アコーステックギター、そのボディーは木でできてるもんだから、その日の気候なんかで音の鳴り方が変わる気分屋だ。
右手でジャランと弦を撫でる、時には激しく叩いたり、指でつまびいたり、大きくて、くびれてて穴のあいてるボディーに6本の弦が共鳴してギターが鳴く。心が共鳴して潤っていく。頭でなんだかんだと考えることを忘れ、おもむくままにただ共鳴し合う。そんなことを繰り返しているうちに少しずつ景色が見えて、言葉が出てきて、心のどこかから、この世になかった曲が誕生したりする。毎度毎回そうやって生まれてきてくれればいいけど、なかなかどうしてそうもいかず、何年やっても曲作りのノウハウなんてものはないのだなぁと、だからしてできた時の喜びは格別なものがあってやめられないんだろうなと再確認したりして、「きょーくはーどこからくるんだろー」なんつって、コウノトリにお願いしてみたくもなるけんど、きっと心のどこか奥の方にすでにある曲のしっぽに出会うまで、そんなことを繰り返していくんだろうな。
共鳴と書いて思い出す光景、感触があるんだけど、自転車のタイヤのゴムをなくして骨だけの車輪を棒で押してまわして走る競技が運動会であって、はじめはうまく回らなくてタイヤがヨレヨレーっと横にそれていっちゃうんだけど、やってるうちにコツをつかんでシャーっと走れるようになる。うまくいかないときには出来る気がせず、あせって「もうなんだよこれ、やんなっちゃうな」なんておもっていたのが、なんかのきっかけでコツをつかみスイスイいくと、右手に伝わってくる感触もおもしろくタイヤとふたり共鳴し合ってどこまでもいけそうな気になる。きっとちびくろサンボのバターになったトラの気持ち。(ここまで書いてその競技がなんて名前の競技だったか思い出せずにおります。車輪回しだかタイヤ回しだか…、知ってる人いたら教えていただけたらとおもいます)
名前は忘れたけどそういう感触の記憶。できなかったことができるようになって、勝ち誇るものでもなく、自慢するものでもない自分の中の宝もん。たかだか車輪を回すってだけの感触を思い出して、僕は今まで何度も心をホップさせたり、希望をもったりしてるんだから不思議なもんです。
そんなもんだけで人とつながれたり、真っすぐに人生を進んでいけたらとおもうけんども、いろんな障害物があってうまくいかないことがまた夢を見させてくれたり、強くさせてくれたりするんだろうなともおもったりもして。またいつかやってみたいもんです車輪まわし。
で、障害物で思い出したんだけど、訛り。育った場所の言葉のなまり。 こないだ、子供向けのアプリ音楽を作ってる友達より、そのアプリの中で流れる歌を歌ってくれないかとお誘いを受け、歌手中尾に歌えない歌はないだろうと引き受けたのだけど、やってみるとなかなかどうしてあまりなじみのない曲調だったためか、なかなかすんなりOKが出ず、その駄目出しの内容が「なんか訛ってる」とのことでありました。歌が訛ってると言われたのは二回目のこと。一度目はプロデューサーの瀬尾一三さんより吉田拓郎さんの歌をカバーレコーディングした時。瀬尾さんは本家拓郎さんのプロデューサーでもあるからして「拓ちゃんも訛ってるんだけど宮崎の訛りとは違う訛り方なんだよね、もうちょっとこう」と駄目出しを受け、何度もやり直しなんとか克服。今回もまた何度も正規のアクセントを教えてもらい、かなり時間がかかるもなんとかクリア。恐るべし訛り。こんなとこに小さな障害物。
長渕剛さんのトリビュートに参加した時も長渕さんより「お前なんか訛ってるなぁ、出身どこだ」と聞かれ「宮崎です」と言えば「そうなんだよ、宮崎は自分達が訛ってるって気付いてないから直せないんだよな」と言われ、言われてみれば分かりやすく方言バリバリというよりも、言葉自体はかわらないんだけど、アクセントが微妙に違うだけなものが他の県に比べれば多い気がする(便乗)。わかりやすく訛っていればスイッチも変えやすいのだろうけど、言われた通り微妙なアクセントの違いが多いので境目がわかりづらいというのはあるのかもしれない(自己弁護)。それでも田舎にいた頃などは、いざとなればいつでも標準語くらい話せるわい、語尾にさーってつければいいんでしょとおもっていたのだが、東京に長いこと住んで役者の現場などでどうしても直さなくちゃいけない時にも、泣けてくるほどわからなかった。またCMやドキュメンタリーのナレーションなどの時も何度もやり直し。特にドキュメンタリーのほうは、BSのこれまた吉田拓郎さんのヒストリー番組のナレーションだったのだけど、「30才になっても」という一行がどうしても訛ってるようで、何度もやり直した。だったら僕じゃなくてもいいんじゃないかと開き直りたくなる気持ちを抑え、何度もトライし克服。克服するもあてずっぽうで言ってまぐれで当たってる言葉なので実感がまるでない。
何かこう、この言葉にはこのニュアンスってのが自分の中にあって、そこを外れると音楽をやっているのに音程で説明されても直せない。そう、訛り以前にメロディーを音楽的に、ここは一音下げてとか言われても、顎を引いてみたりするだけで音を下げたりすることがなかなかできない。って何をできない自慢してんだろうかともおもうが、不思議再発見だ。
