2018年12月30日日曜日

Vol.226「2018年を振り返るつもりが来年の抱負のようになり」の巻

 暮れ、暮れですよ2018年も、あと数日か。冬将軍居座るこの頃いかがおすごしか。

 今年最後の連載、今年のライブを一つ一つスケジュール帳を見返して振り返りたいところですが、それは老後の楽しみにして、今ぱっと今年を振り返り、毎年テレビで発表される「今年の漢字一文字」を自分的に思い浮かべると、「凪」という漢字が思い浮かぶ。「凪」=「なぎ」。海の状態を表す言葉で、波風立たずのっぺりとした状態を表す言葉ですが、平らな海、何もないような意味合いになるとおもいます。
 んが、本当に何もない一年だったのかと振り返れば全然そんなことはなく、ピアノに挑戦したり、一つ一つのライブにもテーマを持って向かえたし刺激もたくさんもらった。なぜ「凪」が浮かんだのかというと、考えるに「もっともっと」「もっと来年は」「まだまだ全然燃やし尽くせるものがある」と気持ちが向いてるからなんだと思う。
 そこにきて来年の漢字が浮かぶのは「締」。「しめる」「締めていきたい」気持ちが浮かんできます。「しまっていくぞー」です。これ結局今までと変わらないのですが、一個一個のライブを締めていきたい気持ちです。
弾き語りでも、中尾と草場でも、バンド形態でも、音を出す、一声を発すること、月の裏側の静かな場所で小石がずれてカチャっと音立てるような、そこから波紋が広がっていくような一音を出せたらとおもいます。一音、一声、一言の葉。年々、生くごとに木彫りの人形を彫るイメージが浮かぶ、よりシンプルに。年々一個一個のライブがありがたく感じ、今夜これまで最後の一音をと思うようにもなり、その反動で永遠に旅する風のような音を飛ばしたくなり、その旅先で誰かと繋がれたら、届けられたらと、たまにはハメも外し、バカになり、いや、ベーシックはバカだけど、バカだからこそ、外れた場所から自分を眺めたりもしつつ、自分の心を解き放してただ一点の光の線を伸ばしていけたらと。誰にもわからない自分の心を捕まえては歌にし、音を鳴らし、自分でもそれに気づいていくというようなことを繰り返していけたらと。

 そう思うと今年も、広がる波紋の先々で色んな人との反応を楽しめました。やっぱり面白いです、音楽、人生、反応しあうこと。今年のライブでの景色が頭をよぎりつつ、直接的ではなくても、激しくても静かでも、きっと何かを感じてもらえるはずだと信じて、自分は自分の静かな場所から鳴る音を探していけたらと。

 「締める」もそうですが、締めて生く先でなるべく「キレイなもの」を目に写したい。「キレイなもの」にふれていきたい。なるべくたくさんの「キレイなもの」を目に心に写し、浮かべてためて、こわくなるような「キレイ」、美しいナイフのような一年にできたらと、そのナイフをもって闇を切り裂いていけたらとおもいます。

 2018年、今年も、歌を聴いてもらい、気にかけてもらい、応援していただきありがとうございました。
 2019年、来年も、自分なりにこの心と体をもって鳴らせる音、表現、心の動きを探求して発していけたらと思います。来年もまた気にかけてもらえたらと、何卒よろしくお願いいたします。2019年、いい年にしたりましょ、しましょうね!しますよ!! 改めて、今年もお世話になりました、それでは今月、今年はこの辺で、よいお年を!

ふむふむ、この時はこんなライブじゃったなぁと、老後に眺めたりするんだろうか、マイスケジュール帳、証拠残さずが座右の銘ですが、捨てれない今までのと来年のほぼ日手帳。

今年最後のインザスープ 、リハにて。
吉田くんのもぐもぐタイム。

火はいい
たまには火を見ながら過ごす時間が必要だなあと実感。

釣り仲間豪ちゃんとキャンプ テントはりはり

葉が一枚

2019年、いい年にしたりましょ。
よいお年を!
 

 

諭介がお答え致します

 

■「人の縁って不思議ですね。音と歌で人が繋がっていくんですね。私は聞くだけだから分からない何か、鳴らす側というか演奏する側の人にしかわからない共感、共鳴するものがあるんでしょうね。
「ボヘミアン·ラプソディ」見に行くタイミングが合えば見に行ってみたいです」
(柿の種 2018/12/24 20:21)
→ほんとに、普段人付き合いがむずかしい分、音楽で繋がれると嬉しくなるのよね。音楽じゃなくてもいいんだろうけどね。やってきたことがあってよかったなとありがたく思うわ。ビバ音楽、よいお年を!

■「こんばんは。ヌーノとのエピソードは何度か聞いたことがあったけど、改めてスゴいな~って思いました。
呼ばれたのは八さんだけなのにみんなで付いていってしまう団結力(笑)そしてヌーノへの積極的なアピール、それを受け入れてくれたヌーノの懐の深さ。完全アウェイでの演奏はさぞかし緊張したんじゃないかと思います。

その後に繋がらなかったのは残念だけど貴重な経験でしたね。

ヌーノが今もその時の事を少しでも覚えていてくれたらいいですね」
(夕陽 2018/12/26 20:31)
→貴重な経験だったね、来年もより緊張する場に身をおいていこうと思うので、応援のほどよろしくです!


 


 

2018年12月5日水曜日

Vol.225「QUEENとExtremeとIn the Soup」の巻

 赤、黄色、緑、茶色と重なって、紅葉が綺麗だなぁなんつって足止めて写真パシャパシャ、ここんとこ毎年思うけど、こんなに綺麗だと昔は思わなかったよなぁと、大人たちはなんであんなに紅葉が好きなんだろかと思ってたと思うけど、あの色を綺麗だなぁなんて思うのは僕も大人になったんだなぁと実感する。これもまた毎年思うけど、僕の人生で言ったらこの辺りなのかなぁと、枯れて燃える紅葉の色とりどりの中で特別共鳴する色をみては思う。冬将軍が本気を出すと手足の先が痛くなるこの頃、すっかり締め切りを過ぎてしまいましたが、いかがお過ごしか。

 今、周りの音楽関係者からよく薦められるQUEENの映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観た。2時間15分の上映時間もあっという間で面白かった。バンド結成から上り詰めて赤裸々な紆余曲折、ラストにはその全部を込めたライブのシーンで一音一音、一声一声、パフォーマンスにそれまでのことが込められてるように感じ、迫力があり恐竜映画やSF映画を観ているような気持ちにもなり興奮した。バンドモノの映画のライブシーンでそう思えてなんだか誇らしい気分にもなった。と書いて自分の中のツッコミ担当が「オイオイキミハクイーンヲチャントキイタコトガナカッタデハナイカ」と呟いてきますが、QUEENを知らない人でも楽しめる娯楽作品じゃないでしょうか。
 そう僕はQUEENの音楽を街中やテレビ以外でちゃんと聞いたことがなく、インザスープギターのハチが好きだったこともあり、なぜかメンバーが好きなモノは聞かないようにしたほうがバンド的には化学反応が生まれていいんではないかという狭い考えの時代に知ったので、うーん、どうも数学的な音楽だなぁとかなんとか理屈をつけて家でCDを流して聞くということがなかったのでした。というか単純に興味を惹かれなかったのですが映画を観てQUEENのメンバーに親近感を感じ、そのヒストリーを観た後のライブシーンは感動しました。

