節分、季節を分けて今日から春だといってくれておきながら、毎年そこからが寒さ本番なんだよなぁと。んが今年は季節より感染者数と非常事態宣言の延長か否かが気になるこの頃、いかがおすごしか。
今年はデジタルの世界にも飛び込むぞぉっと言いながら、道険しく、インスタグラムを始めたぐらいであまり成果をお見せできておりません。それどころかデジタルに触れる機会が多くなったことで、「わら半紙ってなんかよかったよなぁ」とか「レコードってやっぱりいいよなぁ」と逃避願望バリバリに。まだまだデジタルの入り口の入り口に立っているというのに、アナログを求める心が育ち、わら半紙を買ってみたりして。
去年の暮れに、吉祥寺はチェインギャングでのライブの際にわら半紙を使って新聞を書いてみました。
今回の「センチメンタルの馬鹿野郎」はその新聞に登場してもらい託したいと思います。
その前に、この新聞、名前は「Fuckin’貧乏」って言うんです。これは自分がまだインザスープを組む前に、フォーク喫茶四ツ谷コタンにて歌ってた頃、ライブ毎に書いていた新聞のタイトルであります。
この「Fuckin’」と「貧乏」を組み合わせたことにより新しさを感じ、しっくりくるなぁと。意味は特にないんだけどしっくりくるなぁってだけで決めた言葉です。まだ20代半ばの風呂なしアパートの頃にしっくりきてた言葉で、愛着が湧いてしまっている言葉なんですが、今いざ書いてみるとちょっと「キツっ」ともなりました。
「Fuckin’」はそれだけで個性的で何か前衛的な響きですが、単体では成り立たず、「え、何が? 何に?」となります。
「貧乏」もまたそれだけで存在感があるのですが、ともすれば寂しいだけの昭和枯れすすきになってしまいます。その2つが合わさることにより起こった自分の中のしっくり感、化学反応。それぞれ別の方向を向いてるものを合わせると、自分の中で面白いなと思えることが起こるんですね。改めて分析してみてわかりました。
今回は写真のコーナーにてその「Fuckin’ 貧乏」に託しまして、今月はこの辺で。文字が小さいので指で広げて読んでもらえたらと。
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キラキラしたあの光のタマは、永遠ですかね。そう言うことにしましょ。永遠てあるんですな |
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つけるべしって書いてあったのにっ。ってなんでもやりすぎはいけないんですね。 |
諭介がお答えいたします
■「こんにちは。引き続き感染対策継続中ですが、新しい一年が始まりました。最近は突然始まった諭介さんのインスタグラムが楽しみに増えました。デジタルと諭介さんがあまり結びつかないけれど、ハッシュタグの使い方に挑戦を感じるし、そういう意味も含めて、なんだか面白くって、新しくって、風を感じます。そして、やっぱり諭介さんらしい雰囲気にホッとしたり。写真や動画楽しみにしています。21周年ですね。もう20でも21でも、Kさんも数字にはこだわらないっていつも言ってるし(笑)、やっぱりずっと何かやっていてくれたらいいなぁと思っています。そういえば、去年の漢字一文字を「笑」にしたのに、全然笑えなかった一年だったな~と今ちょっと笑っています(笑)でもウイルスには笑うことがやっつける力にもなるそうなので、今年はマスクの中でも、もっと笑っていたいなと思います。お互い気を付けながら元気で頑張りましょう。今年も応援しています」
(A.T 2021/01/20 11:59)
→どんなときも何か笑えることみつけたいね、スマイルソルジャーですよ、どんだけ笑えるか、戦いですよ。スマイルとソルジャーも相反してそうで、合わさるとなんかしっくりきました。なるべくそういうもんでできるだけ埋めれたらいいな。年をいくごとに笑い声の中にいれるって、心から笑ってる人ってかっこよく感じるわ。笑ってこう!スマイルソルジャーですよ、ロックンロールですよ、コケがつかない、キラキラしていこうや!
