2025年7月1日火曜日

Vol.304「やってきたことの中か先か」の巻

  いやはや、今年の夏は暑いですなぁ、梅雨の雨降り短くて、夏が長くなりそうで嬉しいです。とはいえ夏の紫外線に弱くなってきているので日焼け対策をばっちしやらねばなりません。日焼け対策はみんなどうしてるんでしょ? 日傘なんかをさそうかしらなんて自分が思う時代がくるとは思いもしませんでした。あちー夏、いかがおすごいしか。

 このご時世、男らしくとか女らしくとか言ってると時代遅れだと言われそうですが、子供の頃は日傘というのは女の人が使うものだというイメージがあり、日傘自体にもなにか特別な崇高なものを感じておりました。今では街中ですれ違う若い男子が日傘をさして歩いていたりしますから、気候と時代が変わったのだなぁと実感します。
 自分は自負するところでありますが、昭和のアンデンティティー、男は男らしく的な考えがある方ではないかと思います。高倉健さんや任侠者の映画が好きだったりと、男への憧れ。しかしもっとさかのぼれば、幼稚園の頃など母が化粧をしてるのを見て自分もしてみたいなぁと思っていたり、小学校に上がる前などは延岡に引っ越して近所の女子とかとままごとをするのが好きだったり、木の実などを採ってきてすりつぶし、水を入れてジュースを作ったりして遊んでました。しかし、そんな遊びを好んでしていると、近所の同年代や上級生の男子達が子供用自転車で家に遊びの誘いに来た際の冷ややかな目と「うわ、女と遊びよる」などと実際の言葉でもってバカにしてくるので、今思えば暴走族のように感じたその団体が来るたび、カーテンの裏に隠れて「早く帰ってくれないかなぁ」とか思っていたものです。子供だけに限らず近所のおじさんおばさんからも、自分がおかっぱ頭だったりするだけで「女じゃないんだから坊主にせにゃあ」とか、自分がもじもじしていたり何かにひよっていると「よろくそがぁ」と、弱虫というような意味合いの言葉を言われました。アメリカ帰りの母の元、朝食がパンやオートミールだというだけで、「パンばっかり食べよるから元気がないとよ、ご飯を食べにゃあ」とかも言われる。母のことを「マミー」と呼んでいた事も「マミーげな、お母さんって言わにゃ」など、この、田舎だからか特にあるんだろう同調圧力というのか、あたかもそれが絶対的な常識であるような押し付けに対して、子供は子供なりに社会の中で傷つき悔しくなったり恥ずかしいと思ったりしながら、このままではいかんと変化していき、自分の生き道を見つけるべく順応していき、あっという間にまんまる坊主になりお母さんと言うようになり、真っ黒に日焼けして溶け込む。根は変わらないにしても順応力で、世を生きてく術を手にいれる。
 上に記したような周りからの外圧は今の時代ではきっと町内会で問題になるだろうとも思いますし、放送禁止用語だよ、なんて言葉が行き交ってたんだろうと胸がシクっとなりますがしかし、今となっては自分的に「強くしてもらった」「育ててもらった」と、愛すら感じる出来事であるので不思議です。

 順応しても、まだ根が違うのでどこか不自由さを感じていたんだなぁとも思うんですが、そこを突破した瞬間、解き放たれた瞬間に、それまでが不自由だったんだなと感じる事ができました。
 同級生、上級生のグループで堤防を歩いてソフトボールの練習に行く時に、自分が積水ハウスかトーヨーサッシだか何かのCMの替え歌(トーヨーサッシに頼みましょ的な歌を、トーヨーサッシにたのまねのん、と面白い顔で言うだけの歌)を歌っていたら友達が「なにそれ?」とゲラゲラ笑い出し、上級生にも伝わり「もういっかいもういっかい」がはじまり、こちらも調子づいて余計に面白い歌い方になり、何度もリピートしてガキンチョグループ10名くらいがみんな腹を抱えてゲラゲラ笑った時、自分は意外と冷静なのに面白いことでこんなに自由さを感じるんだと、そのグループの中でポジションを得た気にもなり、脱皮した気分になりました。人によっては喧嘩だったり危険なことをすることだったり、勉強だったりゲームだったりスポーツだったりする、種が発芽して土を押しのけて芽吹く瞬間というのがあるんだなぁと、土はストレスを与えてそれを跳ね除けて芽吹く瞬間に脱皮して次の場所へ行き、また土をかぶり生きていくものなのだなぁと思ったりもして。

 おかげさまで6月に52歳の誕生日を迎え、祝っていただき、ありがたく、自分は幸せものであるなと実感すると同時に、まだまだ頑張るぞと、自分の生き道を広げていくぞと思った次第です。52にもなれば、ここまでやってきたことの中で落ち着いて生きていくんだろうなと思っていましたが、幼少期の発芽や脱皮と同じく、やってきたことの先へ行きたがる。どういうわけだかそんな運命な気もして、6月の予定を見返してもよくこんなにバラバラの形態でライブをやり、その都度緊張してそこへ向かい土をかぶり挑戦し、どのライブも楽しかったと、やったった!と、超えてきたなと思えます。
 52といえばいい年でありますが、60歳や70歳の自分を想像してみてそこから今の52を見れば「若かったなー」と思うだろうなと思います、「今より体動いたもんなー」とか。であるからして「もっと動けるうちに動いておけばよかったなー、挑戦しとけばよかったなー」と後悔したくはなく、ひとつひとつ当たってぶつかれで、やってきたことの中だけで生きず、やってきたことの先へ先へと、超えていき、曲で突破していきたと思いますので、52! ぜひこれからも応援のほどよろしくお願いします。今月も長文最後まで読んでくれてありがとう。
今月はこの辺で、よい夏を!

