2026年3月2日月曜日

Vol.312「千と千尋のおにぎりニック」の巻

  はっはーん、正月明けてからもう3月とは。「馬年であるから足早に駆けぬけてるのか」と言う人いたが、なるほど早い、早すぎる。もう三月だなんてひっひーんです、びつくり、まじで。自分は2月13日のライブ後に喉を痛めた。ライブ空き時間、メンバーのスージーに「なにそれ?」と聞かれたのはプロポリス。「これね、寝起きとかは喉がちょっとイガイガするでしょ、そんな時に朝一番にシュッと喉に吹きかけると一発でイガイガなくなるのよ、いいよこれ」なんていって得意気だった。その通り自分はこの冬、風邪知らず、これはプロポリスの効果だと過信していたので、最高だよこれ、とか言って得意気も得意気だった。聞いてきた割に「へぇー」なんつって食いつきが悪かったので、自分がどれだけプロポリスを信じているかをアピールするかのように、長い待ち時間の間に何度もシュっと吹き付けていた。いつもは朝昼晩の3回くらいだろうにきっと30回は吹きつけていた。これさえあれば「風邪知らず」と、かければかけるほどに無敵な気持ちだった。いや、それが原因ではないと思うが、世の中調子に乗れないようにできているんだなぁというお話で、翌日咳が出て痰が絡み、病院へ行き、鼻に棒を入れて、んガガ!となりながらコロナインフルの検査をしてもらい、陰性を確認。熱はなく、喉の炎症でそこからの軽い風邪だろうということで薬をもらい、一週間経ってライブ前日に人にうつさないかの判断をお医者さんに仰ぎ、ゴーサインをもらってライブは無事遂行できたが、翌日また悪化して声が出なくなり咳と痰が出た。この間レコーディング予定もずらしてもらい安静にし、より専門的な病院へいき強い薬をもらってだいぶよくなったけど、2週間と長い、熱もなくただ咳が出る、癖がついたように空咳が出て、その度に得意気になったことを反省するこの頃、いかがおすごしか。皆さんはどうですか、これさえあればという何か自分なりの予防策はありますか、あるでしょうね、得意気にならずに教えてもらえたらと思います。
 得意気お調子のり、痛い目見るまでわからないんですから、カツオです。

 今月はニックバッカーズ、2月9日に吉祥寺で行なった「ニックの日」。10年ぶりに5人集まってのライブ、みんなの音がかっこよくて、自分はただそこで浮かんで泳がせてもらった感じです。この10年の間にドラムの大輔は岡村靖幸さんや斉藤和義さんとのライブを経験し活躍中で、ギターのおばっちゃんはmiwaちゃんのギターを15年やり続けていて武道館にも立って、鍵盤大ちゃんもバカボン鬼塚さんやら色んな人と共演し、ベースのKも色んなとこで弾いて、それぞれの10年が合わさって熟成されたニックバッカーズ。会ってなかった10年が信じられないくらいに、別日リハーサルからみんな曲が体に入っていて、何度も練習する必要がなく、本番はさらにかっこよくなっていてさすがでした。今回実現できたのはドラム大輔の行動力ありきで、数年前から月に一度のKと僕が出てるライブに飛び入り参加にきてくれたり、僕とおばっちゃんがライブをすれば足を運んで観にきてくれ、鍵盤大ちゃんとやれば遊びに来て、忙しいだろうにその度にジャブ程度に「ニックやろうぜ」と、可能性をそれぞれにさぐりながら動いてくれて実現に至りました。一回目のリハの後、二人で歩いて帰りながら、リハが気持ちよかったので「今回は集まれたのは大輔のおかげだね、ありがとよう」と伝えると「俺はいい歌があればどこでも叩くんだよ」と軽く言ってきたので「がんばります!」と返した。熱い男です、佐藤大輔。他のメンバーもね、みんな気持ちで音楽して、生きてる。かっこいいです。