 QUEENで思い出すのはやはりハチ。デビュー前にザッピーという音楽雑誌のインタビューでインタビュアーの増田勇一さんより「影響を受けた音楽は何か」と聞かれてメンバーそれぞれ答えた中でハチが挙げたのが「QUEEN」と「Extreme」で、それを聞くと増田さんが、「Extremeのギターのヌーノが今度ソロライブで来日するから、友達なんだけど対談してみる?」となって「えぇ!」となり、自分は外人のバンドの人なのだろうくらいしかわからなかっけど、ハチが憧れた人と対談するなんてすごいなぁーとテンションがあがった。後日、増田さんが我々のCDをヌーノに聞かせてくれてOKが出て対談が決定し、赤坂のホテルの一室で対談をすることになり、呼ばれてもいないのに我々他3人もただの野次馬根性でついて行き、呼ばれていないので椅子もなく、広い部屋の端っこで3人並んで体育座りをして、ソファーに腰掛けたヌーノとハチの対談を見守った。見守っていたけど、フレンドリーに話すヌーノに対してハチはさすがに憧れの人だということもあり、こちらから見ると絵に描いたようなガチガチで、それでも踏ん張って考えてきた英語での質問をメモ用紙を見ながら質問してた。「がんばれがんばれ」な気持ちで見守るもあっという間にインタビュー終了となり、自分はもどかしく感じ、ここはボーカルの役目だろうと、もっと気持ちをぶつけなくてはと、頼まれてもいないのに知らぬが仏の強みでヌーノの前に行き、紙に「音楽=Sound Happy」と書いて「日本語ではミュージックのことをこう書くんだ、でも楽しいだけじゃないよね? 楽しい気持ち以外から音楽って生まれるよね?」的なことを中学英語で停止したままの語学力と気持ちで伝えると、ヌーノは言いたいことを察してくれて共感するように自分の意見を熱く語ってくれ、気持ちが伝わってきてこちらもまた熱くなりガッチリと握手をすると「お前は友達だ」というようなことをヌーノが言ったので「レアリー?」とイタズラ心も働いて言うと「ほんとだよ」的なことを言ってきたのでもう一度「レアリー??」と言うと「ほんとだ、ウソだとおもうなら今夜の俺のライブに来いよ、『むし』を演奏してくれよ、あの曲が好きで車の中で何度も聞いたんだ」的なことを言うので「本当かな、そんなこと言ってどうせ周りのイベンターやレコード会社のここにいるスーツを着た大人の人達から止められるんだろ?」的なことを言うと「大丈夫だ、とりあえずライブに来いよ」とのことでその場は終了してホテルを後にして、「いやーおもしろかったね」と半信半疑で僕たちは渋谷オンエアイーストでその日の夜に行われるヌーノのライブに行った。行くと約束通り中に入れるようになっていて、ライブを観させてもらった。満杯の会場の関係者席で観させてもらい会場の熱気にヌーノの凄さを知らされて、どこか「さっきは身の程知らずですいませんっしたっ」な気持ちにもなり、名曲「モアザンワーズ」では会場中の大合唱を聞いて感動して本編が終わった。会場中アンコールの中、やっぱり演奏するなんてありえないことだったかと思うもどこか「そりゃそうだ、とんでもないと言えばとんでもない」的な気持ちでアンコールを待っていると、ステージセンターにヌーノが出てきて「日本のバンドの曲で好きな曲があるんだけど、俺たちは弾けないんだ、だから本人達に弾いてもらいたいんだけどいいかな? 紹介するよインザスープ!!」僕たちは客席にいて「えええぇ! 本当にやるのか!」と慌てて裏の通路を走って行ってステージに上がった。ヌーノとヌーノのバンドメンバー達がにこやかにそれぞれの楽器をメンバーに手渡してくれた。ハチはヌーノのギターを渡され、でっかくて何個も積まれたアンプの調整の仕方をヌーノから教わって、Kはべースをわたされ、吉田くんはドラムに座り、自分はハンドマイクで、僕たちのことを誰も知らない会場一杯のヌーノファン達の前で「むし」を演った。会場はヌーノの紹介もあって盛り上がり、こちらも熱くなり、夢見心地の一曲を終えた。終えてステージ脇に引っ込もうとすると、ヌーノが拍手をしてくれていてニコニコとジェスチャーで「もう一曲やれ! もう一曲やれ!」とイタズラっ子ぽくふっかけてきた。マジかよと思ったが、すぐにここは「むし」に対しての2曲目は「LOVE SONG」でいこうと決めて、もう一曲演奏した。ここで映画ならさらに盛り上がり拍手喝采といくとこだろうけど、お客さんの反応は今ひとつだった。んが、ヌーノは喜んで拍手をくれて我々は引っ込み、最後はもちろんヌーノがアンコールを締めてライブが終わった。終演後、会場でヌーノ達と打ち上がった。僕たちはウッドストックに出場することを目指し、世界に通用するバンドになることを掲げていたので、ヌーノが認めてくれたこと、約束を守ってくれたことが嬉しくて、また、やってることが間違ってなかったというような気分にもなりビールがうまかった。連絡先を交換し、またねと別れた。
 
 翌日吉田くん家に行くとヌーノの外国でのライブの映像を観せてくれた。それがQUEENのボーカル、フレディ・マーキュリーの追悼ライブだった。会場は映画に出てくるような大きなスタジアムで、ヌーノ達はQUEENのギターのブライアン・メイに「QUEENのリアルフレンド!」とスタジアム一杯のお客さんに紹介されて登場し、演奏していた。それを観て吉田くんに「すごい人なんだね」と言った。そのあと吉田くんがインターネットで昨夜の反応を見て、我々が出たことによって少しだけ炎上してるのを教えてくれた。それをみながら「LOVE SONGはわかりにくかったか」と反省するも、昨夜の余韻に包まれていた。

 結局ヌーノとはそれきりだけど、今思うとデビュー前の我々を、よくあのステージに上げてくれたなぁと思う。ちょっと炎上したことはヌーノに申し訳なく思うけど、自分にとってはその後の自信にも繋がった経験だった。懐深く、約束を守ってくれたヌーノに、出会わせてくれた増田さんに、止めなかった周りの大人の人達に感謝だ。

 そう、そしてこう書いてて気づいたけれど、ヌーノが我々と「友達」の約束を果たしてくれて、そのヌーノがQUEENから「リアルフレンド」って言われてるということは、タモさん的にいけば「友達の友達は……」なわけでQUEENと友達ということにもなるのか、、、とか思ったりもして、、ってファンの方に怒られますね。映画を観て、規模はもちろん違うし全然違うバンドだけど、同じバンドマンとしては自分らを重ねて観ることもできて勝手に親近感も湧いて観れておもしろかったです。と今月はこの辺で、よい芸術の秋をっ。


ボヘミアン・ラプソディ。映画館で観た方がいいよと勧められるのもうなずける映画でした。

紅葉きれい①

紅葉きれい②

紅葉きれい③

紅葉きれい④
ハイスタの人とかにこういう髪型の人いそう。

三茶のちゃんぽん屋

ここ前に長渕剛トリビュートのレコーディングで三茶の来てた時に通ってたとこ。
久々にきて美味しかった。後味、口の中が美味しいのはきっと体にも良いものなはず自論に当てはまる店。

そしてこちらもこの秋に読んだバンドもの。
本人を知ってるというのを関係なく、いちバンドマンとしては、その時代に連れて行かれそして今の自分のケツを叩いてくれる本。脳内映画。クイーンと同じく親近感湧き、一緒にバンドの一員になったような面白さもあり、日本のバンドマンの一つの教科書だと言っても過言でない気がしました。おもしろかった。

そして11月は恒例の、先に挙げた本の登場人物である藤沼さん誕生日ライブ。
楽屋では本に書いてあった以外の話も聞かせてくれて、なおおもしろかったです。

さて、いよいよ今年も残すとこあと一ヶ月。
来年のスケジュール帳も買ってばっちこい。
良い年にしたろ。

バンドってやっぱり面白い。
バンドの数だけ宇宙があるんだろな。
QUEENもアナーキーもインザスープも全然違うのに重なるとこもある。
人が集まって何かしようとすれば音楽でなくてもそうだろうけど、音楽だからかわかりやすくドラマチックで人が愛おしくなります。バンドマンは音楽以外ののとこでも踏ん張って張らなくちゃいけない時、ちょっと非常識でもドアを蹴破らないといけないときがあるんでしょうね。インザスープにとっては今回書いたヌーノとのこともその一つだったんだろうとおもいます。
 

諭介がお答え致します

 

「ARB、人が凄すぎて全然ステージが見えなかったけどステージから熱いエネルギーがバンバン伝わってきて楽しかったです!
熱くて骨太なライブを堪能できました」
(柿の種 2018/11/18 20:27)
→パンパンの骨太やったね
ぎゅうぎゅうの中、体感してくれてありがとう。


「自然と曲や歌詞が二人にも馴染んでいるような感じで聴けたのは、コピーしていたのもあったのかもしれないですね。ARB40周年で諭介さんとKさんがかっこよく参加してくれてたのがファンとしても嬉しかったです。諭介さんの「それぞれがそれぞれのARBを持ち寄って集まった」の言葉で、出演者とお客さん、たくさんの人の中のARBを想いながら聴けたような気もします。先日稲毛では、コピーしてたら同じ曲作ってましたと同じタイトルの曲やっていて、そこまでしてるなら(笑)、影響もらって憧れた人達と同じステージでライブできたことは嬉しいことだろうなと改めて思っていました。インザスープでもそれぞれがそれぞれのインザスープを持ち寄って、みんなジュテームやイベントに来ているんですよね、きっと。40周年どうなるのか楽しみです(笑)まずは来月のライブですね♪」
(A.T 2018/11/19 17:28)
→曲がその人の人生の景色を写すのって作ってる方からしたらすごく嬉しい。理想郷だったね。みんな持ち寄って歌いあってたもんね。目撃してくれてありがとう。

「ARBは“男の人が好きそうな音楽”っていうイメージであまり聴いたことがなかったけど、自分が憧れて影響を受けた人達とステージで演奏できる諭介さんの感動や興奮が伝わってきました。
諭介さんが受けた日本のロックの洗礼がこれからの諭介さんの音楽にどう活かされるか楽しみです。

まずは12月のインザスープ、楽しみましょう!」
(夕陽 2018/11/24 12:18)
→女の人は男歌をどうきくんだろうか。
たしかに男歌ってやっぱいいなあと改めておもった夜やった。ガツンときたわ。15日もかましますんでよろしくね。