 

7/19新島に行く釣り仲間と新島での釣りの練習と称して、今まであまりやったことのなかった種類のルアー釣りへ

結局、ルアーは難しく1匹も釣れず、ちょっと変更して近所のスーパーで買ったアサリをつけて投入後

釣れました。

そんで帰りはラオシャンへ。

南野ロックフェスに向けてほぼ1ヶ月半、4-STiCKSのギターの高田さんが作った曲に詞を書く。曲が先にあって詞を書くのは僕はやはり難しいです。それでもテーマがみえてきて突破していくとどんどん転がっていく感じが面白かったです。「カラフル〜市松模様の上で〜」

渋谷のモヤイ像が新島から来てる事をこのタイミングで知る。

スージーとレコーディングの練習

このラグジュアリー感あるスタジオの翌日に

樹木医弟の手伝いへ

最近行っちゃう、おにやんま。とろろ昆布ものせて、うまいんだなこれが。

南野ロックフェス。トップのTARSHIさんバンド。このバンドも一年に一度しかやらないそうなんですが、毎年観ると嬉しくなってくるほどかっこよくて最高です

外丸さんバンドの熱量もすごかった。

結局朝まで外丸さんと。

南野さんが無差別通り魔の被害にあい、いなくなり、残ったヤギさんと高田さんはバンドを続けた、南野さんの声を流してそれに合わせて、それを5年ほど続けて僕に白羽の矢が立った。1回目の時の緊張は今も覚えてる。葬式のような雰囲気を一変させるべく投入された役目もあったと思うが、ご遺族の前で、南野さんの代わりに、南野さんの歌を歌う事の重大さをステージで知り何も出来なかった。そこから年月を経て、超えていけるようになり、新曲を作りませんかと提案した、一曲のつもりで提案したら高田さんが8曲作ってきた。そう提案したのは、このバンドが新曲を作るという事が何か大きな意味を持つような気がしたから。それが何かはわからないんだけど。

このバンドで頻繁に活動していくわけではないけど、今回もこのバンドが新曲を出したことには、音楽やバンドというものの可能性を感じる。誰もが味わうだろう別れ、残されたものがどうそれを受け止めて前に進むか、そんな時音楽、バンドというものがどう人に影響をくれるか

前に

進む

本日はここを休憩所とする。

EBBが愛しくなりました、その音の中。

ONE NIGHT STAND 2025ありがとうございました。最高でした。たくさんのお祝いもありがとう

はハーン、だからソガッチ、別日リハーサル終わりで、じぁまた〜と帰り際に、僕をわざわざ呼び止めて、ゆうすけって犬派?猫派?って聞いてきたんだな、このタイミングで聞いてくることかと思いながら帰ったけどソガッチからのプレゼントみて合点がいきました。猫は好きだけど猫のついた靴下となるとちょっと気がひけますがかわいいですね。

そして7/11白鶴イベントの打ち合わせ&

コメントどりなど、銀座白鶴本社にて。

次は7/11新宿ロフト弾き語り3マン。お土産付きのお酒イベントへぜひにです

そんでそのあとは新島へ

 

■「音歌にまっすぐ一直線な諭介さん
アカリにまつわる今日までの様々な景色や想いを、私たちにも共有して下さり嬉しかったですありがとう。
産み落とされた1つ1つの曲が人生レールに乗って時を重ねて、静かに走り続けていることを深く実感できました。
そして…それを生み出す諭介さんのど真ん中をただただ尊敬し愛しています🎶

話しは変わりますが、こちらのエッセイでチューリップや紫陽花など季節のお花いっぱいスナップ載せて下さるのなんだかご年配の方👵ブログみたいで、ほっこり懐かしく温かくなれ大好きです☺️
江の島裏磯釣りのお供、延岡産カラスミ!そんな名産物もあったのですね、なんとも美味しそう。食べた〜い😋」
(みなたん 2025/05/30 5:33)
→ご年配のっ、自分でも朝顔やチューリップがこんなに輝いてくるとは思わなかったです。樹木医の弟曰く、人はゆくゆく趣味的に石にいく人が多いらしいので、石の写真載せはじめたらまた年をとったんだと思ってください。

■「今月の「アカリ」について、諭介さんの文章を読んで感じたこともそうだけど、一昨日の稲毛のライブのアンコールでこの曲を歌い始める前に「面白おかしく生きているつもりが、悲しい気持ちとか寂しい気持ちとかに蓋をして生きていたんだなと気づいたときに作った曲です」って紹介してくれたのが印象に残って、私も改めて気が付くことがありました。生きててよかったー!って思いたくて面白おかしく生きて、楽しかった!面白かった!よかった!と思うときもたくさんあるけど、悲しさ悔しさや寂しさ、そういう気持ちが心にあるから気づける“生きててよかったって事が時々ある”んだなぁ。でもそういう気持ちは特別なことじゃないし、誰もが心の中に持っているはずなので、その先の生きててよかった!に自分も日々気づいていきたいし、やっぱり「アカリ」たくさんの人に聴いて欲しいなと思いました」
(A.T 2025/05/30 17:17)
→ほんとにそうよねー誰もが何かしらそういう気持ちを持って生きてるわね、アカリができる時、嬉しい気持ちなのにギターを鳴らすまでずっと泣きそうだったのは、そういう気持ちがあったからなんだろうなって思います。届いてよかったです、ありがとう。