 ニックはインザスープが動きづらくなった頃に、鍵盤の大ちゃんが「一緒になんかやろう」と大輔を呼んできてくれ、よそで見てていいギター弾くなぁと思ってたおばっちゃんを僕が誘い、Kはずっと一緒にやっていて、集まった5人。
 事務所やレコード会社から離れた頃、自分たちだけで切磋琢磨し、音源を作りライブをした。当時の歌たちからもその時の気持ちが感じられる。7年ほど活動した中で印象に残るのは、最近よくMCでも伝えていた曲「アカリ」ができた時のこと。自分で何もかも決めてここまで音楽活動をしたことがなかった僕は孤独感もありながら燃えてた。人任せにしていたことを自分でやると身の丈も知り、実感も沸いた。今思うといいことでもあり、やはり餅屋は餅屋、役割が色々あって成り立つこともあるのだなぁと思う。事務的なことの中にも色々あって、お金のこと、CDを作る時の進め方、ライブに向けての宣伝、ツアーの組み立てなど、結果自分がパンクしてしまったところは否めないが、それでも面白おかしく実感を持って活動していた。そんな最中に元いた事務所から名古屋でのライブオファーがあり、それは愛知県で開催される野外フェスのプレイベントで、今思えばフェスへのオーディションでもあった。そのライブでニックとして出演し、ライブ中におばっちゃんのギターの弦が切れた。張り替えている間に、残った我々で即興演奏がが始まり、合わせて僕も即興で歌い会場が一体になっておばっちゃんが戻り更に盛り上がった。ライブが終わるとみんないい顔をしてた。メンバーもお客さんも、元いた事務所の社長もマネージャーも関係者も。その時に僕はなんとも言えない幸福感に包まれた。ずっと胸のあたりが暖かい水でたぷんたぷんとなりながら、馬鹿話に花を咲かせた。みんなにありがとうという気持ちだった。でも、メンバーにありがとうと言うのは違う気がして、その気持ちを調子のいい馬鹿話に変えてみんなで笑ってすごした。翌日車移動で東京へ帰ってもその気持ちは続いて、やり場のない思いをギターに合わせて曲にしたのが「アカリ」だった。前にも書いてますけどね、また書きたくなりました。その時思ったのは、自分は頑張っていたんだなって事。面白おかしく過ごしていたけど、やはりどこか、また一から始めたバンドで認めてもらいたかったり、奇跡の瞬間を追い求めていたんだなという事。結果フェスにも出させてもらえたけど、何より何もないこのメンバーでそんな瞬間を刻めたことが嬉しかった。それを曲にできて、それを聴いた人からいくつかのドラマももらい、曲が旅をさせてくれてる気にもなり。ニックの日、今回のライブでまたそんな気持ちになった。
 そんな経験をして、自分に限らず、人は生活の中で心の中に本当に色んな感情を抱えながら生きてるんだなと改めて思った。必死な時は自分が頑張っているという事なんてわからない、映画「千と千尋の神隠し」で主人公の女の子があったかいおにぎりを食べた瞬間に泣きじゃくるシーンを思い出す。こわかった事、不安だったこと、かけずり回ってる時はわからない、たたかってる時はわからない。あったかいものに触れて決壊するような、どこかホッとして溢れ出す本当の気持ち。生きていれば次から次へとやってくる人生の難題、死別。それでも生きていかなきゃならない中で、決して無くならない悲しみや不安。ただ時が土を被せて埋もれさせてくれるけど、そこにあるもの。無くなって欲しいようで無くならないで欲しいような、ゆっくりと少しずつ土の栄養になっていくようなイメージ。
 知らず知らず頑張って毎日を生きて、頑張ってるつもりはなくても、面白おかしく生きてるつもりでも、きっとどこか頑張ってる。ゆっくり肥料に変えるために、生きてたらやっぱり何かとたたかってる。そんな埋もれてる色んな気持ちを、確かめたり、溢れさせたり、沈めたり、許したりと、きっとLIVEや芸術って「千と千尋」に出てくるおにぎりみたいに、気づかせて、そんな気持ちを力に変える役割もあるんだろうなと。音でそう思わせてくれるメンバーってすごいです。やれてよかったニックの日、気にかけてくれたみんな、観にきてくれた皆様、ありがとうございました。またできるように自分の歌を磨いとかなきゃです。と、今月はこの辺で。ほんとに調子に乗れない体調管理、気をつけていきましょっ、よい春を!