2018年11月4日日曜日

Vol.224「ARB40周年」の巻

10月末、今年もあと2ヶ月か。10月6日のジュテームが終わると毎年、今年も終わりかぁな気分に包まれて翌年のスケジール帳を買ったりして今年をラストスパートいきますぜってな気持ちになる。朝夕と空気も冷たくなって、イチョウも徐々に徐々に黄色がかってきたり、枯葉を見るたび冬に備えてミノムシみたいな気持ちになるこの頃、いかがおすごしか。

とはいえ去年はジュテームが終わってからもマラソン大会があったり演劇「荒れ野」の稽古がはじまったりと新たなものに挑戦する気持ちになってたなぁと。秋が深まっていくとまた去年の空気もおもいだすんだろうな、なこの頃。
今年はジュテームを終えてからは幾つかのライブに向かい、その中の一つ、ARBの40周年にゲストボーカルとして参加させてもらったことが自分の中で大きかった。

ARBを初めて知ったのは二十歳くらいだったか。大学の友達が主催するバーベキュー大会の河原で後輩と音楽の話しをしていて、その後輩がすすめてくれた。早速聞いてみたら、その男くささに惹かれてハマった。ボーカルの石橋凌さんの歌い方にも惹かれたし、何より曲、歌詞に惹かれた。泥臭く力強くて、その当時流行ってた音楽とは一線を画していて。自分は「HEAT WEAVE」や「長渕剛」や「SION」や数々のFOLKの先人達などもそうだけど、余計な飾り立てがなく等身大で歌ってる人たちにその頃焦がれた。胸の奥が熱くなる、楽しい気分やテンションが上がる曲というだけでなく、ググッと熱くなる。目線は何もない自分にも優しく、下から上に拳をあげるようなパンク精神もあり、この感覚こそが生きてる証だと、人生の道標のようにも思え、生き方にも影響してくる。ともすれば暑苦しいと言われがちな音楽が、時代関係なく好きだった。僕の中では、外国から入ってきたロックやFOLKを噛み砕いて血肉にして発してる人、その人の文体が見えてくる人達に惹かれて、音楽の側面だけを取り入れて適当に言葉を乗せてるようにおもった人との違いが大きく感じて、先に挙げた人たちに憧れた。

十代二十代で聞いた音楽は、その後幅を広げたり経験を積んでも根底に焼き付いてるんだなぁとおもう。 In the Soupを組む何年か前にベースのKと「山賊」ってバンドを組んだことがあった。出会ったばかりの二人で、教えてもらったばかりのARBに惹かれてコピーしてバンドで演奏した。バンド名でもわかるとおり、女子にモテるモテないなどは関係なかった。熱くなれるかなれないか。路上や畑の真ん中で歌っていた自分にとって、狭いスタジオやライブハウスでデカイ音を出すバンドというものが苦手で、周りのバンドマンをみてはただのカッコつけだろうくらいにしかおもえなかったし、地元にライブハウスがなかったのでライブハウスという場所は自分には縁遠いものだとおもってた。そんな自分でもARBのコピーは熱くなれたし、バンドっていいなぁと思わせてくれ、バンドのライブっていうのは何か自分以上の力が出せるものなんだともおもわせてくれた。また、ナヨナヨしてる自分が硬派な気持ちにもなれた。「魂こがして」「ユニオンロッカー」「WAR IS OVER」「トラブルキッズ」「Heavy Days」「Just a 16」あたりをコピーしてた。

それから数年経ってIn the Soupを組んでオリジナル曲で勝負していくことになり、3年後に事務所として声がかかったのがライブハウスの新宿ロフトだった。新宿ロフトと言えばARBの歌にも「LOFT 23時」という曲があるほどARBのホームだった場所で、そのつながりで当時ラジオやテレビでMCを務めさせてもらっていた番組に凌さんがゲストとしてきてくれ、影響を受けた想いを伝えたり、「After 45」を一緒に歌わせてもらったこともあり、LOFTにてIn the Soupとの2マンを組んでもらったりもした。影響をもらった憧れの人とはその曲だけで繋がれればよくて、会いたいような会いたくないような気持ちもあったけど、ミーハー心をグッとこらえて大先輩の胸に音楽で飛び込ませてもらい熱くなった。

それから15年以上たった今年、ARBの40周年ライブにお誘いをもらい嬉しかった。今までも誰かの周年イベントや追悼ライブなどのお誘いをもらったことがあったけど、きっと自分より好きな人がいるだろうとおもうと自分が出ちゃいけない気持ちになり出れなかったことがあった。ARBももちろん自分より好きな人はたくさんいるんだろうけど、燃えた。自分には自分のARBがあると思えた。 いつでも聞き続けてきたわけではないし、知らない曲もあるけど、二十代で燃えた感覚は血が覚えているし、時々聞くたびに血がもどる。また、時間が空いて時間つぶしに一人でカラオケボックスに行けばARBを歌い、歌わずに曲だけ流して歌詞を眺めたりして「こんなにすごいのに、いい曲なのになんでもっと聴いてる人がいないんだろう」と何様目線かもしれないけれど、そうおもったこともあった。自分たちの世代はどちらかというとARB世代ではなく、そのあとのBOOWY世代なんだろうとおもうが、僕には世代を超えて血肉になったバンドだ。

そんなバンドの40周年、もちろんお祝いの気持ちもあったけど、そのほかにも色んな気持ちがあった。影響をもらったバンドに、自分は自分としてやってきたことでおもいきりぶつかって恩返ししたい気持ちや、おこがましくも自分より下の世代にも伝えたい気持ち、自分を応援してくれる人やつながりをくれた大学の友達や、デビュー当時にまだ20代だった我々とARBの2マンを組んでくれた社長や、今回誘ってくれた方への気持ちもあった。そして何よりその全部で、ARBを愛するお客さんたちに対して恥ずかしくないよう、より血肉にして挑んで伝えたい気持ち。いろんな気持ちが力になって挑まさせてもらった。

本番、会場はぎっしりとARBファンで埋め尽くされた。40年ARBを守ってきたキースさん、再結成してからのメンバーであるギターの内藤幸也さん、ベースのEBIさん、そして凌さんの場所に自分が立つ。それがどんだけのことかとわかってたつもりだったが、より実感がわく。2日前のリハーサルでも緊張したが、埋め尽くされたお客さんを楽屋のモニターでみて、「エーアールビィ!エーアールビィ!」と会場に鳴り響くARBコールを聞いて、やはり緊張した。

出番になり「ROCK OVER JAPAN」「Heavy Days」「反逆のブルース」の3曲を歌わせてもらった。 曲、音が真ん中にあった。キースさん、幸也さん、EBIさん、お客さん、スタッフのみなさん、ロフト、全部の真ん中に曲があるような感覚になって、綺麗なその熱がまだ残ってる。MCでも言ったけど、一人一人にそれぞれのARBがあって、それを持ち寄ってぶつけ合い、愛し合ってるような、その真ん中に曲があるのを感じて感動した。

十代の頃、ヒッチハイクの旅の途中で一人、公園の黄色い花をみて不思議と許された気持ちになった、心にある空っぽも、そのままで満たされて輝いて見えた。何かに包まれてるような感覚になって、「愛だな」って普通に思えた。

音楽をやっていて嬉しいのは、曲ができた時だけど、ライブではそこにいる人と会場の空気と、そんな感覚になれた時だ。自分でいて自分でないような、それは何かに豹変するとかではなく、エゴや余計な心はもちろん、自分がなくなる、なくなって満たされる。心と体が行くべくして行く方向に勝手にいくような、全方位から包まれて勝手に動かされてるような感覚。幽体離脱ってこれかなというような記憶が残る。とか言いながら歌詞を見失ったりもしましたが、そんな記憶が残るライブでありました。
これ音楽に限らず、人生の達人だったら日常生活の……例えば洗濯物を干したり畳んだり、食器を洗ったり掃除をしたり、そんな中でもあり得ることなんでしょうね。

リハから本番、楽屋からステージ、会場、打ち上げまで、ARB愛、LOFT愛に包まれ、日本のロックの洗礼を受けたような気持ちにもなり、今までの縁に感謝して。これからも自分のステージ、日常に挑めたらとおもった次第です。と、今月はこの辺で、また来月に。


ジュテ-ムに向けて 靴が欲しく 購入
マ-チン

いままでのエフェクタ-に限界を感じ ジュテ-ムに向けて購入
これからよろしくお願いします。

そしてこちらが20年以上つかってきたエフェクタ-
どうもありがとう

PVチ-ムのみなさんと花火大会

渋谷駅前の釣具やさん
10月いっぱいで閉店
あじのある建物がなくなるのもさびしいとこです
下北の駅しかり
開発建て直しなどするときにまったくちがうものをたてるんじゃなくて
どこかに名残をのこすとかだめなんですかね

携帯も限界を感じ買い換え
もはやガラケーのいきるみちは閉ざされてるのか
どこへいっても在庫少ないと言われて あってもピンクですとのこと 。
ここまできたら半ば意地になっているとこもありますが、いけるとこまでガラケーでいきたいとこです。
んなこんなでデイタが完全に移行できなくて写真少なめであります。