■「「アカリ」はそんなにいろんな出来事があり、そして今回のリリースだったんですね。歌とか音楽ってやっぱりすごいなって思います。音楽は、特に諭介さんやインザスープの歌や音楽は私の心の安全基地で、いろいろあっても音楽を聴くと本来の自分の心に戻れたり、音楽を聴くことで助けられたことがたくさんありました。ライブにいつも行けたらいいのだけど、その時すぐに日常の中でふと聴ける「アカリ」のように配信だったり、CDなどとてもありがたいです。
今回の写真ですが江の島の定食屋さん、なくなってしまったのですね…。とても残念ですね…」
(hitomi 2025/05/30 23:48)
→安全基地になれて、自分も何か世の中で役をもらえたようで嬉しいです、伝えてくれてありがとう。配信でもっと聴けるようにしなきゃですね。またここから先もライブ以外でも発信していくプロジェクトも少しずつ動いているのでぜひチェックしてくださいねっ。

■「今年もゆうすけんさんの音楽と一緒にお誕生日をお祝い出来て嬉し楽しでした!!かっこよかった!!!!
you two..ワンマン今回は9月なのですね。こちらも楽しみにしています。Xにyou two..の記事をリンクして下さっていたのでまた読みました。お二人を繋いで下さった方がいてyou two..にまで進化して、ここから続いて行くyou two..の歌音も楽しみにしています。
私は先日はじめてラオシャンに行きました!一口目は、ん?と思ったのですが食べるうちにクセになり、最後はまた食べたいと思う味でした。多分また行きます(笑)」
(あこ 2025/06/26 15:41)
→がはっラオシャンっ、いやはや、ほんとに最初、?となるよね。西口ラオシャンと花水ラオシャンがあってどっちだったでしょ? これが僕は去年知ったんだけど、全然違うんだね、今度は西口ラオシャンの方にいってみようと思います。you two..そういえば繋いでくれた金吾さんのおかげだね、ワンマンお楽しみに。誕生日来てくれてありがとうっ。

■「毎年、諭介さんの誕生日はハッピーバースデーつーゆーなんて言って、梅雨を感じていますが、今年は暑くなるのが早く梅雨っぽくないですね。それはそうと、改めまして52歳おめでとうございます!毎年思いますが、52歳には見えない若々しさに良い歳の重ね方をしているんだろうなと思います。諭介さんの音楽の球根、ライブや連載で何度か聞いたことはあったけど、初めて知ることもあり、根っこにあるフォークシンガー達の曲を今もときどき歌ってくれるのが、根っこがずっと広がっているようでより素敵に思えます。諭介さんが、文学性、日本語の面白さ、短い言葉の中に広がる想像、にはまって歌ってたところ、私もインザスープに出会ったのは社会人1年目で国文科を卒業したばかりで、そういうところにも惹かれてファンになったのかなあと思いました。卒論の話も面白かったです。私も自分の卒論を読み返したら、自分の根本、ルーツ、何か今に繋がることがあるかもしれないと、読み返したくなりました」
(A.T 2025/06/27 16:28)
→うわ〜卒論確かにみてみたい、でもないなぁどこいったんだろ、恥ずかしいけど読み返してみたいですなぁ。国文科って響きいいね、ぼかぁそんなに本を長い事読める方ではないんだけど、文学って響きにすごくセクシーさを感じるのよね、なんだろうか。
 この言葉に対して思うセクシー感って。お祝いの言葉ありがとうっ。

■「諭介さんの音楽のルーツは今までも見聞きしたことがあったけど、より詳しく知ることができてよかったです。
私は聞いてこなかった音楽を好んで聞いてきた人が作る音楽を今私は大好きで聞いていて、きっと根っこの部分で私のルーツともどこか繋がっているのかもなぁと考えたら嬉しくなりました。
改めてお誕生日おめでとうございます。52歳には見えない52歳の諭介さんの音楽をこれからも大好きで応援しています」
(夕陽 2025/06/28 23:50)
→お祝いありがとうっ、音楽ってできるまでに色んな要素が入ってできてるんだと思うわ、人生で何をキャッチしているのか、アンテナみたいに受信して変容させて発信しているんだろうね。それをまた受信してくれて嬉しいです、ありがとう。

■「今回の球根話がとても面白かったです☆諭介さんの歌を初めて聴いたとき、まっすぐに届く迫力ある歌と思いに驚いたことは今も鮮明に覚えています。私はたぶん童謡的な感じがしたことにもとても好感を持った気がします。
そして改めまして、誕生日おめでとうございます。今もまだ諭介さんの歌を聴けることに感謝です。まだまだ聴かせてくださいね!
そういえば、「ブラックレイン」あまりにも諭介さんがコラムで力説していたので観てみたらすごく面白かったです!!任侠ものとかあまり興味ないけれど、これは映画館で観たかったな~!と思いました。ボブディランの映画も観てみようかな…」
(hitomi 2025/06/29 17:45)
→お祝いありがとうっ。がはっブラックレインのこと力説したね確かに、文字だけで力説が伝わって嬉しいです、面白かったようでよかったっ、ボブディランはその当時の空気感、激動の時代の空気感が知れてよかったのよねぇ、その中でどうミュージシャンとしてどう立ち向かったか、今の状況とも似て、観てて燃えたのよね。

