先日、イベントに出演するべく地元である宮崎県延岡市にかえった。「コト、モノ、くらし」と題して延岡の作家さん達(絵、家具、アクセサリー、アロマ、コーヒー、写真、置物やらやらの作家さん達)が集まり倉庫にて展示したり、その場で作ったり、体験できたりするイベントに歌うたいとして参加させてもらった。
実はこういうことを自分でいつかやってみたいなぁとおもっていたので、先にやられたのが少し悔しく、ほんで楽しみにしていた。作家さん達のお祭りやね。ここでの雰囲気はブログにも書いたんでそちらもみてもらいたし。
いつもは家具の倉庫である場所をライブ会場とし、なんもないとこからステージをつくってもらい、遠方・近方からたくさんの人に来てもらって素敵な空間の中約2時間歌わせてもらった。なんもないとこからものを作ってる人達の中にいるのは刺激的や。
ステージつくるのも、ああしてみようこうしてみようってみんなで少しずつ出来あがっていくのもおもろかった。ブログにも書いたが本番中には絵描きのmiyuさんにも、「祝子川」って歌をうたう間、ステージに上がってもらい僕の横で絵を描いてもらった。ビッグバンってのがおこって宇宙が誕生したって話と似て、その場で一つの絵ができあがっていくのは、本当に贅沢な遊びだ。
僕はなるべくそういう瞬間に立ち会っていたいとおもう。こうなったらこうなるってのが分からない世界。ノウハウもパターンもない世界。体はいくつかの手段が染みついてしまってるかもしれないが、精神はいつも空っぽでいたいとおもう。怖いなともおもうけど、それをこえたら、どこまでもいける自由があるし、そういう風をふかせられたらとおもう。発表会とライブの違いがそこにあるんだろうとおもう。そんな感覚を音楽だけでなく、空間作りを一緒にしてくれたみんなや、絵描きのmiyuさんと共有できたのがおもろかった。と同時に、僕は僕でアンテナの先っぽをもっと磨いていきたいなともおもった夜やった。
上にも書いたけど、いつか自分もこんな祭りがやってみたいとおもってた。
これはゆっくりやるときがきたらやるっぺぐらいのゆっくりとした歩みの夢で、まだあるけどずーっと先でいいからやってみたい。なんかぽこぽこと頭に浮かぶ理想郷みたいな感じ。いろんなとこいって、見て体験してきて、浮かんだお祭り。いろんな仕事や経験をやってきた大人達が、それを持ち寄って集まって遊ぶお祭り。
サグラダ・ファミリアみたいに頭の中でジワジワっと今も建設中って感じで、そういうのがあると、逃避ではないけど先が楽しみになったりして。ゆっくりと無理なくできるときがきたらやってるだろうなってくらいの夢や。
サグラダ・ファミリアがずっと昔からあるのに今も建設中って、テレビでみたことがあるぐらいで、行ったこともないし、よく知らないのに、救われる気分になる。なんなんだろか。
あんなに高いスカイツリーだってここ数年でできたのに、「サグラダ・ファミリアまだつくってます」ときいたときは、まだつくってんのーっ!と驚いたと同時に嬉しくなったし、なぜかほっとする。コンピューターやら機械やらこんなに便利で近未来、SFチックになっていってるというのに、人が石と向かいあって削り続けてるんでしょ? 実際にみてみたいけど、そんな情報だけでもなぜか心強く感じる。
もともとそうでしょう?というのを忘れがちになる。特に僕は、忘れやすいんだろうとおもう。サグラダ・ファミリアの話を思い出したり、何もないところから自分と向き合って何かを作っている人と接すると、もともとそうでしょう? それがあたり前でしょう?と響いてきて、しみてくる。
延岡にて、竹ぼうきで枯れ葉をはいた。シャッシャッーシャッシャッーとはいてくと音が響いてくる。田舎なので静かで、竹ぼうきの音だけが響いてきれいになってく。そういえば田舎にいた頃はしょっちゅう、誰かがはくほうきの音を聞いていたようにおもった。
静けさの中の竹ぼうきの音の中にいる時は、サグラダ・ファミリアを思い出す時に似てる(実際はどういうところかしらないけど自分の中のね)。
竹ぼうきではいているのはきっと枯れ葉だけじゃなく、音の響くそのあたりの空気や心もはいてるんだろな。サグラダ・ファミリアの作業員が削ったり叩いたりして作ってるのは、石だけじゃなく、音の響く空気とそれを聞く心もだろうな。
何もないところからものをつくる人の何もない場所ってのは、本当に静かな場所なんだろうなとおもう。
そんな場所へ行っては何かをつくり、まだ何か違うとおもったり、もっともっとと作りたくなる。
ものを作る人はそんなことを繰り返しながら転がってく。そして本当に何もない場所へいって何も作れなくなった時にようやく、自分てのが完成するんだろう。
