なんの目的もなくただただギターをポロポロジャガジャガ弾いてるだけで楽しい。ギターってやっぱりおもろい。そのギターによってできてくる曲もかわってくるんだろうなとおもう。買ったばかりのJ-100は深くよく鳴ってくれる。今までのスタッフォードはそれよりか鳴らないんだけど、これじゃなきゃって曲もある、どちらも知れておもろい。
そんなギターをポロポロやりながらふとおもうけど、曲って不思議やなぁとおもう。今までできた曲達もなんでできたのか、また同じような曲ができないというか。そんなノウハウができたとしたら、それをなくすことからはじめなきゃ生まれてくる気がしないので不思議です。年齢いくごとに無心てのが難しくなりそうですが、だからノウハウが通用せずずっと求めたがるんだろうなともおもったりもして、ギターを弾いてるとその尻尾が見えてきそうでおもろいです。掴まえてこれだってなれた時は、この世のどこにもなかった曲が作れて嬉しくなる(と書きながら、日本のお母さん方が人知れず夜中にぬか床をこねくり回し、おいしいぬか漬けを作ってるイメージが頭に流れています)。 それをメンバーや誰かに聞かせる時はとても緊張したりする。なんなんだろうとおもうけど、「別にわからないならわからないでいいけどね」見返り無用だと、テーブルの真ん中になるべくそっと置くような気持ちで歌ってみたりして。生まれてきた曲はどれも愛おしいに決まってるけど、遠くからながめてたい感じは友達の子育てとかをおもいだしたりもして。見返り無用といいながら「いいね」なんて一言ですんごく嬉しくなってしまったり、その逆もまたしかり(ほう、これもまた日本のお母様方、それまでの経緯などは何にも言わず、あたりまえのようにさっとぬか漬けを朝食に出す感じと似てるのかもしれません、うまいねとかよく漬かってますなぁなんて一言で会話が弾む感じもまた)。 ただただ無心にぬか床こねくりまわして、おいしいぬか漬けを作って食べてもらえたらとおもう次第です。
(第一部終了)
休憩
(第ニ部)
そう、そしてまったく関係ないんだけど、ここで、ブログ用に書いたのだけど長くなってしまい、タイミングをなくし行き場をなくした文章の登場です。
『もう6月のこと、劇団ペテカンの野球チームにお呼ばれし 野球の試合へなんと 先発のピッチャーに任命され「よっしゃ やったるで-」と集合時間の二時間前からピッチング練習を行い、いざ試合に挑んだ。 こんもりしているマウンドにあがり しまっていくぞ-と威勢よく キャッチャ-ミットめがけてボ-ルを投げるも、球はバッタ-の背中を通過、またはバックネットまっしぐら、またまたワンバウンドであったりと大暴投。 フォアボ-ルの連続にて、結果、一回をなんとか5失点でおさえチェンジ
さすがにピッチャー交代だろうと、監督で高校の同級生で当時の漫才の相方の本田誠人に聞けば 「もう一回たのんだ」とのことで「えっまじで」となったが、次こそはとマウンドにあがるも、やはり体がおもうように動かず、早めに来て投げ込みすぎたのか肩も痛くなり、一か八かな投げ方にて、またしても連続暴投。
まったくストライクが入る気がしないので逃げ出したくなり、ショ-トを守る誠人をチラチラと見るも「いけるよいけるよ-」とまったく投手交代の気配がなく追い詰められる。「そやな、きっと立ち向かう修業やな」と立ち向かう。
その間もチームメイトからは「ピッチャードンマイ」「いけるいける」「打たせていこ-」とみんなで声をなげかけてくれ、ありがたいのだが、これがまた逆に 「わかってるわかってるわかってるんだよ打たせたいんだよ」と窮屈になってしまい、これではいかん、せめて心はほがらかにとマウンド上にて空を見上げれば、なんとも広く青い空で、あぁ、やっぱり空はいいなぁと落ち着くも、実感してる場合でなく、またバッタ-と立ち向かい、なんとか二回は2点でおさえチェンジ。
というわけで、あまりにもスターらしからぬ失態にこれではいかんと、いつどんな球団より先発を任命されても恥ずかしくないように、秘密の特訓にてだいぶフォームが固まってきて、いつでもこいです。』
と、下書きしたまんまの文章でありました。
そう、この経験は最近の自分にとってインパクトのあった経験で、あのマウンド上での窮屈感、立ち向かい感は、自分の体と心を知るいい経験になりまして、またまったく比べるのもおこがましいですが、まぁくんや上原ってピッチャーやってる人ってすげぇなぁと実感した次第。その後日、弟のウコカと二回ほど多摩川にて早朝よりピッチング練習したりして、試合の予定などまったくないですが、最近スポーツ選手がよく言うとこの最高の準備をしている次第です。こちらもギター同様、投げ込むたびに体になじんでいき球が少しずつ伸びていくのがわかっておもろいです。