樹木医弟の手伝いへ

この日は公園の木を一本一本弟は診察しそれを自分が書く役目。樹皮枯死欠損など専門用語を当たり前に使う弟は気のお医者さん。かっこいいですね

しかもリーダー的な、たのもし。

めちゃくちゃ気持ちのいい日で、やってる仕事もいい事で、世の中こんなにいい仕事があるのかと思いました。体にも心にもいいお手伝い日和でした。

リハも早めに終わり10年ぶりの乾杯

人形町おにやんま

大久保海太率いるELECも凄くよかった! これはリハ風景。ずっとみてたくなりました。

佐藤大輔

田中大介

K

オバタコウジ

セッションは「シャロン」

ほんで同じ音楽シーンを共有してきた同志であります大久保海太とは、偶然にも月一くらいで共演が決まっております。

本当に次から次へと色んな音楽体験させてもろてます。音楽の神さまからのノックを受けてるごとし並行してyou two..のリハも

人形町おにやんま②

ハダカキッチンベランダより

予防グッズ



 諭介がお答え致します

■「「原島さん、ありがとう」の巻、読みました。最近こそ全然お会いしていませんでしたが、まだインザスープがデビューする前に私は会社の先輩と一緒に原島さんがボーカルだったコネクションズをよく見に行ってて、先輩と一緒に打ち上げなどでもたくさん笑った思い出があります。吉田くん同様頭をこづかれた思い出も (笑)その頃に好きなバンドを聞かれて「インザスープ」と答えていたので、ライブ会場で会うと「今日はよかったよ!」と伝えてくれることもありました。諭介さんが殴られたことは知らなかったけど、私の昔の日記におそらくその日のライブのことじゃないかという内容があって、なんだか答え合わせのような気持ちになりました。原島さんもずっと応援してくれていたんですね。今もいろんなところで歌い続けてる諭介さんのことをきっと嬉しく思ってくれてるんじゃないかと思います」
(A.T 2026/02/20 15:51)
そんな事があったのね、僕は原島さんがバンドで歌ってるとこ一度も見たことないわ、すごいね、しかも違うバンドでは大島さんがドラムだったんだね、いやはやしかも頭こづかれたとはっ、洗礼だね、その日記になんて書いてあったのか知りたいような知りたくないような、、多分あんまりよくなかったとかでしょうなぁ、すいません。それでもその頃に好きなバンド名をインザスープって伝えてくれて、今もこうして応援してくれてありがとう。

■「原島さんとの思い出で諭介さんの歴史を垣間見れて興味深く読ませていただきました。熱を持って対峙してくれる大人は心に刻まれいつまでも大切ですね。
寒波も去り次は花粉・・・という季節になりました。諭介さんもご自愛くださいね」
(あこ 2026/02/27 10:10)
→ほんとに、刻まれて、いざっという時の人との接し方やら物事の順番などの基準になってます。今の僕があるのはそんな人達からもらったものがあるからよね、財産よね、ほんでDNAになってると思う。ありがたいです。体調気をつけて乗り切りましょ花粉の波!

■「原島さんのことはもちろん存じ上げていて、ラジオっ子だった私の中ではラジオDJという印象が強い人でした。その訃報を目にした時、「えっ!」と小さく声が出ました。残念ですね。
リクエストライブ、諭介さんに愛でられた20曲全部、こちらも心で愛でながら拝聴しました。毎回とても楽しみにしています」
(夕陽 2026/02/27 22:33)
→そんなにラジオでも活躍してたなんてっ、自分的にはライブで会う人だったからラジオ局で会う原島さんが新鮮でした。リクエストライブも聴いてくれて楽しみにしてくれてありがとう!

■「「原島さん、ありがとう」の巻
人と人が繋ぐご縁、周りめぐってカタチを変えても繋がり続け、根づいていることなど…とても深いものを感じ胸が熱くなりました。

人間真摯にやり続けたり、望み続けたら近づくんでしょうね。
こういった一連の諭介さんの生きざまは、諭介さんの歌うそのままで、希望が最後には見える歌の一部のようでなんだか夢物語のようで素敵だなぁと改めて思いました✨」
(mina     2026/02/27 23:47)
→たくさんの熱をもらったあの頃、今になってはもう今の自分の方が年上で、あの時の熱を今度は誰かに伝えられてるだろうかとふと思う時があるわ、小学校6年間毎朝僕を起こしてマラソンに誘ってくれたおいちゃんとかソフトボールの監督とかも、当時はめんどくさいと思ってても後々、感謝になってありがたく思うわ。

■「リンクを貼ってくれていたyoutube全部ではないけれど拝見しました。すごい盛り上がりと迫力でした。1999年というとインザスープはデビュー前だった映像なんですね。若い!笑
原島さん私はあまり存じ上げない方ですが、今回の諭介さんのコラムで愛情を持ってバンドマン達そしてインザスープに接していた方なんだとわかり、とてもじーんとあたたかい気持ちになって読んでいました。そしてお会いしたことはないですが、ずっとインザスープそして諭介さんの歌を聴いてきている私も天国の原島さんに感謝でお祈りしました。
これから3月東京は桜の時期でしょうか。季節の変わり目、椎名桔平の日までお体も大事に過ごしてくださいね!」
(hitomi 2026/02/27 23:54)
→僕達の音楽がみんなに届くまでに本当に色んな人のチカラが合わさってぶつかって喜怒哀楽むき出しで送り届けていた事、その中の中心にいた原島さんをお伝えできてよかったなって思えました、受けとってくれてありがとう。