それまでは自分もやっばりちゃんと静かな場所に行きながら、そこで暮らし、ものを作っていきたいなとおもう次第です。
自分の中の雑音、それを人にもらさず自分で消していけたらと。また、人の雑音を聞いた時も黙って許せたらとおもいながら、今月はこの辺で。
この映画のおんなん子爽快でおもれー |
マイジェット 地球まわってここに着陸。 |
ああじゃないこうじゃないに 便利なホワイトボード。 |
ステージをああじゃないこうじゃないと 作りはじめ |
ステージから |
キノコ |
照明をくらくしてこれに ライトがついてこの前で歌いました。 |
雲と蜘蛛。 |
トンネルを抜けるとそこは海 この日の釣果キス一匹 |
日本全国というか世界中どこでも、 釣った魚が食べれるのが当たり前で あってほしい。 |
キス |
ほんでライブの翌日は小学校六年間
在籍してた地区のソフトボ-ルの同窓会。 監督を囲んでその当時の映像を流しながら 酒のみ。
自分の子供の頃が写ったりして、がっくし。
なんかとっても挙動不審で腹立つ 感じでした。自分に残念。 |
で、腕相撲大会になったりして |
そして翌日合間をみて一人、小学校からの 自分の穴場の川で、チヌ。 |
祝子川を歌っている間に描いてもらった絵。 miyuさん作。 |
■「こんにちは。最近、読み始めました(^ ^)
中尾さんの歌詞や文章は、読むとつい引き込まれます。字もいっぱいなのに不思議な力です。
十数年前、インザスープを聴き始めた当時、この大人達最高!って思ってました。が、自分が当時のインザスープ世代になって聴くとまた違いますね。前は見え なかったものが見えたり・変わらない気持ちを思い出したり。音楽はすごいです。短く言うと、ファンです(^ ^)
中尾さんは十年二十年、変わらず好きなものとか場所とか、ありますか?」
(2011年11月3日14:42 by. che0107)
→釣り、とギター弾いてうたうこと。場所は……自分が住んだことあるとこやね。思い出が住みついてるから、時々会いに行きたくなるね。
■「こんばんは。ジュテームには行きたかったけど行けなかったです。
友人にDVDを買ってきてもらいました。
当時一緒にLIVE行っていた友人と共に見た懐かしい映像。
楽しかった~。あの頃の気持ちを思い出しました。良いお土産をありがとう!
是非また大阪にも来て下さい!In the Soupはライブよ、ライブ」
(2011年11月14日23:00 by. J)
→楽しんでくれてよかったっ。またいつの日か!やね。生で会いましょ。生よ生!
■「ジュテーム残念ながらどうやっても行けなかったのですが
諭介さんのライブレポでの
檸檬!
ドドン!
読んだとき音が心に響きました
少しだけどんな夜だったか想像できました(^^)
そして若き日に何度も何度も数え切れないくらい行った
インザスープのライブを思い出しました。
DVD欲しかった(>.<)
リベンジあるのかなぁ・・・?
気長に待ってみます☆」(2011年11月14日23:17 by. smile)
→やるのかやらないのか不確かなことは言えないけど、リベンジはせにゃいかんなっちゅうのはあるね。そん時はぜひ!よ、生!よ。
■「ブログ、ツイッター、ミクシー、フェイスブック。こういう時代なんですよね。私も今やパソコンもネッ トもブログも活用してて、全然否定するわけじゃないんですけど。携帯電話やメールもそうだけど、ときどき昔はどれもなかったな、とも考えるんです。どうし てたっけ?とか、もし全部今なくなったら、きっとすごく不便になってしまうのは震災のときも感じたけど。何が言いたいのかわからないかもしれないけど、 きっと便利になっただけなんじゃないんだろうなって。諭介さんがブログを始めたときもびっくりしたけどツイッターにもびっくり。いつの時代もスターと呼ば れる人達にはやっぱりどこか謎めいていて欲しいなってファン心理もあるけど(笑)諭介さんの言葉が好きだからいつも発信しててほしいって思います。情報に 飲み込まれないように自分がしっかりしてくことも大事に私も近いうちにツイッターデビューしようかな?と考えてる今日この頃です(笑)」
(2011年11月24日1:33 by. A.T)
→だーっと読めました。確かにツイッタ-とブログ、自分の中で両立しきれてないとこあるわ、まだ。自分でも謎なので、どこまでだしてもなぞなぞやろね、スターなので。
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