■「52歳おめでとうございます〜
今月もONE NIGHT STANDはもちろん
南野ロックフェスやEBBとのトークライブやイマヤスさんとの手習いなどなど盛りだくさんの熱い暑い6月でしたね。

18歳で『人生レール』という、あんな素晴らしい曲を作れる諭介さんは既に天才だったと思うし、そしてレールに揺られて私たち観ている人も乗り車両も増えながら、今現在もまだまだ新しい景色やドキドキが待っていて…✨
この先の音歌旅も楽しみでしかありません。ありがとうございます。
これからもどうぞ、健康でお健やかでありますように🚂🛤️」
(mina 2025/06/29 20:23)
→お祝いありがとうっ、心健やかに生きていたいもんです。ほんとに6月は色んな形態でのライブでどれも超えれていい景色みえて、んがまだまだこれからも新たな景色目指して頑張るので、体感のほどよろしくお願いしますっ。


 

2025年5月31日土曜日

Vol.303「今一度、球根確かめ次へ2025」の巻

  しとしと雨降る5月末30日早朝、早起きにてこれを書く。一旦もう夏だなと思う日が続き、また冷んやりシーズン到来で涼暖も波の如し、フェイントかけられ半袖長袖着る服も迷うこの頃今日はひんやり、いかがおすごしか。

 今までも書いた事があるかと思いますが、自分の音楽遍歴、ルーツを考える事が最近よくあります。2025年5月インザスープデビュー25周年というのも相まっていると思いますが、よくここまで音楽を続けてこれたなと思うと同時に10代から20歳前後の頃、バンド結成前までに僕は潜って潜って球根を育てていたのだなとも思ったりして、今一度そのルーツを確かめながら今を感じたいなと思います。同級生が集まると毎回同じ思い出話で盛り上がるように、一人で2025年の自分ルーツの確かめ作業をしますのでお付き合い頂けたらと。

 中学に上がる頃に音楽へのアンテナが伸びはじめ、レコードで映画「ゴーストバスターズ」のサントラのレコードを母に買ってもらい聴くようになり、当時、電気会社のCMで流れて流行っていたボンジョビを聴くようになり、バービーボーイズや渡辺美里なども「テンションがあがるわぁ」的な感じで聴き、貸しレコード屋さんなどでペットショップボーイズなどを名前が面白いというだけで借りてきてハマり、自分で見つける楽しさも知りはじめていたんですが、テレビドラマ「親子ジグザグ」だったかで主演の長渕剛に出会い、オープニングテーマ曲の「ろくなもんじゃねぇ」が、それまで聴いていた音楽とは違う、テンションが上がるだけではない、よりもっと心に届いてきた。そして初めて自分で買ったレコードが、その曲を収録しているアルバム『LICENSE』でした。レコードの針のバチバチという静かな時間に一対一で語りかけてくるような曲達、そして最後の曲「LICENSE」で完全にやられました。歌って、こんな風に自分のことを歌っていいんだと思ったはじまりでした。そこからアルバムを遡り、なんせ田舎ですから、街の小さなレコード屋さんには昔のアルバムが揃っているわけもなく、予約をして一週間以上待ち、その日が来るのを今か今かと楽しみに過ごしてようやく手にして帰る時のワクワク感、自分だけのお宝を手に入れたような、ドキドキ感。そうして遡り聴いていくと、どうやら長渕剛のルーツは日本のフォークシンガー達にある事がわかってきて、今度は吉田拓郎、泉谷しげる、井上陽水、友部正人、加川良、遠藤賢司(敬称略)を聴くようになり、どうも学生運動などが行なわれていた激しい時代があって、その影響なども曲達から感じられて当時の空気感、歴史を勝手に想像しながら聴くのが楽しくて。今聴いても当時はまだ20代だったのだろう彼らが紡ぐ、20代とは思えない老成というのか洗練というのか、文学性、日本語の面白さ、短い言葉の中に広がる想像、そこに自由を感じハマっていきました。ギターが一本あれば、言葉とメロディーでどこまでも自由を感じられることを教えてくれたのが、日本のフォークシンガー達でした。
 中学ではBOØWY、高校ではユニコーン、大学時代ではミスチル、などが同級生の間では流行っていた頃に、そちらには興味が走らず、遡って聴いていて時代に逆行していると感じていても、その逆感がまたより球根が育っていく感じもして、一人静かに向き合えるものとなりました。とはいえ同時代にも、ボガンボスやSION、HEAT WAVEなど、同じルーツを感じる音楽家にも出会えてハマり、同じ球根からこんなに違う花が咲くのというのも今思えば面白いところであり、当時は同じ匂いを感じながら、時代を踏まえて自分たちならでは独特な個性、優しさを感じる人たちにも傾倒していきました。