上京してきてすぐ同郷の友達と会ったのだけど、すでに標準語になっており、その生まれたての標準語にどうにもこちらが恥ずかしくなってしまった。また関西の人と話していて、関西弁がうつってしまってる人などをみても、なんだかこちらが恥ずかしくなってしまう。アメリカなどにいき帰ってきた人の雰囲気全体がアメリカ風味になっているのもこちらが恥ずかしくなる。その順応性があったらともおもうのだけど、手垢のついた言葉やニュアンスってのはなかなかとれるもんではないし、その根っこにはそれまで生きてきた道程みたいなものも含まれてるような気もして、その地方単位だけでなくて、人の数だけ訛りはあるんだろうな、自分はもう純粋な地元言葉でもないんだろうけど通ってきた道がある。それを無しにして実感のない伝え方で誰だかわからなくなるのは嫌だなとおもう。であるからして本当は標準語も実感もって話せるようになってバイリンガル、どちらも使いこなせたらいいんだけどね。
どちらにしても冒頭に書いたように曲。アクセントうんぬんではなくて心の訛り、自分にしか書けない歌、今までもそうだったようにノウハウはなく、出そうとおもっても出せない部分、そこをひっぱり出せたらとおもうこの頃です。どちらにしても冒頭に書いたように曲。アクセントうんぬんではなくて心の訛り、自分にしか書けない歌、今までもそうだったようにノウハウはなく、出そうとおもっても出せない部分、そこをひっぱり出せたらとおもうこの頃です。
街のいたるとこにどくだみ草が咲いてます。
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5月15日 渋谷セブンスの楽屋より。なかなかスマホにかえれなっしんぐ。
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説明を追加 |
右から母 ばあちゃん 叔母。宮崎から東京に。
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んで 歌舞伎町男巣
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久々のドラム吉田くん
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そして打ち上げの最中若者がセッションをはじめ 便乗して楽しむ我々。
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♦独占企画 諭介がお答え致します
■「すごいですね!「くちゃくちゃ」ぐせから、おじさんの幼少期にまでさかのぼり、こんなにも長編ストーリーが思いつくこと。ある意味、その想像力、いろいろ考えちゃうことなんかも生まれながらにしての諭介さんのくせみたいなものなのかもしれないですね。だけど、嫌な気分になったとき、こういう発想ができるとちょっと楽しいなぁって思いました。さすがスターですね。そして、例えば私のことはどんなふうに壮大なストーリーを作ってくれるんだろう!ってちょっと聞きたくなりました(笑)自分のくせって考えてみてもわからなくて、人に指摘されて初めて気づくこともあれば、言われてもさっぱりわからなかったり。私のくせで何か迷惑をかけていることあるのかな、って心配にもなったけど、心配しすぎたり気にしすぎたりするのは悪いくせだと思ってすぐやめました。「メシと私」もまたいつか」(A.T 2014年5月16日 17:16)
→そやった、メシと私書くんやった、またいつの日か。自分てそうよね友達、人が気づかせてくれるもんよね。
■「その「くちゃくちゃおじさん」の背景にはそんな壮大なドラマがあったなんて!しかもちょっと切ない・・・(笑)それにしても諭介さん、ものすごい想像力!くちゃくちゃおじさんで一本映画ができてしまいそうですね(笑)
でも確かに他人の些細な癖にイラっとさせられる事ってありますね。本人は無意識にやっているのだろうけれど。
たまに電車の中で自分の後ろに立った人が鼻をズルズルっとすすっていたりすると、「鼻かんで!」とポケットティッシュを差し出したい気持ちになることがあります。とはいえ、自分も無意識にやっている何かが誰かのイラっの原因になっているかもしれないので、お互い様なんですけどね。(でも諭介さんにはイラっとされないように気をつけたいです(笑) )」(夕陽 2014年5月17日 11:07)
でも確かに他人の些細な癖にイラっとさせられる事ってありますね。本人は無意識にやっているのだろうけれど。
たまに電車の中で自分の後ろに立った人が鼻をズルズルっとすすっていたりすると、「鼻かんで!」とポケットティッシュを差し出したい気持ちになることがあります。とはいえ、自分も無意識にやっている何かが誰かのイラっの原因になっているかもしれないので、お互い様なんですけどね。(でも諭介さんにはイラっとされないように気をつけたいです(笑) )」(夕陽 2014年5月17日 11:07)
→あ~やってるわ、鼻ずつつ~!ってやってるわいやはやしかし自分のクセが人のイライラって気にしだすとキリないね。いやはやいやはや。
一つ前の記事にコメントしようと開いたところ、タッチの差で新しい記事が更新されていて間に合いませんでしたが、くちゃくちゃ、私も苦手。がしかし、育ちだけでなく、色んな理由がある事を知ったので、ちょっと苦手意識が少なくなってきたところです。
返信削除全国各地の方と話す機会があるので、訛りや方言で住んでる地域がわかったり、訛りがうつったり、方言を覚えたり、日本語っておもしろいし、難しいなーと思ったり。
初めてスターのライブを観た時、訛りの衝撃とテンポ良くグイグイ惹き込まれる感じと曲の素晴らしさとで、「この人なんなんだ!」って思ったのを覚えてます。
あのライブで「祝子川」が聴けて本当に良かった。スターの中から出てくる言葉で、これからも新しい曲達に出会える事を楽しみにしてます!
