10月も終わり、11月。2021年もあと2ヶ月か。2021年、今年はまたこれから先、すぐに思い出せる年になりそうだ。2021年秋、いかがお過ごしか?
僕はと言えば何かと忙しくしております(自然と連載の締め切りが遅れている言い訳をしていますね)。たまに自分で「あれもやってこれもやって1,2,3,4,,,」なんつって「がんばってんな」と褒めてあげております。一個ずつ一個ずつ自分事。
自分事と言えば最近よく元々の元を思い出す。高校時代に部屋の中だけで歌っていれば満足だった時から、オタマジャクシの手足が生えるようにポコっと「人に聞いてもらいたい」という思いが生まれ、人に聞いてもらったり路上で歌ったりした順番。人の歌を歌っていれば満足だったのがこれまたオタマジャクシでポコっと「こんな歌を作りたい」と思った順番。自分の歌を作るようになってこの旅が転がり出した気がします。「人生レール」や「あの頃は」頃か。
先日バンド、G.D.FLICKERSの36周年に4-STiCKSのボーカルとして出演させてもらった時も自分の元々を感じ、縁を感じた。自分の縁などを語って面白いかしらと思うも自分で整理したく書きますので、お付き合いいただけたらと思います。どうでもいいかもしれませんから、楽しく読めるように少し落語口調で書いてみようと思うので、落ちは無いと思われますが、できたら落語調で読んでみてください。ドンドンドン♩
何から話しましょうか、そうですね、え~私は宮崎県は延岡市というところで育ったわけですが、延岡、この街にはライブハウスというものがなかったものですからバンドマン達の発表の場と言いましたら、公民館や学校の教室、はたまた記念会館ということになるわけですが、私は長渕剛から入りまして、さかのぼり日本のフォークシンガー達に傾倒していったわけですから、地元の同級生バンドマンに対しては憧れがありつつも「バンドなんてコンセントを抜いたら終わりじゃねぇかい、どうして肝心なところを南蛮渡来の言葉で歌っているんだい、なんなんだいマリオネットって」などとよくわからないバンド形態への悔し紛れの対抗心を燃やしておりました。それから上京し、程なくして新宿ロフトや渋谷のラママというライブハウスに足を1、2度運んだのですが、そこで演奏していたのがナント、ここ数年、年に一度ONE NIGHT STANDというバンドを組まさせてもらっているアナーキーの藤沼さんや大島さんのバンドだったのであります。新宿ロフトは延岡にいてもBOOWYやデラックス好きの友達からその名を聞いておりましたから「ここかぁ」などと思い、中に入ってみれば伝説と勝手な推測も手伝って非常に危険に満ちた感じに感じ、またこの広さでこの音の大きさにびっくりし、あぁ、こりゃ自分の来るべき場所ではないなと、無理だなと、自分は「路上で十分だ」となったわけです。するってぇーと大学でインザスープのメンバーと知り合い飲み仲間になり、路上で一緒に歌い青春を謳歌していたところ、やっていたバンドのボーカルが抜けるってんで、ボーカルにと誘いをもらい、嬉しく思うもそれまで対抗心を燃やしていた「バンド」というものに対しての苦手意識を一ヶ月語りつくし、ようやく正式に同じ夢を持ちナント、晴れてバンドマンとなったわけであります。色んなライブハウスに出演して3年ほど経ちますと、いわゆる音楽業界の方々からちらほらと声がかかるようになり、こちらもいぶかしみながらナメられてはなるまいと背伸びをし、背伸びと言いましても話せば馬鹿がバレるので、あまり余計なことは喋らず話すのは吉田くんに任せると言った程度のことでありますが、そんなことを繰り返しているうちにナント、自分の来る場所ではないと思った新宿ロフトの社長のシゲさんより声をかけてもらったのです。