 「遡り」は自然と海外のフォークソングへ向かうのですが、やはり関門のように「ボブ・ディラン」に行き着くわけです。しかし英語で、なんだか妙な歌い方だし、よくわからないと言うのが本音だったんですが、これだけ僕に影響を与えた日本のフォークシンガー達が口を揃えて「ラジオからボブ・ディランが流れてきたのを聴いてカミナリが落ちた」と、その時の衝撃を語るので、わからないのに、わかるまで聴きたい、好きになりたい、きっと好きになるはずだ、落ちてこいカミナリと、もはや自己暗示をかけながら聴いて、ギターにも自分だけが見れるところに彼の名前のステッカーを貼ったり、ボブ・ディランのデビューアルバムをCD棚の一番上に飾っていたりして。それから今も、そのジャケットは一番見えるところに飾ってあります。

 話は逸れるようで逸れないんですが、最近よく思い出すのが大学の卒論です。
 テーマは「なんでも興味があるものを選んで、それについての論文を書け」と、本当になんでもいいと言うので「日本のフォークソングにおける受容と変容」というタイトルでいろんな文献を探し、読み、ほとんど書き写したようなもんですが、それでもいまだにその時に調べた事が自分の根っこにある。ボブ・ディランからウディ・ガスリーへと遡り、いよいよ根本の「FOLK」といのは「民謡」であるという事、「民謡」というのは生活に根付いた音楽、その時代を反映したものである事、そしてそれは「普遍的なもの」である事にたどり着いた。ここに今の自分が音楽を続けてこれた理由があるんだなと思います。音楽業界やロック社会や縦社会、時代や音楽理論など様々な風が吹く中で、逆風を感じつつも抗いここを信じて、根を生やしてきたんだなと。ことデビューが決まり世に出るタイミングになった段においては尚更その根っこを感じ、たとえばタイトルだけ見ても「風の子」や「川」「夜の掛け布団」など、自分なりに「FOLK」の観点から世の中へ石を投じた結果だとも思います。

 結果、2025年の自分は素直に音楽ができてると思う。あまりクセをつけずに、活動範囲にしてもジャンルに囚われず、人間関係に縛られず、逆風を感じてきた分だけフラットに音楽だけで人と繋がれているような、はたまた逆に、やってきた音楽との共通点をテレビMCや演劇にも見出してこれたように思う。
 それでもまだまだ、これだけやってきてもいつも最初の気持ちでいられ、奥を感じ、これからもおもろい景色が待ってる予感を音楽はさせてくれる。そのようなものに出会えて本当によかったと思う2025年5月、そう思えるのも聴いてくれるみんながいるからです、ありがとう。これからもぜひ聴いてもらえたらと! フラットに発していきたいとおもうので、一緒に楽しんでもらえたらと思います。
 そんなみんなにオススメしたい映画が「名もなき者/ A COMPLETE UNKNOWN」です。ボブ・ディランの孤独、抗い、時代背景、そこからの歌のチカラ、ボブ・ディラン先輩が日本のフォークシンガー達に、あの時代に影響を与えたことなどが頷ける映画でした。役者たちも素晴らしく、映画の後に観た本人の映像の方が偽物に感じるほど、シャラメ演じるボブ・ディランもかっこよかったです。お時間ある時にぜひ。
 どんなことでも、今やってる自分の根本、ルーツ、起源など球根を確かめ探究、人生を旅できるのは幸せなことで、チカラが湧くもんですね。と思いながらこの辺で、よい梅雨を。

この映画ですね。

好きなジャケット。映画内ではこのジャケット撮影も描かれていました。

千葉稲毛。いつしかここもホームとなり。月と夜へ。

戦争は僕達人類の敗北だと思います。

近所に出店希望 ラオシャン。

ギターのおしりのメンテナンス。

弦張り替えー今日もやったるでと。Photo by Masumi

何をどうした時のアクションでしょう? Photo by Masumi

7月新島に向けての準備も。

金網おじさん。子供達の野球をみてしまう。微笑ましくみてしまう。こういうおじさんいたなー

多すぎにも程がある。

都会の隙間を狙って。

愛知県 吉良町 ROCK ON THE BEACH

静かな海と月。

本当にどうでもいいことで深夜まで話す人達。

都会の隙間でくつろぐ②

美味しいですよねー。日本の現場仕事の方々をどんだけ支えてきたんだろワンタン。

6/15EBBにおもてなしをされにいくためのリハを。感動しました、また改めてお伝えできたらと。

新宿ろふとのせんべろ。2曲だけですが毎回緊張しますね。ここもまた挑戦の場であり

アイドルとはいえ夢への本気を感じるゆらぴこさんよりうちわ配られ、異文化感コミュニケーション。

久々野球も気持ちいい季節。

6/10この日に向けて5月は新曲をつくっておりました。

そして6/20、我誕生日にて。先輩方の胸借りてぶっ飛ばしてまいりますのでぜひ52の歌音を感じてもらえたらと。  


 中尾諭介通販にて、新作CD「江ノ島の裏磯にて」販売中!