記念Tシャツとバッチ

諭介がお答え致します

■「早いですね。ジュテームが終わりました。待ちに待ったジュテーム、楽しい時間はあっという間に終わってしまって、もっとくれ妖怪が出そうです(笑)土曜日だったのもあり、私が知っているのは何人かですが、遠くから来てくれた顔を見られたのも嬉しく、この日を一緒に楽しみに集まれた今年は今年のジュテームでした。終わってしまったという感じはあるけど、続けてくれるインザスープがあるので、こちらこそいつも次の山を前に楽しみに思えます。でも、長く続いているものなのに、毎回ジュテームの日を迎える気持ちは不思議と新鮮です。それも、分け入っても分け入ってもインザスープかなと思いました。どこまで行ってもある青い部分。音楽で心が動いたりすることがどこまで行ってもあるからですかね。そして、私も来年はとても良い年みたいです、やったー!です。でも、妖怪にはならないよう謙虚に頑張ります(笑) 」
(A.T 2018/10/16 0:57)
→ジュテイムありがとう。山のぼってはまた次の山次の山あるもんで、ありがたやや。謙虚も大事だあね。実るほど-や。まずは実りたいけんど。

■「ジュテーム今年も最高に楽しかったです。 分け入っても分け入っても青い山、広がるイメージは秋空の青い空と澄んだ空気と目の前に広がる深緑。心はただ静かに自分の中に沈んでいく。そんな感じです。 年末までもライブてんこ盛りなので、ひと山ひと山どんなイメージが広がるか楽しみにしてます」
(柿の種 2018/10/21 11:27)
→ジュテイム楽しんでくれてありがとう。11月はライブがっつりだもんで自分でもどんな景色かたのしみや、一個一個のライブに立ち続けてないとジュテイムにも繋げられないだもんでがんばります。

■「こんばんは。ジュテーム行きました。今年もインザスープの事が大好きなのか、台風が来るとか来ないとかでヒヤヒヤしたけど無事終わって良かったですね。 インザスープにはライブではあまりやらない名曲がたくさんあって、今回はそんな曲達も聴けて最後までワクワクが止まりませんでした。 毎年ジュテームが終わると、今年も終わりに近づいているなーって感じるんだけど、今年は12月にもライブがあるから楽しみです」
(夕陽 2018/10/22 23:25)
→ジュテイムありがとう。ほんとに毎回台風に脅かされてるけど今年も念力でそらすことができて無事やれてよかったわ。12月もハッスルや。

2018年10月2日火曜日

Vol.223「秋の渇いた空気にギターの音がよく響く」の巻

9月末、2018年もあと3ヶ月、いやはや早いよ早いよあっちゅうまだ。もう来年の手帳も売り出されてるんだろうな。こないだ手帳を買ったばかりな感じなんだけど。でも2018年のその手帳を開けば毎月ライブが数本入っていて、色んな場所にも行ったんだなぁと。山を越えたらまた次の山があってその間にその山に向かって頭と心と体が動いてを繰り返してきたのだなぁと実感する。次の山は10月6日下北沢シェルターだ。インザスープワンマン、「ジュテーム2018」。只今、曲順をあぁしてこうして練り練り中であります。そんな季節の変わり目、ジュテーム目前、寒暖交互にやってきて風邪なんかひいてられない9月末、気をつけていきましょ、いかがおすごしか。

毎年、この頃になると手帳が売り出されるのを見ては年の終わりを感じますが、もう一つ、コンビニの本屋のコーナーにある細木数子の占い本が並んでるのを見ても、今年も終わりかと感じます。占いは信じるか信じないかと言えばどちらでもない気がしますが、やはり気になって立ち読みしてしまうあたり、「気にしてる」んだろうと思います。しかもこれ「来年はいい年だ」なんて書いてありますとワクワクして、「もっとくれもっとくれ、いいこともっとくれ」と、コンビニの片隅に、もっとくれ妖怪現るとなってページをめくりますが、でもそれを過ぎると細木数子の場合、周期があるので、また悪い年に向かってくのかと思うと調子に乗れないものだなぁと、結局見なきゃよかったと思ったりもして。良ければ良いで「気を引き締めなくちゃ」、悪ければ悪いで「気をつけよう」となるあたり「占い=調子に乗るべからず」なのかもしれませんね。ちなみにあたくそ火星人マイナス、来年はとても良い年みたいです、やったー!です。調子に乗っとるがなって話ですが、変わらず、山越えて、また次の山越えてと一個一個前に進めたらと思います。

先ほどから山と言ってますが、自分の場合はライブ、音楽のこと。最近、改めてよく思うのが、「歌、音楽、ギターがあってよかったなぁ」ってこと。今までも思ったことがありますが、最近もまたよく思います。色んな場所に行って、色んな人、景色に出会えるというのもそうですが、「分け入っても分け入っても青い山」山頭火の句のように、旅を続ける中で、まだまだ何か新しい曲を作れるんじゃないか、作りたいと思えること。音楽を聞いて大感動したり、ぶっ飛べたり、曲ができて嬉しかったりできるのも含めて、変わらずそこだけはいつも初期衝動、自分の中にある。心がそうなる度にまた先に行ける気がしてくる。

バイザウェイ。
話は変わるようで繋がる話だと思うんだけど、20歳くらいの頃、警備員のバイトをしたことがありました。真夏の炎天下、神奈川の交通量の多い大きな道路であちらとこちらで信号の代わりになって赤い棒で車を止めて、工事をしている向こう側の相方と合図を出して、交互に車を止めたり流したり。オーバーアクションで自分側の車線の車を止めて丁寧にお辞儀をしてから車に背を向け、相方のGOサインを待って、サインが出たらまた車の方に向きなおり、お辞儀をしてから赤い棒を回して何台もの車を流す。この繰り返しを日中炎天下で1ヶ月やったのですが、さすがに飽きるわ、暑いわ、ぼーっとしてくるわで、なによりつまらないというのが一番の敵でした。ある時、お昼休憩の時にコンビニの弁当を食べ終わりぼーっと弁当箱を見ていたら割り箸が目につき、ひらめいて、その割り箸をふたつに割ってポケットに忍ばせて、また午後から車道に立ち車を止める。止めた車に背を向けてる間に半分の割り箸を2本、鼻と口に縦にかませて(志村けんなどがよくやるザルを持ってほっかむりをしてドジョウすくいの踊りをやる時に鼻と口にかましてるあれ)相方のゴーサインが出て振り向くと警備員の顔がドジョウすくいのあれになってるというようなことをやったのですが、初めてそれを試みた時はやはり緊張しました。震えてきて、でも、ここでやらなきゃ男じゃない、お前がやらないで誰がやる的な気分になり、何よりこう、ひらめいたことをやらずにいられないので、今思えばどうでもいいというか、やっちゃいけないことだろうとおもいますが、若気の至りで時効だと許していただきたいのですが、その時はそれが自分も楽しく、また、止められてイライラしてるだろう車の中にいる人たちも少しは和んでもらえるかもしれない、こういう警備員がいてもいいんじゃないかとも思い、んが、楽しいことをするには覚悟が必要だと、その緊張と戦いました。合図が出て振り向き、笑う人、怪訝そうな顔で見る人、無視する人。笑ってくれたのは7割くらいだったと記憶しています。そこで僕が思っていたのは、決して見返りを求めないってことでした、見返りを求めるな、ブレずにその先へ突き抜けろってことを言い聞かせて、ふざけているんですが、ふざけてないと言いますか、命がけと言っては大袈裟ですが、何か覚悟を持って挑み観察していました。ここで言う見返りとは車に乗ってる人たちが笑ってくれるということ。笑ってる様を見てこちらが嬉しくなって調子に乗り浮き足立つと、アドレナリンみたいなものが出てオーバーアクションになって楽しいは楽しいんですが、独りよがりでどこか薄ら寒い、自分に気持ちの悪いものを感じる。笑ってくれた人たちはその時は笑ってくれても記憶の中で、調子に乗ってる警備員がいたなぁと残ってしまう。人の記憶を汚したくない、そのために見返りや、さもしい心などの自分のいらない心をなくしてくようにしました。それでもずっとやってるとやはり心が緊張しなくなり、おざなりになってくるとどこか伝わるのか、笑う人が減ったり、怒られたりすることが増えて、やはり伝わってしまうものなのだなとおもいました。今おもうとどちらにしても気持ち悪いな自分、炎天下で頭やられてたのかなとも思いますが、これはこれで色んな人の反応を知れて、人前で何かする時は覚悟がいること、見返りを求めず挑むということを知れて無駄じゃなかったような気がします。

また、その頃、平塚駅前で歌うようになりました。自分がそこで歌うようになった頃は路上で歌ってる人が誰もおらず、地元の人に聞けば「路上狩り」というのが流行ったことがあったとのことで、ヤンキーだかチンピラか、路上で歌ってる人を見つけてはボコボコにしたりカツアゲしたりと、そこから路上で歌う人がいなくなったとのことでした。それを聞いてひるみましたが、試されてる気分にもなり歌い始め、4曲ほどの持ち歌以外はずっと目の前の景色からインスピレーションをもらって即興で歌っていたのですが、「生半可でやってると狩られるぞ」というのも頭にあり緊張感をもって歌っていると、月日を重ねるごとに聞いてくれる人が増えていき、狩られることもなかったので僕はどこか、平塚を制した気分にもなり即興に慢心が生まれ。ある日、そんな慢心で歌っていると、自分のすぐ後ろにある壁、頭のすぐ後ろで破裂音がして振り返ると足元に粉々になったライターが転がっていました。誰かが人混みの中から思い切りライターを顔をめがけて投げつけてきたのだとわかり、力が抜けました。投げられて慢心に気づき、投げられたとしても覚悟があれば力は抜けなかっただろうと、この時のことは今も最低限の自分の基準になってる気がします。