「あの新宿ロフトの社長か」と勝手なイメージを抱き会ってみれば、それまで会った業界人の誰より同じ目線で正面から話をしてくれて、我々もシゲさんを好きになりナント、新宿ロフトの事務所「PINK MOON」所属となったわけであります。しかもそれまであった小滝橋での立ち退き問題などを経て、シゲさんが現在のロフトに移転を決めた頃、我々は所属となり新たなロフトの歴史を作り始める瞬間に立ち合ったのであります。シゲさんはまずテレビ朝日の音楽番組「ブレイクアウト」の企画で「バスツアー」という、全国のバンドマンが9組ほど同じバスに乗って全国を回るという企画に東京代表として我々を送り込み、デビューへのきっかけを作ってくれたのでした。そしてこの時に福岡代表のバンドでベースを弾いていたのがナント、前記したONE NIGHT STANDのベースのソガッチであります。
シゲさんはロフト所有の練習スタジオも作り、我々はそこで練習をしていたのですが、そのスタジオのロビーにG.D.FLICKERSのレコードが飾ってあり、国会議事堂の前で金髪赤髪で化粧をして、いかにも悪そうなジャケットで、その危うさに「あぁ、こういう人たちとは交じりあうことはないだろうなぁ」と思っておりました。
それから時は過ぎ、PINK MOON所属ではなくなり数年が経ち、インザスープが動きづらくなり、ニックバッカーズを結成し数年後、ギターのオバっちゃんが漫画家浦沢直樹さんのバンドでギターを弾き、対バンが泉谷しげるさんだと聞き、観たいと思い渋谷のプレジャープレジャーに行けば、泉谷しげるバンドの凄まじさに「これは戦争か」と思うほどの、久々に味わうライブを観て血湧き肉躍る感じに大興奮し、トイレで顔を洗い、すんごいもん観たと鳥肌が立ちまくったのですが、そこでギターを弾いていたのが藤沼さんで、泉谷さんとの音歌の出し引きがあ・うんの呼吸でカッコよく、その迫力と侘び寂びを感じるギターに、自然と泉谷さんの代わりに自分だったらと想像したのを覚えています。そしてナント、その一週間後に吉祥寺のライブハウスGBより藤沼さんとの対バンのお誘いがあり、対バンをし、翌年、GBのショウヘイさんが企画の一夜限りのバンド「ONE NIGHT STAND」がはじまりナント、上記した大島さんとソガッチがそこにいたわけです。こんな縁をもらって一夜限りと言いながらこれが8年続いてるんですから、自分でもびっくりです。
また数年後、インザスープのベースのKが4-STiCKSのベース柳沼さんと知り合い、自分も含め呑む機会があり、事務所PINK MOONの先輩であることがハッキリし、事務所の先輩なのに、近くにいたのに、15年近くナゼここまで面識がなかったのか、PINK MOONは4-STiCKSを売り出すためにシゲさんが作った事務所であることなど、その当時の話を聞き、また、ボーカルの南野さんは2012年の大阪通り魔殺人の被害者になり、毎年命日の6月10日にロフトで追悼ライブを行なっていることを聞き、南野さんの歌を流しながら他メンバーが演奏をしているとのこと。そのイベントにお誘いをもらい対バンとして参加し、その後、南野さんの代わりに数曲歌う提案をいただき、南野さんと話をしたこともない自分が歌っていいものか考えるも、この人たちがいなかったら今のインザスープもなかったんだと思い、事務所の後輩である自分が歌わしてもらうことになりました。