 

 諭介がお答え致します

■「k's共演者の歌のほとんどが「死にたい」というようなことで後ろ向きなMCなんてがっくりしちゃいますよね。
私は「死にたい」とか軽々しく言うのが好きではありません。
病と闘っている人、災害事故でこの世を去ってしまった人、戦地の人、その無念さを考えたらそんなこと言うものじゃないって思うんです。
私も楽しいばかりじゃなく生きてきたけどそんな風に感じたことはなくて歌や音が希望をくれる、本当にそうだと思います。
今回のエッセイの少し重めの内容に悲しい気持ちになってしまったけど「生きてて良かった」そう思えることが一瞬でもあれば前に進めるしそう思わせてくれる「アカリ」いい曲だし大好きです」
(夕陽 2025/05/28 23:50)
→ありがと、音楽でも他の芸術でも、ネガティブから発信しててもいいんだけど、その思いを昇華させようともせず、ただ垂れ流してるだけのものがきびしいなぁとおもっちゃうんだろなぁ、せめてMCで「なんつって、いやぁ最近は雨ばっかりで、、」とかギャップ感出してもらいたくなってしまうわぁね。日にちと時間と場所守ってちゃんと舞台にまであがっていうことかいってなるわね。

■「音歌にまっすぐ一直線な諭介さん
アカリにまつわる今日までの様々な景色や想いを、私たちにも共有して下さり嬉しかったですありがとう。
産み落とされた1つ1つの曲が人生レールに乗って時を重ねて、静かに走り続けていることを深く実感できました。
そして…それを生み出す諭介さんのど真ん中をただただ尊敬し愛しています🎶

話しは変わりますが、こちらのエッセイでチューリップや紫陽花など季節のお花いっぱいスナップ載せて下さるのなんだかご年配の方👵ブログみたいで、ほっこり懐かしく温かくなれ大好きです☺️
江の島裏磯釣りのお供、延岡産カラスミ!そんな名産物もあったのですね、なんとも美味しそう。食べた〜い😋」
(みなたん 2025/05/30 5:33)
→そうね、おじいさん、わかりますよ、けっこう若い段階からこのような傾向があります、飽きないですね、植物や虫や、空や。楽しませてもらって、自分と重ねて客観的にみれてありがたいです。これがまた石とかにいくと次の段階にいったということになるんでしょうね。高みを目指してお爺さんを磨いていきたいと思います。カラスミが延岡の名産なのかはきいた事ないけど、いつか自分でつくってみたいですなぁ。

■「今月の「アカリ」について、諭介さんの文章を読んで感じたこともそうだけど、一昨日の稲毛のライブのアンコールでこの曲を歌い始める前に「面白おかしく生きているつもりが、悲しい気持ちとか寂しい気持ちとかに蓋をして生きていたんだなと気づいたときに作った曲です」って紹介してくれたのが印象に残って、私も改めて気が付くことがありました。生きててよかったー!って思いたくて面白おかしく生きて、楽しかった!面白かった!よかった!と思うときもたくさんあるけど、悲しさ悔しさや寂しさ、そういう気持ちが心にあるから気づける“生きててよかったって事が時々ある”んだなぁ。でもそういう気持ちは特別なことじゃないし、誰もが心の中に持っているはずなので、その先の生きててよかった!に自分も日々気づいていきたいし、やっぱり「アカリ」たくさんの人に聴いて欲しいなと思いました」
(A.T 2025/05/30 17:17)
→ありがとう〜、ですわなぁ〜、そこを目指して頑張りたいね。お爺さんモードで言わせてもらうならば、どれだけ自分に負荷をかけていきてるか、本当に生きててよかったって思えるには、孤独や勇気ってのがやっぱりちょっと必要になってくるんでしょうなぁ。演劇「荒れ野」共演小林勝也さんに教えてもらった言葉「悲観的に受けとめて、楽観的に発せよ」ですね。

 




























2025年4月30日水曜日

Vol.302「生きててよかったって事が時々ある」の巻

  長い、4月はとても長く感じる。「弾き語りワンマン 始業2025」も半年くらい前のことのように感じるが、しかしまだ一ヶ月も経っていないのが信じられない。この日までの全てをかけて構築し、一人で向かって全部を出せたと、またゼロからのスタートだと気持ちよく思えた。それは、春が来て新しく花が芽吹き散り、そこから新緑が生まれてくるような新たな気分、まさに始業だなと思えたからではないだろうかとも思う、いきなり余談ですが、最近読んでいた水木しげるさんの自伝では戦争で空爆にあい、片腕を切断した水木さん、その切断された腕の断面の皮膚が再生していく過程で、ほのかに赤ん坊の匂いがしていたとのこと。LIVEとは、毎回死んで生きてを繰り返しているのかもしれないとも思った今回、新緑の季節、やり切ったこの清々しい始まりの空気は、赤ん坊の匂いをはらんだ希望の匂いなのかもしれないとおもったりもして、新緑の季節いかがおすごしか。