この二つの話がなぜ、「音楽をやっててよかった」という話から続いたのかと言いますと、なんでしょ、覚悟がいること、震えるようなことに立ち向かうことが大事な気がしたからだと思います。そこを超えて自分というものが浮き彫りになったり、経験を積めたり、またわからなくなったり、だからずっと探求できる気もして、自分には何もないことを知らされ嫌になったりもしますが、そんなことを気づかせてくれるのを含めて、やり続けられるものがあってよかったなぁとおもいます。曲作りは特に、長くやってるからと言ってノウハウが役にたつかと言えば自分の場合、そんなことはなく、逆に足かせになったりするところもあり、やってきたことを忘れようとしたり、プライドや慢心、マイナスやネガティブ、いらないものをなくす作業が必要なのも「分け入っても」なとこなんだと思います。やってきたことやノウハウだけでは通用しない、ごまかしのきかない部分、曲ができたと思える説明できない基準だけがやってきたことの結果な気もして。

よくわからない文章になってるかもですが、「分け入っても分け入っても青い山」って句が好きなのは、どこまで行っても青いってところ。どれだけ旅を重ねて汚れて老いても青い部分があること、分け入っていくごとにその青さは輝くイメージ。樹木希林さんが生前、テレビで「ゴミを出さないように生きて、死んで」的なことをおっしゃっていて素敵だなぁと思いました。よくわからない心の山の中に流れる綺麗な川、チロチロと輝く水脈を探すように、もっとシンプルに、簡単に身軽になっていけるように音楽の山を分け入っていけたらと。料理でも掃除洗濯でも、自分を知らせてくれたり、戒めてくれるものは日常の 作業の中にも無限にあるんだろうとおもいますが、自分にとっては音楽が一番わかりやすく、音楽と心がどんどん繋がって、ただ棒がそこに立ってるようなシンプルな自分になれたらと。そうなれたらきっと日常の些細なことでもっと感動できたりもっと感謝できたりするんでしょうね。秋の渇いた清潔な空気にギターがよく鳴るように。と、今月はこの辺で。


空気が乾くとほんとによく響きます。ギターの音がよく鳴らせると嬉し。

最近はほとんどの会場にこのアンプを持参して音鳴らしとります。AERのアンプ、弟が使ってて音を聞いてこれだとおもい購入。

コレ全然うまそうに見えませんが、納豆をかき混ぜ、生卵も混ぜて、醤油少々にオリ-ブオイルを入れてまたかき混ぜたもの。
これがうまくてこの夏を乗りきったスタミナ食でもありました。
テレビで体にいいと知り 直接なめたり、なんでも入れまくってるオリ-ブオイル。うまいっす。

白馬のリハにて。

スキ-場が多いんですね

スキ-場の独特感あり、ホテルの廊下で思い出すは映画「シャイニング」

はじめていった場所にて はじめましての人達と一緒にフォークソングを歌った。
歌ったり楽しそうに体を揺らしたりしてるのみて嬉しくなり、ここでもまた音楽ってすごいなぁとおもった。

秋のお祭り
町内会の人達が一週間も前からテントを立てて会合したり 呑んだりしてて
東京の町ごとにお神輿があって 担ぐ人達に特色があっておもしろい。赤坂はパンチパ-マ大目。

ガラケ3年半くらい使いそろそろ買えどきかと携帯屋にいくも どこいってもほしいガラケ-が在庫切れとかで ないと言われる。
もはやここまでか スマ-トホンにしろという携帯会社の無言の兵糧攻めに いやはやたまるかと踏ん張る私。

ARB 40周年
これも20歳くらいのこと 大學の後輩が「ゆうぼうさん絶対好きなはずですよ」 聞いてみるとなるほどかっこよくてハマッた。
Kと組んでたバンドで数曲コピ-してライブで披露してた。
ビデオも食い入るようにみてた。まさか そんな人達の40周年で本人達と歌えるとわっ。
ぼくもKもいまからテンション高めであります。

そしていよいよ 目前
10/6下北沢シェルタ-にて。

わかかりし頃、母と。

2。

寒かったのが温かくなってきたからか窓が曇り落書きココペリ。   


諭介がお答え致します

 

 ■「私にも諭介さんのピアノマンはこの夏大きめの思い出となりました。諭介さんも手が震えていたかと思いますが(笑)、私も初めて見る諭介さんの姿に緊張や感動で震えてしまいました。背中を向けて弾いていたのは、緊張を最大限に和らげる作戦だったのでしょうか。むしろそれで顔が見えないから、背中がいろんな顔しているみたいでした。たくさん、たくさん練習してたんですね。素敵でした♪曲を変えようとしたとき、変えない方がいいと言ってくれる本田さんでよかったですね。きっとそこで変えてしまっていたら、今みたいな気持ちとは少し違っていたんじゃないかと思います。お互いレベルを上げ続けられる素敵な関係ですね☆諭介さんのことは昔から変わらないなと思っていたけど、毎年いろんなことができるようになっていて、よく考えたらすごい変わりまくっていたんじゃないですかね!」
(A.T 2018/09/19 17:24)
→見ている人を緊張させるピアノマン、発表会の親御さんの気持ちにさせて申し訳ね。安心して聞いてもらえるようになったらまたぜしっ。新しいことをやると初心を思い出せるからずっとやってきた事にも繋がって変わらないでいられたり、青い山の青を忘れないでいられたりするのかもね。

■「こんにちは。 歳を重ねるごとに、「何かやりたい、始めなきゃ!」って思っても、「今さら?」って言い訳してやめてみたり三日坊主だったりで続かなかったり・・・毎年新しい事に挑んでいる諭介さんをスゴいな~‼って尊敬します。
数年前に買って部屋の隅に飾ってあるギターを私も久しぶりに弾いてみようかな?
追伸 一回きりじゃ勿体ないので是非またどこかでピアノ披露してください♪」
(夕陽 2018/09/24 16:29)
→いまさらってのじゃないけど本を読んでも時間がもったいないからすっ飛ばして読んで、意味わからずまた最初から読む、はじめからちゃんと読んどけばよかったなあってのにも似て、あんときやっとけばいまころできるようになってんだろなあとおもうと、ほんのちょっとでもやりたくなるけどなかなか最初のきっかけがつかめんよね。たくさんあるわ、ほったらかしてるの。

■「中尾さん、こんにちは。ピアノすこぶる上手でした。2ヶ月であんなに弾けるようになるなんて!中尾氏の才能めいた逆境から成功へ向かう活力と根性、and本番の心の置き方に、嫉妬するくらい、そうやって目標と向かい合って呼吸してるもんなんだなあと、驚き勉強になりました。ピアノに中尾氏の優しさが見えて素敵な演奏だったと思います。
p.s. 高倉健さん出演の映画でおすすめは何ですか。」
(たかの 2018/09/25 20:29)
→「日本侠客伝」シリーズなどの任侠バリバリのもセクシ-ですし、長島茂雄さんらとともに時代を一斉に背負っていたスタ-だったんだなあとわかりますますが、「夜叉」「あ、うん」など任侠ものというよりかは秘めなくてはいけない想いを心に持ちながら日常を生きる男を演じてる健さんの映画が好きです。日本の刑事としてマイケルダグラスやアンディガルシア松田優作と共演されてる「ブラックレイン」そばを食べたりうどんを食べたりする日常のシ-ンや、突き飛ばされてサっと起き上がるシ-ンが好きです。思えば「幸せの黄色いハンカチ」しかり、健さんの飲食シ-ンなどの日常を表すシ-ンのほうが刀をもったり鉄砲をもったりしてるより好きかもです。


2018年9月4日火曜日

Vol.222「延岡訛りのピアノマン」の巻

あちーあちー夏の熱をゆっくり冷ましてくように風が秋になってきた。今年は秋が長そうだ。夏が夏らしい夏だっただけに、秋はとても秋らしい秋だろうな。とは言えまだまだあちー日が続いてらあね。いかがおすごしですか。

この8月。思えば色んなとこでライブしたんだなぁ。延岡。DJパーティーにお呼ばれして、みんなで作る一夜に参加した。DJといえば若者のイメージだけど、DJたちも幅広く音楽で延岡を盛り上げたいということで自分も呼ばれ、お客さんも老若男女、どちらかというと年齢層が高めのおばちゃん達が踊っていたのが印象的で主催者の願いも叶い、素敵な光景だった。じいちゃんばあちゃん、おいちゃんおばちゃんが楽しそうに踊ってるのっていいなぁとおもった。たしかに街を盛り上げるってのは、じいちゃんばぁちゃん達が元気で楽しそうなことがそこに繋がるのかもしれないなぁとおもった。