リム回し!ではないでしょうか^ ^
返信削除訛りって自分ではあまり気がつかなかったりしますよね。私は母が関西、父が栃木ですが、両方の訛りの違いに気づくと面白いです。例えば母は分厚い本のことを「ふとい」または、「ぶっとい」と言います。父はそれに対し意味がわからずピンと来ない様子。こどものころは訛りが面白くて父に栃木の訛りはないのかと何度も聞いた記憶があります。父方や祖母はほんのり訛りがあったものの、父の訛ってる姿は記憶にありませんでした。ところが、ある日友達に訛りを指摘され、驚きました。全く意識してなかったけど、私もほんのり訛りを引き継いでいるんだなと思い、嬉しかったです。
返信削除新たな曲についてですが、5/31に新曲を聞きました。部活に頑張る学生へ向けて、こんなに励みになるエールは無い!!と思いました。中尾さんの内側から生まれる言葉で出来た曲に感謝の気持ちでいっぱいでした。もう部活してない人間の私でもパワーをもらえました!
中尾さんのライブ、感動もするしテンションも上がります♪歌舞伎町男巣の打ち上げってお客さんも観ることが出来たのなら、残れば良かった(泣)と後悔しています。またお会いできるのを楽しみにしています♪
私は釧路生まれです。道民は「なまら」とか「~だべさ」等、独特の表現がありますが、意外と訛りがなく、標準語が浸透してます。
返信削除そのせいか、関西弁や九州の方言を聞くたびに、「標準語以外にもいろいろな言い方ができて羨ましい。」と思っていました。大人になった今でもそう思います。その土地土地の訛りは日本人が大切にしていくべき言語文化だと思います。中尾さんも、宮崎出身のアーティストとして、宮崎の素敵な言葉を歌に残していってください!
障害物で思い出すのが訛りだなんて面白いなって思いました。確かに山に行ったとき道を尋ねたおじいさんの言葉1つもわからなかったときには驚きましたが、私はこれと言って自慢できる訛りもないので、障害どころか、自分の訛りを持っている人、訛りのある女の子とか可愛らしいなって憧れに思えてしまうほどです。それと同時に田舎があるっていうのも羨ましくて、周りの友達を見て、私も年末年始やお盆休み列車に乗って帰省したーい!なんてないものねだり。持ってない立場からすると、いいなって思っちゃうみたいです。今思えば、私の周りにはいなかった諭介さんのその話し方、訛りも含めスターに思えて憧れていたような気もします(笑)歌うという点で見ると大変なことがあるのを知りましたが、訛りが抜けきれないところも顎を引いて音を下げようとするところも諭介さんからひっぱり出た誰の真似でもないところで、それがいいとか悪いとかではなくて、そういうのをひっくるめて中尾諭介っていうところがいいんだと私的には思っています。
返信削除先月の「癖」もそうだけど、「訛り」も本人は気付かないものですよね。でもきれいな標準語を話せる人ってあまりいないかもしれませんね。
返信削除関東の人のはずなのに、えせ関西弁を使っているのを見たり聞いたりするとちょっと「寒っ!」て思っちゃいます。そんな私も子供の頃から引っ越しが多かったこともあり、どこの訛りか分からない訛りがあるんだけど、これはきっと 「私」っていう場所の訛りだからこのままでいいのかなあって。
あと、私は諭介さんのちょっと訛った喋り方好きですよ。だから諭介さんは諭介さんでいいと思います!
お国言葉こそが魅力だと思っていました。
返信削除ですから、「障害物」とはかなり意外。
そういえば、以前
「個性は誰にでもある。
共感・共有できるものを創造するときには、個性を消すことこそが難しい。」
という言葉を聞いたことがあります。
(そういうことかな?)
いやはや、とにもかくにも 魅力的ですよ。
諭介さんのお国言葉は。
ほんとうに生きている感じ(?)がしますもの。
・・・・・・うまく言葉にできませんが(笑)
中尾さん、こんにちは。運動会のその競技って、「たが回し」ではなかろうか。たまたま開いた昔遊びの本に、”今ではすっかりみられなくなった男の子たちに愛された昔の遊びのひとつ”とありまして、もともと樽や桶のたがを竹の棒で回していたのが、昭和30年代に自転車のリムに変わったらしく、それまでのスピードがグンと上がり男の子たちは自由自在に方向転換させながら町中を走り回っていたそうです。いいですなぁ運動会でそんなん時代を共感したなんて。。ノスタルジーの風の子ですー
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