 今回は今年3月11日に配信リリースした曲、「アカリ」について書こうと思います。
 この曲は15年前に作った曲で、全部そうだけど、曲が生まれる時というのは何年経ってもその景色を覚えてるものだなぁと思う。あの頃はニックバッカーズで動いていた時期で、我々は名古屋へライブをしに行った。
 そのステージは愛知県西尾市で開催されていたフェス、「ロックオンザロック」のプレイベント的なものだった。主催者にはインザスープが在籍してた事務所ロフトのピンクムーン社長のシゲさんなどもおり、インザスープ以来、久々にライブをみてもらえるという時でもあった。その演奏中にギターのおばっちゃんの弦が切れて、彼が楽屋に戻って弦の交換をしてる間は残ったメンバーでセッションをはじめて、おばっちゃんが戻ってきても全員でのセッションが続き、即興音楽が会場を巻き込んでいき昇天していった。完全に会場と一体となり昇っていく感じがあり、スリルと奇跡、まさにマジックが起きて久々の感覚になった。
元々インザスープは即興性の高いバンドで、毎回即興コーナーを入れてた時期があり、それはその面白さをかってくれたシゲさんの提案だった。即興にはいい時もあればそうでない時もあることも含めて楽しんでくれていて、その危うさ、隙間に音楽と人の面白さがあることを、身をもって体感してきた。そのシゲさんのイベントで奇跡をまた起こせたこと、起こそうとおもってできることではない、計算ではない流れの中での奇跡をニックバッカーズのメンバーと共有できたこと、満月の引力に引っ張られるかのような奇跡をまた音楽で味わえたこと。ライブが終わり、楽屋や打ち上げでメンバーやシゲさんたちみんながいい顔をしていたこと。何かが伝わり共有できたこと。僕はその全てが嬉しくてずっと心にあったかい水がたぷんたぷんと溜まっていて、翌日東京に戻ってもずっとたぷんたぷんがあった。その水をメンバーの前で流せるわけもなく、やり場のない感情をもって家に帰りギターを弾いて、「生きててよかったってことが時々ある」とぽつりぽつりとすんなりでてきた。途中段階でニックのメンバーに聞かせてサビを練って曲ができ、レコーディングをした。すんなり出てきたわりに全体を完成させるまでには紆余曲折もあり、できた当初は歌いこなすのが難しい曲だった。
 その後弾き語りの頻度が増えていき、そこでこの曲はまた転がり、自分の曲になっていった。
 あの頃自分は楽しく生きていたし、胸には希望があった。レコード会社の契約が切れても、現場仕事をやり始めても、むしろ健やかに音楽ができるわいと揺るがなく、やりたいことがあり、それができていたつもりだった。でも、心のどこかにはやはり、悔しさや寂しさ、今に見てろよという埋められない何かがあったんだなと。「生きててよかったって事が時々ある」、そんな思いをして、逆に知ることもあるんだなと最近思う。

 曲ができて4、5年経ったある時、渋谷七面鳥での弾き語りライブを終えた僕の前に女の子がきて、僕の遠い親戚で学生時代からインザスープを聴いていてくれていて、社会人になり、ようやくライブにこれるようになったこと。よくみたら確かに顔が似てるねとか言いあい、初めての遠い親戚との対面をお互いに喜んだ。それからよくライブに来てくれていた。その頃僕がよく着ていた水玉の青いシャツと同じようなシャツを着て、文章を書くのが好きな彼女はライブレポートなども書いてくれていた。彼女は学生時代に人間関係でつらいおもいをし、それから何度か自分で命を絶とうとしたことがあったということを母から聞いていた。その彼女がこの「アカリ」の歌詞を部屋に貼って頑張ってるんだということを、嬉しそうに僕に伝えてくれた。自分がつくった曲が誰かの希望になっていると思えて嬉しかった。そんなある日の夕方、母から電話があり彼女が病院に運ばれたことを伝えられた、なぜそうなったか母は言わなかったが、事の重大さに気がついていない僕に、母は声を荒げてすぐに病院に行くように伝えてきた。埼玉の病院とのことで、その日の翌日は埼玉でライブだったのでそのままライブへ行くことも考えギターを持って病院へ行った。病室へつくと彼女は意識不明だった。彼女のお母さんがギターを持ってる僕を見て、意識のない彼女に「ユウスケくんがきてくれたよ、歌ってくれるって」と言った。そのつもりでギターをもっていったわけではなかったけど、そのままギターを出して耳元で繰り返しこの「アカリ」を歌った。そんなわけはないよな、戻ってくるよなと信じて歌った。意識はもどらないまま朝になり、昼から僕はライブへ行き歌い、彼女は戻ってこなかったことを知らされた。後日、棺桶の中の彼女は青い水玉のシャツを着てた。

 それから10年近く経ち、去年、千葉稲毛のK’sドリームでKが2011年の震災後から毎月主催している「頑張ってるぜ日本」にて共演した若い二人組の男の子達の歌のほとんどが「死にたい」というようなことを歌っており、MCも「ライブもしたくない」的な元も子もない後ろ向きさで、歌では何を歌ってもいいというのが泉谷しげるさんからの助言で基本姿勢ではあるが、その子達の歌を聞いていてなんとも言えないがっくりとした気持ちになり、その後の出番だったので、急遽、Kに「アカリ」を歌いたいと提案した。それまでは「アカリ」を一人で歌っていたのでKと演奏するのは久々だった。急遽の提案にKも楽屋でコードを思い出してくれて、本番で「アカリ」を久々に二人で演奏した。歌は何を歌っても自由なので直接何かを言うことはないけど、せめてものアンサーだった。
 その時の流れと「アカリ」を聞いてK`s店長のコウ君が終わった後に、こういうことだよねと伝えてくれた。その後もなんどか演奏するたびにやっぱりいい曲だと言ってくれ、毎年一曲感動した曲を出していく企画を思いついたと、その第一弾としてレコーディングしたいと言ってくれ、今この世に伝えたいと伝えてくれ、去年録音して今年の3月11日にリリースとなった。