東京に戻り、8月は千葉にて3回ライブし、一つは昼間、千葉は稲毛の野外音楽堂にて2曲。2曲だったけど青空と緑と潮風が気持ちよかった。そしてその日の夜にはうって変わって新宿歌舞伎町は新宿ロフトにて夜中の2時から歌った。夜な夜な新宿で遊ぶのも久しぶりで、朝方の歌舞伎町をみるのも久々でなぜかテンションがあがり、ダブルヘッダーで疲れているはずなのに、家に帰ってテンションのおさまりがつかず、朝方8キロ走って、やっと疲れてぐーすかぴーだった。

そして8月24日の渋谷ロフトヘブン。高校の同級生で漫才の相方だった本田誠人とのイベント「待ち合わせ」。
今年3月に地元延岡で行った「待ち合わせ」。誠人は演劇の世界、僕は音楽。別々の道の二人が何をするのかわからなかった人もいたとおもうけど、どちらもたくさんの人に来ていただきありがたかった。別々の世界の二人だけに、パターンがないから逆に言えばなんでもできる待ち合わせだ。

一回目の際、誠人曰く、去年僕が誠人の畑である演劇の世界に足を踏み入れたことで、逆に誠人は音楽の世界にと、延岡での「待ち合わせ」にウクレレを練習してきた。その後渋谷での「待ち合わせ」が決まり、そんでは自分もまた何かに挑戦せねばと普通におもい、かといって一人芝居をやるなんてのも想像しにくく、前々からやってみたかったピアノの弾き語りに挑んだ。

「私とピアノ」
私とピアノとの出会いで思い出すは、幼稚園の頃、母にピアノ教室に連れて行かれた時のこと。ドレミファソラシドとト音記号の書き方だけを習った。ト音記号がその時に上手く書けて先生にすごく褒められて、すごく嬉しかったのを覚えてるけど、ピアノがおもしろいとはまったくおもえず、2日くらい行ってやめた。

その後クラスで弾く人を見かけるも、自分とは無縁のものだろうなとおもっていた。
それから最近までピアノを弾きたいとはチロチロとはおもったけど、今ほどはおもわなかった。
3年ほど前からか、共演したツンタさんのライブを見てて、あんな風に弾けたら楽しいだろうなぁとぼんやり思い、アルバム「オレンジの太陽」のリリースパーティーが決まった時に、そこで弾けるようになって演奏したいなとおもったが、おもっただけであっという間に時が過ぎて練習しなかった。やっぱり自分とは無縁のものなのかなぁとおもっていたけど、今回は誠人との「待ち合わせ」なので、これはウクレレの仕返しをせねばと自然と練習することができた。

6月末に1万円くらいの練習用の鍵盤をネットで買い、ユーチューブで弾き方を教えてくれてるとこを探してそれを見ながら一人でシコシコ練習した。よく、本物のピアノと練習用じゃ弾いた時の感覚が全然違うと聞いていたので、スタジオに行って本物のでっかいピアノを弾いた。練習用でほんの少し弾けるようになっていたので、はじめて本物でそれを弾いた時は感動した。音が広がって楽しかった。「やったね!」だった。ほんの1フレーズしか弾けなかったけど、そこを繰り返し弾くだけでわくわくした。全然弾けてないのに、楽しいと感じれたことが嬉しかったし大きなことだった。はたまた、いつものギターと歌だけの個人練習スタジオに比べると、1時間あたりのスタジオ代も倍の値段がして、そのような視点からも世のピアニストに対してのリスペクトが増した。んが、楽しい。今後もその値段を払っても、本物のピアノが弾けるなら行きたくなる贅沢な娯楽だなぁとおもった。

延岡でのライブで帰郷した際も、ばあちゃん家にあるピアノを弾いた。クーラーもなく蝉の声を聞きながら汗だくで練習した。サウナで弾いてるようで気持ちよかった。なかなか弾けない箇所は煮詰まると嫌になるので、その前に切り替えて弾ける箇所をもっとスムーズに弾けるように繰り返し弾いて、一時してまた戻るを繰り返した。ごまかしごまかし、自分をごまかし、とにかく嫌にならないように、楽しいと思えるままで、ごまかしごまかし、楽しいと思える輪っかを少しずつ広げていった。

んが、日にちが迫ってくると、これ、ピアノばかりに集中していて、歌のことをすっかり忘れていたことに気づく。選んだ曲「ピアノマン」が英語だったことにも気づき、慌てて歌って合わせてみると、歌えないし、歌うと弾けないしで「こりゃだめだ、間に合わん」ガビーンっ、となり、曲を変更することにした。日本語で歌えるのにしようと曲も選んだ。そのことを誠人に話したら「いやいや、それはピアノマンでいったほうがいいやろー」とふっかけてくれて、やるしかないなと思い直して「ピアノマン」でいくことにした。

日にちが迫ってきてスタジオに通い、なんども「こんな状態でお客さんに聞かせていいのだろうか」とよぎった。公言していたので後には引けないし、自分もそういった諦め根性と決別したかったので、またごまかしごまかし、楽しいの輪っかを広げていった。どうしても弾けない箇所は自分流に弾ける範囲でやって、一番大事なことは、ピアノがいくらか弾けるようになったとかじゃなくて、曲の世界観を自分なりに届けることだと言い聞かせて挑んだ。ニューヨークと延岡がいりまじった、僕なりの「ピアノマン」。

本番、会場に行きリハでロフトヘブンのピアノを弾いた。これまたもちろん家にある練習用とも、スタジオにある本物とも、ばあちゃん家にあるのとも感触が違っているし、リハ時にそこにいる人たちに聞かれてるだけで緊張に支配されて手が動かなくなり、どこを弾いてるんだか頭がぼーっとなって、ここにきても「だめだこりゃ」となった。んが、そのあと開場準備に入ってから改めて弾かせてもらい、ピアノと分かり合うように心を少しずつ通わせるように弾いて、なんとか心を落ち着かせた。あとは本番、野となれ花となれ。

本番、何度かつまずいたり、手や声が震えたりもしたけど、なんとかやりきった自分なりの、今できる範囲での「ピアノマン」。何度も震えたけど、スタジオで練習したこと、ばあちゃん家で蝉の声の中汗だくになったこと、買ったばかりの練習用鍵盤にどこがなんのコードかわからないので油性ペンで鍵盤一個一個にABCDEFGと書いて、それが消えるくらい練習したことがよぎって、支えになって、なんぼか心が落ち着いた。

何度も曲を変えたり諦めそうになったけど、へったくそだったとはいえ、自分的にはやってよかった。なんせ、ピアノを弾いてない時もピアノが弾きたいと思ったり、ピアノが楽しく思えて、できなかったことが少しずつ楽しいまんまにできるようになってくのを実感できて楽しかった。思えばギターを弾き始めた時もそうだった。毎日弾いて楽しくて、弾きたくて、弾けなかった弾き方がいつの間にか弾けるようになってたりした感覚。おもろい。これまたなんかに挑むと楽しくもっともっとが伝染するのか、ギターもまた今までより弾きたくなってくる。なかなかやりたいと思っててもきっかけをつかめなかったピアノ。誠人がつくってくれたようでありがたい。できなかったことが少しずつできるようになる楽しさ。できないことを知り、情けない身の丈を知ってから、さあどうしたろって楽しさ。ほんの少しでもスムーズにいった時の気持ちよさ、楽しいが広がっていく感覚。去年のマラソンにも似て、ピアノ、これからもしばらく続きそうだ。2016年はアルバム制作にアイルランドでライブ、2017年はマラソンに演劇、2018年はピアノマン、震えて勇気がいるような新しいことに挑むとその年に焼きついて、年が思い出しやすいというのもあるし、それが全部、自分の音楽を刺激して新しくしてくれるからおもしろい。

「待ち合わせ」別々の畑だからできること、高校時代から刺激しあってきた2人だからできること、まだまだありそうで、別々の道でお互いに切磋琢磨して、待ち合わせてはぶつけあって自分の中のおもろいの輪っかを広げられたらとおもったりもして。来年はまたどこかで待ち合わせしそうな予感なので、僕たちの待ち合わせにつきあってもらえたらと。その時は何卒よろしくお願いします!とおもいながら今月はこの辺で。


延岡の農協の自販で売られてた 「SUPER ゲンキ快」
本番前に なんとも言えない気持ちになる

元気かい?と聞いてるのにかかってるのか

快という字をこうして使うのを見たことがなかったからか 気持ちがざわつく

思わす誘われて選んでしまったけど中身は予想通りデカビタC的な。

幼なじみ
バアベキュ-の準備中
うまかった
この男もまた 子供の時からいまだにたくさんの影響をくれる

ぼかあ 時々 何人かの友達によって自分ができあがってんじゃないかとおもったりもして。

その幼なじみと私
実家の写真より。

おとうと。
つげ義春の漫画に出てきそうだ

高校野球

定食屋のテレビ でみて

満員の店内で興奮 し

よっしゃ!ナイス!
うわっ! おっけい!
ナイスバッチン!