■「2021年が始まってもうすぐ1ヶ月ですね。毎月この連載を読む時に、来月更新される頃には少しでも良い方向に進んでるといいなーって願いをこめてるんだけど状況はあまり変わってませんね。
変わった事といえば、諭介さんのインスタグラム。諭介さんとインスタって絶対交わらないものだと思ってたのでビックリしたけど新しい始まりですね。
音楽をその場で体感することが容易でなくなってしまった今、諭介さんの新たな挑戦がとても嬉しくありがたく感じます。
どんな状況でも変わらず応援しています。今年もたくさん素敵な歌を飛ばしてくださいね」
(夕陽 2021/01/25 23:34)
→応援ありがと、どんな状況でも発信していくから受信してね。インスタグラム始める時に調べたらハッシュタグをつけるべしみたいな事を読んだのでつけたのだけど、半角やらスペースやら、どれが正解なのかわからなくなり、ハッシュタグを調べたの、そんで行き着いた文に「は!!!がびーん!」とちびまる子ちゃんの顔に縦の線が入るようなことが書いてあって、(写真のコーナーで載せるね)慌てて方向転換したの。ちょっとここ最近あげれてないけど、ぼかぁインスタグラム好きだね。また更新するのでみてね。
■「今年もはじまりましたね。インスタライブ視聴しました。諭介さんコロナにかかってないかなとか勝手に心配していたので元気な姿を見れてとても嬉しかったです。
しかも新たな挑戦している話も聞けて、驚きながらもすごいなー!と感心しながら聴いて、私もがんばろうと思いました。
今年に入って私のまわりでも何人もの普通の人がstand.fmというラジオの配信を始めたりFacebookライブやインスタライブ…視聴するだけで精一杯の私ですが、風の時代に移行しているのでしょうかね。
写真のベースは諭介さんが弾くのですか?イメージになかったので新鮮でした。
今年も何かの形で諭介さんの歌やギターがたくさん聴けますように!」
(hitomi 2021/01/27 14:45)
→ベースは自分で弾こうと思って借りたんだけど、あんまり弾いてないなぁ。ベース、イメージないよね。ここだけの話、路上弾き語り上がりだったので、インザスープで初めてリハーサルした時にKに「なんでベースってあるの?」と聞くくらい、その役割がわからなかったの。でもやりはじめてすぐにその重大な役割に気づかされて、ここ最近では、聞いてるキースリチャーズのソロアルバムのベースがズンズン響いてきてキースリチャーズの曲ってベースがかっこいいなぁとなったの。自分で弾いてるかはわからないけど、ベースにこだわってるんじゃないかと推測して。本当にこんなにかっこいいことやってるのに聞く機材によってはベース音がほとんど聞こえずらいものもあるでしょ、そこもなんかいぶし銀、かっこいいなぁと思って、また、ベースを弾いてアコギの奏法にも影響したらいいなぁと思ったの。ベースって、キースリチャーズって優しいよ、DEMONって曲に包まれて、なんとも言えん力を湧き上がらせてもらってるわ、インスタにジャケットのっけてみるわ、おすすめです。
今日は暖かいですね。東京は初夏の陽気とニュースにあって、少し早めに諭介さんの“初夏でしょーか”を思い出しました。そして、久しぶりに耳にした「わら半紙」。諭介さんってやっぱり……面白いんですね。「Fuckin’貧乏」も指で広げながら目をチカチカさせながら読みました。デジタルわら半紙ですね。デジタルとわら半紙を組み合わせてみました。どうですか?どんなときも笑えることを見つけたい。コメントの返信に、本田さんのこと、諭介さんはもう知っていたのかなと思い返しました。あいつには勝てないなぁと言っていた諭介さんの言葉を思い出します。残念ながら勝てないままですね。本田さんずるいですね。でもそれもにやりと笑ってそうな気がしちゃって私も全く勝てる気がしません。昨夜のライブ、配信で見ていましたが、とってもよかったです。今は辛いことが多いけれど、いつでも歌ってくれている諭介さんに私もスマイルソルジャーでいようと思わせてもらっています。
返信削除わら半紙も諭介さんの手書きもすごくいいですね。なんかすごく新鮮で。そのくらいそうゆう物に触れる機会が少ないんだなって改めて思います。デジタルもアナログもそこを越えた思いを感じたり受けとったり繋がれたらいいな~って思います。
返信削除テストです
返信削除「Fuckin'貧乏」聞いたことあるなぁと思い探してみたら、四ッ谷コタン時代のじゃないけどインザスープのライブで配られてた「インザスープの小部屋」という新聞の中のコーナーのひとつにもありました。当時、開演前にこれを読みながら友達と談笑したことを懐かしく思い出しました。ちなみにわら半紙でしたよ。
返信削除最近は手紙とか何か文章のようなものをもらう時もデジタルが当たり前のようだけど、手書きのものって新鮮だし温かみを感じますね。文字からその人の人柄も少し見えるような気がするし。諭介さんの文字は個性的で好きです。
もう久しくライブへ行けてないけどいつかまた普通にライブをできるようになったらたまにこういう新聞を書いて欲しいなあ!