今回は宮崎帰郷から被災地へ行った時のことを書けたらと思う。
3月に帰る予定だったが地震の影響で一カ月ずらして帰郷。
ライブがあるわけでもなかったが、正月帰ってなかったこともあり2、3日ゆっくりしようと。
地震後、自分はよく寝た。時間さえあれば寝た。赤ちゃん以来じゃないかってくらい寝た。誘ってもらったライブ以外なんにもやる気にならなかった。んが、最近になって釣りがしたいとおもった。
東京ではなかなかできないので、釣り番組を見ておもいをつのらせた。
その番組の中である言葉が紹介されてた。
「一生を幸せに暮らしたいとおもうなら釣りを覚えなさい」
どっかの学者さんの言葉らしい。なんとなくわかるなぁとおもった。
帰郷したらしたでなんだかんだやることがあって釣りどこではないなとおもっていたのだが、ぽつりと夕方の3時間ほど時間が空いたので釣り道具をもって近くの五ヶ瀬川へ。
釣れなくてもいいやと竿をだす。大きな川の流れと空と時間の中でウキを浮かべ眺める。釣れなくてもいいやとおもいながらもウキを眺めてると、もっとあぁしてみよう、こっちに投げてみようとかいろいろ考える。それが楽しい。
ウキが沈んで小さなフグを釣って遊んでた。浮いてたウキにアタリがあって、水の中に吸い込まれてく瞬間がいい、たとえフグでも来てよかったなと思っていると、後ろの堤防の上に夕陽のガンマンよろしく三人のチャリ族、つまりは中学生らしき少年達がこちらをみてこそこそ話してるのが丸聞こえ。
「あそこじゃ釣れんよね」「もっと沖の方に投げればいいのにね」とかこちらの釣りを批評している。めんどくさいなとおもいながら無視していると「釣れますかー?」と話しかけてきた。「釣れんけどいいとよ、フグ釣って遊んじょるだけよー」とかえす。
「もっと沖のほうに投げたほうが釣れるとおもいますよ」「へーじゃあやってみるけ」と呼びかけると嬉しそうに3人で降りきて「いいんですかー?」とか言いながら竿をうけとると、さっそく釣りはじめる。「部活はやってないの? 不良グループかい?」などと少々雑な質問をすると「俺たち不良じゃないですよ、バカなだけですよ、だって学年でこいつは後ろから何番目で俺は」とバカ自慢がはじまり、「俺たちバカとしか仲良くなれないっすもん」とかいいながら笑ってる。なんか似てるなとおもいながら3人が一本の竿であぁじゃないこうじゃないと釣りしてるのを、すっかり乗っ取られながらタバコ吸って眺めてた。
すると一人が「仕掛けを変えてみていいですかー?」ときたので「いいよ勝手にやっちゃって」と仕掛けを変えはじめる。
まぁでももう仕掛け変えても釣れんやろうとおもいながらも好き勝手やらせていると、ウキをはずして投げ釣りに変えて勢いよく沖の方へ投げた。テトラポットの隙間に竿をさして立て4人で竿先を眺めてた。すると10秒ほどで勢いよく竿先がガクン!とおじぎをしてアタリを知らせた。
その瞬間4人で奇声を発し「よっしゃー! まけまけー!」と一気に大興奮。
中学生が糸を巻くも途中でバラしてしまい釣れなかった。が、今のはすごかった、でかかったよ絶対!なんてすっかり「3人の中学生と一人のおっさん」ではなく、「4人の釣り師」として一致団結エイエイオー!「よし、今度はエサを短めにつけてみよう」「もう少し早めにまいてみようや」とかアイディアを出し合い2投目。みんな興奮を抑えて竿先を眺めるとまたしてもすぐにアタリがあり、みんなでヨッシャー!。今度は見事に釣り上げる。この時点でその中学生をプロと呼ばせてもらうことに。
うおーすげーと魚を囲んで大興奮「声すごかったですね」とかいって真似されたりしながらもう2尾、中学生が釣り上げる。
すっかり暗くなり、いやぁすごかったねと帰宅。
帰宅際、明日、東日本大震災への物々交換ライブがあるから来てよと誘い帰った。
翌日その中で家の近かった中学生が一人、他の2人より10円ずつ托されて募金しにきてくれて嬉しかった。連絡先も交換し、今度帰ってきたらまた釣りにいこうと約束。念願の釣り仲間ができた。
いやー釣りってホントにいいですね。
って、すっかり釣り日記になってしまった。釣りをしない人にはなんのこっちゃかもわからんが、どうしても記しておきたいできことでありましたのであしからずであります。
というわけでこちら釣りのことだけで長くなってしまったので、続きは写真のほうでご報告を。
◎五ヶ瀬川にて。 |
◎乗っ取られるの図。 |