 歌に自由を感じ、希望を感じ、奇跡を感じ、勘違い、思い上がりもし、無力を何度も感じてきた。それでも歌や音は優しいものであると、懐も奥も深く、いまだに希望を感じさせてくれる。多作ではないし音楽的才能が備わっているわけでもないけど、自分なりに生きてきて感じたことを曲にして、聞いてくれる人がいて、広めたいと思ってくれる人がいて、そんな人達と灯りをともしていく。今回の弾き語りワンマンでも改めて感じた、LIVEというのは、その都度やり切って死に、また新たに生まれ生きる、白と黒の市松模様なんだと。全部とは言わずとも、どこか一部分からでも水木しげるさん言うとこの赤ん坊の匂いをさせながら、新たな芽吹き、曲を求めていきたいと思います。これからもぜひ体感してもらえたらと思いながら今月はこの辺で。良い初夏を。

自分の録音アプリの中の曲ネタなどを整理してどこに何があるのかわかるようにしたメモ。何ページにもなったけど、これはこれで歴史を感じておもろい。

サクラサクラ

なんせ一人だと隙間があったらスタジオ入ってないと不安で2日に一回は入ってたんじゃないだろか弾き語りワンマンに向けて。


心強いマイギア。

新橋や水天宮にあるおにやんまってうどん屋さんおいしいですね鳥の天ぷらも

一人だと毎回写真も同じにになりがち。

昨今のチューリップってのはいろーんな種類があるんですなぁ。

緑が燃える

このシャツワンマンに向けて買いました。一見普通のアロハにみえてよーくみるとドクロがいるんですね、生きる死ぬが今回のテーマだったかも知れません。

日々曲順が構築されていく事サクラダファミリアの如し

ちなみに大馬鹿野郎集会はこちらでした。

江ノ島にて延岡産カラスミと。

色んなところに砲台の跡や洞窟があるだろう。そして外国からの観光客の多いこと

その話をしてくれた定食屋さんがなくなってました。建物なくなり出てきたこの石垣はどのくらい昔のものなんでしょ

イケスだと思ってた。

いつもいいですねいいちこポスター。このチラシを作ってる人と話してみたい。

今回もロフトやラプソディやCCOに貼ってもらいました。貼れるところ募集中です。

もう15年も前に一度録音してるので店長コウ君にじゃあ全部のプロデュースをお願いしますと、最後のコウ君の子供の声が入っていたりと遺憾無く腕を振るってくれたのですが、このサブスクに申請をする段において、中尾と草場という表記では登録できないなど、四苦八苦したらしく、表記等の確認をする前に後から訂正できるだろうととりあえず埋めた情報が本ちゃんになってしまい、僕が確認する時にはもう訂正できない状態だったのですが、曲が広まればとオッケーしましたが一応ここで訂正をば。タイトルは世界を視野に入れて英語表記になり、あと作詞作曲クレッジットは作詞中尾諭介、作曲中尾諭介、田中大介が正式になります。


諭介がお答え致します

■「前回のコメントと重複しますが、大馬鹿野郎集会楽しかったですね。そして私も龍也君の成長にビックリしました。
当時お母様やおばあ様と一緒に来ていた少年が自分の夢を叶えて憧れていた人と一緒にパフォーマンスする姿を親戚のおばちゃんみたいな眼差しで感慨深く見守ってました。
私は自分の憧れや幼い頃の夢を叶えられてないしなりたい自分になれてないなあ・・・諭介さんは「なりたい自分」になれてますか?」
(夕陽 2025/04/28 23:17)
→なるよね、親戚の目線に、なりたい自分にはなれてないというのもあるし、考えようによってはなりたい自分以上になれてるというのも年々思えるようになってきたわ。
 こんな人生なかなかないよって、面白い人生を送れてるなぁと思えるし、もっと頑張りたいと思てるよ。感謝する事が増えたね。


■「大バカ野郎集会300回記念ライブも終わり、諭介さんの弾き語りワンマン始業2025も終わり、あっという間に4月も終わろうとしています。今年の弾き語りワンマンもとても楽しかったです! リラックスの中に緊張感も感じられ、この日のために組まれた曲に心が動き、諭介さんらしいMCに元気をもらいました。個人的な話になりますが、この4月から異動になり仕事の内容も大きく変わって、いまさらこんなにまだ覚えることがあるのか!と日々頭から煙が出そうな感じでやっていますw 最初は大変なことばかり数えてしまっていたけど、変わってよかったことにも少しずつでも目を向けられたらと思います。それにこう大変だとライブに行くのが好きでよかったなと思ったりします。楽しみや推し活も力になります!w なので、私が頑張るために諭介さんにも頑張っていただけたらと思います!健康にも気をつけましょう」
(A.T 2025/04/29 7:37)
→がはっ頑張るわ、そう言ってもらえると頑張りがいがありますなぁ、頑張りたいです頑張ります。新しくまた覚える事があるのもいいね、新緑が芽吹く感じやね、僕も英語の単語覚えをまた再開してるわ、おそーいペースだけど一個一個覚えて馴染んでいく感じが頭の体操になるね。また忘れてもいくけど。