1996年インザスープ結成の年にソニーからデビューした4STiCKS、初めての事務所としてシゲさんやバンドが夢見て勝負をかけた風景も想像しながら歌い数年、やはりオタマジャクシのように、今のこのバンドで新曲を作ったらどうなるかと思い提案し、去年から作り、転がりだして4-STiCKSとしても歌う機会が増えてくると色んな繋がりを知り、昔から4-STiCKSの先輩であったのがナント、G.D.FLICKERSであったということで、周年イベントに呼んでもらうことになり、あの練習スタジオで見たレコードジャケットの先輩「交わることはないだろうなぁ」と思いっていた先輩達と交わることになり、はたまたボーカルのジョーさんが慕う先輩がナント、アナーキーでと藤沼さんとの繋がりを改めて感じ、亡くなったシゲさんが繋いだ縁かイタズラか、縁が繋いだその音に刺激をもらい、今繋がったから知れる音楽の、ロックンロールの凄さをここにきて新たに体感し、その場にいれて、あの一人で歌っていて満足だった部屋から始まった歌音の旅は間違っていなかったとも思え、まだまだ先があることを音で教えてもらい止まらずにすみ、ありがたく感じます。全ては音歌曲、自分事の栄養にして、この刺激をこれからのインザスープに、自分に流していけたらと思いながら今月はこの辺で、ドンドンドン♩
スポーツの秋。早朝野球はいつもボロ負け。でも気持ちよくて楽しい |
今年はジュテームを遂行しなくて、ちとせつない秋になり。来年はできたらと。 |
やっぱりこういうペットショップに違和感を感じる。保護されて殺される命と繁殖させて売られる命。買った人も働いてる人もいるだろうけど、これからの話、少しずつ違和感がなくなる方向に向かったらいいなと思う。 |
これ本田誠人筆。高校時代漫才をやっていたけど、誠人より文化祭で笑いなしの真面目な2人芝居を提案され、2人芝居した台本。誠人の処女作やないやろか |
秋は夕方から月が綺麗 |
「氷の世界」レコード買う。買ってよかった名盤。 |
昭和の中古感が楽しめるのもいい。 |
そんな氷の世界のカバーをYouTubeにて。 |
私はインスタなどの宣伝画像をみて、あ、これいいなポチっとな、なんつって服を買う事をしない事を誓います。サイズ感質感が合わず、返品も全額戻ってくるでなし、作業着ズボンなどはしゃがんだだけでおしりが破れて踏んだり蹴ったり。もう懲りました。誓います。 |
吉祥寺GBのライブにて、アンプとギターを運ぶのにこの台車で運んで行ったのに、帰りは手持ちで帰ってきて後日台車だけを取りにGBへ。荷物を乗せてなんぼの台車が、ただの荷物になって、なんだか台車に恥ずかしい思いをさせてしまって、申し訳ない気持ちの帰り道。 |
大久保ってこんなに都心にあって、こんなに別世界。電車降りてちとテンション上がる昭和感。 |
こういうロッカーとかも。 |
楽しい夜でした。 |
これみて交じれるとは思いませんでしたよね。髪の毛みんな多いですね、いまも。 |
そしてこちらは悪魔のアルバム。悪魔とはいえ、前向きになったり、うつみようこさんとのセッションがカッコよかったり。何よりロックンロールが洗練されてて贅沢な気持ちになります。いろんなとこを転がってきたバンドってどんどん綺麗で神々しくなってくような気がします。 |
そして転がって高みへ登ってくと言えば藤沼さん。藤沼さんもチンピラ風情でデビューしたものの、途中からガッツリギターの腕を磨き、ギター雑誌が選ぶブルースギターの名手5人の中に入るなど、今現在もまた進化を続けている先輩。この世界、本当に調子に乗れない世界だと、進化止めたら終わりだと音で知らされる。コケつけてる場合でないべと、自分先輩に恵まれております。 |
諭介がお答え致します
■「急に寒くなりましたね。お元気ですか?最近参加した健康についてのオンラインセミナーでホルモンの話が出て確かに波打っていました。諭介さんのコラムを覚えていたので、人間の中にも海はあるんだなぁって。それでびっくりしたのが女性の場合ですが、一生で分泌されるホルモンの量ってティースプーン一杯だけらしいのです。よくホルモンバランスの乱れで体調を崩すとか聞きますが、そんなちょびっとの量で心も身体も左右されるのであれば、本当に1日として同じ日ってないし、いろんな自分がいるのもわかる気がしてしまいました。ライブの日に感じる一曲への思いがそれぞれで違うのもなんだか納得です。諭介さんのノート一冊作戦、興味深い話でした。作る曲について、なんでもいいわけじゃないって言うのを聞いてから、新曲には毎回、これはなんでもよくてできたやつじゃないんだ!って思います(笑)曲の中に諭介さんっぽさを見つけて嬉しくなるのは、たくさんの言葉の中から発見したキラキラだからなのかな」