◎匠プロ。 |
◎夕暮れにて。 門限大丈夫か 「魚もってかえれば大丈夫です」 |
◎クロダイ。 チヌとも言う 憧れの魚 |
◎キビレ。 ヒレが黄色いからキビレチヌ 食べるとうまいやつ。 |
◎物々交換コンサート。 急遽 開催。 東北へ、自分の歌と交換にお金やヘルメット軍手等を集めさせてもらった。 二日前に決定したにもかかわらず満員御礼 ありがとうございました。 九州の宮崎は延岡、こんなに離れているのに東北への想いを強く感じた。 自分は体ごとその地にいかせてもらうので しかと届けたいとおもった。 |
◎東北へ。 いったん東京へもどり、弟と、いざ東北へ。 待ち合わせの時間に2時間遅れて登場の弟に「コノヤロバカヤロー」とおもったが 乗せてもらう身分なのでぐっと我慢の大人力。 いざ親戚のいる気仙沼へ。 |
◎物々交換コンサートのお金。 延岡での物々交換コンサートにて集まった義援金の全額、70,086円は気仙沼の市役所に直接お渡しさせてもらいました。 |
◎石巻へ。 そして弟と二人、いざ石巻へ。 桜が満開だった。 |
◎ボランティアスタッフの集合場所へ送ってもらい、ここからそれぞれの行動へ。 |
◎翌日。 翌朝、7時30分より全体朝礼があり、ラジオ体燥をしリ-ダ-の話を聞く。 全体で100人くらいだったろうか。 笑いを交えながら非常にリラックスした朝礼だが、張り詰めたものがそこにあった。 みんな割り当てられた現場へ車で運ばれてく。 こちらは避難所で歌うため遅れて出発。 |
◎湊小学校。 小学校全部が避難所になっていた。 |
◆独占企画 諭介がお答え致します
■「中尾さんこんばんわ。ライヴ、ボランティア、すごいですね。おつかれさまです。
持ち前のフットワークの軽さや柔軟な思考、なによりもその熱い気持ちが、すてきな縁や絆を呼び込むんじゃなかろうかなと思います。どうしようもなくあふれる生命力で、おもろいところ芽吹いちゃって下さい。
p.s. ちんちん!かわいぃ」(2011年4月30日1:24 by.たかの)
→ちんちんかわいいってなんのことかわからなくてドキッといたしました
■「諭介さん、こんにちは。被災地へのボランティア・・・とても素晴らしい事だと思うし、私にももっと何かできないかと改めて考えるきっかけになりました。ありがとう!私たちが普段テレビなどで見ている光景はほんの一部でしかないと思います。諭介さんの目に映った被災地の現状はどんな感じだったのでしょう?
話変わりますが、すっかり暖かくなり吹く風に夏の匂いを感じるようになりましたね。切られた大木のわきっちょから芽吹いてる緑はきっとう~んと時間をかけてまた大木になっていくんだと思います。少なくとも緑くん(勝手に男の子に設定)はそんな希望を抱いて芽吹いてるんじゃないかしら?植物の方が私たち人間よりたくましい生命力だからどこまで見守れるか分からないけど、大木になる日が楽しみですね♪」
(2011年5月8日11:29 by. 夕陽)
→伸びなくちゃとか考えてないんだろうな、伸びちゃうんだろな、人間も何もできないとかおもうけど、きっとやりたいことはとっくにやってたり、できることをやってんだとおもうこの頃です。
■ 「ボランティア活動やチャリティーライブを考えるよりもやってみちゃう諭介さんを私は尊敬してます。震災直後は私も仕事なんかしてていいの?って考えたこともあったけど、今は日常に戻れることをすごく大事に思っているし、戻れることは悪いことじゃないと思ってます。忘れちゃいけないこともあるけど、いろんなことを忘れられる時間があるからまた笑ったりできるんじゃないかなってね。自然とこうなった切り株のように、忘れようとして忘れたんじゃない、ってのがなんかいいなって思います。これも間違ってるかもしれないけど。今年のゴールデンウィークは初めて北海道に行きました。時計台ライブ見たくて自然とそうなりました(笑)」
(2011年5月23日13:04 by. A.T)
→時計台は独特ねやっぱ。きてくれてありがとう。ボランティアやらチャリティライブやら誘ってもらってやってる。その度やってよかったと思える。これには誘ってもらって感謝や。 もしもなんの誘いもなかったら僕は何かをおもいつくまで、ずっと寝てたとおもうこの頃です。
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