一人とっさに声が出てしまう

tvkしゃかりき 番組をやっている影響か。

ペテカンのみんなと 待ち合わせ。

おとうと現在と甥っ子。

昔のおとうとアゲインと右端いもうと。

長生きのう-
美人さん
なでなで

虫かごが落ちてた

夏も終わりだ 秋がきますよ






諭介がお答え致します

■「中尾さんこんばんは。今夜のライヴに参戦、お話しさせていただいた者です。素敵なライヴありがとうございました。アルバムも早速今聴き終えたところです。最高でした。今度延岡チヌポイントマップ作って、H氏に渡しておきますね(笑)」
(Unknown 2018年8月4日 22:04)
→ありがとう、チヌポイントなにとぞよろしく!

■「ちょっと外に出ただけで焼かれてガングロになる気分です。すごい夏です。九州男児でも無理せずに(笑)熱中症には気を付けましょう。そこには行ったことないけれど、思い立って出かけた夕方の海から夜の海になるまでの音や風景が文章から伝わってきました。はしっこは落ち着きますね。諭介さんは、世の中からはみ出す寸前のはしっこ、って言ってましたが、すみっコぐらしって知ってますか?(笑)それが世の中で人気ですよ。きっとみんないろいろあって、はしっこに共感できる人が多いんじゃないですかね。今回の諭介さんの話ですみっコの人気もちょっぴりわかったような繋がったような(笑)でも、はしっこ好きの諭介さんですが、私の中でははしっこにはいません。バンドでもステージでもど真ん中にいて歌ってるからでしょうかね☆彡追伸:「音をあげる」勉強になりましたよ。暑っ!と声を出すのも、夏の音なんですね」
(A.T 2018年8月13日 16:58)
→すみっこなんとか知らないなあ、流行りものにどんどんうとくなるわ、夏の音、いいね、前向きに感じられるわ、いいね。

■「中尾さん、こんにちは。夜釣りしてお酒チビチビって、中尾さんの文化、すこぶる渋いですなあ!夜の海は一度だけ、波の音がほんと恐ろしく思えた記憶があります。延岡で海の近くに住んでいたんですよね。自分は海なし県だから夜の海に慣れてません、、重たさに落ち着く、すごいなあ、羨ましいです。 

心理的、地理的、自由的なはしっこ感、夜釣りの同属意識や想像、すこぶる理解できました。なるほど!目から鱗でした。自分は違うシチュエーションですが同じような心象を覚えるからです。心象の深層を客観視して的確に表現されてるなあと、中尾さんに感心しました。幼少期より状況を俯瞰しちゃう性分だったりしますかな。はしっこに身を置くと、視野の広がる感あります。精神的にも視覚的にも冷静に状況を把握しやすくなるかもです。
海の浄化作用にて、本来の綺麗な中尾さんに戻れるんじゃないかなあと思いました。

何も疑うことなく燃えてるど真ん中の中尾さんの光りと熱に焦がされるべく、またライヴへお伺いしたいと思います。

灯台って防波堤の突き当たりにある灯台ですか? 灯りつかないのー?」
(たかの 2018年8月24日 10:11)
→うん、ついてなかったね。いざというときにつくんだろかね。海はやっぱ浄化作用あるかもね、落ち着くし。波って激しいのもあるけど、静かな波はなんだかグッとくるわ。

■「はしっこ感、私もあります! 決して控え目な訳ではなく、そこが落ち着くんですね。職場の朝礼でもわざわざはしっこに並び直したりしてるし。それでも私の中にはちょっとは注目されたい的な部分もあってたまに周りとは外れた事をするから悪目立ちしたりして・・・(笑) 今まではそんな自分に対してどっちやねん!と思っていたけど、今回、諭介さんの話を読んで、そうやってバランスを取っていけばいいんだって分かりました。ありがとう。

追伸 江ノ島夕焼け写真、素敵ですね。うん、大きくて優しい。 その時の諭介さんのはしっこ感が伝わってきました。はしっこ感は自分の中の自分と向き合う時間かもしれないですね」
(夕陽 2018年8月25日 23:34)
→うん、向き合う時かもね、と、いったり来たりして、どんどんぶれて、ぶれるほどに芯がはっきりしてくるんじゃないかなあとおもったら、ぶれてんのもわるくないなあとおもたこと思い出したわ。

■「夏が終わるね。
自分はもっと自分でいいんだ、って私もそう思います。他の誰でもない。
待ち合わせ、行って良かった。
本田さんの歌、ウクレレの音、グッときました。
そして。熱い涙は自分にとっては特別な曲。それも聴けた。歌ってるとこを見るのもこれが最後かなって毎回思ってる。
健康に留意してずっと歌っててね。
遠くから応援しています。
かっこよかったよ!笑
またね!」
(Unknown 2018年8月29日 18:46)
→うん、ずっと歌ってる予定。いまんとこ、曲を作って歌う旅を続けられたらと。どっかでまた思い出して、あんな人いたなあ、聞いてみよかとおもっとくれたら嬉しいわ。ライブきてくれてありがとう。


2018年7月29日日曜日

Vol.221「2018年7月熱帯夜、夜の海ありがたや」の巻


7月、猛暑にうなだれて汗だくだくのだくだく、さすがにこれ熱中症になっちゃうわと危機を感じた今年の7月。いやはやびびります。いつも真夏の炎天下になると、「我は九州の宮崎南国育ちたい、なんのこれしき太陽の子ったいね」たいとは言いませんが、そのようなことが頭をよぎります。ついでに中学野球部での練習もよぎります。暑すぎてユラユラ揺れてるようなグランドの記憶。その頃はまだ練習中の水は、監督から許可されるまで飲めなかった時代でありました。今ではそういったことはないし、逆に飲んで自己管理しないといけない風潮に変わったんだろうと思います。だもんでその頃は監督に隠れて水を飲んだり、隣の民家にボールが入れば取りに行ってはその家になっているビワを取って食べたりして難をしのいでいました。前にも書きましたがこのビワに関しては食べ過ぎた結果、監督にバレてとても強烈なケツバットをいただきまして、これもいい思い出です。んで、いよいよ正式に監督より水を飲む許可が下りると全員でバックネット裏にある蛇口をめがけて走り、並んで順番が来たらガブガブガブ!とやるわけです。この時の水がうまくてうまくて今だにそのことを思い出します。小学校のソフトボールの時もそう、親御さんが当番で用意してくれた麦茶のタンクめがけて一杯の麦茶をグビグビグビとやって全身で、かー!うめぇ!となっていました。この7月の酷暑にもその頃のことがよぎり、あの夏を経験してるのだからなんのこれしきと思うも、単純にその頃より夏の気温が上がってると知り、またこれ東京の暑さはモワンとしていて、金魚が金魚鉢の中で口パクパクするように息が吸いづらく、こりゃたまらんと根をあげた2018年の夏です、いかがおすごしか。
(根をあげると書いて、あれ?と思い調べたところ「音をあげる」が正しい漢字だったようです。失礼しました。勉強のために誤用そのままにしておきたいと思います。気づいた人はいたでしょうか)

そう、音をあげてクーラーにあたってばかりいるのもなんだか落ち着かなくなってくるので、野球をやったり外で働いたり、走ったり、キャンプしたりと夏らしく過ごしたりもして。

先日、汗だくだくになり昼間に帰り、クーラーにあたっているとなんだかなまけてる気分にもなってか海がみたくなり、電車で江ノ島へ。
釣竿にクーラーボックスを持って行き夕方5時について、この日はいつもの磯ではなく防波堤の先端へ行き、一応竿は出したものの夕涼みをメインに缶ビールをあけてのんびり竿を出しました。結果小さいフグが釣れただけでしたが、いつもの、「獲物をしとめてやる」といった釣りではなくのんびりと景色を眺めながら、持参したおちょこにコンビニで買った日本酒もちびちびやりながら海の音を聞いてゆったりとした時間をすごし、これはこれで贅沢な時間だなぁと感じた次第です。隣ではカップルが日傘を立てて釣りをしており、「今度はこうやって釣ってみようか」「釣れた釣れた」といったような声が聞こえてきます。それを聞きながらこちらは一人でちびちびやり、「いいねぇ、仲いいことは良きかな良きかな」と、羨ましさをじいさん気分で諌めたりして。日が暮れていくとたくさんいた釣り人が誰もいなくなり、自分はウキをケミホタルという蛍光のものにかえて、暗い海にユラユラと浮かぶ緑のケミホタルを眺めて夜釣りを続行。一時して暗い防波堤を見てみれば誰もいなかった防波堤に人影があり、いや、おばけではなく、夜釣りをしに来た人達が、ぽつりぽつり。さっきまでのファミリーフィッシングといった和気あいあいな雰囲気の人達ではなく、その防波堤の常連さんたちだろう数人が静かに夜の海に竿を出していました。