(A.T 2021/10/20 17:24)
→がはっ、うん、なんでもよくできたやつじゃないね、やっぱりあるもんね、なんか、できたって思えたり、できてなくてもやりたいっって思えるラインが、あるね。しかしのしかし、ホルモン分泌スプーン一杯は興味深いね、誰がどうやて調べたんだろね、ほんとに目に見えないくらいチビっとずつか、第一ホルモンバランスってなに?ともおもうけど、波をうってるのねやはり人間も。
■「お元気ですか? 季節外れの暑さが続いたかと思ったら急激に寒くなって芸術の秋を通り越していきなり冬が来てしまったようでビックリですね。
諭介さんが書いてるように私達は月の満ち欠けや波の満ち引き・・・不思議な力に影響されて生きているように感じます。
私も感情や体調の波が激しいみたいで、なるべく穏やかな波の中で生きていたいけど、世の中の流れに着いていけなかったり多忙な毎日にヘトヘトになったり・・・そんな時に諭介さんの歌を聴くと荒波にのまれそうになった心が穏やかになっていくのを感じます。音楽や芸術の力ってスゴいなって思います。
諭介さんの心にもしっくりとくる良い波が来てそれを逃さず捕まえられますように」
(夕陽 2021/10/23 23:21)
→波あるねー修行だね、人間年行くごとに穏やかな心をめざして修行してるのかなとも思ったりして。
経験を重ねるほど無駄なく穏やかに生く修行かな。なるべく穏やかな波でいられたらいいねぇ。全部じゃないけど歌の中にそんな穏やか超音波を混ぜてる時あるからキャッチしてね。
■「こんにちは。緊急事態宣言も解除されたし、今月からは配信だけでなく、ライブハウスにも少しずつ足を運んでいます。やっぱり、生の歌や現場の空気は良いですね。
吉祥寺GBでは、新曲を2曲聴けたのが嬉しかった。どちらも本当に良かった。night riderは配信で聴いて、アーカイブでも繰り返し聴いていたけど、やっぱり中尾さんの生の歌は最高で、最後ちょっと泣いてしまいましたよ。あんな風に歌われたら、もう…。
場と鳴る「秋川渓谷修行」これがまた良くて。岩、木の根、ギターのボ~ン で始まりワクワクした気持ちになったところで、響く救急車のサイレン音に心がザワザワ… からの、自然に包まれての歌と演奏に水音が合わさって心休まり、そして蚊に刺されたのか、演奏終わって腕をかくところは、何度見ても新鮮な気持ちで笑えますね。最後はしたたる水音と、ギターのボ~ン… ボ~ン… がお寺の鐘の音のようにも聞こえて、何やらおごそかな気持ちになってしまいます。
他のライブのこと、歌継ぐの氷の世界がとても格好良かったこと、4-STiCKSの新曲がかなり良かったこと、言いたいことは無限にありますが、長くなりすぎて自分のブログにでも書いとけって感じになってしまうのでこのあたりで。ライブや配信や動画でいつも元気をもらっています。ありがとうございます」
(匿名 2021/10/25 5:23)
→デジタル、配信もyoutubeやらも手探りだけど、その場で共有できないから感想もらえるとありがたいです。蚊に刺されても撮ってよかったっ。
ほんでやっぱ生で聴いて体感してもらうとまた違いがわかって面白いね。演る側としても観る側としてもライブって当たり前じゃないことやその無限な感覚も再確認できる時なのかもねっ。新曲も体感してくれてありがとう。
■「こんにちは。すっかり秋が深まってきましたね。