(第ニ部終了)
休憩
(第三部)※第三部はほんのり下ネタっぽくなる兆しアリですのでR-15とさせていただきます。
そう、第一部はギター、第ニ部は野球と自分の人生を振り返ると馴染み深いもので、それらを通していろんなことを体で学んできたようにおもいます。これに加えて釣りもまた自分には欠かせないものでありますが、ギター、野球、釣りと、この3つを並べたときに、あぁやはり自分は男の子なんだなぁと実感したりもします。
男の子と言えば街中ですれ違う男の子、まだお母さんに手をひいてもらって歩いてるような男の子にありがちな光景ですが、あまっている手のほうは鼻をほじっているか自分のおちんちん(以下ティンコ)をいじっているか……な光景をよくみます。こういった男の子を目撃すると思わず笑ってしまうのですが、特に後者の場合などには自分の中の男の子が心の中で「うん、わかるよ」と頷き、勝手に同士的な気持ちになります。
また、この日本のロックシーンの中で、ロックの女王だなぁとおもう女子の先輩がいるのですが、その先輩と酒の席で会った時に何の脈略もなく「いいかぁ中尾!ロックっちゅうんはな!ロックっちゅうんはティンコ族のもんなんやで!」といきなり説教をしていただいたことがあり、突然のことでびっくりしましたが、なんとなく意味が伝わり何よりその言葉がおもしろく、何かこう背中を押された気分になったものでした。 そんなことも手伝ってか、そのような男の子としての意思表明をみる度に同士的な気持ちになります。
そして先に、ギター、野球、釣りを並べて男の子だなぁと書きましたが、ふとそういえばその三つに共通点があるなぁとおもったことがあったのですが、なんといいますか野球はバットの形状、釣りは竿、ギターは機材車に楽器を積み込む時などローディーの方々は「じゃ竿物は後からのせよう」とドラムやアンプなどに対し、ギターやベースなどの楽器のことをその形状からか竿物と呼んでるのですが、これもまたしかり、昭和な大人言葉にてティンコのことを竿などといいますが、そう考えると「あぁ、だからかぁ」と合点がいくことが多いような気がします。では、そのような形状のものであれば何でもいいのかといいますとそんなことはなく、物干し竿などはその名にも竿とついているにも関わらず、まったくグッとこないんですね。なんでかなぁと考えたところ、あれは使われる時に真横になってるからじゃないかと、活躍するときに真横ってのがあまりピンとこないんでしょうね。とここまで書いて、一体あたし何を書いてるのかしら?な気分になってまいりましたので真っ盛りの夏の暑さのせいにして今月はこのへんで、ハバナイス夏!!
単純にかっちょいいもんですよねロックって。
紫陽花 が 枯れてく
その感じが 綺麗やなぁとたちどまる 枯れてくってのもわるくないなぁと |
そんな 特訓日
早朝多摩川にて 朝早く気持ちよか |
月の光が強かった日
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みたいですね~
告知を見ましたが 渡辺謙さん ゴジラのことを 英語なまりで「ガッジィ~ラ」でなく「ゴジラ」とはっきり言ってましたが それだけで ハリウッドで戦ってるんだなぁとグッときてしまいます。 |
千葉県は稲毛市の祭にて
今年初の夏祭 |
もう夏休みなんですな
今年一度は行ってみたい |
男の子代表諭介さんのギターと野球の話、面白かったです。でも、ギターも野球もそれぞれチームプレイ(ギターの場合はバンドというチーム)だから、そういうチームの一員としてのプレッシャーみたいなのも似てるのかもしれないですね。ステージに立つプレッシャーと、ピッチャーマウンドに立つプレッシャーは違うと思うけど、自分1人なら楽なのに~と思う気持ちがあったり、逆にみんながいるから助かる!頑張れる!と思ったりするのはちょっと似てるかななんて思いました。そして、そこで戦う姿は同じようにかっこいいなと思ってしまうし、今はちょうど甲子園の時期でもあり、コラムのおかげでより選手の心境とか想像しながら見ちゃいますね。男の子かっこいいです。
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