僕は海釣りにいくと、磯ならなおさら、夜だとまたなおさら、はしっこにいるなぁと感じます。何からのはしっこか、地図で見た時の地理的なはしっこ、世の中からはみ出す寸前のはしっこ、はしっこだなぁと感じます。それでなんだか落ち着いて、自由も感じます。はしっこからその先を眺めたり、はしっこから内側を眺めたり、自分の今までや今を眺めたり、人が思い浮かんだり、ほとんどぼーっとしてますが、そうしていると磯や防波堤、海はそんなことも思わせてくれます。部屋にいてもそれはありますが、夜の海はまた一段とはしっこだなと思えます。そんなはしっこで、夜より黒い人影がもぞもぞと黙ったまま静かな海に一人で竿をだしているのを見てなんだか嬉しく、異様な光景にも見えるけど重たいものを感じて落ち着きます。きっとこの人達も目的は釣りだけど、はしっこに何かを求めてきたんじゃないだろうかと勝手に仲間意識がめばえたりもして。「うなぎ」って映画の冒頭でも主人公の役所広司が夜釣りに行くのですが、そのはしっこ感の重たさでその後の展開も違和感なく観れました。そんなことも思い出して、その映画ほどではないにしても、この人たちもきっと色々あるんだろうなぁと勝手に想像したりして。

思えば自分は、幼稚園から引っ越した千葉でも、小学校から住んだ延岡でも、大学でも、ライブハウスでも、はしっこ感があったなぁと、そんでは、はしっこに対して真ん中はどんな光景かというと、子供の頃はガキ大将がいて、その周りにいる子分たちや、大学では大学生らしくキャンパスライフを送ってる人達、その地域、場所環境に馴染んでキラキラして不満なく見えてた人達に対して自分はいつもどこか馴染めていないような、はずれてるような気がしてた。でも今思うとこちらから勝手にそう思っていただけで、心の中に、はしっこ感やはずれてる感がない人なんて誰一人としていなかったんだろうなとなんとなく思う。みんな何かしら周りとの違和感を感じながら、真ん中だと勝手に思ってた集団や世の中とのバランスをとりながらも自分として生きてたんだろうなと、はしっこ感やはずれてる感のない人なんて誰もいないんだろうなと、そこがそれぞれだからおもしろいんだろなとおもったりもして。
夜の暗さと波の音の中でユラユラゆれるケミホタルを眺めてると、はしっこにいて、自分はもっと自分でいいんだと、ぼーっとしながらも自分の真ん中を確かめてるような気分にもなり、来てよかったなと電気明るい駅に戻り、クーラーきいた電車に運んでもらい、いつもの部屋に帰ったのでありました。はしっこと真ん中を行ったり来たり、これからもこうやって生くんだろうなと、海はいるだけで自分でも気づかない何かを体に思い出させてくれてるようでもあり、ありがたいなぁとおもった2018年7月熱帯夜でありました。と、今月はこの辺で。台風去ったらもう残暑だろか、8月、海、また行けたらと。熱、うまく逃がしながらよい夏を。


延岡にて軽トラにて荷物を積んで
オリジナルラブの物真似でお馴染みペテカンの豪ちゃんと
獣道をおりていって
海沿いにテントを立て二泊の予定が
2日目に豪雨にやられ危険だということで撤退
雨がやんでるすきに撤退するも
軽トラが砂にうまり格闘するもすればするほど埋まっていき
JAFを呼んでたすけてもらう。
ありがたや、そして男二人もいて脱け出せず、なさけなや。
   
豪雨までの釣果。
その晩は急遽友達と肉を囲んで。
気づけば地面でバタンキュウの豪さん。布団がわりの新聞紙で。
翌日は8/24にライブする本田家にて
持ち寄りで飲み会あり
ここでも気づけば
本田家の別室で本田誠人ズサンの空人と寝ている添野豪、
どこでも寝る。
と、今回は豪ちゃんやペテカンの豪ちゃん嫁四条に娘の芳夏ちゃんも一緒の帰郷ということで、誠人の母ちゃん、うちの母ちゃん、母ちゃんの友達の岩崎さんや誠人たちも見送りに来てくれて帰京。    
免許の更新にも行き。とりなおしてからの3年あっという間。ノー違反でこのままゴールドカードを目指したい。講習では14歳以上の自転車の取り締まりが厳しくなるとのことでした。注意されると講習を受けなくてはいけなくなることもあるとのこと。こちらも気をつけよう。    


カップルの横にて
江ノ島夕暮れ。はしっこにて。
江ノ島の夕暮れはいつもとても大きくて優しいです。

ちびちび
陽が沈み
灯りのつかない灯台と月の下で
だれもいない防波堤、海の音だけでちびちび
常連さんボツポツきて
少しだけ話して 帰路へ

はしっこでの静かな時間が楽しかったです。
んで、近所の知らない人んちの茄子成長日記。 

諭介がお答え致します

■お誕生日おめでとうございました!

いろんな方のブログなんかで、中尾さんの楽しそうな時間を拝見してました。体感できず残念!

ここ1年くらいで私は「インザスープ」の荒波にのまれて、いや飛び込んで、最近やっと自分の泳ぎ方を見つけたようです。中尾さんの発する気に負けまいと、私も面白そうなことに突っ込んで「なんでこんなことやってんのー!?自分...」みたいなこともあります。というかやってます。でも、楽しいです。

芸術家の岡本太郎さんや幻冬舎社長の見城徹さんも「なにか決断するとき、困難な方を選ぶ」と言われてました。

燃え尽きて生きたいですね。
またライブ行きます。
(Yuka 2018年6月30日 21:13)
→ありがとう。岡本太郎いいね、てか芸術家ってなんかくれるわ有名無名問わず、なんかつくってる人もなんかくれるもんで、昨日はデビットリンチの一人語りみたいな映画TSUTAYAで借りて観てみたわ。この人も夜の釣り師のようにもぞもぞと粘土細工なんかしててかっこよかったわ。

■暑中お見舞い申し上げます。 
ワンナイトスタンドも熱くて楽しい時間でした。 新曲メロディーが優しいですね〜、家で何回も聞いてます。

梅雨があっという間に明けたと思ったら連日猛暑ですね。中尾さんは暑さ対策でやってる事というか気をつけてる事ありますか?
(柿の種 2018年7月15日 18:46)
→あ、ありがとう、新曲聞いてくれてうれしまだまだライブで、進化させていきたいもんで聞いてね。

■ハッピバースデー梅ー雨ーがあっという間に明け、夏が本気を出してきています。45ロール。数字だけ見ると69ロールまではまだまだですが、年に一度のONE NIGHT STANDで歌う諭介さんは一年ごとに階段を上っているような感じがします。諭介さんが近所のおいさんに余裕を見ていたのと同じように、私もインザスープで歌う諭介さんを余裕で歌っているように見ていました。かっこいいな、スターだ、でも、なんか喋ると変な人だな、面白い、ギャップだな(森の博士の言うそれとは違うギャップ)。だから、震えていることや、やめればよかったと思うことがあるなんて最初は少しびっくりしました。だけど、不安と好きはセットなのかもしれないですね。不安だけならきっとこんなに長く続いてないはずです。これからも、不安を喜びに変えていく体験を重ねて、素敵な初老になって欲しいな~と思っています☆
(A.T 2018年7月18日 17:12)
→なるよ素敵初老に。うんたしかにどちらもないと続けられないんだろね、調子に乗れない世界なんだね、調子に乗ってたなあって時期もなんとなくわかるから、いましめていきたい45ロ-ルやわ。ライブではブイブイ乗ってくけどね。

■こんにちは。

子供の頃もそれなりに不安とかあっただろうけど、大人になると物事を知り過ぎたり経験が増えるからなのか、より不安が深く臆病になっていく気がします。

よく神様は乗り越えられる人にだけ試練を与えるっていうけれど、越えても越えても無くならないし、神様は意地悪だなあ!って時々思います。

今年の夏は始まったと思ったらいきなり本気ですね!
猛烈な暑さも越えるべき壁も越えた後に吹く爽やかな風を楽しみに頑張りましょう!
(夕陽 2018年7月21日 20:30)
→んだね、臆病にもなるし弱音も吐けなくなってくるね、窮屈も感じるけど、新しい壁もでてくるけど、きっと大人になるほどに壁のこえかたも身についてんだろね、はしっこいって確かめるのもそうかもなとおもったりもして。

■中尾さん、こんばんは。45歳おめでとう!心に残ったフレーズがありました。<震えて自分を知ってからが本番なんだなぁとおもう><ギャップを自分で作っては循環して生きていきたい><もらった命を燃やしては自分で時を刻んで生けたら>これが中尾氏の生き方なんだなあと、読ませていただきました。ステージ上の中尾氏が眼前に浮かび上がりました。

写真の紫陽花、萼片がやたらゴージャス!こんなんあるんだね。。
小学生の頃はよくカタツムリを見つけてたけど、大人になってからほとんど見かけなくなりました。中尾さんは最近カタツムリ見ましたか?
(たかの 2018年7月25日 21:33)
→たしかに昔ほどみなくなったけどこないだナメクジみたわっ。家があるかないかで全然違うね。昔見てた虫やら景色に会うのも自分をたしかめられてどっか安心するわね。おめでとうありがとう。