諭介さんの歌詞はろ過されて作られているんですね。日々感じていること、思っていることって私は特にですが、言葉にするのって難しいなと思います。目に見えないしかも心の奥底の気持ちを引き出すときはすごくこわい気もします。見たくなかったなっていう言葉もでてきそうで。でもその作業を諭介さんは一曲作るごとにそれをしているのか~と想像すると心にぐっと入ってくる感じはそのせいかと納得です。
最近気が付いたのですが、自分が好きな歌詞や文章って、日々自分が思っていたり感じていることだったりするんです。目に見える何気ない感情もあれば、感じたくない実は隠していた思いなどが大好きな人たちが書いて見せてくれる歌詞や文章から見える形で教えてもらったりします。
芸術の秋も諭介さん、インザスープの歌の波に揺られながら過ごしたいと思います」
(hitomi 2021/10/27 6:09)
→本当に、難しいよね。電子文字だとなおさら意図してない伝わり方しちゃったりすることもあるんだろうね。自分と向き合うのは見たくない自分にあってこわかったり恥ずかしかったりするけど、メロディーがあってよかったと思う。言葉だけだったら恥ずかしいこともメロディーに乗せたら言えたりするもんね。メロディーってなんてでっかい存在なんだと今書きながらおもったわ、愛かもね、これからも作って発信してくので受け取ってね。いい音聞いてよい秋を。
先月は寒いと書いたけど、今月はあったかいです。こんにちは。インザスープだけ知っているときには「ONE NIGHT STAND」と「4-STiCKS」で諭介さんが歌っているなんてまさかまさかですよね。私もそう思います。この前のライブは配信で見ました。4-STiCKSで歌う諭介さんはギターを持たないでピョンピョンまた若返ったような、なんというか新鮮です(笑)諭介さんが歌うようになってから作った新しい歌があるのはいいなと思いました。一夜限りだったはずの「ONE NIGHT STAND」がずっと続いているのも嬉しいです。人との縁は不思議ですね。でもきっとどこか求めているところもあったから繋がれたんじゃないかと思いますよ。聞いたことあって知っていることがある話でも落語調になると楽しいですね。「ナント、ナントの縁、縁、縁」タイトルのリズム感も面白かったです。でも違っていたら、ごめんなさいですが、後半の途中あたりから、落語調忘れていませんでしたか?と思いながら今月はこの辺で~ドンドンドン♪(笑)
返信削除こんにちは。落語口調で座布団に正座している諭介さんを想像しながらドンドンドン♪と拝見しました。
返信削除縁ってスゴいですね。諭介さんの交遊関係が広いだけなのかもしれないけど、点と点が繋がって線になって・・・とはこういうことをいうのかなーって感じました。私はそんな奇跡的な縁を感じた事はあまり無いけれど、諭介さんやインザスープとの出会いが私にとって何か意味があってのことだと信じてこの縁を大切にしていきたいです。
急に寒くなりましたね。コロナも少し落ち着いてきたけど、まだまだ元の生活には戻れなくて・・・ライブへも足を運べずにいますが何も気にせずに音楽を心から楽しめる日が待ち遠しいです。
縁が繋いだ音。ってなんかいいですね。one night standの配信を聴いていて諭介さんやインザスープの歌を違うメンバーの人の演奏で聴くと全く違う曲に聞こえてしまうくらい新鮮だったり感動したりして、なんか新たな発見!みたいな感覚で聴けてよかったな、また聴きたいなって思いました。
返信削除ご縁って不思議ですよね。諭介さんみたくまさかのご縁がこれからどんな未来に繫がっていくのか楽しみですね。あっあと前回のメロディーが愛かも。というのを聞いて、諭介さんやインザスープの歌が好きな人たちはみんな愛で繫がってるんだと思ったらなんか嬉しくなりました。