぁ、Kとももう30年近くのつきあいかぁ、こんな時代がくるとはなぁ、つって。

 そうマスク、自分が長年「ロックじゃねぇな」の視線を勝手に感じても、その効力、安心感を信じ、大袈裟に言うと「ロックもロックじゃないも言ってられん、これでいいのだ、むしろこれがロックだ」と思ってきたマスク。そんなやりとりも懐かしく、ここにきて流石のKも不本意そうにマスクをしてる様を見ますと、マスクの下でくくっとほんのり可笑しみを覚えたりもするのでありました。 

 毎年花粉の時期まではマスクをしていたので、今年はみんながマスクをつけていて「ロックじゃねぇな世間体」も紛れてこりゃいいなと思っていた部分もあったのですが、梅雨から湿気や汗、雨なんかで濡れるとパコパコと口が塞がれて溺れてるようになったりと、夏のマスクは厳しかですね。

 また、マスク推奨派ではありますが、風呂場で湯船に浸かってからマスクをしていることに気づいた時などは、ここまでマスクが自分の体の一部になっているのだなぁと、鼻口隠して他隠さず、マスクと一心同体の時代ってどうなんだと改めて危機感を感じたりもして。ウィズコロナとは言うけれど、本当にこれからずっとマスクをつけたり消毒したり距離をとったりの時代が続くんでしょうかね。街を歩いていて小さい子供がマスクをしているのを見ると、自分の子供時代だったらそれはそれで、そういうもんだって遊んでいたんだろうなとも思いますが、やはりどこか切なくも感じ、収束、そして終息に向けて自分も気をつけていかないとなと改めて思わされます。まだまだ残暑とウィルス対策が続きそうですが、マスクでの熱中症にも気をつけていきましょね。

今月はこの辺で、できる範囲で良い秋を。


お月さん、僕の胸を引っ張ってからに、僕を包んでからに、許された気分にもなって、胸をほどくよ、お月さん、やい、ありがとう

夕焼けに染められて。

無配信無観客ライブ=個人特訓

8月。原爆投下と終戦日。8月でなくても、いつでも。戦争。語り伝えてくれる人の話を聞きたい。出来たら、それを何かで伝え継げたらと思う。歌でもイベントでも話でも、同じことを繰り返したくない。

原爆投下後に九州は鹿児島と宮崎から上陸する作戦がアメリカにあったとのこと。そのための空襲激化。

街の中で咲くひまわり。

弟、甥っ子と三人で川へ。都内から車で一時間で、あるんすね。いい空気ながれてました。この時も、川にドボンと頭から入り、気づく。顎にずらした、一心同体マスク  

今までもコンビニにいたんでしょうけど、はじめてみかけて購入。口にいれてびつくり、視界がひらけるうまさ。 で元気でた、元気うめ。 

酷暑の中、自転車撤去のトラックが、写真の自転車一台を運び走ってた。一瞬で子ども二人。一人は抱いて、一人は手を引いて、お母さんがなくなった自転車の前で、呆然としている絵が浮かぶ。 仕事だからとは言え、よく撤去できるなあと。 ロボット人間にはなりたくないなとパシャリ。

やっぱりうまいぞ夏麦茶。

諭介がお答えいたします

■「はじまりの風に吹かれる時。歌になりそうなフレーズですね!

私も風に吹かれる時があったかな?と振り返ってみたら

あまりそこに焦点を当てていなかったけれど窮屈や真っ暗が必ずありました。思い出すとめちゃくちゃ苦しいですね。

私も今がその時だと信じたいです。

今回の本の写真ですが

以前に人がテレビ、タブレット、ゲームなどを使用しているときの脳の状態のMRIの画像を見たことがあるのですが

一部しか反応していなく、日記などを書いている時の脳は全体的に反応していて

こんなにも違うんだと驚いたことがありました。

諭介さんみたくちゃんと心で気がつけるのはすごいな大事だなと思いました。

これから未来を担う子供たちにもそうゆう人間的な感覚を身につけてほしいですね」

(hitomi 2020/08/26 6:39)

あーっそうですか、やっぱり!科学的にあーっそうかと裏付けが取れたようで嬉しくおもいました。ありがとうございます。デジタルが情報を圧縮して記録されていて、レコードなどのアナログは無限に音が収められてるってのと同じで、やはり脳全体を使って感じていたいですね。どちらとも上手に付き合っていきたいですね。


■「始まりの風・・・初めて配信ライブを観た時に感じたドキドキワクワクと“ちゃんと観れるのかしら?”と不安な気持ちもこれなのでしょうか?

曇り空の向こう側にキレイに輝く星があるように、曇り空から伸びる虹もあるんじゃないかと私も思います。そして虹の向こう側には希望の花が咲いているのかもしれないですね。

その花を見ることができる日が1日も早く来ますように 」

(夕陽 2020/08/26 20:32)

収束終息に向けてみんなでえいえいおう!だあね。希望を掴むべく、やれる事を探りながらと思ってあたくし最近は機械の説明書を読みはじめたりもしていて、いつになるやらですが、配信ができるようになったら是非観てくださいっ。